屈辱の日の翌日。誠達は全員非番だった。朝目覚めて着替えを済ますと誠はそのまま階段を降りて寮の食堂に向かった。もしかしたら要辺りがすっかり出勤するつもりでいて、寝癖をつけたままぼんやりしている自分を怒鳴りつけてくるかもしれない。そう思いながら食堂に入ると、そこには普通にうどんを食べている要の姿があった。いつも休日の時に見られる冬だと言うのに黒いタンクトップにジーパンを履いた姿でリラックスしてうどんを食べている要と眼があう。 「おはようございます」 誠の言葉にしばらく呆然とした後、要はどんぶりをテーブルに置いた。 「なんて顔だよ。ははーん。その顔はアタシが一人で暴走するとでも思ってた顔だな」 タレ目で一度誠を見た後、要は再びどんぶりを手に取った。もみ上げの辺りが長めになっている髪型のせいでそのままうどんの汁に付きそうになる髪の毛を気にしながらうどんを啜る。出勤組の整備班員が書き込むようにうどんを食べた後、カウンターにどんぶりを置いて駆け出していく中。誠はただうどんを食べ続ける要を見つめていた。 「どうしたのよ、誠ちゃん」 背中に声を受けて誠が振り返る。そこには朝のシャワーを浴びてすっきりしたような顔のアイシャがいた。こちらも紺色のスタジャンに短めのスカート。出勤の時のアイシャは大体スーツを着るので休日の捜査など考えに無いという感じでそのまま要の前の席に座って誠に手を出す。 「何ですか?」 「お茶」 当然のようなアイシャの言葉に誠はカウンターの手前に置かれた湯飲み三つと番茶の入っているポットを持ってアイシャの隣に座った。 静かにお茶を入れてアイシャに差し出す。彼女はそれを受け取るとひじをついてずるずると音を立てながら啜り込む。 「下品な飲み方をするんじゃねえ」 「下品なのは要ちゃんだけで十分だものね」 にらみ合う二人。なだめる気分にもなれずそのまま誠はうどんを食べ終えてくつろいでいる要に湯飲みを差し出した。 「皆さん……今日は」 「今のところカルビナ待ちだ。揃ったら出かけるからすぐに食事を済ませろよ……ほら、カウラも来やがった」 緑色のセーターが食堂の入り口に見えた。エメラルドグリーンの髪を後ろで纏めながらカウラが歩いていく。そして彼女はそのまま厨房に足を向ける。 「でも……非番だと……」 「非番だからなんだよ」 誠の口答えに番茶を飲みながら要がにらみつけてくる。 「いえ、なんでもないです」 「嘘よね。何かある顔よ」 そう言いながらアイシャも紺色の長い髪をなびかせながら立ち上がる。 「うどん二つ!どちらもカウラちゃんより多くね!」 うどんを受け取って歩き始めたカウラを意識したようにアイシャが厨房の中に叫ぶ。カウラは苦笑いを浮かべながら要の隣に腰を下ろした。 「上官にサービスさせるとはいい身分だな」 言葉は皮肉めいているがカウラが言うと皮肉に聞こえない。そんなことを考えている誠を無視してカウラはうどんを啜り始めた。 「はい、どうぞ」 うどんをゆっくりと啜るカウラを見ていた誠の視界に突然現れたアイシャはそう言いながら誠の目の前に大盛りのうどんの入ったどんぶりを置いた。 「食べちまえよ。さっさとな」 要に言われるまでも無く誠もテーブルの中央に置かれた箸に手を伸ばす。 「でも非番の日に捜査なんて……」 「普通はやらないけど……うちは普通じゃないでしょ」 すごい勢いでうどんを啜り上げた後、満足した表情でアイシャが呟く。それを見ると誠も急いで食べなくてはと言うような義務感に駆られて一心不乱にうどんを啜り上げ始めた。 「遅れてすいません!」 食堂に集う寮の住人達にざわつく気配を感じて顔を上げた誠の耳にラーナの声が響いた。 「良いわよ私達も見ての通り食事中だから」 私服の皮のジャケットを着たラーナはいかにも申し訳ないというように再びうどんを啜り始めたアイシャの正面に腰を落ち着けた。 