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作品名: 椰子の風に吹かれて 作者:佐々木 三郎

第22回   有馬温泉
                   有馬温泉

 陳志淵とカルロスが日本にくると言って来た。視察とは別にマリアのことではと、坂本は複雑な気がしたが関西空港に迎えに行く。二人とも小さなスーツケースひとつ。『龍次、日本の税関フリーパス?』カルロスが開口一番。人を看るのだ。お前たちは紳士と判断されたのだ。陳が説明してやる。カルロスが上機嫌になる。
 坂本は有馬温泉に二人を連れてゆく。和室5人部屋一人3万。見晴らしのいい部屋といったのだが、二人は他の部屋も見て周りもっと広い部屋がいいという。『ここは少し高くなりますが』ガラガラじゃないか、ここにするぞ、いいな。『しかられます』仕事のうちだ。『わかりました、お食事は?』1時間ほど湯に浸かってくる。『ご記帳お願いします』と筆ペンが出される。坂本がカルロスの分も書いて陳に渡す。陳は鮮やかな筆遣いで記帳する。『マニラからおいでなのですか』二人はホテルのオーナーだ、無理して有馬に案内した。『恐れ入ります』ビールはなんだ。『麒麟一番絞りとラガーでございます』一番絞り生で大三つ。酒は地酒の美味いのを三合。『かしこまりました。お荷物はここでよろしいですか。貴重品は帳場の方へ。浴衣はここにございます』

 浴衣に着替えて帳場に向かう。菊の間だ、パスポートコピーしておいてくれ。『承知しました。預証でございます。浴場は3階に』わかった。浴場は木の香が漂い露天風呂もある。カルロス、パンツも脱げ。すっぽんぽんだ。スッポンポン?そうだ。タオルを鉢巻にして浴室に入るとかけ湯をする。熱いなリュウジ。気持ちよくなる。湯船に浸かる前にはかけ湯をするのだ。カケユ。そう。坂本が湯船に脚を入れゆっくりとしゃがむ。尻背中が痛い。カルロスは足を入れただけで飛び上がった。陳は落ち着いたもので徐に湯船に身を沈める。カケユ掛湯カケユとカルロスに指差す。カルロスは再度湯船に足を入れるが突っ立ったまま。でけえなあ。坂本が冷やかすと入浴客もくくっと笑う。意を決してカルロスが身を投じる。たちまち肌が赤くなる。美味そうな茹蛸ができるぞ。カルロスは汗だくで我慢できない。あと二三分で体の毒が出てしまう。辛抱しろ。本当か。だから高い宿賃を払う。熱いが気持ちいい。だろう。湯中りしてはいけないから外に出よう。

 露天風呂は百万ドルの夜景が見下ろせる。ワオー、カルロスが歓声をあげる。香港に似てますな、陳も静かに感動を表す。しばらく無言で夜景に見入る。やがて坂本が露天風呂に浸かると二人も続いた。スッポンポン カムフォタブル!生まれたときの姿は心身を本来の人間を思い起こさせるのだろう、と坂本は思ったがふと不安が過ぎった。そして不安が現実となった。『俺の娘が子供を生んだ。父親はリュウジだ。それはいいが俺の妻も子供を生んだ。父親はリュウジだ。故に娘が双子を生んだことにした』陳も『右に同じ』と続く。それはそれは、、、サーヴィスだ。『すると俺たちはどういう関係だ』うーん、分からない。『過剰サーヴィスですな』陳はちくりと刺してくる。で、お前の妻は怒っているのか。『いいや、だから俺はお前を憎む。人の妻を盗んだ』盗んでいない、彼女を持ち出していない。一度ただ一度だけ愛を育んだだけだ。それが罪か。その時幸せだった。
『故にお前は殺されなければならない』それはお前の過失である。その責任を俺に転嫁するな。お前が彼女を愛し続けておればこうはならなかった。反省すべきはお前である。お前は夫の務めを果たしていたのか。
 カルロスと陳が首を傾げる。坂本は中の湯船に逃避する。二人の追っ手も続く。カルロスが汗を垂らしながら叫ぶ。『OK,リュウジお前は無罪。しかし父親の責任は果たさなくてはならない』言われるまでもない。しかし俺は未だ会っていない。二人とも美人でお前とそっくりの顔をしている。俺のほうも同じだと陳。早くこの手に抱いてみたい。頭もいいはずだ。『これから俺を父親として接しろ。俺はマリアの父だ』シーセニョール。知道了爺。『爺とはなんだ。父上と言え』イエスサー。
 しかし、俺は美女に求められて情けをかけただけのにそれが罪なのか。『まあ似たようなものだ。しかし、こう素直に出られると矛先が鈍るな。これで名実ともに俺たちは家族となった』『そうだな陳、俺たちも婿殿を通じて親戚だ』そろそろ食事ができているだろう、部屋に戻ろう。坂本は逃げを打ったが金玉を握られた感じだ。

