「……なんやかんや言いながら、アイツも司法捜査官なんだな。ちゃんとここからなら動きが良く見えるわ」 納得するようにカウラのスポーツカーの窓からマンションを眺める要。東都理科大での一般教養科目の生物学の講義を終えて片桐博士が自宅のマンションに帰っていた。茜の指示でその三階の部屋の明かりを見ながら要はあくびをしていた。 「一般教養科目の講師か。確かに屈辱でしかないだろうな」 カウラの声に誠も頷く。 東都理科大は誠の母校だった。理系の専門大学の私大では東和でも一番の難関大学である。専門課程の研究室の准教授が高額の研究費を貰っているのに対して教養科目の講師の立場があまりにも低い待遇なのは誠も知っていた。 「しかし……男の影も無いのかよ?寂しいねえ」 まるで自分のことを考えずにつぶやく要に思わず噴出すカウラ。だがそれは要の耳には届かなかったようで彼女はひたすら車の中から夕闇に明かりの目立つ片桐博士の部屋を見つめていた。 「西園寺。あのマンションの訪問者の画像データは?」 「当然手に入れたに決まってるだろ?あのオバサンがらみはとりあえず無し。これじゃあライラさんの部隊や東都警察の連中もすぐに手を引くだろうってことが分かるくらい綺麗なもんだ」 要の言葉と共にカウラと誠の端末にデータの着信を知らせる音楽が流れる。誠の深夜放送のアニメの主題歌が流れる端末を見て、要が監視をやめてニヤニヤ笑いながら助手席の誠を見つめてくるが、誠は無視してそのままデータを開いた。 「綺麗と言うか……この数ヶ月の間誰も訪れていないじゃないですか」 「なんならお前が行くか?『お姉さんさびしいでしょー』とか言って」 「そう言う話じゃなくて!」 要の冷やかすような視線を避けて誠は片桐女史のマンションを見上げた。築3年、東都の湾岸沿いの再開発で作られた新築マンション。博士号を持つ新進気鋭の研究者にはふさわしいといえるが、最近はすっかり研究から取残された知識人が住むには悲しすぎる。そんな感じを受けるマンションだった。 「あのさあ」 そう言って軍用のサイボーグらしく眼球に備えられた暗視装置でもなければ見えないような暗がりを見つめていた要の声が車内に響く。 「もし、オメエ等が一言の失言ですべての地位を失ったらどう考える?」 静かな調子で要がつぶやく。その言葉にはそれまでの軽口の調子はまるで無かった。 「考えたことも無いな」 運転席のハンドルにもたれかかりながらカウラはすぐに答えた。誠は突然の言葉に要に視線を向けていた。 「僕は……」 要は視線を薄い明かりの漏れる片桐博士の部屋に向けたままじっとしている。誠はしばらく要の言葉の意味を考えていた。 「簡単な言葉で済みませんが絶望するでしょうね。この世のすべてに……」 飲み込んだ誠の言葉が耳に届いたのか軽く頷くと要の表情に笑みを浮かべる。 「だろうな。カウラ、アタシにも一缶よこせ」 要はそう言うと視線を動かさずに手だけをカウラの手元に向けた。 「なら話は変わるが……神前。オメエが法術を使えると分かったときどう思った?」 ぬるい缶コーヒーに口をつけながら要がつぶやく。誠はしばらく沈黙した。 「正直驚きました。僕にはそんな特別なことなんて……」 「驚いたのは分かるってんだよ。その後は?」 要の声に苛立ちが混じる。こういう時はすぐに答えを返さないとへそを曲げる要を知っている誠は、静かに記憶をたどった。 「何かが出来るような……あえて言えば希望を感じました」 「希望ねえ」 口元に皮肉を言いそうな笑みが浮かぶ。そんな要をカウラがにらみつけた。 「人類に可能性が生まれる瞬間だ。希望があって当然だろ?」 「小隊長殿は新人の肩をもつのがお好きなようで!