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作品名: 椰子の風に吹かれて 作者:佐々木 三郎

第12回   ユ キ 2
ユ キ 2

 それから、ユキと清美は取り付かれた様に生協を研究した。制度、問題点の分析は清美が、問題点の解決方法はユキが、いいコンビネーションかもしれない。清美の卒論もユキの日本での経験が役立っているようだ。フィリピン人が一つの事にこれだけ集中することは珍しいのではないか。マリアの方は手打が済んでジャパ行きの話も立ち枯れになってしまったが家に帰るとは言わない。昼間はインターネットで日本のサイトを見ているようだ。夜は坂本の部屋で寝る。塩崎真知子は買い物、日本人会行事等にセヴァスチャンの運転で出かける。ここでは全員がいつしか、あたらしい家族になっていた。

 ある日の午後、真知子とユキ清美が庭で緑茶を楽しんでいた。マリアが食堂に下りてきたのを真知子が見つけ声をかける。『真知子、日本人は熱い茶が好きなのですか。この苦い味がどうして好まれるのですか』『そうね、日本人は舌を焼く熱さを好むわね。でも熱かったら冷めるのを待てばいい。お風呂もそうね、日本人は熱いのが好きね。それから味は苦いじゃなくて渋い。渋いは他の言葉に置き換えることができないね』マリアは真知子を見つめながら説明を聴いている。『お母さん、私も日本でお茶に驚いた。渋さはお茶のほかに、色、人間にも使うのね』『男の渋さ』清美がユキの話を引き取る。『渋さ?渋いと同じ』マリアが突っ込む。『渋い、渋さ。熱い、熱さ。いは形容詞、さは名詞。マリア、日本語勉強する』
『私、勉強したい。あした浜辺をさまよえば、今、日本の歌を聴いていた。この曲は西洋音階で作られている。日本音階は上りと下りが異なる。他に例を見ない』マリアもこの国育ち、坂本の受け売りなぞ気にしない。『マリアは音楽が好きなのね。来週お琴の演奏会に行きましょう。日本の曲が聴けるわよ』『うれしい、いつですか』『日曜日、2時から。あなたたちもどう、一緒にゆきましょ。根詰めて勉強ばかりしていると体を壊すわ、たまには息抜きして、音楽聴くと頭がリフレッシュされるから』

翌週、清美が生協の話を父親にするとTito叔父に相談するように言われたので家に帰ることになった。ユキは迷った挙句同行することになった。『お母さん大丈夫、龍次は手がかかるから心配』お前こそ、大丈夫なのか、ツイッテってやろうか?『あら心配してくれるの』どうして思ったことをそのまま口にする、子供じゃねえだろう。自分のことは自分でやれ。『私、絶対生協作るから、女の意地。クーヤ身体に気をつけてね』?ユキ、日当と選別だ、旨いものがあったら土産を買って来い。そうだ、常男さんに携帯持って行け。5万ペソを渡す。『なんか夫婦の会話ね。ユキさん、やろうとすることが大切なのよ。人事を尽くして天命を待つ。やるだけのことをやって分からないときは天の声を聴きなさい』『お母さん、Heaven helps those who help themselves.ね。行って来ます』『そういうこと。そうだ、清美さん、このういろうもち持って行って、気をつけていってらっしゃい』坂本は一緒に行きたかったがユキが自分の力ででやらなければ生協はできない、既存勢力の妨害は命さえ狙ってくるであろう、この先幾多の困難を乗り越えてゆかねばなるまい、などと考えて留まることにした。

 翌日、見計らったようにアンジェリカがやってきた。娘が世話になっているので表敬訪問とすましている。あの野郎、坂本はセヴァスチャンを問い詰める。『奥さん、千ペソやるといった。俺知らないと言った。ミミ、俺のアサワ、首にすると脅した。ミミ、私も千ペソもらったから話せと言った。俺の千ペソ彼女のポケット、取り返して欲しい』連れて来たのがミミか。セヴァスチャンに千ペソ貸している。私には関係ない。カルロスに話してもいいか。しぶしぶ千ペソを出す。サンキューサー。これは俺の金だ、お前たちは俺を犠牲にして2千ペソ稼いだ。不当利得だ。残り千ペソはマッサージ代、わかるか。イエス。俺の損害は10万ペソ以上だ、毎月2千ペソ払え、4年以上かかるぞ。ノウ、ノウ!
 坂本は言い捨てて中にもどる。アンジェリカは荷物を運び込むと居候を決めていた。夜が怖い、坂本は心の底からそう思った。女3人が旧友のごとく語らいおり。『、ミミとそのアサワに物置をお借りできますか』『とても人は住めませんよ、夜は冷え込みますから風邪を引きますよ』『ベッドとシーツがあれば彼らは大丈夫です。これから買ってまいりますので』
真知子は男3人を物置に召集した。『ここにベッドと整理棚を置きますから片付けてくださいな。スタンドとマットも要るわね。窓は引き戸、わかりますね。この人はどうするの』もう一人の運転手はブランドといった。俺は門でガードマンする。明け方にセヴァスチャンと交代する、問題ない。サンキューマム』『そうお、ここは寒いからこのシートで車庫の周りを囲いなさい。この長いすをベッドにする?毛布は古いけどあれを使いなさい。後は枕ね』

