「ほんじゃあ明華によろしく!」 嵯峨はスピーカーを通して叫んだ。キーラ達がハンガーで手を振るのに見送られて黒い四式はゆっくりと格納庫を出る。 「それじゃあ行きますか!」 格納庫の前の広場に出ると嵯峨はパルスエンジンを始動した。小刻みに機体が震えるパルスエンジン特有の振動。クリスはその振動に胃の中のものが刺激されて上がってこようとするのを感じていた。そして独特の軽い起動音。四式はパルスエンジンの反重力作用で空中に浮かんだ。 「いいんですか?東和の飛行禁止空域じゃないですか、ここは」 「大丈夫でしょ。まあそれほど高く飛ぶつもりは無いですから」 そう嵯峨が言うと村の上空に浮き上がった機体は加速を開始した。針葉樹の森の上ぎりぎりに飛ぶ黒い機体。朝日を浴びている森の上の空を進む。 「レイザードフラッグもきっちり作動してるねえ。さすが明華の仕事には隙が無いや」 クリスが上を見ると、日本の戦国時代の武将よろしく、笹に竜胆の嵯峨家の紋章を記した旗指物がたなびいているような光景が写った。 「これは目立つんではないですか?」 心配そうに口を出したクリスを振り向いて余裕の笑みを浮かべる嵯峨。 「良い読みですね、それは。もっとも、目立つんじゃなくて目立たせているんですけどね」 そう言うと嵯峨はそのまま峠ではなく目の前の南兼山脈に進路を取った。 「そちらは共和軍の勢力下じゃないですか!」 驚いて前に顔を出そうとするクリスだがシートベルトに阻まれて止まる。そんな彼を楽しんでいるかのように嵯峨が振り返る。 「そうですよ……言ってませんでしたけっけ?」 「聞いてませんよ」 淡々と嵯峨は機体を加速させる。彼が無線のチャンネルをいじると、共和軍の通信が入ってきた。 『未確認機!当基地に向け進行中!数は一!』 『無人偵察機!上げろ!前線には対空戦闘用意を通達!』 共和軍の通信が立て続けに響く。まるでそれを楽しむように笑顔でクリスを見つめた後、嵯峨は肩を揉みながら操縦棹を握りなおす。 「さあて、共和軍の皆さんには心躍るような挨拶ができそうだねえ。そこでアメリカさんはどう動くか」 前の座席の嵯峨の表情は後部座席のクリスには読み取れない。だがこんなことを言い出す嵯峨が満面の笑みを浮かべていることは容易に想像できた。 「遊撃任務ですか。それにしてもわざわざ司令官自身がやる仕事ではないんじゃないですか?」 そんなクリスの言葉にまた振り返ろうとする嵯峨だがさすがに冷や汗をかいているクリスを見ると気を使おうと思い直したように正面を向き直る。 「陽動ってのは引き際が難しいんですよ。うちの連中は勝ち目の無い戦いをしたことがないですからねえ。下手をすれば相手に裏をかかれて壊滅なんていうのも……困るんでね。そこは勝ち目の無い、と言うより勝つ必要の無い戦いの経験者がお手本を見せるが当然でしょ?」 そう言うと嵯峨はさらに機体を加速させた。Gがかかり、さらにクリスの胃袋は限界に近づいていた。 「熱源接近中……なんだ、無人機じゃねえか」 そう言うと嵯峨は四式の左腕に固定されたレールガンを放つ。視界に点のように見えた無人偵察機が瞬時に火を噴くのが見える。クリスを驚かせた嵯峨の素早いすべてマニュアルでの照準と狙撃。 「この距離で狙撃用プログラムも無しでよく当てられますね」 「まあ、俺もこの業界長いですからねえ。慣れって奴ですよ。まあ次は有人機をあげてくるかな?ここの近辺だと配備中は97式改ってところですかね」 嵯峨はそう言うとそのまま機体を空中で停止させた。きっと不敵な笑みでも浮かべているのだろう。後部座席で嵯峨の表情を推察するクリス。そして自分に恐怖の感情が起きていることに気付いた。 「大丈夫なんですか?相手も有人機なら対応を……」 「97式はミドルレンジでの運用を重視する先の大戦時の胡州の機体ですよ。