それから誠の『歓迎会』と称する5日連続の饗宴が仕事が終わるたびに開かれた。 2日目はマリアの警備隊のウォッカ攻め、理性が崩壊するのに30分とかからなかった。 次の日は明華の技術部のイッキ強要、気がついたときには下士官寮の自分の部屋に裸で寝かされていた。 次の管理部はシンがイスラム教徒と言うこともあって、酒ではなく十数種類の味のカレーを並べられると言う攻撃を受けた。少なくともこの日が休養になる筈だったが、調子に乗って胃腸が壊れかけているところに馬鹿食いして腹を下した。 そして最後が酷かった。誠は運用艦『高雄』の艦長のリアナのリサイタルで繰り返される電波系演歌に付き合わされて、徹夜した自分を偉業を成し遂げたように褒めてあげたいと思った。そしていつの間にか夜中には消えていたブリッジクルー達を恨みながらハンガー前まで来た。 「出たな!怪人!」 特撮ヒーローの格好をしたシャムがいきなりそう言うと襲い掛かってきた。ただ反撃も出来ず、突然の出来事に誠は当惑していた。周りの整備班員もいつものことだと言うように見向きもしない。ただ軽いフットワークでファイティングポーズをとる小さなシャムに呆れていた誠。 「止めだ!必殺!切りもみシュート!」 少し間合いを取ったシャムが勢いをつけて走ってきての飛び蹴りが誠の顔面に入った。誠はぶっ飛ばされてハンガーにしたたか頭をぶつけた。騒ぎを聞きつけて整備員と機体のチェックをしていたカウラが駆けつけて来るのが見えたが、誠はただぼんやりと勝利を気取るシャムの後姿を見るばかりだった。 「大丈夫か!神前少尉!」 カウラの悲しげな叫びが心地よく聞こえるのを感じながら誠は意識を失っていった。
「ごめんなさい……」 シャムがすまなそうに詰め所の応接用ソファーに横になっている誠に向かって頭を下げた。隣に立っている要は軽蔑するような視線を目覚めたばかりの誠に向けてくる。そのまま穴にでも隠れてしまいたい。誠はそう思いながら手で顔を覆った。 「ったくだらしのない奴だぜ。どうせシャムの飛び蹴りなんてまっすぐしか狙ってないんだから簡単にかわせるはずだろ?それを直撃食らってのびましたーなんて。それでよくウチに来たもんだな」 心配そうな顔を誠に向けていたカウラが要をにらんだ。 「西園寺!言いすぎだぞ!」 「へいへい、隊長さんは部下思いでいらっしゃること」 そう言うと要は不満げに自分の机のところにまで戻ると椅子に乱暴に腰掛け、机の上に足を乗っけた。椅子のきしむ音が響く。誠は自分がいる場所がわかって安心すると、そのまま上体を起こした。 そして誠は詰め所の中を改めて眺めてみた。 時代遅れの事務机、書棚には『始末書・西園寺要』と書かれたファイルが並んでいるのが目に入る。シャム以外の第一小隊の面々は明石が難しそうな顔をしてクロスワードパズルを解いている。その隣の吉田は要と同じく足を机の上に乗せて、風船ガムを膨らませながら貧乏ゆすりをしていた。 まったくこれが遼州系最強の機動実働部隊の詰め所の風景とはとても思えなかった。 せめて自分くらいは……そういう思いが誠を奮い立たせて、痛む首筋をさすりながらソファーから起き上がらせた。 「大丈夫か?」 心配そうにカウラがよろける誠を支える。 「なんだ、心配することないじゃん。それにしても暑いなあー……こういう時、新入りなら何かしようって思うんじゃないのかなあ……」 暑さで不機嫌な要が大声を上げる。 「西園寺!貴様!」 立ち上がろうとする誠を制するとカウラは要の席の隣に立ち机を叩いた。 「良いんですよベルガー大尉。食堂に行ってアイス取って来ます」 そう言うとカウラの心配そうな顔をこれ以上曇らせまいと誠は立ち上がった。 「そりゃ無理だ。どこかのチビが昨日全部食っちゃったからなー」 そんな要の言葉に明石と吉田も顔を上げてシャムの方を見つめた。 