続く松の並木。瓦屋根の張り出す土産屋が続く海べりの道を抜けてバスは進む。誠は逆流する胃液を腹の中に押し戻した。 「だらしねえなあ!もうすぐ着くんだから大丈夫だよ」 要は青ざめた誠を見ながらジンの瓶をあおる。 出発してすぐにリアナのリサイタルが始まり、その電波演歌で頭をやられないように酒の瓶が車内に回された。冊子を作ってまで綱紀粛正につとめたアイシャもさすがに参ってビールを飲み始めると、バスの中はもはや無法地帯状態になっていた。 昼飯時には、しらふなのは運転していた島田、黙ってウーロン茶を飲みながらヘッドホンでラジオを聴いていたカウラ、そして家村親子だけだった。ドライブインで午後はカウラが運転を続けている。島田は隣で電波演歌を聞かされ続けて後ろの席で倒れていた。 「もうすぐ着くから大丈夫よ」 脂汗を流している誠に声をかけるアイシャ。繁華街を抜けたところで街道を外れ、バスは山道に入り込んだ。 ブロック作りの道のもたらす振動で、誠はまた胃袋がひっくり返るような感覚に包まれる。 「吐く時はこれにお願いね」 パーラがビニール袋を誠に手渡す。 「大丈夫ですよ。これくらい」 とりあえず強がっている誠だが、口の中は胃液の酸が充満し、舌が苦味で一杯になる。 「見えたぞ!」 よたよたと起き上がった島田が外を指差す。瀟洒な建物が誠の目に入った。 「結構、凄いホテルですね」 「まあな。親父がここのオーナーの知り合いで、結構無理が聞くからな」 起き上がって勇壮な姿のホテルを見上げる誠に要はポツリと呟いた。 「いつも要のおかげで宿の心配しなくて済むから感謝してるのよ」 言葉に重みが感じられない口調でアイシャが立ち上がる。バスが静かに正面玄関に乗り入れた。 「ハイ!到着」 そのアイシャの言葉で半分死にかけていた乗員は息を吹き返した。シャムと小夏が素早くバスの窓から飛び降りる。誠もようやく振動が収まった事もあって、ゆっくり立ち上がると通路を歩き始めた。 「肩貸そうか?」 要がそう言うが無理やり余裕の笑みを作った誠は首を横に振ってそのまま歩き続ける。 「お疲れ様です、カウラさん」 「お前よりはましだ」 同情するような目で誠を眺めてカウラはそう言った。誠は彼女に見えているだろう青い顔を想像して一人で笑顔を浮かべていた。 「いらっしゃいませ」 誠がようやく地面の感覚を掴んだ目の前で、支配人と思しき恰幅のいい老人が頭を下げていた。思わず驚いてのけぞりそうになる。 「行くぞ、神前」 誠の手を引いてぞんざいにその前を通過しようとする要。こういうことには慣れているのだろう、別に何も思っていないというように建物の中に入る。そこにはロビーの豪華な装飾を見上げて黙って立ち尽くすシャムと小夏の姿があった。 「おい、外道!お前……」 しばらく言葉をかみ締めてうつむく小夏。要はめんどくさそうに小夏の前で立ち止まる。 「実は結構凄い奴なんだな」 小夏は感心したようにそう呟いた。それに誠が不思議そうな視線を送っていると、要はそのままカウンターに向かおうとする。 「ちょっと待ってなアタシの部屋の鍵……」 「待ったー!」 突然観葉植物の陰からアイシャ乱入である。手にしたキーを誠に渡す。 「ドサクサまぎれに同衾しようなんて不埒な考えは持たない事ね!」 しばらくぽかんとアイシャを見つめている要。そして彼女は自分の手が誠の左手を握っていることに気づく。ゆっくり手を離す。そしてアイシャが言った言葉をもぐもぐと小さく反芻しているのが誠にも見えた。 瞬時に顔が赤くなっていく。 「だっだっだ!……誰が同衾だ!誰が!」 タレ目を吊り上げて抗議する要。 「同衾?何?」 シャムと小夏はじっと要の顔を覗き込む。二人とも『同衾』と言う言葉の意味を理解していないことに気づいて苦笑いを浮かべるカウラ。 「そう言いつつどさくさにまぎれて自分専用の部屋に先生を連れ込もうとしたのは誰かしらね?」 得意げに腕を組むアイシャ。