「なんだか増えてねえか?」 食堂に遅れて顔を出した要の第一声がそれだった。だが、誠は口の中の味噌汁の具のなすを飲み込んで苦笑いを浮かべるしかなかった。寮の前の市道には明らかにスポーツ誌の記者と思しき人物が行ったり来たりを繰り返していた。食堂で朝食をとる隊員達の視線も自然と誠達に集まってくる。 「明石中佐の話では不十分だったと言うことなんだろうな」 食事を終えていたカウラはそう言うとポットの番茶を自分の茶碗に注ぐ。そして三人は黙って目玉焼きを丸ごと口に入れようとしているアイシャを見つめた。 「何が?」 明らかにいつものアイシャに戻っていると言うことに気づいて三人は計ったようなタイミングで同じようなため息をついた。 「おい神前。何とかしてくれねえかなあ。あの文屋さん達。そのうち苦情が出ても俺は知らねえぞ」 そう言って三杯目のご飯を釜から茶碗に移すヨハンに同調するように整備班の隊員達が首を縦に振る。誠も朝のニュースでアイシャをめぐる状況がさらに変化したことを知っていた。 法術適正のあるアスリートに法術関連の研究施設における明確な回答が出るまでの間、一般試合はもちろん練習試合の出場を停止する処置を取るべきだと言う国際体育連盟の発表がどのチャンネルでもトップニュースになっていた。 これまで、噂と先走った競技団体の間だけの話がスポーツ界全体の意思として公表された。来週の東和職業野球のドラフト会議において、半数近い有力選手が指名を回避されると言う野球評論家の困ったような顔が妙につぼに入って誠の頬に笑みが浮かんできた。 「こりゃあ確実にアイシャ・クラウゼ内野手の誕生ってことになりそうだな」 要の言葉はそのことを喜ぶと言うよりも、その言葉でアイシャがどう反応するかを楽しみたいと言うような気色がありありと見えた。そんな彼女の言葉をカウラもとめることをしない。 「でも、指名が確実になったわけでもないし……それにまだどこかの球団からアクションがあったとか言う話しは……」 「ああ、あったわよ」 誠は突然のアイシャの言葉に驚いて彼女の顔を見つめた。 「どこだよ!言えよ!」 そう言いながらご飯に味噌汁をかけている要。その出自のわりに西園寺要は悪食だった。 「一応協約の絡みとかあるから口外は避けてくれって」 そう言うとアイシャは飲み込んだ目玉焼きの次とばかりに茶碗のご飯に取り掛かる。 「口外するなって、してるじゃねえか今。ってまさか……」 「ええ、私はプロには行かないから」 そう言うと黙々とご飯だけを食べ続けるアイシャ。カウラも誠も、要やヨハンまでその一言に呆然とした。 「おい!嘘だろ?一気に有名人になれるかも知れないって言うのに……」 「要ちゃんが言っても説得力無いわよ。それに別に私は有名人になりたいわけじゃないし」 いずれは胡州帝国の重鎮になることが宿命付けられている要にはっきりとそう言い切るアイシャ。 「明石中佐には話したのか?」 飲み干した番茶をポットから継ぎ足すカウラ。 「ええ、今朝電話したわ。だから前の取材陣も……」 「いや、そうは行かねえだろうな」 そう言うと要は一気にどんぶり飯を口に掻きこんだ。アイシャがプロへ行かないといい始めてから要の口元は明らかに緩んでいた。 「なによ、要ちゃん。他人事だと思ってうれしそうに……」 アイシャのその言葉に食堂に集う保安隊の隊員達は要に目を向けた。誠には彼等の視線がまるで一緒に何か悪事を働こうとしている子供達の目のように見えた。 「今年は即戦力の内野手はほとんど法術適正が黒っていうのがアタシのデータでもわかってるんだ。当然、プロの内野手で法術適正者も何人かいるからな。補強に走るチームは5,6球団じゃすまねえだろうな」 そう言いながら番茶を注ぐ要。彼女は腐っても保安隊野球部監督である。熱狂的な地球、日本の西宮市に本拠を置くチームのファンである彼女は東和のプロ野球事情にも精通していた。 「つまりかなりの上位での指名があるって言うことか?」 カウラも保安隊野球部の中継ぎ投手として要の言葉に身を乗り出してくる。 「上位はどうか分からねえが、確実にアイシャが拒否しても強硬指名をやってくる球団は予想がつくぜ」 そう言って笑う要に目もくれずにもくもくと食事を続けるアイシャ。 「一位だろうがなんだろうが行かないわよ、私は」 淡々と食事を続けるアイシャに食堂に集う隊員達が視線を集めてきた。 