静かに廊下を出る二人。 勝利の余韻に浸ることも許されず緊張した空気の流れる海軍省。その廊下を黙って二人は歩く。エレベータ。消費された物資の計算書を手にした事務官達に押されるようにして二人はそのまま一番奥に追いやられた。 「あ!赤松将軍」 「ええで、仕事が一番大事や」 そんな赤松の言葉に疲れた笑みを浮かべると事務官はすぐ次の階で開いた扉から出て行く。赤松は笑顔で彼等が隣の資料室に走っていくのを見守った。 「戦争は……本当に物量の浪費だからな」 「そう思っとんなら胡州の海外資産の凍結解除をなんとかせいや」 そんな赤松の不満に懐手の嵯峨がにんまりと笑う。ドアが開きセキュリティーチェックを済ませた二人の前には貴子が立っていた。そしてその隣には先ほどまで庭で話をしていた明石、別所、魚住、黒田そして正親町三条楓の姿があった。 「忠満さん。この人達も付き合いたいんですって」 貴子の笑みを含んだ言葉に思わず赤松の顔が緩んだ。 「楓。どうだ、部隊は」 久しぶりに会う親子の姿をほほえましげに巨漢の明石が見下ろしている。 「勉強になります。色々と」 「ああ、そうだ。未来の旦那は見つかったんか?」 赤松の言葉に楓は理解できないと言うような顔をしていた。 「忠さん……こいつは兄貴の所の要の馬鹿にご執心でね。お前さんのお袋みたいに」 父の言葉に顔を赤らめてうつむく楓。明石達は楓の父親のよく分からない言葉にしばらく呆然と楓を眺めていた。 「なんや……女子(おなご)同士がええんやな」 赤松の言葉に楓が頬を赤らめる。その話を初めて知った明石達はただ呆然と楓を見つめていた。 「そういうわけ。じゃあ別所君、車を」 貴子の言葉にはじかれるように別所と明石が走り出した。 「いろいろ大変ですね、嵯峨殿も」 「まあね」 黒田の言葉に嵯峨は大きくため息をついた。 「それにしても……むなしい勝利ですね」 魚住の言葉。それを避難するように貴子が振り返った。弟の信念を貫いての死。それを受け止めている彼女には魚住の言葉は軽はずみに思えていた。 「まあ……あれや。人間の人生は一度しかない。ワシも貞坊もそれをかけて動いた。そしてそれに付き合って死んじまった人間がいる。そういう事実は受け止めとかんとな」 そんな言葉を言って視線を上げた赤松の前にもうすでに別所のセダンと明石のワゴン車が止まっていた。 「おう、それじゃあワシは別所の車に乗るから……新三と楓は明石のに乗り」 「俺と黒田も明石のには乗れるでしょ」 魚住はそう言うと嬉々として明石の黒いワゴン車に向かう。 「やっぱりたくさん乗れると便利やのう」 「そのうちパシリに使ってやるよ」 明石の言葉に返す魚住。そのまま車止めに止められた車の後部座席の奥へと嵯峨が身を滑り込ませた。 「陛下、助手席の方が広いですよ」 「いいんだよ。楓、隣に座れ」 嵯峨の言葉に嫌な顔をしながら窮屈そうに楓は座席に体を押し込んだ。 「かなり香水がきついんですね」 楓の言葉に振り向いた明石が苦笑いを浮かべた。 「ええやん。それで陛下」 「陛下は辞めてくんねえかな」 「そうだぞ。嵯峨大佐……墓苑でいいんですよね」 明石の仏頂面を見ながら助手席に座った魚住が振り向いて笑う。 「頼む」 それだけ言うと嵯峨は静かに目をつぶった。 「すみません。魚住の奴はデリカシーがないもので」 そう言って頭を下げる黒田を片目で確認してにんまりと笑って見せた嵯峨に楓が大きく安堵の息をついた。 すでに市街戦の跡はかなり修復が進んでいた。時々商店や屋敷の壁に銃痕が残っているのが先日の近衛師団突入の戦闘の激しさを物語っている。