彼女の手には誠のに渡された大きな文鎮のようなものが付いた鍵とは違う小さな鍵が握られている。 「その言い方ねえだろ?アタシの部屋がこのホテルじゃ一番眺めがいいんだ。もうそろそろ夕陽も沈むころだしな……」 そう言ってようやく自分のしようとしていたことがわかったと言うようにうつむく要。 「そう思って部屋割りは私とカウラが要ちゃんの部屋に泊まる事にしたの」 得意げなアイシャ。さすがにこれには要も言葉を荒げた。 「勝手に決めるな!馬鹿野郎!あれはアタシの部屋だ!」 「上官命令よ!部下のものは私のもの、私のものは私のものよ!」 「やるか!テメエ!」 にらみ合う要とアイシャ。シャムと小夏は既にアイシャから鍵を受け取って、春子と共にエレベータールームに消えていった。他のメンバーも隣で仕切っているサラとパーラから鍵を受け取って順次、奥へ歩いていく。 「二人とも大人気ないですよ……」 こわごわ話しかける誠。すぐに要とアイシャの怒りは見事にそちらに飛び火した。 「オメエがしっかりしねえのが悪いんだよ!」 「誠ちゃん!言ってやりなさいよ!暴力女は嫌いだって!」 立ち尽くす誠。誠と同部屋に割り振られて鍵がないと部屋に入れない島田とキムがその有様を遠巻きに見ている。助けを求めるように誠が二人を見ても、二人はロビーに飾られた彫刻の下でぼそぼそとガラにもない芸術談義を始めるだけだった。 「わかりましたよ。幹事さんには逆らえませんよ」 明らかに不服そうにアイシャから鍵を受け取った要が去っていく。 「このままで済むかねえ」 「済まんだろうな」 島田とキムがこそこそと話し合っているのを眺めながら、誠は島田が持ってきた荷物を受け取ると、大理石の彫刻が並べられたエレベータルームに入る。 「胡州の四大公って凄いんですね」 正直これほど立派なホテルは誠には縁がなかった。都立の高校教師の息子である、それほど贅沢が出来る身分でない事は身にしみてわかっている。 「何でも一泊でお前さんの月給くらい取られるらしいぞ、普通に来たら」 島田がニヤつきながら誠を眺める。 「でしょうねえ」 そう言うと開いたドアに入っていく三人。 「晩飯も期待しとけよ、去年も凄かったからな」 「創作料理系のフレンチだけど、まあ凄いのが並ぶんだなこれが」 誠は正直呆然としていた。体調はいつの間にかかなり回復している。自分でも現金なものだと感心していると三階のフロアー、エレベータの扉が開いた。 落ち着いた色調の廊下。掛けられた絵も印象派の作品だろう。 「これ、本物ですかね」 「さすがにそれはないだろうな。まあ行こうか」 誠の言葉をあしらうと、鍵を受け取って進む島田。 「308号室か。ここだな」 島田は電子キーで鍵を開けて先頭を切って部屋に入る。 「広い部屋ですねえ」 誠は中に入ってあっけに取られた。彼の下士官寮の三倍では効かないような部屋がある。置かれたベッドは二つ、奥には和室まである。 「俺らがこっち使うからお前は和室で寝ろ」 そう言うと島田とキムはベッドの上に荷物を置いた。 「それにしても凄い景色ですねえ」 誠はそのままベランダに出る。やや赤みを帯び始めた夕陽。高台から望む海の波は穏やかに線を作って広がっている。 「まあ西園寺様々だねえ」 島田のその言葉を聞きながら誠は水平線を眺めていた。 海は好きな方だと誠は思っているが、それにしても部屋の窓から見る景色はすばらしい景色だった。松の並木が潮風にそよぐ。頬に当たる風は夏の熱気を少しばかりやわらげてくれていた。 「なんか珍しいものでもあるのか?」 荷物の整理をしながら島田がからかうような調子で呼びかける。たぶん去年に彼が体験した絶景と言う言葉のためにあるような景色を誠が見つけたことに気がついているのだろう。 「別にそんなわけじゃないですが、いい景色だなあって」 「何なら写真でも撮るか?」 振り返るとキムがカメラを差し出していた。 