「どうやら休憩を取られているみたいですわね」 にこやかな表情で会議室に現れたのは遼州同盟司法局、法術特捜主席捜査官、嵯峨茜警視正だった。 「おお、茜。お前も食うか?」 「お父様。ワタクシはちゃんとお昼ご飯はいただきましたの」 そう言うと彼女は誠を見つめた。 「ちょっと神前曹長の提出した資料についてお話がありますの。よろしくて?」 茜の微笑みに父である嵯峨は何かを訴えたいと言うような視線を誠に送ってくる。 「おい!こいつの資料になんか文句でもあるのか?」 明らかに怒りを前面に出して茜に迫る要。それを軽く受け流すような微笑をたたえて茜は誠を見つめる。 「ああ、良いですよ。なにか……」 「よろしいみたいですわね。じゃあ要お姉さまと……」 「私も行こう」 茜の視線を見つけてカウラも立ち上がる。 「食べかけだよ!どうするの?」 「ナンバルゲニア中尉。それほどお時間は取らせませんわ。とりあえずラップでもかけておいて下さいな」 そう言うと立ち上がった誠と要、そしてカウラをつれて部屋を出る茜。 「本当にちょっと見ていただければ良いだけですの」 そう言うとそのまま仮住まいの法術特捜本部と手書きの札の出ている部屋へと入る。 「ああ、茜さん!」 部屋ではお茶を飲みながら端末の画面を覗き込んでいる捜査官補佐カルビナ・ラーナが座っていた。 「ラーナ。どうなの」 茜のそれまでの上品そうな言葉が急に鋭く棘のあるものに変わる。要はそれをニヤニヤと笑いながら見つめていた。 「やはり間違いないですね」 真剣な顔のラーナにそれまでふざけていた要の顔が一瞬で切り替わる。 「アタシも気づいていたけどやっぱりか」 「どういうことだ?」 カウラの言葉に要は画面を指差した。そこには奇妙な死体が映されていた。 「こんなのあったんですか?」 その白骨死体を見ても誠はいまひとつピントこなかった。そんな誠を呆れたような視線で見つめる茜とカウラ。 「しょうが無いじゃないか、こんなの珍しくも無い死体なん……?」 誠をかばおうとしていたカウラもその白骨死体の画像に引き込まれて黙り込んだ。 「模型じゃないですよね。これ」 自分が整理した資料だったが誠には覚えが無かった。だがその白骨死体はこうしてそれだけを目にするとその奇妙さがはっきりと分かるほどのものだった。 それは普通の白骨死体ではなくミイラ化した死体であることに気づいた。それと同時に眼孔の奥に見える目玉だけがまるで生きているように輝いているのが分かる。 「お気づきですか、神前さん」 穏やかな茜の言葉。誠はこの死体の発見された連続放火事件の詳細について思い出そうとしていた。 「ちょっと検死の結果を見せろよ」 要はそう言って助手を気取ってモニターの前に座っているラーナの頭を小突く。彼女は少し不服そうな顔をするが、茜が頷くのを見るとキーボードを叩いた。 「この死体の特異性はその脳の水分の分布状況にあります。大脳の水分はほぼ蒸発しているのに小脳や延髄の細胞には一切の異常がありませんでした」 画面には脳のレントゲン、CT、MRIや実際の解剖しての断面図までが表示された。この画像に次第に先ほどまで食べていたどんぶりモノの中身が逆流しそうになって誠は口を押さえる。 「何びびってんだよ」 そう言いながら要はそのまま横からラーナのキーボードを奪って断面図を拡大させる。 「これが噂の法術暴走か」 ぽつりとカウラがつぶやく。その言葉に要は画面の前の顔をカウラに向けた。明らかに呆れたような要の顔を見てカウラは自分が言ったことの意味を気づいて誠を見つめる。 「法術暴走?それってなんですか?」 手足の感覚がなくなっているのを誠は感じていた。画像の中の輪切りの脳みそ。ほとんど持ち主が生きていた時代の姿を残していない奇妙な肉塊にしか見えないそれと、自分の視野だけがつながっているように感じる。力が抜けてそのまま上体がぐるぐると回るような気分になる誠。 「おい、大丈夫か?」 そう言って誠の額に手を当てた要はすぐに茜をすごむような視線でにらみつけた。 「お姉さま。落ち着いていただけませんか?」 茜は表情を殺したような顔で要を見つめ返す。しばらく飛び掛りそうな顔を見せていた要も次第に体の力を抜いてそのまま近くの狭苦しい部屋には不釣合いな応接用のソファーに体を投げ出す。 「神前よう。