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作品名:遼州戦記 墓守の少女 作者:橋本 直

第6回   従軍記者の日記 6
 出撃の朝の緊張感は、どこの軍隊でも変わりはしない。昨日まで野球に興じたり山岳部族の子供達と戯れていた兵士達の様子は一変し、緊張した面持ちで整列して装備の確認をしているのが窓から見える。クリスは表で爆音を立てているホバーのエンジンのリズムに合わせて剃刀で髭を剃っていた。
「別にデートに行くわけじゃないんだ。そんな丹念に剃ること無いじゃないか」 
 ベッドに腰掛けたハワードはカメラの準備に余念が無い。
「一応、北兼軍閥の最高指導者の機体に乗せていただけるんだ。それなりの気遣いと言うものも必要だろ?」 
 口元に残った髭をそり落とすと、そのまま洗面器に剃刀を泳がせる。大きな音がして建物が揺れるのは大型ホバーが格納庫の扉にでもぶつかったのだろう。罵声と警笛が響き渡り戦場の後方に自分はいるんだという意識がクリスにも伝わってくる。そんなクリスにハワードが整備が終わったカメラのレンズを向けた。
「確かにそうかもしれないがな。それより大丈夫なのか?四式は駆動部分や推進機関のパルス波動エンジンは最新のものに換装してあるって話だぞ。あんな時代遅れの機体に最新の運動システムが付いていけると思うのか?それに重力制御式コックピットの世代は二世代も前のを使っているって話だ。Gだって半端じゃないはずだろ」
 鏡をのぞきながら剃り跡を見ていたクリスだが、そうハワードから言われると仕方ないというように頭を掻きながら相棒の方を振り向く。 
「なに、私もM3くらいなら操縦したことがあるからな。それに今回は後部座席で見物するだけだ。大して問題にはならないよ」 
 そう言うとクリスは足元に置いておいた戦場でいつも身につけているケプラー防弾板の入ったベストを着込んだ。そして、出かけようという時、ノックする音に気づいた。
「どうぞ!」 
 迷彩のカバーにピースマークをペンで書き込んだヘルメットを被るクリス。ドアが開く。そこにはクリスの見たことの無い戦闘帽を被った嵯峨が立っていた。
「すいませんねえ、早く起こしちまって。朝食でも食べながら話しましょうや」 
 何かをたくらんでいそうな笑みを浮かべた嵯峨に、クリスはハワードと顔を見合わせた。
「ええ、まあよろしくお願いします」 
 断るわけにも行かない。そう思いながらクリスはそのまま歩き出した嵯峨に続いた。嵯峨が着ている昨日と同じ半袖の軍服は人民軍の夏季戦闘服である。そして足首にはゲートルが巻かれ、黒い足袋に雪駄を履いていた。その奇妙な格好にハワードは手にしていた小型カメラのフラッシュを焚く。嵯峨はそれを咎めもせず、そのまま立て付けの悪い引き戸を開いて食堂に入った。
「食事があるってのはいいものっすねえ」 
 そう言うと嵯峨は周りの隊員達を見回す。食堂にたむろしているのはまだ出番の来ない補給担当の隊員達だった。その体臭として染み付いたガンオイルのよどんだ匂いが部屋に充満している。兵士達は攻撃部隊が出撃中だというのに大笑いをしながら入ってきたクリス達を見ようともせず食事を続けている。
「俺と同じのあと二つ」 
 カウンターに顔を突っ込むと嵯峨は太った炊事担当者に声をかけた。嵯峨の顔を見ても特に気にする様子も無く淡々と鍋にうどんを放り込む料理担当兵。
「そう言えば嵯峨中佐は前の大戦では遼南戦線にいたそうですね」 
 クリスの言葉に嵯峨の表情に曇りが入った。だが、カレーうどんが大盛りになったトレーを受け取った頃にはその曇りは消えて、人を食ったような笑顔が再び戻ってきていた。
