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作品名:遼州戦記 保安隊日乗 5 作者:橋本 直

第34回   時は流れるままに 34
 結局、ケバブを食べ損ねた誠はその代わりと言ってアイシャに渡されたみかんを手に、居間のコタツに入ってゆったりとテレビを眺めていた。番組はなぜかラグビー。工業系の大学で体育会は軒並み弱小だった誠はラグビーなどまるで縁がない話だが、なぜかアイシャはなぜかその番組を選んでちらちらと試合の流れを見ているようだった。
「もうすぐ来るはずなんだけど……」 
 アイシャは時計を気にしながら自分でも確保したみかんの皮を剥いている。薫はシンのレシピを片手に鶏肉の仕込みをしている。カウラはその後姿を眺めているようで、台所を居間から覗き込めばそのエメラルドグリーンのポニーテールが動いているのが確認できる。
「みかんおいしいわね」 
 そう言うと一つ目のみかんの最後の袋を口に放り込むアイシャ。
「そうでしょ?この前、うちの道場に来ている双子の小学生の男の子の親御さんが持ってきてくれたんだけど、本当においしくて……最高でしょ?」 
 得意げな薫の声が台所から聞こえた。
「宴会をするんだろ?場所とかはどうするんだ?」 
 台所にいてもすることが無いことに気づいたのか、カウラはようやく腕組みをしながら居間にやってきた。アイシャはコタツの真ん中に置かれたみかんの山から一つを手に取ると、そのままカウラの座る席の前に置いた。
「まだ少し待っててね。そちらにこっちのテーブルと椅子を運んでもらうから。こちらが一段落着いたらお願いするわね」 
 薫の声。今度は野菜を切るような音が響いてくる。
「こんな話は無粋なのはわかっているんだが……」 
 おずおずと口を開くカウラ。不思議そうにそれをアイシャが見つめていた。
「突然、何?」 
 みかんを剥きながら話を始めようとしたカウラに、眉をひそめてめんどくさそうな表情を向けるアイシャ。カウラの生真面目なところがこう言うときにも出てくることに、誠は笑顔で彼女を見つめた。
「例の遠操系の法術師の件はお前にも連絡が無いのか?」 
 みかんを剥き終えて今度は白い筋を取り始めたカウラ。アイシャは呆れ果てたと言う表情を一瞬浮かべた後、真面目な表情でカウラを見つめた。
「もし、私達に連絡が必要なような事実が出てきているのなら、私がここにいるわけ無いじゃないの。一応佐官なのよ。責任者として呼び出しがかかってもいいような心の準備はいつもしてるわよ」 
 そう言って剥いていた二つ目のみかんを袋ごとに分け始める。
「そうだよな……」 
「なあに?そんなに仕事がしたいわけ?それじゃああんたは一生人造人間のままよ。培養液の中にいるのと今と、変わってないじゃないの」 
 そう言ったアイシャの表情。誠はその初めて見る悲しげで冷たいアイシャの表情にみかんを剥く手を思わず止めていた。
「今は楽しむこと。これは上官の命令。絶対の至上の命令よ。聞けないならランちゃんに告げ口するからね」 
「何を告げ口するんだ?」 
 そう言ったカウラの口元には笑みが浮かんでいた。
「そりゃあ今度カウラちゃんは誠ちゃんの第二夫人になるんで寿除隊しますから!って」 
 その言葉に思わず誠は口の中のみかんを吹いた。
「第二婦人って……いつからここは西モスレムになったんだ?」 
 カウラの顔は笑っている。それを見ながら誠はようやく息を整えることが出来た。だが得意顔のアイシャと次第に不機嫌そうな顔つきになるカウラの間で実に微妙な立場になったものだと、自然と苦笑いが浮かぶのを止めることは出来なかった。
「そりゃあ、第一婦人が私だからね。カウラちゃんは第二夫人。そう言うことでいいかしら?」 
 アイシャの目が誠に向かう。あまりに唐突な話題に誠は目を白黒させるだけだった。
「まあ、誠は奥さんが二人なの?まるで遼南の皇帝みたいね。凄いじゃない」 
 いつの間にかご馳走の支度にめどが付いたと言うように薫が顔を出した。母親にまでそんなことを言われて顔が赤くなるのを自分でも感じる誠。
「それじゃあ西園寺はどうするんだ?」 
 カウラの一言に誠もうつむいていた顔を上げる。アイシャは天井を向いてしばらく考えていたが、ひらめいたと言うように手を打った。