へへ!」 ぼそりとカウラの言葉に切り返すと、再び要はコーヒーに口をつける。 「その可能性を探求することを断念させられた研究者。その屈辱と絶望が何を生むのか……」 自分に言い聞かせるような要の一言。狭いカウラの赤いスポーツカーの中によどんだ空気が流れる。 「絶望したら違法研究に加担をしていいと言うものじゃないだろ」 「実に一般論。ありがとうございます」 カウラの言葉をまた一言で切り返す要。 「あの、西園寺さん。食べるものとか買ってきましょうか?」 いたたまれなくなって誠が二人の間に割って入った。二人はとりあえず黙り込む。 「パンの類がいいな。監視しながらつまめる奴、それで頼むわ」 要はそう言うとポケットを漁る。だが、カウラが素早く自分のフライトジャケットから財布を取り出して札を数枚誠に手渡した。 「私は暖かいものなら何でもいい」 そう言われて押し出されるように誠は車の助手席のドアを開けていた。人通りの少ない路地。誠は端末を開いて近くの店を探す。 幸い片桐女史のマンションと反対側を走っている国道沿いにコンビニがあった。誠はそのまま急な坂を上ってその先に走る国道を目指した。走る大型車の振動。むっとするディーゼルエンジンの排気ガス。地球人類の植民する惑星で唯一化石燃料を自動車の主燃料としている遼州ならではの光景。だが惑星遼州の東和からほとんど出たことの無い誠にはそれが当たり前の光景だった。 凍える手をこすりながらコンビニの明かりを目指して誠は歩き続ける。目の前には寒さの中でも平気で談笑を続けている高校生の群れがあった。それを避けるようにして誠が店内に入った。 レジに二人の東都警察の制服の警官がおでんの代金を払っていた。 誠はカウラの言葉を思い出しておでんを眺める。卵とはんぺんが目に付いた。しかし、要に菓子パンを頼まれていたことを思い出し、そのまま店の奥の菓子パン売り場を漁ってからにしようと思い直してそのまま誠は店の奥へと向かった。 『焼きたて!』と書かれたメロンパン。誠はそのクリーム色の姿を見ると、それがカウラの好物だったことを思い出した。 『カウラさんはメロンが好きだよな。でもメロンパンにはメロンが入っていないわけで……』 黙り込んで誠はつんつんとメロンパンを突くと要が食べそうな焼きそばパンを手に取った。 その瞬間だった。強烈なプレッシャーに襲われた誠はそのまま意識が引いていくのを精神力で無理やり押さえつけて立ち尽くした。 『なんだ?』 脳に直接届くような波動。誠は深呼吸をした後、静かにその長身を生かして入り口に一人の男が立っていることを確認した。そしてその顔が誠の脳裏に刻み付けられた男のそれであることがすぐに分かった。 『北川公平……』 忘れもしない。夏の海への旅行の際に誠を襲った法術師。干渉空間展開を得意としたその戦い方は誠の比ではない実力を誇る法術犯罪者。 『なんであの男が?』 何も知らないというように北川は店内を見回していた。誠はこの男に襲われてから法術の展開をするのに隠密性を重視した展開方法をシャムやランから伝授されていた。実際、ちらちらと誠の顔は北川から見えているはずだが北川はまるで知らないとでもいうようにかごを手に雑誌の置かれたコーナーへ向かう。 感応通信で北川の存在を要達に知らせようとして誠はためらう。 北川の能力、それがどの程度なのかは誠も知らなかった。事実、茜の法術特捜の保存データに彼の名前は存在しなかった。その顔が誠に知れたのは反地球テロに彼が学生時代に加担していたデータが東都警察に残っていたと言う偶然があったからだ。 誠はそのまま入り口に向かい、買い物籠を手にしながら北川を監視していた。