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作品名:遼州戦記 墓守の少女 作者:橋本 直

第13回   従軍記者の日記 13
 次の朝からクリスはこの取材の目的のために動き出した。それは兵士達へのインタビューだった。北兼軍閥。この内戦の勝敗を握り続けてきた中立軍閥が急に共和軍に牙を向けた事実はクリスには非常に不可解に見えた。それを引き起こしたのは嵯峨と言う一筋縄では理解できないカリスマだが、彼になぜついていくことを選んだのか。自分でできる限りの情報を集めてみたい。そう思いながらインタビューを続けた。
 先の大戦では人民軍にとって嵯峨は徹底的な赤色ゲリラ掃討作戦を指示した敵である。彼が動いた作戦の残忍さは人民軍と距離をとっていた合衆国でさえ、非人道的な掃討作戦に抗議する声明を何度出したかわからない。そんな男の下で命を掛けて戦おうと言う兵士の生の声を拾いたい。それがこの取材の目的であった。しかしこの三日間で、クリスはいきなり肩透かしを食らうことになった。
 北天の人民軍の取材の際には常に張り付いていた政治将校、そして周りに群れる尾行者の監視を感じながらの取材だった。しかしここではまるで自由に出会った兵士達の声を聞くことが出来た。政治将校である伊藤は、気を利かせて本部で事務仕事に専念していた。嵯峨は七輪でシャムから分けてもらった鹿の干し肉をあぶって酒を飲んでいるばかり。楠木は初日からトラックに弾薬や重火器を満載して北兼台地のゲリラ達に届ける作戦に従事していた。
 クリスとハワードはただ手の空いた兵士達と話し、彼らがこの戦いになぜ参加するかを自由に聴くことが出来た。また、兵士達も緘口令のようなものは敷かれていないようで、それぞれ談笑しながら世間話でもするように話し続けた。
 彼のインタビューを珍しそうに受ける兵士達誰もが戦争はまもなく終わるだろうと話した。北天包囲戦に敗れた共和軍の士気が低下していることは彼らも知っていたし、魔女機甲隊の西部戦域での勝利の報が入ってきた直後と言うこともあって、中には戦後のプランまで考えている兵士も居た。
 しかしそんな彼らとの取材が一時停止することがよくあった。
 それはシャムと熊太郎の闖入である。まるで人見知りせずにじゃれ付いてくるシャムと熊太郎は、すぐに部隊の人気者になった。彼女はほとんど読み書きが出来ないこともあって、胡州浪人の士官の一人がなぜか持っていたジェームス・ジョイスの「フィネガンズ・ウェイク」の日本語版を与えて、一行目を何秒で読むかという競争をして遊んでいた。
 今日もまた、補給隊の運転手の一等兵が延々と語る猫の飼い方の講義を聴いているところにシャムが現れた。
「クリス。大変だねお仕事」 
 シャムはそう言うとそのままトレーラーの助手席に上がりこんでくる。彼女の取っておきのやわらかそうな黒に赤と白の刺繍のマントの民族衣装が目に飛び込んでくる。
「わかったよ。旦那、シャムと遊んでやってくださいよ。俺の餓鬼もこのくらいの年でね」 
 兵士はそう言うと運転席で昼寝をしようと足をハンドルの上に乗せた。仕方なく降り立ったクリスは不思議そうに彼を見つめるシャムと遊ぶことにした。
 クリスは好奇心いっぱいの目でこちらを見てくるシャムに少しばかり照れ笑いを浮かべた。服はいつも同じような黒い生地に刺繍の服。そして縁に飾りのついた帽子はいつもその頭の上にある。
「じゃあ何をしようか?」 
 とりあえずシャムの要望を聞いてみるのがいつもの流れだった。天真爛漫だがどこか頑固なところがあって自分が嫌いなことは絶対しないシャムを相手にするにはそれが最良の方法だった。
「あのね、お花摘みに行きたいんだ!」 
 そう言うとシャムはクリスの手を引いて歩き始めた。そのまま彼女のアサルト・モジュールを整備している前を通りかかると、元気よく叫ぶ。
