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作品名:遼州戦記 墓守の少女 作者:橋本 直

第34回   従軍記者の日記 34
 散発的な銃声が響く北兼台地南部基地にクリスとシャムは降り立った。ムッとした南からの暖かく湿った風が二人の頬を撫でる。
「まだ続いているんだね、戦いは」 
 コックピットを開いて流れ込んでくる熱風に黒い民族衣装を翻すシャム。クリスは基地の中央で両手を頭の後ろに当ててひれ伏し、東モスレム三派の兵士に銃を向けられている共和軍の兵士達を眺めていた。
「手でも貸しましょうか?」 
 クロームナイトの足元で、タバコをくわえた嵯峨と、書類に目を通している隼の姿を見つけたクリスは首を振ってそのままシャムの後ろをついて機体を降りようとした。
「危ない!」 
 白い機体の腕から落ちそうになったシャムを書類を投げ捨てて支える伊藤。
「慌てても何にもならないぜ」 
 そう言って笑う嵯峨。
「まもなく我々の陸上部隊も到着します。今のところ組織的な抵抗は受けていませんよ」 
 伊藤はそう言うと散らかした書類を拾い始める。その姿を見て、三派の兵士達も飛んできた書類に集まってきた。
「エスコバルの旦那が死んだんだ。奴等も抵抗が無意味なことぐらいわかっているだろうにな」 
 タバコを投げ捨ててもみ消した嵯峨。その視線の先には炎上する町並みが見えた。ただ漫然と見つめる嵯峨。それをいぶかしむように伊藤は悲しげな表情でそれを見つめていた。
「そう簡単に戦争は終わるものじゃありませんよ。戦争は簡単に始まるが、終えるのにはそれなりの努力が必要になる」 
 クリスの言葉に振り返る嵯峨。一瞬、威圧的な色がその瞳に浮かんだが、すぐにそれはいつもの濁った瞳に変わった。
「確かにそうですねえ。あいつ等は三派に降伏したらイスラム教徒以外は殺されると吹き込まれているみたいですしね。そして俺達は単なる無頼の輩で人殺しを楽しみにしていると思ってるんだから……」 
 そう言いながら伊藤の方に目を向ける嵯峨。伊藤は自分の腕の政治将校を示すエンブレムを見て首をすくめた。
「隊長!」 
 ようやくたどり着いた二式を降りたセニアと御子神が駆けつけてきた。後ろからうなだれてくるレムとその肩を叩きながら声をかけるルーラ。
「飯岡は?」 
 その嵯峨の言葉に視線を落とすセニア。
「戦死しました。コックピットに直撃弾を受けましたから即死でしょう」 
 御子神の言葉に、嵯峨はそのままタバコを手に取った。
「何度聞いても慣れないな、戦死報告って奴は」 
 クリスはそのままうつむいて本部の建物に向かう指揮官に声をかけることができなかった。
 そのまま伊藤に案内されて嵯峨は基地の司令室に向かった。そんな三人を襲う死臭。クリスにもその原因はわかっていた。基地の一角を掘り起こしている三派の兵士は疫病予防のためにガスマスクを装着していた。
「ゲリラ狩りの被害者ですか」 
 思わずハンカチで口を押さえながらクリスが先を急ぐ嵯峨に尋ねた。
「まあそんなところでしょう。私も昔やりましたから」 
 そう言う嵯峨の目は笑ってはいなかった。クリスも笑えなかった。胡州軍の組織的ゲリラ討伐戦のプロ『人斬り新三』。嵯峨がその異名を持つことになったこともクリスは知っていた。階下から匂う死臭にハンカチで手を押さえながらそのまま司令部のドアを開いた。
 涼しい空調の効いた部屋にたどり着いて、ようやく三人は忌まわしい匂いから解放された。モニターはほとんどが銃で破壊され、処分が間に合わなかった書類の束が床に散乱している。それを抜けて嵯峨は先頭を切って階段をのぼる。時々、ターバンを巻いた三派の将校が嵯峨の襟の階級章を見て敬礼する。
