にぎやかな祭りの雰囲気に浸っているといきなり西園寺要大尉が升酒を噴出したので、神前誠(しんぜんまこと)は突然の出来事に動揺を隠し切れなかった。そして噴出した酒が吹きかけられたのはどうにも堅気とは思えない目つきの出店を仕切っている元締めという風格の男だった。 そんな迫力のあるオヤジに赤の地に黄金色の牡丹と蝶をあしらった彼女らしいとても値段を聞けないような振袖姿のお嬢様風の相手とはいえ思い切り顔面に酒を吐き出されて顎からぴたぴたと酒のしずくを滴らせている有様。謝りもしないでただじっとオヤジをみる要。オヤジはゆっくりと頭に手をやると自分の顔面に酒が吹きかけられた事実を再確認するように手についた酒の匂いを嗅ぐと、要ではなく誠に視線を向けた。 逃げ出したい。そう思いながら平然としている要を前にただ震えそうになる足を必死になって抑え込む。 「どうしたのよ……要ちゃん」 紺色の花柄模様の振袖が似合いすぎる紺色の長い髪をなびかせるアイシャ・クラウゼ少佐の言葉に誠も我を取り戻した。軍用の義体のサイボーグであり、東都戦争と呼ばれるシンジケート同士の抗争劇の中心に身をおいていた彼女が迫力は十分とはいえただの高市の香具師にひるむはずも無かった。事実誠に向けていた視線が突然にんまりとした笑いになって要に向けられた。 「西園寺の姐さん……突然吹かないでくださいよ」 若い衆が差し出す手ぬぐいで酒をぬぐいながらオヤジはニコニコと笑って今度は自分の分の升に酒を注いだ。こうして誠の精神を鍛えるかのような宴会が始まったのは着るものによっては着物に着られてしまうようなあでやかな振袖を着込んだ要のせいだった。非正規部隊上がりで祭りと言えば混乱を利用しての暗殺かそんな暗殺の阻止と言う任務と直結して考えてしまう自分を変えたいと言い出した要が東都明神の祭りが見たいと言い出したのは新年まであと4,5分のことだった。最初は外惑星の貴族制国家『胡州帝国』切っての良家の子女として庶民的な出店の品々に歓喜の声を上げていた要だが、すぐにその店番や時々店を冷やかして回る堅気とは見えない面々の方に関心が向いてしまっていた。 ちょうど酒が飲みたくなった彼女はそんな一人のチンピラを羽交い絞めにするとそのままこの出店を仕切っている元締めに会わせろと怒鳴りつけてその迫力に負けたチンピラがつれてきたのがこの出店の間の待合所のようなところだった。一緒に出かけてきた誠の上官のカウラ・ベルガー大尉とビニールの入り口を塞ぐシートの隙間から顔を出して道行く参拝客に目をやるアイシャもとりあえず人ごみに飽きたという感じですっかり和んで酒樽の隣に置かれた達磨ストーブの暖かさに酔いしれていた。 そんな和んでいる女性陣とは対照的にただ申し訳なさそうに立つ誠にゆらりと要が顔を向ける。 「すまねえなあ。ウケル話が届いちゃって……ったく酒がもったいねえよな」 要はそう言うと空になった升を額をぬぐい終わったオヤジに差し出す。オヤジも要の話に興味があるものの一応司法執行機関の大尉と言う境遇の要に話を持っていくのは遠慮しているらしく黙って升に酒を注いだ。 「さすがに西園寺だな。まだ飲むのか?」 カウラが呆れたようにつぶやいた。緑色の若葉を模した文様がエメラルドグリーンのポニーテールに映える。彼女もまた要が酒を飲み始めてからもう二十分が経っているのでさすがに呆れてきたように同僚の飲みっぷりを眺めていた。 「ふう……、だってよう」 ようやく升を置いてカウラに向き直る要に大きく安心のため息をつくオヤジの表情に少し笑みを浮かべる誠に話を切り出そうとする要。ひらりとその赤い絹の袖が翻るといかにも正月だと言うことが誠にもわかる。それを見ながら改めて自分がスタジャンにジーパンと言うありきたりな冬の服装をしていることに気づいてなんだか場違いなような感じがして思わず苦笑していた。 「だっても何も無いでしょ?本当にすみませんね、暴力馬鹿の誰かさんに酒を盗まれた挙句顔に吹きかけられるなんて……」 アイシャがオヤジに頭を下げるのを見てカチンと来た要がアイシャの長い髪を引っ張る。 「痛いじゃないの!」 叫ぶアイシャに少しばかり酔っているのか印象的なタレ目で要は長身のアイシャを見上げた。 「痛くしてるんだよ!」 そう怒鳴る要をカウラが押しとどめる。要の手が離れて何とか呼吸を整えるアイシャ。