地球から遠く離れた植民惑星『遼州』そのお荷物とされてきた遼南共和国のどこにでもある安宿。クリストファー・ホプキンスはけたたましい自動車のクラクションが気になって記事を書いている携帯端末から目を離して窓の外に目をやった。空はどこまでも青く澄んで広がっている。 昨晩、遼南共和国央都宮殿にクーデターを起こして突入した親衛旅団と防衛する教条派の武装警察の銃撃戦の中には彼の姿もあった。親衛旅団を支持する市民をかき分けて銃撃戦を見つめていた自分が空を見ているとまるで夢か幻のように思えてきていた。そのまま立ち上がり窓辺に向かう。街の戒厳令が明けたばかりだと言うのに安宿の三階の窓から見える町には熱気のようなものが漂っていた。 遼南人民党教条派の支配の下、秘密警察の恐怖に怯えながら生きてきたこの貧しく若い国の人々は、大通りを闊歩しながら自由を満喫していた。銃声はほとんど聞こえないが、街を行く車の祝福のつもりらしいクラクションが響いている。それで何度眠りを妨げられたかを思い出すと苦笑いさえ浮かんできた。 クリスはそのまま窓から身を乗り出した。眼下の大通りを車道などを無視して闊歩する人々の顔は明るい。そんな明るい表情の人々を見つめていたクリスの耳にノックの音が響いた。その音にひきつけられるように窓から離れるとクリスはドアに向かった。 ドアを開くとそこにはクリスのたぶん最後になるだろう取材旅行に同行してくれた旧友の戦場カメラマン、ハワード・バスが立っていた。アフリカ、中央アジア、南米、そして遼州。数知れない戦場を二人で駆け巡ってきた。どれも懐かしくもあり激しくもあり、多くは語るのは止めたい様なさまざまな生と死を二人で見つめてきた。 アフリカ系らしいの澄んだ瞳。がっちりとしたその手の中のカメラがおもちゃのようにも見えてしまう大きな手。そして寡黙でいながら深い教養を持つ。安心して背中を任せられる相棒として彼を得たことは自分ににとって最大の幸福だとクリスは信じていた。 「やはり首謀者はあの吉田少佐だ。行政院のクーデター組の今回の決起の理由を説明する記者会見はあと三時間後に開くそうだぞ」 淡々と手に入れた情報を伝えるとその大男は冷蔵庫の隣の棚のコーヒーメーカーに手を伸ばした。昨日の取材でも親衛旅団の副官である吉田俊平少佐の指示でクーデターが始められたと言うことは親しい人民軍の中尉から聞いていた。彼もまた決起軍の目印である赤い腕章をつけて匂いの悪い両切りタバコをくゆらせていたことを思い出す。 昨日、宮殿の攻防が親衛旅団側の勝利に終わるのを確認した二人は通信社に送る材料を選ぶ為に語り合った。その事実を記録するかのようにテーブルの上にはその時のままのコーヒーカップがおかれていた。結局眠ったのは夜明けの直前。起きるとすぐに記事を書き始めてようやく時計を見る余裕が出来てそれに目をやればもう昼を過ぎようとしていた。まだ眠そうなクリスの顔を見て呆れたと言う表情のハワードは白いコップを手に取ると洗いもせずにそのままコーヒーを注いだ。部屋に香るコーヒーの匂い。地球なら銘柄とかで文句をつけ絶対に口にしないインスタントコーヒーだが特に気にすることもなく、ハワードは口にカップを当てる。 「特等席は取れるんだろうな?お前のコネが頼りなんだからな」 一口コーヒーを飲んだハワードがようやく一息ついたというように表情を緩めながらクリスに向き直った。ハワードはデジタル技術を信用しないアナログな人間だった。手にしたカメラもスチールフィルムを使用する。今時フィルムを手に入れようと思うとそれなりの苦労をするはずだがハワードはそれでもなんとか手に入れては荷物に入れてある暗幕で器用に暗室を作り写真を焼く。そんな骨董じみた趣味のカメラマンだったからこそクリスは彼と組むことを選んだのかも知れないと思った。 「安心してくれ。ちゃんと次期皇帝の許可は得ているよ。最前列に陣取れるはずだ」 クリスはそう言うと自分もコーヒーを飲もうと窓から離れる。 「そいつはすごいな。いつもの事ながらあのお人の記憶力には頭が下がるね。それとかわいいお客さんだ」 ハワードはカップをテーブルに置いて笑みを浮かべた。そう言ってハワードが振り返ったときにドアが突然開いて少女がそこに現れた。 クリスには彼女がやってくることは予想が付いていた。紅いスカーフは、典型的なこの国の高校生らしく首に巻かれて、その上に乗った幼く見える顔の笑顔とをもに印象に残る。 「クリスちゃん!来たよ!」 その脳天気な言葉で再会を喜ぶ姿は、とても高校生とは思えないものだった。確かにこの国の東アジア系と区別のつかない原住民族の出身とはいえ、クリスから見ても幼すぎるように見える。 「もう3年ぶりか。どうだね学校の方は?」 