「キーラ!クリスさん連れてきたよ!一緒にお花摘みに行こう!」 
 納入部品の検品をしている部下を監督していたキーラに声をかけるシャム。
「行っても良いわよ。私が代わるから」 
 そう言う明華の言葉に押し出されてつなぎ姿のキーラは白く輝く短い髪を風に吹かせながら歩いてきた。
「もう!シャムったら何のつもり?」 
「いいじゃん、行こう!」 
 そう言うと熊太郎を先頭に歩き始めた。嵯峨の部隊は目立った動きも見せずに沈黙を続けていた。北兼台地に拠点を構えた共和軍は基地の拡大を続けているという話がいくつかの情報チャンネルからクリスにも届いていた。クリスは何度か素人の意見と限定した上でいっこうに動く気配を見せない嵯峨に問いかけたこともある。だが嵯峨はめんどくさそうにクリスを見上げてこう言うだけだった。
「まあ、あちらにも事情があるんでしょ?それに今は動くのはねえ」 
 そしてそのまま放置されるのも馬鹿馬鹿しいので近くの兵士にインタビューをすることにするのがいつのもパターンだった。そんな仕事のことを思っているクリスを知ってか知らずか、シャムはそのまま元気良く焼畑の跡地と思われる高山植物の群生地までやってくる。
「平和ですねえ」 
 クリスは笑顔を浮かべて蝶と戯れているシャムを眺めていた。
「そうですね」 
 少し照れながらクリスの座っている岩の隣にキーラが腰をかけた。空は青空、高地らしく空気が澄んでいる。確かにのんびりとシャムを眺めているキーラを見ると彼女が母国の保守派が言うような『神にそむく忌むべきもの』とは到底思えない普通の女性に見えてきた。
「そう言えば許中尉は元気になったみたいですね」 
 クリスは思い出した。柴崎が後方の病院に移送される時、明華は一人格納庫の片隅で泣いていたとシャムから聞かされていた。キーラは大きくため息をつくと眉をひそめながらクリスを見つめた。
「あんまりそんなこと部隊では言わない方が良いですよ。班長は公私混同は嫌いですから」 
 シャムはようやく蝶を追うのに飽きて花を摘み始めた。赤い花、青い花、黄色い花。空には鳥がさえずり、時折この山に住むというヘラジカの雄叫びが聞こえる。
「まるで戦争なんて起きていないみたいですね」 
 クリスはそう言った。キーラはその言葉に頷きながら、山々に視線を飛ばしていた。
「ちょっと二人とも!そんな黙ってたらつまらないでしょ?」 
 花を摘むのをやめて口を尖らせたシャムがそう叫んだ。
「二人は仲良しさんなんだからね!キーラなんか私と居るといつもクリスさんのこと……」 
「シャム!何言ってんの!」 
 顔を赤く染めたキーラが叫んだ。そしてそのままうつむいてじっとしている。クリスも少しばかり恥ずかしいというように目を伏せた。
「じゃあお墓まで行こうよ!」 
 熊太郎がくわえてきたかごに花を入れるとシャムは再び集落の方へと向かった。クリスはシャムの腰に挿された短刀と笛に目が行った。笛は山岳民族が北天の露店で売っていたありふれたもののようにも見えた。そしてその隣に挿してある短刀の黒い鞘が高地のきつい光に反射しているのがわかる。
「シャム。その刀は結構使い込んでいるね」 
 クリスのそんな何気ない言葉に、シャムは立ち止まった。振り向いた彼女の瞳が潤んでいることはすぐにわかる。彼女はひとたび目にたまった涙を拭くとまた先頭に立って歩き始めた。
「すまない。きっとつらいことがあったんだね」 
「グンダリの刀」 
 前を向いたままシャムは答えた。
「私のね、初めてのお友達。その刀なんだよ」 
 シャムはきっぱりとそう言った。自分の言葉が少女を傷つけたことに少しばかりクリスは動揺していた。
「その子も亡くなったんだね」 
 その言葉にシャムは肩を震わせるが、気丈なことを装ってそのまま村へ続く道を歩き続ける。
「いろいろ教えてくれたんだ。グンダリ。電気が明るいこととか、車が何で走るのかとか、それに一緒に焼畑の跡地に生える花を摘んだり、村の男の子が喧嘩を仕掛けてきた時は一緒に戦ったり」 
