「ここは右折でよろしいですの?」 造成中の畑だったらしい土地を前にして道が途切れたT字路で茜が声をかける。 「ああ、そうすればすぐ見える」 要は相変わらずタバコをくわえたまま、砂埃を上げる作業用特機を眺めていた。茜がハンドルを切り、世界は回る。そんな視界の先に孤立した山城のようにも見えるマンションが見えた。周りの造成地が整備中か、雑草が茂る空き地か、そんなもので構成されている中にあって、そのマンションはきわめて異質なものに見える。 まるで戦場に立つ要塞のようだ。誠はマンションを見上げながらそう思った。茜は静かにその玄関に車を止める。 「ああ、ありがとな」 そう言いながらくわえていたタバコに火をつけて地面に降り立つ要。 「ありがとうございました」 「いいえ、これからお世話になるんですもの。当然のことをしたまでですわ」 茜の左の袖が振られる。その様を見ながら少し照れる誠。 「それじゃあ、明後日お会いしましょうね。ごきげんよう」 そういい残して茜は車を走らせた。 「おい、何見てんだよ!」 タバコをくわえたまま要は誠の肩に手をやる。 「別になにも……」 「じゃあ行くぞ」 そう言うと要はタバコを携帯灰皿でもみ消し、マンションの入り口の回転扉の前に立った。扉の横のセキュリティーシステムに暗証番号を入力する。それまで銀色の壁のように見えていた正面の扉の周りが透明になって汚れの一つ無いフロアーがガラス越しに覗けるようになった。 建物の中には大理石を模した壁。いや、本物の大理石かもしれない。何しろ胡州一の名門の一人娘の住まうところなのだから。 「ここって高いですよね?」 「そうか?まあ、親父が就職祝いがまだだったってんで、買ってくれたんだけどな」 根本的に要とは金銭感覚が違うことをひしひしと感じながら、開いた自動ドアを超えていく要についていく誠。 「茜ねえ……あの親子はどうにも苦手でね。何を聞いても暖簾に腕押しさ、ぬらりくらりとかわされる」 要はエレベータのボタンを押した。その間も誠は静かな人気の無い一階フロアーを見回していた。すぐにその目は自分を見ていないことに気づいた要の責めるような視線に捕らわれる。仕方がないというように誠は先ほどの要の言葉を頭の中で反芻した。 「まあ、考え方は似てますよね」 「気をつけな。下手すると茜の奴は叔父貴よりたちが悪いぞ」 エレベータが開き要仕切るようにして乗り込む。階は9階。誠は人気の無さを少しばかり不審に思ったが、あえて口には出さなかった。たぶん要のことである。このマンション全室が彼女のものであったとしても不思議なことは無い。そして、もしそんなことを口にしたら彼女の機嫌を損ねることはわかっていた。 「どうした?アタシの顔になんかついてるのか?」 「いえ、なんでもないです」 誠がそんな言葉を返す頃にはエレベータは9階に到着していた。 黙ってエレベータから降りる要。それに続く誠。フロアーには相変わらず生活臭と言うものがしない。誠は少し不安を抱えたまま、慣れた調子で歩く要の後に続いた。東南角部屋。このマンションでも一番の物件であろうところで要は足を止める。 「ちょっと待ってろ」 そう言うと要はドアの横にあるセキュリティーディスプレイに10桁を超える数字を入力する。自動的に開かれるドア。茜はそのまま部屋に入った。 「別に遠慮しなくても良いぜ」 ブーツを脱ぎにかかる要。誠は仕方なく一人暮らしには大きすぎる玄関に入った。ドアが閉まると同時に、染み付いたタバコの匂いが誠の鼻をついた。靴を脱ぎながら誠は周りを見渡した。玄関の手前のには楽に八畳はあるかという廊下のようなスペース。開けっ放しの居間への扉の向こうには、安物のテーブルと、椅子が三つ置かれている。テーブルの上にはファイルが一つと、酒瓶が五本。その隣にはつまみの裂きイカの袋が空けっ放しになっている。 