保安隊隊長室。保安隊隊長嵯峨惟基特務大佐は渋い顔で目の前の部下達を眺めていた。隊長の机の前に立たされている誠。膝が震えているのが自分でもすぐにわかった。租界の警備兵の向けてくる銃口が誠のトラウマになりかけてその結果が誠のひざを震えさせていた。 おかげで嵯峨が何とか胡州陸軍の上層部に頭を下げて回ったおかげで要とランが暴れまわったことの釈明の書類を提出することで話をつけていた。被害は警備車両三台に負傷者十二人。胡州の醍醐文隆陸軍大臣とのコネクションでなんとか要とランも駐留軍の警備施設の監獄でなく保安隊の隊長室に立って嵯峨の困り果てた顔を見ることができた。 ともかくさまざまな出来事に振り回された誠の頭の中は何も考えられない状況だった。 「で?」 「ですから今回の件に関しては私の見通しの甘さが原因であると……」 幼く見えるランが銃撃事件の責任を一人でかぶろうとする。その姿はあまりにもいとおしくて誠は抱きしめたい衝動に駆られた。隣で立っているカウラも同じように思っているようでじっとランを見つめている。 「まあ起きちゃったんだからしょうがないよね。死人が無かったのは何よりだ。おかげで何とかマスコミにはばれないで済んだけど」 そう言って手元の端末の画面を覗きこむ嵯峨。 「今後は気をつけます!」 ランの言葉に頷いた後、嵯峨は要を見つめた。 「……出来るだけ自重します」 「そう」 嵯峨は端末のキーボードを素早く叩く。 「一応決まりだからさ。始末書と反省文。今日中に提出な」 ランと要に目を向けた後、そのまま端末の画面を切り替えて自分の仕事をはじめる嵯峨。ラン、要、カウラ、誠は敬礼をするとそのまま隊長室を後にした。 「大変ねえ」 部屋の外で待っていたのはアイシャだった。要はつかつかとその目の前まで行くとにらみつける。 「タレ目ににらまれても怖くないわよ」 挑発するように顔を近づけるアイシャだが、その光景を涙目で見ている楓の気配に気おされるように身を引いた。 「お姉さま!」 心配そうな顔の楓はそう叫ぶと要に抱きついた。 「嫌です!僕は嫌です!せっかくお姉さまと同じ部隊になれたのに!お姉さまが解雇なら僕も!」 「誰が解雇だよ?おい、アイシャ」 楓に抱きつかれて身動きできない要が逃げ出そうとしているアイシャを見つける。 「デマは止めておけ」 そう言うとカウラは呆れたように実働部隊の執務室に向かう。誠が見回すとランの姿ももう無かった。 「神前!見捨てるのか?テメエ!」 しかしこの二人に関わるとろくなことがないだろうと思えてきたので、誠はそのまま要を見捨てて実働部隊執務室へと入った。 「仲が良いのか、悪いのか」 そう言って笑うカウラ。部屋の中では外の三人の漫才をはらはらしながら見つめている渡辺の姿があった。一方すでに書類の作成に集中しているランの隣にはいやらしい笑みを浮かべるシャムの姿があった。 「おっこられた!」 実働部隊の詰め所に響く彼女の叫びを無視して、ランは作業を続ける。猫耳をつけたシャムが絡み付こうとするがその襟首を吉田が掴んでいる。 「離せー!」 暴れるシャムだが120kgの重さの義体の吉田を動かすことは出来なかった。 「でもいきなり街中で発砲なんて……」 つい誠の口をついてそんな言葉が出ていた。 「東都戦争のときの方が凄かったらしいぞ。シンジケートの抗争が24時間絶え間なく行われていたんだからな」 そう言うとカウラも自分の端末を起動する。仕方ないと言うように誠も席についた。いつものように第四小隊は任務中で空。奥で第三小隊の三番機担当のアン・ナン・パク軍曹が一人でかりんとうを食べていた。 「二人とも今のうちに日常業務を済ませておけよ。忙しくなるかも知れねーからな」 始末書を書き始めたランの一言。