脳みそがゆすられるような振動を感じて誠は目を覚ました。 「ようやく起きやがった。この馬鹿」 目の前には要の顔がある。誠は飛び上がって周りを見回した。プラモと漫画、それにアニメのポスター。自分の部屋だった。頭は割れるように痛い。そこで自分の部屋に要がいるという事実を再確認して飛び上がる誠。 「西園寺さん、なんで僕の部屋に……」 突然の誠の反応ににやりと笑った要。 「もう十時過ぎだぞ。荷物着いたから早く着替えろ」 そう言うと要は出て行った。確かに時計を見れば十時を過ぎていたのろのろと誠は起き上がる。 要、アイシャ、カウラの引越し。要の荷物がほとんど無いのは良いとして、アイシャの荷物は予想がつくだけに恐ろしい。誠はあまさき屋で意識を飛ばしてから、どうやって自分の部屋でジャージに着替えて眠ったのかまったく覚えていなかったが、良くあることなので考えるのをやめた。 B級特撮映画の仮面戦隊トウリアンのロゴがプリントされたTシャツを着て、ジーパンに足を通す。二日酔いの頭が未だに完全に動いてくれてはいないようで、片足を上げたまま転がる。 「おい!」 今度入ってきたのはキムだった。 「何遊んでんだ?早く手伝え!」 それだけ言うとまた部屋の扉を閉める。とりあえず誠はベルトを締めて、そのまま部屋を出た。ムッとする熱気。昨日よりも明らかに暑い。誠はそのまま廊下から玄関に向かって歩く。 「西!とりあえず下持て!」 「キム少尉、無茶ですよ……って神前曹長!手伝ってください!」 大きな本棚をもてあましている西が声をかけてくる。誠は仕方なくそちらの方に手を貸した。 「西、もう少し端を持て。キム先輩、大丈夫ですか?」 「無駄に重いなあ。誰かこっちも一人くらい……」 表からやってきたサラが力を貸す。 「じゃあ行きますよ!」 そう言うとキムの誘導で本棚は廊下の角に沿って曲がりながら進む。 「キム先輩。島田先輩はどうしたんですか?」 「島田は今日は昨日のお客さん達のM10の受領に関する打ち合わせだ。それに菰田と愉快な仲間達はシンの旦那から説教されるって話だ。……とりあえずここで良いや」 アイシャの部屋の前でとりあえず四人は一休みした。 「はいはい!ありがとうね。それじゃあ本棚は私達がやるから中身の方お願いね」 部屋から現れたアイシャとパーラが横に置かれた本棚に手をやる。 「じゃあ行くぞ」 キムの一声で誠と西はその後に続いた。サラはパーラに引っ張られてアイシャの部屋に消えた。玄関まで下りた彼等の前にカウラが大きなダンボールを抱えている姿が目に入る。 「カウラさん持ちますよ」 そう言って誠はカウラに走り寄る。 「良いのか?任せて」 「大丈夫です!これくらい、良いトレーニングですよ」 そう言って笑う誠。 「そうか、カウラのは持つんだな」 誠は恐る恐るカウラの後ろを見た。同じようにダンボール箱を抱えた要がいた。 「いいぜ、どうせアタシは機械人間だからな。テメエ等生身の奴とは、勝手が違うだろうしな」 そう言いながら立ち尽くす誠とカウラの脇を抜けて寮の廊下に消えていく要。 「あの……」 そう言って後を追おうとした誠の肩をカウラがつかんだ。 「誠……」 カウラの手にいつもと違う力がこもっているのを感じて誠は振り返った。 「カウラさん」 「実は……このところ貴様と要を見てて変な感じがしたんだ」 段ボール箱を持ってアイシャの部屋とは反対にある食堂に向かって歩き出すカウラ。誠は黙ってその後に続いた。 「貴様と要が一緒にいるところを見たくないんだ」 誰もいない食堂のテーブル。その上にダンボール箱を静かに置いた。 「あの人は僕とは住む世界が違いますよ」 誠はそう言って、自分の中で何が起こるか試してみた。華麗な上流階級に対する羨望は無かった。かと言って嫉妬と策謀に生きなければならなかった政治家の娘と言う立場への同情も誠には無縁だった。どちらも誠にとってはどうでも良いことだった。ましてや非人道的任務についていた、そこで血塗られた日々を過ごしたと言う過去など、この部隊の面々の中ではちょっとした個性くらいのものだった。 「住む世界か。便利な言葉だな」 カウラはそう言うと口元に軽い笑みを浮かべた。彼女は何も言わずに誠の前に立っている。誠も何も言えなかった。 「不思議だな」 沈黙に耐えかねたカウラがそう切り出した。 「何がですか?」 