「あんま人に見せられたもんじゃねえな」 そう言いながら要はすでにタバコに火をつけて、誠が部屋に上がるのを待っていた。 「ビールでも飲むか?」 そう言うと返事も聞かずにそのまま廊下を歩き、奥の部屋に入る要。ついて行った誠だが、そこには冷蔵庫以外は何も見るモノは無かった。 「西園寺さん。食事とかどうしてるんですか?」 「ああ、いつも外食で済ませてる。楽だからな」 そう言って要は冷蔵庫一杯に詰められた缶ビールを一つ手にすると誠に差し出す。 「空いてる部屋あったろ?あそこに椅子あるからそっちに行くか」 そう言うと要はスモークチーズを取り出して台所のようなところを出る。 「別に面白いものはねえよ」 居間に入った彼女は椅子に腰掛けると、テーブルに置きっぱなしのグラスに手元にあったウォッカを注いだ。 「まあ、冷蔵庫は置いていくつもりだからな。問題は隣の部屋のモノだ」 口に一口分、ウォッカを含む要。グラスを置いた手で、スライス済みのスモークチーズを一切れ誠に差し出す。誠はビールのプルタブを切り、そのままのどに流し込んだ。 「隣は何の部屋なんですか?」 予想はついているが念のため尋ねる誠。 「ああ、寝室だ。ベッドは置いていくから。とりあえず布団一式とちょっと必要なファイルがあってな」 今度はタバコを一回ふかして、そのまま安物のステンレスの灰皿に吸殻を押し付ける。 「まあ、野球部の監督としては結構大事なもんだ」 要は今度はグラスの半分ほどあるウォッカを一息で飲み下してにやりと笑う。 「それにしても、茜さんにした『カネミツ』の話。本当ですか?」 要のタレ目がにやりと笑う。 「ああ、あれならカマかけてみたんだ」 グラスにウォッカを注ぐ要。誠は半分呆れながらその手つきを観察する。 「叔父貴は自分から状況を作るようなことはしねえよ。あくまでも相手に手を打たせてから様子を見てカウンターでけりをつけるのが叔父貴流だ。まあ、手札としての『カネミツ』の有効利用のために吉田辺りを使って噂を広めるくらいのことはするかもしれねえがな。まああの二人はどうにもねえ。騙し騙されて数十年。なかなか不思議な縁と言う奴だな」 グラスを顔の前にかざして、いつもの悪党の笑顔を浮かべる要。 「しかし、あの機体はほとんど戦略兵器じゃないですか!国際問題に発展する可能性だって……」 「その性能とやらもすべて叔父貴の息のかかった技術屋の口からでた数字だろ?当てになるもんじゃねえよ。まあ、叔父貴のことだから過小評価している可能性もあるんだがな」 そう言うとまた要はウォッカの入ったグラスを傾けた。 「まあ叔父貴と吉田のお遊びの相手に主要国の情報機関が寝ずにがんばってくれているのには頭が下がるがね。叔父貴のことだ、そんな様子を腹抱えて大笑いしてるんじゃねえか?」 口にスモークチーズを放り込んで、外の景色を眺める要。窓には吹き付ける風に混じって張り付いたのであろう砂埃が、波紋のような形を描いている。部屋の中も足元を見れば埃の塊がいくつも転がっていた。 「西園寺さん。掃除したことあります?」 そんな誠の言葉に、口にしたウォッカを吐きかける要。 「……一応、三回くらいは……」 「ここにはいつから住んでるんですか?」 要の顔がうつむき加減になるのを見ながら誠からの言葉に黙り込む要。たぶん部隊創設以来彼女はこの部屋に住み着いているのだろう。寮での掃除の仕方、それ以前に実働部隊の詰め所の彼女の机の上を見ればその三回目の掃除から半年以上は経っていることは楽に想像できた。 「掃除機ありますか?」 「馬鹿にするなよ!一応、ベランダに……」 「ベランダですか?雨ざらしにしたら壊れますよ!」 「そう言えば昨日の夜、電源入れたけど動かなかったな」 絶句する誠。しかし、考えてみれば胡州の選帝公の筆頭である西園寺家の一人娘。そんな彼女に家事などが出来るはずも無い。そう言うところだけはきっちりとご令嬢らしい姿を示して見せる要。 「じゃあ、来週の30日。