カウラも端末の画面に目が釘付けになっている。起動した画面を誠は見つめて呆然とした。 そこには銃撃戦を行うランと要の姿とその射線から逃げる胡州陸軍の戦闘の様子が映っていた。 「どこでこんな映像!」 誠は目を疑った。回り込もうとした胡州軍の一個分隊を法術の干渉空間がさえぎっている。壁にぶつかるように倒れる兵士達。ビルの屋上らしくこの画像を撮影した人物の足が見える。 「これって……」 「今頃見たのか?吉田のところに匿名で奇特な方から直接送信されてきたそうだ。世の中意地の悪い奴もいるもんだな」 ランはキーボードを叩きながらつぶやく。干渉空間を展開しているのはランでは無かった。まるで銃撃戦が激しくなるのを期待しているようなその法術師の意図に恐怖すら感じる誠。 「でも法術が展開されている気配は無かったんですよね?」 誠の言葉にランは手を休める。 「物理干渉系の能力に精通した法術師なら発動してもあまり精神波は出ねーようにできるからな。それにこっちだって銃撃戦で相手の防弾チョッキに弾を的確に当てるのに手一杯だったし。弱装弾を用意しておいて正解だったわ」 そう言って再びランはキーボードを叩き始める。 「誰かが我々を監視していると言うことですか……しかもただ監視をしていることをこちらに教えてくる……私達が追っている研究機関とは別の組織……」 カウラの冷静な言葉に誠は再び画面に目を向ける。発砲する胡州軍兵士の前に遼北軍の暴動鎮圧用の装甲車が飛び込んで銃撃戦は終わった。そして回り込もうとした分隊を大麗軍の戦闘服の一団が包囲する。 「結構凄い状況だったんですね」 耳元でアンの言葉が響いて思わず誠は身をのけぞらせた。その態度に明らかに落ち込んだ表情を浮かべるアン。 「そんなに嫌いですか?僕のこと……」 しなを作るアンにただ冷や汗を流す誠。カウラに視線を投げた誠だが彼女はすでに資料の整理を始めている。 「そう言うことじゃなくて……ああ、俺は仕事があるから!始末書の書式は……」 ひたすらごまかそうとする誠をさびしそうな瞳でアンは見つめていた。 さすがにやりすぎたかと思いながら端末に集中しようとした誠の視界に、島田が久しぶりに見る整備班員のつなぎ姿で廊下を見ながら部屋に入ってきたのが見えた。隣にはサラがニヤニヤ笑いながら廊下の騒動を眺めているのが見える。 「ベルガー大尉。あれ、何とかした方が良いですよ」 そう言って隊長室の辺りを指差す島田。カウラとランが飛び出していく。誠もつられて出て行くとそこには要と楓がいた。しがみつきながら泣いている楓。ドサクサ紛れに胸を揉む彼女の手をつねり上げている要。 「あれは一つのレクリエーションだからな」 カウラはすぐに引き返して仕事を続ける。 「どうなんだ、そっちは?」 ひとたび呆れたようにそのまま席に戻ったランが島田に声をかける。頭を掻きながら要達の騒動を見つめているサラを振り返ると諦めたような笑みを浮かべる。 「どうもねえ。口が堅い人が多いのか、それとも本当に何も知らないのか微妙なところでしてね。とりあえず今日は独自のルートで捜査するからって茜お嬢さん達は出かけたわけですが……」 明らかに煮詰まっているのがわかって誠も島田に同情した。 「アタシ等も第三者に監視されている状態だしな。どこかの馬鹿が要みたいに状況にいらだって動いてくれると楽なんだけどなー」 「不謹慎な発言は慎んでください」 ランの言葉に突っ込むカウラ。それを見て舌を出すランを見て誠は萌えを感じていた。 「でもこの監視している画像を撮った人は何者なんですかね」 誠の言葉にランは首をひねる。実働部隊の詰め所のドアにはようやく楓を引き剥がした要が息を荒げて部屋に入ってくる。 「それか?