誠の存在など知らないとでもいうように北川は漫画雑誌を手にとって読み続けている。そのまま誠は調理パンの置かれた棚に移動しながらちらちらと北川の監視を続けた。 誰かに見られているということを悟った北川が振り向くのを見て誠はそのまま頭を引っ込めて棚に体を隠した。運良く北川は誠を察知できなかったようで再び雑誌に視線を落とした。 誠はそのまま要用に焼きそばパンとコロッケパン、そして蒸しパンを手に取り、自分用にとんかつ弁当を手に取るとそのままレジへと向かった。 「いらっしゃいませ」 高校生くらいのバイトの店員が誠からかごを受け取って清算を始める。その動きを見ながら誠は手に備え付けの紙皿と呼ぶには深さがある容器を手におでんの容器を見下ろした。 とりあえず煮卵、はんぺん、牛筋、こんにゃく、大根。それを次々と掬い上げ、そのままレジに運ぶ。バイトの店員は慣れた手つきで清算を進める。誠はちらりと振り返り、北川を見た。 まるで何事も無いように雑誌を見ている。その様に納得する。 「2350円です!」 バイトの店員の前にカウラから貰った三千円を置いた。すぐにレジに札を磁石で貼り付ける店員。誠はその動作を見ながらちらりと北川に目を向けて早足で店を出る。響く国道を走るトレーラーのエンジン音に押されてそのまま元来た路地に曲がって坂道を進む。赤いカウラのスポーツカーを見つけ、そのままどたどたと駆け寄ると素早く助手席のドアを開いた。 「馬鹿か?オメエは!ばれたらどうするんだ?」 迷惑そうな声を上げる要。その手に焼きそばパンを握らせると、要は視線を片桐博士のマンションに固定したまま袋を開ける。 「あんまり感心しないが……おでんか」 そう言うとカウラは誠からパックの中に汁と共に入っているおでんを手に取った。 「何かあったんだろ?」 カウラの言葉に誠は静かに頷く。 「北川公平を見ました」 その言葉に勢い良く要は顔を誠に向けた。明らかに非難するようにいつものタレ目が釣りあがって見える。 「なんで知らせなかった!アイツはオメエの拉致未遂事件の重要参考人だぞ!」 「ですが通信なんて使ったらばれてしまうかも知れませんから」 頼るように誠が目をカウラに向ける。カウラは口の中に大根を運んでいるところだった。 「下手に動かなかったのは正解だろ。それにコンビニくらい行くんじゃないか?刑事事件の関係者でも」 のんびりと大根を味わうカウラを諦めたように一瞥した後、要は再び視線を片桐博士のマンションに向けた。 もはや日は沈んでいた。わずかな夕日の残したオレンジの光を今度は家々の明かりが補おうとしているかのように見える。黙って焼きそばパンを口に運びながら監視を続ける要。 「でもいいんですか?北川公平は……」 「良いも何も……片桐女史と関係があるようなら事情を聞くために身柄を押さえるのもいいが、今動けばどちらにも逃げられるだろうからな」 冷静にそう返すカウラ。パンを頬張る要の口元にも笑みが浮かんでいる。 「二人が接触するなら話は別だけど。まあこっちの仕事をちゃんと遂行しようじゃねえの」 そう言うと要は最後の一口を口にねじ込む。 沈黙の中、国道を走る車の音が遠くに聞こえる。通信端末をいじっていたカウラがそれを閉じて要を見た。 「あれ……」 要の声にカウラと誠は視線をマンションへ向かう路地に移した。 買い物袋を手にした北川がそこに立っていた。何度か周りを見回した後、玄関のある方向へ歩き始めるのが見える。 「ビンゴか?」 そう言っている要の口元が残忍な笑みを浮かべているのが見えた。 要はバッグからコードを取り出すと首筋のスロットに差し込む。しばらく沈黙してその後でいらだちながらコードを握り締めた。 