胡州帝国の象徴とも言える金鵜殿(きんうでん)。その首都帝都の中央に鎮座する数千ヘクタールと言う巨大な庭園付きの宮殿こそが胡州の意思決定機関である『殿上会』の舞台であった。マスコミのフラッシュが焚かれる中、西園寺基義首相兼四大公家筆頭をはじめとする『殿上人』達が次々とその漆で塗り固められた門を高級車に乗ってくぐる。 そんな光景を傍目に、嵯峨惟基は黒い公家装束に木靴と言う平安絵巻のような姿で手にタバコと灰皿代わりの缶コーヒーを手に通用門そばの喫煙所でタバコをくゆらせていた。そこに一人の胡州陸軍の将官の制服を着込んだ男が近づいていた。 その鋭い視線の壮年の男は、礼装に着替え終えている嵯峨に大げさに頭を下げた。 「醍醐さん。もうあなたは私の被官じゃないんだから……」 そう言いながら嵯峨は手にした安タバコを転がした。いつもならその醍醐文隆陸軍大臣は表情を緩めるはずだったが、嵯峨の前にある顔はその非常に複雑な心境を表していた。 「確かに法としてはそうかも知れませんが、主家は主家。被官は被官。分際を知ると言うことは一つの美徳だと思いますがね」 醍醐の口元に皮肉を込めた笑みが浮かぶ。 「なるほど。赤松や高倉が嫌な顔していたわけだ。つまり今度のバルキスタンでの国家憲兵隊とアメリカ陸軍非正規部隊の合同作戦の指示はそれくらい上からの意向で動いてるってことですか……」 そう言うと、嵯峨はタバコの灰を空になった缶コーヒーの中に落す。 「近藤資金。胡州軍が持っていたバルキスタンの麻薬や非正規ルートを流れるレアメタルの権益を掌握する。なんでこの作戦に同盟司法局が反対するのか私には理解できないんですが」 そう言うと醍醐は手を差し出した。仕方が無いと言うように嵯峨は安タバコを醍醐に一本渡す。 「別に私はエミール・カント将軍に頼まれたわけじゃないんですがね。むしろ同盟議会の知らないところで話が進んでたのなら口を挟む義理も感じなかったでしょうがね」 嵯峨はそう言い切ると静かにタバコをふかす。二人の見ている先では、初めての殿上会への参加と言うことになる嵯峨の次女、楓が武家装束で古い型の高級車から降りようとしているところにSPが立ち会っているところだった。 「彼女達に腐った胡州を渡すつもりは無いはずですよ、あなたは」 そう言って笑ってみせる醍醐だが、嵯峨はまるで関心が無いというようにタバコをもみ消して缶の中に入れると再び新しいタバコを取り出して火をつける。 「別にカント将軍がどうなろうが知ったことじゃねえんですよ、うちとしては。磔(はりつけ)だろうがさらし首だろうが好きなように料理していただいて結構、気の済むまでいたぶってもらっても心を痛める義理も無い。だが、二つだけどうにも譲れないことがあって今回の作戦には賛同できないんですよねえ」 嵯峨の目がいつもの濁った目から鋭い狩人の目に変わった。そこに目を付けた醍醐は静かに、穏やかに、一語一語確かめるように口を開いた。 「アメリカ軍の介入と現在行われているバルキスタンの総選挙が成立するかどうか・・・と言うことですか」 嵯峨はまるで反応する気配が無かった。醍醐は嵯峨家の家臣としてこれまでも嵯峨の様子を見てきたと言う自信があった。だが今、醍醐の前にいる嵯峨はそれまでの嵯峨とは明らかに違う人物のように感じられた。 残忍で、冷酷で、容赦の無い。かつて嵯峨惟基という男が内部分裂の危機を迎えた遼南帝国に派遣されて『人斬り新三』と呼ばれた非情な憲兵隊長だったと言う事実が頭をよぎる。そして死んだ目つきが醍醐に突き刺さった。 「同盟司法局が取っている対抗措置、どこまで把握してるか教えていただけますかね。情報のバーター取引。悪い話じゃねえと思いますが」 そう言って口元だけで笑う嵯峨の姿に醍醐は恐怖さえ感じていた。 醍醐は沈黙した。いくつかの胡州陸軍情報部貴下の潜入部隊からのデータを手にはしていたが、その多くは嵯峨が胡州と米軍の展開しようとしている作戦の妨害に本気で動き出していると言う事実を示すものばかりだった。 