その時、突然キムの携帯端末が着信を知らせる。キムはすぐさま振り向いてドアのほうに向かって歩き出した。そしてこちらから聞こえないような小さな声で何事かをささやきあっていた。そんなキムを見て頭を掻きながら立ち上がる島田。 「抜け駆けかよ。まあいいや、神前。とりあえず俺、ちょっと出かけてくるから」 ベッドからバッグを下ろした島田はそれだけ言うとそそくさと部屋を出て行く。キムはしばらくドアのところで電話の相手と楽しげに歓談をしている。 その時急にドアが開き、キムがそのドアにしたたか頭を打ち付けた。 「何してんの?」 頭を抱えて座り込むキムを見下ろしている紺色の髪の女性。入ってきたのはアイシャだった。しばらくして恨みがましい目で彼女を見上げるキム。 「あっ、ジュン君ごめんね。痛かったでしょう」 アイシャが謝るが、軽く手を上げたキムはそのまま廊下に消えていった。 「一人で退屈でしょ。うちの部屋来ない?」 「はあ……」 誠はなぜ自分が独りになると言うことを知っているのか不思議に思いながら生返事をする。満足げにそれを見つめるアイシャ。 「誰の部屋だと思ってんだ?ちゃんと持ち主の許可をとれってんだよ!」 怒鳴り込んできたのは要だった。そしてそのまま窓辺に立っている誠の目の前まで来るとしばらく黙り込む。 「あの……西園寺さん?」 誠の言葉を聞いてようやく要は何かの決意をしたように誠を見上げてきた。 「その……なんだ。ボルドーの2302年ものがあるんだ。一人で飲むのはつまらねえからな。良いんだぜ、別に酒はもう勘弁って思ってるんだったらアタシが全部飲むから」 要をちらちら見ながら近づいてくるアイシャ。要の言葉に思わず噴出しそうになるのを無理して口を抑えて我慢している。 「いいワインは独り占めするわけ?ひどいじゃないの!」 アイシャが要に噛み付く。開かれたドアの外ではカウラが困ったような表情で二人を見つめている。 「わかりました、今行きますよ」 そう言って誠は窓に背を向ける。そして満足そうに頷いているアイシャに手を握られた。 「何やってんだ?オメエは」 タレ目なので威圧してもあまり迫力が無いが、機嫌を損ねると大変だと慌てて手を離す誠。カウラにも見つめられて廊下に出た誠は沈黙が怖くなり思わず口を開く。 「ワインですか。なんか……」 「アタシの柄じゃねえのはわかってるよ」 頭を掻きながら要が見つめてくるので、笑みを作った誠はそのまま彼女について広い廊下の中央を進んだ。 やわらかい乳白色の大理石で覆われた廊下を歩く。時折開いた大きな窓からは海に突き出した別館が見える。要は先頭に立って歩いている。 「本当にすごいですね」 窓の外に広がる眺望に誠は息を呑んだ。広がる海。波の白い線、突き出した岬の上の松の枝ぶり。 「アタシは嫌いだね、こんな風景。成金趣味が鼻につくぜ」 先頭を歩く要の言葉。こう言う取って置きの風景を見慣れすぎたこの人にはつまらなく見えるのだろうと誠は思った。 胡州四大公筆頭西園寺家の時期当主。擦り寄ってくる人間の数は万を超えたものになるだろう。擦り寄ってくる相手にどう自分を演じて状況から逃れるのか。それはとても扱いに困るじゃじゃ馬を演じること。要はそう結論付けたのかもしれないと誠は考えていた。 そんなことを考えている誠を気にするわけでもなく廊下を突き当たったところにある凝った彫刻で飾られた大きな扉に要が手をかざした。 ゆっくりと開かれる扉。そしてその外側に広がる水平線に誠は目を奪われた。 「これ、部屋なんですか?」 誠は唖然とした。 全面ガラス張りの部屋が広がっている。中央に置かれた巨大なベッド。まさに西に沈もうとする太陽に照らされた部屋は、誠達にあてがわれたそれのさらに五倍以上の広さが会った。 「まあ座れよ。ワイン取ってくる」 要はぶっきらぼうにそう言うと部屋の隅の大理石の張られた一面に触れる。壁が開かれ、何十本という数ではないワインが誠の座っている豪奢なソファーからも見える。 