「どうせ命令の範疇を超えた話になるんだからもう少し楽にした方がいいな」 「おい、カウラ。いつからそんなに話が分かるようになったんだ?以前なら『捜査は捜査だ。非番だろうが関係ない』とか言い出す奴だったのに」 要の皮肉にこめかみをひくつかせながらカウラは無視してうどんの汁を啜る。 「話が分かるも何もベルガー大尉には本当に感謝ですよ。東都警察機動隊の端末を経由して本庁のサーバーにアクセスできればかなり詳細な分析結果を見れますから」 「機動隊?サーバー?」 突然のラーナの言葉に誠は吸い込んだ麺を吐き出すところだった。 「機動隊の隊長をしているカウラちゃんの友達のエルマさんがいるでしょ?その人にお願いしたら上には内緒と言うことで手配してくれたのよ」 「でも良いのかねえ……機動隊のパスでサーバーに入るってのは本来拙いんじゃないのか?」 誠よりも早くうどんを食べ終えたアイシャの強気な言葉。そんなアイシャに言った要の一言に周りが凍りついた。 「要ちゃん……いつも要ちゃんがやるようなことじゃないの。それとも気付いてないの?」 「西園寺が鈍いのはいつものことだ。自分がやっていることが命令に即していないと言う自覚が無いんだろうな」 アイシャとカウラの皮肉に明らかに気分を害したと言うように要は立ち上がると冷えたどんぶりと番茶の半分ほど入った湯のみを持って厨房に向かう。 「でも……機動隊の端末を弄るとなると東都警察の本部に行くんですよね。入館証とかは大丈夫なんですか?」 今度は誠の言葉にアイシャ達はきょとんとした顔で誠の顔を見つめた。 「馬鹿だろオマエ。端末のところまで行かなきゃ情報が見れないなんて……いつの時代だよ。うちの冷蔵庫から機動隊の端末にアクセスして本庁のサーバーにログインしてそのまま今回の事件のアストラル波動計測のデータを覗くんだよ」 戻ってきた要はそう言うと番茶の入ったポットに手を伸ばすがすでに湯飲みを返してきたことを思い出してすぐに手を引っ込める。カウラがその様子をうどんの汁を飲み干しながら見つめている。そしてその視線に気付いた要が威嚇するような顔をするのを見て苦笑いを浮かべると、満足したようにどんぶりを置いた。 「それと……ついでと言ってはなんだが、これまで何度か豊川署のデータベースにアクセスしたときに見つけた私達の知らないデータもあるからな。そちらも見てみるのもいいかもしれないな」 要とカウラの言葉に今ひとつ納得が行かないまま誠は静かにどんぶりの底に溜まった汁を啜り始めた。 「それにしてもさあ。いけ好かない下衆野郎が必死で隠している秘密を探るってのはさあ……わくわくしねえか?」 「貴様は子供か?」 「子供で結構!」 ノリの悪いカウラを馬鹿にするように要が手を振り回す。驚いた整備班員がかわそうとするがよけきれずにそのまま顔面にサイボーグの怪力でのパンチが入った。 「あ……」 よく見ればそれは部隊最年少の整備班員の西高志兵長だった。出勤時間間際。食事を終えて安心しきっていたところへの一撃に思わず西はうずくまる。 「ごめんね……馬鹿が暴れて」 まるで誠意の感じられないアイシャの謝罪。 「ええ、大丈夫です……鼻血も出ていないみたいですし」 西は顔を抑えながらもなんとか自力で立ち上がった。鉄の規律と結束で知られる整備班員はその様子を見ながらもニヤニヤ笑って見せるだけ。まるで助ける様子も無い。そこには日ごろの西への整備班員の嫉妬があった。 第四小隊。保安隊設立時の発起人の一人、胡州海軍中将赤松忠満のコネクションで出向してきたアメリカ海軍の軍籍を持つ異色の部隊。そこに配備されたアメリカ海軍最新式アサルト・モジュールM10担当の技術士官。それがレベッカ・シンプソン中尉だった。ほんわかとした見た目に似合う眼鏡と金色の柔らかい髪が似合う美女。そして部隊最大で要に『おっぱいお化け』と呼ばれる彼女は西とは非情に仲がよくいつも行動を共にしている。 