「つらいなら良いんだよ」 
 クリスのその言葉に、振り向いたシャムはクリスに抱きついた。彼女の涙は絶えることが無かった。
「みんな死んじゃったの!私の友達はみんな死んじゃうの!」 
「そんなこと無いわよ。そんなこと」 
 クリスの隣に立っていたキーラが泣きじゃくるシャムの頭を撫でた。熊太郎も後ろで心配そうな声を上げている。
「もう一人じゃないんだ。泣きたいなら泣くといいよ」 
 クリスは胸の中で泣く幼い面立ちの少女を抱きしめた。
 シャムは涙を拭う。
「いい子だ。泣いていたら天国のみんなが悲しむだろ?」 
 そんなクリスの言葉に頷くシャム。キーラと顔を見合わせたクリスにも自然と笑みがこぼれた。
「じゃあ行くよ!」 
 元気を取り戻したシャムは石を積み上げて造られたがけに沿った道を歩く。
「転ぶなよ!」 
 クリスがそう叫びたくなるほど軽快にスキップをしていた。クリスはキーラと黙って歩いていた。お互いに何かを話すべきだろうとは思っていたが、どちらも口に出せずにいた。
「ホプキンスさん?」 
 キーラが口を開いた。だがクリスは言葉が中々出てこなかった。
「ああ、別になんでもないよ」 
 たったそれだけの言葉だったが、キーラは安心したような表情を浮かべたあと、早足でシャムのほうに向かった。それをちらりと振り返ると今度はとんでもないスピードで悪路を走り始めるシャム。
「ホプキンスさん。シャムちゃんを見失っちゃいますよ!」 
 振り返ったキーラの言葉にクリスは笑顔を返すと、そのまま石造りの急な坂道を早足で登り始めた。村の中央の高台。初めてここに来た時は夜でよくわからなかったが、この墓の並ぶ広場は延々と続く北兼台地の入り口を見渡せる景色のよい場所だとわかった。シャムは摘んできた花を一本一本墓に手向ける。その隣では静かに花の入ったかごをくわえて待つ熊太郎の姿があった。
 泣いていなかった。シャムは泣いていなかった。
「奴は強いねえ、さすが騎士だ」 
 クリスは不意に後ろからの声を聞いて振り返った。嵯峨がタバコを吸いながら近づいてくる。
「ホプキンスさん。昼飯、一緒にどうですか?」 
「ええ、まあ」 
 曖昧にクリスは答えた。確かにそんな時間になっていた。
「ホプキンスさん。お仕事でしょうから……。シャムちゃんは私がつれて帰ります」 
 キーラのさびしげな言葉。嵯峨はそれを聞いてにやりと笑うと、そのままクリスを誘うように本部の建物に向けて歩き始めた。
「いやあ、午後にちょっとした人員補給のイベントがありましてね」 
 嵯峨は歩きながらそう漏らした。
「この近くに村でもあるんですか?」 
 クリスのその言葉にも嵯峨の笑顔は消えない。
「そこのところは食事でもしながら」 
 そう言いながらもう完全に前線基地の格好を取り始めた古びた保養施設の建物に入る。
「ここの食堂の風情はそこらの軍隊には負けないでしょうねえ」 
 そんなことを言いながらエレベータのボタンを押す嵯峨。論点をずらそうとしているのがさすがに腹に据えかねてクリスの語気も荒くなる。
「それでは魔女機甲隊から引き抜くんですか?」 
 そう尋ねるクリスに嵯峨は振り向くこともせずに開いたエレベータのドアをくぐる。
「いやあ、伊藤がね。良い仕事をしてくれたんですよ」 
 しばらくの沈黙のあと、言葉を選びながら嵯峨はそう言った。
「伊藤政治中尉。もしかして……」 
 エレベータの扉が開く。クリスはまじめに嵯峨の顔を覗き込んだ。
「ご推察の通り懲罰部隊ですよ。まあ、人民軍本隊は現在北天南部で反攻作戦で人手不足だ。まともな部隊を送る余裕は無いでしょうしね」 
 そう言うと嵯峨はそのまま食堂に入った。調べたところによると遼南末期のラスバ帝時代に完成したという保養所のレストランであったこのフロアーには窓の外の北兼台地の眺望が手に取るようだった。