そして誠はいつの間にか待合室の透明のビニールのシートの向こう人垣ができているのに気がついたが何が出来ると言うわけもなかった。 「それより西園寺。突然酒を噴出す原因くらい教えてくれてもいいだろ?」 カウラの一言。一応要と誠を部下として巨大人型兵器、アサルト・モジュール部隊の隊長を務めているだけあって落ち着いて原因を突き止めることに決めたような鋭い調子で言葉が放たれる。 「そりゃあ……まあ……ちょっと待てよ」 要はそう言うと手にしていた巾着を開く。中から携帯端末の画像投影用のデバイスを取り出し、それから伸びるコードを首筋のジャックに差し込んだ。 「便利ね。さすがテレビ付き人間」 サイボーグの体を気にしている要に言ってはいけない暴言を言うアイシャだが、とりあえずカウラと誠、そして周りの野次馬達の目も有るので、要は睨み付けるだけで作業を続けた。 『こちら福岡です』 画像にアナウンサーが映ったのを見ると周りの人々の視線も集まる。ただのテレビの画像を見せられたことで少しばかりカウラは呆れたような顔をしていた。 「西園寺さん……これのどこが……」 誠は噴出すような内容がありそうに無いテレビ番組を見せられたので少しばかりがっかりしながら周りをちらちら眺めている要に尋ねようとした。 「ちょっと落ち着いて待ってろよ……もう少し前かな?」 そう言うと画面が高速で逆回転して行く。そして学校の入学式のような雰囲気の映像が映ったところで画像は止まった。 『……魔法学院の……』 「魔法!魔法学院!出来たの?そんな素敵な学校が出来たの?」 それまで野次馬を見回しながら要の行動を黙殺していたアイシャがハイテンションで叫んだ。誠とカウラはそのやたらとうれしそうな表情を見て目を見合わせることになった。確かに要が噴出すはずだと納得して頷く誠を見ながらまだ理解できずにいるカウラに目を向ける。 「まあ……変な名前と言うことで」 誠のフォローにもカウラはまだ一つ乗れないように首をひねっていた。 「うるせえなあ……もう少し落ち着けよ」 アイシャの食いつきに呆れたように要は言うと画面を拡大する。そこには遠く離れた地球のアメリカ合衆国信託統治領日本の街の一隅にある学校の校門が映し出されていた。誠達はその中の学校の校門の横の石碑に刻まれた文字に目をやった。 「『東福岡魔法学院』……?『魔法』?」 ぼんやりと繰り返すカウラ。アイシャはついに口を押さえて大爆笑を始めた。 「アメリカさんは法術をマジックと呼んでるからな。和訳したら『魔法』だろ?」 「ああ、そうですね」 思わず腹を押さえて二つ折りになっているアイシャに周りの視線が痛いほど突き刺さるのを見ながら誠はそうつぶやいた。 「……可笑しい!じゃあここの学校の生徒はみんなマントに杖を持っているわけね!ファンタジーよ!ファンタジー!誠ちゃんも入学したら?」 「ばかばかしい」 上機嫌のアイシャの言葉をあっさり斬って捨てるカウラ。それでもアイシャの笑いは収まらなかった。そんな中、急に要が真剣な表情で誠にそのタレ目を向けてくる。 「神前はあと最低二年は必要だな、ここに入学するには」 「え?そう言う条項があるんですか」 「だってお前童貞だろ?今は23歳だから……25になるまであと二年。がんばれよ、菰田に負けるな!」 要の得意げな顔に誠は頭を掻きながら視線を画面に移した。その様子がおかしかったらしく今にも半分に折れそうな様子でアイシャは爆笑を続けていた。 「地球でも東アジア、特に日本には遼州系の人間も多いからな。恐らくそのことをにらんで準備が進んでたんだろ。まあ神前が法術の存在を示した『近藤事件』以前からいつでも行けるところまで計画は出来ていたんだろうな」 一人冷静に画面を見つめるカウラ。さすがにそんなカウラも見るとアイシャも笑いに飽き、要が再び升酒をあおり始めると周りの野次馬も興味を失ったように散っていった。 「しかし『魔法学院』はないだろ……誰かこのネーミング止められなかったのかね」 ニヤニヤしながら要は画面の中の看板に目をやっていた。 「名前が重要なんじゃない。むしろその中身が大事なんじゃないのか?一応私立の学校という話だが設立に当たりいくつかの在日アメリカ軍の外郭団体から金が流れているらしいからな。実際は米軍の法術師養成機関と考えるのが妥当だろう」 「なんだよ、カウラは知ってたのか?」 