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作品名:遼州戦記 保安隊日乗 作者:橋本 直

第7回   今日から僕は 6
 保安隊隊長室で呼び出された誠は明石と吉田と並んで立っていた。そして初めて入る隊長室の混乱振りにしばらく誠は呆然と立ち尽くしていた。明石が以前その混乱振りを語ったように、部屋はガラクタで埋め尽くされている。
 決済済みの書類の隣には、万力に固定された拳銃のスライドが見える。来客用のテーブルにはボルトアクションライフルが部品の一つ一つにまで分解されたまま置かれている。本棚には埃を被った大鎧の胴が押し込まれていたり、古新聞の束が紐で束ねられたりしているのが見える。
 この部屋の主の嵯峨は、ぎしぎし言う隊長の椅子に背もたれに体を預けてもたれかかり、頭の後ろで両手を組んで三人を見つめていた。
「まさか同盟司法局直属の実力部隊と言う肩書きのうちの隊員がシンジケートにのこのこついて行きましたなんてかっこ悪くて俺も言えなかったんだよ。そこで、まあお前の件は麻薬取引の現場にすり替えて報告したわけ。それと俺がイタリアンマフィアのボスを斬った件は、それにまつわる強制捜査の際に抵抗した連中を切り捨てたと言う線で司直の連中に話したら、喜んで正当防衛と言うことにして一件落着してくれたわけ。それでOK?」 
 嵯峨は直立不動の姿勢をとっている明石、吉田、誠を前にしてそう言った。
「じゃあ自分の責任は……」 
 恐る恐る誠はそう言ってみた。嵯峨は顔色一つ変えずに語り始めた。
「聞いてなかったのか?そもそもお前はあそこに突入したって言うことで口裏あわせも済んでるし、警察の連中もそれで書類が作れるって喜んでるんだから問題無いだろ?まあどうせ東和警察の連中には信用なんてされてないんだから、お前が責任云々言う話じゃないよ。まあ俺らの上部組織の司法局には報告義務があるからそれなりの書類出して処分を待つ形だが……明石ちゃん。今度は減俸二ヶ月は食らうかな?」 
 減俸という言葉に誠は思わず背筋に緊張が走るのを感じて隣の明石と吉田に目をやった。
 二人とも全く動じるそぶりもなく、話を向けられた明石はサングラスを外してその巨漢に似合わない小さな目をこすっている。
「まあええんと違いますか?西園寺のあほが何処とは言いませんが、大統領に発砲しかけた時は賞与全額カットやったですし」 
 明石がさらりとそういってのけたのを見て、誠は少しばかり安心した。
「それじゃあ失礼します!」 
 誠が勢い良く扉を開けて去っていく。その様子を見送りながら嵯峨はひじを机の上についてその上に顔を乗せて明石を見つめる。
「タコ。ちったあ、フォローしてやれよ。一応、実働部隊の隊長はテメエってことにしてやってるんだからなあ?」 
 風船ガムを膨らまして、虚ろな目つきでやり取りを傍観していた吉田がそう言った。明石はサングラスをかけなおしながら、頭を掻きつつ吉田を見下ろした。
「そうだな、起きたことは仕方が無いけど。問題はこれからのフォローだな。実働部隊隊長さんには苦労かけるがよろしく頼むよ。それで話は変わるんだけど……これなんだけどさ」 
 嵯峨はそういうと立ち上がって、骨董かゴミか区別がつかないようなものが積み上げられた脇机の中から包みを一つ取り出すと、明石に手渡した。
「持ってってやんな」 
 明石はそれを手に取る。その触った感触で明石の浮かない顔が明るく変わった。彼は敬礼をして廊下に飛び出した。飛び出した明石の前にぼんやりと前を見つめたまま、何も出来ずにいる誠の姿があった。
「ワレ!しゃきっとせんか!」 
 そう言うと気の抜けた顔で振り向いた誠に、包みの中のグラブを投げつけた。
 誠は素早くそれを受け止めると、それがかつて自分が大学野球で使っていたそれだと気づいて明石の顔をもう一度まじまじと見つめた。
「ちょっと、受けさせてもらえんかの。ワレのスライダー」 
 そう言うと明石は言葉を発しようとしてまごまごしている誠の肩をがっしりとつかんでハンガーの方に足を向ける。
 しゃきしゃき歩く明石だが、思い立ったように実働部隊の詰め所の前で足を止めると、部屋の中で所在無げにしているカウラを見つけた。
「おい!カウラ!ワシのミット取ってくれんか?こいつの球、受けようと思うてな。それとお前も見とったほうがええぞ。こいつのストレートの切れは天下一品じゃけ」 
 カウラが無表情のまま明石の机を漁りだしたのを確認すると、二人はハンガーへと降りていった。
「神前の。足のサイズは?」 
 サングラスを直しながら明石が尋ねてきた。
「二十九センチですけど」 
 誠の言葉に納得したように頷く明石はハンガーを歩き始めた。
「島田!スパイク取ってきてくれんかのう。コイツの分も入れて二つじゃ!サイズは29やぞ!」 
 明石が談笑している整備員の一人に声をかける。その言葉に島田と呼ばれた曹長は駆け足で技術部の詰め所と物置がある一階のフロアーへと駆け出した。
「安心しろや。ワシは水虫ちゃうから」 
 そう言いながら待っていると物置から明石のスパイクを二足持った島田が走って現れる。
「すまんな、古い方を使ってくれ」  
 そう言うと古いスパイクを誠にあてがう明石。誠も特に気にすることもなくスパイクを履いた。
「コイツの野球同好会入部は確定ですか?」 
 どこか憎めない角刈りの島田が明石に尋ねた。
「それをこれから見るんじゃ」 
 そう言うとスパイクを履き終わった明石が腰を伸ばした。
「神前の。この島田が整備班班長で下士官寮の寮長をやっとる。ほんで野球同好会の一員じゃ。後で挨拶しとけや」 