「まず言いだしっぺと言うことで。司法局じゃあすでに機動隊が動いて三人の現役の胡州陸軍の士官の身柄を確保していますよ」 嵯峨の言葉は醍醐が作戦立案の責任者だった彼の腹心高倉大佐からの報告と一致していた。 「付け加えるとそちらには米軍からは話は行ってないと思いますが、バルキスタンアメリカ大使館付きの将校がバルキスタンのイスラム系武装組織に拉致されたのを取り返したのも俺の直下の連中の芸当でね……まあ私の同僚のお手柄と言うところですか……」 天井に向けて吐き出される煙。それを見ながら醍醐も久しぶりのタバコの煙を肺に吸い込む。手にしたタバコの先の震え感じた醍醐。その視線の先には相変わらず殺気を放つ嵯峨の瞳があった。確かにすでに司法局の特務機関の隊長である安城秀美少佐の部隊が動いていることは醍醐も把握していた事実だった。 「だが、我々としては引くわけには行かない。その事情もわかってほしいものですね」 そう言った醍醐の額には汗がにじんでいた。 譲歩をする余地はお互い無いことはわかっていた。バルキスタンでのエミール・カント将軍の略取作戦が急がれる理由くらい嵯峨が読めないわけが無いことは醍醐も知っていた。 先の敗戦からの復興は進んだとはいえ胡州の経済は決して健全なレベルに到達してはいなかった。敗戦により、胡州のアメリカを中心とした地球諸国の資産凍結はいまだに続いていた。和平会議の結果発効しているアントワープ条約の敵国条項により、貿易・技術・学術研究などの分野での協力停止措置によるダメージは、復興を続ける胡州経済の足かせになってきていた。 そして来週には行われるアメリカの中間選挙。胡州の首を真綿で絞めるような資産凍結処置の延長を掲げる野党の躍進が確実視されている以上、現政権の強力なリーダーシップが発揮されている今こそバルキスタン問題と近藤資金と言う二つの負の遺産を清算するには最適な時期と言えた。東和と胡州を経て地球権に流れる麻薬や非正規ルートのレアメタル。それが地球でも犯罪組織やテロ組織、そして彼等の援助を受けている失敗国家の存立を助けていることは誰もが知っている話だった。その大元であるエミール・カント将軍の身柄の確保とそれに連なる近藤資金の関係者の一斉摘発を敵国条項の解除の条件として地球が水面下で提示してきている事実がある限り醍醐も妥協は出来なかった。 敵国条項の解除による胡州の復興は同盟の利益となる。それが嵯峨の兄、西園寺基義首相の今回の作戦を提案した醍醐に言った言葉だった。だが、それが同盟司法局に対する越権行為になることは承知の上だった。自国の犯罪者を自国で処分する。同盟規約にもある不干渉ルールをいち早く打ち出して同盟の設立を成し遂げた嵯峨が地球へのカント将軍尾拉致を許すはずもなく、独自ルートで妨害工作を始めるだろうと言うことも予想していた。 「まあ、これが組織って奴なのかも知れませんねえ。お互い信じる正義を曲げるつもりはさらさらないと……」 そう言いながら再び嵯峨はタバコの煙を大きく肺に取り入れる。 「文隆!」 突然の声の主に醍醐は驚いたように振り向いた。醍醐文隆一代公爵の兄に当たる、地下佐賀家の当主佐賀高家侯爵が紫色の武家装束で通用口から顔を出していた。彼ははじめは弟、醍醐の顔を見つめていたが、その話し相手が嵯峨だとわかるとその笑顔が引きつって見えた。 弟と同じ嵯峨家の被官という立場だが、佐賀高家の立場は複雑だった。 嵯峨家は60年前に当主が跡継ぎを残さず死去。その家格と2億の領民を抱える領邦のコロニー群は四大公筆頭である西園寺家に預けられた。分家である佐賀家。特に現当主佐賀高家は殿上嵯峨家の家督にこだわった。その財力と四大公の家格は胡州ばかりでなく地球までも影響を持ちえる権力を手にすることを意味する。 だが、西園寺家はこの要求を黙殺した。