「ここかよ……また」 ランは上座で一人飲むヨーグルトを飲みながら短い足で胡坐をかいていた。あまさき屋の二階の座敷。何度と無く来ているだけにランの苦笑いも誠には理解できた。 「でも……いいの?私達までカウラちゃんのおごりなんて」 そう言いながら来客も待たずに突き出しの胡麻豆腐を出してもらってそれを肴にビールを飲むアイシャ。彼女のわき腹を突いてサラが困った顔を浮かべるが、まるで気にする様子も無くアイシャはジョッキを傾ける。 「私達にとってはベルガー大尉と同じ妹に当たるんですね。本当に楽しみです」 笑顔のパーラ。隣のエダはすでにカウラに同席するなら自腹でと言われたキムが一緒にいた。 「でも残念ですね。島田先輩は今日はカネミツの搬入で徹夜だって言ってましたから」 「神前君。気にしなくても良いって!」 赤い髪を振りながら元気に答えるサラ。誠も笑みを浮かべながら主賓の到着を待っていた。 「すまん、待たせたな……って、同僚達も一緒か?」 階段から顔を出したコートを抱えたエルマ。アイシャが隣の席に座れと指差すが、愛想笑いを浮かべたエルマはそのまま要の隣のカウラと向かい合う鉄板の前に腰掛けた。 「どうも私の部隊では一人が飲みに行くと言い出すと、いつでもこんな有様なんだ。ここはうちの隊舎みたいなものだ。楽にしてくれ」 カウラの一言で緊張していたエルマの表情が緩む。エルマについてきた小夏に手を上げたラン。小夏はそのそばにたどり着くとランの注文を受付始めた。 「もう五年経つんだな……社会適合訓練所を出てから」 「ああ」 そう言って見詰め合うカウラとエルマ。その様子をこの上なくうれしそうな表情のアイシャが見つめている。 「昔なじみの再会だ。くだらねえこと言うんじゃねえぞ」 すでに自分のキープしたジンを飲み始めている要がいつものように奇行に走るかもしれないアイシャに釘を刺す。誠はその隣でまだ飲み物も運ばれてきていないと言うのに始まるかもしれないアイシャの悪ふざけに警戒しながら正座で座っていた。 「今の品の無い発言をしたのが西園寺大尉だ。あの西園寺家の次期当主だ」 カウラの言葉に眉を引きつらせながら要がエルマに顔を向ける。 「エルマ・ヒーリア警部補です」 「これはご丁寧に。ワタクシは胡州、藤の内府。西園寺公爵息女、要と申しますの。よろしくお願いできて?」 わざとらしく上品な挨拶を繰り出す要の豹変振りに目がでんぐり返ったような表情のエルマ。時々こういう状況に出会ってきた誠は苦笑いを浮かべながらエルマが落ち着くのを待っていた。 「あらあら……皆さんどういたしましたの?ささ、皆さん今日はカウラ様からおごっていただけると言う仰せなのですから……どうされました騎士クバルカ様」 「キモイぞ西園寺。それと払うのはテメーだ」 時々お嬢様を気取ることもある要だが、初めてその現場に立ち会ったランが複雑な表情で要をにらんでいる。タレ目の要は満面の笑みでランを見つめている。 「まあ、失礼なことを仰られますのね。おーっほっほっほ」 要が口に手を上げて笑い始める。カウラとアイシャの二人はこういう状況の要には慣れているので完全に普通に振舞っている。それを見てサラは階段の方に歩き始めた。 「小夏ちゃん!料理をお願い」 「ハーイ!」 小夏の声が聞こえると要はそのまま目の前のグラスのジンを飲み干す。そうして大きくため息をつき。彼女を見つめているエルマを見つめながらにんまりと笑った。 「やってらんねえなあ」 「ならやるな」 お嬢様モードからいつもの調子に戻った要。頭を掻きながら手酌でジンを飲み始める。 「それにしても本当に綺麗な髪よね。カウラちゃんもそうだけど……」 そう言ってアイシャがエルマに近づいていく。だが、危険を察知したカウラが彼女の這って来た道をふさいでしまう。 「ええ、本来は毛髪は不要として設計されていますから。起動前の培養成長期末期に毛髪の育成工程の関係で髪質が向上しているらしいんです」 エルマの説明を聞きながらさすがに彼女の髪をいじるわけにも行かず、手前のカウラの髪を撫で始めるアイシャ。 「便利よね。私の頃にはそんな配慮なんて無いもの。ああ、そう言えばサラも起動調整のときに髪の毛がどうとか言ってなかった?」 アイシャににらまれて階段の手前で苦笑いを浮かべるサラ。 「たぶん気のせいよ。エダも私も製造準備はゲルパルト降伏以前だもの。