「えー!あたしが悪いのー?」 シャムが不満そうにそう叫んだ。 「そうだ、お前が悪い。もう一回、明華の姐さんのところ行って謝って来い」 足を机から下ろして吉田がそう言った。隣で明石が腕組みをしながら頷いている。 シャムはそのまま潤んだ瞳で誠を見つめる。どう見ても子供にしか見えない彼女にそんな目で見られることは誠には耐えられなかった。 「分かりました!工場の生協まで行けばいいんですね!シャム中尉、バイク借りますよ」 「それなら俺はカキ氷……出きれば着色料バリバリの奴で」 すかさず吉田が叫んだ。 「じゃあワシはモナカ。小豆じゃなくてチョコだぞ」 そう言うと明石はクロスワードパズルを再開する。 「アタシはチョコの奴ー!」 鳴いたカラスと言う風に、すっかり元気になったシャムが元気良く答える。カウラはオロオロとそんな様子を見ているだけだった。 「カキ氷とモナカとチョコアイスですね。西園寺さんは何にしますか?」 誠は半分むきになってきつい調子でそうたずねた。しばらくの沈黙の後、眼を伏せるようにして要はつぶやいた。 「イチゴ味の奴」 カウラはぶっきらぼうな要の言葉に肩をすくめた後、財布から一万東和円を取り出して誠に渡した。 「じゃあ私はメロン味のにしてくれ。これで間に合うはずだ」 誠はなぜか釈然としない空気を抱えたまま詰め所を後にした。 詰め所を後にした誠はそのまま廊下を歩いていた。途中の喫煙所と書かれた場所のソファーで嵯峨がのんびりとタバコを燻らせている。 「タフだねえ。シャムのキック食らったって言うのにお使いか何かかい?」 いつもの間の抜けた調子で嵯峨がそう尋ねる。 「まあ一応新入りですから」 急に話しかけられて少し苛立っているように誠は答えた。 「そうカリカリしなさんな。あれであいつ等なりに気を使ってるとこもあるんだぜ。どうせお前のことだから、断りきれずにこれからも買出しに行くことになるだろうからその予備練習って所だ。それとこれ」 そういうと嵯峨は小さなイヤホンのようなものを取り出した。 「何ですか?これは」 「補聴器」 口にタバコをくわえたまま嵯峨はそう言い切った。 「怒りますよ」 強い口調の誠に嵯峨は情けないような顔をすると吸い終ったタバコを灰皿に押し付けた。 「正確に言えば、まあ一種のコミュニケーションツールだ。感応式で思ったことが自動的に送信されるようになっている。実際、金持ちの国では前線部隊とかじゃあ結構使ってるとこもあるんだそうな。まあ東和軍はコストの関係から導入を見送ったらしいけど」 誠はそう言う嵯峨の言葉を聞きながら渡された小さな機械を掌の上で転がしてみた。確かに補聴器に見えなくも無い。そう思いながら嵯峨の心遣いに少し安心をした。 「ああ、そうですか。ありがとうございます」 誠はそういうと左耳にそのイヤホンの小型のようなものをつけた。特に邪魔になることもなく耳にすんなりとそれは収まる。 「なんだか疲れているみたいな顔してるけど……大丈夫か?一応、お前は俺がここに引っ張り込んだんだ。何かあったら相談乗るよ」 親身なようで無責任な調子でそう言うと、嵯峨は再びタバコに火をつける。誠は一礼するとそのまま管理部の横を通り過ぎてハンガーの方へ向かった。 誠は取ってつけたようなハンガーへ降りる階段に足をかける。 「神前君!さっきは災難だったわねえ」 解体整備中の黒い四式の左腕の前で指揮を取っていた明華が、どたどたと階段を駆け下りてきた誠に声をかけてきた。 「別にあれくらいたいしたことないですよ。一応、野球で首とかは鍛えてるんで」 首を左右に回してみながら誠はそのまま階段を降りきった。 「それに昨日はリアナのリサイタルに付き合ったんでしょ?