豊川駅の繁華街から住宅街へと走る車。つかまった信号が変わるのを見ると金髪の運転手は右折して見慣れた寮の前の通りに入り込む。 「ちょっと入り口のところで止めてくれるか?」 要はそう言うと寮の門柱のところで車を止めさせる。そしてそのままドアを開くと降り立って座席を前に倒した。 「おい、神前。そいつ連れてけ」 表情を押し殺したような調子で要が誠に告げる。 「カウラさん、着きましたよ」 そう耳元で告げてみてもカウラはただ寝息を立てるだけだった。誠は彼女の脇に手を入れて車から引きずり出す。 「ったく幸せそうな寝顔しやがって」 呆れたような表情でそう言ってそのまま車に乗り込む要。隣の駐車場にゆっくりとカウラの赤いスポーツカーが進んでいく。誠はそれを見送るとカウラを背負って寮の入り口の階段を上る。 考えてみれば時間が悪かった。カウラの自爆で『あまさき屋』をさっさと引き払った時間は9時前。煌々と玄関を照らす光の奥では談笑する男性隊員の声が響いてくる。足を忍ばせて玄関に入り、床にカウラを座らせて靴を脱ぐ。カウラを萌の対象としてあがめる『ヒンヌー教徒』に見つかればリンチに会うというリスクを犯しながら自分のスニーカーを脱ぎ、カウラのブーツに手をかけた時だった。 「おっと、神前さんがお帰りだ。やっぱり相手はベルガー大尉ですか、隅に置けないですね」 突然の口に歯ブラシを突っ込んだ技術部の伍長の声に振り向いた誠。いつの間にか食堂から野次馬が集まり始めている。その中に菰田の部下である管理部の主計下士官達も混じっていた。 『ヒンヌー教』の開祖菰田邦弘主計曹長に見つかれば立場が無いのは分かっている誠はカウラのブーツに手をかけたまま凍りついた。 「オメエ等!そんなにこいつが珍しいか!」 そう怒鳴ったのは駐車場から戻ってきた要だった。入り口のドアに手をかけ仁王立ちして寮の男性隊員達をにらみつける。助かったと言うようにカウラのブーツを脱がしにかかる誠。 「なんだ、西園寺さんもいたんじゃないですか……」 眼鏡の管理部の伍長の言葉を聴くと土足でその伍長のところまで行き襟首をつかんで引き寄せる要。 「おい、なにか文句があるのか?え?」 すごむ要を見て野次馬達は散っていく。首を振る伍長を解放した要がそのままカウラのブーツの置くところを探している誠の手からそれを奪い取る。 「ああ、こいつの下駄箱はここだ」 そう言って脇にある大きめの下足入れにブーツを押し込んだ。 「神前、そいつを担げ」 そのまま自分のブーツを素早く脱いで片付けようとする要の言葉に従ってカウラを背負う。 「別に落としても良いけどな」 スリッパを履いて振り向いた要を見つめた後、そのまま階段に向かう誠。 食堂で騒いでいる隊員達の声を聞きながら誠は要について階段を上った。そのまま二階のカウラの部屋を目指す誠の前に会いたくない菰田が立っていた。 「これは……」 何か言いたげに誠の背中で寝入っているカウラを指差す菰田。 「なんだ?下らねえ話なら後にしろ」 要の言葉に思わずそのまま自分の部屋のある西棟に消えていく菰田を見ながら要は自分の部屋の隣のカウラの部屋の前に立つ。 「これか、鍵は」 そう言うと車の鍵の束につけられた寮の鍵を使ってカウラの部屋の扉を開いた。 閑散とした部屋だった。電気がつくとさらにその部屋の寂しさが分かってきて誠は入り口で立ち尽くした。机の上には数個の野球のボール。中のいくつかには指を当てる線が引いてあるのは変化球の握りを練習しているのだろう。それ以外のものは見当たらなかった。だが、それだけにきれいに掃除されていて清潔なイメージが誠に好感を与えた。ある意味カウラらしい部屋だった。 「布団出すからそのまま待ってろ」 そう言って要は慣れた調子で押入れから布団を運び出す。これも明らかに安物の布団に質素な枕。誠は改めてカウラが戦うために造られた人間であることを思い出していた。 「ここに寝せろ……」 要の言うことにしたがって誠はカウラを敷布団の上に置いた。 