「契約金とか出る……」 「エンゲルバーグに言われたか無いわよ」 すぐ金の話に走ったヨハンの言葉にもアイシャは耳を貸すつもりはないというように目玉焼きの皿に残った最後のトマトを口に放り込む。 「でもよう、一億出すって言ったら……」 「要ちゃんもしつこいわね。私は行かないの」 上目遣いに見つめるアイシャの瞳。思わず要は顔を赤らめて今度は番茶を茶碗に注いで口に掻きこんだ。 「プロでやってく自信が無いってわけじゃ無さそうだな。なんでだ?」 そう言って茶碗を置いた要に向けるアイシャの視線はきわめて落ち着いていた。 「私はここが居心地がいいのよ。私はファンを作るより一ファンでありたい。それが理由よ!」 そんな自分の言葉に酔うようにして立ち上がるアイシャ。そのわけの分からない発言に要は首をかしげた。 「ファン?何の?」 そう言いながら要は誠に目を向けた。誠は立ち上がったアイシャが自分の顔を見ていることに気づいて困惑した。 「そう!同人作家神前誠のファンでありたいのよ!」 その力強い一言につい乗せられるようにして食堂中の隊員が拍手を始めた。 急に話題を振られた誠はただ左右を見回すだけだった。 「え?なんで僕?」 そんな中で二人だけ異質な視線を投げかけてくるのを誠は見逃さなかった。あきれ果てたと言うような要の視線。そして同情を込めたカウラとしては珍しく感情的なまなざしが誠を見つめている。 「同人作家って……確かにそうなんですけど……今書いてるのってアイシャさんがシナリオ書いた作品ですよね?」 「そう!そして新進気鋭の原作者アイシャ・クラウゼのファン……」 そこまで言ったところで要は脱いだスリッパでアイシャの頭をはたいた。 「意味わかんねえよ!それとこいつを巻き込むな!」 頭をさすりながら要に向けたアイシャの視線は哀れむような感情を湛えていた。 「なに?そんなに誠君が大事なの?」 アイシャのその言葉は瞬間核融合炉の二つ名で呼ばれる要を激怒させるには十分だった。 「じゃあ表の記者を全部片付けて来い!仕事の邪魔だ!それくらいやってからでかい口を叩け!」 再び振り下ろされるスリッパを避けたアイシャは誠の手をつかんで立ち上がった。 「そうね、じゃあ今度は誠ちゃんとツーショット写真を味わいましょうか。こんなことめったにないし」 そう言うアイシャにさらに激高する要にカウラとヨハン、それに整備の面々が飛び掛って押さえつける。 「行きましょうね!」 そう言うとアイシャはそのまま誠の手を引いて寮の玄関へと向かった。 「そんなに引っ張らないでくださいよ!」 そう叫ぶ誠を無視して玄関まで彼を引きずるアイシャの満面の笑み。誠は次第に不安になっていくのを感じた。 「そうねえ、どう宣言しようかしら……?」 玄関で健康サンダルを履いて素足の誠を無理やり寮の前の小道まで引っ張ってきたアイシャが拍子抜けしたように立ち止まったので、誠もようやくあたりの異変に気づいた。 記者達は消えていた。 隣の駐車場も見渡せるがそこにもそれらしい人影は無い。隣の新しいマンションにも人影は見えない。ただ、いつもの通学路をかけていく小学生の群れが見えるばかりだった。 「いないですね」 誠はそう言うとアイシャの緩んだ手から自分の右手を抜いた。アイシャも拍子抜けしたようにあたりを見回している。 「オバサン。お礼くらい言ってもらいたいよね」 その声に二人は視線を下ろした。見た感じ8歳くらいの少年が二人を見上げている。 「オバサンじゃないでしょ?お姉さんでしょ?」 見ず知らずの少年だと言うのにアイシャはいきなり少年の両の米神に握りこぶしを当ててギリギリと締め付けた。 「痛い!痛いじゃないか!だから言ったろ!僕が追い返してあげたんだから!」 少年はじたばたと手を動かしながらそう叫ぶ。誠も明らかに大人気ないアイシャの手を握って彼女を止めた。 「君が追い返したって?」 誠が少年に声をかける。少年は嫌味に見えるほど大人びた調子で髪の毛を整えると誠の顔を見上げてにんまりと笑った。その表情に誠は誰だかわからないが明らかに知った人物の同じ表情を見たことがあるのを思い出した。 「まあね、僕もこの近くに住んでいるからね。こんなところでカメラマンや記者にうろちょろされたら迷惑なんだよ」 そう言いながら少年はまずは誠を、そして次は見比べるようにアイシャを頭の先からつま先まで観察すると大きなため息をついた。 