「そりゃあ小間使いよ」 
「誰が小間使いだ?」 
 そう言ったのは要。彼女は要人略取などを専門とする非正規部隊のサイボーグらしく重そうな銀色のアタッシュケースを抱えながら、音も立てずにアイシャの背後に立っていた。
「お帰り、要ちゃん」 
 まったく驚く様子も見せないアイシャ。むしろ要が後ろに立っていたからからかってみたのだと開き直るような顔をしている。
「お帰りじゃねえ!なんでテメエがこいつの第一夫人なんだ?って言うかなんでテメエ等がこいつと結婚することになってんだよ!」 
 そこまで言ったところで要が不意に口ごもる。カウラも薫も黙って仁王立ちしている要を見つめている。次第に要の顔が赤く染まる。そして手にしていたアタッシュケースを脇に置き、身動き一つすることなく同じポーズで固まっている。
「つまり、要ちゃんが誠ちゃんのお嫁さんになる。と言うか、要ちゃんは……」 
「うるせえ!死にたいか?そんなに死にたいか?」 
 真っ赤な顔をしてアイシャの襟首をつかんで持ち上げる要。首が絞まっているわけではないのでアイシャはニヤニヤしながら要の顔を見つめている。
「それより何?それ」 
 驚きも恐れもしない肝の据わったアイシャに言われて、ようやく要は我に返る。そしてすぐ持ち上げていたアイシャから手を離した。
「なんだと思う?」 
 要はそのままアタッシュケースを抱き込んで笑顔を浮かべる。
「なんだって……わからないから聞いてるんじゃない」 
 アイシャはつれなくそう言うとそのまま服の襟元を直してコタツに戻ろうとする。
「少しは気にしろよ!」 
「やだ。気にしたくない」 
 要の叫びがむなしく響くだけ。アイシャは見向きもせずにみかんにを伸ばす。
「アイシャ。聞いてやるくらいはいいだろ?」 
「そうよ、かわいそうよ」 
 カウラと薫の言葉がさらに重く要にのしかかっているようで、そのまま要は静かにアタッシュケースを持って歩いていく。
「アイシャさん。聞いてほしいみたいですから……」 
「あのねえ」 
 顔を上げて誠達を見つめるアイシャがみかんを横にどけた。正座をして一度長い紺色の髪を両脇に流した後、真剣な瞳で誠を見つめてくる。
「そうやってかまってやるから付け上がるのよ。要ちゃんは!」 
「確かにそうですけど……」 
「なんだ?アタシはシャムか?いつからそんなポジションに……」 
「黙ってらっしゃい!」 
 アイシャの気合の一言に文句を言おうとした要が引き下がる。
「たまには冷たくあしらうくらいのほうがいいのよ。つまらないことは無視!真面目な話だけ……」 
「いや、それはお前の方に当てはまる話だろ?」 
 ここまでアイシャの話を聞いて呆れながら応えるカウラ。それをみてアイシャはショックを受けたように大げさにのけぞる。
「え?みんなそう思ってたの?」 
「今気づいたのか?」 
 カウラの言葉に大きく頷くアイシャ。誠はそれが要を挑発するためのポーズだとわかって、なんとも困ったような笑顔が浮かんできた。そんな様子に舌打ちをした要。
「ああ、そうだ。カウラ。顔貸せ」 
 一瞬の沈黙をついてようやくいつもの調子に戻った要が、アタッシュケースを手にカウラを呼び寄せる。
「何のつもりだ?」 
 近づいてきて肩に手を伸ばした要にカウラは迷惑そうな顔を向けた。新品とわかるつやのある表面の銀色のアタッシュケース。誠は要ならば入っているものは小型のサブマシンガンなどだと思って苦い顔をした。
 しかし要はそんな迷惑そうな誠の視線など無視して立ち上がりかけたカウラの手を引く。
「ああ、薫さん。しばらくこいつを借りますから。それとアイシャ。鏡を見て来い」 
 そう言うと要はそのまま三人が泊まっている客間へとカウラを連れて行った。きっとガンショーか何かで見つけた最新式の銃器の発注をどうするかと言ったところを、小火器担当の整備士官であるキム・ジュンヒ少尉あたりと連絡を取って話し合う。そんなことを誠は想像していた。
「西園寺さん……また銃関係の話でもするんですかね」 
 誠は落ち着いて再びコタツに座りなおすと、食べかけのみかんに取り掛かった。再びだらけたモードに落ち着いたアイシャもみかんに取り掛かっている。