 帳場で鍵とコピーを受取る。コピーはただなのか?ただだからサーヴィスなのだ。部屋に戻ると活け作りと料理が並べられている。湯上りのビールはうまい。日本のビールはこんなに冷たいのか?中国人は冷たいのに弱い。日本人は格別冷たいのを好む、日本酒はどうだ。坂本は気を使う。仲居が陳に酌をする。女将がやってきて挨拶をする。『今日の生き作りは鳴門の鯛でございます。鯛は明石もいいのですが、知合いの漁師さんが今朝取れたのを送ってくれましたの』女将の里は?『南淡路です。甥の彼女が鳴門の漁師さんの娘で車で届けてくれたのは有難いのですが、向こうの部屋で彼女と食事しています』高価な鯛だな。『あの子は妹の子で母を早く亡くしたので母親代わりですねん。まあ、つまらないことを話してしもうて、どうぞごゆっくり御寛ぎくださいませ』
 カルロスは女将に見とれている。祝儀をと催促する。女将には失礼なのだ。そういうものか。仲居が取り皿に鯛をとってカルロスと陳に給仕する。美味いと二人が日本語で言う。仲居がにっこり笑って陳に酌をする。カルロスはビールをお代わりする。お姐さん両替してくれるか、坂本は2万円を預ける。かしこまりました、仲居は帳場に向かう。日本ではサーヴィス料が別にくる、チップは祝儀といって満足したときに出せばいい。わかった。
 仲居が千円札に両替してきた。ピン札だ。10枚ずつ二人に渡す。新しいジョッキをカルロスの前に置くと海老をほじくってくれる。そこに天婦羅が運ばれてくる。天汁に浸して塩を付けて取皿に乗せる。この塩はうまい。陳がつぶやく。赤穂の天然ですよって。赤穂か、この酒は。灘の生一本、水がええさかい。銘酒じゃのう。一升瓶で所望する。ええ?瓶と枡を持ってきてくれ、坂本が念を押す。
 仲居は四十過ぎの落ち着いたいい女だ。電話で注文を伝える。いい湯に浸かって美味い料理を食って幸せだなあ、坂本が口にする。キレイどころがあれば、もっと?いやお姐さんがいてくれたら十分だ。まあ、お上手いうてから。板さんに手が空いたら来て貰ってくれ。わかりました。二人に包丁捌きを見せて欲しいのだ。それでしたら板場のほうがよろしい。板前しか入れないだろう。お客さんのお上手は嘘でも嬉しいやさかい、まかしといて。坂本たちはタオルで頭を縛って板場に入る。そない気にせんでどうぞ。板長は1貫目の鯛を捌いてみせる。陳とカルロスは食入る様に見つめる。おい、握ってみろ。へえ。若い板前が握り寿司を並べてゆく。二人は感激してため息を吐いた。
 部屋に戻ると陳が日本の旅館は料理も出してこの料金かとたずねる。旅館は料理の良し悪しで客は選ぶ、板前の地位は高い。料理を部屋まで運んで採算は取れるのか。そこがホテルと違うところだ。ここは客と従業員が友達、家族のようだな。カルロスが叫ぶ。仲居に通訳すると従業員が喜びますよ、と笑った。陳がカルロスに通訳するとカルロスは仲居の手を取ってアミーガと引き寄せる。仲居は握り返して灘の生一本を陳に見せる。ナマイッポン。なまやのうて、き、冷でよろしい。ああ、日本語はむずかしい。生は百以上読み方があるそうだ、坂本が胡麻をする。枡酒が気に入ったらしく二人は重ねる。
 板長が握りを三人前持って挨拶に現れた。板場からの差し入れです。オオ、マステル、ノメとカルロスが枡を差し出す。陳は五千円を些少ながら包丁の謝礼であるよ、と仲居に渡す。板長に手渡す。握りの大きさ全部同じ、どうやるのか。まあ、手が覚えてますよって。二人は感心する。米粒を数えると二つぶと違わないそうだ、な、板長。ええ、まあ。カルロスはシャリを数え始めた。本当だ、すごい、天才だ。三つシャリを数えたのだ。西洋は分析が好きなのだ、と坂本が取り繕う。板長は手を洗ってくると握りなおしてみせた。カルロスは感激して板長に酒を勧める。この料理は美味いぞ食え。これには板長と仲居も苦笑するしかなかった。

