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作品名:遼州戦記 保安隊日乗 3 作者:橋本 直

第21回   季節がめぐる中で 21
 四条畷港の超空間転移式港湾警備本部。その立て替えられたばかりの壁にしみ一つ無い廊下を一人の胡州海軍の少佐の階級章をつけた細身の高級将校が早足で歩いている。後ろに流れるような、根元を白い紐で結わいた黒髪も流れるように空調の風に揺れ、この人物の中性的な表情をより美しく飾り立てた。海軍の女性将校の制服はタイトスカートが基本であるところから考えれば、スラックスの姿であるこの人物が男性ということになるが、その胸の大きな塊がその可能性を否定した。
 彼女、嵯峨楓少佐の機嫌は最悪だった。
 検疫か、それとも分析班の職員と思われる白衣の女性達が彼女に熱い視線を送っている。いつもなら軽く笑顔を浮かべて黄色い歓声を浴びることを楽しみにしている彼女だが、今日はそれどころではなかった。彼女が立ち止まったのは『機動特務隊』と書かれた部屋の前だった。当然のようにノックもせずに楓は踏み込んだ。
 防弾ベストに実弾入りのマガジンをいくつも入れている臨戦態勢の部隊員が一斉に楓を見据えた。百戦錬磨の室内戦闘のプロに睨まれている状況は、普通の軍人でもかなり威圧感を感じるところだろうが、楓はただ彼等をすごむような調子で睨み返すとついたてで仕切られた部屋の隅の休憩所のようなところへと足を向けた。
「よう、遅かったじゃねえか」 
 天丼を食っているのは着流し姿の父嵯峨惟基だった。いつもと同じように、食事中だというのに隣におかれたガラス製の大きな灰皿には吸いかけのタバコが煙を上げている。
「父上……」 
 娘を一瞥した後そのまま天丼に箸を伸ばす父を見ながら、楓は疲れが出たように真向かいのパイプ椅子に腰を下ろした。
「やっぱり米は東和の方が旨いんだな……で、勤務中じゃないのか?」 
 そう言いながら嵯峨は口元に付いた米粒を指でつまんで口に放り込む。その動作がさらに楓の怒りを駆り立てた。
「その勤務中の僕に身元引受人を頼んだのは誰ですか!子供じゃないんですから来るたびに警察に迎えに来させる必要は無いと思いますよ!」 
 そう言って机を叩く楓。慣れたもので、ついたての外の隊員達はこの親子喧嘩にまるで口出しをするつもりは無いように沈黙している。
「前のお盆の墓参りの時はここには来てないのにな……」 
 もぞもぞとそう言う嵯峨だが、楓の一睨みでおずおずと下を向き、重箱の中に残った飯粒をかき集め始めた。
「例外の話はいいんです!今年になって四回ですよ!父上がここに世話になるのは。この前は爆発物を仕掛けたテロリストを峰打ちと言って袋叩きにするし、その前は……」 
「良いじゃねえか死人は出て無い……」 
 再び楓の射るような視線に黙り込む嵯峨。
「大体、今回もあそこにスナイパーがいるのはわかってたんじゃないですか?どうせもう上層部には今回の事件に関係する組織の名前を送付済みで今頃国家憲兵隊が協力者のアジトの摘発に動いてたりとか……」 
「そこまでお見通しか……」 
 明らかに呆れ果てたような楓の視線。黙らせられる嵯峨。
「特に今回は父上にはちゃんと殿上会での勤めを果たしていただかねばならないのですから!」 
 そう言うと楓は彼女を無視してきょろきょろと周りを見回す父親を見ていた。
「なんですか、父上」 
「ああ、お茶をお願いしたいと思って……」 
 そう言った父の前の机を楓は思い切り叩いた。
「そんなに怒鳴らなくてもいいじゃないかよう」 
 再び睨みつけられた嵯峨は仕方なく湯飲みを置くと席を立った娘の後ろに続いた。
「また来ますねー」 
 拳銃の手入れをしている楓と同じぐらいの年の女性隊員に手を振る嵯峨。当然のように飛んでくる楓の視線。