パーラが感心してたわよ、よく逃げずに朝まで付き合ったって」 先日の技術部の宴会で紹介された下士官寮の寮長、島田に仕事を任せて明華が歩いてきた。 「ああ、それですか。確かに疲れましたがリアナさんの歓迎の気持ちを無碍にも出来ないですから……」 「偉い!そんなこと言ったのあんたが初めてじゃないの?みんな途中でなんか理由つけて逃げるからリアナも結構傷ついてるんだけど、そこまでの配慮が出来るとは……あんた結構ウチに向いてるかもよ」 明華はそう耳打ちすると再び作業の指揮へと戻っていった。誠はそのままハンガーを出て舗装された道の向こう側の表の広場のような場所に出た。 配属初日にはそこはバーベキュー場だったが、良く見れば丁寧に馴らされた土を見ればそがは野球のグラウンドであることがわかった。バックネットやマウンドの盛り上がりもあり、野球好きな明石中佐が中心となって練習する光景が想像できた。 「もう、僕は投げないんだけどな」 誠はそう独り言を言うと、そのまま手前の舗装された物資搬入通路を抜けて裏の駐輪場まで歩いていく。島田の巨大なバイクの隣に置かれたシャムのスクーターにまたがる。そしてシャムから借りたキーをねじ込んでエンジンをかけた。 「ヘルメットか……。まあ取りに行くのも面倒だな」 誠は独り言を吐くとそのまま正門の方へとハンドルを向けた。 警備室でいつものように部下を説教しているマリアに一声かけると、誠はバイクを走らせて工場の統括事務所の隣にあるこの工場の生協に向かった。何台もの車とすれ違ったが、菱川重工の私有地である路上でノーヘルの誠を咎めるものはいなかった。 地理勘には比較的自信があったので、すんなりとロードローラーのラインが入っている巨大な建物を抜け、エンジンの積み込みのため通路を横断する戦闘機を乗せた荷台をやり過ごし、圧延板を満載したトレーラーを追い抜いて、ちょっとしたスーパーくらいの大きさのある工場の生協にたどり着いた。 ラインの夜勤明けの従業員で、食料品売り場は比較的混雑していた。若い独身寮の住人と思われる作業服の一群が、寝ぼけた目をこすりながら朝食の材料などを漁っている。それを避けるようにして誠は冷凍食品のコーナーに足を向けた。そしてその片隅に並んでいるアイスの棚の前で足を止める。 「カウラ大尉はメロン……ってとりあえずシャーベットがあるな、西園寺中尉はイチゴのカキ氷でいいかな?」 誠は自分自身に言い聞かせるようにして独り言を口にしながらアイスを漁っていた。 アイスを漁りながら腰をかがめていた誠がいったん背筋を伸ばして目を正面のロックアイスに向けた時、後ろに気配がした。 振り向く前に、硬く冷たい感触を背中に感じた。誠の頭の中が白くぼやけた。 「声を出すな。仲間がすでに出入り口は抑えている。もし騒げばこのビルは血の海になるぞ」 低い男の声が誠の耳元に届く。 誠は手にしていたアイスを静かに置くと、手を挙げて無抵抗の意思を示した。寝ぼけたライン工達が、営業マン風の背広を着た男のことを不審に思わないことは明らかだった。さらに自分はあの保安隊の作業服姿だ。誠は保安隊隊員のはちゃめちゃな武勇伝はこの数日で散々聞かされていた。誠達を見つけたところで保安隊の馬鹿共がまたふざけて遊んでいるとしか思われないだろう。 もう一人の懐に手を入れた背広の男が誠についてくるように促す。誠は黙ったまま静かに彼の後ろに着いて行った。 生協の正面にはこんな工場の中には似つかわしくない黒塗りの高級車が止まっていた。誠はその中に、突き飛ばされるようにして放り込まれた。 すでに運転席にはサングラスの若い男が待機しており、三人が乗り込むと車は急発進した。挟み込むようにして座っていた銃を突きつけている男は、素早く誠に布でできたシートをかぶせた。