「なあ、オメエもこいつのこと好きなのか?」 掛け布団をカウラにかぶせながら何気なく聞いてくる要。その質問の突然さに誠は驚いたように要を見上げた。 「嫌いなわけないじゃないですか、仲間ですし、いろいろ教えてくれていますし……」 要が聞いているのはそんなことでは無いと分かりながらも、誠にはそう答えるしかなかった。 「まあ、いいや。実は飲み足りなくてな……付き合えよ」 そう言うと要は立ち上がる。誠も穏やかな寝顔のカウラを見て安心すると要の後に続いた。カウラの部屋の隣。さらに奥のアイシャの部屋はしんと静まり返っている。要も鍵を取り出すとそのまま自分の部屋に入った。 こちらも質素な部屋だった。机といくつかの情報端末と野球のスコアーをつけているノート。あえて違いをあげるとすれば、転がる酒瓶はカウラの部屋には無かった。 「実はスコッチの良いのが手に入ったんだぜ」 そう言って笑う要。そのまま彼女は机の脇に手を伸ばし、高級そうな瓶を取り出す。そしてなぜか机の引き出しを開け、そこからこの寮の厨房からちょろまかしただろう湯飲みを二つ取り出した。 「まあ、夜はまだまだあるからな」 そう言ってタレ目で誠を見つめる要。彼女の肩に届かない長さで切りそろえられた黒髪をなびかせながらウィスキーをそれぞれ湯飲みに注ぎ、誠に差し出す。 「良い夜に乾杯!」 そう言って笑顔で酒をあおる要。誠は彼女のそう言う飲み方が好きだった。 「お前も配属になってもう4ヶ月か。どうだ?」 珍しく要が仕事の話を振ってくるのに違和感を感じながら誠は頭をひねる。 「そうですね、とりあえず仕事にも慣れてきましたし……と言うかうちってこんなに遊んでばかりで良いんですかね」 誠の皮肉ににやりと笑いながら二口目のウィスキーを口に運ぶ要。 「まあ、それは叔父貴の心配するところなんじゃねえの?でもまあこれまでよりは仕事はしてるんだぜ。近藤事件やバルキスタン紛争なんかはようやく隊が軌道に乗ったからできる仕事ではあるけどな」 そう言って笑う要が革ジャンを脱ぎ捨てる。その下にはいつものように黒いぴっちりと体に張り付くようなタンクトップを着ていた。張りのある背中のラインに下着の線は見えない。 「やっぱりウィスキーは飲むと体が火照るな」 そう言って要は静かに誠ににじり寄る。そして上目がちに誠を見ながら髪を掻き揚げて見せた。 そしていつもは想像も出来ないような妖艶な笑みを浮かべる要。誠はおどおどと視線を落として、いつものように飲みつぶれるわけには行かないと思って静かに湯のみの中のウィスキーを舐める。 「あのさあ」 要が沈黙に負けて声をかける。それでも誠はじっと視線を湯飲みに固定して動かない。 「オメエさあ」 再び要が声をかける。誠はそのまま濡れた視線の要に目を向けた。 「まあ、いいや。忘れろ」 そう言うと要は自分の空の湯のみにウィスキーを注ぐ。 「オメエ、女が居たことねえだろ」 突然の要の言葉に誠は声の主を見つめた。にっこりと笑い、にじり寄ってくる要。 「そんな……そんなわけ無いじゃないですか!一応、高校大学と野球部のエースを……」 「そうかねえ、アタシが見るところそう言う看板背負っても、結局言い寄ってくる女のサインを見逃して逃げられるようなタイプにしか見えねえけどな」 そう言って要は再び湯飲みを傾ける。静かな秋の夕べ。 誠と要の目が出会う。ためらうように視線をはずそうとする誠を挑発的な視線で誘う要。 「なんならアタシが教えてやろうか?」 身を乗り出してきた要に身を乗り出されて誠が思わず体をそらした時、廊下でどたばたと足音が響いた。 「要!」 誠がそのまま要に仰向けに押し倒されるのとアイシャがドアを蹴破るのが同時だった。 「何してるの!要ちゃん!」 「そう言うテメエはなんだってんだ!人の部屋のドアぶち破りやがって!」 怒鳴るアイシャと要。誠は120kgの機械の体の要に乗られて動きが取れないでいた。 