自然とそんな光景を前にして会話も途切れた。 街が流れて消え、市街調整区域を抜けると空の赤い雲が車内までも赤く染めてくる。 「どうしても思い出すな……この赤い空を見ると……なんだかいつ見ても気分が重くなるよ」 不意に嵯峨がつぶやく。この先には墓所があるばかり。明石はそれを聞いて何度となく戦友や学友の墓参りに行きたくても行けない闇屋時代を思い出した。 「もうそろそろ……」 振り向いて知らせようとした魚住が明石の急ブレーキでシートに頭をしたたかぶつけた。 「何しやがんだ!」 「そこで検問やってるやん」 淡々と応える明石を魚住は恨めしそうににらみつけた。 近づいてくる警察官。それも運転する明石の海軍の制服を見て少しばかり表情が雲った。 「すみません……免許書を……」 窓が開いて眼鏡の警官の言葉に明石は懐から免許書を取り出す。 「この先……他のコロニーへの通用道は閉鎖されていますが……」 「ええねん。墓参りや」 明石の言葉に警察官の表情に緊張が走った。この先には墓地と言えば上流貴族の墓所しかない。その様子にすぐに免許書を返すと堅苦しい敬礼をしてみせる。 「あんなにしゃっちょこばらなくてもええのになあ」 「なあにこの国は二百年も庶民は貴族に頭を下げておこぼれをもらうものと言う教育が行き届いているんだ。仕方ねえんじゃねえか?」 投げやりな嵯峨の言葉。そのまま車は墓所へ続く道を走る。人死にがたくさん出たあとだというのに墓所への道はなぜか明石の車だけが走っている状況だった。 「えらい空いてますな」 「今葬式しても誰も来ないから自重してるんじゃないの?」 そう言うと嵯峨は門が見えてきたのでなんどかシートベルトを緩めるようなしぐさをした。車はそのまま門のところで止まる。今度は守衛と墓所管理の職員が近づいてきた。 「これは……安東様のお知り合いの方ですね」 「何で分かるの?」 「先ほど赤松様からすぐに到着するから準備をしておけと言われましたので」 職員はそう言うとカードを明石に手渡した。 「さすが忠さん。気が利くねえ」 嵯峨はそう言うとにんまりと笑い明石からカードを受け取った。 そのまま車を係員に預けると明石達はそのまま墓地への階段を上がった。たまに線香の香りが漂い、墓所であることを再確認しながらお互いに顔を見合わせる。 「どうも……失礼します」 喪服の老女が突然脇から現れ明石達の隣を通り過ぎていく。彼女が今回の動乱で何を失ったのかは分からない。ただ沈黙が一同を支配していた。 「おう、来たんやな」 桶の置かれる場所で一人立ち尽くしていた赤松の顔を見て一同はほっとした気分になっていた。 「ここにいるならカードなんて……」 嵯峨はそう言うと桶の入った器具にカードを差し込む。テラフォーミング化した土地らしく、胡州では水は貴重だった。その桶入れの中から水に満たされた桶が出てきた。明石は成り行きでその桶を手にしていた。 「行こか」 そう言うと赤松はそのまま墓所に向かう。並んでいる墓標。どれも貴族達の墓地であり墓石には高級な石材が使われ、凝った装飾が施されていた。 「あれ……恭子さんじゃねえのか?」 嵯峨の言葉に赤松が大きく身を乗り出す。明石が見たのは黒い喪服の女性が跪いて墓を拝んでいる有様だった。赤松がいつの間にかその女性に向かって歩き始める。 「赤松将軍。妹さんが……」 明石がそう言って見たが赤松は一人立ち尽くしていた。明石達はそれを見て大きなため息をつくと彼を置いて嵯峨の後ろについて歩き始めた。 「お兄様……新三郎さん……」 恭子は驚いたように嵯峨を見つめた。