地下鉄の駅を出て、北風の冷たい夕方の街を誠とカウラはゆっくりと歩いた。カウラは手にしたケースをしっかりと握り締め。時々視線をそちらに向けながら黙って歩いていた。街路樹の柳は葉もなく、その枝は物悲しい冬の風に吹かれていた。そんな風は誠の実家にたどり着いたときも止むことは無かった。 「ただいま……?」 誠がそう言って玄関を開けると小さな靴が一足あるのが目に入った。道場の子供かと思ったが、磨き上げられた革靴にそれが二人の上官のランのものだとわかった。 すぐにカウラの顔に緊張が走る。すばやく靴を脱ぎ捨てて部屋にあがったカウラ。誠はそんな状況でも大事そうにかばんを抱えているカウラを見つめながらそれに続いた。 「よう!邪魔してるぞ」 夕日を背に浴びながらコタツでみかんを食べているラン。その前に座っている薫もなにかうれしそうに微笑んでいた。いつもの勤務服姿のランだが、その小さいからだが隠れるようにコタツに入っているとどこかの小学校の制服に見えるので誠は噴出しそうになった。 「なんですか、脅かさないでください」 そう言いながら手にしたかばんを後ろに置いたカウラ。勤務服姿のランはそれを追求せずに自分が持ってきたバッグから何かを取り出した。 「アイシャが居ないが……まあいいか。まずこいつ」 ランは書類ケースを取り出す。 「第二小隊のシミュレーションのデータ解析を東和軍に頼んだからその時の経費関係の決済書だ。お前のサインがいるって高梨につき返されてさ。それでこの三枚。複写になってるからよろしくな。それと……」 今度は記録ディスクを取り出す。 「この資料。一応、アタシなりに今回の三機の起動実験のデータをまとめたもんだ。目を通しといてくれ」 カウラはそれぞれ受け取ると中身を確認してため息をつく。 「どうしたんだ?ため息なんかついて……って聞くだけ野暮か」 そう言いながら小さい手で頭を掻くラン。そのまま再びかばんに手を入れると冊子を一冊、それにデータディスクを取り出した。 「これはリアナに頼まれた資料だ。なんでも『高雄』の設備更新の資料だと。これはあとでアイシャに渡しておいてくれ」 「あの、たぶんもうすぐ帰ってくるとは思うんですけど」 受け取ってみたもののいまいち理解できずに言い返そうとするカウラだが、ランはにっこりと笑って首を横に振る。 「あいにくもう本局に向かわねーといけねーんだわ。予算執行に関しての口頭で説明しろって話だ。これは本当は隊長の仕事なんだけどなー」 「ああ、惟基君は相変わらずサボり癖がついてるわけね」 それまで黙って話を聞いていた薫の言葉。ランはただ照れ笑いを浮かべるだけだった。 「薫様のおっしゃるとおり!あのおっさんは一度しめないといかんな」 そう言ってランは最後の一袋のみかんを口に放り込む。 「様?」 誠はランの言葉が気になって繰り返してしまった。その誠に突然ランの表情が変わる。 「あ……!あれだよ。年上はちゃんといたわらないと」 明らかにあわてているランだが、誠の母はニコニコと笑っているだけだった。そして薫の目はカウラが手にしている豪華な装飾の施されたかばんへと向かった。 「でもベルガーさん。そのかばんは……」 ようやく話題を振ってもらってカウラの表情が明るくなった。 「ええ、これは西園寺からの誕生日プレゼントですよ」 「まあ!」 驚いたように身を乗り出す薫。ランも興味を惹かれたようでじっとカウラの手にあるかばんを眺めている。 「なにか?そんなに豪勢なかばんになに入れるんだ?通勤用とか言ったら重過ぎるだろ?」 ランはかばんがカウラへのプレゼントだと思ったらしく淡々と次のみかんを剥いていた。 「すでに入っているんです。夜会用の宝飾品のセットとドレスだそうです」 そう言われてもピンと来ないというような表情の薫とラン。そこでようやくカウラは腕の端末を起動させて机の上で画面を広げて見せた。そこには店で誠も見たドレスにティアラ、ネックレスをつけたカウラの姿があった。 「おー!こりゃあすげーや」 「素敵ねえ」 誠もひきつけられたカウラの写真に息を呑む二人。 「何度見ても素敵ですね」 「世辞はいいが何も出ないぞ」 そう言うとカウラは端末の画像を閉じてしまう。 「なんだよ、もう少し見せろっての」 ランはみかんを口に入れながらそう言った。だが、薫がランの後ろの時計を指差す。 「ああ、しょうがねーなー。じゃあ例の件、よろしく頼むぞ」 そう言ってランは立ち上がる。薫がそれにあわせようとするのを制すると、そのまますたすたと玄関へと向かった。 『ただいまー!ってなんでちびがここに?』 『うるせー!仕事だよ』 『まったくお疲れ様ですねえ。ちっちゃいのにお利口さんで……偉い!キスしちゃう!』 