「そうですよ。ありゃあ酷い戦場だったねえ」 
 そう言いながらテーブルの上のやかんに手を伸ばすと、近くに置いてあった湯飲みにほうじ茶を注いだ。聞かれることを判っている、何度と無く聞かれて飽きたとでも言いたいような表情。嵯峨の大げさな言葉とは裏腹に目は死んだように見える。それを見てクリスは少しばかり自分が失敗したことに気付いていた。
「ここから三百キロくらい西に新詠という町がありましてね。そこで編成した私の連隊の構成員は千二百八十六名。うち終戦まで生きていたのが二十六名ってありさまですからね」 
 圧倒的な遼北の物量を前に、敗走していく胡州の兵士の写真はクリスも何度も見ていた。胡州から仕掛けた戦いだった遼南戦線は見通しの甘さと胡州の疲弊振りを銀河に知らしめるだけの戦いだった。
 初期の時点でアサルト・モジュールなどの機動兵器の不足がまず胡州の作戦本部の意図を裏切ることになった。作戦立案時の三分の一の数のアサルト・モジュールはほとんどが旧式化していた九七式だった。その紙の様な装甲で動きは鈍いが重武装で知られるロシア製のアサルト・モジュールをそろえていた遼北軍を相手にするのははじめから無理な話だった。すぐに遼北の要請で駆けつけた西モスレムの機動部隊は胡州・遼南同盟軍の横腹に襲い掛かり、宇宙へ上がる基地はアサルト・モジュールを使った大規模な電撃戦で瞬時に陥落した。
 彼らが無事に胡州の勢力圏へと帰ろうと思えば、遼南帝国ムジャンタ・ムスガ帝を退位に追い込んだ米軍とゴンザレス政権同盟軍への投降以外に手はなかった。遼北による捕虜の非道な扱いの噂は戦場に鳴り響いており、反枢軸レジスタンス勢力による敗残兵狩りは凄惨を極めていた。さらにそんな彼らの前に延々数千キロにわたって続く熱帯雨林が立ちはだかった。指揮命令系統はずたずたにされ、補給など当てに出来ない泥沼の中、彼らは南に向かって敗走を続けた。
 嵯峨の指揮していた下河内混成特機連隊も例外ではなかった。彼らは殿として脱落兵を拾いながら南を目指した。当時の胡州陸軍部隊の敗走する姿は胡州軍に投降を呼びかけるビラを作成する為、民間人を装い彼らに近づいた地球側の特殊潜行部隊に撮影されていた。
 兵士の多くが痩せこけた頬とぎらぎらした眼光で弾が尽きて槍の代わりにしかならないだろう自動小銃を構えて膝まで泥につかり歩いている。その後ろには瀕死の戦友を担架に乗せて疲れたように進む衛生兵。宇宙に人類が進出したと言うのにそこにあるのは昔ながらの敗残兵の姿だった。
 文献を見ても蚊を媒介とする熱病が流行し、生水を飲んだものは激しい下痢で体力を失い倒れていったと言う記述ばかりが目立つ戦いだったと言う。住民は遼北、アメリカの工作員が指導したゲリラとして彼らに襲い掛かるため昼間はジャングルの奥で動くことも出来ずに、重症の患者を連れて行くかどうかを迷う指揮官が多かったと伝えられている。置いていくとなると負傷者には一発の拳銃弾と拳銃が手渡されたと言う。
 その地獄から帰還した歴戦の指揮官。しかし、そんな面影など今目の前でカレーうどんを食べ続けている嵯峨には見て取ることができなかった。貴族上がりとも思いがたいずるずると音を立てて勢い良くうどんをすすりこむ。
「食べないんですか?」 
 嵯峨はそう言ってクリスとハワードを眺めるが、すぐに切り替えたようにうどんにカレーの汁をなじませながら二人の前のうどんを見ている。
「いえ、やはりあなたでも昔のことを思い出すんですね」 
 クリスの言葉に一度にやりと笑ってからどんぶりに箸を向ける嵯峨。その表情がゆがんだ笑みに満たされているのが奇妙でそして悲しくもあるようにクリスには見えた。