「ホプキンスさんには良いねたになりそうでしょ?」 
 まるで子供が悪戯に成功したあとのように無邪気な笑いを浮かべる嵯峨の姿がそこにあった。
「鯵の干物定食、ホプキンスさんは?」 
「とんかつ定食で」 
 食堂の人影はまばらだった。一応は最前線の基地である。先の大戦の遼南戦線の飢えをくぐった嵯峨が食事を重視していることもあって、十分な補給に支えられてこの基地は機能し始めていた。しかし、だからといって補給部隊は安全とは言えなかった。共和軍の傭兵部隊が山中に侵入したとの情報があったのは昨日。そして、補給部隊のトラックが一台撃破されたとの話もクリスは知っていた。
「しかし、懲罰部隊ですか。どうするんですか?」 
 クリスの言葉を背中に聴きながら、嵯峨は相変わらず不敵な笑みを浮かべていた。
 嵯峨は窓際の椅子に腰掛けた。その正面に座るクリス。
「ああ、大丈夫ですよ。一応、防弾ガラスには交換してあります。それにここを狙撃できるポイントはすべて制圧済みですから」 
 そう言うと机の上に置かれたやかんから番茶を注ぐ嵯峨。
「懲罰大隊ですか、いい話は聞きませんね」 
 クリスは慣れない箸でとんかつをつまみあげる。嵯峨は大根おろしに醤油をかけながら次の言葉を捜していた。
「まあ、そうなんですけどね。機動兵器は敵拠点制圧には便利だが、その維持となるとコスト的に問題がある。まあ兵隊ならいくらでも欲しいというのが本音ですよ」 
 そのまま鯵の肉を器用にばらして口に運ぶ嵯峨。
「結構いけるんだな。西モスレム産も食ってみるもんだ」 
 驚いたようにそう言うとさらに嵯峨は箸を進めた。
「そう言えば取材の方は上手くいってますか?」 
 嵯峨の目つきが鋭く変わる。かつての鬼の憲兵隊長の視線だ。そうクリスは思いながら箸を置いた。
「なんとか進んでいます。しかし、良いんですか?かなり人民党への不満の声も聞こえるんですが」 
 予想の範囲内の答えだったのだろう。嵯峨は気にする様子も無く鯵の中骨にへばりついた肉をしごき取っている。
「そりゃあそうでしょう、完璧な為政者なんているわけが無いんですから。それにうちは外様なんで。北天の連中が偏見の目で見てることぐらい誰でもわかりますよ」 
 嵯峨は再びとろんとしたやる気のなさそうな目に戻ると、茶碗の飯を掻きこんだ。
「コメはいまいちだな。東和産があればいいんだけど……そうも行かないか」 
 そう言うと番茶を口に含む。
「しかし、本当に大丈夫なんですか?この部隊の将校クラスはほとんどすべてが北兼出身のあなたの直系の部下ですよね。そこに人民党が敗北主義者と規定した懲罰部隊を入れるというのは……」 
「まあ、北天のお偉いさんからは目をつけられることにはなるでしょうね。また伊藤の奴には苦労かけちまうことになるでしょうが」 
 そう言いながらタバコの箱を取り出す嵯峨。
「ここ、禁煙みたいですよ」 
 クリスの言葉にはっとする嵯峨。そのまま箱を胸のポケットに戻す。
「まあ、いろいろ考えるつもりですがね」 
 そう言うと嵯峨は最後に腹骨の周りの肉を口に放り込むと、番茶を茶碗に残った白米にかけてくるくると回し、それを一息に飲み込んだ。
「じゃあお先に失礼しますよ。その件での書類のチェックがあるもんでね」 
 そう言うと嵯峨はトレーを持って立ち上がった。クリスはまだ半分くらいしか食べていなかったので、そそくさと立ち去る嵯峨を追うことが出来なかった。無理に味噌汁でコメを流し込みようやく食事を終えると、クリスは立ち上がった。
 そのままトレーを戻してエレベータから吐き出された工兵の群れに逆流して下の階を目指す。扉が開くと本部の前に人だかりが出来ていた。クリスはそのままその集団に吸い込まれた。
「まるで囚人護送車だぜ」 
 人だかりの中の一人がそんな言葉を吐き捨てた。目の前に止まったトラックには厳重に外から鍵が掛けられている。政治部局の兵員がその鍵を一つ一つ開けて回る。