『アイシャ、いつかぼこるからな』 玄関で要とアイシャの二人に出くわしたランの大声が誠達にも響いてきた。 「怖いわ!ランちゃんがいじめに来たわ!」 早足で飛び込んできたアイシャが誠にすがりつく。 『アイシャ!聞こえてんぞ!』 ランの怒鳴り声。それを振り返りながらふすまを閉めながら入ってくる要。 「また叔父貴は司法局の呼び出しをランに肩代わりさせたのかよ。あんまり上と距離とっているといつか足元すくわれんぞ」 頭をかく要。さすがにその言葉にはカウラも頷いている。 「ああ、クバルカ中佐から渡されたものだ。なんでも鈴木中佐からの預かり物だそうだ」 誠にしがみついているアイシャをにらみつけながら冊子とディスクを差し出すカウラ。しばらく呆然とそれを見つめた後、仕方がないというように自分の前に引っ張ってくる。そしてそのままさも当然のようにコタツの誠の隣に座って冊子をめくるアイシャ。 「お姉さんも……これなら私も通信端末に転送されてたから見たわよ。丁寧と言うかなんと言うか……」 「あれじゃないか?通信だと情報漏えいがあるからそれに対応して……」 カウラ側に座らなければならなかった要が不満そうにみかんを剥いている。だが、その言葉にアイシャは首を横に振った。 「今回の設備導入は法術系システムなのよ。すでにシュペルター中尉が何度もそのシステムの調整を依頼していた大麗の会社と仕様の詰めで通信してたわよ」 そう言うとアイシャもみかんを手にとる。カウラは仕方がないと言うようにランから渡された書類に目を通していた。 「そう言えば誠ちゃん。今日は21日よ。間に合うの?」 アイシャの言葉に我に返る誠。さっとコタツを出ると立ち上がる。 「じゃあ、僕は作業に入りますから」 「はいはい邪魔はしねえよ」 出て行こうとする誠に投げやりな言葉をかける要。誠はいつものようにそのまま居間を出て行った。 階段を駆け上がり自分の部屋にたどり着く。 誠はすでに準備ができている画材の揃った机を見つめてみるが、すぐに彼の右腕の携帯端末に着信があるのに気づいた。 『よう!ご苦労さんだな』 通信を開くと相手は要だった。ネットワークと直結した彼女の脳からの連絡。誠はしばらく不思議そうに端末のカメラを見つめていた。 『そんなに疑い深い目で見るなよ。一応アレはアタシの上司でもあるんだぜ。多少ご助力をしようと思って……これ』 そう言った直後、画像が展開する。 それは昼間の宝飾店で見たカウラのドレス姿だった。時々恥ずかしそうに下を向いたり、要達から目をそらしたりして動く姿。いつもの堅苦しいカウラの姿はそこには無かった。突然振られたシンデレラの役に当惑している。そんな感じにも見えて誠はうっとりしながらその動きを眺めていた。 そんなことを考えているといつもの要の不機嫌な顔が予想できた。 「あれですか、録画してたんですか?」 『まあな。せっかくついている機能だから使わないともったいないだろ?』 引きつった笑みを浮かべているだろう要を思い出す。そしてそこにアイシャが突っ込みを入れていることも想像できた。 「ありがとうございます。早速保存しますね」 『ああ、それとこの動画は24日には自動的に削除されるからな』 「へ?」 誠の驚きを無視するように通信が途切れる。早速近くの立体画像展開装置にデーターを送信してカウラのドレス姿を映す。 「やっぱり……綺麗だな」 恥ずかしそうにエメラルドグリーンの髪をなびかせながらカメラへと視線を移すカウラ。誠も正直高級そうな雰囲気に押されて良く見ていなかったカウラをじっくりと見つめた。 鍛えているだけあって引き締まった腕。慣れないドレスに照れているような瞳。 自然と誠は下書きの鉛筆がいつもよりすばやく動いているのを感じていた。 「なんとか仕上げますから」 そう誰に言うでもなくつぶやくと誠は作業に没頭していた。冬の短い日差しはもうすでに無かった。いつの間にやら肉をいためた匂いが誠の鼻にも届く。 「今日は……肉か」 下書きを眺める誠。いつもアイシャの原作で描かされている18禁同人誌のヒロインの影響を受けてどうしても胸が大きくなっていることに気づいた。 「ああまあいいか」 そう言うと誠はペン入れをはじめるべく愛用のインクを机の引き出しから取り出した。 ペンを走らせて、誠は自分でも驚いていた。 圧倒的に早い。迷いが無い。下書きの鉛筆での段階とはまるで違うと言うようにペンが順調に思ったように動いた。絵は誠のこれまでの漫画のキャラクターと差があるわけでも無かった。そもそも写実的に描いたらカウラに白い目で見られると思っていたので自分らしく少女チックなキャラクターに仕上げるつもりだった。 時々、誠もリアルな絵を描きたいこともある。