掃除機借りてきますんで掃除しましょう」 「やってくれるか!」 「いえ!僕が監督しますから西園寺さんの手でやってください!」 誠の宣言にしょげ返った要。彼女は気分を変えようと今度はタバコに手を伸ばした。 「それとこの匂い。入った時から凄かったですよ。寮では室内のタバコは厳禁です」 「それ嘘だろ!オメエの部屋でミーティングしてた時アタシ吸ってたぞ!」 「あれは来客の場合には、島田先輩の許可があれば吸わせても良いことになっているんです!寮の住人は必ず喫煙所でタバコを吸うことに決まっています!」 「マジかよ!ったく!失敗したー!」 そう言うと要は天井を仰いでみせた。 「じゃあ始めんぞ。ついて来い」 要は気分を切り替えると急に立ち上がる。誠は半分くらい残っていたビールを飲み下して要の後に続く。誠が見ていると言うのに、ぞんざいに寝室のドアを開ける要。 ベッドの上になぜか寝袋が置かれているという奇妙な光景を見て誠の意識が固まる。 「あれ、何なんですか?」 「なんだ。文句あるのか?」 そのまま部屋に入る要。ベッドとテレビモニターと緑色の石で出来た大きな灰皿が目を引く。机の上にはスポーツ新聞が乱雑に積まれ、その脇にはキーボードと通信端末用モニターとコードが並んでいる。 「なんですか?これは」 誠はこれが女性の部屋とは思えなかった。『高雄』のカウラの無愛想な私室の方が数段人間の暮らしている部屋らしいくらいだ。 「持っていくのは寝袋とそこの端末くらいかな」 「あの、西園寺さん。僕は何を手伝えば良いんですか?」 机の脇には通信端末を入れていた箱が出荷時の状態で残っている。その前にはまた酒瓶が三本置いてあった。 「そう言えばそうだな」 要は今気がついたとでも言うように誠の顔を見つめる。 「ちょっと待ってろ。テメエに見せたいモノがあるから」 そう言うと壁の一隅に要が手を触れる。スライドしてくる書庫のようなものの中から、要は小型の通信端末を取り出した。明らかに買ったばかりとわかるような黒い筐体を手渡す要。さらに未開封のゲームソフトらしいモノをあわせて取り出す。 「誠はこう言うのが好きだろ?やるよ」 誠は要の顔を見つめた。要はすぐに視線を落とす。 「もしかしてこれを渡すために……」 「勘違いすんなよ!アタシはもう少しなんか運ぶものがあったような気がしたから呼んだだけだ!これだってたまたまゲーム屋に行ったら置いてあったから……」 そのまま口ごもる要。誠はゲームソフトを見てみる。どう考えても要が買うコーナーには無いギャルゲーである。 「心物語ですか。主人公キャラが男女二人になって、どちらからでも攻略できるんですよね。確かアイシャさんが18禁バージョンの限定版を三つ確保したとか自慢してましたけど」 「アイシャの奴買ってたのか?」 「まあこういうゲームの収集はアイシャさんの守備範囲ですから」 「そうか……」 がっくりとうなだれる要。誠はどう慰めようか言葉を選ぼうとした時に、窓の外に一本のロープがぶら下がっていることに気づいた。 「西園寺さん……」 誠の言葉よりも要の行動の方が素早かった。机の引き出しから愛銃XD40を取り出した要は、そのままベランダに出るための窓を静かに開けた。 ロープは静かに揺れている。誠はそのまま要の後ろをつけて行った。要はハンドサインで静かにするように伝えるとそのままロープの真下に座り込んだ。何者かが明らかにこのマンションを上ろうとしている。要は突如立ち上がると、ベランダの向こうにいる侵入者に銃を向けた。 「撃たないでー!」 間抜けなシャムの声が響く。誠はそのままベランダの下を見下ろした。シャムと吉田がマンションの壁面を登ってきていた。あまりに間抜けな光景に、誠は唖然とした。 「どうもー……」 消え入るような声で、ベランダに降り立つシャム。 「こいつ、結構使えるな。キムに教えてやるか」 ベランダに降り立った吉田が左腕を前に突き出す。