「あれでしょ?お互いの肉体で愛を確かめ合うんじゃないの?」 
「なに言ってるんですか……」 
 アイシャらしい解答に呆れ果てながら、誠はみかんを口に放り込んだ。薫もテレビのラグビーの試合に飽きたようでそのまま台所へと帰っていった。
「本当に鈍いのね」 
 ひそかにつぶやくアイシャ。誠にはしばらくその意味がわからず首をひねりながらアイシャを見つめていた。
「わからないの?」 
「何がですか?」 
 誠の解答が相当不満だったようで、アイシャは大きくため息をつくとみかんの袋を口に運んだ。
「アイシャさん、誠。机を運ぶの手伝ってほしいんだけど」 
「行くわよ、誠ちゃん」 
 薫の言葉に気分を切り替えたと言うように立ち上がるアイシャ。誠も先ほどのアイシャの発言に納得がいかないまま後ろ髪を惹かれるようにコタツの中から足を引き抜いた。
 コタツを廊下に運び、台所のテーブルと椅子を居間に運ぶとアイシャの手配していたピザが届いた。冬の夕方の日差しは黄色く、部屋の中に充満した。
 そして誠がピザを刺身用の大きな皿に移していたとき、今度は頼んでいたカウラ向けのバースデーケーキが届く。
「プレートはカウラちゃんに食べてもらいましょう」 
 わざわざアイシャがそう言ったのは実は辛党で通っている要が、チョコレートだけは別腹だということを、薫に伝えたかったのだろうと思うと誠は苦笑いを浮かべた。台所からはシンの贈り物であるケバブの焼ける香りが漂う。だが、そんな下準備が済んだというのに客間の要とカウラは出てくる様子が無かった。
「アイシャさん……」 
 テーブルにケーキを設置する。さらに昨日いつの間にか要が運び込んだ数本の地球産のワインのボトルを並べた誠。それを眺めているアイシャに誠が声をかけた。
「ああ、あの二人ね。それはそれは深い愛に目覚めちゃって……」 
「冗談は良いんですよ。もうすぐ始められるじゃないですか。呼んできたほうが良いんじゃないですか?」 
 誠の言葉に一瞬目が点になるアイシャ。そしてまじまじと誠を見つめてくる。
「誠ちゃん。本気で言ってるの?」 
「あの二人がアイシャさんの望む展開になっているとは思えないんですけど」 
 こちらも負けてたまるかと、誠もじっとアイシャを見つめる。
「何、二人で馬鹿なことやってんだよ」 
 客間に向かう廊下から顔を出した要。いつものように黒いタンクトップにジーンズ。先ほど出て行ったときと変わった様子は無い。
「カウラちゃんは?」 
 アイシャは明らかに要達が何をしていたのか知っていたように要に尋ねる。
「あいつの説得には骨が折れたぜ。こいつに二回も恥ずかしい格好を見せたくないとか抜かしやがって……」 
「二回?恥ずかしい?」 
 愚痴をこぼしてそのまま椅子に座って足を組む要。その言葉がいまいち理解できず、誠は呆然と要を見つめていた。
「お肉焼けたわよ!手伝って!」 
 薫の声で立ち上がる三人。そわそわしながら台所に行くと、そこにはそれぞれの皿に大盛りのケバブが並んでいた。
「凄いですね」 
 満面の笑みでアイシャが皿を両手に持った。誠は先ほどの要の言葉が気になったが追及するわけにも行かずに母から預けられた皿をテーブルに運ぶ。
 そして肉まで運ばれてくると居間の雰囲気はすっかり素朴な感じのパーティーのそれに変わっていた。
「もういいかな?」 
 そう言うと要が再び客間に消える。
「スパーリングワイン係!」 
 アイシャは手にしていたスパークリングワインを誠に渡す。あまりにも満足げな彼女の笑みにほだされてつい、誠はワインの栓の周りの銀紙を外す作業をはじめた。
「どう?誠ちゃん」 
「そんなすぐは無理ですよ」 
 恐る恐るスパークリングワインのコルクを緩めはじめた誠をアイシャが急かせる。
「おい、アイシャ。いいか?」 
 廊下で後ろに何かを抑えているような要の顔が飛び出していた。だがアイシャは要の言うことなど聞かずおっかなびっくり栓をひねっている誠を見つめている。
「いいわよ……って要領悪いわね」 
 そう言うと明らかにびびりながら栓を抜こうとしている誠からワインを奪い取るアイシャ。彼女はそのまま勢い良く栓をひっぱる。
 ぽんと栓が突然はじけた。栓はそのまま天井に当たって力なく床に転がった。
「ったく何やってんだよ……来いよ」 