多少の改造やシステムのバージョンアップがあったとしても設計思想を越えた戦いをするほど共和軍も馬鹿じゃないでしょ?真下にはいないのは確認済みですからそれなりに距離を詰めてから攻撃してきますよ」 そう言うと嵯峨は操縦棹から手を離し、胸のポケットからタバコを取り出す。 「すいませんねえ。ちょっと気分転換を」 クリスの返そうとする言葉よりも早く、嵯峨はタバコに火をつけていた。 「さてと、97式改では接近する前に叩かれる。となると北兼台地の基地から虎の子の米軍の供与品のM5を持ち出すか、それともアメちゃんに土下座して最新鋭のM7の出動をお願いするか……どうしますかねえ」 嵯峨はタバコをふかしながら正面にあるだろう敵基地の方角に目を向けていた。 「北兼台地に向かった本隊の負担を軽くするための陽動ですか。しかし、そんなに簡単に引っかかりますか?」 クリスは煙を避けながら皮肉をこめてそう言った。だが、振り返った嵯峨の口元には余裕のある笑みが浮かんでいる。 「共和国第五軍指揮官のバルガス・エスコバルという男。中々喰えない人物だと言う話ですがねえ。共和軍にしては使える人物らしいですがどうにもプライドが高いのが玉に瑕って話を聞きかじりまして。簡単にアメちゃんに頭を下げるなんて言う真似はしないでしょうね」 「なぜそう言いきれるんですか?」 タバコを備え付けの灰皿で押し消した嵯峨クリスは自分の声が震えているのを押し隠そうとしながらそう尋ねた。 「だから言ったじゃないですか。プライドが高いのが玉に瑕だって。それに今の状況はアメリカ軍にも筒抜けでしょうからどう動いてくるか……さてエスコバル君。このまま俺がのんびりタバコ吸ってるのを見逃したらアメリカさんも動き出しちゃうよー!」 ふざけたような嵯峨の言葉。だが確かに制圧下にある地域で堂々と破壊活動を展開する嵯峨の行動を見逃すほどどちらも心が広くは無いことはわかる。だが一度に襲い掛かられれば旧式の四式では対抗できるはずも無い。 「同時に出てきたら袋叩きじゃないですか!」 状況を楽しんでいる嵯峨にクリスが悲鳴で答える。しかし、振り向いた嵯峨の顔には相変わらず状況を楽しんでいるかのような笑みが浮かんでいる。 「そうはならないでしょ。少なくとも俺が知っている範囲での俺についての情報。まあ色々とまああることあること書いてくれちゃって……。俺も数えていない撃墜数とか出撃回数とかご丁寧に……どこで調べたのかって聞きたいくらいですよ。エスコバルの旦那も俺の相手が務まるパイロットを見繕ってくれるとなると慎重になるでしょうね。アメちゃんも今年は中間選挙の年だ。無理をするつもりは無いでしょう」 そう言うと嵯峨はそのまま機体を針葉樹の森に沈めた。 「あなたは何者なんですか?一人のエースが戦況をひっくり返せる時代じゃないでしょ!」 嵯峨の自信過剰ともいえる言葉に悲鳴を上げるクリス。振り返った嵯峨の笑みに狂気のようなものを感じて口をつぐむ自分を見つけて背筋が凍った。しかし、その狂気は気のせいかと思うほどに瞬時に消えた。そこにいるのは気の抜けたビールのような表情をした人民軍の青年士官だった。 「まあねえ……それが正論なんですが……それにしても出てこないねえ。こりゃあ上で揉めてるなあ。仕方ない、こっちから遊びに行ってやるか」 各種センサーに反応が無いのを確認すると軽くパルスエンジンを始動させて森の中をすべるように機体をホバリングさせて進む。嵯峨惟基は百戦錬磨のパイロットでもある。それくらいの知識は持っていたクリスだが、巨木の並ぶ高地を滑るように機体を操る嵯峨の腕前には感心するばかりだった。進路は常にジグザグであり、予想もしないところでターンをして見せた。 