「何でこんなことに……なんでこんなことに……」 震えていた。水島はただ狭い書庫にしては大きすぎる棚の中で震えていた。気配の数が増えたのを感じる。警察か……それとも他の組織か……思いを巡らす度に恐怖が増幅される悪循環に思わず頭を抱えた。 『それはね、おじさん……あなたに力があるからですよ。力がなければあなたなんかにだーれも目なんてくれないよ。でもあなたにはそれがあった。そしてそれを使ってしまった。力があるって事はそれだけで責任が伴うものなんだよ。それを無視したから……ああ、知らなかったなんて世の中じゃ通用しないよ。いい大人なんだからそのくらい分かるでしょ?』 頭の中であざ笑うようにクリタ少年の声が響いた。だが水島には今は震えること以外はできるはずも無かった。 「知らなかったのがなぜ悪い!俺は知らなかった!こんな目に遭う事なんて知らなかったぞ!君だって何も言わなかったじゃないか!」 誰かに聞かれるかもしれない。そんなことは今は関係なかった。叫ぶ。恐怖に打ち勝つのに水島ができるただ一つの抵抗だった。 しばらくしてそんな無謀な水島の行動を窘めるような別の感覚が頭に入り込んできた。冷たい、感情が死んだような感覚。初めてのその感覚に水島は我に返って医務室だったらしいこの部屋の机の下へと体を滑り込ませた。 『申し訳ありません。ジョージは悪戯が過ぎましたね。この事態はあなたの逡巡が招いたことは事実として……合衆国はあなたにはいくつか保障したいことがあります』 キャシーと名乗った女性らしい声が脳内に響く。水島は今となってはただ静かに頷くしかなかった。 『まずあなたの身の安全。これは我々も守らなければならない義務が生まれる可能性があります……』 「可能性だって?この期に及んで何が望みなんだ?」 叫びたくなるのを我慢しながら水島は小声でつぶやく。無表情なまま水島の言葉の意味を反芻しているだろう少女の顔を思い出すと水島の怒りは爆発しそうになった。 『あなたが我々に今後無条件で協力すると言う意思を示さない限りは、我々にあなたの安全を守る義務は発生しません……忘れましたか?あなたはすでに一人の人物の命を奪っていることを。他国の法を犯した者を匿うリスク。考えてみれば当然のことではありませんか?』 少女の声。抑揚を殺している脳内に響く声に水島は自分を罰しようとしているような少女の表情を思い浮かべて苦笑した。 「確かに……それは事実だけど……不可抗力と言うか……」 『不可抗力?おじさんはストレス解消に放火や器物破損を繰り返してきた犯罪者なんだよ。それをすべて帳消しにしてあげるんだから……それなりに待遇が悪くなるのも我慢しなきゃ』 クリタ少年の言葉はその通りだった。それだけに水島は苦悩の表情を浮かべたまま錆の浮いた事務机の脚にしがみつく手に力を込めることくらいしかできなかった。 「分かった!なんでもする!」 いつの間にか自分が叫んでいることに気づいて口を押さえる水島。 確かな気配。それも水島の力では進入を拒む意識を持った独特の気配。一瞬だったとは言え忘れることなど無い。先ほどの斬殺魔の気配であることは間違いなかった。 『それじゃあ……すぐ迎えに行くと言いたいんだけど……』 危機が迫っていることは分かっている。その上でさらに水島を怯えさせて喜んでいるような調子のクリタ少年の声が響いた。 「なんだ?何かあるのか?」 『おじさんも分かってるでしょ?日本刀を持っている男、それにもう一人そいつをサポートしている法術師の存在。そしてさっき第三勢力が到着した……勘が良いみたいだから東都警察じゃなくて保安隊かな?ともかく僕達は表に出るわけには行かないんだよ……タイミングを計らないとね』 クリタの言葉に水島は体が熱くなるのを感じていた。この騒動のすべての源。水島が法術適正があると言う事実がわかるきっかけを作った組織である保安隊。どこまでも自分の運命を振り回すその忌まわしい組織の名前を聞いて自然と奥歯を噛みしめている。 『そんなに熱くならないでよ。こういう時は冷静に動くのが事態を打開するコツだよ。それに衛星軌道からの映像では連中はショットガンで武装しているみたいだね。場合によっては即座に射殺なんてこともあるかも……』 「射殺……?」 絶句する水島。憎たらしい保安隊が動いている。しかもその目的の一つは自分を射殺すること。そう言われて水島の体の緊張はさらに激しくなった。 『脅しなどはするものじゃないわよ。私達の手元の情報では彼等は確かに同盟司法局実働部隊、通称『保安隊』の隊員ですが、現在は東都警察に出向の身分です。東都警察はそう簡単に犯人の射殺を行なう組織ではありませんわ。警察官に保護されてそれを私達が合法的に引き取ると言うやり方も……』 「止めてくれ!警察なんか……警察なんか……それ以前に保安隊なんかに……」 立ち上がるとそのまま薄暗い部屋を飛び出した。水島はその行動の意味を自分でもよく分からなかった。動けば殺される。そんな思いで扉の中に隠れていた自分。だが動き出したい衝動に駆られるとその本能のままに立ち上がり走り出していた。 『おいおい、おじさん大丈夫なのかな?』 楽しんでいるようなクリタ少年の声が頭の中で響く。だが水島はそのまま腐った鉄筋がむき出しの廊下の壁に沿って走り出す以外のことはできなかった。 「死んでたまるか……死んでたまるか……」 そうつぶやきながら階段を駆け下りたところで背後に気配を感じて水島は振り返った。
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