 そのまま二階の廊下を突き当たり、歩哨の立っている司令室にたどり着く。
「嵯峨中佐ですね」 
 そう言うと浅黒い肌の歩哨が軽く扉をノックした。
「どうぞ!」 
 中で大声が響いた。嵯峨はためらうことなく扉を開いた。室内には窓から庭を見下ろしているグレーの髪の将官が立っていた。
「嵯峨惟基中佐、到着しました!」 
 直立不動の姿勢をとった嵯峨が敬礼をする。三派の指揮官と思しき男が振り返るのをクリスは眺めていた。東アジア系の顔立ちだが、クリスには髭が無いところから仏教徒か在地神信仰の遼州人か分からなかった。その眉間によせられた皺がその男の強靭な意志を示していた。
「東宮がそう簡単に臣下に敬礼などするものではありませんよ」 
 穏やかにそう言った男の顔眺めて、クリスはその人物のことを思い出した。
 花山院康永(かざんいんやすなが)中将。遼州東部の軍閥の首魁、花山院直永の腹違いの弟。そして嵯峨の実の弟に当たるムジャンタ・バスバ親王の忠臣として知られる猛将が穏やかに嵯峨を眺めていた。そしてその親王ムジャンタ・バスバを手にかけたのが嵯峨であることも誰もが知るところだった。
「なあに、今の俺はただの遼南人民軍の指揮官ですよ。さらに加えて言えば党のおぼえはきわめて悪い」
 そう言いながら隣の隼を見つめる嵯峨。伊藤は頭を掻きながら苦笑いを浮かべた。
「その主席が亡くなられたそうじゃないですか」 
 そう言う花山院の言葉にクリスは目をむいて青年指揮官を見た。嵯峨の表情には変化は無かった。隣の伊藤も動じる気配が無かった。
「その顔は知っていたとでも言うようですね。もしかして暗殺……」 
 花山院はそこまで言って言葉を飲み込んだ。嵯峨は腰の軍刀に手を伸ばしている。
「下手な推測はしないほうがいい。そう思いませんか?」 
 そう言うとにんまりと嵯峨は笑った。
「そう言うなら私は何も言わないことにしましょう。我々はこの基地を引き渡した後、再び東モスレム領内に後退する予定ですが、後退のルートはこちらの設定した順路でよろしいですか?」 
「こちらで指定できることではないんじゃないですか?現状としてアメリカを中心とした親共和軍勢力の多国籍軍の背後を取っている以上、いつ彼らの総攻撃を受けるかもわからないですから。最良の策をとるのが指揮官の仕事じゃないですか」 
 そう言うと嵯峨はポケットに手を伸ばした。花山院は机の上の灰皿を差し出した。それを受け取った嵯峨はタバコに火をつけてくつろぐ。
「それと残念なことですが、捕虜は引き渡していただきますよ」 
 タバコをくゆらす嵯峨の隣に立つ伊藤の言葉に花山院は顔をしかめた。
「そう言う顔をなさる気持ちもわかります。捕虜の共和軍兵士はおそらく懲罰大隊に編入されて督戦隊の射撃標的になるんでしょうから」 
 そう言う伊藤の言葉を飲み込んだと言うように頷きながら聞いた花山院は今度は嵯峨の顔を見た。
「うちはただでさえ上の評判が芳しくないですからね。残念だが」 
 花山院は今度はクリスを見つめてきた。ただ力の無い笑みを浮かべるクリスを見たところで花山院は机を激しく叩いた。
「彼らが何をしたと言うんですか!同じ遼南の民が何で!」 
 誰もが同じ思いだった。そしてそれがどうしようもないことであると言うことも皆がわかっていることだった。
「まあ気持ちも分かりますが……情報ついでに、現在共和軍の三個軍団が降伏を打診してきていましてね」 
 タバコの煙を吐き出す嵯峨。
「三個軍団!十万以上の兵力じゃないですか!あなた方は……」 
「まあうちは千人いないんでね。遼南軍ですから、飯がまずいとかうどんがかつお出汁だとか噂を流せば脱走してくれるんじゃないですか?」 
 そう言って笑う嵯峨。クリスも半分呆れながらその顔を見ていた。
「それでは後は任せましたよ」 