「そこ!砲兵陣地ですよ!」 クリスが朝日を受けて光る土嚢の後ろに砲身を見つけて叫ぶ。しかし、嵯峨は無視して進む。自走砲、と観測用のアンテナが見える設営されたばかりのテント。嵯峨の四式はあざ笑うかのようにその間をすり抜けて進む。 「なかなか面白いでしょ」 嵯峨は完全に相手を舐めきったかのように敵陣を疾走する。 「後ろ!アサルト・モジュール!」 クリスの言葉は意味が無かった。嵯峨の操る四式の左腕のレールガンの照準がすでに定まっていた。レールガンの連射に二機の97式改は何も出来ずに爆風に巻き込まれた。 「さあて、エスコバル大佐。ちょっとはまともな抵抗してみてくださいよ」 嵯峨の言葉はまるで遊んでいる子供だった。共和軍は焦ったように戦闘ヘリを上げてきた。嵯峨はまるで相手にするそぶりを見せずに基地のバリケードを蹴り飛ばした。 「任務ご苦労さん」 そう言うと右腕に装着されたグレネードを発射する。敵前線基地の施設が火に包まれていった。 「やりすぎではないんですか?」 前進に火が付いて転げまわる敵兵が視線に入る。クリスはこの狂気の持ち主である嵯峨に恐れを抱きつつそう聞いた。 「なに、条約違反は一つもしてませんよ。戦争ってのはこんなもんでしょ?従軍記者が長いホプキンスさんはそのことを良くご存知のはずだ」 そう言うと嵯峨はきびすを返して森の中に向かう。重火器を破壊された共和軍は小銃でも拳銃でもマシンガンでも、手持ちの火器すべてを嵯峨の四式に浴びせかけた。嵯峨はただそんな攻撃などを無視して元来た道を帰り始めた。 「まずはこんなものかなあ」 対アサルト・モジュール装備を一通り潰し終えた嵯峨は吸っていたタバコをコンソール横の取ってつけたような灰皿に押し付けると森から機体を浮き上がらせた。クリスはそこで先ほどまで押さえてきた吐き気が限界に近づいてきたのを感じていた。 「ちょっといいですか?」 「吐かないでくださいよ!今からちょっと寄り道しますから」 相変わらずあざ笑うような顔の嵯峨。彼の言葉に従うように機体を北へ転進させる。クリスに気を使っているのか、緩やかな加速で胃の中のものの逆流は少し止まりクリスはほっと息をついた。 「前衛部隊は峠に差し掛かった頃じゃないですか?」 吐き気をごまかすためにクリスはそう言った。 「まあ、そんなものでしょうね。ですが、あそこの峠は峻険で知られたところでしてね。確実な前進を指示してありますから全部隊が越えるには一日はかかるでしょう」 嵯峨はそう言うと再び振り向く。うっそうと茂る森を黒い四式が滑っていく。向かっている先には北兼の都市、兼天があるはずだとクリスにもわかった。北兼軍閥の支配地域。目を向けた先にはそれほど高い建物は無いものの、典型的な田舎町が広がっていた。 視線を下ろせば畑の中に瓦葺の屋根が並び、その間を舗装された道路が走っている。 「北兼軍総司令部に戻るんですか?」 「いやいや、そんなことで紅茶オバサンとご対面したら『何やってるんだ!』ってどやされるのがおちですから弾薬補給したらまた動きますよ」 そう言うと嵯峨は機体を急降下させた。 「嵯峨機!進路の指定を……!嵯峨機!」 管制官の叫び声を無視して強行着陸を行う嵯峨。着いたのは兼天基地。『魔女機甲隊』と呼ばれる周香麗准将率いる北兼軍閥最強の部隊が後衛基地として運用している土地だった。 「やはりこっちは物資も豊富だねえ」 嵯峨は説得をあきらめた管制官から誘導を引き継いだ基地の誘導員にコントロールを任せながらつぶやいた。 「あれはM5じゃないですか?」 片腕が切り落とされ、コックピット周りに被弾したM5がトレーラーに乗せられて運ばれていくのが見える。 「アサルト・モジュールは貴重だからね。回収したんでしょう。