「……いや、なんでもない。アイシャがうるさいから作業に入るぞ」 そう言ってダンボールを運ぼうとするカウラの口元に笑みがこぼれていた。誠はそのダンボール箱の反対側を抱えた。二人でそのまま食堂を出て、アイシャの私室に向かう。 「何やってたんですか?ベルガー大尉」 机をエダと一緒に廊下で抱えているキムがそう尋ねてくる。 「別に、なんでもない」 そう言うとカウラはそのまま荷物をアイシャの部屋へと運ぶ。キムはどうでもいい事だと割り切ったようにそのまま机を運び込む。 「ダンボールはそこ置いといて!それと机は横にすれば入るでしょ!」 自分の部屋の前で荷物を仕切っているアイシャ。 「それにしてもどれだけ漫画持ち込むんだよ」 要が自分の運んできたダンボール箱を開けながらそう尋ねる。 「たいしたことないじゃないの。これは選びに選んだ手元に無いと困る漫画だけよ。あとは全部トランクルームに保存するんだから」 あっさりとそう言ってのけるアイシャに、頭を抱える要。カウラは笑顔を浮かべながら二人を眺めている。 「すいません!クラウゼ少佐。机どこに置けば良いんですか?」 部屋に入った机を抱えてキムが叫んでいた。 「その本棚の隣!ちょっと待ってね!」 そう言うとアイシャは自室に入る。 「アイシャ残りのおもちゃの類はお前が運ぶのか?」 「ええ、アレは壊れると泣くからいいわよ。特に要は見るのも禁止!」 要は手をかざしてそのまま喫煙所に向かって歩いた。最後のダンボール箱を抱えて歩いてきた西が、ダンボール箱の山をさらに高くと積み上げる。 「西園寺さん!」 誠は振り向きもせず喫煙所に着いた要に声をかけた。 「どうした?」 そのままソファーに腰を下ろしてタバコを取り出す要。いつもと特に変わりのない彼女になぜか誠は安心していた。 「お前は良いのか?」 不意の言葉に誠は振り返る。エメラルドグリーンの流れるような髪をかきあげるカウラの姿があった。要の顔が一瞬曇ったように誠には見えた。 「なんでオメエがいるんだよ。カウラ」 そう吐き捨てるように言うと要はタバコに火を点す。そのまま大きく息を飲み込み、天井に向けて煙を吐いた。 「私がいるとまずいことでもあるのか?」 そんな要の態度に苛立ちながらカウラが要の前に立った。 「ああ、目障りだね」 そう言いながらまたタバコを口にくわえる。 「あの、良いですか?」 にらみ合う二人に声をかけたのはレベッカだった。後ろにはロナルド、岡部、フェデロが立っていた。 「何だよ。タバコを止めろとか言うのは止めとけよ」 「違います。これをもってくるように言われたので」 そう言ってレベッカがスーパーのレジ袋を差し出した。とりあえず誠がそれを受け取って中身を見る。 手打ちそばが入っていた。よく見ればロナルドがねぎを、岡部がめんつゆを持っている。 「隊長にこれをみんなで食えって渡されたんだが。あの人は一体、何しに本部まで来てるんだ?」 ロナルドがカウラの方に目をやる。 「昨日言ってた引越しそばだな。誠、パーラを呼んでくれないか」 カウラの言葉に誠はそのままアイシャの部屋の前に向かった。キムをはじめ、手伝っていた面々はダンボールから漫画を取り出して読んでいた。 「パーラさんいますか?」 「何?」 部屋の中からパーラが顔を出す。当然、彼女の手にも少女マンガが握られていた。 「なんか隊長がそば打ったってことで、レベッカさん達が来てるんですけど」 すぐに大きなため息をつくパーラ。 「隊長はこういうことだけはきっちりしてるからね。アイシャ!後は自分でやってよ」 そう言うと漫画をダンボールに戻してパーラは立ち上がった。 「エダ、サラ、それに西君。ちょっとそば茹でるの手伝ってよ」 パーラの言葉に漫画を読みふけっていたサラ達は重い腰を上げた。パーラは一路、食堂へと向かった。 「シンプソン中尉!それにスミス大尉。こっちです」 喫煙所前でたむろしていたロナルド達に声をかけると、パーラはそのまま食堂へ向かった。 「そばか、いいねえ」 タバコを吸い終えた要がいる。 「手伝うことも有るかも知れないな」 そう言うとカウラは食堂へ向かう。 「何言ってんだか。どうせ邪魔にされるのが落ちだぜ」 要はあざ笑うようにそう言うとそのまま自分の部屋へと帰っていった。誠は取り残されるのも嫌なので、そのまま厨房に入った。 「パーラさん。