 そう言って逃げるように部屋を出て行く花山院。
「さてと」 
 そう言いながら司令室の椅子に身を沈める嵯峨。
「捕虜の武装解除は進んでるかねえ……」 
 端末を操作する嵯峨を呆れながら見つめるクリス。
「なんでそんなに余裕があるんですか?十万の捕虜を確保するなんて……」 
「ああ、無理ですね。まあ俺も予想はしてたので小麦粉の買占めと製麺工場の確保はしているんですけどね」 
 クリスの言葉にすぐに答えた嵯峨。
「俺が胡州軍の将校だったら穴を掘らせて機関銃でなぎ倒して片付けますがそうはいかないんでね。とりあえずうどんとそれを茹でる水の確保には気をつけますが」 
 そう言ってにやりと笑う嵯峨。確かにこの男が胡州軍の憲兵隊長ならばそれぐらいのことは平然とやるだろうとクリスにも想像できた。そして遼南軍の伝説を思い出した。彼等はいつもうどんを食べる。それがアフリカの砂漠や大麗のコロニー外の真空であろうが彼等は水をふんだんに使ってうどんを茹でる。もしその水がなければすぐに脱走を始めるのが遼南軍である。そんなことを考えているクリスをぼんやりと見つめる嵯峨。
「だが、俺は一応北兼軍閥の首魁と言うことで名が通ってる。それに近くに米軍等の地球勢力の大部隊が展開中なんでね、降伏部隊の掃討なんかをすれば米帝は撤兵を視野に遼北と交渉しているテーブルを蹴るのは間違いない」 
 嵯峨の不気味な笑みにクリスの目はひきつけられる。
「まあこれで北兼台地の制圧には時間がかかることになりそうだな」 
 頭を掻きながら嵯峨は端末に映っている白旗を掲げた共和軍基地の映像を眺めていた。
「まあじっくりとやりましょう。楠木さん達も動いているんじゃないですか?」 
 伊藤の言葉に嵯峨は眉をひそめる。
「あいつも胡州軍気質が抜けない奴だからな。指揮官を二三発ぶん殴るくらいはやるかも知れねえな」 
 慣れた手つきで葉巻の吸いがらが散らばる大き目のガラスの灰皿を取り上げてタバコの火を消す嵯峨。
「まあ手綱は締めとくさ」 
 はっきりとそう言うと嵯峨は再び取り出したタバコに火をつけた。
「それでは降伏部隊の……」 
 そう言って部屋を出ようとした伊藤だが、その正面には先ほど部屋を出たばかりの花山院が戻ってきていた。
「どう言うことだ!」 
 そう言って花山院は机を叩く。ただ呆然と嵯峨はその顔を見つめていた。
「そんな怒鳴られてもなにがなんだか……」 
「降伏した共和軍の河北師団が我々が迂回した米軍の通信基地を北兼軍の指示と言って攻撃したんだよ!」 
 唾を飛ばしながら怒鳴り散らす花山院。
「それで?」 
 まるで表情を変えることなく嵯峨はつぶやいた。
「守備兵力は50人前後だ。攻撃したのは一個師団1万五千だそうだ。それがわずかな兵の制圧射撃を浴びて攻撃部隊は驚いて壊走、我々の後方予備部隊を巻き込んで戦線が混乱している。それに乗じてアメリカ軍の部隊が逆侵攻を開始したそうだ!」 
 空気が一気に緊張した。クリスも伊藤の顔色が青ざめていくのがわかる。だが、嵯峨は達観したようにタバコをつまんでいた左手を灰皿に押し付けた。
「ようは降伏部隊に焼きを入れろってことですか?」 
 不敵な笑いを浮かべて立ち上がる嵯峨。
「ホプキンスさん。ちょっと用事ができましたんで……。そう言えば明日には西モスレムに発たれるんでしたよね」 
 そう言いながら嵯峨は人民軍の軍服の襟を直して見せる。
「はあ」 
 そう返事をするクリスに嵯峨はにやりと笑って見せた。
「まあ何とかしますよ。三派の人達には無事に東モスレムに帰ってもらいます。伊藤!そう言うわけでしばらくは留守にするから。楠木にはこう言う事態を予想して話はつけてある」 
 そう言うと嵯峨は立ち上がった。
「出撃ですか?」 