 夕食はマリアが中心にすき焼の準備する。驚くミミこんなわがまま娘がという顔。『お母さん、白菜、これ位の大きさでいいですか』『もう少し小さいほうが食べやすいわ。あら、切れ味が悪いわね』砥ましょうかと坂本が砥石を取り出す。『オオ,沢山のサムライ』アンジェリカが両手を挙げる。『これは刀ではありません。包丁ですよ。こちらは野菜用。こちらは魚用。坂本さん全部お願いできますか』真知子は包丁をタオルで巻くと買い物籠に移す。坂本が一丁研ぎ終え白菜を左手で摘み試し切り。よく水洗いして真知子に渡す。とんとんとまな板が音を立てる。見事な包丁捌き。『マリア、左指を曲げて、関節に包丁を当てるの。指を切らないようにする作法よ』『はい、お母さん』『音楽が好きな人は料理も上手になるわ。こうして盛り付けるときれいに見えるでしょ』
同じ強さで砥ぐのだ、坂本が包丁を取り上げて包装紙を切って見せる。バリバリ。よく看てろ。砥ぎ終わると紙がしゅっと切れる。『おかげさまで包丁が良く切れるようになりました。サアいただきましょうか。坂本さんお願い』坂本が脂を鍋に入れる。じゅじゅっと音がして脂が溶ける。牛肉をのせて砂糖に少し塩を加える。醤油を入れて味見。真知子にも。コンニャク、椎茸、豆腐、エノキだけ、ネギ、白菜の定番だ。酒を少し入れて真知子に伺う。『いけますね、乾杯はビールがいいわね。今日から新しい家族が増えたからこれを祝して、それとユキさん清美さんの成功を
祈って乾杯』カンパーイ!『いただきます。お母さん、うまい』マリアの歓声。自分の料理に褒める奴があるか。『でも、本当おいしいわ、マリア腕を上げたわね』マリアは得意そうにアンジェリカに給仕してやる。こうして見ると普通の母娘だ。

 塩崎家から美しいヴァイオリンの音がバギオの山を流れていた。マリアは音楽会で聴いた春の海を弾いていた。才能に恵まれた少女は一度聴いただけで曲が頭に入る。真知子が口三味線で筝を歌う。『あなたは音楽をするために生まれてきたのね。次の音楽会に出たらいいわ』『お母さん、この曲、セブからボホールに行ったときの海を想いだす。静かな海に朝日が煌いていた。幸せな気持ちになる』
真知子が筝を取り出してきた。『長いこと弾いてないけど合わせてみましょうか』真知子の筝に乗っかるようにマリアのヴァイオリンが奏でられる。坂本とアンジェリカが聴き入っていた。
 日本人会から電話がかかってきた。音楽会を中止しなくてはならいという。日本人の美人ヴァイオリストが入院したというのだ。入場料はジャピーノ(日本人とフィリピーナとの子供)の福祉に当てられることになっていた。日本大使、フィリピン高官も来て挨拶することにもなっているので弱っているのだ。『私に考えがあるから後で返事しますから』と真知子は電話を切る。
マリアに事情を説明して意向をたずねる。マリアは引き受けると即答した。音楽会は10日後だ。 ラテンの女は熱情に燃える。譜読みと弾き込みに寝る間も
惜しむ。練習ピアニストが音を上げるとアンジェリカがピアノを代わる。前日ピアニストと合わせる。素人と聞いていたマリアの音楽に圧倒される。
 音楽会当日、入場料の払い戻しと福祉活動への募金依頼が掲示されていた。開演に先立ち演奏者の名前を伏せた紹介と変更事情がアナウンスされた。日本大使、フィリピン高官の挨拶で緊張した雰囲気が会場を覆う。しかし、マリアがステージに上がるとその美貌と威厳が聴衆を惹き付けたばかりでなく、ほとばしる情熱に圧倒される。演奏後聴衆は拍手を忘れるほど感動した。やがて賛美の合唱とアンコールの拍手が鳴り止まない。マリアが再び現れると歓声がホールを揺るがした。『明日浜辺』と告げると日本人から大きな拍手。ヴァイオリンの調べに涙する聴衆も少なくなかった。続いて塩崎真知子の筝が春の海を奏で始める。マリアのヴァイオリンとの掛け合いが専門家をも魅了した。本当に感動すると声も出ない。思い出したように拍手が起こり大きくなってゆく。最後はアンジェリカがピアノに向かう。その美しさは女優とかモデルとかとは違った知性と威厳を持っている。彼女をマリアの姉と思った者もいた。チゴイナーワイゼンを弾き終えたマリアの顔は幸福に満ちていた。大成功だ。ヴァイオリンニストの名前と次の演奏予定の問い合わせが殺到し、入場料の払い戻しを求めた者はいなかったそうだ。