まるで自分の見つけたネタを馬鹿にされたように要が頬を膨らませる。それを見てアイシャもようやくおちついてきたというように口元を引きつらせながら立ち上がった。自分のせっかくの大ねたをつぶされたとあってしばらく要は不機嫌そうにしていたが再びいつもの意地悪そうな顔つきに戻ると達磨ストーブに乗っていた餅を手にとって口に運んだ。 「姐さん……醤油は?」 オヤジが口を挟むが要はまるで無視して味の無い餅を何度かかみ締めた後、静かに飲み込んで再び視線をカウラに向けた。 「なるほどねえ、さすがカウラちゃんは勉強熱心でいらっしゃる」 「貴様等が仕事をサボることばかり考えているからだ」 そう言うとカウラはそのままビニールシートを持ち上げてそのまま参道に出た。要は升を舎弟の若者に返すとその後に続く。達磨ストーブの前ですっかりご機嫌で温まっていたアイシャが急いでその後に続くのを見て誠も我に返ってオヤジに一礼するとそのまま参道に飛び出した。 「でも僕も思いますけど『魔法学院』は無いと思うんですけどね……どう見てもやはりファンタジーの世界ですよ。人間が宇宙に飛び出してからの名前とは思えないじゃないですか」 まるで自分が仲間はずれにされていたとでも思っているようにすたすたと歩いていくカウラの後に誠もついていく。要もアイシャもその後ろからいつかカウラをからかおうというような様子で歩いていた。 「まあ東和警察だって警察学校に法術部門を立ち上げたからな。今のところは東都条約の規定により法術の軍事的使用にはさまざまな規制がかかっている……」 「一応はね。でも実際それを守るかどうかとなると別問題でしょ?」 アイシャはそう言うと誠の手を引いて走り出す。 「なんですか!」 「何ですかって言うことは無いんじゃないの?せっかくの正月休み。初詣ならもっと明るい気分ですごしましょうよ!カウラちゃんはまじめすぎ!もっと楽しまなくっちゃ!」 「……で?そうすると何でテメエ等が手をつなぐんだ?」 明るく誠の手を引こうとしたアイシャの手を要は叩いて離させた。 「なによ!」 「なによって何だよ!」 いつものように要とアイシャがにらみ合いを始めた瞬間。誠は強烈な違和感を感じて立ち止まった。何か自分の頭の中をまさぐられたような不快な感触。もし三人がいなければそのまま吐き気に身を任せて口に手を当てて嗚咽したくなる、そんな感覚が回りに漂っている。 「どうした?」 要が声をかけるが誠の心臓の鼓動は早くなるばかりだった。自分の領域に何かが入ってくる。そして入って来たものの誠の力の大きさをもてあましてどうするべきか迷っているように誠の意識を弄繰り回している誰か。それを要に説明しようと顔を上げた。だが不快な感覚が脳をぐるぐるとかき混ぜる状況の中、誠は自分の言葉が出ないことに気づいた。 「おい、大丈夫か……カウラ!神前が変だぞ」 ひざまずいて震えている誠を要が何とか助け起こそうとするが誠の意識は要もそしてその言葉を気にして近づいてきたカウラやアイシャにも言っていなかった。 圧迫されてゆがむような視界の中、ちょうど人の群れが途切れたところには絵馬が並んでいるのが見えた。人々はそれぞれ手に絵馬を持って和やかに話をしている。だが、その中の中学生くらいの振袖姿の少女が急に足を止めたのを見て誠は頭に衝撃のような何かが走るのを感じた。 「昨日はコミケで大活躍だったから疲れてるんじゃ……」 そう言ってアイシャがそう言って手を差し出した瞬間だった。 一瞬誠の意識が飛んだ。そして参拝客が眺めていた絵馬に一瞬で火が回った。乾燥した木の燃え上がる炎に人々が驚いたように悲鳴を上げる。 「なんだ!」 驚いて振り返る要。カウラはあたりを見回し防火水槽を見つけて走り出した。 「ちょっと!何よ!テロ?テロなの?」 アイシャはしばらく叫んだ後、火の粉が移った人達に近づいて自分の紺色の振袖を振り回して火を消そうとしていた。 「おい、誠!」 「パイロキネシスト……発火能力者です」 ようやく何物かの介入がやんで力が入るようになったひざで参道の中央に立ち上がる。そしてその誠の様子を確認すると要は慌てて駆けつけてきた警備の警察官に自分の身分証明書を見せた。 「保安隊?法術事件ですか?」 驚いた太り気味の警察官はしばらく唖然とした後、周りを見回した。