相変わらず硬い拳銃の銃口の感触を感じながら、割と自分が落ち着いていることを不思議に感じながら誠はじっと息を潜めていた。 「あんちゃんよう。別に俺等はあんたに恨みがあるわけでもなんでもないんだ。クライアントからあんたを連れて来いって言われてね。まあ俺等のことは恨まないでくれよ。騒がずにクライアントに届けることが出来れば、ウチの組織の仕事はおしまいと言うわけだ。それまでの間、仲良くしようじゃないか?」 視界をふさがれている誠の隣で背広を着ていた男が穏やかな調子でそう話した。誠から見ても慣れた段取りは彼等が「東都戦争」と呼ばれた暴力団同士の抗争劇を生き抜いてきた猛者達であることを証明していた。誠は無駄な抵抗をやめて静かに昔のことを思い出すことにした。 誠は昔からあまり気の強いほうではなかった。中学時代も漫画研究会に入りたかったのに、その体格と少年野球の経歴から野球部に入れさせられた時も、何も抵抗できなかった。いつの間にかエースとなり東都大会で準優勝した時、野球の名門校でなく地元の公立の進学校に進んだのが野球部の監督に対する唯一の抵抗だった。 そこでは期待もされない弱小野球部と言うこともあり漫研との掛け持ちも出来たが、彼の加入で妙に勢いづいた父兄会の後押しで、好きな漫画からも遠ざけられて、ひたすらランニングとキャッチボールに明け暮れる日々だった。 ざるに近い守備では東東都大会準々決勝まで残ったのが奇跡だった。それなりに勉強法と言うものだけは知っていたので、理系の単科大学の雄、東都理科大の工学部に進んだが、そこでも先輩からの野球部入部の誘いを断れなかった。 6部リーグと言う中間のリーグでは彼はそれなりのピッチングが出来た。周りがもてはやすのに乗っかって3年の秋、調子よく勝ち進んで3部リーグ昇格の入れ替え戦まで来たとき肩に違和感を感じたのが最後だった。 メスを入れた肩では球速が20キロ落ちていた。それまで三振を取れたスライダーがあっさりとはじき返され、弱気な配球は四球の山を築いて監督を落胆させた。そうしてスカウトからも見放され、就職活動もする気にならず、ただ実家の剣術道場の師範代だった嵯峨の言われるままに東和軍に入って……。そのまま誠は朦朧とした意識の中、時間を浪費していた。 押さえつけられた姿のままで何度と無く車が加速したり止まったりすることを感じながら誠はじっとしていた。豊川の田舎町から東都の都心部にでも入ったのかと、まるで他人事のように考えていた。 「着いたぞ。とりあえずしっかりと目隠しをさせてもらうぞ」 先ほどの男はそういうとシートの下の誠の顔にさらに布の袋をかぶせた。 『また、捨てられるのかな』 そんな言葉が脳裏に浮かんでは消えた。 空調の効いた車内から袋を頭にかぶせられたまま誠は降ろされた。生ぬるい空気と耳に響く喧騒。東都のどこかと言うことは推測ができた。跳ね返りの熱で全身から汗が噴出す。そんな誠に声をかける人はいない。 初めて誠は恐怖と言うものを心の奥から感じた。 彼等は自分を殺すのだろうか?さっきの口振りでは、すぐに殺すということはないはずだ。そう思う誠はとりあえず状況を確認しようとするが、布でさえぎられた視野のため、足元の崩れかけた階段以外誠の目に入ってくるものはない。男達は誠を両脇で挟みつけたまま、時折小声でやり取りをしながら誠を小突きつつ階段を登った。 男達の誠を前へ進めるために小突く動作が止まった。袋をかぶされて見えないが、建物のドアを空けようと言うらしい。 開いたドアから冷気が漏れる。空調は効いているらしい。誠が後ろで扉が閉まるのを感じたところで袋が頭からはずされた。 廃墟のようなビルだった。埃だらけのフロアー。階段の隣に割れたスナックの看板が残っているところから見て、かつては雑居ビルだった廃墟に連れ込まれたことはわかった。 