「まあ、私も人間ですから。思い出すことだってありますよ。ここの土地には因縁がある。特に私には特別でね」 
 そう言うと今度は隣のサラダを口に掻きこみ始める。クリスもそれにあわせて慣れない箸でうどんを口に運んだ。
「ああ、そう言えば攻略地点を知らせてなかったですね」 
 呆れるようなスピードで隊長特権らしいサラダを口に掻き込んだ嵯峨はそう切り出した。ぼんやりしていたクリスを見てため息をついた嵯峨は胡州の最上流の貴族の出だと言うのにまるで餌のようにサラダを食い尽くした。
「攻略と言うか、上手くいけば戦闘をせずに行けるところなんですがね。この夷泉の南にある兼行峠の向こう側に村が一つあるんですよ」 
 嵯峨は落ち着いたというようにほうじ茶に手を伸ばす。細かい地名を図も無く教えられてぼんやりと話を聞くことしか出来ないクリスとハワード。そんな彼等を気にする様子も無く嵯峨は言葉を続ける。
「まあ、かなり前に廃村になっているんですが、そこならこれから先の北兼台地の鉱山施設制圧作戦の拠点になると思いましてね」 
 そのままほうじ茶を一息で飲み干す嵯峨。クリスもハワードもまだカレーうどんを半分以上残していた。
「そこを橋頭堡にするわけですね」 
 クリスの言葉を聞くと嵯峨は胸のポケットに入れたタバコの箱を取り出し、手の中でくるくると回して見せた。
「まあそう言うことです」 
 嵯峨の頭が食堂の入り口に向いた。クリスが振り向くとそこには先日会議室で見た胡州浪人に見える眼鏡をかけた士官がヘルメットを抱えて立っていた。
「遠藤!ちょっと待ってろ。ハワードさん、ドライバーが来ましたよ」 
 遠藤と呼ばれた少尉はハワードの隣までやってくると敬礼した。いかにもギクシャクとした態度、胡州で訓練を受けた士官らしく視線は厳しい。
「ハワード・バスさんですね。第一機械化中隊の遠藤明少尉と言います」 
 ハワードを見上げる青年に握手を求めて手を伸ばす。遠藤はぎこちなく大きなハワードの手を握り返すとようやく笑みを浮かべた。
「ずいぶんとお若い方ですね。出身は胡州ですか?」 
 流暢なハワードの日本語に戸惑ったような表情を浮かべた後、遠藤と言う士官は首を横に振った。
「いえ、遼南ですよ。北兼軍閥の生え抜きですから」 
 頷きながらハワードは椅子に腰掛ける。そしてそのままクリスよりも上手く箸を使ってうどんを食べていく。遠藤はそのままハワードの脇に立ってその様子をじっと眺めていた。
「おいおいおい。そんなに見つめたら食事が出来なくなるじゃないか。とりあえずこれでも飲め」 
 そう言うと嵯峨は遠藤にほうじ茶を注いでやった。遠藤はそのままハワードの隣に座るとほうじ茶を口に含んだ。
「遠藤少尉。いい写真は撮れそうかね」 
 ハワードはサラダのトマトを口に入れながらそう尋ねる。
「それはどうでしょうか……それは私の仕事ではありませんから」 
 きっぱりとそう答える遠藤にハワードは手を広げて見せた。それを見て渋い顔をする嵯峨。
「うちの宣伝になるかもしれないんだぜ。もうちょっと色をつけた話でもしろよ」 
 嵯峨はそう言うとクリス達が食事を終えたのを確認した。嵯峨に向けられた目で合図されたと言うように少尉が立ち上がる。
「それじゃあ先に行ってるぜ」 
 ハワードはそう言うとジュラルミンのカメラケースを肩にかけて遠藤のあとを追って食堂を後にした。
「そう言えば嵯峨中佐は戦闘は無いようなことをおっしゃってましたね」 
 ほうじ茶を口に運びながらクリスはこの言葉に嵯峨がどう反応するのかを確かめようとした。
「そんなこと言ったっけかなあ。まあ、現状としてさっき言った目的地とその経路には敵影が無いのは事実ですがね」 