 アイシャがワインを撒き散らす寸前でどうにか落ち着いたのを見計らうと、要が後ろの誰かに声をかけた。
「すまない……なんだか……似合わなくて」 
 戸惑いながら響くカウラの声。誠がそちらに目をやると緑の髪の淑女がそこに立っていた。アイシャ、薫、そして誠の視線がもじもじしながら立っているカウラに向けられていた。
「綺麗……」 
 アイシャがそう言うまでも無く誠も心のそこからカウラの美しさに惹かれていた。額と胸、そして腕には先日要が選んだルビーとプラチナの装飾が飾られている。着ているドレスは先日店で見たものとは違う薄い緑色の楚々とした雰囲気のドレスだった。
「凄いわね」 
 薫もうっとりとカウラの姿を見つめている。いつもは活動的なポニーテールになっている後ろ髪が流れるようにドレスの開いた背中に広がっている。
「まあ、こんくらいじゃないとアタシの上司って言うことで紹介するわけにはいかねえからな」 
 得意げな要のラフな黒いタンクトップとジーパン姿が極めて浮いて見える。
「要ちゃん。どきなさい」 
「んだ?アイシャ。今日の主役はこいつ。アタシの格好がどうだろうが関係ねえだろ?」 
「だから言ってんの。視界に入らないで。目が穢れるから」 
「なんだって?」 
 要がこぶしを作るのを見るとカウラはドレスが見せる効果か、ゆったりとした動きで握り締めた要の右手を抑えて見せた。
「止めろ、西園寺。貴様はそうやって……」 
 いつもの調子で言葉をつむぐカウラを泣き出しそうな表情で見つめる要。
「そのような無骨な言葉を使うことは感心しませんわよ。もう少し穏やかな言葉を使ってくださいな」 
 そう言って上品に笑ってアイシャの隣のを引いて静かに座る要。
「要ちゃん。ちょっといい?」 
「どうぞ、おっしゃって頂戴」 
「キモイ」 
 確かにあまりにも普段の暴力娘的な格好で上品な口調をする要には違和感があるのを誠も感じていた。
「てめえ、一回死ね!」 
 要はいつもの調子でそうつぶやくと再び穏やかな表情に戻った。
 誠がぼんやりとその様子を見つめていると、にこやかに笑う要の視線が誠を捉える。
「そこの下男の方。お姫様を席に案内してくださいな」 
「下男?」 
 要の言葉にしばらく戸惑った後、誠は椅子から立ち上がると隣の椅子を後ろに引いた。静かに慎重に歩くカウラ。そして彼女が椅子の前まで来たところで椅子を前に出す。静々と腰を下ろすカウラ。薫はいかにもうれしそうにその様を眺めている。
「下女のオタク娘さん。ワインがまだでして……」 
 そこまで言ったところでアイシャのチョップが要の額に突き立つ。
「ふ・ざ・け・る・の・はそのくらいにしなさいよ!」 
 結局6回チョップした後、言われるまでもないというようにワインを注いでいるアイシャ。食事が揃い、酒が揃い、ケーキも揃った。
「なんなら歌でも歌う?ハッピーバースデー〜とか言って」 
「それは止めてくれ」 
 アイシャの提案に真剣な表情で許しを請うカウラ。アイシャと要はがっかりだと言う表情で目の前のワイングラスを見つめているカウラを凝視していた。
「それじゃあ!」 
 満面の笑みの薫が手にグラスを持つ。それにあわせるように皆がグラスを掲げた。
「カウラさん、誕生日おめでとう!」 
『おめでとう!』 
 薫の音頭で宴が始まる。一口ワインを口にした要は、さすがにお嬢様ごっこは飽き飽きしたと言うようにいつもの調子でケバブにかぶりつく。
「また下品な本性をさらけ出したわね」 
 アイシャはそう言いながら要が乗ってこないとわかると、仕方がないというようにピザに手を伸ばした。
「そう言えばローソクとかは立てないんですか?」 
 誠のその言葉にものすごく複雑な表情を浮かべるカウラ。彼女は培養ポッドから出て八年しか経っていないと言う事実が誠達の頭にのしかかる。
「なに?八本ろうそくを立てるの?それならクバルカ中佐を呼んで来ないと駄目じゃない」 
 ピザを咥えながらのアイシャの言葉。しばらく誠はその意味を考える。
「見た目はそのくらいだからな。中佐は」 
 二口目のワインを飲みながらそう言ったカウラ。次の瞬間には要がむせ始め、手にした鶏の腿肉をさらに置くと低い声で笑い始める。
「笑いすぎよ、要ちゃん」 