 その夜のマリアは激しかった。愛欲の陶酔の中で男の精を残らず搾り取るかのごとく、仰け反り声を上げた。次の夜はアンジェリカの蕩けるような愛撫に翻弄される。母と娘に犯されて坂本はやつれてきた。これは身がもたない、バナウエへ逃避だ。セヴァスチャンに口止めして車を走らせる。携帯は取り上げておく。真知子には置手紙。常男の出迎えにほっと一息する。『武士の情け、匿って頂きたい』『心得た。ゆっくりなされ』『かたじけない、今一つ、棚田が観たければ貴殿のあない願いたく』『案内致そう』常男と棚田に向かう。この前は驟雨にあって引き返したが、天までつづく棚田に立つことができた。この営みにくらぶれば生協設立などいと易し。坂本は意を告げる。半植民地のこの国を独立させるには国民をその気にさせるが肝要なれば、生協効あり。他に手立て思い浮かばざれば突き進むのみ。むべなるかな、微力ながら手助け致そう。
 茜に染まる頃常男の家に着く。ユキと清美が待ち構えていた。坂本殿は疲れておられる、話は夕餉にゆっくり致そうぞ。常男のガード、これぞ武士の情け、坂本は目礼する。五右衛門風呂から上がると囲炉裏からいい匂いがしてくる。先ずは一献。頂戴致す。五臓六腑に染みわたる。『クーヤの日本語おかしい、さっぱりわからない』おお、ユキ、お前も頂け。この酒はうまい。メルダ殿、馳走に預かる、この芋いけますな。『クーヤ、清美さんと私が山で見つけたのよ』左様か、馳走であった。この夕餉、ここに幸あり。
『私にわかる日本語使って』正調日本語にけちをつけるのか、みんな分かっている、日本語を勉強しろ。『そんなこと言うならこの芋あげない』そうか、そんな薄情な女だったか。食わなきゃいいんだろう。『食べてもいいから機嫌直しなさい』そうか、しかし、お前いい女だな。『食い物に弱いんだから』
 『サー、俺のセルフォン』ここは電波が届かないから役に立たない。『テクストチェック、ミミ怖い』『クーヤ、何があった?可哀相じゃない』口の軽い奴は少し懲らしめないとな。
『お腹すいてるのでしょう。話して。これ美味しいわよ』『腹減っている、セールに口止めされてる』『じゃあ食べてからね』坂本殿、少し痩せられたか。少々。過ぎられた?いや。しかし、いい思いされたかな。そのなんでござる、過ぎたるはなお及ばざるが如し、きつうて身がもちかねて。逃げてこられた、貴殿は女難の相がござる。いかにも、危うきに近寄らずと肝に銘じております。
ユキが清美に二人は何話してんのと訊ねる。清美は顔を紅くして首を振る。メルダがタガログ語で説明する。ユキが『クーヤ助平』と怒鳴る。常男、メルダがにやにや。南蛮の女は激しくござるな、日本刀を以ってしても夜っぴきとなれば苦戦は避けられませんな。それはご苦労でござった。少し山歩きして体力を養われるがよろしかるべし。なんの精のつく食材を提供致そう。次の戦は必勝でござるぞ。いざ行け、兵、日本男児!我が大君に召されたる、、、坂本も唱和する。

 酒は飲め飲め、飲むならば....ちと、酔うたれば、失礼して横にならむ。ユキが寄ってきて『クーヤ、肩揉んで上げる。バギオとバナウエはなんとかなりそうだから、セブとミンダナオを回って来ようと思うの、一緒に来る?』とささやく。うん、えらい早いな。戦闘機じゃない、旅客機だぞ。えーと、そう、大型機は急上昇すると失速する。失速すると落ちる。墜落だ。それは良くない。よくないぞ。聴いているのか、え、返事をしろ、返事を。『慌てず、着実にやりまーす』うん、いい子だ。大型機の発着には長い滑走路がいる。いるのだ。走って、走って、さらに走って、悠然と離陸する。静かに大空を、大空を、コンドルはとんでゆく。おお、気持ちいい、そこそこ。腰から足もいい気持ち。坂本は寝息をたてはじめる。

次回 セブ島


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