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作品名:遼州戦記 墓守の少女 作者:橋本 直

第12回   従軍記者の日記 12
 獣道を進む軍用の小型四輪駆動車。跳ね上がる前輪が室内に激しい衝撃を伝えてくる。
「シャムちゃん。ずっと一人だったの?」 
 しばらくの沈黙のあと、ハンドルを握るキーラが耐え切れずに口を開いた。セニアに比べると人間らしい感情が見える彼女の言葉を聞くとクリスは少しだけ安心することが出来た。
「そうだよ。ずっと一人」 
 こんな少女がただ一人で森の中でひっそり生きてきたのか、そう思うとクリスはやりきれない気分になった。地球人がこの星を征服して以来、遼南の地が安定したことはほとんど無かった。常にこういう子供達が生まれては死んでいく。そんな歴史だけがあった。
「大変じゃなかったのかい?食事だって……」 
「一人で暮らすのは慣れてるから大丈夫だよ。それに最近は熊太郎が一緒にいてくれるから。ねえ!」 
 後ろの荷台に乗った熊太郎がシャムの言葉に答えて甘えた声を出す。
「キーラさん。新しい基地の方は」 
 クリスの言葉に、キーラは彼の方を見据えた。複雑な、どこか悲しげな瞳にクリスは違和感を感じた。そしてキーラはただ黙って暗くなってきたあたりにあわせるようにヘッドライトをつけて車を走らせる。
「廃村と聞いているのですが……」 
「ええ、人っ子一人いないわよ。まあ、あれを見ればどうして居ないのかよくわかると思うけど」 
 キーラの棘のある言葉にクリスはそれ以上質問するのをやめた。この20年ほどの戦乱で北兼の村が廃村になることは珍しいことではない。ある村は軍に追われ、ある村はゲリラに攻められ、ある村は共和政府の憲兵隊に追い散らされた。周辺国に、あるいは国境の手前に難民キャンプを作っている人々の数は三千万を軽く越えていることだろう。遼南ではありふれた風景、クリスもその住人の絶望した表情を嫌と言うくらい見てきた。そして彼はクライアントの気に入るように、彼らの敵をクライアント達の敵であると決め付ける文章を書くことを生業としてきた。
「見えてきたわね」 
 キーラが高台の開けた道に車を走らせる。彼女の視線の先には、北兼ではそれほど珍しくも無いような山岳民族の集落が広がっている。その向こうに異質な存在を誇示している、嵯峨が保養所と呼んだ大きな宿泊施設がみえる。その周りでは、機材を運び込んでいる部隊員の姿がちらほらと動いている。
「普通の村ですね」 
 クリスの言葉にキーラの鋭い視線が飛んだ。不思議そうな顔をするクリスに彼女はあきらめたようにヘッドライトの照らす道に視線を戻した。
「そうね、ここから見る限りは普通の廃村よ。私もそうだと思い込んでいたから」 
 車は次第に山を下り、崩れかけた藁葺きの屋根が続く村の大通りに入った。
「あれ、こちらでは本部には……」 
「いいのよ。ホプキンスさんには見てもらいたいものがあるから」 
 キーラの声は冷たく固まっていた。クリスは後ろのシャムにも目を移してみた。そこには真剣な顔で熊太郎の頭を撫でているシャムの姿があった。
 速度を落とした四輪駆動車は、村の中心の井戸の手前で止まった。
「着きましたよ」 
 キーラの言葉をどこと無く重く感じながらクリスはドアを開いた。すぐに目に留まったのは目の前にある塔婆のような石の小山だった。それは一つではなかった。遼州の月、麗州の光にさらされるそれは、広場一面に点在していた。
 そしてその一つ一つに花が手向けられていた。 
「墓……ですか」 
 クリスはそう言うのが精一杯だった。キーラはクリスの隣に立つと静かに頷いた。
「これは全部あなたが守ってきたのよね」 
 淡々と言葉を発したキーラに静かにシャムが頷いた。
「みんな死んじゃったの。南から一杯、兵隊が来て、みんな殺していったの」 
 シャムはそのままうつむいた。そこに涙が光っているだろうということは、クリスにも理解できた。