 呆れた調子でアイシャは体を二つ折りにして声を殺して笑う要に声をかけた。
「馬鹿……思い出したじゃないか……あのちび……」 
 カウラも呆れるほど要は徹底して笑い続ける。しかし、突然アイシャが腕から外してテレビの上に置いていた携帯端末が着信を告げた。それを見ると誠もカウラも要もアイシャも顔を見合わせて大笑いを始めた。
「あの餓鬼!タイミングよすぎ!」 
 叫びながら笑う要。アイシャも必死に笑いをこらえながら立ち上がるとそのまま携帯端末の画面を起動した。起動した画面に映っていたのが幼い面影の副部隊長のランだったところから、それを見たとたんに思い切りアイシャは噴出した。
『は?何やってんだ?』 
 こちらの話題などはまるで知らないランが、ぽかんとした表情で画面に映っている。
「いえ……別にこちらのことですから」 
『ふーん』 
 ランはそう言うと不満そうな顔で画面をじっと見つめている。ちらちらと視線を動かすのは画面の端に映っているこちらの宴会の食事が気になっているのだろうと誠はなんとなく萌えていた。
「何にも無いよ、別に何にも……」 
『西園寺がそう言うところを見ると、アタシのことでなんか噂話でもしていやがったな?』 
 そう言うと苦笑いを浮かべるラン。その穏やかな表情を見ればこの通信が緊急を要するものでないことはすぐにわかった。誠はとりあえず飲もうとして口に持っていったグラスをテーブルに置く。
『まあ、あれだ。隊長から止められてお祝いにいけなかった連中からなんだけど、おめでとうってカウラに伝えとけってことだから代表してアタシが連絡したわけだ』 
 誠は欠勤扱いを受けたとしても意地でも乱入しようとする二人、シャムや菰田とそれを取り押さえる吉田達の姿を想像して渋い笑みを浮かべる。
「ご苦労様ですねえ、副長殿」 
『は?クラウゼ。テメーが休みを取りたいとか色々駄々こねたからこうなったんだろうが?ったく誰のせいだと思ってんだよ』 
 愚痴るラン。とりあえず音声だけを聞けば彼女はどう見ても小学校二年生にしか見えない事実は忘れることが出来た。だが目を開いた誠の前には明らかに子供に見えるランの姿がある。
『でだ。明日、シャムがお祝いをしたいとか言うからさあ……』 
「え?私達は非番じゃないですか!」 
 アイシャの声の調子が高く跳ね上がる。そしていつでもランの意見を論破してやろうと言う表情でアイシャが身構えるのが誠にはこっけいに見えて再び噴出す。
『別に仕事しろとは言わねーよ。なんでも面白い見世物があるんだと。それとおせちに使える野菜を収穫したからそれも渡したいとか抜かしてたぞ』 
 ランの苦笑いは消えることが無く続く。アイシャは頭を掻きながらドレス姿のカウラを見つめた。
『あれ?そこにいるのは……』 
「私です!」 
 半分やけになったように振り向いたカウラ。ランはそれを見てぽかんと口を開いた。
「凄いでしょ?これ全部要ちゃんのプレゼントなんだって!」 
 アイシャの声を聞いて胸を張る要。そしてしばらく放心していたランだが、次第に底意地の悪い笑みを浮かべ始めた。
『なんだ?まったくもって『馬子にも衣装』の典型例じゃねーか』 
「失礼なことを言うのね、ランちゃん。レディーにそんなことを言うもんじゃないわよ!」 
 アイシャの言葉につい頭を下げるラン。そして誠は今のタイミングだと思って椅子から立ち上がると二階に上がる階段を駆け上がった。
 誠は飛び込んだ自分の部屋の電気をつける。そしてすぐに机の上のイラストを入れた小箱を手に取ると再び階段を駆け下りた。
「おう!来たぞ、神前だ」 
 画面を通して上官が見ているというのに、スパーリングワインを空にしてさらに赤ワインに手を伸ばしていた要が顔を上げる。
『なんだ?さっき言ってたイラストか?』 
 ランも興味深そうに誠の手の中の箱に目をやった。その好奇心に満ちた表情はどう見ても見た目どおりの少女にしか見えなかった。
「それは……」 
 ドレス姿のカウラは動きにくそうに誠に振り返る。誠はそのまま箱を手に持つとカウラに突き出した。
「これ……プレゼントです!」 
 一瞬何が起きたのかというような表情の後、カウラは笑顔を浮かべてそしてすぐに周りの視線を感じながら恥ずかしそうにうつむく。
「あ、ええと。ありがとう」 