出所は在東和遼南人協会のサーバーからのアクセスだそうだ」 そう言って自分の席に座る要。楓は廊下で指をくわえて要に熱い視線を送っている。 「初めて聞く名前ですね。それってどう言う組織ですか?」 誠の何気ない発言にカウラが失望したようにため息をつく。 「遼南内戦で敗北した共和軍の亡命者が作った団体だ。主に構成員は前政権の官僚や軍の関係者が多かったが、最近では東海の嵯峨の親父さんが遼南皇帝時代に叩き潰した花山院軍閥の関係者が多いな。一時期の人民党の圧政や経済の混乱で発生した難民の相互利益の確保を目的としていると言うのが建前だが実際のところは嵯峨朝とその後の政権の悪口を喧伝して回っている暇人の集団だ」 カウラの言葉に要が苦々しげにさらに話を続けた。 「表向きはそうだが実際には裏ルートでの物資の流通を管理していると言う話もある……まあ胡散臭い団体だな。近藤事件でも資金のロンダリングを近藤忠久中佐に頼んでいた資料はお前も見てるはずだから覚えておけよ」 その言葉でようやく誠も親胡州系のシンジケートの中にその名前があったのを思い出した。 「でもなんでそこの関係者がこんな画像を撮れたんですか?」 「サーバーを使ったからってこのビデオの撮影をした人間が在東和遼南人協会の関係者とは限らねーだろうが」 キーボードを叩きながらランが突っ込む。 「無関係では無いとは思うが少なくとも吉田にそのサーバーを介して情報を流す意図を持った人物が、アタシ等の監視をしていることを印象付けたかったと言うことは間違いないだろうな」 ようやく抱きついて泣きじゃくる楓を引き剥がすことに成功した要はそう言って自分の端末の画面を開いた。 「でも……僕達を監視しているって宣言してみせる意味が分からないんですけど」 そんな誠の言葉に落胆した表情を浮かべるのは要だった。 「あのなあ、アタシ等の監視をしていると言うことはだ。いずれこの監視をしている連中の利害の範囲にアタシ等が関わればただじゃすまないぞ、と言う脅しの意味があるんだと思うぞ。実際、物理干渉型の空間展開なんかを見せ付けているわけだからな。どんな強力な法術師を擁しているか分かったもんじゃねえよ」 モニターを見ながら首筋のジャックにコードをつなげる要の頷く誠。そしてようやく吉田の手から脱出したシャムが誠の端末の画面を覗き込んできた。 「なんでこんなことしたのかな」 「アホか?今の話聞いてただろ?」 そう言うと始末書の作成に取り掛かる要。だが、シャムは相変わらず首をひねっている。 「だって、ただ邪魔をしたいとか監視していることを知ってほしいなら、直接要ちゃん達に仕掛ければ良いじゃないの」 シャムの何気ない一言にランが顔を上げた。 「そうか!カウラ、車は出せるか?」 「ええ、良いですけど……始末書は?」 「そんなものはどーでもいーんだよ!」 ランはすぐに立ち上がって背もたれにかけてあったコートを羽織る。カウラも呆然と様子を見ている要を無視して立ち上がった。 「どうしたんですか?」 心配そうな誠の声にランは満面の笑みを返す。 「そうなんだよ!アタシ等に直接攻撃を出来ない理由がある連中を当たれば良いんだ」 そう言ってドアにしがみついている楓の肩を叩いて出て行くラン。それをカウラは慌てて追った。 「なんかアタシ言ったの?」 呆然と立ち尽くすシャム。誠も要もランのひらめきの中身が何かと思いながら仕事に戻ろうとした。 「知りたいか?」 「うわ!」 誠は耳元に突然囁きかけてきた吉田に驚いて飛び上がる。それを見て笑みを浮かべる吉田。 「何か知ってるのか?」 要のいぶかしげな顔に吉田は首筋からコードを取り出して端末のスロットに差し込む。いじけていた楓と渡辺も寄り添うようにして吉田の捜査している誠の端末の画面を覗きこんだ。 「つまりだ、お前等に直接邪魔をすると困る。