それにしても贅沢な戦争してるよなあ、周のお嬢様の部下達は」 たしかに整備された管制塔付きの基地。どちらが軍閥の長かわからない有様だ。そんな基地を誘導されるまま倉庫に向かう嵯峨の四式。修理を終え、前線に送られる胡州の輸出用アサルト・モジュールの一式が並んでいる。几帳面に並べられたミサイルやレールガンの数は嵯峨の貴下の部隊の比ではない。 「嵯峨中佐。補給ですか?」 モニターに映し出されたのはプラチナブロンドの女性オペレーター。たぶん彼女もセニア達と同じ人造人間なのだろう。そのピンク色の髪に自分の表情が不自然になっているだろうと思うと自然とクリスには苦笑いが浮かんでいた。 「ああ、早くやってくれ。お客さんを待たすのは趣味じゃないからな」 そう言うと嵯峨は装甲版とコックピットハッチを跳ね上げた。北の遼北国境から吹きすさぶ冷たい風が心地よく流れ、クリスはそれまで耐え続けていた吐き気から解放されることになった。 「トイレ行っといたほうがいいですよ。ちょっと次に仕掛ける時は敵さんも腹をすえて来るでしょうから」 どこまでも舗装された基地の中央に着地して平然とそういいながら誘導員の指示でコックピットから降りた嵯峨。そのタラップのそばに秘書官らしい青い髪の女性を引き連れた女性士官が歩み寄ってきた。黒い髪が流れるように強風の中たなびいている。肩の階級章を見れば金のモールがついている。将軍クラスの階級であることはすぐにわかった。 「惟基!何のつもりでこんなところに来たの!」 表情は怒ってはいない、むしろ感情をかみ殺したような無表情を浮かべている。周香麗准将。現在は北兼軍閥の総司令官に君臨する彼女は、元はこの崑崙大陸北部を領有する遼北人民共和国人民軍第二親衛軍団司令官であった。遼北の政府における権力闘争で父、周喬夷軍務長官が事実上の幽閉状態に陥ると部下を伴ってこの北兼軍閥への亡命を求めた。 周喬夷は本名がムジャンタ・シャザーン。遼南帝国女帝ムジャンタ・ラスバの次男であり、嵯峨惟基にとっては叔父に当たる人物である。ある意味、目の前で雑談している二人が妙になじんだ様子なのも従兄妹同士ということもあるのだろうとクリスは思った。 「タバコが吸いたくてね。ホプキンスさんはタバコをやらないから機内じゃあ吸えないじゃないの。それに香麗にも紹介しておいた方が……」 「まあいいわ。どうせあなたに何を言っても聞かないでしょうから」 「いやあ、そんなつもりは無いんだけどね」 そう言うと嵯峨は胸のポケットからタバコを取り出そうとする。 「基地内は禁煙よ。ちゃんと喫煙所で吸いなさい」 「硬いこと言うなよ」 「それが組織と言うものです!」 ようやく怒りが香麗の表情に浮かんできた。嵯峨はタバコをあきらめるとそのまま補給が始められた愛機の方に歩き出した。 「あの……トイレは?」 クリスの質問に指で答える香麗。クリスはそのまま彼女の指差した方に駆け出した。明らかに嵯峨の連れてきた怪しいジャーナリストには係わり合いになりたくない。お高くとまったようなきつい表情は噂どおりだった。 周香麗はアサルト・モジュールパイロットとしては天才と評される人物だった。先の大戦時、胡州の勢力化である濃州アステロイドベルトの戦いで宇宙艦隊の半数を失って遼州、崑崙大陸北部に押し込められた遼北は英雄を必要としていた。 それが彼女率いる『魔女機甲隊』だった。第二次世界大戦におけるロシア空軍の『魔女飛行隊』から取ったその異名は、エースの香麗の活躍で遼州にその名を轟かせた。戦後、接収した人造人間製造プラントで造られた人造人間達がこの部隊に参加し、一個師団規模に拡大され、遼北を代表する部隊となった。 しかし、遼北で唐俊烈国家主席と父である周喬夷との軋轢が生まれると、その勇名は仇となった。