お前もいつかこうなるかも知れねえってことだ」 そう言うといらいらした様に足をばたばたとさせる要。誠は画面の肉の塊から必死になって視線を引き剥がす。その先のカウラは一瞬困ったような顔をした後、すぐに目をそらした。 「力を持つ。人に無いものを持つ。その代償がどう言うものかそれを知ることも必要ですから」 そう言って茜はまだ子供のように足をばたつかせている要をにらみつけた。要もさすがに自分の児戯に気づいたのか静かに上体を起こしてひざの上に手を組んでその上に顔を乗せた。 「だけど今なんでこういうものを見せるんだ、こいつに」 要のタレ目の視線がいつもの棘はあるが憎めないようなものに戻る。それを見ると茜は要の前のソファーに腰を下ろした。 「ベルガー大尉。神前さん。おかけになられてはどう?」 その言葉にカウラは神前の肩を叩く。我に返った誠はカウラにの隣、茜の斜め左側に腰を下ろした。 「それではうかがいますが、お二人に神前曹長がこうなる前に手を打てる自信はありますの?」 優雅に湯飲みに手をやる茜を誠は見つめていた。異常な発汗は続いている。そして自分がいつかはその死体と同じ運命をたどるかと思うと体の力が抜けていく。 「神前さんを助けることが出来るのですか?もしこうなる状態にまで追い込まれたとして」 その穏やかな表情に似合わぬ強い語気に誠は茜が間違いなく嵯峨の娘であることを確認した。 「それは……」 うろたえ気味に言葉に詰まるカウラ。 「そこが知りてえんじゃねえよ!アタシは何で今頃……」 「要お姉さま!」 今度はその笑顔が言葉とともに茜から消える。 「ねえよ、そんな自信は……」 そう言って端末のキーボードを叩くラーナに目をやる要。 「それではお二人ともいざと言うときは神前さんを見殺しにするおつもりだと?力に、法術に取り込まれて我を失って暴走して自滅する誠さんを……」 「んなこと言ってねえだろ!」 要はテーブルを叩いた。テーブルがひしゃげなかったのが不思議なほどの大音響にそれまで淡々とモニターを覗いているだけだったラーナも要の方を向いた。 「できるだけ神前曹長には力を使わせないような作戦を取るように心がけている、それに……」 「事実としてはこれまで二回、神前さんの力のおかげで助けられていますわね、お二人とも」 そんな茜の穏やかな言葉に押し黙る要とカウラ。 誠は黙って話を聞いていた。恐らくは連続放火事件の犯人である発火能力、パイロキネシスの使い手の法術暴走による自滅した慣れの果てのミイラ。それが自分にも訪れるかもしれない未来だと思えば次第に震えだす足の意味も良く分かってきた。 「じゃあ、どうしろっていうんだ?それに法術暴走の可能性ならオメエにもあるだろ?」 ようやく話の糸口を見つけた要の言葉ににっこりと笑っている茜。 「そうですわね。ワタクシにも起こりうる出来事には違いありませんわ。でもそれを覚悟しているか、知らずに境界を踏み越えて自滅するか。私なら覚悟をする方を選びたいと思っています」 そう言うと茜はラーナを見つめた。その目に反応するようにそのまま戸棚の紅茶セットに向かおうとするラーナ。 「そんなにここに長居する気はねえよ」 再びソファーに体を投げた要を見てラーナは手を止める。 「それよりこのことは叔父貴は知ってるのか?」 あごを引いて茜を見つめる要。 「いつかはワタクシから伝えろとは言われていますけど……」 「なるほどねえ、まあ一番ああなる可能性の高いのは自分だしな」 「それってどういうことですか?」 誠はようやく落ち着いて要の言葉に口を挟んだ。 「なあに、言ったまんまの意味だよ。暴走の起きる可能性は叔父貴が一番高い。そう言うこった」 そう言って要は再びひざの上に腕を乗せて起き上がった。 「オメエから話せよ。実の親父のことだろ?」 そう言って上体を上げて茜を見た後は目をつぶってソファーに体を落ち着ける要。その声を聞くと茜は神妙な表情で誠を見つめながら語りだした。 「お父様、いえムジャンタ・ラスコーは遼南王族なのはご存知ですわよね」 「そこから話すか?ぱっぱと言えよ」 天井を見上げて要が声を張り上げる。仕方が無いと言うような表情をして茜は再び口を開く。 「遼南王家にはこんな言い伝えがありますの。遼州の民の頂上に立つ人物、皇帝に即位する地位にある者が法術の素養に恵まれていれば国が乱れると。