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作品名:遼州戦記 墓守の少女 作者:橋本 直

第18回   従軍記者の日記 18
「それでは私も基地まで同行させてもらいますよ」 
「ええ、どうぞどうぞ」 
 シンの言葉に嵯峨はそう返す。そんな姿を見ながら翻すようにシャレードに乗り込む。 
「実直な好青年ですねえ。うちの餓鬼の婿にでも欲しいくらいだ」 
 そう言うと嵯峨はタバコをくわえながら黒い愛機に乗り込む。クリスもせかされるように後部座席に座った。
「なにか言いたいことがありそうですね、ホプキンスさん」 
 嵯峨はコックピットのハッチを下ろしながらタバコに火をつける。クリスはその有様を黙ってみていた。クリスはただ黙って目の前の怪物のような心の男に目を向けていた。
「言いたいことは言っちまったほうがいいですよ。まあ大体何を良いたいかは見当がつきますが」 
「あそこでの実験はなんなんですか?」 
 とりあえずクリスが言葉に出したのはそのことだった。嵯峨は頭をかきながらエンジンに火を入れた。
「典型的な人体実験って奴ですよ。ここらの山岳民族を拉致して法術能力の開発テストを行っている。それがこの基地に親切なアメちゃんがやってきた理由ですわ」 
 嵯峨はシンのシャレードの後ろに続いて坑道を進んだ。
「それはわかります。確かにこの基地にいたのは合衆国の軍人だった」 
「そうですねえ。まあ法術関連の技術についてはアメリカは前の戦争で貴重な実験材料を手に出来たので非常に進んでいますねえ。東和の次ぐらいの研究成果は提出できるレベルなんじゃないですか?」 
 タバコの煙がクリスを襲う。手でそれを払いながらクリスは言葉を続けようとしたがそれは嵯峨にさえぎられた。
「だが、どちらも法術と言うものの存在を発表していない。今のところそれは存在しないことになっている」 
 嵯峨はそう言い切って後続のシン達の期待を確認するためだけに振り向く。いつものふざけたような表情はそこにはなかった。
「確かにこの事実が公にされればこの非人道的な実験を認めなければならなくなる」 
「まあ、それもあるんですがね。それは実は些細な理由でしかありませんよ。本当の理由。それは法術と言うものが今公になれば遼州人に対する地球人の差別感情に火が付くことになるでしょうね。ただでさえ遼州の不安定な政治状況の結果、地球に流れ込んでいる難民の問題で世論は二つに割れてる。税金泥棒扱いされている遼州難民が実は超能力を持ったインベーダーと言う話になれば感情的になった地球人の天誅組がハリネズミのように武装して難民キャンプを襲撃する事件が山ほど起きるでしょうね」 
 淡々と答える嵯峨。彼の表情が珍しく真剣だった。
「だから、今はこのことは見なかったことにしていただけませんか?」 
 嵯峨はそれだけ言うと基地に向かって機体を一気に加速させた。クリスは言葉が無かった。ネタとしては最高の話題。だがそれを公にすれば銀河に騒乱の火種を撒き散らすことになるのは間違いない。黙ってうつむくクリス。ちらりとそれを見ながら椅子の下から軍帽を取り出して被る嵯峨。
『嵯峨惟基中佐。先導お願いします』 
「わかりましたよー」 
 シンの言葉に返す嵯峨はいつもののんびりとした調子に戻っていた。滑るように森の木々すれすれにカネミツが飛行を開始する。
「なるほどねえ、シンの旦那が虎と呼ばれる理由もよくわかるわ。動きに無駄ってものがねえな」 
 嵯峨はそう言うとまたタバコを取り出して火をつけた。渓谷の峰にちらほらと山岳民族のゲリラ達が嵯峨の機体に手を振っている。
「山岳少数民族の難民救援劇。そう書いてもらいたいと言うことですね」 
 クリスの言葉は嵯峨の笑顔に黙殺された。沈黙が続く。クリスは話すつもりの無い嵯峨から意見を聞こうという意欲を無くしていた。そうして沈黙のまま嵯峨のカネミツとシンのシャレードは基地の格納庫前に着陸した。