だが、最近はその絵をアイシャから散々けなされてあきらめていたことは事実だった。 自分の描き方に自信があるわけではないが、どんどんペンが順調に走っていく。誠はただその動作にあわせる様にして時々要のくれた画像を眺めては作業を進める。 『要さん!もっとこねるのは力を抜いて!』 母の言葉でようやく誠は現実の世界に戻ったような気がした。たぶん要は母、薫の得意な俵型コロッケを作るのを手伝おうと思ったのだろう。自然と笑みが漏れていた。 そして誠は自分が描いたイラストを見てみた。漫画チックとカウラや要には笑われるかもしれない。そんな絵だが、誠には満足できるものだった。描き直すことは誠は少ないほうだと思っていた。だが今回はプレゼントだ。満足ができるまで何度か書き直しが必要になるなと思ってはいた。 しかし、誠は主な線入れが終わった今。出来上がりが自慢の種になるのではないかと思えるほどに満足していた。 カウラのどこか脆そうなところが見える強気な視線。無駄の無い体ののライン。どこか悲しげな面差し。どれも誠がカウラに感じている思いを形にしているようなところがあった。 『お母様!油の温度はこれくらいで良いんですか!』 今度はアイシャの声が響く。明らかに要とアイシャは誠から自分の声が聞こえるようにと大声を出している。そのことに気づいて誠は苦笑した。 今度はペンを変えて細かいところに手を入れていく。 その作業も不思議なほど順調だった。階下のどたばたに頬を緩めながら書き進めるが、間違いなく思ったところに決めていたタッチの線が描かれていく。そしてひと段落つき、インクが乾くのを待ったほうがいいと思い誠はペンを置いた。誠の部屋の下は先ほどみかんを食べていた居間。その隣がキッチンだった。なにやら楽しそうな談笑がそこで繰り広げられているのが気になる。 それでも誠は作業に一区切りをつけると静かに立ち上がって本棚に向かった。 漫画とフィギュア。そのフィギュアの半分は誠が自作したものだった。隣の押入れにはお気に入りのキャラの原型もある。 だが一階で繰り広げられている料理教室の様子が気になって誠は仕方なくドアへと足を向けた。 ドアを開くと階段にいるカウラと視線が合った。 どちらも話し掛けるきっかけがつかめずに黙り込んでいた。先ほどまでペンを走らせていた緑の髪が揺れている。ただ二人は黙って見つめあうだけだった。 「早く呼んできてよ!」 アイシャの声に我に返ったカウラはぼんやりとしていた目つきに力をこめて誠を正面から見つめてきた。 「晩御飯だ」 それだけ言うとカウラは階段を降り始めた。誠はしばしの金縛りから解かれてそのまま階段を下りる。 「これ……うめー!」 「要ちゃん、誠君を待たなくてもいいの?」 「いいわよ気にしなくても。さあ、いっぱいあるから食べてね」 要、アイシャ、薫の声が響く。カウラに続いて食堂に入ると山とつまれたコロッケがテーブルに鎮座していた。見慣れないその量に圧倒される誠。 「母さんずいぶん作ったんだね」 少し呆れた調子でそういった息子に同調するように頷く薫。 「だって皆さん食べるんでしょ?特にカウラさん」 薫の言葉に視線を落とすカウラ。その様子を複雑そうな表情でアイシャが見ていた。 「だからとっとと食おうぜ」 すでに三個目のコロッケに手をつけている要。あの宝飾品店で見せた胡州一の名家の姫君の面差しはそこには無かった。皿にはソースのかけられたキャベツが山とつまれている。 「ああ、カウラちゃん。ビールとソース。冷蔵庫に入ってるから取ってよ」 もうすでに自分の皿にコロッケとキャベツを乗せられるぎりぎりまで乗せたアイシャの声。苦笑いを浮かべながらカウラは冷蔵庫の扉を開いた。 「ああ、酒が無かったな。すいませんオバサン、ウィスキーかなにかありますか?」 「オバサン?」 「オバサンじゃなくてお姉さんです!」 薫の眼光に負けて訂正する要。誠は振り向いた母の目を見て父の取って置きの焼酎を戸棚から取り出した。 「なんだよ……いいのがあるじゃん」 それを見て歓喜に震える要。誠から瓶を受け取るとラベルを真剣な表情で眺め始めた。 「南原酒造の言海か……うまいんだよな、これ」 そう言うとカウラからコップを受け取り遠慮なく注ぐ要。 「ちょっとは遠慮しなさいよね」 そういいかけたアイシャだが、腕につけた端末が着信を注げた。 「どうした」 カウラの言葉に首を振るとアイシャはそのまま立ち上がった。 「カウラちゃん食べててね」 そう言って廊下に出て行くアイシャ。その様子を不思議に思いながら誠はアイシャを見送った。
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