「本当に……姉上もご苦労されるはずだ」 
 部屋を出て颯爽と廊下を歩く楓の後ろで、間抜けな下駄の音が響く。ちゃらんぽらん、そう言う風に楓に聞こえてきたので思わず楓は振り向いてみせる。懐手でちゃんと楓の後ろに父親は立っていた。
「その足元何とかなりませんか?」 
「ああ、もう少し人に優しい素材を使うべきだな。床には」 
 そんな嵯峨の言葉に楓は頭を抱えながらエレベータへ向かった。
「そういえば事前に伯父上には会われるつもりは無いのですか?」 
「無いな。どうせ殿上会で会うんだ」 
 そう言う嵯峨の言葉に力が無いのを楓は聞き漏らさなかった。
「康子様が怖いんですか?」 
 楓が伯母、そして彼女が一途に慕う西園寺要の母親のことを思い出した。
 西園寺康子。胡州帝国のファーストレディーである彼女は嵯峨惟基の剣の師匠に当たる。ひ弱な亡命遼州王族、ムジャンタ・ラスコー少年が国を追われてこの胡州にたどり着いた。その時、彼が手に入れようと望んだのは力だった。その彼を徹底的にしごき、後に『人斬り』と呼ばれる基礎を作ったのは彼女の修行だった。
 そして法術が公になったこの時代。彼女が干渉空間に時間差を設定して光速に近い速度で動けると言う情報さえ流れている今では銀河で最強に近い存在として彼女の名は広まり続けていた。その空間乖離術と呼ばれる能力はこれまでの彼女のさまざまな人間離れした武勇伝が事実であることを人々に示し、その名はさらに上がっていた。自分の腕前に自信を持っている楓も彼女の薙刀の前に何度竹刀を叩き折られたことかわからなかった。
「おい、置いていくぞ」 
 いつの間にか開いていたエレベータのドアの中にはすでに嵯峨がいた。あきれ果て頭を抱えながら続く楓。
「車はいつも通り運転手つきだよな」 
 嵯峨の言葉に楓は静かに頷いた。
「いつもの場所に行きたいんだ。どうせいつもの渡辺だろ?まああいつなら大丈夫か」 
 そう言ってしんみりとしながら一階に到着して開いたドアの間を潜り抜ける二人。
「お姉さま!」 
 決して大声ではなく、それでいて通る声の女性仕官が手を振っていた。こちらは楓のようにスラックスではなくスカートである。すけるようなうなじで切りそろえられた青色の髪と、童顔な割りに均整のとれたスタイルが見る人に印象を残した。
 彼女、渡辺かなめは軽く手を上げて挨拶する着流し姿の嵯峨に敬礼をした。
「世話になるな、いつも」 
 そう言って駐車場に出た嵯峨、彼は胡州の赤い空を見上げた。胡州の首都、帝都のある遼州星系第四惑星はテラフォーミングが行われた星である。人工の大気と紫外線を防止する分子単位のナノマシンのせいで空はいつも赤みを帯びて輝いていた。
 駐車場にとめられた車、楓の私有の四輪駆動車がたたずんでいる。いつもその運転手は楓の部下であり、領邦領主としての嵯峨公爵家の執政でもある渡辺家当主のかなめが担当していた。
「何度言ったのかわからねえけどさあ、かなめって言うのは紛らわしいよな」 
 後部座席に乗り込む嵯峨。運転席でかなめが苦笑いをする。
「私は西園寺の姫様の代わりですから……いつまでたってもお姉さまの心は奪えません」 
 彼女は嵯峨の部下の鈴木中佐達と同じ人造人間、ゲルパルトの『ラストバタリオン』計画の産物だった。その中でもかなめは連合軍の製造プラント確保時には育成ポッドで製造途中の存在であり、ナンバーで呼ばれる世代だった。そんな彼女に目をかけた楓は、彼女の面差しに愛する従姉の要を思いそしてかなめと言う名前をつけた。
 ほかの有力領邦領主家と同じように嵯峨家の被官達にも先の大戦で断絶する家が多く、当時跡取りを求めていた渡辺家の養女としてかなめは人間の生き方を学んだ。