 誠はスパイクの紐を結び終えて立ち上がると島田に手を出して握手を求めた。島田は自分の手についた油をつなぎのわき腹の辺りでぬぐって握手をした。
「まあがんばれよ」 
 そんな島田の声を聞きながら歩き出した明石の後に続いて誠は小走りでハンガーを出た。
 お互いグラブをつけた明石と誠はハンガーの搬入路を渡りきったグラウンドの上でキャッチボールをはじめた。その様子を暇をもてあましている整備員達がぼんやりと群れを作って眺めていた。
「肩の調子はどうじゃ?」 
 明石はおっかなびっくり投げている誠に向かい、そう尋ねた。
「とりあえず痛みは無いですが……」 
 明石の投げた球をグラブの中で握りなおす誠。明石はそんな誠を見ると笑顔を浮かべた。
「それじゃあ軽く投げてみるか」 
 そう言うと明石はグランドのホームプレートに向かって歩き始める。
「プロテクターとかは?」 
 誠はそのままマウンドに向かいながら明石に尋ねた。
「ワシを舐めとるんか?ワレの弱気な球くらい体で止めて見せるわ!」 
 誠はその言葉にむっとすると、マウンドを馴らしながらじっと右手のミットの中の白球を見つめた。
 本当にこれを握るのは久しぶりのことだった。
 怖かった。
 実際、肩を壊してベンチでじっと自軍の負け試合を応援団に混じって見続ける日々が頭に浮かんでくる。そんな屈辱的な映像が浮かぶのを打ち消すように、誠は思わず視線を地面に落とした。
「とりあえず肩馴らしじゃ」 
 そう言うと明石は中腰のままミットを構える。誠は軽く明石のミットにボールを投げた。スパンと音を立ててボールは明石の左手に吸い込まれた。
「もう三球。腕を振り切るように投げてこいや」 
 ミットのボールを誠に投げ返す明石。
 誠はボールを受け止めるとそのままセットポジションで投げ込んでみる。投げた三球ともに思った通りの球筋が明石との間に描かれた。肩に感じるものは特に無い。
「じゃあ今度はストレートを十球。セットアップのままで良いから投げろや」
 明石はそう言って座り込む。そしてミットをど真ん中に構えた。
 誠もようやく覚悟が決まり、ゆっくりと振りかぶってみた。
 体は覚えていた。確かにそれはプロのスカウトに注目されていたころの、自分でも自信を持って球を投げ込める時のフォームだった。しかし、腕を振った瞬間。その腕に伝わる遠心力が弱っているのを感じて不意に指先の力が抜けていくのが分かる。
 投げられたボールは、誠が狙った所より30cmも上に外れた。
「何しとんねん?コントロールが生命線の投手の投げる球やないで!もう一球じゃ!」
 そう言うと再び、明石はミットをど真ん中に構えた。
 誠は助けを求めるようにして、人垣のほうを見つめた。
 その中にカウラと要の姿が有るのがすぐにわかった。特にカウラは真剣に誠の手の動き、指先の動きを丹念に眼でなぞっているのが分かる。
 誠は意を決したようにもう一度セットし、再び昔のフォームで今度は力を少し加減して投げ込んでみた。
 バシリと明石の構えたミットに寸分たがわぬコントロールで白球が吸い込まれた。
 しかし、明石は苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
「手を抜きおって!本気で来いや!」 
 そう言って明石は力をこめて誠に返球する。グラブに感じる力のある返球に誠は少しだけ意地になった。
 今度は腰から肩へ、そして手先にと力点を意識しながら回転をかける昔の様子で腕を振るった。ど真ん中に吸い込まれるボールだが、サングラス越しにもわかるくらいに明石は不機嫌そうに球を投げ返してくる。
 誠は左手を見てみた。何度もつぶれたマメで硬くなっていた去年までの誠の手と、今のやわらかい皮膚で覆われた誠の手。それだけの時間が何を誠から奪ったのかよくわかっていた。
 基礎体力自体は士官候補生訓練校の過程で上がっているはずだった。
 だが、ボールを投げる為の筋力は明らかに低下していることがわかってきていた。
『こう言う時は基本に戻ろう』
 誠はそう思うとセットではなく正面に明石を捉えて振りかぶった。
 全身の力を手の先にこめて振り切る。
 ボールはこれまでの二球とはまるで違う切れを見せて明石のミットに飛び込んだ。
「やればできるやんか?もう一丁じゃ!」
 口に笑みを浮かべた明石が素早く誠に返球してミットを構える。
 誠は同じフォームで六球ストレートを投げ続けた。
 忘れていた感覚が次第に全身に蘇る。一球ごとに球速もコントロールも球の切れも上がってきているのが誠にもわかった。
 誠がようやく以前のストレートの感触をつかみかけた時、突然明石が立ち上がった。
「じゃあ今度はとりあえずでええからスライダーじゃ。手はこなれとらんやろうからワンバウンドさせるくらいでこいや」 
 そう言うと明石はミットを右手で叩く。
 久しぶりに投げるスライダー。数十球の投げ込みで肩は十分に温められてはいるが、誠の頭に不安がよぎって自然と野次馬達に目を向ける形になった。
 エメラルドグリーンのポニーテールを風になびかせているカウラは真剣に誠のグラブ捌きを見つめている。隣では渋い顔で要が誠の手の動きを真似ながら隣に立っている明華に説明をしているのが見えた。
 誠は今度こそ自分のボールを投げて見せると意気込んでグラブの中でスライダーの握りを作った。
 明石のミットが右バッターの外角低め一杯に構えられる。
 一度目をつぶって高校一年の春にスライダーを覚えた時の頃を思い出していた。すると誠にはなぜか不安は無くなっていた。
 誠はゆっくりと振りかぶって東都大学野球三部入れ替え戦でウィニングショットに使った時の感触を思い出しながら体をゆっくりとしならせた。