アイシャとは大差ないわよ」 パーラの言葉に納得するアイシャ。彼女はそのままエルマの後ろに座る。 「そう言えば紹介まだよね。私……」 「順番にしろ。今回はエルマは私の部下に会いに来たんだ。次は……神前」 カウラがアイシャをさえぎって誠をにらんでくる。仕方なく誠は頭を掻きながら立ち上がる。彼を見るとエルマはうれしそうな表情で緊張している誠に目を向けてきた。 「おい、アタシはどうするんだ?」 頭を掻きながら要がカウラを見つめる。 「貴様はさっき済んだろ?」 カウラの言葉に拳を握り締める要。誠はカウラに見つめられるままに立ち上がった。 「ああ、済みません」 「謝る必要は無いんだがな。そこの小さいのは別にして」 思わず発した言葉にエルマは切り替えしてみせる要。さすがの誠も少しむっとしながら彼女を見つめた。 「神前誠曹長です。一応カウラさんの小隊の三番機を担当しています」 「ああ知っている」 一言で片付けるエルマに落ち込みながら座る誠。仇を討つというように彼に親指を立てて見せながら立ち上がったのはアイシャだった。 「私はアイシャ・クラウゼ。一応、運用艦『高雄』の副長をやっているわ」 「ええ、存じております」 また一言。アイシャまで前のめりになるのを見てサラと島田が彼女の前に立ちはだかってその場を押さえる。 「じゃあアタシが……」 「お待たせしました!」 ランが立ち上がろうとしたタイミングで小夏がお好み焼きを運んでくる。 「本当にいつも有難うね。すっかりごひいきにしていただいちゃって」 それに続いてきたのは紺色の留袖姿の小夏の母春子だった。手際よく小夏を補佐して料理を並べていく。 「へえ、お好み焼きですか」 「エルマさんでしたよね。東都ではこんな店いくらでもあるでしょ」 春子はそう言いながらエルマの前にえび玉を置く。エルマは首を左右に振って珍しそうにえび玉の入ったどんぶりを覗き込んだ。 「そんなこと無いですよ。と言うかどうしてもうちは機動隊と言うこともあって、外食はカロリーが高めな食事ばかりなので」 そう言うとエルマは具の入ったどんぶりに箸を入れる。その表情が和らぐのが誠には安堵できるひと時だった。 「良く混ぜた方が良いな」 カウラの助言に頷くとエルマはどんぶりの中のものをかき混ぜ始めた。 一方、誠はかき混ぜるのに夢中なカウラとエルマから見えないように春子から手招きされていた。同じように春子に呼ばれたキムと一緒に立ち上がると階段に向かって静かに歩き始めた。 「神前君。どうにかしてくれる?」 春子は困ったように階下を指差す。誠の背中に心理的な理由による汗が広がる。 「来てるんですか?スミス大尉」 そんな誠の問いに春子は大きく頷いた。 誘われるままに誠は階下に下りた。そこには島田とキム、菰田に囲まれて赤い顔をして酒を飲み下しているロナルドの姿があった。その目だけ死んでいる上官の姿にすぐに誠は後悔の念に囚われていた。 「よう!」 島田が手を上げる。その複雑そうな笑みに弱ったように誠は軽くそれに答えながら近くの空いた椅子を運んで彼らの隣に腰掛ける。 「やっぱりノーマルがいいですよね。エンジンは下手にいじると……」 誠はそう言ってカラカラと笑うがさらに場の雰囲気は冷たくなった。 「それが……」 島田が口を開く。ロナルドはその表情を見ながら皮肉めいた笑みを浮かべた。 「なかなか調整がうまく行かなくてね。しばらく時間はかかりそうなんだ」 焼酎入りの炭酸を飲み終えた菰田の言葉。さらに場は落ち込んでいく。島田の頬が引きつっている。ロナルドは目の前のウィスキーのグラスを傾けている。 「でも調整とかはうちの機材で……」 「さすがの俺も無理だわ。しばらくは搬入した新型の調整で動けなくなる」 島田の言葉がさらに落ち込んだ空気に止めを刺す。キムは笑ったままロナルドを見つめている。ぼんやりとした表情でホルモンを転がすロナルド。 「でも……」 「ああ、お前さんにはわからんか。じゃあ上に行ってこい」 島田の一言。もうたまらなくなって立ち上がる誠。 「すまないな。俺の個人的な問題だと言うのに」 『酔っ払いアンちゃん!出て来いよ!』 ロナルドは強がった笑みを浮かべる。階段の上の階から何度と無く誠を呼ぶのは要。とりあえずいじる対象として誠を呼んだだけあって少し緊張したような調子の声が響いている。 「申し訳ないですね」 そう言うと座っていた椅子を元の位置に戻す誠。 