 クリスは周りを見渡した。その風景は出撃前とは一変していた。
 紺色に染め抜かれた笹に竜胆の嵯峨家の旗印が人民政府の黄色い星の旗と同じくらいにたなびいている。数知れぬ数の遊牧民のテントが作られ、銃を持った山岳民族のゲリラ達が徘徊している。
 目の前のモニターの電源が落ちてコックピットが開く。嵯峨は満足げにその様を見つめていた。クリスが降り立つとすばやく青いつなぎの集団がそれを取り巻いた。
「嵯峨中佐。機体の感触は……」 
「遊びが多すぎるよ。あれじゃあ機体の制御に誤差が出る。もう少し調整してくれないと次乗る気無くすよ」 
「ですが、あれでもかなり……」 
 技術主任を問い詰めている嵯峨。その周りの菱川の技術者は機体を固定して装甲板の排除にかかった。
「あれでは話は聞けませんね」 
 降り立ったクリスの前にシンが立っていた。彼は静かにタバコをくゆらせながら周りの光景を眺めていた。
「さすがに北兼王殿下の御威光という奴ですね。正直これほどにゲリラの支援を受けられるとは……」 
 本部のビルの前にはまちまちの民族衣装を着た山岳ゲリラ達が並んでいる軍服の支給を受ける列が出来ていた。
「私が出るときはこんな風になるとは……」 
「おそらく嵯峨中佐はすべてを計算に入れて情報を流していたのでしょう。山岳民族にとって右派民兵組織とそれを指導するアメリカ陸軍特殊部隊は恐怖の対象でしたから。それに悲劇の北兼王、ムジャンタ・ラスコーは彼らにとっては今でも彼らを導く若き指導者と言うことなのでしょうね」 
 そう言いながらシンはそのまま軍服の支給を行っている伊藤のところに近づいていった。だがゲリラ達があちらこちらで立ったまま雑談をしているのでまっすぐ歩くことは出来なかった。
「それであなたはどうするつもりですか」 
 クリスの目の前を歩く髭を蓄えた青年将校シンに尋ねていた。
「おそらくこの状況は、ゴンザレス政権になびいた背教者達の弾丸が発射された瞬間から仕組まれていた。そして我々には共和軍と背教者が闊歩する状況を受け入れることはできない」 
「それは西部戦線を突破しての帰還を果たすということですか?」 
 クリスの言葉に、シンはタバコをもみ消すという言葉で応じた。
「それは上層部の指示があればそう動くつもりですが、私個人としては嵯峨と言う人物に興味があります。この状況を作り出した男が何を狙っているのか、それを知らなければ次の手をこちらも打つことができないですよ」 
 シンの言葉にクリスはハンガーの方を振り向いた。カネミツの前部装甲板は剥がされ、駆動系部品が取り外されて冷却コンテナに収容されている。その様を見つめる嵯峨には技術者が張り付いて各部位の調整に関する説明でもしているのだろう。
「ようこそ、人民軍西部軍管区へ!」 
 シンに向けて言葉をかけたのは伊藤だった。シンは人民軍の政治将校の制服を着た伊藤を棘のある視線で迎えた。
「やはりその目は見たくも無いものを見たという目ですか?」 
「私は無神論者とは関わりたくないんだ」 
 シンはそう言うと再びタバコを口にくわえる。そしてくわえた紙タバコの先に火が灯った。クリスは目を疑った。ライターを使ったわけでは無かった。それ以前にタバコにシンは触れてもいない。典型的な発火能力『パイロキネシス』
「そんなに簡単に法術を見せてもいいんですかねえ」 
「なあに、この程度の芸当なら地球の手品師だってやることですよ」 
 伊藤の言葉に笑みで答えるシン。クリスは二人がぐるになって自分をからかっているような妄想に取り付かれていた。
「こんな力、遼州ではそれほど珍しい能力ではありませんから。ひところの自爆テロではよく使われた能力ですよ。まあこのくらいに制御できるってのは私の自慢ではありますがね」 
 シンは大きくタバコの煙を吸い込んだ。
「それもまた遼州人の法術の特性、『空間干渉能力』の成せる技なんだよねえ」 
 クリスが振り向いた先にはいつの間にか嵯峨が立っていた。
「機体のほうは?」 