「なによ、文句でもあるの?」 『オバサン』の一言がかなり頭にきたのか、アイシャが珍しくとげのある調子で少年を見下ろすようにつぶやいた。 「近隣住民の迷惑を考えない行動は公僕としては慎むべき……」 そこまで言った少年だが、すぐに彼の言葉は口の中に飲み込まれた。さすがのアイシャも子供にここまで言われてつい右手を振り上げていた。 「小難しいことばかり言う子供ね!」 そう言って手を上げようとするアイシャを止める誠。確かにこの少年の言葉は神経を逆撫でするようなことばかりだった。だが、この目つきやしゃべり方がいつも聞いている誰かの言葉だったと思って考えてみた。 誰だかわからないがとにかくあまり好意を持てる人物でないことだけは確かで、誠もいつの間にかこぶしを固めている自分に気づいた。 「じゃあ、僕は帰るからね」 そう言うと少年はそのまま振り向きもせずに歩き始めた。 「もう二度と来ないでね!」 アイシャの叫び声を聞きつけると、少年は振り向いて中指を立てて見せるとそのまま小道に身を躍らせて二人の視界から消えた。 走り去る少年の後姿。誠とアイシャは非常に近しい誰かの面影を見ている自分自身に気づいていた。 「ちょっと、誠ちゃん」 そう言うとアイシャは今度はそのまま寮に誠を引きずっていく。 「おお、いねえな。文屋さん」 目をこすりながら玄関に立っている要を見て、誠とアイシャは思わず指差していた。 「要ちゃん!」 アイシャはそのまま要にパンチをしようとした。当然のことだが、戦闘用に機械化された要の体はアイシャの一撃など軽く受け止め、そのまま腕をねじりあげる体勢に持ち込んでいた。 「いきなり何しやがんだ!」 さすがに誠も明らかにトリッキーすぎるアイシャの行動に苦笑いを浮かべながら先ほどから頭にこびりついている疑問を要にぶつけることにした。 「西園寺さんの親戚に8歳くらいの男の子っていますか?」 誠の言葉に首をひねる要。彼女は首をかしげながらさらにアイシャの肩の関節を締め上げる。 「ちょっ!たんま!やめ!」 ばたばたとあいた左手で要を叩くアイシャ。要はそのままアイシャを離すと再び熟考を続けた。 「親父の系統じゃあいねえなあ。だけどお袋の系統だと……こっちもいるとしたら叔父貴の腹違いの弟ってことになるけど……ここらに住んでるなんて聞いたことねえよ。それにしてもなんでそんなこと聞くんだ?」 あの少年が要くらいの立派なタレ目だったら確実にわかるのにと思いながら愛想笑いを浮かべる誠。もしそんなことを口に出せば、先ほどのアイシャの比ではない制裁が加えられることは間違いなかった。 「西園寺の親戚は胡州や遼南の貴族ばかりだからこいつに聞かなくてもネットで調べればわかるんじゃないか?」 要から開放されたアイシャを抱き起こしながらカウラがそう言った。 「じゃあ、あれ……隊長の腹違いの弟とか」 アイシャはようやく息を整えるとそう言った。誠もその言葉に納得した。保安隊隊長嵯峨惟基の父、ムジャンタ・ムスガ、贈り名、兼陽帝は息子のラスコーを追い落として帝位につくや否や酒色におぼれ政治を放り出した愚帝だった。彼は次々と女官達に手をつけ、その数は二百人とも言われる子供をなした。保安隊の次期管理部の部長に内定している高梨渉参事などもそんなムスガの子供達の一人だった。 「それならなんとなく納得いきますね……でも西園寺さんも知らないんですか?」 「まあな。叔父貴も全員は知らねえって言ってたからな。まあいてもおかしくはねえな」 誠もアイシャの言葉に頷いた。あのふてぶてしい態度。明らかに人を馬鹿にしたような視線。敬意のかけらも感じられない言葉遣い。 「まあ……実は叔父貴の兄弟のことまで詳しくははアタシは知らねえんだ」 そう言うと興味をなくしたと言うように自分の部屋に戻っていく要。 「隊長の弟か。なんでそんな人物がここに居るんだ?」 不思議そうに誠を見つめるカウラ。誠も少年がなぜアイシャを追っている記者を追い返したのかと言う疑問を解決できずに、とりあえずこのことは後で考えようと心に決めて寮に足を踏み入れる。 「誠ちゃん。足は洗おうね」 アイシャはそう言うと手を差し伸べるカウラを置いて二階へあがる階段に足を向けた。誠は仕方なくサンダルを手に入り口のそばの水道の蛇口に向かって歩き出した。
|
|