 そこから降りてきたのはぼろぼろの軍服に身を包んだ兵士達だった。着ている軍服はまちまちで、あるものは夏用の半袖を着ていたり、あるものは冬物の耐寒コートに身を包んでいた。政治局の兵士達はそれを馬かヤギでも追い立てるように一所に集めた。
 そこに現れたのは伊藤だった。彼は懲罰部隊を運んできた少尉から書類を受け取ると静かにそれに目を通す。眼鏡をかけた若い政治局員の腕章をつけた少尉は、時々ぼろ雑巾のような懲罰兵達にさげすむような視線を投げていた。 
「同志伊藤!以上二百三十六名。お引渡しします」 
「そうか、ご苦労さん」 
 そう言うと隼はそのまま懲罰兵の固まっているところまで歩き始めた。
「同志、それ以上近づくと危険ですよ」
 眼鏡の将校を睨み返した伊藤。 
「危険?何でそんなことが言えるんだ?」 
 一人の兵士が落ちていた石を拾うと伊藤に投げつけた。伊藤は避けることもなくそれを額に受けた。額から一筋の赤い線が口元まで走る。眼鏡の少尉はそれを見ると拳銃を取り出し、その石を投げた階級章を剥ぎ取られた将校服の兵士に銃口を向けようとした。
 次の瞬間、政治将校の眼鏡が飛んでいた。それが伊藤の右ストレートによるものだとわかるには少し時間が必要だった。
「こいつ等はうちの部隊の隊員だ!勝手に殺すんじゃねえ!」 
 眼鏡の少尉は伊藤の啖呵を聞いても伊藤の言葉の意味がいまひとつ理解が出来ていないようだった。周りの兵士達は伊藤の行動にやんやの喝采を浴びせている。懲罰部隊の隊員も、それを真似て周りの政治局員に罵声を浴びせかけ始めた。
「同志!これは一体どういうことだ!」
 そう叫んだ眼鏡の将校の襟首を伊藤が掴んで引っ張りあげる。 
「おう、若いの。俺はな、十四の時から人民党員なんだ!お前みたいな『にわか』に指図されるいわれはねえんだよ!」 
 その言葉に少尉は口から流れる血を拭って伊藤をにらみつけながら立ち上がった。
「同志伊藤隼中尉!貴様、このことは党に報告させてもらうからな!」 
 激高する少尉を押しとどめる政治局員。伊藤も彼の部下の政治局員に囲まれる。彼らは全員腰のホルスターに手をかけて、いつでも北天の兵士とやりあう覚悟は出来ていた。伊藤は部下の肩を叩き、にんまりと笑みを浮かべていた。
「おう、やれるもんならやってみろ!人のふんどしで相撲を取るしかとりえの無い餓鬼に俺の首が取れるのならな!」 
 眼鏡の少尉はそのまま彼の部下に連れられて車に連れて行かれた。取り囲む兵士達は伊藤に歓声を上げる。そんなところにいつの間にかシャムが現れていた。
「隼、かっこいい!」 
「ありがとうな。あとでアンパンもらってきてやるよ」 
 懲罰兵は歓喜の声をあげ、そのまま伊藤を胴上げしかねない勢いだった。
「やる時はやるんだねえ」 
 本部から出てきた嵯峨が伊藤の肩に手を伸ばした。
「あいつ等は誰と戦争してるかわかっちゃいないんですよ。では!同志諸君!整列したまえ!」 
 片腕だけで心を動かされた懲罰兵が整列を始めた。彼らを運んできたトラックから降りるときの動きとはまるで違う俊敏な反応だった。
「では、隊長。訓示を」 
 伊藤はすばやく身を引いて嵯峨にその場を任せた。そこで嵯峨のまとっている空気が一変する。
『やはり王侯貴族の風格という奴か』 
 クリスの思いを受けたように明らかに存在感を感じさせるようにしっかりと大地に立って新しい部下達ににらみを効かせる嵯峨。
「俺は貴様等が何のために階級を剥奪されたかは問わない。問うつもりも無い。また、もし共に戦うつもりが無いのなら西モスレム経路で東和に亡命する手段も整えてある。戦う気の無いものを引きとどめるほど俺は酔狂じゃない」 
 亡命と言う言葉を聞くと何人かの兵士が少しばかり顔をこわばらせているのをクリスは見逃さなかった。