「君の気にすることじゃない」 強がるようにロナルドが吐いた言葉になんとなく勇気をもらえた誠はそのまま彼らを置いて二階へと上がった。 「大丈夫なのかよ……」 弱ったように誠に囁く要。カウラも大きなため息をつく。 「大丈夫には見えないだろうが。それより島田はこんなことをしていて良いのか?」 「明華の姐御が気を使ったんだろうな。大変だな島田の奴も。たぶんこのままとんぼ返りで隊に戻ってカネミツの整備手順の申し渡しとかをやるんだろうから……つらいねえ」 そう言うと要は階下の男達を見捨てるように座敷の自分の鉄板に向かった。 「私に気を使う必要は無いぞ」 呼ばれたからと言うことで誠を気遣うエルマの言葉だが、さすがにカウラ達は下の階の葬式のような雰囲気に付き合うつもりは無かった。 「気にするなって。個人的なことに顔を突っ込むほど野暮じゃねえから」 鬱陶しい空気を纏ったロナルドの雰囲気がうつっていた誠の肩をバシバシと叩く要。 「そうか?」 要の言葉にランは小さな彼女が持つと大きく見える中ジョッキでビールを飲んでいた。それを心配そうに見つめているエルマ。 「ああ、大丈夫ですよ。クバルカ中佐は二十歳過ぎていますから」 なだめるように言った誠をランがにらみつける。 「悪かったな。なりが餓鬼にしか見えなくて」 ギロリと誠をにらむラン。確かにその落ち着いた表情を見ると彼女が小学一年生ではなく、司法執行機関の部隊長であることを思い知らされる。誠の額に脂汗がにじんだ。 「そんなこと無いですよ!」 ふてくされるラン。その様子をいかにもうれしそうに見つめているアイシャ。彼女にとって小さい身体で隊員たちを恫喝して見せる様子は萌えのポイントになっていると誠も聞いていた。このままでは間違いなくアイシャはランに抱きついて頬ずりをはじめるのが目に見えていた。 「それより、もしかしてエルマさんの誕生日も12月24日なんですか?」 焦って口に出した言葉に後悔する誠。予想通りエルマは不思議な生き物でも見るような視線をまことに向けてくる。 「誕生日?」 「どうやら起動した日のことを指すらしいぞ。まあ、エルマの起動は私よりも二週間以上遅かったな」 カウラの言葉で意味を理解したエルマがビールに手を伸ばす。 「そうだな。私は一月四日に起動したと記録にはある。最終ロットの中では遅い方では無いんだがな」 エルマの言葉を聞きながら誠は彼女の胸を見ていた。確かにカウラと同じようにつるぺったんであることが同じ生産ラインで製造された人造人間であるということを証明しているように見えた。 「あれ?誠ちゃん……」 誠の胸の鼓動が早くなる。声の主、アイシャがにんまりと笑い誠の目の動きを理解したとでも言うようににじり寄ってくる。 「レディーの胸をまじまじと見るなんて……本当に下品なんだから」 「見てないです!」 叫んでみる誠だが、アイシャだけでなく要やサラまでニヤニヤと笑いながら誠に目を向けてくる。 「こいつも男だから仕方がねえだろ?」 「そうよねえ。でもそんなに露骨に見てると嫌われるわよ。ねえ、カウラちゃん」 「ああ……」 突然サラに話題を振られて動揺しながら烏龍茶を飲むカウラ。それぞれの鉄板の上ではお好み焼きの焼ける音が響き始めていた。 「早く!誠ちゃんの烏賊玉、出来てるわよ」 「え?アイシャさん焼いちゃったんですか?」 誠は驚いて自分の空になった材料の入ったボールを見た。その前の鉄板には自分のミックス玉を焼きながら誠の烏賊玉にソースを塗っているアイシャがいる。 「もしかして迷惑だった?」 落ち込んだように見上げてくるアイシャ。それがいつもの罠だとわかっていてもただ愛想笑いを浮かべるしかない誠。 「別にそう言うわけでは……」 そう答えるしかない誠。アイシャの表情はすぐに緩んだ。そしてそのままこてで誠の烏賊玉を切り分け始めた。 「そう言えばクリスマスの話はどうしたんだ?」 誠に媚を売るアイシャの姿に、苛立ちながらそう吐き捨てるように口を開いた要。彼女の方を向いたアイシャは満面の笑みで笑いかける。 「なんだよ気持ちわりいなあ」 そう言って引き気味にジンの入ったグラスを口にする要。そんな要が面白くてたまらないというようにアイシャは指差して誠に笑いかける。 「あの、クラウゼさん。人を指差すのは……」 「誠ちゃんまで要の味方?……私の味方は誰もいないのね!」 大げさに肩を落としうつむくアイシャ。