手首の辺りで腕が上下に裂け、中にグレネードランチャーの発射装置のようなものが見えた。 「なんだ、またギミック搭載したのかよ」 「まあな。でも結構便利だぞ。お前も今度義体換えるときやってみれば?」 そう言うと左腕を元の形に戻して要の寝室にさも当然と言うように入り込む。 「靴ぐらい脱げ!馬鹿野郎!」 要の叫び声に慌てて靴を脱ぐシャムと吉田。二人は靴を誠に手渡す。仕方なく誠は玄関に靴を運んで行った。 「今日は第一小隊は待機じゃないんですか?」 誠の言葉ににんまりと笑う吉田。 「どうせすることも無いからな。隊長が『要が神前を拉致ったらしいから様子を見てこいや』って言うもんで見に来たんだけど……なんもしてないんだな」 「オメエ等帰れ!黙っといてやるから今すぐ帰れ」 怒りに震える要。それを無視するようにシャムがとりあえずベッドの上に置いた誠がもらったゲームソフトに目を付ける。 「心物語だ!これって結構人気なんだよね。誰の?要ちゃんの?」 「うぜえんだよ餓鬼!そいつはアタシが誠に……」 勢いで吐きかけた言葉の意味を理解して要が口ごもる。吉田、シャムの二人はにんまりと笑いながら誠と要を見回した。 「へー、プレゼントしたんだ。良かったね!誠ちゃん!」 シャムが屈託の無い笑顔で誠を見つめる。誠は頭を掻きながらそんなシャムを見ていた。 「それにしても汚ねえ部屋だねえこりゃ」 呆れ果てたと言う表情で埃の積もった床の上に足先で線を描く吉田。 「余計なお世話だ!」 そんな吉田の頭を小突く要。明らかにいつもの不機嫌な要の姿に戻っていた。 「これじゃあカウラの部屋の方がまだましなんじゃねえか?」 靴下に付いた埃を見て顔をしかめた吉田がそう言った。カウラと言う言葉を聴いて、要の目に殺気がこもる。 「そんな目で見るなよ。それより後三時間後にあまさき屋に集合なんだけど、この様子じゃあすることないな」 「だったら帰れよ、な?」 敵意むき出しで吉田を見つめる要。 「あまさき屋で何するんですか?」 誠は要と吉田の間にさえぎるように体をねじ込んで尋ねる。 「聞いてないのか?アイシャには伝えたはずなんだけどな」 「忘れてるな。まああいつは引越しとなるとねえ……どれだけのものを持ち込むかわからねえからな」 気を落ち着かせようとタバコを取り出す要。 「明後日から俊平とアタシ、遼南に出張でーす!」 ライターに伸ばされた要の手が止まる。 「法術がらみだな」 ふざけていた要の表情に生気が戻る。それを見て黙って吉田は頷いた。 「まあそう言うこと。遼南軍や警察でもかなり法術適正者が発見されたってことで、御子神さんの戦闘技術指導のお手伝いに行くってわけだ。まあ、隊長が監修した面白くもねえビデオ上映して、さらにこいつの原稿棒読みの講義とか……、とにかくつまんねえことをしにいくわけだ」 シャムはふくれっつらをするが、特に言葉を出すわけではなかった。 「なるほどねえ、それであのアメリカさんの歓迎会を今日やるわけだ」 要はそう言うと寝室にもしっかり置いてある開封されたタバコの箱を手に取った。 「それと俺等の壮行会な。しかし、まああのシンプソン中尉って結構かわいいよな」 突然、吉田から話題を振られて誠は周りを見回した。シャムは吉田にけなされたまんまの視線で誠を見つめる。タバコに火をつけた要だが、こういう場面でわざと視線を泳がせている時に下手なことを言えば何をされるかわからない。 「そうですね。特に胸が……」 地雷を踏んだ。そう誠が思ったとき、要は誠の右手に思い切り火の付いたタバコの先を押し付けた。 「それは禁句だろ?な?」 要らしいサディスティックな笑顔。誠は手の甲を見るがさすがにすぐに要が火を遠ざけてくれたおかげで火傷の跡は残っていない。だが明らかに自分の振った話題で予想通りの動きをした二人を満足そうに吉田は見つめている。 「お前もそう思うか?