「我等の目的は一つだ。地球諸国の傀儡であり、民衆に恐怖を与え今のこの国の状況を作り出したゴンザレス政権の打倒である。私はそのために人民政府に協力することを決意した。しかし、これは俺の勝手な決意だ。志が違うものならば、去ってくれても俺はそいつを咎めることもしない。それも一つの生き方だ」 
 そう言うと再び嵯峨は懲罰兵を眺めた。黙って彼らは嵯峨の言葉を聞いていた。
「もし、この中に俺と目的を同じくしているものがいたら残れ。その命、俺は無駄には使わん!」 
 その言葉に部隊員が歓声を上げる。懲罰兵の中、先頭に立っていた先ほど伊藤に石を投げた将校が敬礼を返した。次々と懲罰兵達は嵯峨に敬礼を送った。嵯峨はそれに返すように敬礼をすると本部へと消えていった。
「各員以前の階級を申告しろ!直ちに被服の支給を始める!」 
 伊藤はそう叫ぶと部下達に指示を与え始めた。
 伊藤の部下達は素早く本部からテーブルを持ち出し、並べていく様を見つめていた。懲罰兵達も感心する手際で瞬く間に支給の受付が設営され、伊藤達が被服の支給を開始した。それを感心した顔で眺めてしまうクリス。パトロール部隊に同行していたハワードも戻ってきて軍服を支給されている兵士達をカメラに収める。伊藤もそれそ咎めることもしない。
「支給を受けたものはしばらく整列していろ、剥奪前の階級を申告してもらう!」 
 伊藤の言葉に目を輝かす懲罰兵達。
「伊藤中尉、全員参戦すると思いますか?」 
 先ほどからたまっていた質問をクリスはぶつけてみた。
「それは無いでしょう」 
 その言葉に先ほど伊藤に石を投げた将校が近づいてきた。
「いえ!我等の意思は決まりました。この戦いを貫徹……」 
 男の言葉に思わず嵯峨の顔を見る。
「そう言うのが隊長が嫌いな精神論なんだよ」 
 伊藤は低い声でその将校をたしなめる。
「一時の高揚感で正義を振りかざすのは止めておいた方が良い。結果はつまらないぞ」 
 そう言う姿は政治将校とは思えない。クリスはそう見ていた。高揚していた懲罰部隊の腕章をつけた将校も静かに立ち去ろうとしていた。
「ああ、そうだった。君の姓名と階級を聞いていなかったな」 
「イ・ソンボン少尉です。医師として参戦していました」 
「お医者さんですか。うちはそっちの人材足りなくてね。小学校の跡地が野戦病院にする予定ですから、たぶんそちらの勤務になるでしょう」 
 そう言うと伊藤は再び書類に目を通し始めた。イはそれが少しばかり不満だというようにその場から懲罰兵がたむろしているところへと去った。
「そう言えばシャムは……」 
 伊藤がそう言ったのでクリスは周りを見渡した。懲罰兵の群れの中、一際小さい黒い帽子がちらちらと見える。クリスはそのままシャムのほうへと歩いていった。
 シャムと熊太郎は懲罰兵達に囲まれていた。
「嬢ちゃん。あんたもここの隊員なのかね」 
「そうだよ!私は騎士だからみんなを守らないといけないの」 
「偉いんだなあ、嬢ちゃんは」 
 そう言われて照れているシャム。熊太郎は頭を撫でられながら甘い声で鳴いている。
「シャムちゃん。また友達が増えたな」 
 クリスの言葉に嬉しそうに頷くシャムがそこにいた。
「すいません!ホプキンスさん」 
 シャムと懲罰兵が戯れる様子を眺めていたクリスに呼びかける女性の声が届いた。振り返ったクリスの前にパイロットスーツを着た女性の姿が飛び込んでくる。
「隊長が呼んでましたよ!」 
 そう伝えに来たのはセニアだった。淡い青い髪をなびかせてそれだけ言うとそのまま走って格納庫の方に向かう。
「相変わらず愛想が無いな」 
 ハワードはそう言うと再び被服を受け取る懲罰兵の方にカメラを向けた。そう言われて思わず照れた笑いを浮かべるクリス。
「じゃあ、行ってくるか」 
 そうハワードに告げて、クリスは本部の建物に向かった。比較的閑散としているのは格納庫がほぼ完成しつつあり、多くがその見物に出かけているからだろうとクリスは思った。