「お客さんだ。頼むぜ」 背広の男が奥に向かって怒鳴ると、腰に拳銃をつるした若いポロシャツの男と紫のワイシャツに紺色のスラックスをはいた中年の男が、手錠を持って部屋から現れた。 「しばらくここでじっとしていてくれよ」 初めに誠に拳銃を突きつけた男が、銃口を誠に向けたまま二人に誠を押さえさせる。男達はにやけた笑いを浮かべながら誠の両腕を後ろに回して手錠をかけて、階段に向けて誠を突き飛ばした。 「そのまま上がれよ」 そう言われて誠はアロハの若い男に続いて階段を登る。 「なんでこんな野郎の世話しなきゃならないんすか?」 ポロシャツの男はそう言いながら二階に上がったところで誠のふくらはぎを蹴飛ばした。 誠はそのままバランスを崩すが、今度は髪の毛を紫のワイシャツの男に引っ張られて直立させられる。誠が古びた全面ガラスのかつてのスナックのドアの中を見ると、男達がテーブルの上に酒瓶を並べて談笑しているのが見えた。 「ちょろちょろ余所見するんじゃねえよ」 再びポロシャツの男が誠の襟元をつかむと三階に向かう階段に誠を引き立てていく。急に冷気が薄くなり、コンクリートの熱せられた香が誠の鼻をついた。 人気の無い三階のフロアーを素通りして四階に向かう階段に引き立てられる誠。 四階は事務所の跡のようで廊下に連れ込まれた誠の前に三つの扉が目に入った。銃を突きつけている背広の男はそのまま一番奥のドアを開けて中に誠を蹴りこんだ。 誠は転がされたまま静かに周りを見回した。 小さな小窓から日差しが入っているところから見て、それほど時間がたっているわけではないことから東都からそうはなれていない場所であることは分かった。遠くで車の走る音がすることが、少しばかり誠に安心感を与えた。そしてじっと室内を見る。 古びた壁のしみや、天井の壊れた電灯。東都生まれの誠には、こんなビルが並んでいる地区はいくつか心当たりがあった。 かつてこの遼州星系では大きな戦いが幾つもあった。 第二次遼州戦争、遼南内戦、大麗革命、胡州動乱、外惑星紛争。 中立路線と抜きん出た経済力により彼の生まれた国『東和共和国』は、どの戦争にも直接参戦することはなかった。しかし何百万と言う難民が、この平和なことがとりえの東都にも押し寄せ、東和の沖の埋立地に住み着いてスラムのようなものを作った。それが『東都租界』と呼ばれた島である。そしてその対岸の湾岸地区は密入国者とそれを手引きするブローカー。そして再開発を狙う不動産業者などが土地を買い取り、とても治安の良い東和とは思えない海浜地域と呼ばれる不法地帯が生まれた。 そんな地区は東都生まれの彼でも踏み入れることが避けられた魔窟となり、シンジケート同士の衝突、誠の学生時代『東都戦争』と呼ばれたシンジケート同士のの抗争劇の舞台となった。 たぶんそんな地区の一つに、今、自分はいるんだ。誠はそう認識できる程度の心の余裕はあった。 「どうなるんだろうなあ?」 誠は不安を紛らわすために、自分で声を出してそう言った。 保安隊の隊員の誘拐略取。それなりの武装をしている彼等は自分達で誠をどうこうするつもりは無いようだった。 誠の誘拐を依頼した『クライアント』に誠の身を引き渡すまで護衛してくれるだろう。それまでは自分の命がなくなることない。それから先は……、誠は考えるのをやめた。その方が賢明だろうというくらいの理性は、まだ彼に残っていた。 手錠が手首に食い込んで傷む。そんな彼を無視するかのように誠を看視している男の鼻歌が誠の耳にも届いていた。 部屋に転がっている体を起こした。そして自分が誘拐される理由を考えてみた。保安隊への意趣返しの線はなかった。それならクライアントに依頼された彼等は誠を殺していることだろう。 