そうだよなあ」 そしてついに笑い始める吉田。しかし、誠は自分で言いだした話なのに横目で見つけた要の右手のタバコが震えるのを見て顔を引きつらせた。 「あれだな。形はたぶんアイシャかマリアさんの争いだが、大きさではどこかの人工巨乳を抜いてトップにたったな」 「おい、吉田。オメエいっぺん死んだ方が良いぞ……」 机に置いた銃に手を伸ばそうとする要だが、次の瞬間には銃はシャムの手の中にあった。 「だめだよ要ちゃん!こんなの持ち出したら。それよりのど渇いた!」 「じゃあビールでも飲むか!あるんだろ?」 マイペースな二人に肩をすくめた要がそのまま部屋を出て行った。 「いやあ、あいつからかうと面白れえな!」 「吉田少佐。むやみに挑発するの止めてくださいよ」 泣き言を言う誠を相変わらず面白そうに見つめている吉田。 「ったく気の小さい奴だな」 「誠ちゃんは臆病だからね!」 あっけらかんと笑う二人についていけない誠。ドアが開いて手にした缶ビールをシャムと吉田に投げる要。 「ビール投げるなよ!泡吹くじゃねえか!」 そう言いながらプルタブを引き、吹き出す泡をうまく口の中に収める吉田。シャムはしばらく落ち着かせようと銃と一緒にテーブルの上に缶を置いた。 「邪魔するなよ」 そう言うと要は酒瓶を横に避けて床に置かれた端末の箱を開けた。いくつものコードが複雑に絡み合っている。さすがに技術屋でもある誠にはそのアバウトな要の配線を見つめるとため息が漏れた。 「とりあえずそれと寝袋だけか?運ぶのは」 「まあな。そう言うオメエ等は出張の準備は出来たのか?」 端末のコードを一本一本絡んでいるのを戻しながらジャックを引き抜いてはまとめる要。 「俺はトランク一つあれば十分だ。シャム、お前はどうした?」 「あのね。あっちで買うから大丈夫。それにアイシャちゃんにアタシのチェックしている番組の録画も頼んだし」 「どうせ特撮とアニメだけだろ?」 一際長い電源コードをまとめる要。図星と言うように頭を掻くシャム。 「それにしてもずいぶん古い端末使ってんな。島田辺りに最新の奴選んでもらったらどうだ?」 吉田の一言、また要の表情が不機嫌なものになる。 「余計なお世話だ。それにこいつには胡州陸軍関係のデータも入ってる。そう簡単には交換できるもんじゃねえよ」 「ふーん」 特に関心も無いというように吉田はビールを飲みながら作業を続ける要を眺めていた。シャムはもう良いだろうと缶を開けたが、不意に吹き出した泡に慌てて口をつけた。 「リモコン見っけ!」 泡を吹こうとハンカチを出してしゃがんだシャムが要の持ち上げた端末の下から薄い何かを見つけた。 「備え付けのAVシステムかよ。こりゃ良いわ」 そう言うと要の許可も得ずにスイッチを押す吉田。 「邪魔になるようなことはするなよ」 あきらめたような顔で要はつぶやいた。天井から巨大な画面が降りてくる。シャムの目が、急に輝きだしたのが誠からも良く見えた。 「ちょっと何が入ってるのかな」 そう言って内部データを検索する吉田。 「ドアーズ、ツェッペリン、ピストルズかよ。ずいぶん偏っていると言うかつまみ食い趣味と言うか……」 「なんだ、ボブ・マーリーが無いのがそんなに不満か?」 要が端末を緩衝材ではさんでいる。 「なんだ、クラッシックもあるじゃねえの。ホルストの惑星。展覧会の絵。ピーターと狼。ずいぶんこれもなんだかよくわからねえ趣味だな」 「最近の曲は無いの?」 「ちょっと待ってろよ」 まるで自分達の部屋のように振舞う吉田とシャムに切れた要が吉田の手からリモコンを取り上げた。 「好き勝手なこと言うんじゃねえ!これでも見てろ」 そう言うと要はリモコンを奪い返して浪曲専門チャンネルに合わせた。 「あのなあ。俺は隊長と違ってこう言う趣味はねえんだけどな」 「叔父貴との付き合いはオメエ等が一番長いんだ。上司を理解するのも大事な仕事だろ?」 