こっちの大鍋の方が良いんじゃないですか?」 奥の戸棚を漁っている西の高い音程の叫び声が響く。 「しかし良い所じゃないか。本部から近いしこうして食事まで出る」 「建物はぼろいですけどね」 ロナルドに声をかけられて、誠は本音を漏らした。カウラがきつい視線を送ってくるのを感じて、誠はそのまま厨房に入った。 「誠君。ざるってある?」 「無いですね。それに海苔の買い置きって味付けしか無いですよ」 誠は食器棚を漁っているパーラに答えた。 「わさびはあるわ。それにミョウガも昨日とって来たのがあるわよ」 「グリファン少尉。あんまりそばの薬味にはミョウガを使わないと思うんですけど」 「冗談よ!」 西に突っ込まれて、サラは微妙な表情をしながら冷蔵庫から冷えた水を取り出した。 「まだ早いわよ。じゃあ金ざるで代用するから。あと誠君は手伝うつもりが無かったら外で待っててくれない?」 大なべに火をつけるパーラ。その剣幕に追われて誠は食堂に追い出された。 「追い出されたのか?」 喫煙所でタバコを吸うわけでもなくロナルドが笑っていた。岡部もフェデロも微笑みながら誠を見ている。 「そう言えばお三方は明石中佐から何か言われませんでしたか?」 「それならコイツが絡まれてたな」 フェデロが親指で岡部を指す。 「一応、俺は西相模工大付属で神奈川県大会決勝まで行ったからな。そのときの資料とか見せられたよ。あの人も相当な野球馬鹿だね」 岡部の言葉に感心するカウラ。そして聞き飽きたと言うように窓に視線を飛ばすロナルド。 「ちなみにポジションは?」 「ピッチャーですよ。まあ海軍士官学校ではアメフトやらされていたのでかなり勘は鈍ってると思いますけど。明石さんは外野と控えのキャッチャーを頼みたいって言われました」 そう言うとレベッカから冷えた水を受け取った。 「そう言えばヨハンが控えのキャッチャーだが、あいつはよくパスボールをするからな」 「さらに肩もあんまり強くないですしね」 誠はカウラの言葉を補うように言うと、岡部は興味深げに笑った。 「しかし、実業団リーグに加入してるのは西東都では何チームぐらい有るんですか?」 岡部はそのまま視線をカウラに向けた。 「50チーム前後くらいだな。中でも菱川重工豊川が群を抜いて強い。他にも熊笹運輸、西東都建設、豊川市役所、ミリオン精工あたりが有力チームと言った所か」 「豊川市役所は東都理科大でバッテリーを組んでた佐々岡がいますからね」 誠は思い出していた。 『バッテリーだけは一部リーグでも通用する』 それが東都理科大野球部の売り台詞だった。誠の得意球である縦の高速スライダーを見極める佐々岡がいたから、そして彼の長打力が弱小チームを常勝集団と変えることになったあの頃。誠と佐々岡のバッテリーは、東都下部リーグの試合だと言うのに数多くのスカウトが目を光らせる試合となった。だが三年の冬に、誠は練習中に肩を壊した。それ以来スカウトはぱたりと来なくなった。 手術の後、リハビリをしようとしない誠に愛想を尽かしたように公務員試験に専念すると言って、佐々岡も野球部を去った。その佐々岡は今では豊川市役所野球部の正捕手の座についていた。春の地区大会では準決勝でドラフト即戦力が居並ぶ菱川重工豊川投手陣から三安打を放ち、プロのスカウトの隠し球の一人として注目されていたが、誠が聞いた限りではプロに行くつもりは無いと言うことだった。 黙って話を聞いていたロナルドが口を開く。 「俺も聞いたことがあるぜ。レイズの四番の久慈がいたのが菱川重工豊川だろ?他には日本、台湾、朝鮮のプロリーグにも選手出してるんじゃないのか?」 「千葉の横田投手、台北の北川遊撃手、プサンの福島捕手ですか。意外にスミスさんも詳しいじゃないですか」 「まあ岡部の買った雑誌をちょこっと読んでね。こいつこう見えて結構まめでね。ちゃんと注目選手には蛍光ペンでライン引いてるんだもんな」 ロナルドにそう言われて照れ隠しに岡部はコップの水を飲み干した。 「盛り上がってるねえ」 そう言って再び喫煙所に顔をだす要。露骨に不機嫌そうな顔になるカウラを無視してそのまま誠の隣のパイプ椅子に座った。 「一応、アタシが監督だ。確かに外野と控えのキャッチャーがいないんでな。チーム力はそれなりだな。岡部、肩は自慢できるんだろ?」 挑発的に流し目を送る要に、岡部は低い笑い声を立てた。 