 いつも彼女を見守っているのは恩義のある楓である。かなめが楓に惹かれた当然かもしれない。苦笑いで時々助手席と運転席で視線を交わす彼等を見守る嵯峨。
「まあいいか。それより加茂川墓苑に頼む」 
 その言葉に楓は少し緊張した面持ちとなった。
「父上、やはり後添えを迎えるつもりは……そう言えば同盟司法局の……」 
「野暮なこと言うもんじゃねえぞ。それに順番から行けば相手を見つけるのは茜だろ?まったく。あいつも仕事が楽しいのは分かったけどねえ」 
 嵯峨はそう言うと禁煙パイプを口にくわえる。
「それと、法律上はお前等二人が結婚してもかまわないんだぜ。女同士なら家名存続のためにお互いの遺伝子を共有して跡取りを作ることが許されるって法律もあるんだからな」 
 ハンドルを握りながらもうつむくかなめ。楓はちらりと彼女の朱に染まった頬を見て微笑んだ。
「しかし、あれだなあ。遼南や東和に長くいると、どうもこの国にいると窮屈でたまらねえよ」 
 道の両脇に並ぶ屋敷はふんだんに遼州から取り寄せた木をふんだんに使った古風な塗り壁で囲まれている。立体交差では見渡す限りの低い町並み、嵯峨はそれをぼんやりと眺めていた。
「それでも僕はこの町並みが好きなんですが……守るべきふるさとですから」 
 そう言う楓はただ正面を見つめていた。そんな彼女に皮肉めいた笑みを浮かべる嵯峨。車の両脇の塗り壁が消え、いつの間にか木々に覆われていた。すれ違う車も少なくなり、かなめは車のスピードを上げる。
「しかし、電気駆動の自動車もたまにはいいもんだな」 
 そう言いながらタバコをふかしているように右手で禁煙パイプをもてあそぶ嵯峨。なにも言わずにそんな彼を一瞥すると楓は車の窓を開けた。かすかに線香の香りがする。車のスピードが落ち、高級車のならぶ墓所の車止めでブレーキがかかる。
 静かに近づいてくる黒い背広の職員。加茂川墓所は胡州貴族でも公爵、侯爵、伯爵までの貴族のための墓地である。多くの貴族達は領邦の菩提寺や神社とこの帝都の加茂川墓所に墓を作るのが一般的だった。嵯峨家もまた例外ではなかった。
「公、お待ちしておりました」 
 職員の言葉に楓は父の手際のよさに感心した。
「例のやつは?」 
 その言葉に楓は父が墓参りの為以外の目的でここに来たことを察した。時に大胆に、それでいて用心深い。数多くの矛盾した特性を持つ父を理解することができるようになったのは、彼女も佐官に昇進してからのことだった。
 車を降りて墓地の敷地に踏み入れたところで、嵯峨は待っていた管理職員から花と水の入った桶を受け取って歩き始めた。
 秋の気候に近く設定された気温が心地よく感じられて、嵯峨は気分良く葬列をやり過ごすと先頭に立って歩いた。楓とかなめはそんな嵯峨の後ろを静かについて行く。嵯峨家の被官の名族、醍醐侯爵家と佐賀伯爵家の墓を抜け、ひときわ大きな嵯峨公爵家の墓標の前に嵯峨は立っていた。そしてその後ろにひっそりとたたずむ小さな十字架に頭をたれた。
 そこに眠るのはエリーゼ・シュトルベルグ・嵯峨。嵯峨惟基の妻であり、嵯峨楓の母である。
「おい、久しぶりだな」 
 そう言うと嵯峨は中腰になりさびしげな笑顔を浮かべながら墓に花を供えた。そして桶からひしゃくで水を汲むとやさしく墓標に水をかけた。
「また命をとられかけたよ。それでも残念だけど今は君のところには行けそうに無くてね」 
 そういいながら墓標のすべてを水が覆い尽くすまでひしゃくを使う。楓は何度同じ光景を見ただろうかと思いをめぐらした。
 第二次遼州大戦で開戦に消極的な西園寺家は軍部や民族主義者のテロの標的とされた。楓の祖父、西園寺重基(さいおんじ しげもと)は毒舌で知られた政治家であり、引退後のその地球との対話を説く言動は当時の反地球を叫ぶ世情の逆鱗に触れるものばかりだった。
 そんな彼を狙ったテロに巻き込まれて、楓の母エリーゼは23歳で生涯を閉じた。