「北兼崩れ。ホプキンスさんもご存知でしょう?うちの隊長の父親が遼南の軍閥達に担ぎ上げられて、遼北と南都と激突した事件のこと」 
 聞くまでも無いことだった。遼南で戦場を取材しようと言う人間なら誰でも知っているこの地の動乱の最初の萌芽。無能な父帝に廃された幼帝、ムジャンタ・ラスコーの物語。
「しかし、待ってくださいよ。それは二十年も前の話じゃないですか。彼女は生まれてないはずですよ……!!」 
 クリスはすぐさま涙を拭いてクリスを見つめているシャムをまじまじと見つめた。
「彼女、ラストバタリオンですか?」 
 キーラ達人造人間には老化と言う変化が存在しない。機能が麻痺して次第に衰えるだけ。それならばシャムと名乗る少女の姿も納得できた。
「まさか。私達の製造がなされたのは先の大戦の末期。確かに私達は老いの遺伝子を持ち合わせてはいないけど」 
 キーラはそう言うと悲しげに笑った。遼州の外惑星に浮かぶコロニー群で構成されたゲルパルト帝国。彼らが地球と戦端を開いたのは十年前。もしこの塔婆の群れが作られたのが北兼崩れの時期と言うことならば、『ラストバタリオン』と呼ばれた人造人間の研究の完成の前にシャムはすでに生まれていたことになる。
「そこらへんは専門家にでも調べてもらいましょう。それよりシャムちゃん」 
 キーラは肩を震わして涙しているシャムに顔を近づけた。
「シャワー浴びましょうよ。そんなに汚い格好してたらこのお墓の下に居る人達も悲しがるわよ」 
「うん。じゃあ着替え、持ってくる!」 
 そう言うとシャムは熊太郎を連れて藁葺きの屋根の並んでいる闇の中に吸い込まれていった。
「ホプキンスさんも疲れたんじゃないですか?伊藤中尉が部屋を用意しているはずですから、シャムちゃんが帰ってきたら本部に戻りましょう」 
 キーラはようやく笑顔に戻った。
 クリスとキーラがぼんやりとシャムの消えていった廃屋を眺めていると、闇の中から現れたシャムが行李を一つ、熊太郎の背中に乗せて現れた。
「じゃあ、シャムちゃん後ろに乗って」 
 キーラの言葉にばたばたとシャムは四輪駆動車の後ろに乗り込んだ。クリスも再び笑顔を取り戻したシャムを見て安心しながら助手席に乗り込む。
「回収部隊が出るみたいね」 
 キーラは車を切り返しながら、本部のある建物の前でアサルト・モジュール搭載用の二両のトレーラが出発する有様を見ていた。クリスは黙り込んでいた。
 虐殺の痕跡。その疑いがあるところには何度か足を踏み入れたことはあった。アフリカ、中南米、ゲルパルト、ベルルカン、大麗、そして遼南。その多くがすでに軍により処理が済んでいる所ばかりだった。下手に勘ぐれば命の保障は無い。案内の下士官や報道担当の将校はそんな表情をしながら笑って何も残っていない現場を案内していた。
 しかし、クリスはこの場所に来てしまった。戦場を渡り歩いてきた勘で二十年前、この村を襲った狂気を想像することはたやすかった。そんなクリスの思いを消し去ってくれるエンジン音の派手な四輪駆動車は急な坂道をエンジンブレーキをかけながら下りていく。
「隊長が戻ってきてるみたいね」 
 キーラの言葉通り、闇の中にそびえる黒い四式がライトに照らされていた。その隣では資材を満載したトラックから鉄骨が下ろされ、突貫工事での格納庫の建設が行われていた。
 車はそのまま本部を予定している保養施設の建物の横の車両の列の中に止められた。
「着きましたよ」 
 キーラの声にクリスは我に返り、手にした携帯端末のふたを閉じた。連隊規模の部隊の移動である。本部の前は工兵部隊の指揮官らしい男が部下に指示を与えていた。腰に軍刀を下げているところから見て胡州浪人上がりだろう。キーラが後ろのハッチを開けて中からシャムと同時に熊太郎が出てくるのを見てクリスは少し怯えたような表情を浮かべた。
「大丈夫ですよ。この子、結構賢いみたいですから」 
 キーラはそう言いながら熊太郎の頭を撫でた。熊太郎も警戒することなく、甘えたような声でキーラの手を舐め始めた。