そのため当時の女帝、お父様の祖母に当たるラスバ帝はお父様の力を封印されたんです」 「まあ先日のスポーツ選手の法術発動が不公平になるとか言うことで公開された法術封印技術と言う奴だ。急にいくら地球の親切な人達がいるからってすぐに見付かる方法じゃねえのはわかるだろ?臨床心理学的方法と生理学的方法を駆使して法術の発生の元である大脳旧皮質に刺激を与えて機能を低下させると言うあれだ」 そう言って胸のポケットのタバコに手をやった要を非難する調子で見つめる茜。 「そしてそのような先進技術ではありませんが、能力の発動そのものを抑えてしまう外科的技術が遼南王家には有るんですの」 「外科的技術?」 茜の言葉にカウラが怪訝な顔をする。 「そう、脳内に何本か針を打ち込む方法です」 「おい、大丈夫なのかよそんな民間療法……ってあの叔父貴がそんなもんで死ぬわけも無いか」 やけになったような要の声。無視して茜は話を続ける。 「本来はそれにより成長過程で次第に法術の発動が阻害されて力を使えないようになるはずだったのですが……」 「普通の法術適正者だったらな」 ポツリとつぶやく要。『普通』とは明らかに違う行動パターンの嵯峨を思い出し笑いそうになる誠だが、要と茜の顔には笑顔など無かった。 「ご存知ですよね、不死人の噂は?」 突然、茜の口からオカルトじみた言葉が出てきたことで誠は首を振るしかなかった。 「お父様は意識がある限り体細胞が再生してしまう体質なんです」 その言葉に誠は一瞬思考が止まるのを感じた。 「再生?だったら法術の封印も……」 「不完全だったんですの。それで法術の多くは封印されましたが再生能力だけが突出して発動する体質になってしまったんです」 茜の言葉が暗いことが誠に不審に思えた。 「再生能力が早いってことは便利じゃないですか。怪我をしてもすぐに直るんですよね?」 そう言った誠の言葉に要と茜は目を合わせる。そして少し悲しげな面持ちで茜が話を続ける。 「その能力の制御ができればと言う前提がつきますわね、再生能力が役に立つ状況であるには」 そしてラーナが運んできた紅茶がテーブルに置かれる。先ほど拒否したはずだと言うのにラーナからカップを受け取る要。 「取りあえず叔父貴はそう簡単に怪我するほど鈍くは無いけどな。けどあのボケは、前の戦争の遼南戦線で法術について非常に高い関心を持っている組織に投降をするという失態を犯した。結果、不完全で制御ができないまま法術能力の増幅がその組織で行われたってわけだ」 静かに語る要。誠もラーナが置いたカップを静かに手に取った。 「アメリカ陸軍第423実験大隊」 うつむき加減のカウラが吐いた言葉。その意味を誠は理解できなかった。そんな誠を仕方ないと言う顔をした要が眺めている。 「んなこと言ってもこいつに分かるわけねえだろ?アメリカさんの法術関連の実験部隊の名称だ。生きたまま法術適正者を使って人体実験……」 「推測でものを言うのは感心できることではなくてよ。そのような部隊の存在は地球の国連も否定しているのですから」 紅茶を一口飲んで落ち着いたというように茜が口を開く。 「ともかく言える事は遼南における捕虜虐待、民間人虐殺容疑で逮捕された嵯峨惟基憲兵少佐をネバダ砂漠の実験施設内に収監していたと言うことは記録で残ってますわね」 茜は優雅に紅茶を口にしながら誠に目をやる。実際雛人形のように見える彼女に見られると誠はいつものようにただ頭を掻いて愛想笑いを浮かべるしかなかった。 「そしてその実験大隊の施設があると目されていた基地が収監394日目に蒸発した。このことは隣接していた核兵器の封印作業をしていたロシアの技術部隊の証言から裏がとれていますわ。そしてその98日後に私達姉妹の前にお父様が帰ってこられた。このことも嵯峨家の監視をしていた胡州陸軍憲兵隊の記録に残っていますから」 それだけ言うと茜は再び紅茶に手を伸ばした。 「蒸発?」 誠の言葉に要と茜が頷く。隣に座っているカウラもあいまいな笑みを浮かべるだけだった。 「現在でも空間のゆがみが見られるということで跡地は周囲半径30kmにわたって立ち入り禁止になっているそうだ」 カウラの一言に唖然とする誠。 「それは……凄いですね」 「そうね、それが制御できる力ならと言う限定がつきますけど。