「兄さん、良いんですか?またクラウゼ少佐達が何か始めてますよ」 そう言うと兄の顔を見ながらソファーに腰掛ける管理部部長高梨渉参事。その隣では湯飲みに茶を注ぐ技術部部長の許明華大佐がいた。 「まあいいんじゃないの?アイツ等も俺等の仕事が結局何が出来るのか、何が出来ないのか。今回のことでわかったんじゃないかな?結局は俺達の立場じゃ事件が起きなきゃ動きが取れない、終わったときには被害者の涙ばかり。あんまりおいしい仕事じゃ無いってことだよ俺達のお仕事は」 嵯峨はうまそうに羊羹を頬張る。その姿に大きくため息をつく安城。 「いつのもことだけど……そんな部下の使い方しているとそのうち足元掬われるわよ。今回の事件だってあの化け物の登場くらいは予想してたんでしょ?」 その声に頷きながら明華が湯飲みを高梨に差し出す。目の前の湯飲みを包み込むようにして持った高梨は同意するように大きく頷いた。 「なに、忠告したってやることは同じなんだからさ。まあ俺は隊長なんて柄じゃねえことはわかっているんだ。今回だって辞表を司法局長に提出したんだけどさあ……」 「また握りつぶされたの?これで何度目?」 噴出す安城に情けない顔をしてみせる嵯峨。明華も呆れたようにその光景を見つめていた。 「でも今回はかなり事後処理に手間取りそうですね。東都軍部の上層部。兄さんが脅しをかけた連中は全員諭旨免職処分になったそうですが」 「身分が自由になれば好き勝手なことを言い出しかねないってこと?まあそれを相手にするほどマスコミも暇じゃないでしょ。まあ地球人至上主義や妄想遼州人のネットユーザーが騒いで終わりよ」 安城の一言を聞いても納得がいかないというように頭を掻く高梨。そんな小太りのまるで兄の嵯峨とは似たところの見えない彼から嵯峨に明華が視線を移した。 「けど……今回の厚生局の違法研究のデータが流出した件の方が軍幹部の政治ゲームよりももっと重要な事件だと思うんですけど」 その言葉を聞くと嵯峨は一口目の前の湯飲みの茶を口に含んだ。 「直接応用しようなんて動きは無いでしょうけど……まあ警戒しておくに越したことは無いわね。その辺は本局の調査部に連絡しておくわ」 そこまで言うと安城はじっと嵯峨の顔を見た。明らかに納得がいかないというように手元にあった書類の角をぴらぴらとめくっている同僚に不思議そうな視線を向ける。 「何か気になることでもあるの?」 安城の言葉に顔を上げた嵯峨。相変わらず納得がいかないと言う表情で高梨、明華と目を向けて、そしてそのまま天井を見つめる。 「俺はさあ。人体実験の材料にされたことがあるからわかるんだけどさ。今回の事件であの化け物の材料にされた被害者いるだろ?シャムの奴は自分達の制御が出来なくなった彼らが誠に止めを刺してくれって言ってたっていうんだけどさあ」 「ナンバルゲニア中尉らしい話ね」 そう言うと安城は手にした湯飲みを口に運ぶ。 「だとしたらそんな言葉がなぜ周りの研究者に聞こえなかったのかなあって思うんだよね。俺の場合は意識があったから注射針とか突き刺してくる連中をにらみつけてやったら結構びびってたよ」 嵯峨の口元に微笑が浮かぶ。それを見てため息をつく安城。高梨は黙って茶を啜り、明華はポットから急須に湯を注いでいた。 ぼんやりとした視線で自分を見上げている嵯峨の顔を見て、ハッとしたのは安城だった。 「嵯峨さんにはわからないかもね。ずっと平和とは無縁に生きてきた人ですもの」 その遠慮してオブラートに包んだような安城の言葉に嵯峨は首をひねった。 「どういうこと?まあ俺の周りじゃあ刃傷沙汰が絶えなかったのは事実だけどね。餓鬼の頃は遼南の皇位継承権をめぐって、負けて胡州に行けばさっそく地球相手に大戦争だ。そしてまた戻ってみれば遼南は内戦状態。平和より戦争状態のほうが俺にとっては普通のことだからな」 そう言うと嵯峨は引き出しを開けた。そして湯飲み茶碗の隣にかりんとうの袋を置く。空の湯のみに気を利かせた明華が茶を注いだ。 「平和な時代だと自分の手が汚れていることに気づかないものよ。他人を傷つけるのに戦争なら国家や正義とか言う第三者に思考をゆだねて被害者ぶれば確かに自分が正しいことをしているとでも思いこめるけど、立ち止まって考えてみれば自分の手が汚れていることに気づく。でも……」 安城の言葉に明らかにそれがわからないというような顔でかりんとうの袋を開ける嵯峨。彼女は視線を高梨に向けるが文官の高梨はただ困ったような笑顔を向けるだけだった。 「俺が言いたいのはさ、自分の正義で勝手に人を解剖するのはやめて欲しいってことなんだよ。理系の人にはわからないかなあ」 「私も技術者ですけど何か?」 「いやあ、明華はいいんだよ」 「神前曹長からすればもっとたちが悪いかも知れないわよ」 そう言って嵯峨の目の前のかりんとうの袋に手を入れる。取って置きを取られた嵯峨が悲しそうな視線を明華に向けた。 「技術が進んでも人は分かり合えない。そう言うことなんじゃないですか?別に平和とか戦争とか関係ないでしょ」 一言、高梨がつぶやいて湯飲みに手を伸ばす。嵯峨はかりんとうを口に入れて噛み砕く。 「そうかもしれないわね。結局、人は他人の痛みをわかることは出来ない。でも、想像するくらいのことは出来るわよね」 「それくらい考えてもらわねえと困るよなあ。でもまあ……俺も人のことは言えねえか」 いつもの皮肉るような笑顔が嵯峨の顔に宿る。そして嵯峨は気がついたように後ろから差し込む冬を感じる弱弱しい太陽を見上げた。 「ああ、まぶしいねえ。俺にはちょっと太陽はまぶしすぎるよ……で、思うんだけどさ秀美さん」 突然名前を呼ばれて安城は太陽をさえぎるように手を当てながら両目を天井に向けている嵯峨に目をやる。 「この世で一番罪深いのは想像力の不足じゃないかと思うんだよね。今回の件でもそうだ。生きたまま生体プラントに取り込まれる被験者の気持ちを想像できなかった。その連中の想像力の欠乏が一番のこの事件で断罪されるべきところだったんじゃないかなあ」 その言葉に安城は微笑んだ。 「そうね、これから裁かれる彼らにはそれをわかって欲しいわよね。でもそんな私達もたとえ想像が及んだとしても相手に情けをかけることが許されない仕事を選んだわけだし。そんな私達はどう断罪されるのかしら?」 苦笑いを浮かべる嵯峨。 「因果な商売だねえ」 そして嵯峨は頭を掻きながらいつものようにうまそうに茶を啜って見せた。 「あいつらもそのうちこんなことを考えるようになるのかねえ」 嵯峨の冬の日差しを見上げる姿に珍しく安城は素直な笑顔を浮かべていた。
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