サラとパーラが複雑な表情で彼女を見つめていた。一方で下座の鉄板ではすっかり二人だけの雰囲気を作りながらエダとキムがたこ焼きを突いて微笑みあっている。 「クリスマスねえ。クラウゼも少しは素直にパーティーがしたいって言えばいいのによー」 ランは一人、エイ鰭をあぶりながらビールを飲んでいる。 「だって普通じゃつまらないじゃないですか!」 そう言ってランの前に立ち上がるアイシャ。ここで場にいる人々はアイシャがすでに出来上がっていることに気づいていた。 「つ……つまらないかなあ」 さすがに目の据わったアイシャをどうこうできるわけも無く。口ごもるラン。誠が周りを見ると、要は無視を決め込み、カウラはエルマとの話を切り出そうとタイミングを計りつつ烏賊ゲソをくわえている。 パーラとサラ。本来なら酒の席で暴走することが多いアイシャの保護者のような役割の二人だが、完全に彼女達の目を盗んで飲み続けて出来上がったアイシャにただじっと見守る以外のことは出来ないようだった。 「やっぱりクリスマスと言うと!」 そう言うとアイシャはランの前にマイクを気取って割り箸を突き出す。 「そうだなー、クリスマスツリーだな」 「ハイ!失格。今回はカウラちゃんのお誕生日会なのでツリーはありません!」 ハイテンションでまくし立てるアイシャ。その姿をちらりと見た後、ランは腹を決めたように視線を落とした。 「じゃあ次は……」 得物を探して部屋を見渡すアイシャ。偶然にも笑い会っていたキムの視線がアイシャとぶつかってしまった。顔全体で絶望してみせるキムに向かってアイシャは満面の笑みでインタビューに向かった。 「少佐!止めてください少佐!」 キムの叫びが響く。割り箸でキムの頭をむやみに突きまわすアイシャ。それを苦笑いを浮かべながらエルマは眺めていた。 「楽しそうな部隊だな。ここは」 半分以上は呆れていると言う顔の彼女に合わせて無理のある笑みを浮かべるカウラ。 「あんた、何か言いたいことがあってこいつに声をかけたんじゃねえのか?」 タコの酢の物に手を伸ばした要の言葉にエルマは表情を切り替える。 「ああ、そうだ。今夜は例のカネミツが搬入されるらしいな」 「どこでその情報を?」 カウラの問いにエルマは首を振る。 「機動隊の方と言うことは警備任務があったんじゃないですか?」 誠が適当に言った言葉に頷き、そのまま腕の端末に手を回す。 「神前曹長はなかなか鋭いな。私は新港でのカネミツの荷揚げ作業の警備担当だった」 「だけどそれだけで私に声をかけたわけじゃないんだろ?」 カウラの言葉を聞きながら端末の上に浮かぶ画面を検索しているエルマ。 「何も無ければ……確かにな。貴様のことなど忘れていたかもしれない」 そう言って笑みを浮かべるエルマが端末の上に画像を表示させた。 闇の中に浮かぶ高級乗用車。見たところ東和では珍しいアメリカ製の黒塗りの電気自動車である。そこには少年が一人、窓の外に顔を出した運転手のサングラスの男の顔も見える。 「外ナンバーか……新港。監視している連中がいたところで不思議は無いな」 カウラはそう言って自分の端末にその写真をコピーした。それをわざわざ立ち上がって覗き込む要。しかし、それを見た要の表情が急に変わった。 「おい、叔父貴じゃねえの?この餓鬼。いつの間にか小さくなっちゃって……誰かみたいに」 誠もカウラもしばらくは要の言葉の意味が分からずに呆然としていた。 「おい、あたしにも送れ!」 上座で一人仲間はずれにされていたランが叫ぶ。要はしばらく呆れたように頭を掻くと自分の端末を起動させて、すぐに画像データを検索しその画像を三人の腕の端末に転送した。 そこにはまるで中国の古代王朝の幼帝といった雰囲気の少年が映っていた。明らかに先ほどの少年と比べるとひ弱でか細い印象があるが、同一人物と思いたくなるぐらいに似通っていた。 「これは?誰だ」 カウラの一言に呆れたようにため息をついた要。そして彼女はそのまま自分の座っていた席の前に置かれていたグラスを手にとって口に酒を含む。 「遼南の献帝……ムジャンタ・ラスコー陛下。つまり叔父貴本人だ」 要の言葉にカウラと誠はしばらく思考が停止した状態になっていた。 写真にひきつけられる誠達。ようやくカウラが口を開いた。 「エルマ。これは……」 カウラも意味がわかってまじめな顔でエルマに向かう。 「部下が撮影したものだ。