解散、そして幹部の粛清が行われるとの噂に、香麗は部下たちの安全を図るために従兄の嵯峨がいる遼南に亡命を決意した。そうして北兼軍閥は人民軍、共和軍、花山院軍閥、南都軍閥、そして東モスレムと言った割拠する軍閥に伍する地位を得ることとなった。 女性指揮官の厳しい視線から逃れて走り去ったクリスの前に立派過ぎるアサルト・モジュール専用のハンガーには大きな入り口の女子トイレと、申し訳程度の男子トイレがあった。クリスは用を済ませるとそのまま辺りを見回してみた。パイロットスーツを着ているのは例外なく女性パイロット達であった。たまに整備隊員や連絡将校などに男性がいるものの彼らは非常に居づらそうにしている。クリスもまたそそくさと嵯峨の四式の前まで来た。 「惟基ならタバコを吸いに行ったわよ」 香麗はベンチに腰をかけていた。その前にはテーブルが置かれ、従卒の長身の女性将校に紅茶を入れさせていた。 「まあ、おかけになったらどう?今の情勢をアメリカ人記者がどう見ているか意見も聞きたいですし」 静かに紅茶の匂いを嗅ぎながら切れ長の目から鋭い視線がクリスに伸びる。 「そんな、私の意見が合衆国の意見だとは……」 「そういうことでは無いのよ。あなたのこれまで遼州を取材した感想を聞きたいわけ。ああ、紅茶はお飲みになる?」 「いえ、結構です」 残念そうな顔をしながら紅茶を入れていた赤い髪の将校を下がらせた。 「それは好奇心、ですか?」 「そうとも言えるし、そうでないとも……。見たでしょ?惟基の部隊の様子は」 無表情に見えた香麗がようやく笑みをこぼした。きついイメージの美女と言う感じが少し抜けてきた。 「まあ、かなり変わった人ですね、嵯峨中佐は。あの人は外務武官や憲兵隊などの後方任務上がりなのにまったく規律と言うものを気にしていないのは興味深かったですね」 「確かにそうかも知れないわね。一応あれでも私の従兄だから、子供の頃一回だけ会ったことがあるのよ。あの頃は惟基は遼南帝国の次期皇帝。おどおどしたひ弱な感じの子供ではじめてみた時はまるで女の子みたいと思ったわよ」 「あの人がですか?」 クリスは意外に思った。どちらかといえば嵯峨は下品な行動が目立つ人物であることは一日彼の近くにいればわかる。 「青白い顔をして、大人の顔色ばかり窺っている変な子供。でも話してみて彼がそうなった理由もわかったわ。生まれて初めて会った同じくらいの年の子供が私だったんですって。確か私は十歳くらい……彼は二歳上よね。弟のバスパにも会うことを許されず、一人で御所で勉強ばかりしてたって言ってたわ」 「青い顔でシャイな嵯峨中佐ですか。想像もつきませんね」 「でしょ?それで……」 「あのー。香麗さん。何話してるんですか?」 いつの間にか香麗の後ろに立っていた嵯峨が声をかけた。 「別にいいじゃないの。昔話よ」 香麗は微笑を浮かべながらそう言うと再び紅茶のカップを手に取った。 「それにしても立派なもんだねえ」 嵯峨は一糸乱れぬ更新を続ける前線に向かう歩兵部隊の行進を眺めていた。 「それ、皮肉?」 鋭い視線を投げる香麗。嵯峨は頭を掻きながらごまかそうとしていた。 「もうそろそろ終わらないかねえ、補給」 そう言いながら自然にタバコに手が伸びる嵯峨だが、香麗の鋭い視線に気付くと渋々手を引っ込ませる。 「なんならついでにそちらの連隊までの護衛もつけてあげましょうか?中佐殿」 紅茶を飲み終え立ち上がる香麗。嵯峨は走ってきた女性の整備員から伝票を受け取っていた。 「じゃあ、いずれこの借りは……」 「気にしなくていいわよ。いずれ倍にして返してもらうから」 そう言うと嵯峨は四式に向かって歩き始めた。 「紅茶勧められませんでした?」 嵯峨はコックピットに上るはしごに手をかけるとクリスにそう言った。 