そして明石はその瞳が正気を失った人物のものだとすぐに直感できた。 「一応、俺は嵯峨の跡取りになったんだけどな」 「貞盛さんもいないわよ……」 そう言うとにこりと笑って彼女は新しい塔婆の目立つ黒い墓石をいとおしそうに見上げていた。 重い空気。だれもが黙り込んで静かに墓石を眺める。線香の香りが当たりに漂った。 「返して……」 「すまない」 兄の言葉にその発せられたほうを見た恭子の顔は涙に濡れていた。 「なんで……貞盛さんは……」 「それは武家の習いでしょ」 卒塔婆の脇から貴子が現れてそう言った。そんな弟の死を一言で片付けた姉に殺気を込めた視線を投げる恭子。明石達はただ呆然と二人を見守るばかりだった。 「忠義に生きて忠義に死んだ。私としてはよくやったと褒めてやりたいわ」 「そんな……簡単に……人が死んだのに……割り切るなんて……」 恭子は赤に菊模様の留袖の裾を目に当てて涙をぬぐう。そんな有様に明石はその後の羽州の混乱の話を思いだした。安東を自刃に追い込んだ秋田義貞が跡目を継ぐべく西園寺邸を訪ねたが、宰相西園寺基義は門をくぐることすら許さなかった。そしてそのままシンパを集めて会議をしているところに官派の残党が襲撃をかけ、秋田一門の多くは惨殺されたという。 「一学……貞坊……いい奴ばかり死にやがる」 嵯峨はそう言うと手にしてきていた桶の水を墓石にかけた。静かに水が流れる。そして線香を持っていた貴子が明石達にも線香を配った。 「貞盛は明るいのが好きだったから……泣くのはよしましょうよ」 逆賊として公に葬儀を行なうことも許されずに恭子と数人の被官だけで行なわれた葬儀に参加できなかった姉は静かに弟の墓標に線香を献じた。そして静かに手を合わせる。 「ありがとう……有難うございます」 途切れ途切れに恭子は義姉に静かに頭を下げた。 「ところでそこの坊さん」 「ワシのこと……」 「そういうこと」 明石は突然嵯峨に声をかけられて当惑していた。着流し姿、丸腰でまるで殺気を感じない姿は逆に奇妙に見えた。 「お前さん達もこの戦いを生き延びたわけだ。だがこれからどうなるか分からねえぞ。何が起きるか読めない時代だ」 「新三が言うことやないんとちゃうか?」 赤松の突込みを無視して嵯峨は話し続けた。 「何かを得るには何かを捨てなきゃいけないものだ」 「そうかもしれませんね」 後ろからいきなり声をかけられ嵯峨は驚いたふりをするように振り向いた。そこには疲れたような表情の別所が立っていた。 「なんだよ……あれか?車に忘れ物とか」 「まあそんなところです」 そう言うと別所は手にしたものを一人墓の前に跪いている恭子に差し出した。 「安東大佐の遺髪だそうです」 小さな紙袋。恭子はそれを握り締めると胸の前に抱いて黙り込んだ。 「これが現実さ。俺や忠さんもこれから貞坊の分まで生きなきゃならなくなる」 黙って蹲っている恭子を見ながら嵯峨は大きくため息をついた。 「ところで坊さんよ」 嵯峨の言葉に気が付いて視線を落とす明石。なんとなく言葉を選ぶのが疲れてきた明石はただ黙って嵯峨を見つめていた。 「忠さん……そのうちこいつを借りて良いかな?」 「借りるって……あれか?遼南の騎士団だのなんだのに……」 「違うよ。俺の直感だがどこかでこいつの力が必要になりそうなんだわ……こういう時の俺の直感は結構当たるんだぜ」 しばらく誰もが嵯峨の言葉の意味に気づかなかった。ただ一人貴子は納得したような感じで夫に笑顔で合図していた。 「同盟絡みか……ずいぶん急な話やな」 「遅すぎるよりいいと思いますよ」 ようやく夫の墓から立ち上がった恭子。