 そう言うクリスに情けないような笑みを浮かべる嵯峨。
「俺の馬車馬を見たらアメちゃんも少しはおとなしくなるでしょうからね」 
 そう言うと嵯峨は真っ赤に顔を染めている花山院の肩を叩いて司令室を出て行った。
「まったく……だから遼南の軍隊はうどんを茹でるしか能が無いって言われるんだよね」 
 そう独り言を言う伊藤。
「ああ、すいませんねえ。それじゃあまもなく後続の部隊も到着するでしょうから」 
 そう言うと伊藤は司令室からクリスを連れ出した。
「しかし、こんなに降伏部隊を受け入れる余裕はあるんですか?」 
 思わず質問したクリスに隼は首を振った。
「無理ですね。しばらくは進軍どころか補給の確保で精一杯でしょう。どうにか物資の空輸を東和に許してもらうのができるかどうかというところですが」 
 クリスは廊下から外を見た。捕虜になった共和軍の兵士に東モスレム三派の兵士達がパンを配っているのが見えた。
「パンで満足しますかねえ」 
 そう言って引きつった笑いを浮かべる伊藤。中庭の捕虜達を眺めている二人の隣に黒い棍棒のような腕があった。
「やあ、無事みたいだな」 
 ハワードはそう言うと一緒になって庭の捕虜達に目を降ろした。
「ここから南は大変らしいじゃないか。まあゲリラの方が強いから逃亡する共和軍の兵士も無茶はしないだろうがな」 
 そう言って窓を開けたハワードが庭の捕虜達をカメラに納める。捕虜達ははじめは何が起きたのかわからないと言う顔をしていたが、それがカメラと知ると笑顔で手を振り始めた。
「あーあ。同じ遼南人としては恥ずかしいですねえ」 
「ああ、まあ遼南でも北都と央都じゃあ気質が違いますから」 
 そう言って肩を叩くクリスに隼は死んだような目をしてつぶやいた。
「私は先祖代々央都の育ちですよ。大学に行く時に北都物理大に入っただけですから」 
 そう言う言葉にクリスは笑うしかなかった。
「まあ仕方ないですね。それとハワードさん。三派の兵士が居る間は自重して下さいよ。彼らとの関係は実にデリケートなものですから」 
 そう言うと捕虜から目を離して、伊藤は廊下を歩き始めた。先ほどまで目立っていた黄土色の三派の軍服を着た兵士の姿が消え、緑色の人民軍の兵士が荷物を抱えて三人の横を通り過ぎていく。
「これからが大変そうですねえ」 
 伊藤はそう言うとクリス達を階下へ降りる階段へと導いた。
「伊藤中尉!」 
 一階の踊り場でたむろしている女性兵士に声をかけられた伊藤。そこにはセニア達が自動販売機でコーヒーを買ってくつろいでいた。彼等の中から御子神が缶コーヒーを三つ持って近づいてくる。
「大変だそうじゃないですか、南部は」 
 そう言う御子神の表情はセニアやレム達と違って悲壮感に満ちていた。
「そう言えば御子神さんも央都の出身だったね」 
 コーヒーを受け取った隼はすぐさまプルタブを開けてコーヒーを飲み始めた。
「特に信念を持たない兵士の圧力に屈したんでしょうね。彼らにとっては支配者が誰であろうが変わりないですし。力の恐怖に怯える政府と密告の危険に震える政府。どっちであろうと生きていることがその恐怖に耐え忍ぶ前提条件ですから」 
 そう言う御子神にクリスは驚いた。
「御子神さん。あなたも学生運動家出身と聞いていたんですけど……」 
 クリスの言葉に一瞬戸惑ったような顔をしていた御子神だが、一口コーヒーを口に含むと話し始めた。
「確かにそうですよ。いつか時代を変えられる、そう思っていましたから。でも現実はそれほど甘くないのを知るのには三年と言う時間は十分すぎますね。なんなら隣の北都山脈を越えている人民軍の部隊を取材に行ったらどうですか?」 
 そう言うと引きつった笑いを浮かべる御子神。
「手段を目的と勘違いしている連中だ。何を言おうが無駄なんだよ」 