「ああ、やっぱり技術屋さんが乗って調整した方が早いらしいんで。それでホプキンスさん。次の出撃の時はシャムの後ろに乗ってもらいますよ」 
 嵯峨はそう言うとタバコを口にくわえる。彼のタバコもシンが目を合わせたときには自然に火が付いて煙を上げ始めていた。
「秘術の安売りは命を縮めますよ」 
 シンにそう言いながら嵯峨は満足そうにタバコを吸った。
「伊藤、志願兵の方はどうなってる?」 
 嵯峨の言葉に伊藤が我に返った。
「現在五千人になりましたが、この有様ですよ。まあ一万は軽く越えるでしょうね」 
 伊藤の言葉はもっともな話だった。森から現れるゲリラの流れは本部前まで延々と続いていた。
「偽善者の真似事の効果にしちゃあかなりの成果だなあ」 
 嵯峨はそう言うとそのまま本部ビルに向かって歩き始めた。クリス、シン、そしてシンがその後に続いた。そして本部ビルの前に一人の男が立っているのが見えた。
「胡州海軍?」 
 その男の紺色の詰襟の制服にクリスは息を呑んだ。その腕の部隊章は胡州海軍第三艦隊教導部隊の左三つ巴に二引き両のエンブレムが描かれていた。そして胸には医官を示す特技章が金色に輝いている。
「別所!忠さんは元気か?」 
 嵯峨は気軽にその胡州海軍少佐に声をかけた。クリスはその言葉で胡州第三艦隊司令の赤松忠満少将の名前がひらめいた。そして現在政治抗争の中にいるその主君西園寺基義大公が嵯峨の義理の兄でもあることを思い出していた。
「まあいつも通りというところですよ」 
 淡々と答える別所と呼ばれた少佐。彼は三人を出迎えるように本部ビルの扉を開いた。
「ああ、ホプキンスさん。紹介しときますよ。彼が胡州第三艦隊司令赤松忠満の懐刀、別所晋平少佐ですよ」 
 静かに脇を締めた胡州海軍風の敬礼をする男を眺めた。別所の名前はクリスも知っていた。前の大戦時、学徒出陣が免除される医学生でありながら胡州のアサルト・モジュール部隊に志願。赤松の駆逐艦涼風の艦載機の九七式を駆ってエースと呼ばれた。戦後も赤松大佐のそばにあり、今は西園寺派の海軍の切れ者として知られる男。
「私の顔に何かついていますか?」 
 そのままエレベータに向かう別所が声をかけてきた。
「いえ、それにしても何故?」 
「いいじゃないですか。とりあえず部屋で話を聞きましょう。シンの旦那も付き合ってもらいますよ。ホプキンスさんも来ますか?」 
 嵯峨の投げやりな言葉に、クリスは大きく頷いた。
「じゃあ行きますか」 
 開いたエレベータに嵯峨は大またで乗り込んだ。
 沈黙が続いたエレベータを降りた嵯峨、クリス、別所。彼等は管理部門のあわただしく動き回る隊員達をすり抜けて嵯峨の執務室に入った。相変わらず雑然としている部屋を眺めた後、嵯峨はソファーに腰を降ろした。別所も慣れた調子でその正面に座る。クリスも後に続いた。
「西園寺卿からもよろしくということでした」 
「ああ、糞兄貴ね。まあ、あのおっさんはほっといても大丈夫だろ?それより何で来たの」 
 嵯峨はくわえていたタバコをもみ消すと上目がちに別所をにらみつけた。人を警戒する嵯峨の目。
「うちはただでさえ北天のお偉いさんに目をつけられてるからなあ。助太刀なら断るぜ」 
「それほど赤松大佐は親切ではないですよ。まあこの内戦に関する胡州民派の意向を伝えておけとと言うことです」 
 そう言うと別所はやわらかい笑みを浮かべた。貴族特権の廃止と官僚機構の平民への開放を掲げる西園寺基義公爵は自分達を『民派』と呼び勢力結集を図っていた。軍では赤松海軍中将や醍醐文隆陸軍中将を中心に着実に勢力を拡大させていた。
「いい加減、兄貴と烏丸卿の対立止めてくれないかねえ。ただでさえ今、遼州は爆弾抱えて大変なんだ。遼南、遼北、ゲルパルト、そしてベルルカン大陸。地球人達があちらこちらの戦場を我が物顔で歩き回っていやがる」 