 そこで珍しく喫煙所でタバコを吸っている楠木が目に入った。
「ご苦労さんですねえ」 
 そう言うと楠木はくわえていたタバコを手に持った。
「ゲリラの方はどうなっているんですか?動きがあったという話は聞かないんですが」 
「ああ、今は隊長が自重するようにと言ってますから。とりあえずにらみ合いですわ」 
 そのままタバコを灰皿に押し付ける楠木。
「近いうちに動きがあると?」 
「まあそうかもしれませんがね」 
 そのまま腰を上げ、楠木は管理部門の方に歩き出した。クリスはそのままエレベータの前に立つ。上に上がるボタンを押して静かにエレベータが来るのを待っていた。
「どうですか?慣れました?」 
 そう後ろから尋ねてきたのは明華だった。この部隊の人々は妙に人に絡んでくる傾向がある。それだけ人を信じているのかもしれない、そう思いながら小柄な明華を見た。幼く見える面立ちの中にも技術班を統べる意思の強さを感じさせる瞳にクリスは少し気おされていた。
「まあ慣れたといえば慣れましたがね」 
 そう言うと開いたエレベータに乗り込むクリスと明華。
「そう言えば柴崎機は誰が引き継ぐんですか?予備のパイロットはいないようですが、もしかして懲罰兵から引き抜くつもりだとか……」 
「私が乗る予定ですよ」 
 明華はそう断言した。いまひとつピンと来ていないクリスを眺めながら明華はもう一度口を開いた。
「一応、私も二式のテストには参加していますから。あれはかなり扱いに癖のある機体ですから。それに機種転換訓練が出来るほど余裕がある情勢では無いですからね」 
 明華はそう言うと三階のフロアーに停止したエレベータから降りていった。
 クリスはそのまま明華が降りた上の階でエレベータを降りた。部隊経営の事務方のエリアらしく。隊員が書類を持って走り回っている。クリスはその間をすり抜けながら連隊長室をノックした。
「どうぞ」 
 嵯峨の声が響く。入るとそこではボルトアクションライフルのバレルを取り外して掃除している嵯峨の姿があった。クリスもこちらに部隊が進出してから初めて嵯峨の執務室に入ったが、ある意味、嵯峨と言う人物をこの部屋があらわしているように感じた。
 まだ4日も経っていないというのに、この部屋には物があふれていた。ソファーには東洋の楽器と言うイメージしかない琵琶が置かれている。テーブルには拳銃がばらされた状態で放置されている。机の上には決済済みの書類が詰まれ、その隣には通信端末が運ばれた時のまま緩衝材を被った状態で鎮座していた。
「ああ、すいませんねえ。取材中でしたか?」 
 クリスの方を向き直り、嵯峨がにやりと笑った。
「いえ、いずれ彼らからもインタビューを取りたいんですが……」 
「ああ、良いですよ。まああまり愉快な話は聞けないとは思いますがね」 
 そう言うと嵯峨は机に置いてあったタバコに手を伸ばした。
「それとこっちでもちょっと愉快とは言えない話が入ってきましてね」 
 そう言うと嵯峨は琵琶の隣に腰掛けた。向かい合ってクリスが座るのを確認すると嵯峨はタバコに火をつけた。
「どうしたんですか?」 
 クリスの言葉を聞いているのかいないのか、嵯峨は琵琶を手に取ると調律を始めた。その慣れた手つきを見て、目の前の男が胡州貴族の名家で琵琶で知られた西園寺家の縁者であることを思い出した。
「一応、嵯峨の家の芸はコイツでしてね。演奏しましょうか?」 
「ごまかすのは止めてください。何が起きたんですか?」 
 苛立つクリスを見てまた笑みを浮かべる嵯峨。彼はそのままタバコの灰をテーブルの灰皿に落とす。
「難民がこっちに向かっているとの情報が入ったんですわ」 
 嵯峨はそう言うとクリスの反応を見た。クリスはその言葉につい前のめりになっていた。
「共和軍が何かやったんですか?」 