 宥めるようにセニアが言った。一瞬で空気が重く滞留することになる。
「それじゃあやはり降伏した部隊は北兼の本隊に引き渡されるんですか?」 
 そう尋ねたがパイロットの表情は変わらなかった。クリスは悟った。降伏した共和軍の兵士達に与えられる試練。武装解除された彼等は人民軍中央軍団に送られる。そこで脱走兵や他の降伏した部隊と一緒に遼南中央縦貫鉄道の貨車に詰め込まれる。送られる先は最前線。手榴弾を二、三個渡された彼等は督戦隊の掃射を受けながら共和軍との交戦している人民軍正規部隊の最前線に回される。地雷や共和軍の掃射を避けて立ち止まれば督戦隊の砲火に倒れ、突撃すれば共和軍の弾幕に挽肉にされる。
 クリスもパイロット達も彼らの運命を変えることができない自分を恥じていた。
「なーに、しけた面してるんだよ!」 
 その声の主に全員が視線を向けた。熊がいた。熊太郎、そしてシャム。
「伊藤。お前さんがしっかりしてねえと本当に降伏した連中は督戦隊の餌食になるぜ」 
 熊の後ろから出てきたのは楠木だった。そのまま彼は若いパイロット達の前を通り、悠然と自動販売機でオレンジジュースを買う。
「楠木さん。そうまで言うならなにか策でもあるんですか?」 
 そう言う伊藤を、プルタブを空けながらぼんやりと眺める楠木。周りの視線が彼に集まってもまるで気にする様子もなく、そのままジュースを口に含んだ。
「知らないのか?ついに遼北でクーデターだ。うちの魔女軍団の親父さんが政権を取ったぞ。情報関連の連中は大忙しだ。東和でも今はそのニュースで持ちきりだぜ」 
 そう言うと残ったジュースを一気に飲み干す楠木。北兼人民共和国、周喬夷首相。北兼軍の主力軍といえる女性パイロット兵士ばかりで構成された嵯峨惟基中佐の従妹周香麗大佐の『魔女軍団』の亡命劇の立役者でもある遼北革命の闘士。教条派と呼ばれる人民党の急進勢力に押さえつけられてきた彼の決起が近いと言うことは多くの隊員も感じていた。嵯峨が北都の遼南人民軍に参加した理由も、その時期が近いと言う証明だった。
「あの人が動く。そうなれば無駄に兵士を損失する作戦はクライアントのイメージに関わることになると言う話ですか」 
 伊藤は納得がいったというように頷いた。
「ねえ、魔女軍団って魔女がいるんだから魔法を使えるの?」 
 まったく何もわからないと言うように首を左右に向けるシャム。そんなシャムをレムが抱きしめた。
「違うわよ。そうね、あなたももう立派な人民軍の英雄なんだから周香麗大佐も会ってくれるわよ。ねえ、クリスさん!」 
 急に話題を振られたクリスは動揺した。意外にまめなところのある嵯峨である。クリスが周大佐と会話をしたことくらい伊藤を通じてここにいる全員が知っているのは明らかだった。
「まあ見た感じ気さくな人でしたね」 
「そう、それで紅茶おばさん」 
 そう言ったルーラをセニアがにらみつけた。失言に思わず手を当てるルーラ。パイロット達はそれまでの重い空気を追い払う為というように笑っていた。
「そんなに楽観できるんですか?」 
 ハワードの言葉に顔を上げたセニア。笑顔を消し去ると彼女はハワードを見つめた。
「遼南の弱兵は銀河の常識よ。もし自分たちのところに魔女軍団の銃の筒先が向けばどう言うことになるかと言うことをわからないほど北都の連中も馬鹿じゃないわ。しかも今度は支援元の遼北さえ地球との関係を不味くする人権問題を起こしかねないと踏めば人民軍の人事刷新を名目に中央山脈越えで攻めてくるかもしれないとなれば勝手に兵士を使い捨てるわけには行かないわね」 
 ハワードは頭を掻きながらセニアの言葉に聞き入っていた。
 そのままパイロット達の雑談が続く。さすがにクリスとハワードにはいづらい雰囲気になった。
「ホプキンスさんとバスさん。こっちに」 
