「それにしても要様の水着姿って初めて見ましたわ。たぶんクラウゼ少佐は写真を撮られているでしょうから楓さんに送ってあげましょうかしら?」 ポツリとつぶやく茜。銃をホルスターにしまっていた要がにらみつける。 「おい、茜!そんなことしたらどうなるかわかってるだろ?」 こめかみをひく付かせて要が答える。日は大きく傾き始めていた。夕日がこの海岸を彩る時間もそう先ではないだろう。 「でも、茜さんの剣裁き、見事でしたよ」 ようやく平静を取り戻して立ち上がった誠。もう最後に彼女と手合わせしてから十年くらい経つが、明らかに当時とは違う鋭い踏み込みを褒めて見せた。茜はそのまま歩き始める。 「待てよ!」 追いかける要。誠もその後に続いて早足で歩く茜に追いついた。 「次期師範にそう言ってもらえるとは、ここに来ただけのことはありますわね」 浜辺に向かう道を歩きながらいつもの余裕に満ちた表情を浮かべる茜。松並木が切れた辺り、もう着替えを済ましたカウラとアイシャが走ってくる。 「何してたのよ!」 「発砲音があったろ。心配したぞ」 肩で息をしながら二人は誠達の前に立ちはだかった。そして二人は先頭を歩く東都警察の制服を着た茜に驚いた表情を浮かべていた。 「なあに。奇特なテロリストとお話してたんだよ」 要が吐いたその言葉に目をむく二人。 「そして私が追い払っただけですわ」 得意げに話す茜。初対面では無いものの、東都警察の制服を着た彼女に違和感を感じているような二人の面差しが誠にも見えた。 「何でお嬢様がここにいるの?」 アイシャは怪訝そうな顔をして誠の方を見る。 「そうね、お二人の危機を知って宇宙の果てからやってきたと言うことにでもしましょうか?」 さすがに嵯峨の娘である。とぼけてみせる話題の振り方がそのまんまだと誠は感心した。 「まじめに答えてくださいよ。しかもその制服は?」 人のペースを崩すことには慣れていても、自分が崩されることには慣れていない。そんな感じでアイシャが茜の顔を見た。 「法術特捜の主席捜査官と言うお仕事が見つかったんですもの。同盟機構の後ろ盾つきの安定したお仕事ですわ。弁護士のお仕事は収入にムラがあるのがどうしても気になるものですから」 そう言うと茜は四人を置いて浜辺に向かう道を進む。どこまでもそれが嵯峨の娘らしいと感じられて思わずにやけそうになる誠を誤解した要が叩く。 「早く行かないと海の家閉まってしまいますわよ。すぐに着替えないといけないんじゃなくて?」 茜にそう言われて、気づいた要と誠は走り出さずにはいられなかった。 「そんなに急がなくても大丈夫よ!海の家の人には話しといたから!」 背中で叫んでいるアイシャ。 「あいつの世話にはなりたくねえからな」 走る要が誠にそう漏らした。 「要さんならもっと早く走れるんじゃないですか?」 誠はビーチサンダルと言うこともあって普段の四割くらいの速度で走った。 「良いじゃねえか。さっきもそうだけど今回も一緒に走りたかっただけなんだ」 余裕の表情で答える要。砂浜が始まると、重い義体をもてあますように速度を落とす要にあわせて誠も走る。 「オメエこそ早く行ったらどうだ」 そう言う要に誠はいつも見せられているいたずらっぽい笑顔を浮かべて答えた。 「僕も一緒に走りたかったんです」 二人は店の前に置かれた自分のバッグをひったくると、海の家の更衣室に飛び込んだ。 誰もいない更衣室。シャワーを浴び、海水パンツを脱いでタオルで体を拭う。 「いつ見ても全裸だな」 「なに?なんですか!島田先輩!」 全裸の誠を呆れたように見ている島田。 「お前さんが全裸で暴れたりすると大変だから見て来いってお姉さんに言われて来てみれば……」 島田が来ることは予想が出来てもその指示が穏やかなリアナのものだと知って落ち込みながらパンツを履く誠。 「クラウゼ少佐の指示じゃないんですか?」 「違うよ。まあすっかりそう言うキャラに認識されたみたいだなあ……ご愁傷様」 にんまりと笑いながら入り口に寄りかかっている島田。誠はすばやくズボンを履いてシャツの袖に手を入れる。 「はい!急いで!行くぞ!」 島田が出て行くのを見て慌てて海水パンツとタオルをバッグに押し込み飛び出す誠。 「誠ちゃん」 更衣室を出て浜辺の真ん中で海を見つめている。そんな誠の肩を叩いたのがシャムだった。 「シャムさん、何ですか?」 さすがにいろいろあった一日で、心地よい疲労感のようなものが誠を包んでいた。 