言い換えれば司法局に介入されると困る人が悪趣味な人体実験の片棒を担いでいると言うことはだ」 そう言う吉田が画面に表示させたのは同盟の軍事機構の最高意思決定機関の組織図だった。 「同盟の軍事機構か。そりゃあ虎を引きずり出したようなもんだな。それにこの面子。全員軍籍は東和陸軍か……」 要のタレ目は笑っていなかった。吉田はその組織図にいくつかのしるしをつけていく。その数に誠は圧倒された。 「近藤事件で押収した資料に名前の載っている人間がこんだけ。隊長も目をつけている人物達だ。当然これまで近藤事件の裏帳簿を隊長が握りつぶしたことで弾劾を切り抜けてはいるが近藤中佐の帳簿が表ざたになればどういう処分が出るか……」 そこまで言うと吉田は笑みを浮かべる。隣ではまるで話を理解していないようなシャムがニコニコして猫耳をいじっている。 「あの帳簿の公表は最後の手段だからな。表に出れば同盟での各国の待遇をめぐる不満が噴出すのは目に見えてる」 要はそう言ってそのまま自分の端末に目を向ける。 「どうりで情報が集まらないわけだ」 そう言ったのはサラと一緒に画面を覗き込んでいた島田だった。頭を掻きながら天を仰ぐ。 「東和陸軍には昔から遼州人至上主義を標榜する連中がうようよいますから。その相手にするのは研究を仕切っている組織の面々も避けたいでしょうからね。でもそうなると同盟軍の情報機関がこの事件の調査を始めるんじゃないですか?」 島田の意見に誠も頷いた。そんな二人とサラを見て吉田は呆れたような顔をする。 「同盟軍の連中が調査を始めて今回の事件の肝である法術師の能力強制開発の技術を手に入れたらどうなると思う?あの連中は本音では地球ともう一回ガチで喧嘩したい連中だ。一騎当千の法術師を大量生産して一気に地球に派遣して大混乱を起こす。そして軍の侵攻」 「勝敗は別としてもかなり見るに耐えない光景が展開されるのは確実だな」 要の言葉を聞くまでも無く誠は状況を理解した。 「でもそうすると研究施設を発見しても軍にばれたらエンドじゃないですか!」 「そうでもないぜ」 慌てた誠の言葉を要がさえぎる。そして端末を操作して誠の画面を切り替えた。そこに映るのは近藤事件に関与が疑われている同盟軍事機構の上層部の将官達の名前だった。 「こちらも手札はあるんだ。おそらくこの名簿をうちが握っていることは東和軍の連中も知っているはずだ。もしこのまま法術の研究施設をアタシ等が先に発見すればこの上層部の連中がアタシ等が手を下す前に施設に気づいても妨害は出来ない。誰もが自分がかわいいからな」 こう言うときの要は晴れやかな顔になる。常に軍上層部から嫌がらせに近い扱いを受けてきただけに彼女のそのサディスティックな笑顔にも誠は慣れてきていた。 「それでも調査は一刻を争う状況だな。西園寺。コイツと行ってこい」 そう言って吉田は誠の肩を叩く。 「始末書、作ってくれよな」 要の言葉にしぶしぶ頷く吉田。シャムは迷いが消えたような要の顔を見て笑顔を浮かべていた。 「俺達は?」 取残された島田。吉田は何も言わずにいつもの軽い笑みを浮かべるとそのまま自分の席へと島田を無視して立ち去ってしまった。すがるような視線を島田はシャムに投げるが、彼女も目をそらしてそのまま自分の席へと向かう。 「神前!ちゃんと私服に着替えろよな」 助けを求めるような島田を無視して要はそう言うと立ち上がって端末を停止させている誠を見下ろした。 「分かりました……」 そういう誠にも島田は涙目を向けてくるが周りの空気を読んで誠は無言で立ち上がって実働部隊の詰め所から更衣室へと向かった。
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