「じゃあ、グラスは四つで」 「アイシャ。オメエに飲ませるとは一言も言ってねえぞ」 要はそう言うと年代ものと一目でわかるような赤ワインのビンを持ってくる。その表情にいつもにない自信のようなものを感じて誠は息を呑んだ。 「要ちゃんと私の仲じゃないの。少しくらい味見させてよ」 アイシャが手を合わせてワインを眺める要を見つめている。誠は二人から目を離し、辺りを見回した。どの調度品も一流の品なのだろう。穏やかな光を放ちながら次第に夕日の赤に染まり始めていた。 「ああ、この窓はすべてミラーグラスだからな。覗かれる心配はねえよ」 専用のナイフで器用に栓を開けた要がゆったりとワインをグラスに注いでいる。 「意外と様になるのね。さすが大公家のご令嬢」 「つまらねえこと言うと量減らすぞ」 そう言いながらも悪い気はしないと言うように要はアイシャの方を見つめていた。カウラはじっと要の手つきを見つめている。 「カウラも付き合え」 最後のグラスに要がワインを注ぐ。たぶんワイン自体を飲んだことが無さそうなカウラが珍しそうに赤い液体がグラスに注がれるのを見つめていた。 「まあ夕日に乾杯という所か」 少し笑顔を作りながら要はそう言うとグラスを取った。 誠は当然、このようなワインを口にしたことは無い。それ以前にワインを口にするのは神前家ではクリスマスくらいのものだ。父の晩酌に付き合うときは日本酒。飲み会ではビールか焼酎が普通で、バリエーションが増えたのは要に混ぜ物入りの酒を飲まされることが多くなったからだった。 「お前らに飲ませても判らねえだろうな……でも悪くないな。これなら叔父貴も文句言わないレベルだろ」 グラスを手に要が余裕のある表情を浮かべた。嵯峨の話が出て食通を自任する上司の抜けた笑顔を思い出して静かにグラスを置いて笑う誠とアイシャ。 「否定はしないぞ。確かに隊長のような舌は無いからな。だが香りはいい」 カウラはそう言いながらグラスを置いた。いつもなら酒を口にするときはかなり少しづつ飲む癖のある彼女がもう半分空けているのを見て、誠は自分が口にしているきりりと苦味が走る赤色の液体の魔力に気づいた。 「アンタがお姫様だってことはよくわかったわよ。でも……まあこれって本当に美味しいわね」 一方のアイシャといえばもうグラスを空けて要の前に差し出した。黙って笑みを浮かべながら、要はアイシャのグラスに惜しげもなくワインを注ぐ。 「神前、お前、進まないな。まだ残ってるのか?」 アイシャに続き自分のグラスにもワインを注ぎながら要が静かな口調で話しかける。 「実は僕はワインはほとんど飲んだことがないので……」 そう言うと要は満足そうに微笑んで見せる。 「そうか。アタシはワインは好きだが、時と場所を考える性質だからな」 その言葉にアイシャとカウラが顔を見合わせる。 「よくまあそんなことが言えるわね。場所も考えずにバカスカ鉄砲ぶっ放すくせに」 すでに二杯目を空けようとするアイシャをにらみつける要。 「人のおごりで飲んどいてその言い草。覚えてろよ」 「判ったわよ……誠ちゃん!飲み終わったらお風呂行かない?ここの露天風呂も結構いいのよ」 輝いている。誠はアイシャのその瞳を見て、いつものくだらない馬鹿騒ぎを彼女が企画する雰囲気を悟って目をそらした。 「神前君。付き合うわよね?」 誠はカウラと要を見つめる。カウラは黙って固まっている。要はワインに目を移して誠の目を見ようとしない。 「それってもしかしてこの部屋専用の露天風呂か何かがあって、そこに一緒に入らないかということじゃないですよね?」 誠は直感だけでそう言ってみた。目の前のアイシャの顔がすっかり笑顔で染められている。 「凄い推理ね。100点あげるわ」 アイシャがほろ酔い加減の笑みを浮かべながら誠を見つめる。予想通りのことに誠は複雑な表情で頭を掻いた。 