「いや、そんなことは無いと思いますよ。あちらさんも馬鹿じゃない。下手にゲリラ狩りを敢行すれば地球から支援に来ている各国の部隊が引き上げるなんて言う最悪のシナリオになりかねない。そのくらいのことがわかる分別はあるみたいでね、あちらの指揮官にも」 
 再び口にくわえたタバコから煙を吸い込む嵯峨。クリスは黙ってその姿を見守っていた。
「先日、ゴンザレス政権支持派の民兵組織が東モスレムへの越境攻撃をかけましてね。あちらではいつ本格的な民兵の侵攻が開始されるかってことで、パニックが起きているそうですわ」 
 事実ここから東に300kmも行けばイスラム系住民の多く居住する東モスレム州にたどり着くことになる。そこでは先の大戦の時期からイスラム系住民と仏教系住民の衝突が頻発していた。その対立は共和軍の介入で本格的武力衝突へと発展した。
 ゴンザレス共和政府支持派に西モスレム系イスラム武装組織が接近している話はかなり前からあった。一方で東和に支援されたイスラム、仏教、在地信仰現住部族の三派連合が自治政府を名乗り共和軍支持派と激しい戦闘を繰り広げている無法地帯だった。そんな逼迫した状況だと言うのに嵯峨はのんびりと構えてクリスの出方を窺っていた。
「そうすると南と西には逃げられない住民が保護を求めて逃亡していると言う事ですか。規模はどれくらいですか?」 
 クリスの言葉に耳を傾けながらも琵琶を触っている嵯峨。静かに彼は口を開いた。
「こう言う状況では次第に雪だるま式に難民は増えるものですよ。うちに協力的なゲリラ勢力には彼らの保護を指示していますからどうにか統制は取れているみたいですがね。それでも少なく見積もって一万人。多ければ五万はいるかも知れませんな」 
 この人は状況を楽しんでいるのではないか?クリスはこの事態でも平然とタバコを吸って表情を崩さない嵯峨に恐怖のようなものを感じた。
「ですが、こちらとにらみ合っている共和軍は黙って通すでしょうか?」 
「それが頭の痛いところでね。あまり優しい対応は期待できそうに無いですから。うちが見殺しにすれば地球各国に格好の兵員増派の口実を与えることになりますねえ。ようやく西部戦線で光明が見え始めたときに水を差すのは……どうもねえ」 
 嵯峨は頭を掻いている。
「護衛の戦力を出すつもりは?」 
 クリスは苛立ちながらそう尋ねた。その言葉ににやりと嵯峨は笑みをこぼした。
「ありますよ。それなりに少数精鋭なアサルト・モジュールを二機派遣するつもりでね」 
 その言葉がどうにもクリスには脳に絡みつくように聞こえた。明らかに自分とシャムで出る。そう言っているように聞こえた。
「それでは私には四式の後部座席を空けて置いてください」 
「ああ、やっぱり俺が出るってわかりましたか。じゃあ相方もわかってるんでしょ?」 
 嵯峨はそう言うと吸いきったタバコを灰皿に押し付ける。
「シャムちゃんじゃないんですか?そのためなんでしょ?あの機体に二式の部品まで流用して整備を続けてたのは」 
 そんなクリスの言葉に笑みで答える嵯峨。
「察しがいいですね。さすがフリーで飯を食っている人は考えることが違う。ただ、非常に不満そうなのは……まあ、理由はわかりますがね」 
「あの子の心はまだ子供ですよ!それを戦場に……」 
 黙れとでも言うように左手の人差し指を突き出す嵯峨。一つ大きく呼吸をしたあとなだめすかすように話し始める。
「子供か大人か。そんなことは些細なことですよ。あいつは覚悟を決めた。戦うことを心に決めた。それが重要なんですよ。餓鬼だろうが大人だろうが、選択を迫られることは人生じゃあよくあることですよね。年齢や性別など関係ない。決めるべき時に決めた心を裏切るのは後々後悔を残すことになる。これは俺も経験してますから分かりますよ」 
 そう言うと嵯峨は再び口にくわえたタバコに火をつけた。


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