 そう言って気を利かせる楠木。クリスとハワードはそのまま司令部の外へと招きだされた。ついてくるのは会話についていけないシャムと熊太郎。そのまま楠木は司令部の前に止められていた装甲車両のドアを開いた。そこにくくりつけられた空き缶の灰皿を確認すると、タバコを取り出した。
「楠木大尉も吸うんですか?」 
 そう言ったクリスに苦笑いを浮かべる楠木。
「まあね、隊長みたいなチェーンスモーカーじゃないけど、作戦が終わった時とかはコイツで気分転換をするのが習慣でね」 
 楠木はゆっくりと使い捨てライターを取り出してタバコをつける。
「どうですか?踏ん切りはつきましたか?」 
 クリスはその質問に戸惑った。
「間違っていたなら訂正してください。あなたはここに取材をしに来たわけじゃない。あることに、しかも個人的なことに決着をつけるために来た。そうじゃないですか?」 
 楠木の言葉にクリスは金縛りにあったように感じた。
「どう言う意味ですか?」 
 興味深そうにクリスの顔を覗き込んでくるハワードの顔を見ながらクリスは額ににじみ出る汗を拭った。
「言ったとおりの意味ですよ。あなたの記事はこれまでなんども読ませていただきましたよ。だがその流れ、その意図するところ、言おうとしている思想みたいなものが今回のうちの取材とはどうしても繋がらなかった。それが気になって、俺なりにあなたを見ていたんですよ」 
 タバコの煙がゆっくりと楠木の口から空へ上がる。クリスは逃げ道が無いことを悟った。
「確かにそう思われても仕方ないかも知れませんね。どちらかと言えば特だねを物にすることがメインの仕事にはもう飽きていましたから。東海の花山院軍の虐殺の取材を始めた頃は、地球人以外は悪である。そう言う記事を書いて喜んでいた、だけど何かが違うと思い始めた……」 
 そこまで言ったところでハワードの視線がきつくなっているのを見つけた。クリスはそれでも言葉を続けた。
「悪というものが存在して、それを公衆の面前に暴き立てるのがジャーナリストの務めだと思っていました。どこに行ってもいかに敵が残忍な作戦を展開していて自分達がそれを正す正義の使者だと本気で信じている馬鹿に出会う。それが十人も出会えばあきらめのようなものが生まれてくる」 
 そんなクリスの言葉をタバコを口にくわえながら楠木は表情も変えずに聞いていた。その隣のシャムと熊太郎もじっと言葉をつむぐクリスを眺めていた。
「それは違うよ!」 
 突然のシャムの言葉にクリスは戸惑った。
「正義とか悪とか、アタシにはよくわからないけど守りたいものがあるから戦う。アタシが知っている戦いはそれだけ。もし、それが無いのに戦うなら、それが悪なんだよ」 
 熊太郎を撫でながら言ったシャムの言葉。楠木はそれを目をつぶって聞くと口からタバコの煙を吐いた。
「結構いいこと言うじゃないか、シャム。ただ大人になるといろいろ事情があるんだよ。まあ、ホプキンスさんは結論を出したということで。俺達はこの戦いに結論をつけねえとな」 
 そう言うと楠木は手を上げた。彼の視線の先で三派の基地へと帰還しようとするシンの指揮下のアサルト・モジュールが目に入った。
「あいつ等も自分のいるべき場所に戻るわけか」 
 再びタバコをふかす楠木。クリスはシャムを眺めていた。
「ホプキンスさん!」 
 そう言って司令部の入り口から飛び出してきたのはキーラだった。かつて彼女とであったときに感じた違和感はそこには無かった。神に逆らう所業と言う既成概念が消えていたことにクリスは少しばかり驚いていた。
「どうしました?」 
 クリスのぼんやりとした顔に、キーラは眉間にしわを刻んだ。
「どうしたのじゃないですよ!聞きましたよ、明日出られるそうですね」 