私もこの少年と嵯峨特務大佐とのつながりを見つけたのは偶然でな。たまたまテレビでやっていたこの前の大戦の映像を見てピンと来ただけだったが……」 そんなエルマが要を見つめる。 「あれ?ジョージ君がどうしてこんな偉そうなかっこうしてるの?」 キムとエダをいじるのに飽きたアイシャがサラとパーラを引きずって誠の端末まで来るとそう叫んだ。その言葉で誠もこの少年のことを思い出した。寮の近くで何度か見かけた少年。その憎たらしい態度に頭にきたことは何度か有った。 「ジョージ君?知り合いか何かなのか?」 ランの言葉ににんまりと笑って頷くアイシャ。 「ええ、うちの寮の近くの子らしくて時々遊びに来るわよ」 そこまでアイシャが言ったところで要が飛び起きてアイシャの襟首を掴み上げる。そのままぎりぎりと締め上げていく要。アイシャはさすがに突然の攻撃に正気を取り戻して要の腕を掴んで暴れる。 「おい!なんでアタシを呼ばなかった!こいつは!」 「苦しい!助けて!でもカウラちゃんも誠ちゃんも知ってるわよねえ。時々遊びに来る……って苦しい!」 アイシャがもがくのを見て要は手を放す。そして彼女の視線は自然と誠の方を向いてきた。 「え?確かに見たことがありますけど……でも……」 「でもじゃねえんだよ!アメちゃんの外ナンバーの車に乗ってる叔父貴と同じ顔をした餓鬼。これだけで十分しょっ引いたっていい話になるんだぞ」 誠を怒鳴りつける要の肩を叩くラン。 「なんだ!姐御も怒れよ。こいつ等……」 ランは冷静な表情で階段の方を指差す。そこには要の怒鳴り声に気づいたロナルドが死んだような目をして部屋を覗き込んできていた。 「合衆国がどうしましたか?」 再び死んだ青い瞳が二階の宴会場をどん底の気分に叩き込んだ。 「そのーあれだ!大使館かCIAの連中が……」 要の一言。だが、どちらもロナルドが籍を置く海軍との間には軋轢がある。 「そうですよね。あいつらはいつだって好き勝手やるんだ。他にも陸軍の連中が……」 「ささ、スミス大尉。お話は下で」 島田がそう言ってロナルドの肩を叩く。何かろれつが回らない調子で叫んでいるロナルドを見送る誠達。 「ったく……で。この餓鬼の身元。どこまで割れてんだ?」 すっかり場を仕切り始めたランの鋭い視線がエルマに飛んだ。 頭を掻く誠。カウラもランの視線から目を背ける。 「実際近くの子供だと思ってたから……ねえ」 アイシャはそう言うと後ろで彼女を盾にしてランから隠れていたサラとパーラに目を向ける。 「あの……」 「わかった。つまりオメー等は何も知らないと」 そう言って端末の幼帝時代の嵯峨をまじまじと見るラン。明らかにその異常な食いつきに気づいたのは要だった。 「なんだ?中佐殿は枯れ専だと思っていたのですが叔父貴が好きだとか?あれが小さかったらとか考えている……とか?」 「何が言いてえんだ?あ?」 凄まれてすぐに引っ込む要。隊の笑い話にランが隊長の嵯峨に気があると言う冗談が囁かれているが、それが事実だったのかと思うと誠は少し引いた。 「大使館の車で動いているってことは……アタシ等は監視されていたってことか。目的はこいつだろうがな」 ランは視線を誠に向ける。ただ愛想笑いを浮かべる誠。 「確かに君に関するデータはどの国も欲しがっているのは事実だ。近藤事件での衆人環視下での法術展開。あれに食いつかない軍や警察関係者はいなかっただろう」 そう言いながら感心するように見つめてくるエルマ。それが気に入らないアイシャが誠の腹にボディーブローを決める。 「隊長のクローンの製造が行われたということだとすると……アメリカ陸軍の関係者と言うことか」 カウラの言葉にエルマも頷く。嵯峨は先の大戦でアメリカ軍の捕虜としてネバダ州の実験施設に送られていたことは隊では口外できない秘密の一つだった。誠達も生きたまま解剖され標本にされた嵯峨が再生して研究者を惨殺する映像を見たことがあった。 「……っておい。他にも乗っている人物がいるじゃねえか」 エルマに話せない事実を回想していた誠達にランが声をかけた。すぐに手元の端末の画像を拡大する。 ランの言葉通り後部座席に後頭部が見える。そのまま拡大するとそれが長髪の女性のものであることがわかる。 「同行した研究員か何かか?」 要はエルマにたずねた。 「それは断定できないな。