「大丈夫?誠ちゃん。今この変態サイボーグから救ってあげるわ!」 そう言って手を伸ばすアイシャの手を払いのける要。誠は頭の上で繰り広げられる修羅場にただ呆然と横たわっていた。 「まったくあんな漫画描いてるのに……こういうことにはほとほと気の回らない奴だなオメエは」 「何言ってるの!相手の意図も聞かずに勝手に欲情している要ちゃんが悪いんじゃないの!」 誠はもう笑うしかなかった。そして一つの疑問にたどり着いた。 アイシャがなんでここにいるのか。彼女は吉田と今回の映画の打ち合わせをしているはずである。こだわるべきところには妥協を許さないところのあるアイシャ。彼女が偶然この部屋にやってくるなどと言うことは有り得ない。 そう思って考えていた誠が戸口を見ると、アイシャと要の罵り合いを見下ろしているカウラの姿が見えた。 「カウラ!オメエはめやがったな!」 要も同様に戸口のカウラに気づいて叫んだ。 「勝手に悲劇のヒロイン気取ってる貴様に腹が立ったんでな。別にやきもちとかじゃ……」 「そうなの?私に車の中からひそひそ声で連絡が来た時は相当怒ってるみたいだったけどなあ」 アイシャの言葉で再びカウラの頬が赤く染まる。そこで一つ良い考えが思いついたと言うように要が手を打つ。 「じゃあ、こう言うのはどうだ?全員で……」 「西モスレムに籍を移して奥さん四人まで制を導入するって言うんでしょ?あんた酒をやめられるの?」 せっかく浮かんだアイデアをアイシャに潰されてへこむ要。あわてて戸口を見る誠の前には真剣にそのことを考えているカウラがいた。 「そうだな、隊長から遼南皇帝の位を譲ってもらう方が簡単かもしれないな。そうすれば正室を決めて……」 「おい、カウラが冗談言ってるぜ」 「ええ、珍しいわね」 真剣に考えた解決策をあっさりと要とアイシャに潰されてカウラは力が抜けたと言うようにうなだれた。 「盛り上がっているところ大変申し訳ないんですが……」 そう言って現れたのは島田正人准尉だった。技術部整備班長であり、この寮の寮長である彼の介入はある意味予想できたはずだが、誠はその威圧するような瞳にただたじろぐだけだった。 「おう、島田。こいつがドアぶち破ったから何とか言ってやれ!」 そう言って要は勤務服姿のアイシャを指差した。 「島田君、誠君を襲おうとした要ちゃんから守ってあげただけよ」 突っかかる二人を抑えながらそのまま誠に近づいてくる島田。 「もう少し配慮してくれよ。俺にも立場ってものがあるんだから」 誠の耳元でそう囁くと島田は倒れたままの誠を起こした。 「別に俺も隊長とおんなじで野暮なことは言いたくないんですがね」 そう言って場を収めようとする島田だが、要は不服そうに彼をにらみつけた。 「まあ、オメエとサラの関係からして当然だな」 「要ちゃん!」 野次馬の後ろにサラの赤いショートカットの髪が揺れている。 「ああ、すいません。ベルガー大尉!そこに集まってる馬鹿共蹴散らしてくださいよ!」 島田のその声にカウラが手を出すまでも無く野次馬達は去っていく。そこに残されたのは心配そうに誠を見つめるサラの赤い瞳と汚いものを見るようなパーラの青い瞳だった。 「問題になってるのはこいつでしょ?ちょっと説教しますから借りていきますよ。まあこのドアの修繕費についてはお三方で話し合ってくださいね」 そう言うと誠の襟首をつかみ上げて引きずっていく島田。要とアイシャは呆然として去っていく誠を見送っている。 「ああ、ベルガー大尉も同罪ですから。きっちり修理代の何割か支払ってくださいよ」 ドアに寄りかかっていたカウラも唖然として誠を連れ出す島田、サラ、パーラを目で追っていく。そのまま誠は階段まで連行され、要の部屋から見えない階段の裏でようやく開放された。 「ちょっと俺の部屋に来い」 島田はそのまま誠についていくように促して階段を下りる。日のあたらない冬も近いのに湿気がたまっているような西向きの管理人室が島田の部屋だった。