 確かに全て思い通りだった。テイクバックの大きさ、右腕を抱え込むようにして倒れこむ上体、軸足の回転、手首の返り、フォロースルー。
 完璧なスライダーだ。自分でもそう思って球筋を眺めた。
 ストライクからボールになる縦へのスライダー。その切れに思わず明石はファンブルしながら受け止めた。その球の切れ具合に明石は一瞬だけ笑みを浮かべた。
 ギャラリー達はその切れにどっと沸いた。
 しかし、感嘆の瞳で見つめるカウラを見つめた後に明石を見れば、その表情はすでに曇っている。つかつかと誠の元に歩み寄ってくると、静かに一言一言確かめるようにしながらつぶやいた。
「いいスライダーじゃ。確かに決め球でこれが来て打たれるようなことはないじゃろ。せやけど、どう相手を追い込む?どうカウントを稼ぐ?ストレートの切れは落ちとる。速さもワシが見た全盛期のワレの15キロは落ちとるじゃろ。受けてみたがあの軽さじゃあ一発食ろうても、文句は言えへん」 
 そう言うと明石はミットを叩いて再び球を受けるべく距離を取ろうとした。
 誠はカウラと要のほうを見つめた。明石の説得力のある説明を聞いてカウラは心配そうに誠を見つめている。その隣でばつが悪そうに目を逸らした要がタバコをくわえている。明華が何か尋ねているようだが要は無視を決め込んだようだ。
 人垣が崩れた。カウラと要の間にわざと割り込んだアイシャ。サラとパーラは二人に謝りながら小走りに近づいてくるアイシャについてきた。
 アイシャが着ているのは野球のユニフォーム。濃紺の帽子にHの文字。左胸には漢字の縦書きで『保安隊』と書かれている。
「さすが先生!いいじゃん!凄いじゃん!あれは打てないっすよ私は。明石中佐!先生借りますよ!」 
 立て板に水でアイシャが明石の背中に話しかける。
「まだこれからじゃ。のう神前の」
 明石はそう言うとミットを叩きながら誠を見つめる。だが、アイシャは今度は明石に向かって歩き出した。 
「ふうん、中佐殿。野球は9人でやるものですよね?サードとセカンドとライトが抜けると言ってもそんな口利けますか?それとショートのシャムちゃんも……抜けるように仕向けても……」 
 明石の顔が急に青ざめる。
「分かった!好きにせい!」
 そう言うと明石はそのままハンガーの方に歩き始めた。その姿にアイシャ、サラ、パーラの三人娘は取ってつけたような敬礼をした。 
「中佐殿!ご理解感謝します!カウラちゃん!あんたも来なよ!先生の部屋。興味あるでしょ?」 
 名指しされたカウラを要や明華と言ったギャラリーが見つめた。注目されて少しうつむきながらカウラは確かに頷いた。
 隣にいた要はタバコを吐き捨てて、ギャラリー達とともにハンガーに消えていった。
「僕の部屋ですか?」
 誠はなにが起きたのかわからないと言うようにアイシャの顔を見つめた。 
「そう!先生のアトリエ。是非、見学させてください!」 
 アイシャは目を輝かせながら手を合わせて誠の慈悲の言葉を待っている。
 誠は少しばかり照れながらも、断っても次に来るであろう上官命令と言う言葉が想像できるので頷くしかなかった。
「アイシャ!良かったね!私もフィギュア職人の部屋って見てみたかったんだ!」
 そう言ってサラも楽しげに微笑む。 
「はいはい、ようござんした」 
 パーラはめんどくさそうに目を輝かせながら誠を見つめているアイシャとサラに声をかける。そんな三人に遠慮するように少し離れた場所でカウラは立ち止まった。
「カウラちゃんも仲間じゃないの!それじゃあ、レッツゴー」 
 そう言うとアイシャはパーラの四駆が置かれている駐車場へと、四人を引き連れて歩き始めた。
「あの、その格好で向かうんですか?」 
 誠は歩き始めたアイシャに声をかけた。
「そうだけど……何か?」 
 あまりにも当然と言った風に答えるアイシャに誠は頭を掻きながら続いた。
「おいおい!靴忘れてるぞ!」 
 誠のピッチングが終わって散っていく整備班員やブリッジクルーを押しのけて島田が走ってくる。
「すいません!今脱ぎますから」
 そう言いながら誠はスパイクの紐に手をかけた。
「脱ぐですって。どう思われます?グリファンの奥様」 
「全く破廉恥極まりないですわね!クラウゼ様」 
 アイシャとサラが楽しげにささやきあう。座ってスパイクの紐を解いている誠は情けない顔をして二人を見上げた。
「サラ、苛めるなよ。大事な後輩君だぜ?逃げ出したりしたら明石の旦那にどやされるぞ」 
 島田は誠の革靴を誠の手前に置いてサラに声をかけた。
「だって誠ちゃんと言えば脱ぎキャラで有名だし……」 
 誠の手の力が抜けた。明石に吹き込まれていたがこれで東和軍全体に『脱ぐ=誠』の図式が広まっていくことだろう。島田は仕方ないと言うようにそんな誠を見下ろしている。
 とりあえず誠は脱げそうになったスパイクを引っ張った。
「手伝う?それじゃあ足をサラが持って、私は先生を持つわね」 
 アイシャの言葉でサラが誠の足を持ち上げてスパイクを引っ張る。アイシャはわざと誠の肩甲骨に自分の胸が当たるような抱え方で誠を引っ張った。
「止めてくださいよ!」 
 背中に意外と思える弾力のあるアイシャの胸を感じながら誠は叫んだ。その言葉に二人が手を離す。そのまま誠の体はアスファルトの上に落ちた。
「だからクラウゼ大尉!こいつ苛めないでって……」 
 島田が同情するように誠の手前で腰をかがめてアイシャを見上げる。
「苛めてなんかいないわよ!ただかわいがっているだけじゃない」 
 アイシャは笑顔でそう答える。島田は同情するような視線を誠に向けながら脱げたスパイクと革靴を交換した。