「公安の奴等、見切りが早ええんだよ……って残ってたか」 いらだちながらつぶやく要。サイボーグである彼女の得意な電子情報確保を行っているのを見ると再び誠は片桐女史の部屋の明かりを見ていた。 「西園寺……また東都警察のデータベースにハッキングか?それでデータは……」 「焦るなって」 カウラの心配そうな声に静かに答える要。そんな緊迫した状況に合わせるようにそれまで止まっていた冬らしい北風の季節風に揺れる木々を見ながら誠は黙ってとんかつ弁当を諦めた。 「あのクラスのマンションは指名手配犯を見つけたら近くの警察に連絡が入るシステムがあったんだけど、そのシステムが動かないか。電子迷彩か?それともシステムにハッキング……金があるんだねえアイツの飼い主は」 監視カメラから警戒システムにデータが転送される間にそのデータを改竄して警戒システムを無力化する最新装備。最新のものの予算計上を先月拒否された要は苦笑いを浮かべていた。 「訪問先はあのオバサンのところ……?じゃないな」 首をひねる要。その言葉に身を乗り出してきたカウラの気配を悟って仕方が無いように振り向いた。 「隣の302号室だ。借主は……後ろ暗いところは無い典型的なサラリーマンだな」 そう言って再び視線を戻す要。誠も視線を戻すとカーテンに影となった片桐女史の姿が見える。 「どうします?」 誠は緊張に耐え切れずにカウラを見た。あごに手を当て考え事をしているカウラ。 「北川は茜のお姫様ですら軽くいなす腕利きの法術師だぜ。確かにアイツを押さえる目的で踏み込むってことも出来そうだが、本当に無関係ならアタシ等がまだ諦めていないことがばれるわけだ」 そう言うと要はカウラを見つめる。 「じゃあ行こう」 カウラはそう言うとドアに手をかける。 「黙っているのはアタシらしくないからな」 そう言って要は誠の座っている助手席を蹴りつける。 仕方が無く誠はドアを開けて路地に降り立った。カウラも要も手には拳銃を握り、誠も胸のホルスターからルガーP06を抜く。 「装弾していいぞ。間違いなくやりあうことにはなるからな」 そう言って要は走り出した。暴発の可能性があると言うことでキムから発砲直前まで装弾しないように言われていたことを思い出してすぐに誠は銃のトルグを引き上げて銃弾を薬室にこめる。突入経路はこの場所に付いたときに設定してあった。要はそのまま右手に仕込んであるワイヤーをマンションの屋上に向けて投げる。カウラはそのまま銃を構えつつ走ってマンションの非常階段を目指す。 『行くぞ!』 誠は気合と共に目の前に力を集中する。訓練のときのように立ち止まった誠の目の前に銀色のかがみのようなモノ、干渉空間が展開される。 「じゃあ行きます!」 そう叫んだ誠はそのまま頭から銀色のかがみのような空間に突っ込んでいった。 視界に飛び込んできた明るい照明のリビング。誠は拳銃を構えながら周囲の確認をした。そこにはウィスキーの酒瓶をテーブルに置いている保安隊のたまり場『あまさき屋』の女将の春子と同じくらいの女性がとろんとした瞳で誠を見つめていた。 「同盟司法局です!」 「ふーん」 片桐博士は驚くわけでもなく、明らかに酔いつぶれる寸前のとろんとした瞳で誠を見つめる。 「あのー……安全を優先して……その……何か?」 銃を構えている大男である誠が闖入してきたというのに片桐博士は無関心を装うように空になったグラスに酒を注ぐ。 「なるほど、実験以外でこういう光景に会えるのは面白いわね。あなたも飲む?」 そう言うとよたよたと立ち上がる博士を誠は銃を置いて支えた。 「大丈夫よ、そんなに飲んでないから」 明らかにアルコールのきつい匂いを放っている片桐博士。