そう言うと要はリモコンをポケットに入れて緩衝材ではさんだ端末をダンボールに押し込み始めた。一方部屋の半分の大きさもあろうと言う画面で、実物大の禿げた頭の浪曲師が森の石松の一説をうなっている。 「西園寺、あっさりこれが出てきたって事は見てるのか?」 吉田は画面を不思議そうに見ているシャムから目を離すと箱にどう見ても入りそうに無いコードの束を押し込んでいる要に声をかけた。 「爺さんが好きだったからな。ガキの頃よく家にもそちらの方面の人間が出入りしてたし」 「世に言う『西園寺サロン』って奴か。その割にはまるっきりそう言う趣味ないよなお前」 吉田はそう言うとビールの缶を空にした。その隣で床に腰を下ろしたシャムは石松の最期のくだりを聞きながらなぜか大うけしていた。 「終わった」 一言そう言って酒瓶に手を伸ばす要。確かに箱には入ったがコードがその隙間から飛び出していてとても箱に入れたといえる状況では無い。 「早過ぎないか?まあ西園寺らしいがな」 そう言うと吉田は要からリモコンを奪い取りモニターを消した。静かに上がって収納されていく画面を不思議そうに眺めるシャム。 「それじゃあ、どうする?」 「商店街でも顔出すか」 そう言って立ち上がる要。そのままベランダのドアを開け、吉田の肩を叩いた。 「帰るのも当然こっちだろ?」 ニヤニヤとベランダの向こうに垂れ下がっているロープを指差す要。 「俺の車に乗るんだろ?ちゃんとロープは回収するから頼むわ」 そう言うと吉田はベランダに出てロープを一回弛ませる。すぐさま上から鉤爪が落ちて来るのを受け取るとロープをまとめ始める。 「そう言えば吉田。最近、叔父貴に仕事を頼まれたことあるか?」 部屋を出ようとする吉田に要が声をかける。 「仕事ねえ、年中頼まれてるがどんな仕事だ?」 「『カネミツ』がらみ、またはこいつの『クロームナイト』の関係でも良いや」 そう聞いて少し怪訝な顔をする吉田。 「遼南叩きのサイトなんかで流れてたな、そんな噂。年中立つ噂だが、今回はちょっとソースが特殊なんでね」 頭を掻きながら靴に足を突っ込む吉田。 「やっぱりデマか。でもどこだって言うんだ?ソースは」 「東モスレム解放戦線の公然組織、東和回教布教団だ。東モスレムの連中にしたら確かにあの化け物が央都鎮座しているってことが安心して眠れない理由なんだろうが、持ち主の遼南軍とは関係の無い連中だから推測で叫んでいるだけなんじゃないかな。もし本当ならもっと早い段階で水漏れして俺のところにもいくつかの情報屋から知らせがくるもんだけどな」 そう言うと吉田はゆっくりと靴を履く。 「つまり今回アタシが手に入れた情報は無意味だったと」 「まあそう言うこと。とりあえず騒ぐことが無いからでっち上げたんだろ。だが、東モスレムの情報が嘘だからといって豊川工場に『カネミツ』が存在しないかどうかは俺もわかんねえよ」 吉田はゆっくりと立ち上がる。要はそれ以上聞くつもりは無かった。ネット上の情報をほぼその神経デバイスにリアルタイムで流している吉田すら嵯峨の特殊な情報網は把握できてはいない。そして吉田もそのことを追求することは無い。 いつものことだ。そう割り切った誠はさっさとサンダルを履く要の後に続いて靴を履いた。 誰もいない踊り場。要を先頭にエレベータに向かう。 「しかし、西園寺が出たらどうなるんだ?この建物」 吉田が人気の無いフロアーを見回している。シャムもそれをまねるように首をめぐらす。 「ああ、今度、京渓電鉄が向こうの造成地に駅作るって話だから売れるんじゃねえか?」 まるで他人事のように要はそう言い残してエレベータに乗り込む。 「でも、凄いですね」 ここ数日、要と自分の暮らしていた世界が余りに遠いことを思い知らされた誠はそう言うしかなかった。 「胡州帝国宰相の娘とは思えない部屋だったしな」 「吉田。どういう意味だ?」 予想通り噛み付いてきたと振り返って眼を飛ばす要に笑顔を返す吉田。 