 白いつなぎに白い肌、そして短い白い髪がたなびいている。
「ああ、ハワードさんちょっと話があるんで……」 
「そうですね。シャムちゃん!ちょっと熊太郎と一緒に写真を撮らせてもらってもいいかな?」 
 楠木とハワードは気を利かせて嬉しそうに二人を見つめるシャムと熊太郎をハンガーの方へと誘導する。
「クリスさん……」 
 言葉にならない言葉を、どうにか口にしようとするキーラ。クリスも彼女のそんな様子を見て声を出せないでいた。
「たぶん、これから二式の整備で手が離せなくなるんで……」 
 そう言いながらくるりと後ろを向くキーラ。クリスは彼女の肩に手を伸ばそうとするが、その手がキーラの肩にたどり着くことはない。
「そうですよね。帰還したばかりだけど西部での戦闘は続いている以上、常に稼動状態でないとこの基地を押さえた意味がないですよね」 
 クリスの言葉に、キーラは何か覚悟を決めたように振り向く。
「ジャコビンさん!」 
 名前を呼ぶクリスの胸にキーラは飛び込んでいた。
「何も言わないでいいですよ。何も言わないで」 
 キーラはクリスの胸の中でそう言うと、ただじっとクリスの体温を感じていた。
「帰ってくるん……いえ、また来てくれますよね」 
 ゆっくりと体を離していくキーラを離したくない。クリスはそう感じていた。初めてであったときからお互いに気になる存在だった。それなりに女性との出会いもあったクリスだが、キーラとのそれは明らかに突然で強いものだったのを思い出す。
「いえ、又帰ってきますよ」 
 そう言って笑う自分の口元が不器用に感じたクリスだが、キーラはしっかりとその思いを受け止めてくれていた。次々と通り過ぎる北兼の兵士達も彼らに気をきかせてかなり遠巻きに歩いてくれている。
「それじゃあ、これを……」 
 クリスはそう言うと自分の胸にかけられていたロザリオをキーラに手渡した。
「これはお袋の形見でね」 
 クリスの手の中できらめく銀色のロザリオ。キーラはそれを見つめている。思わず天を仰いでいた自分に驚くクリス。そんな純情など残っていないと思っていたのに、キーラの前では二十年前の自分に戻っていることに気付いた。
「そんな大切なものを私がもらって……」 
「大切だから持っていてもらいたいんだよ。そして必ず返してくれよ」 
 クリスの言葉に、キーラはしっかりとロザリオを握って頷いた。
「わかりました……でもクリスさんに返しても良いんですか?本当に受け取ってくれますか?」 
 いたずらっぽい笑みを浮かべるキーラに頭を掻くクリス。
「大丈夫さ、きっちり取り返しにくるさ」 
 そう言ってキーラがロザリオを握り締めている両手をその上から握り締めるクリス。
「キーラ!早く来てよ!とりあえず機体状況のチェックをするわよ!」 
 小さな上司、許明華が手を振っている。お互い明華を見つめた後、静かに笑いあったクリスとキーラ。
「ったく!チビが野暮なことするなよ!」 
「楠木大尉!そんなこと言ってもあんな二人見てたら邪魔したくなるじゃないですか」 
 無粋な明華をしかりつける楠木。ハワードは気がついたようにクリスとキーラにシャッターを切った。
「ハワード!あんまりつまらないことするなよ!」 
「何言ってるんだ。俺とお前の仲じゃないか!」 
 そう言ってシャッターを切る続けるハワード。さらに司令部から出てきたセニア達パイロットや伊藤までもが生暖かい視線を二人に送ってくる。
「じゃあ、ホプキンスさん!」 
 交錯する視線に耐えられなくなったキーラがそのまま明華の方に走り出した。
「必ず返してくれよ!」 
 そう叫ぶクリスに向けて、キーラは右手に持ったロザリオを振って見せた。


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