流麗な顎のラインから水を滴らせるアイシャ。山越えの乾いて冷たい冬の風が彼女を襲う。そしてその冷たい微笑は怒りの色に次第に変わっていった。 「シャムちゃん……これはなんのつもり?」 一語一語確かめるようにして話すアイシャ。基本的に怒ることの少ない彼女だが、闘争本能を強化された人工人間である彼女の怒りが爆発した時のことを知っている誠とカウラ。二人はいつでもこの場を離れる準備を整えた。 「水風船アタック!」 二月前、熟れた柿をアイシャに思い切り投げつけた時と同じような無邪気な表情で笑うシャム。さすがに青ざめていくアイシャの表情を察してシャムの袖をひく小夏。 「お仕置きなんだけど……要ちゃん風に縛って八幡宮のご神木に逆さに吊るすのと楓ちゃんが要にして欲しがっているみたいに鞭か何かでしばくのとどっちがいい?」 指を鳴らしながらシャムに歩み寄るアイシャ。ここまできてシャムもアイシャの怒りが本物だとわかってゆっくりと後ずさる。 「ああ、アイシャ。そいつの相手は頼むわ。行くぞ誠」 いつの間にか追いついてきていた要が誠の肩を叩く。カウラも納得したような表情でシャムとアイシャをおいて立ち去ろうとした。 「えい!」 シャムの叫び声と同時に要の背中で水風船が炸裂する。すぐに鬼の形相の要が振り返る。 「おい、こりゃあ!なんのつもりだ!」 突然の攻撃と背中にしみるような冷たい水。瞬間湯沸かし器の異名を持つ要。だが今回は隣に同志のアイシャがいることもあって彼女にしては珍しくじりじりとシャムとの距離をつめながら残忍な笑みを浮かべる。 「ちょっとこれは指導が必要ね」 「おお、珍しく意見があうじゃねえか」 振り向いて逃げようとするシャムの首を押さえつけた要。アイシャはすばやくシャムが手にしている水風船を叩き落す。 「あっ!」 「ったく糞餓鬼が!」 顔面をつかんで締め上げる要。アイシャはシャムの両脇を押さえ込んでくすぐる。 「死んじゃう!アタシ死んじゃう!」 笑いながら叫ぶシャム。その後ろの小夏達はじっとその様を見つめていた。 「おい、オメー等。いい加減遊んでないで吉田達の手伝いに行けよ」 小夏の友達に隠れていた小さい上司のランが声をかける。だが、要とアイシャはシャムへの制裁をとめるつもりは無い様だった。 「仕方ねーなあ。カウラ、神前。行くぞ」 そう言うとカウラと誠の前に立って参道を下っていくラン。 「おい!勝手に仕切るんじゃねえよ!」 シャムをしっかりとヘッドロックで締め上げながら要が叫ぶ。 「かまうからつけあがるんだ。無視しろ、無視」 そう言いながら立ち去ろうとするラン。要とアイシャは顔を見合わせるとシャムを放り出してラン達に向かって走り出した。 「遅いですよ!クバルカ中佐!」 叫んでいるのは保安隊運行部の火器管制官のパーラ・ラビロフ中尉だった。いつもの愛車のがっちりとした四輪駆動車の窓からセミロングのピンクの髪を北から吹き降ろす冷たい風にさらしている。その遺伝子操作で作られた髪の色が彼女もまた普通の人間でないことを示している。 「また冬に水浴びて楽しいんですか?」 後部座席から顔を出す島田とそれをとどめようと袖を引くサラ。サラの予想通り島田の言葉にむっとする要だが、アイシャが肩に手を置いたので握ったこぶしをそのまま下ろす。 「何人乗れるんだ?この車」 広い後部座席を背伸びをして覗き込もうとするランだが、その120センチそこそこの身長では限界があった。 「一応八人乗りですけど?」 パーラの言葉に指を折るラン。 「パーラとサラ、それにアタシと小夏、その友達が二人。楓と渡辺……」 「俺は降りるんですか?」 後部座席から身を乗り出して島田が叫ぶ。 「お前のはあそこだろ?」 ランが指をさす先にはキムの軽自動車が止まっていて、すでにエダが助手席に座っていた。 「それなら私もそっち行くわね」 そう言って降りるサラ。だが島田は小さいキムの車の後部座席が気に入らないのか、しばらく恨めしそうにランを見つめた後、静かに車から降りる。 