その日、カウラと交代した要にくっついて歩いた誠は正直疲れ果てていた。欲望に染まったぎらぎらした男達の視線に慣れて租界を歩くのは苦痛に近い。しかも彼女が知っている人身売買の嫌疑がかかっているシンジケートの事務所をもう五つ訪問していたが、そのやり口は誠から見ればそれは訪問ではなく襲撃だった。 今も要は彼女に手を上げようとしたチンピラの右腕の関節をへし折ったところだった。表情一つ変えることなく荒事をこなす彼女の姿は、乱暴なのはいつもと一緒と言ってもその淡々としたところが誠にはまったく受け入れられなかった。 「痛え!」 涙ににじむ瞳で無表情な要のタレ目を見つめるチンピラ。誠はとりあえず法術の発動準備をしながら要の隣に立つ。要はチンピラを掴んだままそのままドアを蹴破った。室内の構成員達が銃を構えてにらみつけてくるが、逆にいつもの残酷そうな笑みを浮かべながら要は悠々と室内に入り込む。 「なんだ!貴様は!」 「今更って言うか……馬鹿しかいないんだなここは」 そのまま人質代わりに片腕を折られたチンピラを抱えたまま応接セットに腰掛ける要。誠はいづらい雰囲気に耐えながら彼女の隣に座る。 「こいつは例の化け物じゃないか?」 一人の角刈りの構成員が誠を見てつぶやいた。一瞬動揺が広がる。今年の夏の初めに保安隊に配属になった直後、誠は法術師の素体として誘拐されかけたことがあったが、たぶんその時にもこの組にも誠の誘拐を持ちかけた組織があったのだろう。少しのきっかけで動揺が広がり始めた時、事務所の顔役らしい男が現れた。 「銃を仕舞え!お前等じゃこの人には勝てないぞ」 そう言うと構成員達はしぶしぶ銃を仕舞う。明石を思わせる悪趣味な赤と黄色の柄のネクタイが紺色のどぎついワイシャツの上にゆれている恰幅の良すぎる幹部構成員の一睨みに、誠もチンピラ達が自分達にひるむのと同じくらい怯んでいた。 「おう、久しぶりだな」 要は人質代わりのチンピラを突き飛ばすと、そう言って銃ではなくタバコを懐から取り出した。気を利かせるように貫禄のあるその男はライターを取り出して慣れた調子で要のくわえたタバコに火をつけた。 「姐さんも元気そうじゃないですか。あれですか?今は志村の商品の流通ルートの調査ですか?」 男の話に要は笑みを浮かべながらタバコの煙を吐いた。どこに行っても状況は同じ。要は見張りのつもりで事務所の前でうろうろしている三下を張り倒して引きずってそこの顔役に話をつけると言うことばかり続けている。さすがにここにも要の所業についての話が聞こえてきていたのだろう。 「なんだ、知っているのか……ってそれが飯の種ってわけだからな。テメエの」 要の不敵な笑いに男も笑い返す。誠はチンピラの飼い主の妙に下手に出る態度が理解できずに呆然と二人を見つめていた。そして要はぐるりと事務所の中を見回した。 「なあに、噂じゃあ志村三郎の扱っている商品を保管している連中がいるらしいじゃねえか。ほとぼりが冷めるまで預かって、またアタシ等が調査を中止したら出荷する。商いは信用第一、危険は避けるのが当然の工夫だろ?」 その言葉でようやく誠はこの暴力的なシンジケート事務所めぐりの目的を理解した。志村三郎が要の姿を見てからあの父親の経営するうどん屋にも寄り付かなくなったのは誠も知っていた。おそらく彼をいぶりだすのに組織を一つ一つ実力行使で脅しをかけながら追い詰めていくつもりなんだろう。そう思うとあの誠に威圧的に当たった三郎のことが少しだけ哀れに思えてきた。 「残念ですがうちではその手のものは扱っていませんね。ただでさえ人間の売買はリスクが大きいのに法術適正がある連中が混じっているとなると手に負えませんや。