この状況の報告をしてきた者の話ではこの少年よりも少し年上の少女だったと聞いている」 エルマの言葉をさえぎったランがまじまじと画面を見つめていた。 「そうとも言えねーよな。うちの明華だって16歳で遼北の人民軍技術大学出て技術畑を歩いてきたって例もあるわけだしな。思ったより天才と言うのは多くいるもんだぜ」 ランはそう言うと自分の中で納得したというようにもとの上座に戻ってしまう。 「つまりオメエ等は餓鬼に遊んでもらってたわけだ……同レベルで」 同じく自分の鉄板の前に腰を下ろした要。タレ目が誠達を哀れむように視線を送ってくるのがわかる。誠はただ頭を掻くだけだった。 「でも……私達には何も出来ないわよね。この子の人権がどうだとか言うのは筋違いだし、うちの周りをこの子が歩いていたって要みたいに無理にしょっ引くわけにも行かないんだから」 アイシャもそう言うと置き去りにされていた豚玉をかき混ぜ始める。 「確かにそうだが、今後、場合によっては連携をとって対処する可能性もある。先日の同盟厚生局と東和軍部の法術研究のが発覚した直後だ。可能性は常に考慮に入れておくべきだろう」 エルマの言葉にあいまいに頷くアイシャ。カウラもようやく納得したように皿に乗せてあった烏賊玉に手を付ける。 「でも安心したな。貴様がこんなになじんでいるとは……本当に」 手にしたミックス玉の入ったボールをアイシャの真似をしながらかき混ぜるエルマ。その言葉に要は眉をひそめた。 「なじんでる?こいつが?全然駄目!なじむと言う言葉に対する冒涜だよそりゃ」 要はそのまま手にしたジンのグラスを傾ける。カウラは厳しい表情で要をにらんでいる。 「ほら、見てみろよ。ちょっと突いたくらいでカッとなる。駄目だね。修行が足りない証拠だよ」 「そうねえ。その点では私も要ちゃんに同意見だわ」 手を伸ばしたビールのジョッキをサラに取り上げられてふてくされていたアイシャが振り向く。その言葉に賛同するように彼女から奪ったビールを飲みながらサラが頷き、それを見てパーラも賛同するような顔をする。 「そうかな。まだやはり慣れているとは言えないか……」 静かにつぶやくカウラ。その肩を勢い良くアイシャが叩いた。 「その為の誕生日会よ!期待しててよね!」 アイシャはそこで後悔の念を顔ににじませる。誠はすぐに要に目をやった。にんまりと笑い。烏賊ゲソをくわえながらアイシャを見つめている。 「ほう期待できるわけだ。どうなるのか楽しみだな」 「なるほど。分かった。期待しておこう」 納得したように烏龍茶を飲むカウラ。そこでアイシャの顔が泣きべそに変わる。 「良いもんね!じゃあ誠ちゃんのお母さんに電話して仕切っちゃうんだから!」 そう言うとアイシャは腕の端末を通信に切り替える。だが、彼女の言った言葉を聞き逃すほど要もカウラもお人よしではなかった。 「おい、アイシャ。こいつの実家の番号知ってるのか?」 要の目じりが引きつっている。隣でカウラは呆然と音声のみの通信を送っているアイシャを眺めている。 「実家の番号じゃないわよ。薫さんの携帯端末の番号」 その言葉で夏のコミケの前線基地として誠の実家の剣道場に寝泊りした際に仕切りと母の薫と話をしていたアイシャのことを思い出して呆然とした。 「あのー本気ですか?アイシャさん……あのー」 アイシャに近づこうとする誠を笑いながら遮るサラとパーラ。呼び出しの後、アイシャの端末に誠の母、神前薫の顔が映る。 『もしもし……ってクラウゼさんじゃないの!いつも誠がお世話になっちゃって』 「いいんですよ、お母様。それと私はアイシャと呼んでいただいて結構ですから」 微笑むアイシャをにらみつけるカウラ。烏賊ゲソをかじりながらやけになったように下を見ている要に焦りを感じる誠。 『でも……あれ、そこはなじみのお好み焼き屋さんじゃないですか。また誠が迷惑かけてなければいいんですけど』 そこでサラとパーラが大きくうなづく。誠はただその有様を笑ってみていることしかできなかった。 「大丈夫ですよお母様。しっかり私が見ていますから」 「なに言ってるんだよ。誠の次につぶれた回数が多いのはてめえじゃねえか」 ぼそりとつぶやいた要をアイシャがにらみつける。 「なんだよ!嘘じゃねえだろ!」 怒鳴る要。だがさすがに誠の母に知られたくない情報だけに全員が要をにらみつけた。いじけて下を向く要。 『あら、西園寺のお嬢さんもいらっしゃるのかしら』 薫の言葉にアイシャは画面に向き直る。 