「じゃあ行くわよ」 
 紺色の帽子を紺色の長い髪の上で被りなおすとアイシャはそのまま歩き始めた。
「アンタの車じゃないでしょ?」 
 そう漏らすパーラの言葉はアイシャとサラに無視された。
 正面玄関と呼ばれて入るが警備部以外の隊員が使うことが無い入り口を通り過ぎて、アイシャ達はその隣に続く駐車場に向かった。
 そこにはこの夏の最新型で八人乗りの四輪駆動車が止まっていた。パーラは勤務服のスカートのポケットからキーを取り出した。
 まるで当然と言うように助手席の扉をサラが開ける。
「待たせたな!」 
 勤務服姿のカウラがエメラルドグリーンの髪をなびかせて走ってきた。
「遅いわよ!置いていこうかと思ってたところなんだから」 
 アイシャがそう言うと誠の手を引いて後部座席に座った。
「もう少し奥に動いてくれ」 
 そう言うカウラにアイシャは体を浮かせて移動する。
 誠はカウラとアイシャにはさまれて座る格好になった。
「モテモテねえ、誠君は」 
 そう言うとパーラはエンジンをかけてすべての窓を開ける。
「クーラーつけないの?」 
「すぐにかけても意味無いわよ」 
 アイシャの言葉に言い返すパーラ。遼州ならではのガソリンエンジンの振動が車内に響いて四輪駆動車が動き出した。
「そう言えば皆さんは……」 
「そうよ、遺伝子操作が生み出した生体兵器の成れの果て」
 誠の質問をさえぎってアイシャが答えた。
 ラストバタリオン計画。
 先の大戦で敗色濃厚になったゲルパルト帝国が兵士不足を補うために作り上げた人造兵士計画が生み出した遺物。
 遼州系では培養ポッドから出た彼女達に更生プログラムを受けさせて市民として受け入れることが多かった。誠と同じ幹部候補にも彼女等の仲間はいた。クローニングを基本とするため製造の容易な女性兵士が多く、彼と同じ教育課程にいたのも女性だった。
 しかし、カウラの態度はなんとなくそこから推測がついたがブリッジ三人娘の馴染みぶりは、誠のこれまでの既成概念を根底から覆すものだった。
「なんで保安隊が私達みたいなのが一杯いるかって聞きたいんでしょ?まあ人手不足の部隊ではよくあることよ」
「そうなんですか……」 
 そっけない誠の返答に眉をひそめながらアイシャは続ける。
「それにリアナお姉さんなんか結婚までしてるのよ!社会との付き合いは問題ありません!」
 アイシャはそう言うとゲートを開ける警備兵に手を振る。 
「え!あ、ああそうですよね。鈴木って東和の苗字ですからね。でも……」 
 その時、彼の横に座っていたアイシャが、誠の手を強く握って言った。
「何?あたし等は結婚しちゃ、恋しちゃだめって言うわけ?ねえ、先生」 
 アイシャが握った手を自分のほうに持ってこようとするので、誠は思わず愛想笑いを浮かべた。
 そんな様子に気がついたのか、反対側に座っていたカウラが鋭い目つきでその二人の手を見据える。
「カウラちゃん、どうしたの?」 
 アイシャは得意げな笑みを浮かべながら対抗意識を燃やした目つきでカウラを見据えた。
「二人とも!車の中だよ!」 
 バックミラー越しに異変に気づいたサラが思わず声を上げたのでアイシャは手を離した。
 誠はほっと一息ついてカウラのほうを見据えた。
 初めて会った時のカウラの気高そうな印象が、次第に誠には不器用さ故の言動のように誠には見えてきていた。
 誠は気の利いた台詞の一つでもひねり出そうとしたが、国語が苦手で私立理系に逃げた彼にはどうしてもいい台詞が思い浮かばない。
「三人とも盛り上がっている所悪いけど静かにしてくれる?」
 パーラが困ったような声を上げた。アイシャとカウラにはさまれて神妙な顔を強要されている誠が外を見た。工場の敷地を出て産業道路と呼ばれる大型車が行きかう道路から外れた小道を車はかなりのスピードで走っていく。
「ラビロフ中尉、こんなに急がなくても……」 
 誠の言葉にパーラがバックミラーに笑みを浮かべた。
「そう言えばカウラは男子下士官寮って来たこと無いんだったっけ?」 
 アイシャがとぼけたようにそう言った。カウラは黙って頷く。
「汚いところですよ。それに建物は古いし」 
「先生。それ言っちゃ駄目よ。サラが島田君に告げ口するわよ」 
 笑いながらアイシャが誠の言葉をさえぎる。 
「もうすぐね」 
 そんなサラの言葉に誠は車が見慣れた下士官寮から最寄のコンビニの隣の信号で止まっていることを確認した。
 ようやく全開で稼動していたエアコンが冷気を誠にも浴びせてくれるようになったばかりだった。だが四輪駆動車は誠のすずみたいと言う欲求を無視してアパートが続く町並みを抜けて下士官寮の駐車場に入り込んだ。
 いつも目を引く技術部の夜勤の隊員の改造車の隣にカウラは車を止めた。
「到着ね」 
 アイシャがそう言うと自分の隣のドアを開いて誠の手を握った。
「降りるわよ」 
 そう言うと強引に誠はアイシャに引きずり出された。
 カウラに視線を送る誠だが、カウラは全く気にする様子もなくそのまま隣のドアを開けて砂利の敷き詰められた駐車場に降り立った。
「パンプスじゃつらくないの?」 
 パーラの言葉にカウラは首を振ると目の前の古ぼけた建物に目をやった。
「これが男子下士官寮か」 
 カウラはそう言うと目の前の四階建ての建物を見つめた。誠にとってはただの古びたアパートである。カウラも特に感慨が無いようで一瞥しただけで鍵を閉めるパーラに目をやった。
「別に変わったところは無いですよ」 
 誠はそう言うとすでに駐車場から道路に出ていたアイシャの後に続いた。