「私は別にかまわないぞ」 ようやくグラスを空けたカウラが静かにそう言った。そして二人がワインの最後の一口を飲み干した要のほうを見つめた。 「テメエ等、アタシに何を言ってほしいんだ?」 この部屋の主である要の同意を取り付けて、誠を露天風呂に拉致するということでアイシャとカウラの意見は一致している。要の許可さえ得れば二人とも誠を羽交い絞めにするのは明らかである。誠には二人の視線を浴びながら照れ笑いを浮かべる他の態度は取れなかった。 「神前。お前どうする?」 要の口から出た誠の真意を確かめようとする言葉は、いつもの傍若無人な要の言動を知っているだけに、誠にとっては本当に意外だった。それはアイシャとカウラの表情を見ても判った。 「僕は島田先輩やキム先輩と同部屋なんで。そんなことしたら殺されますよ」 誠は照れながらそう答えた。 「だよな」 感情を殺したような要の言葉。アイシャとカウラは残念そうに誠を見つめる。 「このの裏手にでっかい露天風呂があって、そっちは男女別だからそっち使えよ」 淡々とそう言う要を拍子抜けしたような表情でアイシャとカウラは見つめていた。 「ありがとうございます……」 そう言うと誠はそそくさと豪勢な要の部屋から出た。いつもは粗暴で下品な要だが、この豪奢なホテルでの物腰は、故州四大公家の一人娘という生まれを思い出させる。 廊下から沈みつつある夕暮れが見える。もしかしたら自分はかなり損をしたのではないだろうかと誠は考えたが、口の軽いアイシャが四人で露天風呂に入ったと島田達に言いふらすのは確実だ。 『菰田さん。怖いんだよなあ』 常に痛い視線を投げてくる経理課長の三白眼を思い出しながら自室に入った。島田もキムも帰ってきてはいなかった。誠は着替えとタオルを持つとそのまま廊下を出た。 どうにも寂しい。 『やはり断らない方が……』 そう考えながらエレベータでロビーに降りる。 「神前曹長!」 ロビーで手を振るのは明華の秘蔵っ子で技術部整備班のやり手の西兵長だった。後ろで小突いているのは菰田主計曹長。いつものことながら威圧するような視線を誠に浴びせてくる。 「もう行ってきたんですか?」 イワノフ少尉がニヤニヤ笑いながらうなづく。 「結構日本風の風呂というものもいいものだな」 そういいながら扇子で顔を仰いでいるのはヤコブ伍長だった。 「島田さんは?」 「野暮なこと言っちゃだめですよ!きっとラビロフ少尉と……」 西はそう言うとにんまりと笑う。 「餓鬼の癖に詰まらんことを言うな!」 西を取り押さえたのはソン軍曹だ。菰田、ソン、ヤコブ。どれも誠が苦手とする先輩である。 『ヒンヌー教団』 三人を保安隊の隊員達はこう呼んだ。 アイシャ曰く『筋金入りの変態』と呼ばれる彼等は自らは『カウラ・ベルガー親衛隊』と名乗り、犯罪すれすれのストーキングを繰り返す過激なカウラファンである。出来れば係わり合いになりたくないと思っている誠だが、経理の責任者の菰田に提出する書類が色々とある関係で逃げて回ることも出来なかった。今回の旅行でも、本来は菰田は管理部経理課長として、休みが取れないところを吉田に仕事を押し付けてやってきたほどのいかれた人物である。 『これでカウラさんと風呂に入っていたら……』 菰田達の視線が痛く感じる誠。 「どうしたんだ?」 いぶかしげに黙って突っ立っている誠の顔を覗き込んでくる菰田。悟られたらすべてが終わる。その思いだけで慌てて誠は口を開く。 「なんでもないですよ!なんでも!じゃあ僕も風呂行こうかなあ……」 「そっちは駐車場だぞ」 ガチガチに緊張している誠を見る目がさらに疑いの色を帯びる。ソンなどは誠の周りを歩き回り異変を探り当てようとしているような感じすらする。 「そうですか?仕方ないなあ……」 誠は逃げるようにして菰田達がやってきた露天風呂のほうに向かった。
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