先代の当主西園寺重基は三男西園寺新三郎の妻の死で残された子供である茜と楓の安全を図ると言う目的で嵯峨惟基の名でその家名を継がせた。このことは佐賀高家にとっては屈辱でしかなかった。 敗戦後、西園寺家現当主、基義が貴族の特権の廃絶を目指す政治活動を開始すると佐賀高家は主家と決別し、烏丸家を中心とする貴族主義的なグループの一人として活動を開始した。そうして佐賀高家はいわゆる『官派』と呼ばれる勢力の一員として西園寺家の『民派』との対立の構図にはまり込むこととなった。 その対立は『官派の乱』と呼ばれたたった一月あまりの内戦で終わった。決起した官派は決戦に敗れて武装解除させられた。そして嵯峨惟基は被官である佐賀高家に切腹を命じた。腹違いの弟である醍醐文隆の助命嘆願で何とか首と胴がつながっていたが、そのれからは土下座をした主君嵯峨惟基を見る目はどうしても卑屈なものになるのを佐賀高家は感じていた。 「兄上。それでは失礼しましょう」 そんな弟、醍醐文隆の言葉が遠くに聞こえるのを佐賀高家は感じていた。殿上嵯峨家と地下佐賀家。かつてその差を越えられると信じていた時代があったことがまるで嘘のように佐賀高家は感じていた。嵯峨惟基。彼は揚げ足を取ろうと狙っている佐賀高家から見ても優秀な領邦領主であり、政治の場における発言力、そして最後の決断においても恐ろしい敵であった。 弟の冴えない表情を見て、彼は弟とこの敵に回せばただで済むことが考えられない主君の間に険悪な雰囲気が漂っていることにただならぬ恐怖を感じていた。 「文隆、来い」 そう言って佐賀高家は弟を引っ張って建物の中に消えた。嵯峨は黙って缶コーヒーの缶に吸い終えたタバコを入れてそのまま道に置いて建物の中に入った。 ひんやりとした空気が水干を着込んだ嵯峨の体を包む。建物の中庭には枯山水が見える。廊下の角に立っていたSPが嵯峨が室内に入ってきたのを確認すると崩れかけた直立不動の姿勢を正した。 そのまま嵯峨は一人で金鵜殿の禁殿に向かう廊下を歩き始めた。雑音も無く沈黙した空気の中、こうして禁殿に向かうことは実は嵯峨は一度も経験したことが無かった。 嵯峨家は本来年に一度のこの金鵄殿での殿上会に参加することが義務付けられている四大公家の当主である。だが、彼は当主になってすぐに軍務で遼南に向かい、そのまま遼北の捕虜となった後は政治取引でアメリカ陸軍に引き渡された。三年後ネバダの砂漠から帰還した嵯峨は殿上会に所在の確認などを届け出ることもせず、双子の娘の姉、嵯峨茜を連れて東和に去ってしまった。 そんな自分と無縁の晴れ舞台。嵯峨の視線の先にあるのは太刀持ちに副官である渡辺かなめを引き連れて静々と歩いているのは彼の次女、嵯峨楓の凛々しい姿だった。嵯峨は娘のその姿に思い出がよみがえるのを感じていた。 嵯峨惟基が、まだ西園寺家の部屋住みの時代。兄、基義に無理やり連れ出されて出かけた成金貴族のパーティーで出会ったゲルパルト貴族の娘。そんな嵯峨楓の母、そして嵯峨の最愛の妻であったエリーゼ・フォン・シュトルンベルグの面影が、どこと無くぎこちなく廊下を歩み続ける娘の中に見て取れた。 「柄じゃあねえんだけどな」 誰に言うと言うわけでもなく、嵯峨の口から自然と漏れた言葉。そして嵯峨は自分の瞳から涙がこぼれていることに気がついた。 一瞬、楓の視線が嵯峨に注がれる。うろたえ、自然と顔に赤みが差すのを自覚する嵯峨。それでもすぐに楓は視線をまっすぐと向けて静々と歩き続ける。狂気と暴力が支配したかつての胡州。その政治闘争の見せた武力的側面のテロが嵯峨から妻を奪い、楓から母を奪った。その事実は変えられないことは嵯峨もわかっていた。そしてそんな世界でしか生きられない自分のことも。 嵯峨はそのまましばらく目頭を抑えたまま、渡辺かなめの後に続いて禁殿へと足を向けた。 廊下は果てしなく続いた。 嵯峨もこの建物の内部についてはほとんど知識が無かった。