「嵯峨少佐、部屋に入ってもよろしいでしょうか?」 カウラの言葉にあからさまに誠に向けていた敵意をほぐす楓。そしてその手は当然のようにカウラの胸に向かった。 「あの……」 「大丈夫、自信を持って……」 そう言うと静かに平らなカウラの胸をさする楓。それを見ている誠は次第に顔が赤くなるのを感じていた。 「うん、ベルガー大尉。飾らない胸も素敵だよ」 楓はそう言うと笑みを浮かべて部屋に入っていく。そう言われたカウラはほうけたような顔で誠を見つめた。いつもの緊張感で支えられているような鋭い視線はそのエメラルドグリーンの瞳にはもはやなかった。 「神前……」 「大丈夫ですか?」 誠の声にすぐに自分を取り戻したカウラは東和軍教導隊から運ばれてきたばかりの執務机に向かった。誠も隣の自分の席に向かう。そして机の上に花が置いてあるのを見つけた。 「これは誰ですか?」 そう言った誠の視界の隅でそっと手を上げるのはアンだった。誠の背筋に寒いものが走る。 「神前曹長。人の好意は受けておくものだな」 楓の言葉に仕方なくぎこちない笑みを浮かべる誠。そんな彼が入り口で中の様子を伺っている要を見つけた。 「西園寺!とっとと席に着け!」 カウラの言葉に仕方なく部屋に入った要は、楓の方をびくびくしながらうかがった。楓はまじめに通信端末の設定をしており、安心したように要は自分の席に座る。 「ああ、お姉さまの机の設定は僕がしておきましたから!」 そんな楓の一言に要はあわててモニターを開いた。大写しされる楓の凛々しい新撰組のような段だら袴に剣を振るう姿。 「楓様素敵です!」 思わず叫ぶ渡辺。ただ黙って感心する吉田とカウラ。 「ちょっとこれは……」 誠がそうつぶやくと再び楓の鋭い視線が誠に向けられる。 「わかったよ!これを使えばいいんだろ!」 そう言ってそのまま自分用にモニターの仕様を変更する要。楓はその姿を確認すると笑みを浮かべながら自分の作業を続けた。 「誠ちゃん!今度のコミケのネームなんだけど!」 大声を張り上げて入ってくるアイシャ。誠にとってこのときほど彼女の存在がいとしいと思える瞬間はなかった。そのまま立ち上がったのは誠と要だった。要はそのまま誠とアイシャの肩を抱えて部屋を出ようとする。 「西園寺!仕事しろ!」 カウラの怒鳴り声を聞いて要はめんどくさそうに振り向いた。 「ああ、遠隔でやっとくよ!それより今度のあのコミックマーケットって奴だ」 「ふうん貴方からそう言うこと切り出すなんて珍しいわね」 部屋の中に取り残される楓を見て状況を察したアイシャは彼女もつれてそのまま外に出る。 「一応、誠ちゃんの端末にネームは送っておいたけど確認できる?」 アイシャはそのまま部屋から離れようとする要の勢いに押されながらも誠の腕に巻かれた携帯端末を指差した。 「ああ、後で確認します。ところで、西園寺さん?」 「もう少し歩こうじゃねえか、な?」 明らかに引きつった表情でそう言う要にアイシャは何かをたくらんでいるような視線を向ける。 「作業中、夜食とかあるといいわよね。できればピザとか」 「わかった神前とオメエとシャムとサラとパーラの分だろ?ちゃんと用意するよ」 要は即答した。その様子にさらに押せると踏んだアイシャは言葉を続けた。 「甘いものは頭の回転を早くするのよね……まあ飴とか饅頭は持ち寄るから良いんだけど……」 「なんだ?駅前のお姉さんご用達のケーキ屋のか?わかった人数分用意する」 そのまま要はコンピュータルームまで二人を押していくと、セキュリティーを解除して中へと誠達を連れ込む。 「じゃあ手を打ちましょう。ちょうど茜さんからお仕事貰ってきているしね」 そう言って端末の前に腰掛けるアイシャを要は救世主を見るような目で見つめている。画面には次々と傷害事件や器物破損事件の名前が並んだファイルが表示された。 「法術特捜の下請けか……わかった!」 そう言うと要は隣の端末に腰掛けて首のスロットにコードを刺すと直接脳をデータとリンクさせた。硬直したままの要。外部センサーの機能を低下させて事件のデータを次々と読み込んでいる様子がアイシャの前の画面でもわかった。 「要ちゃんは単純でいいわね」 そう言うとアイシャは立ち上がって彼女の後ろに立っていた誠に向き直る。 「誠君。もうだいぶ部隊に慣れたわよね」 紺色の流れるような長い髪をひらめかせるアイシャ。誠はそのいつもと違うアイシャの姿に惹きつけられていった。 「ええ、皆さんのおかげで」 細く切れ込むようなアイシャの視線が誠の目を捕らえて離そうとしない。誠はただ心臓の鼓動が激しくなるのを感じながら固まったように立ち尽くしていた。 「えーと、困ったな私。何を言ったらいいんだろうね」 そう言って視線をそらすアイシャ。長い髪の先に手を伸ばし、上目遣いに誠を見つめる。 誠も困っていた。アイシャ、要、カウラ。三人に嫌われてはいないとは思っていた。それぞれに普通とはかなり違う好意が示されているのもわかっていた。それでもどうしても踏み込めない。そんな誠。そしてアイシャは今その関係を踏み越えようとしているのかもしれない。 そう考えると誠の心臓の鼓動はさらに早くなった。 「クラウゼ少佐……」 「いいえ、アイシャって呼んで」 二人は見詰め合っていた。お互いの呼吸の音が聞こえる。静まり返ったコンピュータルーム。近づく二人の顔と顔。誠にはこの時間がどこまで続くかわからないとでも言うように思えた。 「おい……」 突然沈黙が破られた。データの閲覧を終えた要がいらだたしげに机に頬杖を付いて二人を見上げている。 「ああ、いいぜ続きをしてくれても」 誠の額に脂汗がにじむ。明らかに怒りを押し殺している要。 「要ちゃん、無粋ね」 いつものように挑戦的な視線を投げるアイシャ。要は口元に皮肉めいた笑みを浮かべている。 「人を無視していちゃいちゃするってのは無粋じゃねえのか?」 要の言葉が震えているのに気づいた誠は一歩彼女から引き下がった。 「神前、三又とは良い了見じゃねえか。まず……」 「三又?カウラちゃんと私はわかるけどあと誰がいるのかしら?」 その切れ長の目の目じりを下げて要に迫るアイシャ。 「馬鹿!こいつは人気なんだよ!こんなんでも。ブリッジにもいるだろ?あんだけ女がいるんだから」 「ふーん。そんな話は聞かないけど……私よりあの娘達に詳しいのね要ちゃんは」 その言葉に反撃できずにただアイシャを見上げる要。 「まあ、いい。データの抽出はできたからあとは各事件の共通項を抜き出す作業だ!誠!手伝えよ!」 「素直じゃないんだから」 「何か言ったか?」 要の怒鳴り声に辟易したように両手を上げるアイシャ。誠も次々と自分の前のモニターに映し出されていくデータに呆然としていた。そこで部屋の扉が開く。 「仕事だろ、手伝うぞ」 そう言っていかにも偶然を装うように端末に腰掛けるカウラ。 「邪魔なのがまた来やがった」 そう吐き捨てる要。 誠はいつまでこのどたばたが続くのか、そんなことを考えながら自分の頬が緩んでいるのを感じていた。
了
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