 泣きじゃくる姉が胸に顔をうずめるのを見ながら母を見送ったこの墓の風景は、そのときとまるで変わらない。珍しく楓の眼に涙が浮かんだ。
「失礼ですが……」 
 木陰で休んでいたらしい背の低い男が嵯峨達に声をかけてきた。表情を変えずに合わせていた手を下ろして嵯峨は彼を見つめた。着ているのは詰め襟が特徴的な胡州陸軍の勤務服。その階級章はこの男が大佐であることを示していた。そしてその左腕に巻かれた腕章の『憲兵』の文字。父である嵯峨が憲兵隊にいたことを考えればこの目の前の小柄な男が嵯峨に意見を求めに来たことも楓には自然に感じられた。
「高倉さん。お久しぶりですねえ」 
 帯に手を伸ばして禁煙パイプを口にくわえる嵯峨。そんな行動にそれほど機嫌を害しない高倉は楓から見ても嵯峨の扱いに慣れていると見て取れた。そして楓は高倉の名を聞いて彼のことを記憶のかけらから思い出していた。
 高倉貞文大佐。アフリカで勇猛な泉州軍団を指揮した醍醐文隆准将の懐刀と呼ばれた男。脱走で知られる同盟国遼南の兵卒に苛烈な制裁を加えて戦線を維持。そしてアフリカからの撤退戦でも的確な資材調達術などで影で醍醐を支えた功労者。現在は海軍と陸軍と治安局に分かれていた憲兵組織の特殊工作部隊『胡州国家憲兵隊』の隊長を務める男。
 同業者、そして醍醐家の主君と被官ということからか、いつもの間の抜けた表情で嵯峨は話を切り出した。
「醍醐のとっつぁんは元気してますか?しばらく会ってないなあ、そう言えば」 
 そんな嵯峨の態度に表情一つ変えず高倉は嵯峨を見つめていた。
「ええ、閣下はアステロイドベルトの軍縮条約の実務官の選定のことで惟基卿のご意見を伺いたいと申しておられました」 
「ご意見なんてできる立場じゃないですよ俺は。それに今度の殿上会で現公爵から前公爵になるわけですから。卿なんて言葉も聞かなくてすむ立場になるんでね」 
 そう言って笑う嵯峨を高倉は理解できなかった。胡州の貴族社会が固定化された血と縁故で腐っていくのを阻止する。主家である醍醐、嵯峨の両家が支持する西園寺基義のその政策に高倉も賛同していた。
 だが多くの殿上貴族達の間では遼南では皇帝の地位を投げ捨て、今胡州公爵の位まで平気で投げ捨ててみせる目の前の男の本心がいまだ読めないと疑心暗鬼になる者が出ていることも事実だった。
「高倉さんは俺みたいなドロップアウト組と世間話する時間も惜しいでしょう」 
 嵯峨はそう言うと禁煙パイプを帯にしまって今度は帯からタバコを取り出した。安っぽいライターで火をつけると、今度は携帯灰皿を取り出す。
「バルキスタン共和国、アメリカ陸軍特殊作戦集団、胡州国家憲兵隊外地作戦局(こしゅうこっかけんぺいたいがいちさくせんきょく)。これだけ言えばわかるんじゃないですかねえ」 
 そう言うと嵯峨は空に向けて煙を吐いた。高倉は明らかにこれまでの好意的な目つきから射抜くようなそれになって嵯峨を見つめていた。嵯峨の指摘した三つの名前。どれも高倉が嵯峨から情報を得ようと思っていた組織の名称だった。
「それならうちの吉田に資料はそろえさせますから。それと近藤資金についても知りたいみたいですねえ。また胡州でもずいぶんとあっちこっちで近藤さんの遺産が話題になってるらしいじゃないですか。最終的には俺等が暴れた尻拭いを押し付けちゃって俺も本当に心苦しいんですよ」 
 明らかにこれは口だけの話、嵯峨の本心が別にあることは隣で二人のやり取りを呆然と見ているだけの楓とかなめにもすぐにわかった。
 じっと嵯峨を見つめる高倉。その前で嵯峨は伸びをして墓石を一瞥した。
「バルキスタンのエミール・カント将軍……そろそろ退場してもらいたいものだとは思うんですけどね」 
 嵯峨の言葉に高倉は頷く。だが嵯峨はそれを制して言葉を続けた。