「まあ見ててくださいよ。正捕手の座を取りに行きますから」 「いいねえ、強気で。誠。こんくらいの勢いがねえとこの商売やっていけねえぞ」 食堂から水を運んできたレベッカからコップを受け取ってゆっくりと飲み干す要。 「確かにメンタルの弱さは克服すべき課題だな。あらゆる意味においてな」 要に対抗するように、机に置かれていた水を飲み干すカウラ。そんな二人を心配そうに見守るレベッカがいた。 「漫画研究会もあるって聞いたんですけど……」 「いよいよ私の出番かしら!」 紺色のシャツの袖をまくって現れるアイシャ。 「来たよ、ややこしい奴が」 要の吐き捨てた言葉を無視して悠々と喫煙所のソファーに腰掛ける。 「レベッカさん、歓迎しますよ。誠君は絵師でもあるんだから、後で私が原作の漫画を読ませてあげるわね」 満面の笑みのアイシャに少し公開したような愛想笑いを浮かべるレベッカ。 「止めといた方が良いぞ。コイツは脳みそ腐ってるから」 「そう言う要ちゃんだって、昨日、レベッカちゃんの胸揉んでたじゃないの」 「レベルの低い言い争いは止めろ。頭が痛くなる」 誠がどう声をかけようか迷っているところに中華なべをおたまで叩く音が食堂に響き渡った。 「はい!茹で上がりましたよ!」 パーラの一声でとりあえず悶着は起きずに済んでほっとする誠。一同は食堂に向かった。西とエダ、そしてこちらの喧騒にかかわらないように厨房に侵入していたキムが、手にそばの入った金属製のざるにそばを入れたものを運んできた。 「はい!めんつゆですよ!ねぎはたくさんありますから、好きなだけ入れてくださいね!」 サラはそう言いながらつゆを配っていく。 「サラ!アタシは濃いのにしてくれよ」 「そんなことばかり言ってるから気が短いんじゃないのか?」 再びにらみ合う要とカウラ。誠は呆れながら渡された箸を配って回った。 「じゃあ食うぞ!」 そう叫んだ要は大量のチューブ入りのわさびをつゆに落とす。 「大丈夫なんですか?」 「なんだよ、絡むじゃねえか。このくらいわさびを入れて、ねぎは当然多め。それをゆっくりとかき混ぜて……」 「薀蓄は良い。それにそんなに薬味を入れたらそばの香が消える」 そう言うとカウラは静かに一掴みのそばを取った。そのまま軽く薬味を入れていないつゆにつけてすすりこむ。 「そう言えばカウラそば通だもんね。休みの日はほとんど手打ちそばめぐりに使ってるって話だけど」 ざるの中のそばに手を伸ばすアイシャ。その言葉に誠はカウラの顔に視線を移した。 「好きなものは仕方が無いだろ。それに娯楽としては非常に効率が良い」 再びそばに手を伸ばす。そして今度も少しつゆをつけただけですばやく飲み込む。 「なるほど、良い食べっぷりですねえ」 岡部も同じような食べ方をしていた。 「そういやネイビーの旦那達。隣の公団住宅の駐車場に止まっている外ナンバーはアンタ等の連れか?」 いつもの挑戦的な視線をタレ目に漂わせながら要がロナルドを見据える。 「俺も見たがあれは陸軍の連中だな」 それだけ言うとロナルドは器用に少ない量のそばを取るとひたひたとつゆにくぐらせる。 「功名合戦か。迷惑な話だな」 「まあ、そんな所じゃないですか。あの連中は隊長には深い遺恨があるから」 ロナルドがそう言うとつゆのしみこんだそばを口に放り込んだ。法術、その研究においてアメリカ陸軍が多くの情報を開示した事は世界に大きな衝撃を呼び起こした。存在を否定し、情報を操作してまで隠し続けていたその研究は、適正者の数で圧倒している遼州星系各国のそれと比べてはるかに進んでいた。そして明言こそしなかったものの、アメリカ陸軍はその種の戦争状況に対応するマニュアルを持ち、そのマニュアルの元に行動する特殊部隊を保持していることがささやかれた。 そんなことを思い出している隊員達に見つめられながら静かにそばをすすっているロナルド。 「どうせ神前曹長の監視だろう。ご苦労なことだ」 同じざるからそばを取っているフェデロが、一度に大量のそばを持っていく。ロナルドは思わずそれを見て眼を飛ばしてけん制しながら箸を進める。 「どうも今日はそれだけではないらしいがな」 そうつぶやきながら要はそばをすすった。
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