誠はその乱れた襟元に視線が向くのを無理して我慢する。 「司法局の方が動いているってことは……もう、終わりなのね」 そう言うと誠の分のグラスを取りに行くのを諦めて元の席に座りなおす。そして再びグラスになみなみと注がれたウィスキーを半分ほどあおった。 「そんなに飲んだら……」 「気遣ってくれるの?若いお巡りさん」 片桐博士の顔に妖艶な表情が浮かぶ。だが、誠はようやくここに来た意味を思い出して銃を手にとって構えた。 「このマンションに法術犯罪者が侵入しました。安全の確保に努めますのでご協力を……」 そこまで言ったところで隣の部屋で銃声が響いた。誠は思わず彼に身を寄せる片桐博士をしっかりと抱きしめるような形になった。 「本物の法術師が見れるのね。自然覚醒した個体に何が出来るのか……」 そのうっすらと浮かぶ笑みに誠は目を奪われていたが、すぐにドアの近くに銀色の干渉空間が浮かぶのを見て立ちはだかるようにして銃を向けた。しかし、それはすぐに消えた。そして今度は後ろから強烈な気配を感じて振り返る。そこには隣のベランダから飛び移ってきていた要の姿があった。 「馬鹿!後ろだ!」 要の叫び声、そのまま銃のグリップで彼女はベランダに向かう窓を叩き割って銃を構える。その先を振り返った誠の目に飛び込んだのは小型リボルバーを手にした北川の姿だった。 「コイツは驚きだ!かの有名な神前誠曹長がいらっしゃるとは!」 再び要の銃が火を噴く。しかしその弾丸はすべて北川の展開した干渉空間に飲み込まれて消えた。北川はその間にキッチンの後ろに姿を隠す。同時にドアが開き、銃を構えたカウラが誠とカウラに視線を送っていた。 不意にすすり泣くような声が聞こえるのを誠は聞いた。それは片桐博士の笑い声だと理解するまで誠は呆然と彼女をかばうように身を寄せて立ち尽くしていた。 カウラが手を上げて北川の隠れたキッチンの前に要を進めようとするが、それを見ていた誠の腕を片桐博士は振り払って立ち上がる。 「危ない!」 誠が展開した干渉空間ではじくような音が響いた。軽く手だけを出して撃たれた北川のリボルバーの弾丸が鳴らした音だと気づいた要が突入するが、すでにそこには誰もいなかった。 「ったく……」 舌打ちをしながら要が腰のホルスターに銃を仕舞う。そしてそのまま要は土足で片桐博士に歩み寄った。 「なに?」 そう言った博士をあらん限りの敵意をこめた要のタレ目がにらみつける。いつ手が出るか分からないと踏んだカウラも銃を収めて片桐博士を見据える。 「お話、聞けませんかね」 カウラの静かな一言に再び落ち着きを取り戻した片桐博士が元の椅子に腰を下ろした。誠は手にした拳銃のマガジンを抜くとルガーピストルの特徴とも言えるトルグを引いて装弾された弾丸を抜いて腰を下ろす。 「あなた、ゲルパルトの人造人間?」 エメラルドグリーンの光を放つカウラの髪に笑顔を向ける片桐博士。その質問を無視してその正面にカウラ、隣に要が座り、誠は博士の横に座る形になった。 「聞きてえことは一つだ。この前の同盟本部ビルを襲撃した法術師の製造にあんたが関わったのかどうか……」 明らかに嫌悪感に染まった要の言葉、その言葉を聞きながら片桐博士はテーブルの上に置かれたタバコの箱からミントの香るタバコを取り出した。 「法術特捜の捜査権限で事情聴取と考えて言い訳ね、これからのお話は」 冷たい笑顔で三人を見回した後、片桐博士はタバコに火をつける。それをちらちらと見つめる要。 「良いんですのよ、あなたはタバコを吸われるんでしょ?」 明らかにいらだっている要にそう言うと片桐博士は煙を天井に向けて吐いた。 