 誠は慣れた様子で玄関で靴を脱いでスリッパに履き替えたアイシャとサラについて寮に入った。玄関にいると日差しが黄色く見えた。夕方は近い。
「誠ちゃんの部屋は二階だったわね」
「じゃあ行きましょう」
 そう言ってようやく靴を履き替えたカウラとパーラを置いてサラとアイシャは階段を登り始めた。二人の闖入には驚かない喫煙室の非番の警備部員もその後ろにカウラがいるのを見つけて珍しそうに腰を乗り出して玄関を眺めている。
「それじゃあ行きましょうか」 
 誠はそう言うとカウラとパーラを連れて階段を登った。
 二階の廊下には人気が無い。ちょうど通常勤務の連中はあと一時間で勤務が終わると時計を眺めている時間だろう。
「早く先生!」 
 誠の部屋の前でアイシャが手を振っている。サラは中腰になってドアノブの鍵穴を覗き込んでいた。
「今開けますから、待ってください」 
 そう言うと誠は腰のポケットから財布を取り出してその中に入れてある鍵を取り出した。
「鍵を財布に入れるのは感心しないな」 
 ポツリとカウラがつぶやく。しかし、すぐさまアイシャとサラがにやけながら彼女を見つめるので黙ってしまった。
 ドアが開いたとたん、待ちきれないと言うようにサラが誠の部屋に飛び込む。
 スリッパをドアのところで脱ぎ散らかすと、彼女は部屋を満遍なく眺めた。
「アイシャの部屋みたい!」 
 サラの第一声はそれだった。書庫に並んだ漫画、フィギュア、プラモ。
 誠の性格を反映するかのように、几帳面にそれは並べられていた。
 カウラとパーラも思わず息を呑んでいた。
「ささっ、そんなに緊張しないで入って」
 アイシャは誠を押しのけるとスリッパを脱いで部屋の中央に胡坐をかいて座り込む。 
「あのー、ここ僕の部屋なんですけど」 
 誠の言葉を聞くまでもなく、カウラとパーラはスリッパを脱いで部屋に入った。
「確かにアイシャの部屋そっくりね」 
 パーラはそう言うとアイシャの隣に正座して座る。カウラは驚いた様子で部屋を立ったまま満遍なく眺めていた。
「じゃあお茶取って来ますから」 
 そう言うと誠は廊下に出た。そして階段を降りると意外な人物が靴を脱いでいるところだった。
 誠達を見送ったはずの島田がそこにいた。
「よう!」 
 スリッパを履くと島田が声をかける。
「良いんですか?島田先輩」
 先任下士官で、技術部の事実上のナンバー三である彼は、この下士官寮の寮長でもある。
「姐御じきじきの頼みでね、お前さん達が馬鹿なことしないようにって派遣されたわけだ」
 面倒見の良い親分肌の島田を明華は非常に信頼していることは、誠もここ数日だけの経験だけでもわかっていた。
「茶でも入れるつもりだろ?夜勤の連中が用意している時間だろうから大丈夫なんじゃないの?」 
 そう言うと島田は誰もいない喫煙所の脇を抜けて食堂へと向かう。誠もそれに続いて二人の技術部員が寂しげに食事をしている食堂に入った。
「そのやかん、麦茶か?」 
 島田の姿を見て二人は頭を下げた。
「ええ、ですがほとんど残りは無くて……これより厨房に一杯に入ってるやつありますよ」 
「そうか」 
 眼鏡をかけた隊員の言葉を聞くと島田は誠に目を向けた。誠はそれが取って来いという合図とわかって厨房に入る。
 流しに置かれたやかんを持ち上げてみると確かに一杯に麦茶が入っていた。だが、やかんを触ってみるとまだ生暖かった。
「ぬるいですよ、これ」
 誠の言葉に島田は呆れたような表情を浮かべた。
「生きてるうちに頭使えよ。氷を入れればいいだろ?そこの冷凍庫にロックアイスが入っているから」
 島田は戸棚から盆を出してグラスを六つ並べる。指示通りに誠は冷凍庫からロックアイスを取り出した。
「じゃあ行こうか」 
 そう言うと島田は食堂を出た。
 階段の手すりに手をかけた島田が立ち止まると振り向いた。
「島田先輩……?」 
 誠は西日に照らされて表情の読めない島田の顔をまじまじと見つめた。
「何も言うな。お前の立場上こういうこともあるだろうということは先刻承知の上だ……、だがなあ……」 
 そう言う島田の肩が震えている。
「先輩?」 
 誠は読めない島田の表情を前にして言葉に詰まった。
「羨ましいぞ!神前!」 
 島田が手すりに伸ばした手を誠の肩に乗せた。
「あ!マサトっちだ!」 
 様子を見に階段から下を眺めていたサラがそう叫んだ。
「ああ、そうですよ!」
 そう言うと島田は駆け足で階段を登る。誠はその後に続いて自分の部屋に入った。
「遅いわよ!」
 アイシャの声に島田は頭を下げながらコップを配る。
 誠も手にしたロックアイスの袋を開けてコップに氷を入れ始めた。
「荷物運ぶ時から予想はついてたけど、濃い部屋だよな?」
 島田は手元に落ちていたアニメショップでもらった団扇で顔を仰ぎ始めた。 
「ほっといてください!」 
 誠はやかんのぬるい麦茶をコップに注ぐ。
「お茶菓子くらい欲しいわね。サラ、あなたよくここに来てるから場所とかわかるんじゃないの?」 
 アイシャの言葉にサラが飲もうとした麦茶を噴出しそうになった。 
「アイシャちゃん!それは言わないでって!」 
 カウラの視線がサラに向いた。
「何だ?サラの奴、誰かと付き合ってるのか?」 
 島田が大きく咳払いをする。誠とカウラはそれを見て笑いあった。彼は当然のようにサラの隣に座って麦茶を飲み干した。サラが麦茶の入ったやかんに手を伸ばそうとするのをアイシャが制してやかんに手を伸ばす。
 二人はパーラに目をやった。
 パーラがどこか浮かない表情を浮かべているのが誠にもわかった。
 カウラもそれを察して立ち上がると本棚や机を触り始めた。
「確かに、アイシャの部屋に似ているな」 