ただ娘を先導する女官についていくだけ。そして自分の目の前で彼から見ても凛々しく見える娘の姿に再び涙が出るのを堪えての歩みは重いものだった。幸い嵯峨の控え室に当たるである茶臼の間に至るまで誰一人として殿上会に出る公卿達とすれ違うことは無かった。 静かに部屋の前に立っていた女官が正座をしてゆるゆると襖を開いた。部屋に入ろうとした楓が立ち止まったのを見て、嵯峨はそのまま部屋を覗き込んだ。 五十畳はあろうと言う嵯峨家のためだけにあるはずの『茶臼の間』には先客がいた。 「遅いな、新三郎」 そう言って扇子で嵯峨を指していたのは公家姿の礼装を見に纏った兄、西園寺基義だった。 「ご無沙汰しております。伯父上」 そう言うとそのまま部屋の中央で座っている伯父の前へと歩み出る楓。嵯峨もその後をついて部屋に入って中の様子をうかがった。 壁には金箔を豪勢に使った洛中図が描かれ、黒い柱は鈍い漆の輝きを放っている。正直、嵯峨はこのような場所にこれまで足を踏み入れなかった自分の決断が正しかったと思い、皮肉めいた笑みを浮かべながら西園寺基義の正面に座った。 「そこはお前の場所ではないんじゃないか?」 そう言う兄の声に気づいたように嵯峨は三歩後ずさった。そして楓は空気を察したように伯父の正面に腰を下ろした。 「この度の家督相続。祝着である」 その西園寺基義の一言を聞いた屏風の後ろに控えていた白い直垂の下官が三宝に乗せた杯と酒を運んでくる。その様子を見て、嵯峨はこれもまた家督相続の儀式であると言うことを初めて知った。戦中の嵯峨自身の家督相続はすべて書面だけで行われ、儀式をしようにも嵯峨の身柄は内乱の気配が漂う遼南の地にあってこのような舞台は用意されることも無かった。 下官に注がれた杯を飲み干す西園寺基義。そして彼は静かにその杯を正面に座る姪の楓に差し出した。楓の手が震えているのが嵯峨の視点からも見て取れた。珍しく娘の成長した姿を親の気持ちで眺めている自分がいることに嵯峨は戸惑う。 受けた杯を飲み干す楓。 「源朝臣(みなもとのあそん)。三位公爵に叙する」 「ありがたくお受けいたします」 西園寺基義の言葉に拝礼する楓。それを見ながらそのまま三方を持って部屋を出る下官。 完全に下官達が去ったのを確認するように伸びをした後、基義は突然足を投げ出した。 「ああ、待たせるなよ。つい地がでるところだったじゃねえか!」 そう言いつつ手にした扇子を右手にばたばたと仰ぐ基義。嵯峨も兄の間延びした顔を見て足を投げ出す。 「これで新三郎はめでたく胡州の枷から外れたわけだ。しかし……」 基義の顔が緩んでいたのは一瞬のことだった。すぐに生臭い政治の世界の話が始まるだろうと嵯峨は覚悟を決めた。 「醍醐のとっつぁんの話なら無駄ですよ」 まだ緊張から固まったように座っている楓の肩を叩く嵯峨はそう言い切った。家督相続の儀式を半分終えた安心感から、大きくため息をついた彼女を見て嵯峨は少し自分を取り戻して兄の顔を見つめた。 「そうは言うがな。少しばかり話を聞いてくれないかね」 そう言いながら笑みを浮かべる兄を前にして仕方が無いと言うようにタバコを取り出す嵯峨。 「この部屋は禁煙だ」 そう言う西園寺基義に悲しげな目を向ける嵯峨。 「こいつは俺の代に作った法律なんだがな。まあ新三郎対策とでも言うべきかな?ヤニで汚れたら胡州の伝統が汚れるだろ?」 そう言いながらにやけた顔で見つめる西園寺基義。仕方なく嵯峨はタバコを仕舞う。 「僕は席をはずした方がいいですか?」 そう言う楓に嵯峨は首を横に振った。 「お前も一応、嵯峨家の当主だ。それなりの責任は果たす必要があるんじゃないか?」 そう言いながら西園寺基義は弟に向かい合って座りなおした。 「醍醐の気持ちも汲んでやってくれよ。あの人もそれなりに考えて今回のバルキスタンへの介入作戦を提案してきたんだからな」 兄の言葉に空々しさを感じて嵯峨は思わず薄ら笑いを漏らした。 