 そして胡州四大公の末席、烏丸頼盛を担ぐ勢力。『民派』に対し『官派』と呼ばれることもある勢力は先の大戦の敗北で疲弊した貴族制度の再構築を掲げ『国権派』を自称した。先の大戦で敗戦国となった胡州は今、その二つに割れていた。貴族制政治の腐敗が敗戦を呼んだと主張する民派と経済の不調を統制制度の引き締めで解決しようとする官派の対立は遼州の各国を巻き込み拡大していた。
「おっしゃることはわかります。だが、こちらとしても引くわけにはいきませんよ。平民院選挙での官派による妨害工作のことも……」 
「だからそんなことじゃないんだろ?俺のところに来たのは。そっちの政治の話は東和のテレビ局にでも出演するときに頼むよ」 
 嵯峨は明らかに別所に敵意を向けていた。緊張感が無いのはいつものことだが、言葉尻が投げやりなのはその証拠だとクリスもわかっていた。
「人民軍の北兼軍閥に対する……」 
「嫌だね!」 
 別所の言葉を聞くまでも無く嵯峨は吐き捨てていた。
「どうせあれだろ?人民軍に圧力かけて講和のテーブルを用意しろってことだろ?兄貴らしいや。言いだしっぺは南都のブルゴーニュ辺りか?あいつもゴンザレスの後釜狙うんだったらもう少し自分で手を汚せってんだ!」 
 クリスはそこまで聞いて別所の意図、そして西園寺基義の考えがわかってきていた。アンリ・ブルゴーニュ。フランス貴族の血を引く遼南の名門に生まれた彼がゴンザレス政権へのアメリカ軍の支援を取り付けた本人だった。彼の地盤の南都にはアメリカ海軍の基地があり、ゴンザレス政権支援の為、遼南に上陸したアメリカ軍十五万の兵力は南都から運ばれる物資で支えられていた。だが次第に旗色の悪くなる共和軍との関係の見直しを図り始めたブルゴーニュ候は米軍とともに手の引きどころを考えていると言う噂もまことしやかにささやかれていたのは事実だった。
「しかし、人民政府の……」 
「だからさあ。ダワイラ・マケイとアンリ・ブルゴーニュ。二人のどちらかを信じろといわれたら俺の回答は決まってんだよ」 
 それが嵯峨の答え。クリスには興味深い嵯峨の本音だった。遼北の社会主義政権の支援を受ける人民軍に嵯峨が参加することに不自然さを感じていたクリスだが、思いも寄らない嵯峨の本音がその領袖への信頼感であることを知ってなぜか好感を覚えた。
『この男も人間なんだな』
 目の前で困ったように黙り込む別所をにらみつけるのもそう言う嵯峨の人間的な付き合いを優先する人柄と言うことを考えてみれば理解できるところだった。取り付く島の無い嵯峨の態度に、別所はとりあえず姿勢をただし嵯峨の目を見据えることにした。
「まあ仕事の話はこれくらいにしてと……」 
 嵯峨は立ち上がると部屋に備え付けの冷蔵庫を漁った。手にしたのは日本酒の四合瓶。ラベルは無かった。
「ホプキンスさんは日本酒大丈夫ですか?」 
「ええ、好きですよ」 
 そんな言葉を確認すると湯飲みを三つ嵯峨は取り出して並べる。
「まあ、遠いところ無駄足となるとわかって来てもらったんだ」 
 嵯峨はそう言いながら湯飲みに酒を注ぐ。
「話は変わるが、東和経由かい?」 
 そのまま安物の湯飲みになみなみと日本酒が注がれた湯飲みを別所に差し出す。
「ええ、茜様にも……」 
「おいおい、様はねえだろ。あんな餓鬼」 
 そう言いながら酒を舐める嵯峨。
「それより、楓はどうだ?お前が鍛えてんだろ?」
 そう言って別所の目の前にも湯飲みを置いて酒を注ぐ。その姿は珍しく双子の娘を持つ親の顔をしているように見えた。 
「楓様は非常に筋が良いですね。この前も特戦の模擬戦で苦杯を舐めましたよ」 
「へえ、あいつがねえ。道理で俺も年を取るわけだ」 
 嵯峨はそう言いながら再び立ち上がる。そして戸棚から醤油につけられた山菜の瓶を取り出した。
「とりあえずここいらの名産のつまみだ。酒も兼州のそれなりに知られた酒蔵なんだぜ、胡州や東和の酒蔵にも負けてないだろ?」 
 嵯峨はニヤニヤと笑いながら別所が酒を飲む様を見つめていた。
「それと康子様から……」 
 嵯峨はその言葉を聞くと電流が走ったように硬直した。クリスは驚いた。恐怖する嵯峨を想像していなかった自分に。