彼女、人民軍の英雄でもあるナンバルゲニア・シャムラードはたじろがずにどんどん部屋に入ってきた。 「野球やってるんだよ!しかもアタシ、レギュラーなんだ!」 うれしそうに話す彼女の姿と外の解放を喜び、赤地に紺色の星の描かれた遼南帝国の国旗を降りかざす民衆の姿をクリスは重ねてみていた。 「それは良かった。だが勉強もした方が良い。私も6年かかってハーバードを卒業した口だからね。ちゃんと勉強もしておくことだ」 「良いことを言うじゃないか。俺は大学中退だよ。コーヒーでも入れるとするか、シャムは甘いのが良いんだよな?」 ハワードはそう言うと再び母国から持ち込んだコーヒーメーカーの方に向かった。ハワードも仕事に没頭しているここ数日は仕方ないと言うことでインスタントを飲むが、彼のプライドが客にインスタントを出すことを許さなかった。 「北兼王ムジャンタ・ラスコー、嵯峨惟基大佐か。あの人物が次期皇帝とは……。君はどう思う?」 ソファーに腰掛けようとしたシャムにクリスはそうたずねた。コーヒーメーカーに向かう大男からクリスに目を向けたシャムが目を輝かせながら微笑を浮かべる。 「隊長は優しいから大丈夫だよ」 思わずコーヒーの粉を手にしたまま噴出したハワード。クリスも自分が戸惑った笑みを浮かべていることは予想が出来た。 「優しいだって?あのマフィア崩れに優しさがあるのなら俺はとっくにくたばってたよ!」 幸いこぼさずに済んだコーヒーの粉を注意深くコーヒーメーカーに注ぎながらハワードはそう叫んだ。一般的な用語で『優しい』という言葉の意味を探したなら、クリスも彼に同感せざるを得なかった。 嵯峨の優しさは戦場という特殊な空間でこそ有効な『優しさ』だった。嵯峨の信念、敵味方問わず最小限の被害で最大限の戦果を得るという状況を作り出す。それを『優しさ』とシャムは呼んでいることはクリスにも分かっていたことだった。 「ああ、君が来ることが分かっていれば珍しいものも用意しただろうが、こんなものしかなくてね」 クリスは昨日、久しぶりに教条派が立てこもった国防省を攻撃する親衛旅団との市街戦を取材に行ったときに親衛旅団の下士官に分けてもらった親衛旅団特製だというアンパンを彼女に手渡した。ただでさえ再会に満面の笑みのシャムがさらにうれしそうに大きく目を見開く。 「これ!大好きなんだ!」 彼女はそう言うと、さっそくアンパンにかぶりついた。大きく開いた口が半分ほどのパンを食いちぎった。クリスに向けられる無邪気な視線が彼の心に残った昨日の疲れを拭い去った。 「おいおい!レディーはこんな時はコーヒーが入るのを待つものだぜ!」 ハワードは満面に笑みを浮かべながらシャムにそう言った。シャムは再びアンパンに噛み付きながらハワードが差し出したコーヒーのカップを受け取った。 受け取ったコーヒーをテーブルに置き、そのまま口にくわえたアンパンを手にとって純真そうな笑みを浮かべるシャム。それを見て安心したのか、ハワードは自分のコーヒーを一口飲むと話を切り出した。 「ほぼ市内は親衛旅団と呼応した人民軍部隊が制圧したらしい。ここ央都州や教条派の影響力が強いはずの北天州でも教条派に呼応する動きは無いらしい。遼北の亡命組や東海の花山院軍閥や南都軍閥の動きが無いのが不気味だが……」 そんなハワードの言葉に答える代わりにクリスは記事を書いていた端末を切り替えた。 その画面はここ央都を中心にして展開されている人民軍の状況を図で示していた。多くの部隊に赤い旗のマークがつけられ、残りの部隊には×が記されている。そして下半分には嵯峨のシンパと以前から言われていた軍幹部や政府、人民党の高官の東海・南都両軍閥首脳との会合の予定表が見て取れた。 「吉田少佐からの情報か」 ハワードは納得したようにコーヒーをすすりながら身を乗り出す。その間にも赤いしるしの部隊が次々と白旗と×のしるしに変わりつつあった。 「まあ教条派の幹部が央都宮殿で捕らえられて親衛旅団の管理下にある以上、抵抗するだけ無意味だとわかっているんだろうな。それに恐らく根回しもしてあっただろうし……。それに実際勝ち目が無いのは誰にでもわかる。多くの教条派の部隊では兵士が脱走して動くに動けない状況だと言う話だ」 そう言うクリスに思わずハワードが頷く。その隣では二つ目のアンパンを口に運んでいるシャムがいた。 「脱走は遼南軍の十八番ってわけか。このまま南都と東海が吉田少佐支持に傾くとなれば、教条派についても得なんか一つもないからな」 そう言うとハワードはコーヒーカップを握り締める。同じようにクリスもまたコーヒーを啜った。クリスはいつもブラックのコーヒーを好んだ。豆は遼南南部の州、南都産だった。ヨーロッパ風の炒り具合はかなりきつめで、その苦味が口の中にゆっくり広がる飲み口がクリスの好みだった。 