整備班員にとって女性隊員といえばその異常にタイトで長時間にわたる勤務の繰り返しにより、技術部長の神と崇め奉られている許明華大佐の姿が脳に刷り込まれていた。高圧的でサディスティックなまさに『保安隊最高実力者』。彼女を絶対神として信仰することに慣れてきたところに現れたやさしい女神のような存在をあっさり部隊一の若輩者にさらわれたと言うことで腹の虫が収まらないのは当然の話だった。特に明華から早出が義務付けられていない部隊設立からの古参の下士官達にとってははらわたの煮えくり返る事実だった。 「誰か助けてあげなさいよー」 明らかに助ける気の無いアイシャの言葉。 「べ……別に大丈夫ですから」 西はそう叫ぶとそのまま鼻を押さえて食堂を飛び出して行った。快かなとそれを見送る古参兵達をアイシャは白い目で眺める。 「それじゃあ行くか!」 「後で西に謝って置けよ」 「アタシは上官だぜ……面倒くせえ」 要が呟くようにそう言うとアイシャもカウラも呆れたような視線で見上げる。 「要ちゃん誤りなさいよ。大人でしょ?」 そんなアイシャの一言に要の顔がゆがむ。 「分かったよ……後で謝っておくから」 「ちゃんと謝るのよ……」 アイシャはそう言うとそのまま立ち上がる。手にはどんぶり。誠も今度はアイシャの手を煩わせまいと自分のどんぶりを手に取る。 「行きましょ」 そのままどんぶりをカウンターに返すとそのままアイシャは出口へと向かった。 「そうだ、ラーナ。飯は食ったか?」 いつの間にか手に湯飲みを持ってくつろいでいたラーナに要が話題を振る。突然のことに戸惑うように視線を泳がせた後、静かにうなづく。 「ええ、まあ」 「食べたのならいいけどな。神前。アタシはおやつが食べたい」 突然の要の一言。誠は先週警備部の新人が買ってきた月餅が厨房の冷蔵庫にあることを思い出して立ち上がる。 「ああ、誠ちゃん私のも!」 アイシャも叫ぶ。誠はそのまま厨房に飛び込んだ。 食事当番の管理部の面々が冷たい視線で大きな業務用冷蔵庫に飛びつく誠を迎える。 「女ばかりで……うらやましいねえ」 洗い場で背中を向けている菰田の言葉に肝を冷やしながら誠は月餅を取り出すとそのままカウンターに走る。先ほど慌てて要が湯飲みを返したことと、カウラの湯飲みが無いことを思い出した誠はそれをトレーに乗せると急ぎ足で要達の所に辿り着いた。 「ご苦労」 「ありがとうな」 当然のことのように受け取る要。カウラはすぐさまポットに手を伸ばす。 「本当に……神前曹長、いつもお疲れさまです」 そんなラーナの気遣いの言葉を聞いて苦笑いを浮かべる誠。 「いつものことですから」 「そうだな、いつものことだ」 要はそう言うとうまそうに月餅を口に運ぶ。 「そう言えば機動隊のパスでサーバーにアクセスするんだよな。機動隊の部隊長権限でどこまで入れるんだ?」 カウラにポットから番茶を注いでもらったものに手を伸ばしながら要が呟いた。 「まあある程度限定されるでしょうね……でもねえ。要ちゃん。何の為に要ちゃんがいるのよ。そういう時は……」 「おい、アイシャ。アタシを犯罪者にしたいのか?」 アイシャの明らかにハッキングしろと言う態度に苦笑いを浮かべる要。だが冷たくなった番茶を啜りながら誠はどうせ証拠が見つかるまで止めても要がやたらとアクセスする光景を予想して苦笑いを浮かべた。 「じゃあ、皆さんよろしいですか?」 「茶ぐらい飲ませろよ」 月餅を頬張りながらの要の言葉。アイシャは大きくため息をつく。 「なんだよその態度。潰すぞこのアマ」 アイシャと要の掛け合い漫才を見ながら仕方が無いと言うように笑うカウラと誠は立ち上がった。要も湯飲みを置くとそのまま静かに立ちあがる。 「神前、かたしておけよ」 要はそういい残してラーナ達と一緒に食堂を出て行った。置き去りにされた誠は厨房の当番の同僚達から冷ややかな視線を浴びながら仕方なく湯飲みを手に洗いものの棚に運んだ。
|
|