「どうしたんだ?姉上が……?」 
 西園寺基義の妻、康子。戸籍上は義理の姉だが、血縁としては康子は嵯峨の母エニカの妹に当たる。胡州王族の有力氏族カグラーヌバ家の娘でもあった
「康子様はおっしゃられました……」 
「信じたようにやれ。か?」 
「はい」 
 嵯峨はとりあえず肩をなでおろして静かに湯飲みの酒を舐めた。
「それが一番難しいんだがねえ」 
 そう言うと瓶から木の芽を取り出して口にほうりこんだ。
 突然、嵯峨の執務机の上の端末が鳴った。
「はいはーい。でますよー」 
 嵯峨はめんどくさそうに立ち上がると受話器を上げる。別所は瓶の中のキノコを取り上げて口に入れた。
「意外といけますよ」 
 さすが民派の有力者の懐刀と呼ばれるだけの喰えない男だとクリスは思った。自分の仕事がすべて終わったような顔をしている別所。次々と別所がつまむビンの中の野草にクリスは恐る恐る手を伸ばして口に運んだ。そのえぐい味に思わず顔をしかめた。
「ああ、別所君。ちょっと」 
 嵯峨は受話器を置くと別所の肩に手を置いた。
「君、軍医でしょ?」 
「まあそうですけど……」 
 待ってましたと言うような嵯峨の笑みに、別所は少したじろいだ。
「あのね、難民の移送の先発隊で重症の患者を運んでいたVTOLが到着したそうなんでねえ……」 
 嵯峨はそう言って別所を立ち上がらせる。
「仕事はきっちり頼むわけですか」 
「なあに、医者の技量を持つ人間の宿命って奴ですよ。まあ俺は弁護士の資格は持ってはいるがあんまり役に立たなくてねえ」 
 そう言いながら別所を立たせて執務室を後にした。クリスも酒に未練があるものの、二人を追ってまた管理部門の続く廊下に出る。大型の東和の国籍章のついた輸送機がハンガーの前に着陸しようとしているのが見える。その両脇には東モスレム三派のアサルト・モジュールが護衛をするように立っている。
「また食いつかれるだろうねえ」 
 嵯峨は苦笑いを浮かべながらエレベータに乗り込んだ。
「当然、あの二人は今回の民兵掃討戦のことを……」 
「シンの旦那は間抜けじゃないっすよ。おそらくライラは額から湯気でも出してるかも……」 
 嵯峨はそう言いながら開いたエレベータから降りようとしたが、パイロットスーツを着たライラは拳銃を突きつけながら嵯峨を押し倒した。
「おい!この卑怯者!恥って言葉の意味!お前は知らないんじゃないのか!」 
 怒鳴り込んできたライラを周りにいたゲリラ達が押しとどめる。
「ライラ!止めろ!」 
 ジェナンに羽交い絞めにされてようやくライラは静かになった。ゲリラ達は銃の安全装置を外している。静かにライラと嵯峨はにらみ合っていた。
「おい、ライラ。お前さんは勘違いしてるんじゃないのか?」 
 嵯峨はライラの体当たりで落ちた帽子を拾いながら切り出した。
「なにがだ!卑怯者!」 
「卑怯?いいじゃねえの、それでも」 
 嵯峨を取り巻いていたゲリラ達がそんな言葉に力の抜けたような表情をした。
「戦争はスポーツじゃねえ。人が殺しあうんだ」 
 一言一言、嵯峨はいつもの冗談とはまるで違った真剣な表情でライラに語りかける。
「確かに戦争にもルールがある。各種の戦争法規については俺は一応博士号の論文書くときに勉強したからな。だがその法規には今回の俺の行動は全く抵触していない」 
「そう言う問題か!」 
「そう言う問題なのさ」 
 嵯峨はそう言うとタバコを口にくわえる。
「俺は共和軍の基地司令には、難民の安全のために双方が全力を尽くすということを約束したわけだ。当然その障害になるものを俺が叩き潰すつもりだったわけだが……まああちらさんがどう言うつもりだったかなんてことは俺の知ったことじゃないよ」 
「詭弁だ!」 
 叫ぶライラを上目使いに見据えて、嵯峨は一言つぶやいた。
「そうだよ。詭弁だよ」 
 その言葉にライラを抑えていたジェナンの腕が緩んだ。ライラはそのまま嵯峨の襟首をつかみあげる。