 カウラはそういうと一冊の同人誌を手に取った。アニパロの十八禁漫画、誠の額に汗が噴出す。
 カウラは顔色を変えずに誠に目をやった後、静かにそれを本棚に戻した。
「誠ちゃん!そう言うのは分からない所に紛れ込ませなきゃ」 
 アイシャがニヤつきながらそう言って、擦り寄ってくる。
「アイシャ!」
 パーラが手にしたコップを置くと叫んだ。 
「パーラちゃんたら一度男にだまされたくらいで……それともあれ?嵯峨楓少佐と同じ百合趣味に走るつもり?」 
 サラは困った顔で隣の島田の膝を叩く。島田もアイシャを止めるべきか迷っているようにアイシャを見つめる。
「馬鹿なこと言うんじゃないわよ!あんたと組んでてそんなことしたら、どんな噂立てられるか、それに……」 
 誠はただ呆然と二人のやり取りを見ていた。パーラの目には涙があふれてきている。
「さっきのストレートのことだが」 
 突然机の端に置いてあったはずのボールを持ったカウラが背中から声をかけてきたので、思わず誠はのけぞった。その視線の先で島田が安心したように麦茶を飲み干す。
「なんだ、ストレートですか?確かにコントロールが落ちてるのは認めますが」
 まるっきりパーラとアイシャの険悪なやり取りを聞いていなかったカウラのおかげで部屋の窮地が救われたことに感謝しながら誠はそう言った。 
「そうじゃない。リリースポイントをもう少し前に持っていったほうがいいんじゃないのか?私も春の実業団の予選で先発したが、明石中佐はひたすらリリースポイントを前に持って行けと助言してくれたから球が安定したぞ」 
 カウラは何度かボールを握って誠に見せる。
「そうですね、もう少し球持ちをよくしたほうがいいとは、以前から言われていたのですがどうにも難しくて……とりあえず今度やってみます」
 野球談義で空気が変わったことを感謝するようにアイシャが誠に寄りかかってくる。 
「さすがピッチャー同士、話が合いますなあ。そこでオタク同士の話ですが、原型が無いのね。机はすぐ絵が書ける状態なのに」 
 ユニフォーム姿のアイシャがまた誠にまとわり着いてくる。再び胸が背中に当たるのを感じて誠はパーラの方を向いた。彼女は島田に麦茶を注がせ、サラに団扇で顔を扇がせていた。
「ああ、さすがにフィギュア作りは無理かなあと思って。一応、原型製作のために作ったスケッチならありますよ」 
 誠はカウラの刺すような視線が機になってアイシャから離れて立ち上がった。アイシャはその腕をつかんで一緒に立ち上がる。
 今度は左腕に柔らかなアイシャの感触を感じてカウラを見る。今度はカウラはボールを見つめて右手の上で転がしていた。自然と誠の目はその胸に行く。
 夏季勤務服の薄い生地、そこには平原が広がっていた。
 また、悲しいサガで、パーラの胸を見る。明らかにカウラの平原とは違う盛り上がりが同じ夏季勤務服の下にあることがわかる。しかし、パーラはすぐその視線に気づいてきつい視線を投げかけてきた。
 誠は自己嫌悪に狩られながら作画用の机の引き出しを開けるとスケッチブックを取り出した。相変わらず左腕にアイシャがすがり付いている。
「あの、アイシャさん?いつまで引っ付いて……」 
「そうね!これね!ちょっと見せてもらうわよ!」 
 パーラの汚いものを見るような視線にようやく気づいたのか、アイシャはようやく誠を解放するとうって変わった真剣な表情でスケッチブックを見始めた。
 誠が初めて見るアイシャの目がスケッチブックの絵を見つめている。慎重にページをめくる手も、いつもの軽薄さを感じない。
 そんな姿を察して少し声をかけるのはやめようと、誠は右手でボールの握りを確認しているカウラに声をかける。
「カウラさんて、右投げですよね?」
 その言葉にボールを見つめていたカウラが誠に目をやった。 
「ああ。明石中佐が体が柔らかいならやってみろというので、アンダースローで投げている」
 ボールを何度と無く握りなおしている。誠は机の上にもう一つ置かれていたボールを左手で握ると彼女の前に座った。
「球種は、何を投げますか?」
 カウラの手はストレートの握りから多少指をずらしてみると言う動きを繰り返している。それを誠は見つめていた。 
「まだ始めたばかりだからな。ストレートとシュートだけだ。とにかくコントロールさえ間違えなければどうにかなるというのが、明石中佐の助言なのでな」 
 そう言うとカウラはストレートのボールの握り方で誠の目の前に右手をかざした。
「シンカーとか、ライズボールとか、横だけじゃなくて縦の変化もつけたほうがいいですよ。その方が相手バッターの意表をつけますから。それとチェンジアップ……」 
 そう誠が言いかけた時、いつの間にか部屋から出ていたサラがドアの前で手招きしているのが見えた。気がつけば島田もいなくなっている。
 カウラはそれぞれ誠の言った球種の握り方は知っているらしく、手にしたボールに集中している。
 誠はその隙を突いてサラのほうへと出て行った。
「何ですか……」 
 誠が言いかけた時、サラの隣に人影があるのに気づいた。要が手に携帯用の灰皿に吸殻を落としていた。
「たまたま近くをバイクで流してたら、サラから連絡があってな」
 要が言い訳のように誠と目もあわせずにそう言った。
「ああ、そうなんですか」
「たまたまだからな!」 
 聞かれてもいないのに要は、吐き捨てるようにそういった。
「ここにいたら二人に聞かれるよ。踊り場のほうに行ったら?」 
 サラが気を利かせてそういうのを待たずに、要は身を翻して廊下を先に進んだ。
「西園寺さん」 
 二階の踊り場のソファーにずかずかと歩いていき、どっかと腰をすえる要。誠はそれについていくしかなかった。