防火用水の隣のポンプを使ってカウラが近くの客達に助けられながら放水を開始している。 「法術犯罪の可能性がある。すぐにこの場にいる人物の身柄の確保を始めてくれ」 要の言葉に警察官と飛び出してきた町会の役員達が大きく頷いて走り始める。その中には先ほどの顔役の姿もあった。皆ただ突然の惨事に驚いて慌てて走り回る。誠は大きく息をしてしばらく立ち尽くしていた。だが火が大きく揺れて一気に逃げようとする参拝客に襲い掛かろうとしたところで自分が司法機関執行官であることを思い出してそのまま消火活動中のカウラに向かって駆け出していった。 「神前!ホースを!」 放水の為にポンプを起動している町会の役員達と共にカウラが叫んでいた。その振袖には火の粉がかかり、一部が焼け焦げているのも見える。誠はカウラからホースを受け取るとそのまま延焼し始めた祠にホースを向ける。 「行けます!」 誠はじっと筒先を構えるとすぐに大きな反動が来てその先端から水がほとばしり出でた。周りの人々が逃げる先には警察官に混じってちぎった袖で誘導をしているアイシャの姿もある。誠はそれを確認すると安心して燃え盛る祠に放水を続けた。 「大丈夫か?」 応援の警官隊の配列を終えた要が何とか慣れない放水をしている誠に手を伸ばしてきた。 「本当に狙いを定めるのが苦手だな、お前は」 そう言って誠からホースを奪い取ると火の中心に的確に放水をする要。ポンプの設定が済んだカウラも顔中墨に塗られた状態で力が抜けて倒れそうになる誠を何とか支えた。 「大丈夫か?さっきはお前にも何かあったんだな」 カウラの言葉に力なく誠は頷いた。 「パイロキネシストの力の発動を感じました」 「そうか!」 目の前ではほとんど鎮火してきたお堂に水を撒く要の姿がある。そして避難の誘導の為警官隊を指揮していたアイシャも誠達の所に戻ってきていた。 「ああ、これじゃあまた要ちゃんに買ってもらわなきゃね」 そう言うとちぎった袖をひらひら振りながら必死に高圧の水圧のホースにしがみついている要に見せびらかす。要はちらりとアイシャを一瞥したが、任務に忠実に無視して放水を続けていた。 要の放水は的確だった。確実に火の勢いは弱まっていく。そしてほぼ鎮火したんじゃないかと誠の素人判断で思えるくらいになったときにようやく防火服を着た消防団の面々が要と交代することになり誠達は消火作業から解放された。 しかしそれからは誠達の本業。遼州同盟司法局特別機動部隊、通称『保安隊』の仕事の領分となった。焼けた振袖のままの要を先頭に誠達は本宮の裏手に並んでいる警察車両の中の指揮車と思われる車へと足を向けた。先にこちらで被疑者の拘束を担当していたアイシャが疲れた表情で誠達を迎える。 「容疑者は特定できたのか?」 「一応近辺にいた人達はすでに車両で移動して警備本部でお待ちいただいているわよ。パイロキネシスなんて珍しい能力だものすぐに犯人は特定できるわね……それにしても馬鹿な犯人ね。こんなに人がいるところで発動させて誰にも気づかれないとでも思ったのかしら」 アイシャはそう言うと発火事件のあった場所の状況をシミュレートしている画面を眺めている女性警察官の方に目を向けてため息をついた。 「どうした?」 「これ……」 要の問いにアイシャは火の粉で穴だらけになった青い振袖の袖を翻して見せる。 「緊急避難的処置だからな。あとで弁償してやるよ」 ため息交じりの要の一言。アイシャはいかにもやって見せたと言うような表情で誠に笑顔を向ける。 「まあ……けが人も無かったわけだからな。あとは所轄の警察の資料が上がってくるのを待とうか」 そう言うとカウラはそのまま指揮車の入り口に手をかける。 「カウラ……」 「なんだ?」 要の顔を見てカウラは煤で汚れた頬を拭いながら振り向いた。 「誠の家……ウォッカはあるか?」 「は?」 カウラもアイシャも誠も突然の要の言葉に呆然とする。 「いやあ、強い酒をきゅっと飲みたい気分でさあ……」 「父は日本酒より強い酒は飲みません!母は酒を飲みません!」 「ああ……そう……」 本当に力なく、まるで抜け殻のようになりながら要はそれを見守るカウラ達に見送られながらよたよたと指揮車を後にした。
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