その目の涙はようやく乾こうとしているところだった。 「私もいつも遅すぎましたから……」 「そんなこと言うてくれてもうれしないで……」 「お兄様を喜ばせるつもりはないです」 最後の言葉ははっきりしていた。そして深々と貴子達に一礼すると恭子はそのまま線香の香りの漂う中を歩いていった。 「つらいな忠さん。泣いて暴れてくれたほうが良かったんじゃないのか?」 嵯峨の言葉に苦笑いを浮かべる赤松。そんな様子を見ながらエキセントリックな皇帝、嵯峨惟基をまじまじと見つめる明石。嵯峨もその視線を嫌ってか安東の墓石に桶の水をかけた。 「勝ったって言うけど……なんだかむなしいわなあ」 つぶやく赤松の顔に勝者の誇りは無かった。親友を倒して、妹を不幸にして手に入れた勝利。それは甘くないものだと言うことが明石の目にもわかった。 「勝っちゃいねえよ。むしろ本当に勝ったのは貞坊の方かもしれねえよ。俺達はこれから世の中の毀誉褒貶を浴びながら生きていくことになる。たぶん今回の官派の敗北を認められない人間も多い……」 「しばらくは乱れるでしょうね」 嵯峨の言葉を引きつぐ別所。過激派の一部の暴走が続いている以上、明石もそれを否定できなかった。 「だからみなさんにかんばってもらわないと」 いつの間にか明石の目の前に来ていた貴子の声。明石の身が引き締まる。 「そういうこと。で……」 明石に目をやった後、嵯峨は墓石に手を合わせる赤松を覗き込んだ。 「しばらくはワシの手駒やからな。貸さんぞ」 「まあそうだろうね。俺ももう少しこいつに丸みが出たら……」 「ワシそんなに太っとります?」 とぼけたような明石の言葉に赤松と嵯峨は顔を見合わせた。さわやかな笑い声が墓地に響いた。その笑いはつい黒田に、そして魚住へと伝染した。 「わかっとりますよ。ワシはまだ闇屋の癖が抜けとらん」 「そういう事だ。もう少し制服の似合う面になったら迎えに来るわ……楓」 嵯峨は黙っている娘に声をかけるとそのまま歩き出した。 「皇帝陛下……」 「いらねえよ、護衛なんか。それよりオメエ等も頭下げとけよ。仏さんに失礼だ」 そう言うと嵯峨は楓を連れてそのまま墓地の出口を目指した。 「湿っぽいのは貞坊も喜ばんやろ……うち寄るか?」 そんな赤松の一言に大きく頷く魚住。明石と黒田は苦笑いでその様子を見ていた。 「いいですわね。嵯峨さんからイノシシの肉が届いてますの……牡丹鍋はいかが?」 「牡丹鍋?」 呆然と別所がつぶやく。 「あれや……イノシシの肉の鍋。ワシも話しか聞いたことあらへんけどなあ」 「イノシシ?遼南の自然は偉大だな」 黒田の顔もほころんでいる。そんな若者達を見ながら赤松は背後の親友の墓石を見上げた。 「貞坊……悪いがわしはしばらくお前のところには行けんようになってもうたわ」 「そうですわね。直満も立派な安東家の跡継ぎにしないと……」 大きく貴子が頷く。 明石はその有様を見ながらなんとなくうれしくなって剃りあげられた頭を撫で回した。 「それじゃ、行こか」 赤松が桶を持って歩き出す。その手から桶をとろうとする別所。 「ええねん。ワシが持ちたいから持つんや」 笑顔でそれを交わす赤松。彼の心には二度と自分達と同じ道を歩ませたくない若者たちがいた。そしていとおしげに部下達を眺める夫を満足げに貴子は眺めると胡州のテラフォーミング化された赤い大気を見上げた。 「これからは何も起きませんように」 いつも強気で通している妻の思いもかけない言葉に赤松は満足げに頷くと天を仰いだ。
了
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