 嵯峨は笑いながら立ち上がる。そしてそのままタバコを口にくわえて手にしたトレーをカウンターに運んだ。
「戦場では希望的観測は命取りですから。まあ今のうちに楽観できるところはしておいた方がいいと言うのが私の持論ですので」 
 そう言うと嵯峨はおもちゃにしていた口のタバコにようやく火をつけた。
「それじゃあ行きましょうか?」 
 トレーを棚に置くとクリスを振り返った嵯峨がそういった。くわえるタバコの先がかすかに揺れていた。さすがにポーカーフェイスの嵯峨も緊張しているようにクリスには見えた。肩を何度か揉みながらクリスを引き連れて食堂を出た嵯峨。
 走り回る内勤隊員から邪険にされているのを気にするような嵯峨に連れられてクリスはそのまま駐屯地の広場に出た。出撃は続いており、偵察部隊と思われるバイクの集団が銃の点検を受けているところだった。
「俺の馬車馬ですが……結構狭いですけど大丈夫ですか?」 
 格納庫の前の扉で嵯峨が振り返る。それを合図にバイクに乗った隊員達が一斉にゲートのある南側に向けてアクセルを吹かして進む。
「まあ無理は覚悟の話ですから」 
 そう言うと嵯峨についていくクリス。さらにバイクの部隊のあとは掃討部隊と思われる四輪駆動車に重機関銃を載せた車列が出撃しようとしていた。
「かなり大規模な作戦になるようですね……ほぼ全部隊ですか?」 
 答えなど期待せずに嵯峨の表情を読もうとするクリス。
「そうですかねえ」 
 嵯峨ははぐらかすようにそう言うとハンガーの中に入った。すでに二式は全機出動が終わっていて奥の嵯峨の四式の周りに整備班員がたむろしているだけだった。
「間に合いましたね?」 
 その中に白い髪をなびかせるキーラがコックピットの中で作業をしている部下に指示を出している姿がクリスにも見えた。キーラはわざとクリスと目が合わないようにして嵯峨に声をかけてきた。
「誰に言ってるんだよ?キーラ。補助席の様子はどう?」 
「ばっちりですよ!元々コックピット内部の重力制御ユニットを搭載する予定の機体ですからスペースは結構ありましたから」 
 四式のコックピットから顔を出す少年技官から書類を受け取るとキーラが叫んだ。
「ほんじゃあよろしく」 
 そう言うと嵯峨は雪駄を履いたまま自分の愛機まで歩いていく。クリスは注意するべきなのか迷いながら彼に続いて階段を上った。
「予備部品どうしたんだ?」 
「こんなポンコツにそんなもの無いですよ。二式の部品を加工して充ててるんですから、注意して乗ってくださいね」 
 キーラはそう言うとコックピットの前の場所を嵯峨とクリスに譲った。中を覗きこむと全面のモニターがハンガーの中の光景を映し出しているのが見える。
「全周囲型モニターですか。こんなものは四式には……」 
「ああ、これは二式の予備パーツを改造して作ったんですよ。まあ明華は良い仕事してくれてますから」 
 嵯峨はそう言うとコックピットの前にある計器類を押し下げた。
「どうぞ、奥に」 
 嵯峨の好意に甘えて完全にとってつけたと判る席に体を押し込むクリス。嵯峨も遼州人としては大柄なので体を折り曲げるようにしてパイロットシートに身を沈める。
「御武運を!」 
 キーラの言葉を受けた嵯峨は手で軽く挨拶をした後、ハッチを下げ、装甲板を下ろした。モニターの輝きがはっきりとして周囲の景色が鮮やかに映し出される。そんな状況を楽しむかのように鼻歌を交えながら嵯峨はそのままシートベルトをつけた。
 クリスも頼りないシートベルトでほとんどスプリングもきいていない硬いシートに体を固定した。


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