「言ったとおり。それ以外の意味なんかねえよ」 下っていくエレベータ。シャムが不安そうに眉間にしわを寄せている要の顔を見る。 「ああ、そう言えばシャム。花屋よってかんとまずいだろ」 「そうだよ!そのためにも要ちゃんのところに来たんだから!」 吉田とシャムが要のタレ目を覗き込む。 「何が言いたいんだ?」 エレベータの扉が開く。すばやくその間を抜けて歩き始めた要が吉田達に振り向いた。 「聞いてないのか?」 「だから何をだよ!」 そう要が言い放つと、困惑したように吉田とシャムが顔を見合わせる。 「タコの奴、ようやく腹を決めたんだわ」 それだけではわからない。そう言う表情を浮かべる要と誠。 「来年の六月にね、明石中佐と明華ちゃん結婚するんだって!」 一瞬の沈黙。マンションの自動ドアを通り過ぎた地点で、要はようやく意味が聞き取れたと言うように立ち止まった。 「マジか?」 吉田を見つめる要。誠は呆然と吉田達を眺めた。 「嘘ついてどうするんだよ。シャム、カウラには連絡したろ?」 シャムが吉田を不思議そうな顔で見つめている。頭を抱える吉田。 「そう言うことは早く言えよ!それで渡す花束のコーディネートをアタシに頼もうってんだろ?」 ようやく納得がいったとでも言うように要は目の前に止めてあったワンボックスのドアを開けた。 「吉田。重要なことはシャムに任せるんじゃねえよ。それにしても、暑いなあ。ったくクーラーくらい付けろっての!」 そう言うと要は石油エネルギー全盛期の地球製と思われる吉田の古いワンボックスカーの後部座席に座り込む。 「夏は暑いから夏なんだよ!我慢しなきゃ!」 助手席のシャムは平気な顔をしている。一方でガムを口に放り込んでエンジンをかける吉田も平然としている。誠は噴出す汗を感じてすぐに窓を全開に開けた。吉田の趣味らしく電子音が揺れているようなポップな音楽が大音量で流れる。 「花屋に任せりゃあ良いじゃねえか。それとも何か?アタシに指導料でもくれるのか?」 音楽に負けない程度の声で要が叫ぶ。 「同僚だろ?それに西園寺流華道家元の娘らしいことしてくれても罰は当たらないんじゃないか?」 そう言うと吉田は車を出した。 「それにこいつ。ほっとくと花とか食うからな」 「酷いよ俊平!アタシそんなもの食べないよ!」 ふくれっつらのシャム。誠は苦笑いを浮かべて様子をうかがっている。市の中心部へと向かう大通りに入り込んだ車は、吉田の的確なハンドルさばきで次々と先行する車両を抜き去る。 「そう言えばパーラが華道やりたいとか言ってたぞ。教えてやれよ」 吉田がそれとなく振り向く。要は無視してそのまま車窓を眺めている。工事中の立体交差の大通りを前に左折し、裏道に入る。少しすすけたような旧市街の町並みが続く。 「しかし、タコの奴心境の変化でもあったのかね。独身主義者とか言ってただろ?配属当時は」 開け放たれた窓からの風に前髪を揺らしながらつぶやく要。 「まあ俺はあいつのプロポーズがいつになるか楽しみだったんだけど、アレは無いよなあ……」 吉田の口から漏れたその言葉に、要とシャムが食いつくように目を向けた。 「先に言っとくぞ。あいつは一応俺の上司だ。あいつの不利になるようなことは言わねえからな」 「勿体付けんなよ。吉田のことだからカメラ仕掛けるとか盗聴器しかけるとかしてよく知ってるんだろ?教えろよ」 要が運転している吉田の頬をぺたぺたと叩く。目を輝かせているシャムが黙って吉田を見つめる。 「だから、たいしたことは無いんだって!」 そう言うと車がすれ違うには難しいような細い路地へとワンボックスを向かわせる吉田。 「まあいいか、どうせ叔父貴が言いふらすだろうからそっちから聞くわ」 そう言うとあきらめたように要は後部座席で思い切り伸びをした。
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