「お前のことだからアイシャにからかわれて泣いてるんじゃないかと思ってな。一応お前の上司だし、部下の面倒を見るのが上司の……」
 語尾に行くにしたがって自分の言葉が言い訳じみてくるのが嫌なのか、要は視線を落としてしまった。 
「免停中じゃなかったでしたっけ?」 
 誠の冷静な突っ込みに、烈火のごとく怒った要の顔がこちらを向いた。
「うるせえな!見つかんなきゃいいんだよ!ったく……」 
 要はそう言うとタバコを取り出す。
「あの……喫煙所は一階なんですけど……」 
 誠がそう言うと要はきつい視線を誠にぶつけた。
「馬鹿野郎!どうせ島田のアホが決めたことだろ?アタシは中尉だ。あいつの上官だ。なんであいつの決めたルールを守んなきゃいけないんだよ!」 
 そう言いながら携帯灰皿をテーブルに置いて要はタバコをふかした。
 廊下の奥から顔を出した島田は要の目に入らないように足を忍ばせて顔を覗かせている。
 明らかに自分を見殺しにしようとしている島田を見つめて誠は泣きそうな表情を浮かべた。島田は手をあわせるとその後ろから顔を出そうとしているサラを押しとどめて自分の部屋に引きずって行った。
 要はソファーの上で足を組みながら天井にタバコの煙を吐き出す。
「ったく贅沢だぜお前等。士官は自分で住処を探すのが規定なんだぜ、ったく……」 
 要はそう言うとくわえていたタバコを携帯灰皿に押し付け、すぐさま次のタバコに火をともす。
「すいません」 
 なんとなく気が咎めて頭を下げる誠を要が鋭い目つきでにらみつけた。
「オメエ、馬鹿だろ。オメエが決めた規則じゃねえんだ。何でも謝るのは悪い癖だぜ。特にこの仕事続けるなら自分が原因でも喧嘩を売るぐらいの気迫がねえとやっていけないぞ!」 
 怒鳴りつけられて誠の気分はさらに沈んだ。
 熱くなった自分を反省するように要は深呼吸をする。そして黙ってうつむいている誠を見ながら、要は髪の毛を掻きながら静かにつぶやいた。
「悪かったな」 
 本当に小さな声だった。誠は彼女が何を言おうとしているのかわからなかった。ただ明らかにこれまでの横柄な要らしい態度から急変して頬を朱に染めて下を向いている要が目の前にいる。
 その信じられない光景にしばらく誠は動けなくなっていた。
「聞こえねえのか?悪かったって言ってんだよ!」 
 下を向いたまま要が叫ぶ。まだ誠には要が何でこんな行動に出ているのかわからなかった。
「あのー、何の話ですか?」 
 誠がそう言うと要は急に立ち上がってくわえたタバコの煙を吐き出しながら襟首をつかんで誠を力任せに壁に押し付けた。
「皆まで言わせんじゃねえよ!この前のオメエが人質になった時のことだよ!」
 そこまで言ってから要は自分のしている行動が謝ろうと言う意思とはかけ離れていることに気付いて誠の襟首から手を離した。
 誠は要から解放されてほっとしながら、彼女が謝ろうとしていることに気付いて伏し目がちな要を見下ろした。
「あの時オメエのこと……」 
 どうにも自分の心を伝えられないもどかしさに頭をかきむしる要は意を決して誠を見上げた。
 それでもその先にある誠の視線に気づくと要はまた顔を下に向けた。
「ともかく、あん時はアタシも強引過ぎた。それが言いたかっただけだ……」
 そう言うと要は再びソファーに身を投げてタバコをふかした。 
「ツンデレだー!」 
 要が腰掛けていたソファーの後ろから緊張感の無いシャムの声が響いて、要は目を白黒させて立ち上がった。振り返った要はキッと目を見開いてシャムの方を見つめるが次の瞬間腹を抱えて笑い始めた。
 誠もあわせてそちらのほうを見つめた。そして意識が凍りついた。
「あのー、シャム先輩?その黄色い帽子とランドセルは何のつもりですか?」 
 そこには黄色い帽子に赤いランドセル姿のシャムがいた。さらに着ているのは熊の絵の描かれた白いタンクトップにデニム地のミニスカートである。その格好が身長138cmと言う小柄で童顔なシャムにはあまりにもはまりすぎていた。
 誠の質問に首をかしげているシャムがようやく誠の質問の答えを見つけたというように微笑んだ。
 その答えは予想できたが、誠はそれが外れてくれるのを心から願っていた。
「小学生!」 
 最悪の答えが返ってきた。誠は頭を抱える。確かにシャムの言うとおりどこから見ても小学生だった。
 階段を上がってきて誠と目のあった明石が他人の振りを装うように口笛を吹いている。
「明石中佐……」 
 誠は呆れるというよりあきらめていた。
「ワシに聞くな!こいつはこういう奴じゃ!言いたいことはそんだけじゃ。それよりいい話があんねんけど、島田とエンゲルバーグには連絡してあるはずだが……」
 シャムを視界に入れないように注意しながら明石が巨体を揺らして階段を上がってくる。 
「エンゲルバーグって人いましたか?」 
 聞きなれない響きに誠は首をかしげた。当然できるだけシャムを見ないですむように視線を落とさずに明石のサングラスを見つめることは忘れなかった。
「ヨハンのデブのことだよ。さっき厨房で大量のソーセージ抱えて歩いてたぞ?」 
 要が吐き捨てるようにそういうと、誠の部屋のほうに歩き始めた。
「何が始まるんですか?」 
 誠は空気が読めずに明石にそうたずねた。
「野球同好会が野球部に昇格したお祝いじゃ。幸い、ここの個人部屋は贅沢なくらい広いよってに」 
 そういうと手にした一升瓶を掲げる。
「わかってるじゃんタコ。じゃあ宴会の準備しに行こうぜ!」 
 ようやく自分の言いたかったことを言えて安心したように、要が誠の肩を叩いて誠に部屋に戻るように促した。