「ジャコビン曹長!ホプキンスさんは?」 
 本部の建物から早足で歩いてきた伊藤がキーラに声をかける。キーラは何も言わずにクリスを指差した。
「コイツが熊太郎か。ずいぶんおとなしい熊だな」 
 伊藤はそう言うと熊太郎から距離をとりながらクリスの方に歩いてくる。微妙に引きつったその顔がつぼに入ったのか、キーラが噴出した。
「何だね、曹長!」 
「いいえ。ではジャコビン曹長は地元ゲリラへの尋問を開始します!」 
「尋問?」 
 シャムが不思議な顔をしてキーラを見上げた。
「たいしたことは無いわ。ちょっとシャワーを浴びながらお話を聞かせてもらうだけだから」
 そう言うとキーラはシャムと熊太郎を連れて本部の建物に入ろうとした。
「ジャコビン曹長。その熊も連れて行くのか?」 
 相変わらずおっかなびっくり熊太郎のほうに視線を走らせている政治将校の伊藤がこっけいに見えて、クリスも噴出してしまった。
「何か不都合でも?」 
「いや、いい。さっさとシャワーを浴びてきたまえ!」 
「でわ!」 
 キーラは敬礼をするとそのままシャムと熊太郎を連れて本部の建物の中に消えた。
「そんなに笑わなくてもいいじゃないですか!人間苦手なものくらいありますよ!」 
 伊藤が言い訳をする。クリスもようやく笑いが引いて、一つの疑問を口にしようと思った。
「伊藤中尉、あなたは知っていましたね。彼女の存在を」 
 そのクリスの言葉に、緩んでいた隼の表情は急に引き締まった。予想はしていた、しかしこれほど早くその質問が来るとは思わなかった。そんな表情でクリスを見つめる伊藤。だが彼は何も言葉を発することも無くそのままクリスを本部の建物へといざなった。
「意外と痛みはないでしょ?とても二十年間放置されてきたとは思えないくらいですよ」 
 確かにその通りだ。そうクリスにも思えた。コンクリートの建物の天井や壁を眺めて、亀裂一つ入っていない様を確認していた。
「おう、伊藤か。ご苦労だねえ」 
 灰皿がいくつも置かれたロビーの隅。嵯峨がタバコをくわえて座っていた。
「先ほどの質問なら隊長がお答えしますよ」 
 そうクリスの耳元でささやくと政治将校である伊藤隼中尉は敬礼して立ち去った。
「あいつも忙しいからねえ」 
 嵯峨は淡々とそう言いながらタバコをふかす。煙の匂いに眉をひそめながら、クリスは質問をする決意をした。
「あの、嵯峨中佐は……」 
「先に答えちゃおうか?知ってた」 
 まるで質問を読みきったように、嵯峨はそう言いきった。クリスは言葉を継ごうとするが、嵯峨の反応はそれよりはるかに早かった。
「俺のばあさんの家臣だったナンバルゲニア・アサドって男がばあさんが死んでからここに引っ込んだのは知ってたからな。それに彼にはあの森で見つけたシャムラードと言う養女がいたのもまあ聞いちゃあいたんだ」 
 そう言うと嵯峨はすっきりしたとでも言うように天井にタバコの煙を吐いた。
「それじゃあ……」 
「白いアサルト・モジュールのことか?ホプキンスさんも知ってるだろ?遼南が初めて実戦に使ったアサルト・モジュール『ナイト・シリーズ』のこと。遼南、新華遺跡で発掘された人型兵器のコピーとして東和との共同開発で製作されたアサルト・モジュール。まあ、生産性とか運用効率とか度外視して、しかもワンオフの機体だから当時戦艦三隻分の予算がかかったという話だねえ」 
 すべては承知の上での行動だった。クリスは嵯峨が悪名をとどろかせている意味がようやくわかった気がしてその隣のソファーに腰を下ろした。
「そんな目で見ないでくださいよ。正直こんなにすんなり行くとは思ってなかったんですから」 
 嵯峨はそう言いながら灰皿に吸殻を押し付ける。
「じゃあなんで……」 
「ちょっとはケレンが欲しいところだったんじゃないですか?サービス精神とでも受け取ってくれればいいですよ」 