 小さな声、いつものカウラとは別人のような小さな声でカウラが答える。そしてカウラは静かに箱を受け取るとそのままテーブルの片隅に箱を置いた。まかれたリボンを丁寧に解く。
「どんなの?ねえ、どんなの?」 
 ニヤニヤ笑いながらアイシャが身を乗り出してくる。端末の画面では興味津々と言うようにランが目を輝かせていた。
 リボンが解け、箱が開かれた。
「あ……あのときの私か」 
 箱の中の色紙には宝飾店で見にまとった白いドレスのカウラの姿が描かれていた。すぐに恥ずかしそうにうつむいてしまうカウラ。
『おい、どんなのだ?見せろよ』 
 ランが画面の中で伸びをしているがそれはまるで無意味なことだったのでつい、誠も笑ってしまっていた。
「これは……?」 
 しばらく絵を見つめていたカウラの表情が硬くなった。それを見ていたアイシャがにんまりと笑う。
「アイシャが作っていたゲームのキャラに似てるな。目元が」 
 カウラの一言に誠は冷や汗が流れ出すのを感じていた。恐れていた指摘。にんまりと要とアイシャが笑っている。
「ああ、これって以前に頼んで描いてもらったエロゲのヒロインでしょ?」 
 アイシャの言葉にカウラが固まる。それを見て我が意を得たりとにんまりと笑う要。
「クラウゼ。そいつはどういうキャラクターなんだ?」 
 カウラの声が震えている。さすがのアイシャも自分の言葉にかなり神経質に反応しようとしているカウラを見て自分の軽い口を呪っているような表情を浮かべる。
「ええと、そのー……」 
「いい。私は好奇心で聞いているだけだ。別にそれほど深く考える必要は無い」 
 作った笑顔でアイシャを見つめるカウラ。とても好奇心で聞いているとは言えない顔がそこにはあった。
 誠ははらはらしながら返答に窮しているアイシャを見つめた。
「あれってアタシに『こんなエロゲはこれまでに無いわよ!』とか言ってきた奴じゃなかったか?高校生のうだつのあがらない主人公が、女魔族に自分が魔王の魂を持っていることを告げられて……」 
 要はたぶんデバックか何かを頼まれたんだろう。したり顔で話を続けようとする。
「ちょっとたんま!お願い!勘弁して!薫さんもいるんだから!」
「え?私は別にいいわよ。誠も結構そう言うゲームやってたわよねえ」 
 慌てふためくアイシャ。状況をうれしそうに見ている母、薫。ばれているだろうと思いながらうつむく誠。さらに何を言おうかと考えをめぐらす要。
「それは興味深いな。その女魔族が私……で?」 
 アイシャに聞くだけ無駄だと思ったようにカウラが今度は要に顔を向ける。得意げな表情でアイシャと誠を覗き見ている要。だが、彼女はより面白い方向に場を向けるために饒舌に話し始めるのは間違いないことだと二人はあきらめ始めた。
「まあ最初はSの香りが微塵も無い普通の高校生の主人公が、このどう見ても顔はカウラと言うヒロインのドMな魔族に手ほどきを受けて立派は……」 
「あー!あー!聞こえない!」 
 アイシャが叫ぶ。誠はただ苦笑いを浮かべてたたずむ。
「つまり……そのマゾヒストの魔族のイメージがこいつの頭の中にはあるわけだ……しかもカウラの顔で。ああ、そう言えばあの魔族は胸がでかかったなあ」 
 カウラの軽蔑するような視線が自分に突き刺さるのを感じる誠。誰が見ていようが関係なくはじめるアイシャによりそう言う系統のエロゲがどう展開するのか知り尽くしているカウラ。しかもアイシャの趣味に男性向け、女性向けと言うくくりは関係が無いものだった。
「ああ、しかもヒロインの登場場面は全裸じゃなかったっけ?あれも全部誠が描いたんだよなあ」 
「へえ、そうなんだ」 
 カウラの表情が次第に凍り付いていく。画面では他人事という安心感を前面に押し出しているようないい顔のランが映っている。
「さ!プレゼントは片付けましょ!食事を楽しまないと。ねえ、要ちゃんも雰囲気を変えて……そうだ!ケーキをきりましょうか?あ?ナイフが無い。それなら私が……」 
 慌てふためいてしゃべり続けるアイシャ。だが、カウラの鋭い視線が立ち上がろうとするアイシャに向かう。
「逃げる気か?」 
 低音。カウラの声としては珍しいほど低い声が響いてアイシャはそのまま椅子から動けなくなった。