「アメリカさんの受け売りじゃないが、根っこを絶たなきゃいつまでもベルルカン大陸が暗黒大陸なんて呼ばれる状況は変わりやしませんよ。それにただでさえ難民に混じって大量に流通する物騒な兵器や麻薬、非合法のレアメタルにしても、入り口が閉まらなきゃあちらこちらに流れ出て収拾がつかなくなる……いや、もう収拾なんてついてないですがね」 
 そこまで言ったところで嵯峨は大きくタバコの煙を吸い込んだ。高倉は嵯峨に反論するタイミングをうかがっていた。
「だけどね、これはあくまで遼州の問題ですよ。アメリカの兵隊を引き込む必要は無いんじゃないですか?」 
 嵯峨はゆっくりと味わうようにタバコをくわえる。
「確かに俺の手元にある資料だけで彼を拉致してアメリカの国内法で裁けば数百年の懲役が下るのは間違いないですし、うまくいけばいくつかの流通ルートの解明やベルルカンの失敗国家の暗部を日に当てて近藤資金の全容を解明するにもいいことかも知れないんですが……」 
「それなら……」 
 高倉は嵯峨の言葉をさえぎろうとしてその眼を見つめた。しかし、嵯峨の眼はいつものうつろなものではなく、鉛のような鈍い光を放っていた。そしてその瞳に縛られるようにして高倉は言葉を飲み込んだ。
「遼州の暗部は遼州で日の下に晒す。それが筋だと思うんですがね。そしてそれが胡州の国益にもかなうと思いますよ。でも規模が大きすぎる。まるでパンドラの箱だ。災厄どころか永遠の憎悪すら沸き起すかもしれないブービーとラップだ。俺はできるだけ開かずに済ませたいところですがねえ。それが事なかれ主義だってことは十分に覚悟していますが」 
 そう言うと嵯峨はそのまま墓を後にしようと振り返った。
「つまり遼州同盟司法局は米軍との共同作戦の妨害を……」 
 高倉の言葉に嵯峨は静かに振り返る。
「それを決定するのは俺じゃないですよ。司法局の幹部の判断だ。ただひとつだけいえることはこの胡州軍の動きについて、司法局は強い危機感を持っているということだけですよ。俺にはそれ以上は……」 
 そう言うと嵯峨は手を振って墓の前に立ち尽くす高倉を置き去りにして歩き出した。高倉を気にしながら楓とかなめは嵯峨についていく。そして高倉の姿が見えなくなったところで楓は嵯峨のそばに寄り添った。
「父上、いいんですか?現状なら醍醐殿に話を通して国家憲兵隊の動きを封じることもできると思うのですが?」 
 楓も高倉がアメリカ軍の強襲部隊と折衝をしている噂を耳にしないわけではなかった。エミール・カントの拉致・暗殺作戦がすでに数度にわたり失敗に終わっていることは彼女も承知していた。低い声で耳元でつぶやく楓に嵯峨は一瞬だけ笑みを浮かべるとそのまま無言で歩き始めた。待っていた正装の墓地の職員に空の桶を職員に渡すとそのまま楓の車に急ぐ嵯峨。次第に空の赤色が夕闇の藍色に混じって紫色に輝いて世界を覆う。
 そんな親子を見てかなめは急いで車に乗り込む。嵯峨も静かに後部座席に乗り込んだ。そして発進しようとするかなめを制して助手席の楓の肩に手を乗せた。
「正直、国家憲兵隊は権限が大きくなりすぎた。本来国内の軍部の監視役の憲兵が海外の犯罪に口を挟むってのは筋違いなんだよ。だから高倉さんには悪いが大失態を犯してもらわないと困るんだ。当然相方のアメリカ軍にも煮え湯を飲んでもらう」 
 突然の言葉に楓は振り返って嵯峨の顔を覗き込んだ。そのまま後部座席に体を投げた嵯峨はのんびりと目を閉じて黙り込んでしまった。
「車、出しますね」 
 そう言ったところで楓の携帯端末に着信が入った。
「あ、父上。屋敷に赤松中将がお見えになったそうです」 
 短いメールを見て楓がそう父に知らせるが、嵯峨はすでに眠りの世界に旅立っていた。


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