 まるで他人事のようにそう言いながらまたポケットからタバコの箱を取り出す。最後の一本。嵯峨はそれを慎重に取り出すとゆったりとソファーの上で伸びをした。 
「それにしても、彼女は何者なんですか?この村が攻撃にさらされたのは二十年近く前になるわけですけど、彼女はどう見ても10歳くらいにしか……」 
 嵯峨はクリスの言葉を聴きながらタバコに火をつける。そしてそのまま一服すると、クリスの顔を覗き込んだ。
「遼州の伝説の騎士。初代皇帝太宗カオラの剣」 
「そんな御伽噺を聞こうと……」 
 そう言うクリスに嵯峨は皮肉めいた笑みを浮かべた。
 かつて地球人に発見されたばかりの遼州は乱れていた。小規模な国家が乱立、それが中世を思わせる剣と盾を振りながらの戦い。そこに宇宙を行き来する地球の軍隊が到着すればたとえ彼等が紳士的な考えの持ち主だったとしてもすぐにそれらの国々が併呑されたのは当然と言えた。その後の棄民政策でだまされるようにして移民してきた人々、彼等の非人間的な扱いを憂いて決起した軍人。そして資源を求めて移住した技術者達。彼等は手をとり東和・胡州・ゲルパルトなどの国家を築いて地球勢力からの独立を目指した。
 そしてその中心には遼州の巫女カオラの姿があり、後に彼女の夫となる騎士の姿があった。そして巫女カオラを守護する七人の騎士。独立を果たし役目を終えた騎士達は民草にまぎれて消えていった。そして同じく国家の形がなるにいたったところで初代皇帝となった巫女カオラの姿も忽然と消えていたと言う。
 だが、それが当時の混乱した遼州の伝説に過ぎないとクリスは思っていた。事実当時の書類の類を地球の主要国のデータベースで確認しようとしてみたがどれも永久非公開書類扱いとなっていた。『二つの人類の和を乱す『パンドラの箱』だ』。この決定を下した国連事務総長の言葉が今でも残っている。
「じゃあどう言えば納得してもらえますかね?あいつは今ここにいる、そしてあの墓は確かに二十年前の虐殺の跡。これははっきりしていることですよね?まあ米軍にでも頼んであいつをみじん切りにして研究すればわかるでしょうが……連絡しますか?」 
 そのどこか見るものを恐怖させるような視線を見たクリスは、黙って嵯峨の口から吐き出された煙に目を移した。
「あいつも一人の人間だ。たとえどういう生まれ方をしようが関係ないでしょ?太宗カオラはこう言ったそうですよ。『その身に流れている血が遼州の流れの血であろうと地球の流れの血であろうと遼州に生き、この地を愛する心を持つものであればすべて遼州人である』って」
 嵯峨の顔が一瞬真剣になる。クリスは黙って目の前の男を見つめていた。
「あなたは太宗の理想を実現するつもりなのですか?」 
 そのまじめな瞳にクリスはそう言うしかなかった。
「俺を買いかぶらないでくださいよ。俺はそれほど清廉潔白な生き方はしちゃあいません。ただ、俺にも意気地というものがある。こんなふざけた戦争をとっとと終わらして、あの餓鬼にも普通の生活を遅らせてやりたいと言うくらいの良識はもってるつもりですがね」 
 そう言う嵯峨が視線をクリスから廊下に移した。そこにはさっぱりした表情のシャムとキーラ、そして熊太郎がいた。
 シャムが身に着けているのは黒い毛織物をあわせたような布に赤と緑の刺繍を施した服とスカート。それにこちらも黒い布と金の刺繍で飾られた帽子の縁からは緑の糸が五月雨のように垂れ下がっている典型的なこの地方の民族衣装だった。こうして見ればシャムはありふれた遼南山岳部族の少女に見えた。
「凄いんだよ!隊長。上からお湯が一杯降ってきて、あっという間にきれいになるの。それにあぶくがでるときれいになる石があって、それで……」 
「あのなあ、言いたいことなら頭でまとめてから言えよ。それとジャコビン。酒保に行ってアンパン二つ持って来いや」 
 それを聞いて敬礼を残し走り去るキーラ。嵯峨は吸いかけのタバコをもみ消して立ち上がる。
「クリスさんも疲れたでしょう。相方も戻ってきたみたいですよ」 