「ええ、あのじゃじゃ馬姫はすっかりお酒でご機嫌になって……」 「酒で機嫌がいいのは貴様じゃないのか?」 今度はカウラ。再びアイシャがにらみつける。 『あら、今度はベルガー大尉じゃないですか!皆さんでよくしていただいて本当に……』 そういうと少し目じりをぬぐう薫。さすがにこれほどまで堂々と母親を晒された誠は複雑な表情でアイシャを見つめる。 『本当にいつもありがとうございます』 「まあまあ、お母様。そんなに涙を流されなくても……ちゃんと私がお世話をしますから」 そう言ってなだめに入るアイシャをただ呆れ返ったように見つめているラン。その視線が誠に向いたとき、ただ頭を掻いて困ったようなふうを装う以外のことはできなかった。 「それじゃあ誠さんを出しますね」 「え?」 そういうと有無を言わさず端末のカメラを誠に向けるアイシャ。ビールのジョッキを持ったまま誠はただ凍りついた。 「ああ母さん……」 『飲みすぎちゃだめよ。本当にあなたはお父さんと似て弱いんだから』 そう言ってため息をつく薫。 「やっぱり脱ぐのか?すぐ脱ぐのか?」 ニヤニヤ笑いながら顔を近づけてくる要を押しやる誠。カウラも要を抱えて何とか進行を食い止める。 『お酒は飲んでも飲まれるな、よ。わかる?』 「はあ」 母の勢いにいつものように誠は生返事をした。 「おい、クリスマスの話がメインじゃなかったのか?」 思い出したようなランの言葉にわれに返ったアイシャ。誠達に腕の端末の開いた画像を見せていた彼女はそのまま自分のところに腕を引いた。 『クリスマス?』 不思議そうに首をひねる薫。 「いえ、カウラちゃんの誕生日が12月24日なんですよ」 アイシャはごまかすように口元を引きつらせながらそう言った。その言葉に誠の母の表情が一気に晴れ上がる。 『まあ、それはおめでたい日にお生まれになったのね!』 「ちなみに八歳です」 「余計なことは言うな」 要の茶々をにらみつけて黙らせるカウラ。それを聞いて苦笑いを浮かべながら要はグラスを干した。 『じゃあ、お祝いしなくっちゃ……ってクリスマスイブ……』 そう言うとしばらく薫は考えているような表情を浮かべた。 「そうですね。だから一緒にやろうと思うんですよ」 アイシャの言葉にしばらく呆然としていた薫だが、すぐに手を打って満面の笑みを浮かべる。 『そうね、一緒にお祝いするといいんじゃないかしら?楽しそうで素敵よね』 「そうですよね!そこでそちらでお祝いをしたいと思うんですが」 ようやく神妙な顔になったアイシャ。その言葉の意味がつかめないというように真顔でアイシャを見つめる薫。 『うれしいんですけど……うちは普通の家よ。それに夏にだっていらっしゃったじゃないの』 「でも剣道場とかあるじゃないですか」 食い下がるアイシャだが薫は冷めた視線でアイシャを見つめている。 『道場はその日は休みだし、たしかうちの人も研修の予定が入っていたような……』 そこで少し考え込むような演技をした後、アイシャは一気にまくし立てた。 「そんな日だからですよ。みんなでカウラの誕生日を祝っておめでたくすごそうというわけなんです」 アイシャを見ながらカウラは烏龍茶を飲み干す。 「完全に私の誕生日ということはついでなんだな」 乗っているアイシャを見つめながらぼそりとつぶやくカウラ。 『そういうこと。じゃあ協力するわね。誠もそれでいいわよね!』 笑顔を取り戻した母に苦笑いを浮かべる誠。 「まあいいです」 誠はそう答えることしかできなかった。その光景を眺めていたエルマが不思議な表情で誠に迫ってきたのに驚いたように誠はそのまま引き下がる。 「今の女性が君の母親か?若いな」 エルマの言葉に要がうなづいている。ランは渋い顔をして誠を見つめているが、それはいつものことなので誠も気にすることもなかった。 「アタシもそう思ったんだよ。まるで姉貴でも通用するだろ?なにか?法術適正とかは……」 「母からは聞いていませんよ。そんなこと。それにそういう言葉はもう数万回聴きました」 夏のコミケでいやになるほど要に話題にされた話を思い出してそう言って誠はビールをあおる。空になったジョッキ。ランの方を見れば彼女も飲み終えたジョッキを手に誠をにらみつけている。 「じゃあ、ちょっと頼んできますね。クバルカ中佐は中生で、要さんは良いとして」 「引っかかる言い方だな」 要はそう言いながらジンのボトルに手を伸ばす。 