「だが、詭弁で何が悪い。戦争は殺し合いだ。詭弁の一つで命が救われるというなら俺はいくらだって詭弁を労するぜ」 
 ライラの腕が緩んだ。だが、嵯峨はそれを振りほどこうとしない。
「お前の親父を殺したのも同じ論理だ。あいつは自分が利用されていることに気付かなかった。王族に生まれちまった人間は、いつだってそう言う状況に置かれることを考えなけりゃあならねえ。だがあいつにはそれが出来なかった」 
「父上を愚弄するのか?」 
 ライラの瞳に涙が浮かぶ。
「死人に鞭打つ趣味はねえよ。だが、お前も遼南王家に生まれたのならこれだけは覚えておけ。利用されるだけの王族ならいっそいないほうがいいんだってことをな」 
 その言葉にライラはそのまま床に崩れ落ちた。嵯峨は振り向くことも無く、別所を連れて担架で次々と旧村役場の建物である病院に運ばれていく難民達へと足を向けた。
「なあ、落ち着いてくれ」 
「どう落ち着けって言うのよ!」 
 そうライラは宥めようとするジェナンの腕を振りほどき地面に泣き伏せた。周りで見ていたゲリラ達は彼らの英雄である嵯峨がいなくなると同時にこの少女への関心を失って散っていった。
「ライラさん。あなたは……」 
「つまらない慰めなら要らないわよ。あなたも父上の敵である地球人なんだから」 
 そう言うとゆっくりと立ち上がるライラ。彼女は流れた涙を拭うとそのまま本部の外へと向かった。『地球人』と言う言葉が憎しみとともにこの遼州星系では使われることが多いのはクリスも痛感していた。かつて鉄器を発明したばかりの動乱の遼州大陸に入植を開始してから、地球の大国の思惑に翻弄されてきた遼州の人々にとって最大限の敵意をあらわす言葉として使われてきた。
 肩を落としてジェナンに支えられて歩く少女もこの地に戦いを持ち込んだ憎むべき地球人として自分を見ている。その現実にクリスは打ちのめされていた。
「良い所にいたな、ジェナン!ライラ!」 
 本部の玄関の豪華すぎるエレベータが開いて現れたのはシンだった。隣の伊藤は頭をかきながら一礼するとそのまま本部の外へと駆け出して言った。
「しばらくここで世話になることになった。それなりに挨拶は済ませておけよ」 
 そう言ってシンは二人を置いてハンガーへ向かおうとしていた。
「ちょっと待ってください!どう言うことですか!」 
 驚きの表情でライラは駆け出そうとするシンをつかみとめた。
「聞いてなかったのか?俺達はしばらく嵯峨惟基中佐貴下での作戦行動を行う」 
「しかし、それでは……」 
 ジェナンの言葉に、シンはにっこりと笑って答えようとする。
「西部から西モスレム経由なら帰還は出来るだろうが、この難民や近代戦も知らないゲリラ達を見捨てるわけにはいかないだろ?」 
 微笑みながらも、シンの目は少しも笑ってはいなかった。
「わかったよ。私はそれで良いわ。ジェナンはどうなの?」 
 ライラの一言はクリスとジェナンを驚かせた。
「本当にいいのか?父親の仇なんだろ?」 
「今するべきことがある。そうじゃないの?」 
 ライラはまぶたを涙で腫らしてはいるが、きっぱりとそう言い切った。
「嵯峨中佐を闇討ちするつもりじゃないだろうな?」 
 意外な決断をしたライラをシンは心配そうに見つめた。
「そんなことはしませんよ。でも、あの男が何をするのか見たいんです」
 ライラは沿う言い切ると、嵯峨の消えた野戦病院を見た。
「もし、それが父上の死を無駄にするようなことになったら……寝首ぐらい掻くかもしないけど」 
 そうしてライラは無理をして微笑むとゲリラ達が北兼軍に志願する為に並んでいる列を押しのけて格納庫へ走り出した。
「女は強いですねえ」 
 そう言うとシンは腰の雑嚢からタバコを取り出す。そしてジェナンの方を一瞥した後、いつものように何も無いタバコの先に火が灯った。
「僕が見てきます!」 
 そう言い残してジェナンは格納庫の前の人垣に消えた。
「しかし、嵯峨と言う人物。一体何を考えているのやら……」 