 嵯峨のその言葉に表を見れば、到着したばかりのホバーから兵員が降車しているのが見える。その中に一人フラッシュを焚きまくる巨漢が居ればそれが誰かは見当が付いた。
「シャムはそこで待ってろ。キーラがアンパン持ってくるからな」 
「アンパン?」 
 その言葉にシャムと熊太郎は首をひねった。
「ああ、お前さんはパンも知らないんだろうな。小麦粉は知ってるか?」 
「うん。水で溶かして焼くと美味しいんだよ」 
「何が美味しいんですか?って……キュート!」 
 そう言いながら本部に入ってきたのはハワードだった。彼は目の前のシャムを見つけるといかにも興奮した様子で民族衣装を着た姿にシャッターを切った。シャムは不思議そうにカメラを構えるハワードを見ている。彼の黒い肌、そしてクリスの金色の髪の毛と青い瞳を見て、シャムは納得したように頷いた。
「もしかして外人さん?」 
 シャムの言葉に思わずハワードが噴出した。クリスは嵯峨を見つめる。こちらも腹を抱えて笑いを必死にこらえていた。
「そうだな、外人だな。……ホプキンスさん、外人らしく英語でしゃべってみたらどうですか?」
 そんなことまで言い出す嵯峨に頭を抱えるクリス。
「どうしたのみんな笑って?」 
 キーラはアンパンを持って現れる。そして今度はシャムがキーラを指差した。
「あ!キーラも外人だった!」 
 叫ぶシャムの言葉の意味がわからずに呆然と立ち尽くすキーラ。
「おい、シャム。それ以前にお前は宇宙人なんだぞ、地球の人から見たら」 
 ようやく笑いをこらえることに成功した嵯峨がそう言った。その意味がわからず呆然としているシャムに、キーラはアンパンの袋を二つ手渡した。
「酷いよう。そんな私はタコじゃないよ!」 
 シャムが膨れる。嵯峨は頭を撫でながら言葉を続けた。
「じゃあ外人なんて軽く言わないことだな。それより早くアンパン食べてみ」 
 言われるままに袋を開けてアンパンを手に取る。しばらくじっと見て、匂いを嗅ぐ。首をひねり、何度か電灯に翳す。そしてようやく少しだけ齧る。
「それじゃあアンまで食えねえだろ。もっとがぶっといけよ」 
 嵯峨の言葉にシャムはそのまま大きく口を開けてアンパンにかぶりついた。噛みはじめてすぐに、シャムの表情に驚きが浮かんだ。そして自分の分を食べながらキーラから受け取った熊太郎の分を熊太郎の口にくわえさせた。
「慌てるな、ゆっくり食えよ。逃げはしないんだから」 
 何かを話そうとしているシャムをさえぎった嵯峨。シャムは安心して最後の一口を口に放り込む。
「ずいぶん必死に食ってるなあ。お前さんはどうだ?」 
 嵯峨が熊太郎に尋ねる。器用に両手でアンパンを持ちながら食べ続けていた熊太郎だが、嵯峨の言葉に満足げに甘い鳴き声をあげた。
「これ!これ甘いよ。すごく甘い」 
 食べ終えたシャムが叫ぶ。キーラは不思議な生き物を見るように驚いた表情でシャムを見つめていた。
「そうだろ。俺の騎士になるとこんなものが毎日食えるんだぜ。よかったな」 
「うん!」 
 シャムは元気にそう答えた。熊太郎もアンパンを食べ終え満足そうにシャムに寄り添っている。
「はあ、今日は疲れたよ。ホプキンスさん達も寝た方が良いですよ。作戦初期の高揚感は疲労を忘れさせてくれるのは良いんだが、あとで肝心な時に動けなくなったりしたら洒落になりませんからねえ」 
 そう言うと嵯峨は二階に向かう階段を上り始めた。
「ああ、ホプキンスさん。あなたの部屋は三階になります。そう言えば伊藤中尉が……」 
 キーラが辺りを見回す。外の隊員に指示を出している伊藤を見つけるとキーラはそのまま走っていった。
「どうだった今日は?」 
 ハワードの言葉にクリスは何を言うべきか迷った。あまりに多くの出来事が起きすぎる一日。それを充実していたというべきなのか、クリスは少しばかり悩みながら、走ってきた伊藤に導かれて自分のベッドへと急いだ。


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