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作品名:遼州戦記 墓守の少女 作者:橋本 直

第9回   従軍記者の日記 9
「はいはい!お湯が沸きましたよー。カップを出してくださいな」 
 歌うようにそう言うと嵯峨は慣れた手つきで携帯型のホワイトガソリンバーナーの上の鍋を持ち上げた。小型のコンロを扱うのに慣れているその手つきにエリートとして育ってきたはずの嵯峨の器用なところにクリスは関心させられていた。
「ずいぶん慣れた手つきですね」 
 クリスはレーションの袋に入っていた折り畳みのコップを差し出す。中にはインスタントコーヒーが入っており、お湯が注がれるにつれてコーヒーの香りが辺りをただよう。
「まあ、やもめ暮らしも今年で7年目になりますからね。ホプキンスさんは名門の出でしょ?誰かいい人いませんかね」 
 そう言うと嵯峨はアルミ製のマイカップに味噌汁の素を入れた。
「そんなこと必要ないんじゃないですか?嵯峨公爵家の奥方となればそれこそ……」 
「王侯貴族なんかに生まれるもんじゃないですよ。ただ面倒なだけですわ。それに家柄で見られるってのはどうにも性に合わなくてね」 
 嵯峨は十分に湯を注いだカップを箸でかき混ぜ、弁当として持ってきた握り飯四つとタクワンを食べ始めた。
「しかし、ここは安全なんですか?」 
 クリスは辺りを見回した。針葉樹の深い森の中。四式は森に潜んでいる形だが、下草のほとんど無い森の下は百メートル以上は視界が利く。もしここに歩兵部隊などが投入されれば勝負にはならないだろう。
「心配なのはわかりますがね。混乱している共和軍に、それほど気の効く前線指揮官がいるとは思えないですがねえ」 
 そう言うと嵯峨は握り飯にかぶりついた。
「さっきから不思議に思っていたんですよ。あなたのその余裕のある態度はどこから来るものなのですか?最初の一撃。あれだっていくら共和軍の指揮官が無能でも、もう少しましな対応の仕方があったのにまるで混乱しているかのような反撃じゃないですか。さっきだって……」 
「混乱しているかのように?違いますね。混乱させているんですよ」 
 そう言うと嵯峨は不敵な笑みを浮かべたあと、カップから味噌汁を飲んだ。
「俺の下河内連隊時代からの部下で大須賀と言う技官がいましてね。現在は成田と言う名前の胡州浪人と言うことで共和軍の通信将校を務めているわけですが、まあそこまで言えばわかるでしょ?」 
 嵯峨は二つ目の握り飯を手に取る。
「通信妨害?」 
「そんな甘い人間に見えますかねえ俺が。通信器機にウィルスを仕込んだ上で、さらに作戦部にシンパを作って上層部の指揮命令系統をかく乱。そして、前線部隊の補給物資の要求リストを改ざんして拳銃の弾の口径さえまちまちで使い物にならない、今の共和軍の最前線はそんなありさまにしておいたんですよ。戦争と言うものは始める前にはそれなりの準備をしておくものですよ」 
 得意げに話し続ける嵯峨。クリスはレーションのピーナツバターをクラッカーに塗りながら聞きつづける。
「最初から勝つ戦いをしていたわけですか」 
「あのねえ、戦争ってのは勝てるからやるんですよ。まあ、前の大戦のときに関しては俺も人のことは言えませんが」 
 そう言うと嵯峨はタクワンをぼりぼりと齧りだした。
「なるほど、しかし、先ほどの戦闘での撃墜数は5機を越えていましたね。見事なものですよ」 
 そう言ったクリスの目を鋭い嵯峨の視線が射抜いた。
「あのねえ、ホプキンスさん」 
 感情を押し殺すように一語一語確かめながら、真剣な表情の嵯峨が話し始めた。
「撃墜数を数える?自分の殺した人間の数を数えて何になるんですか?あいにく俺にはそんな趣味はないですよ」 
「はあ……」 
 初めて直接的な嵯峨の殺気を感じた。いつもの皮肉屋で自虐的な笑みを浮かべている中年男の姿はそこには無かった。クリスの拍子抜けした顔を見ると肩をすぼめてタクワンの入っていた小さな鉄の容器から汁を口に注ぎ込む嵯峨。
「さてと、腹も膨れたしちょっと仕事をしようかねえ」 
 そう言うと嵯峨は脇に置いてあった通信端末を開いた。正面に展開される画像。まずそこには地図が映し出された。クリスも自然とそれを覗き込んでいた。
「合衆国陸軍が移動していますが……この方向は?」 
「三日前に共和軍から香麗さんが奪い取った湖南川沿岸地域ですね。まあ順当な作戦ですね。この地域を押さえれば東モスレムへの街道が開ける。当然アメちゃんとしても面白くは無いことでしょうからこの地域の確保は最優先事項というわけですか」 