「法術特捜の動きまで分かっているということは、知っていると判断してもよろしいんですね」 念を入れるようなカウラの言葉。タバコをくわえながら片桐博士は微笑む。 「たとえば百メートルを8秒台前半で走れる素質の子供がいて……」 その言葉がごまかしの色を含んでいると思った要が立ち上がろうとするのをカウラが押さえた。要はやけになったようにポケットからタバコの箱を取り出す。 「その才能を見抜いてトレーニングを施す。これは悪い事かしら?」 言葉を切って自分を見つめてくる片桐博士の態度にいらだっているように無造作にタバコを引っ張り出した要が素早くライターに火をともす。片桐博士は目の前の灰皿をテーブルの中央に押し出し、再びカウラの方に目を向けた。 「その能力が他者の脅威になるかどうか。本人の意思に沿ったものなのか。その線引きもなしに才能うんぬんの話をするのは不適切だと思いますが?」 カウラの言葉に満足げな笑みを浮かべた片桐女史はタバコをくわえて満足げに煙を吸っていた。 「本人の意思ね。でもどれだけの人が自分の意思だけで生きられるの?時代、環境。いろいろと自分の意思ではどうにもならないものもあるじゃない」 あてつけの笑み。そして片桐博士は再びウィスキーのグラスに手を伸ばす。誠は黙って上官の二人を見た。 カウラは挑戦的な視線を送る片桐女史に感情を殺したような視線を送っていた。要はそもそも目を合わせることもせず、天井にタバコの煙を噴き上げていた。 「それが違法研究に流れたアンタの理屈か?つまらねえことで人生棒に振るもんだな」 ようやく片桐博士に目を向けた要の冷たい視線。それに少しばかり動揺したように震える手でウィスキーをあおる。 その時、外にサイレンの音が響いた。それを聞くと片桐女史は静かに立ち上がった。そのままふらふらと半開きの扉に向かう彼女を立ち上がって要が監視していた。 「大丈夫よ、自殺したりはしないから」 その挑戦的な視線に怒りをこめた要の視線が飛ぶ。 「こういうときが来たらこれを渡したくて。どうせ機動隊や一般警察の鑑識が知っても意味の無い情報でしょうからね」 そう言って部屋に入った片桐女史はそのまま一枚のデータディスクを要に渡した。外では物々しい装備の機動隊員が装甲車両から降車して整列している様が見える。 「あんな連中を呼び出すような物騒なものの研究をしていたんだ。少しは反省……って。その面じゃ無理か」 頭を掻くと要は再びどっかと元のリビングの椅子に腰掛ける。その手からディスクを受け取ったカウラは自分の携帯端末をポケットから取り出してディスクを挿入する。 『こちら、東都第三機動隊!』 操作中にカウラの端末から機動隊からの通信が入る。 「こちらは同盟司法局法術特別捜査本部第一機動部隊長、カウラ・ベルガー大尉。法術研究に関する同盟法規第十三条に違反する容疑者の確保に成功。別に違反法術展開の現行犯の容疑者が逃走中。データを転送します」 事務的に答えたカウラを片桐女史が皮肉めいた笑みを浮かべながら眺めている。 「不思議ね、あなた達。人造人間、サイボーグ、異能力を持った非地球人類。なのになんでそんなに仲良くできるのかしら?コツでもあるの?」 誠はこのとき初めて片桐女史の本音が聞けたような気がした。 「馬鹿じゃねえのか?そんなことも分からねえなんて」 すぐさま要はタバコを片桐女史が差し出した灰皿ではなく自分の携帯灰皿に押し付けるとそう言ってよどんだ笑みを浮かべながら答えた。 「アタシ等がそんな身の上を思い出すときはそれぞれの長所が見えたときだけだからだよ。いつもはただの人間同士の暮らしがあるだけだ」 ドアが開き強化樹脂製の盾を構えた機動隊員がなだれ込んで来る。