「ええ、それが何か?」 「いやあ、香麗のすることは誰でも同じだねえ。もう少しひねりが欲しいな」 そう言うと嵯峨はコックピットに座り込んだ。クリスもその後ろに座る。 「ちょっと荒い操縦になりますが勘弁してくださいよ」 そう言うと嵯峨はパルスエンジンに火を入れる。甲高いエンジン音が響く。そのままコックピットハッチと前部装甲版が降り、全周囲モニターが光りだす。 「さてと、お休みしてた間に敵さんはどう動いたかな?」 そう言うと嵯峨は機体を浮上させた。高度二百メートルぐらいの所で南方へ進路を取り機体を加速させる。明らかにはじめの出撃の時とは違い、重力制御コックピット特有のずれたような加速感が体を襲う。 「ちょっとここからは乱暴にしますから注意してくださいよ!」 そう言うと森林地帯に入った機体を森の木すれすれに疾走させる。迎撃するために出撃したらしい97式改が拡大されてモニターに映る。 「あらあら。結構てぐすね引いて待ってるじゃないの。まあ、星条旗の連中はお見えじゃないみたいだけどな」 そう言うと嵯峨は朝とは違い狙撃することなく、機体を森の中に降下させ、そのままホバリングで敵部隊へと突入していった。距離を取るだろうと思っていた黒い敵機の突然の加速に驚いたように97式改は棒立ちになる。 「なっちゃいねえ。まったくなっちゃいねえな!」 突然の黒い機体の襲撃に耐えられないというように寄り合う敵97式改に、嵯峨は容赦なく弾丸を浴びせる。次々と火を噴く敵。眼下には恐怖し逃げ惑う敵兵が見える。 「なんだよ……逃げるの?もうちょっと踊ってくれないとつまらねえな」 嵯峨はわざと敵のミサイル基地の上空に滞空する。当然のように発射されるミサイル。それを紙一重でかわすと、ミサイル基地に四式の固定武装であるヒートサーベルをお見舞いする。ミサイルを乗せた車両が一刀両断される。担当の敵兵は泣き叫びながら爆発から逃れようと走り始める。 「これじゃあまるで弱いもの虐めだ。感心しないねえ」 そう言うとミサイル基地の司令部があると思われるテントに榴弾を打ち込む。火に包まれる敵陣地。そこで急に嵯峨は機体を上空に跳ね上げる。徹甲弾の低い弾道が、かつて嵯峨の機体があった地点を低進してバリケードを打ち抜く。 「いつまでも同じ場所にいる?そんなアマチュアじゃないんだよ!」 嵯峨はすぐさま森の中にレールガンを撃ち込んだ。三箇所でアサルト・モジュールのエンジンの爆発と思われる炎が上がる。 「まあ、こんなものかね」 クリスはこの戦闘の間、ただ黙ってその有様を見つめていた。共和軍の錬度は高いものでは無いことは知られている。特にこうして最前線の穴埋めに回されてきているのは親共和軍の軍閥の予備部隊か、金で雇われた傭兵達である。一方、嵯峨は先の大戦で相対した遼北機動部隊から『黒死病』と異名をとったエースの中のエースである。はじめから勝負は見えていた。 「確かにこれは弱いものいじめ、もっと悪意を込めて言えば虐殺ですね」 皮肉をこめてクリスがそう言う。嵯峨は振り返った。その狂気と獣性をはらんでいるような鈍く光る瞳を見て、クリスは背中に寒いものが走るのがわかった。 「そう言えば腹、減ったんじゃないですか?」 不意に嵯峨がそんなことを口にする。敵前衛部隊は嵯峨一機の働きで壊滅していた。反撃する気力すらこの前線部隊の指揮官達には残っていないことだろう。 「まあ、すこしは……」 「敵支援部隊が到着するまで時間がありそうですから、そこの小山の下でレーションでも食べますか」 そう言うと嵯峨はそのまま先ほど徹底的に叩きのめしたミサイル基地の隣の台地に機体を着陸させた。
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