「ああ、遼北が半年前の首脳会見で改革路線を鮮明にして以降は東和や胡州との関係改善を進んでいるからな。教条派の強権政治を支持する馬鹿はどこにもいないよ。事実、さっき東和、大麗、西モスレムの実務者会議で吉田少佐のクーデターの容認で対応を急ぐことが決まったそうだ。地球もほぼ同じ対応を取るだろう。問題の胡州だが……」 遼州の外側を回る外惑星とアステロイドベルトなどのコロニー群で構成された貴族制国家『胡州帝国』。政情不安が続いているその国が動きを見せることはない。そうクリスは見ていた。国内での貴族を中心とした官派と庶民の利益拡大を目指す民派の対立はいつ内戦に発展してもおかしくない状況であり、他国に関心を向ける余裕などなかった。一方で遼州星系最大にして地球とも伍する力を持つこの遼南のある崑崙大陸の東に浮かぶ島国東和共和国。この国が今回の吉田俊平少佐率いる親衛旅団のクーデターを事前につかんでいて遼州の衛星の国家大麗や遼南に隣接する西モスレムに水面下での会合を設けていたことはクリスも予想していた。 7年前、遼州星系と地球の間で戦われた第二次遼州戦争。それがこの遼南にもたらしたのはアメリカ軍の基地と軍事力を背景とした強権的な指導者だった。 大戦末期に皇帝ムジャンタ・ムスガを追放して全権を手にしたガルシア・ゴンザレス大統領。老獪な政治手腕で地球諸国の支援を取り付けて独裁を敷いた怪物。 今、目の前に座って、アンパンにかぶりついている少女、シャムがゴンザレス将軍率いる共和軍と戦った『騎士』であることなど、知り合いであるクリス達でもなければ信じない事だろう。 「そう言えば俊平からこれを渡してくれって」 「俊平?」 クリスは不思議に思いながら手紙を手にした。そしてそれが吉田少佐からのものであることがわかってつい噴出した。 「電子戦のプロが手書きの手紙とはずいぶんアナクロじゃないか」 そう言ってハワードは笑う。クリスは封筒から一通の手紙を取り出した。それは記者会見場での位置取りの書類だった。A−8。絶好の位置である。それを見たハワードは黙って天井を見上げてにやりと白い歯を見せる。 「ほら、少佐殿からのお祝いだ。仕事はきっちり仕上げてくれよ!」 そう言うとクリスはハワードの腹を叩いた。再びにやりと笑ってハワードが大きく目を見開いてシャムを見直した。 「しかし、本当に君は変わらないんだな」 ハワードはまじまじと頭の先からつま先までシャムを丁寧に観察する。だがシャムは外の光景が珍しいと言うようにアンパンを急いで口に放り込むとそのまま窓に張り付いた。遼南共和国の西北に位置する高原地帯の北兼州。遼南でも特に開発の遅れた地域に住む彼女にしてみれば300年以上前に地球からの独立を果たしてから常に首都と呼ばれて来た央都の光景が珍しく見えても当然の話だった。 「でも都会って凄いねえ。ここには電気もあるし、テレビもあるし、いろんなものが売ってるし凄いんだよ!」 興奮気味なシャムの言葉にクリスは苦笑いを浮かべる。景観維持のために建物の高さに制限がある関係もあるが、東和で見るような1000メートル級のビルなどどこにも無い田舎町にしか見えない央都ですら彼女にとっては大都会なのだろう。そう思うとクリスは少しばかり複雑な気分になった。 「そうか。確かに君とであった北兼山地の村には自家発電装置しかなかったもんな。それも北兼軍が駐留するまでは放置されていたし」 クリスがコーヒーの最後の一口を飲み込んだ。その瞬間にも町の歓声は途切れることがなかった。彼はじっと窓から身を乗り出すシャムの後姿を眺めていた。その目の前で、急にシャムは肩を震わせていた。 「それに、……もう一人じゃないからね」 そう言うと急にシャムは顔を伏せた。彼女とであった北兼の山の中のあの廃村、そして一面に広がる墓。クリスもその異様な光景を思い出していた。シャムが一人取り残された朽ちかけた村。シャムも同じ光景を思い出したのだろう、クリスを見つめる目には涙が浮かんでいた。 「泣かなくたって良いじゃないか」 子供に泣かれるのは気分が悪い。従軍記者として累々と積み重なる死体の山を何度となく見てきたクリスだが、そこに響く数知れない子供の泣き声に慣れる事はできなかった。そんなことを思ったクリスは、同じような顔をしていた男の顔を思い出していた。これからこの国を治めるだろうある男の顔。その男との出会いがなければクリスはここにいることは無かったろう。 その男は北兼軍閥の首魁と呼ばれた男だった。嵯峨惟基中佐。そしてムジャンタ・ラスコーと言う名前で次期遼南帝国の皇帝に即位することが有力視されている食えない男だった。
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