元が管理人室というだけあって質素なドアを開けると、中にはバイクや車の雑誌が積まれている机と安物のベッドが置いてあった。 そのまま誠は付いてきたサラとパーラに押し込まれるようにして島田の部屋に入った。 「まあ、そこに座れ」 島田は和やかな面持ちで誠にそう告げる。サラとパーラの痛い視線を受けて誠は島田に促されるままに座布団に腰掛ける。 「まあ、なんだ。お前さんが悪いと言うことは確定しているから置いといてだ……」 そう言うと島田は急に下卑た表情に変わる。 「誰が一番なんだ?」 誠はしばらく島田が何を言いたいのか分からなかった。 「神前君、教えてよ。ね?」 興味津々と言った表情で赤い髪をなびかせて顔を近づけてくるサラ。 「あんた達本当に似たもの夫婦って……ああ、夫婦じゃないわね」 呆れたように状況を観察しているパーラ。誠はただ島田とサラに言い寄られて苦笑いを浮かべていた。 「あ、えーと。あの」 「大丈夫!私達、口重いから」 そう言って島田を押しのけて迫ってくるサラの赤い目に思わず引き下がる誠。それを呆れた瞳で見るパーラ。 「やめといた方が良いわよ。どうせ話したりしたら三十分後にはあの三人が殴りこんでくるわよ」 パーラは呆れたようにそう言うとそのまま立ち上がる。 「何よ!パーラちゃんだって気になるんでしょ?失敗経験もあるし……」 そこまで言ってサラはパーラの顔色が曇るのを見て口をつぐんだ。 保安隊の運用艦『高雄』の機関長、別名『新港の種馬』鎗田司郎大尉とのどろどろした愛憎劇というものがあると聞かされている誠もサラの失言に思わず彼女の顔を見た。 「ごめん、パーラ」 思わずうなだれるサラ。島田がそっと彼女の肩に手を乗せる。 「悪気があるわけじゃないんだから……」 「良いのよ、気にしないで」 そう言ってパーラは顔を上げて誠を見つめる。明らかにその瞳には殺気が篭っている。パーラの話でうまいこと逃げられると踏んだ誠の思惑とは違う方向に話が転がりそうで思わず背筋に冷たいものが走る。 「無理よね。神前君は優しすぎるから言い出せないんでしょ?」 とつとつと語るパーラ。島田とサラの視線が容赦なく誠に突き刺さる。 「あの、別に好きとかそう言うことじゃなくて……」 「なんだよ……いつも一緒にいるとき良い顔してるように見えるんだけどなあ」 友達路線を主張しようとした矢先に島田に釘を刺されてまた誠は黙り込む。 「そうだ!誰が一番神前君のことが好きかで選べば良いんじゃないの?」 サラがいかにも良いことを思いついたと言うように叫ぶ。だが、島田もパーラもまるでその意見に乗ってくる様子は無い。 「西園寺大尉が選ばれなければ血を見るだろうな」 「意外とアイシャも切れるとすごいのよ。それに溜め込んでいるだけカウラもすごいことに……」 島田とパーラが今度は同情するような視線で誠を見つめる。 「そんな怖いこと言わないでください……」 「パーラ!帰るわよ!」 またドアをいきなり開いて入ってきたのはアイシャだった。ニコニコ笑いながらずかずかと島田の部屋に入り込みパーラの肩を叩くアイシャ。 「話し合いついたんですか?」 「当然よ。今回の件はすべて誠ちゃんの責任と言うことで、誠ちゃんに払ってもらうことになったから!」 そう晴れ晴れとした表情で言うアイシャに誠は泣きそうな目を向ける。 「アイシャさん……僕、何か悪いことしましたか?」 涙目で泣きつこうとする誠だが、アイシャはまるで誠を相手にしていないと言うようにパーラの肩を叩きながら出発を促した。 「まあがんばれ」 島田はそう言うと立ち上がる。サラとパーラは同情する瞳を投げながら再び隊に戻るべく立ち去ろうとする。誠は一人島田に付き添われてそのまま廊下に出た。島田が部屋に鍵をかける。それを見ながら涙が止まらない自分に呆れる誠だった。
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