 嵯峨はそう言うと後方の補給部隊の動きをあらあわすグラフを展開させた。
「この情報も大須賀さんの絡みですか?」 
「まあ、大須賀は元々楠木の部下ですからね。大須賀経由の話もありますが、それ以外に楠木が築いたネットワークだとかいろんな情報をまとめてあるんですわ。まあ俺にも一応は遼南帝国の末裔としてのコネもあるもんで」 
 そう言うと嵯峨は携帯端末をいじりながらタバコを取り出し火をつけた。
「なるほどねえ。東和の支援物資の共和国軍への移送が停止されたか。足元がお留守になってるんじゃないですかエスコバル大佐は」 
「バルガス・エスコバルですか?確か共和国軍西部方面軍参謀長か方面軍司令か……」 
 クリスは携帯端末上の画面に映された画像を見つめていた。遼南共和国ゴンザレス大統領の腹心中の腹心であり、その残忍な作戦行動から王党派や人民軍を恐れさせた非情の指揮官。
「そして非正規戦闘部隊の通称バレンシア機関のトップでもある男ですな」 
 嵯峨の言葉は衝撃的だった。バレンシア機関。実在さえ疑われているゴンザレス大統領の私兵。不穏分子の抹殺や外国人ジャーナリストの拉致などを行っているとされる特殊部隊である。その過激な活動に、資源輸出条約の締結のために訪問したヨーロッパ代表使節団が各方面からの圧力に負けてその存在の確認を求めた時、彼等の面前でゴンザレス大統領は『そのような機関はわが国には存在しない』と明言した暗殺組織。
「あちらも本気。こちらも本気。まああれですな、根競べですよ」 
 そう言うと嵯峨は味噌汁を飲み干した。
「やはりこちらの行動はある程度予測してますか」 
 嵯峨は画面の共和軍の陣形を見てそう言うと皮肉めいた笑みを浮かべる。現在を表す地図には、彼の部隊の侵攻している廃村を示す星に向かい、エスコバル貴下の部隊が進撃を開始していた。
「やばいなあ」 
 そう言ってタバコをもみ消す嵯峨。クリスはその規模が中隊規模であることを確認しながら不思議に思った。クリスが言葉を挟む前にすでに嵯峨はクリスの言葉を読んだように口を開いた。
「勝てないことは無いですよ。まあ、間違いなくうちの馬鹿共が勝つでしょう。でもそこから先が問題なんだよね」 
 またタバコに手を伸ばし火をつける。
「がら空きの拠点を取るのに消耗は避けたいという訳ですか」 
「まあね。それに部下が死ぬのは散々経験しましたが、どうにも慣れなくてね」 
 嵯峨はそう言うと携帯端末を閉じた。クリスも立ち上がる。風が止み、高地独特の突く様な強い日差しが気になる。
「まあ、こっちはこれくらいにして援護に回りますか」 
 そのままタバコをくわえて伸びをする嵯峨。彼は四式の陰に向かって歩き始めた。
「さすがに日差しは堪えるねえ、帽垂でもつけるかな」 
 そんな言葉を言いながら準備が出来たクリスと共に四式のコックピットに乗り込んだ嵯峨。
「しかし、ここからだとかなり距離がありますよ。低空飛行で行くんですか?」 
「さすがにあれだけ派手にやったんだ、東和の戦闘機が警戒飛行しているでしょう。まあ少し時間は食いますが、ホバリングでもなんとか間に合うはずですから」 
 そう言うとアイドリング状態だった四式のエンジンを本格始動させる。パルス推進機関の立てる甲高い振動音がクリスの耳を襲った。嵯峨はてきぱきとサバイバルキットを片付ける、コンロも風除けのアルミのついたても彼の手にかかれば瞬時に解体されてバックパックの中にきちんと入る大きさにまとまった。その几帳面に見える一連の作業にあの混沌と言う言葉を絵に書いたような嵯峨の執務室の有様は想像がつかない。
「こう言うのは軽いのが一番ですよ」
 サバイバルキットを手に嵯峨はかがみこむようなスタイルの四式の手のひらに登る。クリスもそれに続いてそのままコックピットに転がり込んだ。
「それじゃあ行きますか」 
 クリスがシートベルトをしたのを確認すると嵯峨は加速をかけた。森が続く。針葉樹の巨木の森が。嵯峨は器用にその間を抜いて四式を進める。
「まるでこういう土地で戦うことを前提にして造られたみたいですね」 
「そうなんじゃないですか?少なくとも四式はこういう使い方が向いていますよ」 
 嵯峨は軽口を言いながらさらに機体を加速させた。


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