「残りはカウラの車だな。頼むわ。アタシ等は楓と渡辺が来るのを待ってるから」 そう言いながら明らかに高い車高の四輪駆動車のステップを無理のある大またで上がるラン。思わず笑いそうになった要をその普通にしていても睨んでいるように見える眼で睨みつけた後、ランはそのまま後部座席にその小学生のような小さな体をうずめた。 「じゃあ……ってタオル確か持ってきてたよな、アイシャ」 手に車のキーを持っているカウラが髪の毛を絞っているアイシャに声をかける。 「ああ、持ってきてたわね。じゃあ急ぎましょう」 そう言うと小走りにカウラのスポーツカーを目指すアイシャ。 「西園寺さんも……」 誠が振り向こうとすると要は誠の制服の腕をつかんだ。 「誠……」 しばらく熱い視線で見つめてくる要に鼓動が早くなるのを感じる誠。だが、要はそのまま誠の制服の腕の部分を髪の毛のところまで引っ張ってくると、濡れた後ろ髪を拭き始めた。 「あのー」 「動くんじゃねえ。ちゃんと拭けねえだろ?」 誠は黙って上官の奇行を眺めていた。 「なにやってんのよ!こっちにちゃんとタオルあるから!」 要を見つけて叫ぶアイシャ。仕方なく要は誠から手を放すとカウラの車に向けてまっすぐ歩き始める。 「それにしても、アタシ等はセットで扱われてねえか?特にあの餓鬼!かなりムカつくんですけど!」 そこまで言ったところでランのことを思い出して、右手を思い切り握り締める要。 「まあ良いじゃないの。あのおちびちゃんも要ちゃんを注意することでなんとか威厳を保っているんだから。それより誠ちゃんさっきので制服の袖、油臭くなってない?」 そう言いながら誠の腕を持ち上げるアイシャ。 「油ってなんだよ?アタシはロボか?」 いつもなら食って掛かるところだが、要は黙ってカウラのスポーツカーの後部座席に乗り込んだ。 「殴らないのか?」 カウラはそう言いながら誠とアイシャが乗り込んだのを確認するとエンジンをかける。 「餓鬼とは違うからな」 そう言いながらシートベルトを締める要。確かにランが正式配属になった去年の晩秋から、要が誠を殴る回数は確実に減っていた。車は駐車場から出て、石畳の境内をしばらく走った後、駅に続く大通りに行き着いた。 「いつものコインパーキングでいいでしょ?」 そう言うアイシャに頷くカウラ。 「市民会館か。そう言えばあそこはアタシは行ったことねえけど……どんなだ?」 そう言って後部座席の隣に座っている誠を見つめる要。 「普通ですよね、アイシャさん」 誠の言葉に頷くアイシャ。それを見てカウラが怪訝そうな顔をする。 「カウラ誤解すんなよ。こいつ等のアイドル声優のコンサートチケットをアタシが確保しておいたことがあっただけだ。それに当然シャムと小夏も一緒だったからな」 ハンドルをカウラが握っていると言う事実が要を正直にした。節分の祭りを見に来た観光客でごった返す駅から続く道を進み、銀座通り商店街を目指す。 「そう言えば今日は歩行者天国じゃないの、市民会館前の道」 そう言うアイシャにカウラはにやりと笑みを浮かべる。いつもの道の手前で車を右折させ路地裏に車を進める。 「このルートなら大丈夫だ。普段は高校の通学路で自転車が多いから使わないんだがな」 車がすれ違うのが無理なのに一方通行の標識の無い路地裏を進む。アイシャと要はこれから起きることが予想できた。 軽トラックが目の前に現れる。今乗っているのがキムの軽自動車なら楽にすれ違えただろう。あいにくカウラの車は車幅のかなりあるスポーツカーである。カウラはため息をつくとそのまま車をバックさせた。軽トラックのおじいさんはそのまま車を近づけてくる。 結局、もとの大通りまで出たところで軽トラックをやり過ごした。 「大回りすればいいじゃないの……」 呆れたように言うアイシャだが、意地になったカウラは再び車を路地へと進めた。
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