彼らはサブマシンガンを構えながら片桐女史を見つけると銃口を向けて取り囲んだ。 「あなた、名前は?」 取り囲む機動隊員が目に入っていないかのように静かに笑いながら片桐女史は要にそう言った。 「法術犯罪防止法違反容疑で逮捕します」 要の答えを待たずに機動隊を指揮していた巡査部長が片桐女史の手に手錠をかけた。そのまま両脇を機動隊員に挟まれて部屋を後にする彼女を黙って要は見送っていた。 「どうする?」 一仕事終わった後だというのに要がカウラに確認を求める視線には緊張感が残っていた。端末を手に何度も操作してみせるカウラの表情も硬い。誠はただ二人を見比べてその奇妙な行動の意味を推測していた。 「もしかしたらクバルカ隊長や茜さんのところでなにか……」 そう言った誠を見るとカウラはこめかみに手を当てる。 「勘はいつでも合格なんだよな、オメエは。現在どちらも通信が途絶えてる。工藤博士の研究室、北博士の個人事務所で何かがあったのは確定だ。どちらも東都警察の機動隊が出動したそうだ」 要の言葉に呆然とする誠。工藤博士の勤務先で誠の母校の東都理科大のキャンパスは東都の都心に近くここからでは間に合う距離ではなく、北博士の個人事務所も繁華街の一等地にあり誠の干渉空間を使用しての瞬間転送などが出来る環境ではなかった。 「でもこれで三人は全員今回の事件に関わっていたことが分かったわけだ。そしてこの研究を闇に葬ることを目的で動いている三人以上の腕利きの法術師を戦力とする組織が動いている」 カウラの言葉に誠は唇を噛んだ。 公然と破壊活動を行う法術テロリスト。それまでの人体発火で自爆すると言う遼州系の左右両翼のテロリストの活動とはまるで違うテロを行う新組織の存在。そしてその登場が地球圏への脅威になりうるとして法術規制で圧力を強める地球の列強が同盟に徹底した取り締まりを求めてきていることは当事者である誠も知っていることだった。 「おい、何しおれた顔してるんだよ」 要の笑顔が先ほどまでの複雑なそれではなく、いつものいたずらっ子のそれに戻っていた。 「今連絡が入った。騒ぎはあったらしいが嵯峨警視正達もクバルカ中佐達も無事だそうだ」 そう言ってカウラは携帯端末をスタジアムジャンバーのポケットに押し込むと立ち上がる。誠も気がついたようにそれに続いた。 「このまま同盟司法局に集合。この数日が山になるぞ」 そう言って早足に部屋に入って来た東都警察の鑑識をやり過ごした三人はそのまま部屋を出た。所轄の刑事らしい男二人が近づいていた。 「あの、保安隊の方……ですよね?」 「法術特捜の権限内捜査だ。時間が無い。報告書は後で署に転送するからそれを見てくれ」 トレンチコートの中年の警部にそう言ってカウラは通り過ぎる。要も頭を下げながらすり抜ける。 「良いんですか?さっきのは所轄の刑事さんでしょ?」 誠がカウラのポケットを指差すが、要はにあに足ながら自分の唇に手を当ててしゃべるなと誠に告げる。マンションの入り口にはすでに黄色いテープが張り巡らされ、日の落ちた初冬の北風の中ですでにその周りには野次馬が集まってきていた。 「どいてくださいよー」 のんびりと要は彼らを押しのけながらカウラのスポーツカーに向かう道を作った。 「凄いものですね」 ようやく車に戻った誠。仕方なく冷えたとんかつ弁当を手に取る。 「残念だな、カウラ」 後部座席で菓子パンにかじりつく要を見ながらカウラは冷えたおでんに箸を伸ばしながら集まってくる野次馬達を眺めながら車のエンジンをふかした。
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