 電話が鳴った。仲居はわかりましたと切る。女将がカラオケはどうかと申しております。宿の付けなので是非と。のぞいてみるか、坂本が立ち上がる。カルロスが仲居に三千円を出す。過分ですと二千円を返す。貴重品は金庫にしもうてますか。時計現金をしまって鍵を電気スタンドのペンダントに入れる。宿の者しか知りませんから、と仲居は微笑む。カルロスが抱き寄せて頭にキスをする。一瞬仲居の身体が歓びを示した。カラオケは会社の慰安旅行らしい客が十人余り歌っていた。有馬とは豪勢だな。珍しく陳がマイクを握った。
      那南風   吹来  清凉     那夜鴬  啼声   凄愴          月下的  花児    都入夢   只有那  夜来香
歌い終わると我に返ったような拍手。白髪の婦人が陳にビールを注ぎながら、ありがとうございました、娘のころを思い出しました、と涙を浮かべていた。婦人は蘇州夜曲を歌った。切々とした哀感が胸を打つ。ご主人は?ええ、いい男でした。四川省西安の出でした。陳と広東語で話しているようだ。
 続いてカルロスのべサメムーチョ。甘い声は女心をとろかす。中年の女が抱きつく。カルロスはやさしく抱きながら歌いつける。女は首に腕を回し接吻した。カルロスが返すと女はああ、と失神した。カルロスが抱き上げると一度でいいからこんな男に抱かれてみたい、と叫ぶ。やんやの喝采。龍次日本の女情熱的だな。旅の情。なに?そのうちにわかる。カルロスがギターをとって愛のロマンスを弾く。スペイン民謡だが禁じられた遊びの主題歌として知られている。
 曲が終わると今度は30位の女がカルロスに挑むように手を打った。フラメンコ。胸を肌蹴て踊りだす。ギターが応じる。ギターが問いかける。踊りが答える。次第に緊迫した情熱が周囲を圧倒する。女のフラメンコは本場仕込のようだ。素足でなければもっと迫力が、、、。その夜、坂本は程なく部屋に帰ったが、陳とカルロスが戻ったのは明け方であった。

 一風呂浴びての朝飯は蜆汁が出た。昨日の仲居が給仕してくれた。日本の旅館はいいものだなあ、カルロスが照れ隠しのようにいう。ああ、陳も同調する。よく眠れましたか、仲居の話しかけに二人は気付かぬ振り。五日で日本を案内するとすれば修学旅行になるかな。お客様のような方でしたら返って鄙びたところがよろしいかも。それは言えるな、東北にでも行くか。そこへ女将が挨拶にきた。『夕べは盛り上がったとか。これからのご予定は』客人はいい思いをしたようだ。予定を今話していたのだが奥入瀬、白神当たりを考えている。『この時期は涼しいて気持ちがよろしいやろ、うちも付いて行きたいわ』といいながら女将は名刺を二人に差し出す。二人も名刺を交換する。女将は道理でという顔。マム、来るときはコールな、私のホテルに招待する、とカルロス。女将、旅行は当社にご用命くだされば万事取り計らいますゆえ、と陳も負けていない。『こんな偉い人からお声がかかって胸がときめきわ、顔がほてってきた、女将が娘のような声を出す。女将、カラオケのお礼というか、気持ちだ、と坂本は一万札を出す。『うれしいわ、お気持有難く頂きます』男が出した金を引っ込める訳にはいかん。『ほうですね、では遠慮なく頂戴いたします』
 帳場でチェックアウト、旅館でサーヴィス料とは何だ、金を取るならサーヴィスといえるか、坂本が声を荒げる。女将が眼で合図する。面白い日本人ですなあ、あの男は。陳がつぶやく。女将もうなずく。宿の車で送ってくれることになった。仲居がクーラーボックスを車に運び込む。『握りと女将のお土産、お昼にでも食べてな』宿の見送りに手を振って応える。『お客さん有馬を一回りしてロープウエーに行きまひょか、時間いけますか』運転手が声をかけてきた。そいつは有難い、よろしく。山の出湯は旅情をそそる。ここは温泉街か、カルロスが感嘆の声を立てる。静かだな、と見渡す。車は八人乗りのバンなので見晴らしがいい。
 ロープウエーに着くと運転手は切符を買ってくる、荷物を運ぶ、えらいサーヴィスがいい。カルロスが千円渡す。怒られますがな。ガイド料だ、受取ってやれや。世話になったな、坂本がバッグを手にする。よいお旅をと運転手が見送っている。ロープウエーから大阪湾を眺望する。いい眺めだ、日本人は美味いものと景色に幸福を感じるのだな、とカルロスがつぶやく。あれから俺は犯されつづけた。フラメンコか。ああ、幸せだった。陳はすましているが軽く咳をした。陳よ、お前もか。

次回 マタギの世界


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