「これ拾ったんだけど、要ちゃんにあげてね」 シャムが差し出したのはピンク色の殻を光らせる巻貝だった。子供のこぶし程度の大きさの貝は次第に朱の色が増し始めている日の光を反射しながら、誠の手の上に乗った。 「良いんですか?」 いかにもシャムが好きそうなきれいな貝を手にして誠はシャムを見下ろした。 「お姉さんのことは気にしないで。まあ仲良くやりたまえ」 年齢不詳なシャム。誠がつかんでいる確かな情報としては、今年三十路に入った技術部長、許明華大佐の二つ下という話がまことしやかに囁かれている。ホテルの駐車場に向かうシャムと小夏、そして春子を見守りながら誠はシャムに渡された巻貝を耳に当てた。 潮の音がする。確かにこれは潮の音だ。 「何やってんだ?」 背中から不思議そうな要の声。誠は我に返って荷物を抱えた。 「なんか落ちたぞ」 そう言って要が誠の手から滑り落ちた巻貝を拾い上げた。 「こりゃだめだな。割れちまってるよ」 少しばかりすまないというような声の調子の要。誠は思わず落胆した表情を浮かべる羽目になった。 「アタシに渡そうとしたのか?」 そう言うと、珍しく要がうつむいた。 「ありがとうな」 そう言うと要は自分のバッグにひびの入った巻貝を放り込む。何も言わずにそのまま防波堤に向かって歩いていく要。 「良いんですか?あれって……」 「お前の始めてのプレゼントだ。大事にするよ」 要はそう言うと誠を置いて歩き始める。誠は思い出したように彼女を追って走り出す。追いついて二人で防波堤の階段を登る。 ほんの数時間前にビールの箱を抱えて歩いた道の歩道には人影はほとんど無かった。車道は次々と帰路に着く車が通り抜ける。倦怠感に実を包まれるようにして二人は歩いていた。 「今日はいろいろありましたね」 そう誠が言えたのはバスの止めてあるホテルに入る小道に足を踏み入れたときだった。 「まあな、最後にとんでもねえ目にあったけどな」 「そしてワタクシの手に助けられたわけですわね」 駐車場の生垣として植えられた太いイチョウの木の陰から現れたのは茜だった。よく見れば東都警察の勤務服にぶら下げられた日本刀が違和感を感じさせる。 「オメエ帰れよ」 そう言ってそのままバスに向かう要。 「命の恩人にそれは無いんじゃなくて?それに要さんはいくつか私に聞きたいこともあるって顔してますわよ」 そう言って口先だけの笑みを浮かべるところが、父である保安隊隊長の嵯峨惟基を彷彿とさせた。 「まったく親子そろって食えねえ奴だよ」 要はそう言うと額に乗せていたサングラスをかけなおす。そんな要に笑みで答えてみせる茜。 「ふふっ、そうかもしれませんわね。まずワタクシが法術特捜に……」 「ああ、叔父貴から聞いた。稼動はまだ先になるんじゃなかったのか?」 つれない感じで答える要。茜は特に気にする様子でもなく話を続ける。 「実際、同盟司法部はすでにテロ組織は活動を準備していると言う見方をしていますわ。ワタクシに資料よこしたわけなんですけど、状況はそれほど悠長なことを言ってられないことは先ほどのアロハシャツのお客様をごらんになればわかるのではなくて?」 それまでの茶目っ気のある笑顔が茜の表情から消えていた。 「どこだ?動いてるのは」 気の無い調子でたずねる要。誠もまたその問いの答えを期待していた。 「わかりませんわ。でも資料ではっきりわかったことは、ここ最近、すべてのテロ組織が行った破壊活動に法術適正の所有者による法術爆破テロが急激に減少しているということだけ……まるで申し合わせでもしたみたいに」 「良い話じゃねえか。自爆は見ててやりきれないからな。それでもテロの件数自体は減っていないことぐらいアタシも知ってるよ」 さすがに茜の父親を思い出させる舐めた話しかたに業を煮やしたと言うように要が後ろで呟く茜に向き直った。 「そうなんですの。つまりテロ組織の直下で法術適正を持った組織員が自爆テロ以外の行動をとろうとしている、または他の第三勢力の元に彼らは集められて、来るべき活動のために訓練を受けている。今のところ推察できることはこれくらいですわね」 要は静かに天を仰ぎ、にんまりと笑った。そして再び茜を無視しているように歩き始める。 「既存のテロ組織には法術適正の人物に対し、訓練を行う設備など持ってるはずもねえ。いや、正確に言えば制御された法術によるテロを行うための訓練をすれば、逆に無能な上層部は力に目覚めた飼い犬に手を噛まれる羽目になるってわけだ。