それに法術関係の話になれば制服を着た連中とのやり取りも出てくるわけでして……俺等の情報網でもそう言うところまでは……君子危うきに近づかずと言う奴でして」 「しっかりしているねえ、それが正解の生き方だ。危ない橋を渡るのは良くないからねえ」 そう言うと要はディスクをポケットから取り出す。それには吉田の字で『秘』と書かれているのが見えた。 「これにはちょっとした情報が入っている。遼南クーデターの首謀者として有名な吉田俊平少佐お勧めの秘密情報だ。ちょっとした財産が築ける保障つき。今なら格安でお譲りするが……どうする?」 悪事を働くときのいたずらっ娘のような顔で男を見つめる要の姿がそこにあった。 「どうせガセでしょ?」 男はそう言って笑いながら要の手にあるディスクを手にする。そして何度かじっくりと見つめた後、部下にそれを渡した。その表情には驚きがある。そこから誠も吉田のデータが明らかに価値を持つものであること知った。 「じゃあ、こちらも後ほど情報を送りますよ」 笑顔が隠しきれないという男の表情に要が満足げに頷いて見せる。 「まああれの中身をしっかり見てからで良いぜ」 そう言うと要は立ち上がった。チンピラ達は殺気を隠さずに誠達をにらみつけている。 「それと三下の教育はしっかりしておくべきだな。これじゃあ危なくてしょうがねえや」 要の言葉に男は苦笑いを浮かべた。 「行くぞ、神前」 そう言って重いドアを開けて出て行く要のあとをつける誠。要は颯爽と肩で風を切るようにして事務所の目の前に止めた銀色のスポーツカーに向かって歩く。 「何ですか?あのディスク。吉田さんの情報って……」 狭い運転席に体をねじ込むようにして座った誠を相変わらずの殺気を感じるような視線で見つめる要。 「嘘はないぞ。あれがあるとちょっと便利なんだ。まあアタシは使うつもりは無いけどな」 そう言って車のエンジンをかける要。明らかにカウラのスポーツカーを意識して購入した車のエンジンが低い振動を二人にぶつけてくる。 「それじゃあ分かりませんよ。もしかして違法な取引の勧誘とか……まさか軍事機密?」 「そんなんじゃねえよ。むしろ民間系の情報だ。ベルルカン風邪ってあるだろ?あれの特効薬の開発に成功した製薬会社が明日それを公表するが、その情報だ」 あっさりと言い切る要は車を急発進させた。 「それでも十分まずい情報じゃないですか。インサイダー取引ですよそれ」 そんな誠の言葉を無視して要は車を走らせる。租界の怪しげな店のネオンが昼間だというのに町をピンク色に染めている。 「まああの手合いから情報を穏やかな方法で手に入れるには仕方の無いことなんだよ。蛇の道は蛇と言うやつだな。それに実際今の段階ではと言うカッコつきの情報だ。発表が延びるかもしれないし……」 大通りに入っても車は加速を続ける。誠は要の表情をうかがいながら曇り空の冬の街を眺めていた。要や吉田の生きてきた裏の世界の話を聞くたびに誠はどこかしら遠くの世界に彼等がいるように感じられた。 その時急に要は車を減速させて路肩に寄せて止まった。 「西園寺さん」 誠の言葉に振り返った要はにんまりと笑っていた。 「ビンゴだ」 そう言うとしばらくの間目をつぶり動かなくなる要。脳に直接送られたデータを読み取っているとでも言う状況なのだろう。誠は黙って要を見つめた。 「遼南の駐留軍の基地か。ずいぶん危ない橋を渡るんだな……言ってることとやってることがばらばらじゃねえか」 要の言葉で誠は頭の血液が体に流れ込むようなめまいを感じながら要を見つめていた。そして一気に手のひらが汗で滑りやすくなるのを感じていた。 「神前。暴れられるぞ」 そう言う要の表情に再び悪い笑みが浮かんでいるのに誠は気づいた。
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