「でも……アイシャさんが理想の女性を描けばいいのよって言ってましたから……」 
 ポツリとつぶやいた誠の一言。
 それが場の空気を一気に変える事になった。カウラの頬が一気に朱に染まり、それまでびんびん感じられていた殺気が空気が抜けた風船のようにしぼんでいく。一方で舌打ちでもしそうな苦い表情を浮かべていたのは要だった。
「そうよ……ねえ、あくまで理想だから。フィクションだから」 
「誠の理想はベルガー大尉なの?ちょっと望みが高すぎない」 
 ごまかそうとするアイシャとうれしそうな母。誠はただ苦笑いを浮かべるだけだった。
『落ちが付いたところで……良いか?』 
 ようやく切り出せると言う感じでランが口を開く。アイシャはとりあえず気を静めようとグラスのスパーリングワインを飲み干す。
「シャムちゃんの歓迎でしょ?まあこういう時は……」 
 アイシャの一言でしばらく呆けていたカウラが我に返るのが誠から見てもおかしかった。
「シャムの野菜が手に入るならいいんじゃないのか?薫さん、欲しい野菜は?」 
「ええと、クワイはまだ買ってないでしょ。次にレンコンも無い。ごぼうはちょっと足りないわね」 
 ドレス姿のカウラに声をかけられて驚いたように足りない野菜を数え始める薫。
『ああ、それなら後で一覧をメールしてくれねーかな。シャムの猟友会のつてや隊長の持ち込む食材なんかに当てはまるのがあるようなら用意しとくから』 
「良いんですの?」 
 薫はしばらく小さい子供にしか見えないランを見つめる。じっと薫に見つめられて困ったような表情でランはおずおずと頷いた。
「じゃあこれくらいで良いでしょ?切りますよ」 
『おい……それ』 
 続いて何かを言おうとしたランを無視して通信を切るアイシャ。まるで何かを隠そうとしているような彼女の表情に疑いの視線をぶつけるカウラ。
「じゃあ……ケーキはどう?」 
 そう言って立ち上がるアイシャ。カウラは相変わらずアイシャを監視するような視線で見つめている。
「おいおい、一応パーティーなんだぜ。そんなに真面目な面でじろじろアイシャを見るなよ」 
 要はいつも飲んでいる蒸留酒に比べてアルコールの少ないワインに飽きているようだった。カウラを見つめながら自分の趣味に満足したように頷いている。
「皆さん遠慮しないで食べてね。でも本当に不思議よね、このお肉。やわらかくて香りがあって……」 
 食事を勧めつつ、シンのレシピに基づいて作ったケバブを口に運ぶ薫。誠も一段落着いたというように、ケバブにかぶりついた。
「ちょっと誠ちゃん!ケーキとって!」 
 台所の流しでアイシャが叫ぶ。
「こっちで切りゃいいだろ!」 
「カウラちゃんのドレスにケーキのクリームが飛んだら大変でしょ?安全策よ」 
 そう言うと誠を見つめるアイシャ。仕方なく誠はそのままテーブルの中央に置かれたケーキを持ってアイシャが包丁を構えている流しに向かった。
「おい……全然飲んでねえじゃないか」 
 要はそう言うとワインのボトルを手に立ち上がる。いつもよりペースが遅い要なら大丈夫だと誠はそのままケーキをアイシャに手渡した。
「ありがと。カウラ!どれくらい……って!要ちゃん!」 
 アイシャの叫び声。誠が振り返る。
 そこには手にしたワインの瓶の口をカウラにの顔面に押し付けようとする要の姿があった。
「止めろ!」 
 ニヤニヤ笑いながらワインの瓶を押し付けてくる要にカウラがそう叫んだ瞬間、要の姿が瞬時に彼女の前から消えた。それはどう見ても『消えた』としか思えないものだった。
「え?」 
 彼女を助けようと振り向いた誠だが、次の瞬間、居間の壁際に要が大げさに倒れこんでいるのが見えると言う状況だった。
「本当に酔っ払いは……誠もそうだけど駄目駄目ね」 
 そう言って薫はワインを飲み干す。まるで何が起きたかすべてを知っているような母の態度。だが、そこに踏み込むことは誠にはできなかった。
「なに?何があったの?」 
 まるで状況が飲み込めないアイシャ。カウラもただ呆然と固まっている。
「うー……」 
 要はしばらく首をひねった後、ゆっくりと立ち上がって手にワインがなくなっているのを見つめた。
「あれ?ワインが無い……アタシは……あれ?」
 周りを確認してその急激な変化にただ戸惑う要。 
「駄目よ、飲みすぎちゃ」 