 三人はそのまま誠の部屋に向かった。
「置いてかないでよ!」
 なんちゃって小学生スタイルのシャムは彼らに無視されているのに気がついて三人を追いかけた。
 誠が自分の部屋の扉を開くといつの間にか吉田までが座っていた。
 彼はアイシャが開いている誠のスケッチブックをにやけながら覗き込んでいた。
『ビール到着しました!』 
 島田は瓶、サラは缶のケースを抱えて誠の部屋に転がり込む。さらにその後ろには野球部の一員である管理部の経理課長菰田曹長がコップを持って入ってきた。
「はーい!ビール行きたい人!」 
 サラの声に誠と吉田が素早く手を上げる。
 アイシャはようやく誠の描く美少女系の絵から目を離して手を上げた。それを眺めていたパーラも手を上げる。
 菰田は彼らにコップを配って回る。そして瓶の栓を開けている島田からビールを受け取ったサラは次々とビールを注いで回った。
「あの、いつも思うんですけど吉田少佐?何処から入ったんですか?」 
 誠が至極まっとうな質問をする。
 吉田はビールを一口で飲み干すとすぐ窓のほうを指す。閉められた窓の下にはロープが一本落ちている。
「吉田の……。ワレはまともに玄関から入るいう発想は無いんかいな?」
 菰田のコップに日本酒を注ぎながら明石のどら声が響く。 
「タコ。人生は楽しまなきゃねえ」 
 そう言いながら吉田は島田にカラのコップを差し出す。
 仕方ないというように島田がビールを注ぐ。
 入り口の近くに座って日本酒を飲んでいる菰田の後ろに現れたシャムが、サラから耳うちをされるとそのまま部屋を出て消えていくの誠にも見えた。
 そんな八畳の部屋に集まった人の熱気に気付いた誠が、エアコンのリモコンを取りに本棚に背を持たれかけて日本酒を飲んでいる要の背後の棚に手を伸ばした。
 視線が誠と合った要。彼女は一口日本酒を口に含んで立ち上がった。
「機械人形が良いこと言った!神前!とりあえず飲め!イッキだ!」 
 要が吉田が自分用に確保してあるビールの缶を横取りすると誠の頬に突きつけてそう叫んだ。
 全員が嫌そうな顔を要に向けたとき、シャムが袋菓子を一杯に手に持って現れた。
 アイシャが素早く手を伸ばす。のり塩のポテトチップス。サラはそれを見てうらやましそうな表情を浮かべた後、残っていたコンソメ味のポテトチップスを確保した。
 島田が気を利かせてポップコーンとうす塩味のポテトチップスの袋を開いて誰でも食べられるように拡げた。
「気がきくじゃねえか」 
 そう言うと要はポップコーンを一握りつかんで口に放り込んだ。
「アイシャ、さっき要ちゃんねえ……」 
 シャムはそのまま手招きするアイシャの隣に座るとアイシャの耳に口を寄せた。
「シャム、埋めるぞ貴様!」 
 要の剣幕ににんまりと笑顔を浮かべるアイシャ。
「要ちゃんそんなに焦ってどうしたの?」
 アイシャはそう言うとビールを飲み干して島田にコップを差し出す。
「神前、お前も少しは手伝えよ」
 そんな島田の言葉に立ち上がろうとした誠だが、要が無理やり引き倒したのでアイシャの膝元に転がった。 
「誠君も知ってるんだよね!」
 倒れたまま声をかけられた誠。彼の左手を握り締める要の手に力が入っていくのを感じて誠は必死に首を振った。
「二人とも変なの」
 そう言うとアイシャはビールを飲み干した。
「はい、ビール」 
 島田がパーラに瓶を手渡し、それは倒れている誠の目の前に置かれた。誠はようやく要が左手を離したので起き上がるとそのままビールをアイシャの差し出すグラスに注いだ。
「島田。飲めない人間がおるんじゃ。ジュースか何か買ってくるくらいの気い使っても良かったんと違うか……」
 明石がそう言うと窓の下に座り込んでいる吉田が口を挟んだ。 
「麦茶もあるしいいんじゃねえの?そういう自分だって持ってきたのは日本酒じゃねえか」 
 吉田と明石がにらみ合う。
 再びドアが開くといつの間にか場を抜けていたサラが現れた。
「お待たせしました!ちゃんとベルガー大尉用に烏龍茶もありますよ!」
 サラがペットボトルの烏龍茶を持って現れてカウラの前にあるコップに烏龍茶を注いだ。
「おい!シャムが食いすぎてつまみが無いぞ!アイシャ、それを供出しろ!」 
 すっかりビールのアルコールで機嫌の直った要が、そういってアイシャを睨み付ける。
「なによ!これは私が食べるのよ」 
 そう言って無理やりポテトチップスを口に突っ込むアイシャ。
「二人とも喧嘩しないでよ!もうすぐエンゲルバーグが……」 
 割って入ろうとするサラの一声に空いたままの扉から声が響いた。
「ヨハンです!ヨハン・シュペルターです!」 
 恰幅のよさでは部隊随一のヨハンが、ボール一杯のソーセージを持って入り口に仁王立ちしていた。
 彼はそのまま食べつくされた部屋の中央のつまみ類をどかすと、湯気を上げている何種類もあるソーセージの盛り合わせを置いた。
 シャムが素早く黒い斑点が透けて見える大きなソーセージをキープする。カウラもつまみに手を出さなかったから小腹がすいているようで、赤い辛そうなのを手に取ると口に入れた。
「なんか狭くないか……若干二名のせいで」 
 要はそう言って、明石とヨハンを見回した。
「うるせえ!この部屋にこんな荷物持って来とる神前が悪いんじゃ」
 そう言うと明石は立ち上がる。
 場の流れを読んで島田が空いているグラスにビールを注いで回った。
「それじゃあ改めて、遼州保安隊野球部設立を祝して、乾杯!」 
 この明石の声を合図に誠の部屋での乱痴気騒ぎが始まった。


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