そんな危ない連中を手なずける程の力量のカリスマ。お目にかかりたいもんだねえ」 皮肉のつもりでそう言った要だが、茜はまるで気にしていないと言うように余裕のある笑顔を浮かべている。 「ワタクシもですわ。既存のテロ組織は、宗教、言語、民族、人種、イデオロギーを同じくするものの共同体みたいなものですもの。上層部は作戦立案と資金の確保を担当し、下部組織はその命令の下、テロの実行に移る。そこには必ず組織的ヒエラルヒーが存在し……」 不意に立ち止まり、茜の顔をまじまじと見つめる要。 「話が長えよ。要するにどこの誰ともわからねえ連中が、テロ組織の法術適正所有者を片っ端からヘッドハンティングした。そう言いたいわけだな」 要はタバコを取り出そうとしたが、目の前の茜のとがめるような視線を受けて止めた。 「そうですわね。一番それがしっくりいく回答といえますわ。でも、それだけのことを行うとなれば相当な資金と組織力が必要となりますわ。しかも、今日現れた刺客の言ったとおり、力を持つものが支配する世界の実現と言うことになれば、それに賛同するような酔狂な国は宇宙に一つとして存在しないでしょう」 誠も気になっていたその一点を指摘した茜。そのうれしそうにも見える顔つきは確かに彼女が嵯峨家の一員であると言うことを示しているようにも見える。 「逆に、だから支援をする国もあるんじゃないのか?」 皮肉めいたいつもの笑みを浮かべ、要がそう言った。 「同盟の不安定化は地球圏国家の思惑と一致するのは言うまでもないことですわね。でも制御できない力を自分を受け入れることが絶対に無い組織に与えることがいかに無謀かは想像がつかないほど無能な為政者はいらっしゃらないでしょう。それにベルルカン大陸の動乱をごらんになればわかるとおり、下手につつきまわせばそれこそ泥沼の戦争に陥って抜け出せなくなることも経験でわかっているはずですわ」 茜の腕が豊かな胸のふくらみの上に組まれているところを誠はじっくりと見ていた。 「この馬鹿!胸見んの禁止!」 すかさず要がこぶしで誠の頭を殴りつける。頭を押さえる誠を見ながら、茜は心の奥から楽しそうな笑みを浮かべた。 「ふふふ、誠さんと要さん。仲がよろしいんですね」 微笑む茜に誠は思わず要を見た。一気に要の頬が赤らむ。 「お……おうよ。こいつはアタシの部下でマブだからな」 そう言うと要は誠の首根っこをつかむとヘッドロックをした。 「苦しいですよ、西園寺さん!」 「いいじゃねえか、ほらアタシの胸が頬に当たってるぞ。あ?」 誠は幸せなのか不幸せなのかわからないと言うような笑みを浮かべる。 「本当にお似合いですわよ」 笑顔を振りまく茜。しかし、その視線が要達の後ろに立つ二つの人影をも見つめているものだと言うことは要も誠も知らなかった。 「ふうん、そう。要と誠君がマブでラブラブねえ」 「まあ仕方ないんではないか?誠は胸が大きい女が好きなようだからな」 誠は要の腕からすり抜け、振り向いた。そこにはアイシャとカウラが腕組みをして立っている。 「おお、いたのか。聞かれちまったら仕方がねえな。そう言うわけだ」 「西園寺さん!」 サングラスを外してアイシャとカウラをにらみつける要。誠は半泣きの状態でおろおろとしていた。漂う殺気に誠は少しずつ後ずさりする。一ヶ月間、彼女達の部下をやってきたのは伊達ではない。 「どうされましたの?誠さん」 不思議そうな視線が茜から誠に注がれている。 「おい、誠!何とか言えよ!」 「力で脅すなんて下品ね」 「西園寺の行動が短絡的なのはいつものことだ」 要を責めているはずの言葉だが、その視線は冷や汗を拭っている誠に向けられている。落ち着いた表情で誠の肩に手を当てる茜。 「お父様がおっしゃっていた通りですわね。あの誠さんがモテモテだって……」 「誰がこの馬鹿に惚れてるって!」 そう言うと要は誠に荷物を投げつける。 「茜さん。席は用意してあるから、誠君は補助席ね」 「もっときびきび動け!行くぞ誠」 そう言うと女性陣は誠を置いてバスに向かって早足で歩き出した。足元に転がる要とアイシャのバッグ。 「ったく、いつもこうだ」 そう愚痴りながら誠は二人の分の荷物も一緒に担いで駐車場の一番奥に止めてあるバスへ急いだ。
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