 そう言った薫の左手にはワインのボトルが握られている。まったく状況がつかめない誠達。ただ一人悠然とワインを楽しむ薫。
「じゃあ続きよ」 
 説明が出来ない状況を追及するようなアイシャではない。そう言って流し台のケーキに包丁を入れる。誠もそれを見ながら切られていく白いクリームを見つめていた。
「アタシ……何があったか覚えてる奴いる?」 
 居間で相変わらず不思議そうに要がつぶやく。カウラも誠もアイシャも状況がわからず黙り込んでいた。
「飲みすぎたんじゃないのか?」 
 カウラの言葉にもただ当惑している要が椅子に座った音が聞こえる。
「誠ちゃん。何があったかわかる?」 
 ケーキを皿に盛るアイシャは小声で誠に尋ねた。だが誠は首を振ることしか出来なかった。
「きっと母さんならわかるだろうけど……」 
 だが誠にそれを確認することはできなかった。法術の反応は明らかにあった。それは母から感じられていた。しかし母のそう言う能力の話は聞いていない。先日の法術適正でも、母からは能力反応が見られなかったと聞いていた。
「ほら!ケーキよ!」 
 やけになったように皿に盛ったケーキを運んでいくアイシャ。誠もそれに続く。アイシャはまずプレートの乗った大きなかけらをカウラの前に置いた。
「ありがとう」 
 そう言ってチョコのプレートの乗ったケーキをうれしそうに見つめるカウラ。
「それでこっちが要ちゃん」 
 イチゴが多く乗ったケーキの一切れが要の前に置かれる。
「ああ、うん」 
 まだ釈然としないと言うようにケーキを見つめる要。そして彼女は思い出したように母にケーキを手渡す誠をにらみつけてきた。その犯人を決め付けるような視線にあわてる誠。
「そんな……僕も知りませんよ」 
 誠はそれしか答えることが出来なかった。それでも納得できないと言うようにグラスにワインを注ぎ始める要。二人の微妙な距離感にカウラがあわてているのがわかり、二人ともとりあえず落ち着こうとワインを手にした。
「要ちゃんはケーキを肴にワインを飲むの?」 
 自分のケーキをテーブルに置いて腰を下ろしたアイシャの一言。要は相変わらずどこか引っかかることがあると言うような表情でケーキをつついた。
「大丈夫よ。何も仕掛けはないから」 
 そう言ったのは薫だった。誠は何か隠している母を見つめてみたが、まるで暖簾に腕押し。まともな返答が返ってくるとは想像できなかった。誠は仕方なくケーキを口に運ぶ。
「あ!」 
 カウラがケーキのプレートを口に運びながら、突然気が付いたように声を上げた。のんびりと自分のケーキにフォークを突き刺していたアイシャが急に顔を上げてカウラを見つめる。その様子がこっけいに見えたのか、要が噴出した。
「なに?なんだ?何かわかったのか?」 
 笑いと驚きを交えたようにようやくそう言った要。今度はそんな要がおかしく見えたらしく、カウラの方が笑いをこらえるような表情になった。
「そんな大したことじゃない。思い出したことがあるんだ」 
「だからなんなんだよ!」 
 怒鳴る要を見て困ったような表情を浮かべるカウラ。その様子を覗き見ながら苦笑いを浮かべるアイシャ。
「だからな。ケーキを食べるならコーヒーを入れたほうが……」 
「おい……くだらないこと言うなよ」 
 怒りを抑えるようにこぶしを握り締める要。アイシャも誠もつい噴出してしまう。
「いいわねえ……女の子は花があって。男の子はだめ。つまらないもの」 
 そんな要達を眺めながらぼやいてみせる母に仕方がないというように誠は顔を上げた。
「すいませんねえ」 
 愚痴る母親を見上げながら誠は甘さが控えめで香りの高いケーキの味を楽しんでいた。
「でも……いいな。こう言うことは」 
 カウラがそう言った。祝うと言うことの意味すらわからなかっただろう彼女の言葉。
「そうだな。悪くない」 
「悪くないなんて……要ちゃんひどくない?素敵だって言わなきゃ」 
「まあ、あれだ。オメエがいなけりゃ最高のクリスマスだな」 
「なんですって!」 
 再びじゃれあう要とアイシャ。誠もカウラの表情が明るくなるのを見て安心しながらケーキを口に運んだ。


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