「まあそうでしょうね。あの人が有能な官吏で軍人だって事は私も十分承知していますよ。確かにあの人の立場に俺がいたら……そう、今回の作戦と変わらない作戦を提案するでしょうから」 『今回の作戦』と言う嵯峨の言葉に、西園寺基義は少し表情を強張らせた。 基義は外交官の出身である。戦時中はゲルパルトとの同盟に罵詈雑言をマスコミで繰り返し官職を取り上げられ飼い殺しにされていた彼は、戦局が敗北の色を帯び始めた時点で講和会議のために再登用された。地球軍に多くのコロニーを占領され、死に体であった胡州だが、そんな中で西園寺が目をつけたのは戦争遂行能力に限界の見えてきた遼北人民共和国だった。 素早く遼北の最高実力者、周喬夷首相を密かに訪れ電撃的な休戦協定を締結する方向に動く。遼北の停戦宣言で地球軍は胡州の首都、帝都のある第四惑星降下作戦発動のタイミングを失った。そして渋々講和のテーブルに付き戦争は終結へと向かった。その勲功により終戦を待たずして世を去った父重基を継ぐようにして政界へ西園寺基義を押し上げるきっかけを作った実績は誰も否定することが出来なかった。 嵯峨が『今回の作戦』と言う言葉を使ったことが、醍醐陸相から首相である西園寺基義に受けている作戦要綱以上の情報を嵯峨が手に入れていると言う意味であることを基義は聞き逃すことは無かった。 「それなら今の立場。遼州同盟司法局の実力部隊の隊長としてはどう動くんだ?」 その言葉に嵯峨は思わず笑みを漏らしていた。 「それは醍醐さんにも話しときましたよ。実力司法組織として、でき得る最高レベルの妨害工作にでると。加盟国の独走を許せば同盟の意味が無くなりますからね」 西園寺基義の表情は変わらなかった。そして、そのまま楓へと視線を移す。 伯父に見つめられた楓は首を横に振った。もとより西園寺基義は楓には嵯峨の説得が不可能なことはわかっていた。だが、とりあえず威圧をしておくことが次の言葉の意味を深くする為には必要だと感じていた。 「そうか。なら同盟の妨害工作が動き出すと。その命令はどのレベルからの指示だか教えてもらいたいな」 胡州も遼州星系同盟機構の構成国家である。比較的緩い政治的結合により地球圏からの独立を確保する。その目的で成立した同盟機構には超国家的な権限は存在しない。そのことを言葉の裏に意識しながら西園寺基義は血のつながらない弟に詰め寄った。 「同盟機構の最高レベル。そう言うことにしておきますかね」 嵯峨のその言葉は西園寺基義の予想の中の言葉だった。しかし、それは最悪に近い答えだった。 この胡州帝国は帝国とは名ばかりの皇帝の存在しない帝国だった。遼州独立戦争。この星系に棄民同然に送られた人々と、先住民族『リャオ族』の同盟が地球の支配に反抗して始まった戦争で胡州の祖先達は独立派の中で数少ない正規部隊として活躍し、『リャオ族』の巫女であったムジャンタ・カオラと言うカリスマを引き立てることで独立を手に入れることになった。 当時の遼州の各国家の意識はどれも国家意識と呼べるようなものではなく、独立の象徴として祭り上げられたムジャンタ・カオラを皇帝として元首に据えることを胡州は選んだ。 しかし、初代皇帝カオラの消息が消えると、事実上胡州はムジャンタ王朝の領土である崑崙大陸と決別し『皇帝不在の帝国』として今度は遼州内国家でのパワーゲームの一つの極をなす国家となった。 そしてその空位の皇帝の座の前で行われる今日の殿上会。 にやりとその意味を悟って笑う弟の姿に西園寺基義は背筋の凍る思いがした。 「それじゃあ、失礼するよ。ああ、そうだった康子が帰りには必ずうちに寄るようにって言ってたぞ」 そう言って立ち上がる西園寺基義。基義は兄の言葉に次第に青ざめていく弟を見ながら茶臼の間を後にした。
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