 独り言のようにシンはつぶやいた。クリスはその表情の少ない顔を覗き見た。
「確かに。私もこの数日取材をしてわかったことは、彼は私のような凡人には想像も出来ない人物だということですよ」 
「そうは言っていませんよ。確かに今の状況を作り出した采配には敬意を表しますよ、揚げ足取りなんていうことは戦場では当たり前の出来事ですから」 
 そう言い切る若いイスラム教徒の将校を見つめるクリス。その男が思った以上に思慮深い性格だとわかって好意を持って彼の話に聞きいる。
「だが、彼は何のためらいも無く悪名を浴びてでも自分の、いや所属する陣営の優位な状況を作り出す。正義を語り、大義を説いて人を惹きつけるのは容易いことですよ。人間には美名のために死ぬことを喜ぶ連中はいくらでもいますから。しかし、彼は美辞麗句を用いずにこれだけの兵力を集めた。王家の威光などもう何の役にも立たないことを知っているはずの彼に何故……」 
「君子豹変す、そんなところではないですか?」 
 そう後ろから声をかけてきたのは伊藤だった。
「伊藤さん、驚いたじゃないですか」 
「すいません、ホプキンスさん。まあ、俺も初めてダワイラ博士を案内してあの人に引き合わせたときは同じように思いましたよ。あの人は迷いを見せない。迷っていると見えるときは、大体そう見せた方が得な時くらいのものでね」 
 格納庫前の広場に白いアサルト・モジュール『クロームナイト』が着陸した。ゲリラ達は歓声を上げ、そこから降りる少女と熊をまるで救世主に出会ったように歓迎している。
「たぶんここまではすべてが隊長の筋書きの上で進んでいるんでしょう。だが、もう一人の脚本家が出てきたときにどうなるか……」 
 伊藤の面差しに影が差した。
「吉田俊平少佐ですか?」 
 クリスの言葉にシンがはっとなり伊藤を見つめた。
「この状況だ。共和軍のエスコバル大佐は間違いなくバレンシア機関を動員して北兼台地への侵攻を阻止にかかるでしょうね。そして、その為に自分の手を切ることになるかもしれない刀を手にする可能性は無いとは言えない」 
 『バレンシア機関』と言う名前にクリスははっとした。遼南共和国政府に対する12度の人権問題抗議議案がフランスの提唱で地球の国連に定義され、そのたびにアメリカの拒否権で抗議は実現してはいないものの、そのうち5つの大量虐殺容疑で知られる非正規特殊部隊。ある意味共和軍の切り札と言える部隊の投入は北兼南部6県確保にどれだけの関心を共和政府が示していると言う証拠にもなり、クリスは興味を持った。
 そして吉田俊平。その写真すら一枚も無い伝説の傭兵指揮官の悪名もまたクリスの記憶には嫌と言うほど記憶されていた。そんな考え事をしているクリスを置いて二人は話を続けた。
「シンさん。いい目をしていますね。吉田俊平は傭兵だ。金さえ積めばなんでもする男と言う話ですよ。まあ実在を疑っている人も多いですが、うちの隊長の情報網では名前があがってましてね」 
 そう言いながら傾きかけた日差しを眺める伊藤。
「現代の義体の製造技術を考えれば吉田俊平の実在は確実でしょう。それに東和の菱川財閥。金になるならあの新型機の提供を北兼軍閥に、虎の子の吉田俊平の部隊を共和軍にと分配してもおかしくは無いでしょうしね」 
 シンはそれだけ言うとタバコをもみ消して吸殻をポケットにしまう。
「次の一手は共和軍が打つことになるでしょうが、どういう形になりますかねえ。手ごまは限られているはずですから」 
 そう言うと伊藤はそのまま降りてきたエレベータに乗り込んで姿を消す。
「嵯峨中佐みたいな話し方をする人物のようですね」 
 シンがそう言うのにクリスは答えた。
「きっとあれは病気なんでしょう」 
 そのままクリスは白いアサルト・モジュールの前でゲリラの歓迎を受けているシャムに向かって歩き出した。


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