「じゃあ、誠ちゃん私も生中!サラとパーラの分も。それと……」 アイシャが仲良くエダとミックス玉をつついているキムを眺めた。 「僕は良いですよ。焼酎がありますから」 アイシャの視線を浴びて仕方がないようにボトルをかざして見せるキム。カウラの烏龍茶のグラスが空になっているのにもすぐに気がついた。立ち上がる誠。 「私はサワーが良いな。できればレモンで」 エルマの言葉を聴いて誠は立ち上がった。そのまま階段を降りかけて少し躊躇する。 「まあ、神前君。注文?」 時間を察したのか春子が上がってこようとしていた。そして階下には皿を洗う音だけが響いている。 「ロナルドさん達は?」 誠の言葉に春子はそのまま一階に戻る。誠が降りてくるとすでにロナルド達の居たテーブルはきれいに片付けられていた。 「ええ、島田さんが部隊から呼び出しがかかったということでみんなついていかれましたわ」 そういいながら伝票を取りに走る春子。皿を洗っていた小夏がひょこりと顔を出す。そんな娘を見て安心した笑みを春子が浮かべた。 「神前君、クバルカ中佐、サラちゃんとパーラちゃん、それにクラウゼ少佐が生中。それにベルガー大尉が烏龍茶……でいいかしら?」 いつものことながら注文を当ててみせる春子。 「それとお客さんがサワーが良いって言う話しなんですが……」 誠の言葉に晴れやかな表情を浮かべる春子。 「それならカボスのサワーが入ったのよ。嵯峨さんがどうしてもって置いていくから保安隊の隊員さんだけが相手の特別メニューよ」 いつものように嵯峨の話をする時は晴れやかな表情になる春子。それを見ながら誠は笑顔を向ける。 「じゃあ、お願いしますね」 そういうと誠は二階への階段を駆け上がった。そこには沈痛な表情のカウラ。ニヤニヤ笑うアイシャと要。他人のふりのサラとパーラ、そしてキムが待ち構えていた。 「エルマさんも来たいんだってよ。カウラちゃんの誕生日会」 アイシャの言葉に大きくうなづく要。だが、明らかにカウラの表情は硬い。普段なら呆れるところだがそういう感じではなくどう振舞えば良いのか戸惑っている。そういう風に誠には見えた。 「駄目なのか?カウラ」 心配そうな表情でライトブルーの髪を掻き揚げるエルマの肩にカウラはそっと手を乗せた。 「そんなことがあるわけないだろ。私達は姉妹なんだ」 「じゃあ、お姉さん命令。二人とも特例のない限り参加すること。以上!」 得意げに命令するアイシャ。確かにカウラもエルマもアイシャから見れば妹といえると思って誠は納得した。 「おい、特例って……」 「馬鹿ねえ、要ちゃんは。急な出動は私達の仕事にはつきものでしょ?」 そうアイシャに指摘されてふてくされる要。だが、正論なので黙ってグラスのジンをなめる以外のことはできなかった。 「そうか……ありがとう」 エルマが不器用な笑いを浮かべる。その表情にサラが何かわかったような顔でうなづく。 「どうしたの、サラ」 アイシャの問いにサラはそのままアイシャのところまで這っていって耳元で何かをささやく。すぐに納得したとでも言うようにうなづくアイシャ。 「内緒話とは感心しないな」 カウラの言葉にアイシャとサラは調子を合わせるようににんまりと笑う。 「私が男性と付き合ったことがないということを話題にしているわけだ」 そんなエルマの一言に一歩退くアイシャとサラ。 「馬鹿だねえ……テメエ等の行動パターンは読まれてるんだ。こんな副長の指示で動くとはもう少し空気を読めよ」 階段をあがってきた小夏から中ジョッキを受け取ったランの皮肉めいた笑顔。キムとエダも大きくうなづいて彼女に賛同する。 「私達は生まれが特殊な上に現状の社会では異物だからな。仕方のない話だ」 そう言いながらカウラがちらりと誠を見上げる。その所作につい、誠は自分の頬が赤く染まるのを感じていた。 「これで後はお母さんと話をつめて……」 アイシャが宙を見ながら指を折っているのが目に入る。 「お母さんて……こいつとくっつく気か?」 要の一言に頬を両手で押さえて照れたような表情をつくるアイシャ。 「私は無関係だからな」 カウラはそう言って烏龍茶を煽る。 「本当に楽しそうな部隊だな。神前曹長」 そんなエルマの一言に引きつった笑みしか浮かべられない誠が居た。
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