そしてようやく先ほどのミイラに話が戻るわけです」 紅茶のカップを置く茜。彼女はラーナから携帯端末を受け取った。 「これを見ていただけます?」 そう言って茜は3Dモニターを展開した。そこには鎖につながれ、頭に袋をかけられた半裸の男が立っていた。良く見ればその男の後頭部から太いコードが延びている。さらに体中に電極のようなものが部屋の四方へと伸びていた。 「一瞬ですから、見逃さないように」 緊張感のある茜の声。しばらくぐったりと吊り下げられていた男が痙攣を起こす。そしてすぐに周囲が赤く染まり、次の瞬間には男が釣り下がっていた場所には細いなにかがぶら下がっていた。 「人工的に法術暴走を起こさせたか……」 カウラの一言に誠は動くことができなかった。目の前にあるのは作り物だと思いたかった。だが、目の前の画像では顔を見れないように加工された白衣の人影が中央の何かを触りながらお互い手元の計測機器をいじっている様子が映る。 「こんな実験が……」 「映像は吉田少佐の提供ですが、あの方も元傭兵ですから入手先は秘匿するということで……」 「馬鹿、これに映ってるのはオメエの親父じゃねえか」 その要の言葉に誠は呆然とした。目の前の3D画像の中の白衣の人々が何かに握られているとでも言うようにもがき始める。腕は不自然に曲がり、首がポロリと落ち、胴がちぎれて鮮血が画面を覆う。 そしてそこには黒い煙を上げながら次第に立ち上がろうとする先ほどの男、その顔は嵯峨惟基以外の誰でもなかった。 「吉田からってことは証拠性はゼロってことか。でもまあそれを知った上でもこれをマスコミにでも見せたらそれなりに大変なことになりそうだな」 停止した画像に映る嵯峨の表情に苦笑いを浮かべてつぶやく要。 「でもこれは人工的に暴走を引き起こしたわけで……」 「同じ条件が日常生活や任務中などに発生しないと言う保障はおありになるの?」 茜の言葉に誠は黙り込む。 「おい、なにやってんの?」 誠が振り向くとそこにいつの間にか嵯峨がいた。茜が厳しい視線をラーナに投げるが、きっちり鍵を閉めたと言うようにラーナが首を振る。そんなラーナの肩を叩くと嵯峨は歩み寄ってきた。 「なんだこれ?……吉田か。あいつからの情報は証拠に使えねえよ。司法関係者にとっては証拠性の無い情報は単なるデマだ、騙され……」 「でもお父様!」 目の前の自分のかつての姿に苦笑いを浮かべる嵯峨。 「あの、法術暴走の……」 「気にすんなよ。禿るぞ。それと俺等は司法官吏だ。証拠にならねえものはすべてデマ。そう考えるようにしておくもんだ」 誠に取り合うつもりも無いというようにそれだけ言い残すと、嵯峨はいつの間にか開いていたドアに向かう。そこにはアイシャとシャムの心配そうな顔がある。 「ああ、そうだ。茜よ。その報告書のことで秀美さんが重要な話があるんだそうな。冷蔵庫が空いてるからそこを使え」 冷蔵庫。保安隊の隊舎で一番セキュリティーのしっかりしたコンピュータルーム。そこを使うと言うことはそれなりの機密性の求められる会合であることを示していた 「分かりましたわ。ラーナ、行きましょう」 そう言うと目の前の画像を消して立ち上がる茜。 「ずいぶんと中途半端な話になっちまったな」 要の言葉に出口で立っていた嵯峨が目を向ける。 「要は気合だぜ。意識が勝ってれば暴走は起こらねえよ。俺の経験則だ、それなりに信用できるだろ?」 そう言ってそのまま嵯峨は隊長室へと向かう。 「ちょっと吉田さんが時間をくれってことだから今日の撮影はさっきので終わりよ」 入れ違いに顔を出してきたアイシャ。その顔を見て要は握りこぶしを固める。 「殴って良いか?カウラ、あいつ殴って良いか?」 アイシャをにらむ要。そして立ち上がろうとする要を目で制するカウラ。誠もなんだかいつもの日常に率い戻されたように苦笑いを浮かべる。 「捜査官!早くしろ」 アイシャを押しのけて顔を出した安城の言葉で茜が手を早める。 「あのう、要さん……」 「分かったよ!とっとと部屋に戻るぞ」 そう言って後頭部に手を当てながら立ち上がってそのままアイシャ達の下へ向かう要。 「隊長のお墨付きだ。さっきのことは気にするな」 自分の言葉が何の慰めにもなっていないことを分かりながらカウラは言葉の無い誠の肩を叩いた。
|
|