クライアントがテロリストや非合法の武装組織ならば、東和の司法組織に身柄を拘束された同志の解放を求める為という線も無いではないが、同盟直属のまだ実績の無い司法機関の隊員を交換のカードに使う意味が誠にはわからなかった。 誠はそこまで考えてみたが結論は出ない。そのまま高い格子戸からさしてくる光を見ながら誠はとりあえず体を休めようと横になろうとした。 その時、突然ドアの前で大きな物音と、男のうめき声がした。そして銃声が二発。誠は身を起こしてじっとドアを見つめた。 ドアを撃つ銃声がして、扉が蹴破られると、そこには戦闘服姿の要が拳銃を構えて立っていた。 「はーい、囚われの王子様。円卓の騎士がお迎えにあがりましたぜ!」 笑顔を向ける要だが、誠には彼女の顔よりもその足元に頭を吹き飛ばされた死体が転がっている方に目が行った。 「んだ?アタシが助けたんだぜ、見るならアタシの顔でも見ろよ」 そう言うと要は誠の顎をつかんで顔を近づける。 「手錠か。ちょっと待てよ」 そう言うと要は素手で手錠の鎖をねじ切った。彼女がサイボーグであることを改めて感実感する誠。そんな中、下の方でアサルトライフルの一斉射と思われる射撃音と、それに反撃するような銃声が響いてきた。 「カウラの奴、いいタイミングで始めてくれたな。新入りちょっと待て」 要はそう言うとポロシャツを着た死体のホルスターから拳銃を奪い取った。 「酷い銃だが無いよりましだ。お前も軍人なら、自分の身くらい自分で守れ。とりあえずアタシについて来い、カウラの奴と合流する」 要はそう言い残して廊下に飛び出した。 すぐに三下がここでの出来事に気づいたのか、驚いた表情で飛び出してくる度に、要は迷うことなくその顔面に二、三発の銃弾を正確に浴びせかけた。誠はその度にあがる血飛沫に次第に心が冷えていくことを感じていた。 「……俺、俺、俺……」 階段手前でサブマシンガンを持った相手の掃射で身動きが取れなくなったところで、誠は恐怖のあまり自然にそう呟いていた。 「そんなに怖えか?ならウチなんざ辞めちまえ!」 拳銃のマガジンを換えながら、吐き捨てるように要は呟いた。 我を取り戻して誠が要を見つめると、そこにはこれまでと違う、どこか寂しげな表情を浮かべた要の姿があった。 だが銃のスライドが発射体勢に入るとそんな要の表情も一瞬で変わる。まるで鉛のように感情を押し殺した瞳だと誠は思った。 「おい、新入り」 要じっと自分を見つめている誠を見た。 口元には笑みが浮かんでいる。 『この人はこの状況を楽しんでいる?』 誠はそう感じて背筋が寒くなるのを感じる。だが、要はそんな目で自分を見つめる誠に何かを言うわけでもなく、素早く現状を頭の中に叩き込んだように視線を階段の下で待ち構えているチンピラ達へと向けた。 「素人に鉄砲だな。向こうに廊下が見えるだろ?次の掃射でアチラさんのマガジンは空になるから背中を叩いたら飛び出して向こうまで行け。そこで勘違いをして一斉射してくる馬鹿をアタシが喰う」 誠の前には楽しそうにこの状況を見つめている要の姿がある。死線を抜けてきた計算高い殺し屋の目と言うものはこう言うものかもしれないと誠は思った。そしてそんな瞳の要の言葉に、逆らう勇気は彼にはなかった。 階下でのアサルトライフルの射撃音が上がってくる。時折、その銃撃戦で弾丸を浴びたチンピラの断末魔の叫び声が混じり始めた。焦っているのか、見えもしない誠達に下にいるチンピラはセミオートに切り替えてけん制するように誰もいない壁に向かい発砲する。 「アマチュアだな。弾の無駄だぜ」 そう言うと要の口元に再び笑顔が戻る。残酷なその笑顔を誠は正視できなくなって、誠はひたすら背中を要が叩くのを待った。 階下のチンピラ達の悲鳴が止んだ。 変わりに拳銃の発射音が十秒ごとに繰り返される。ようやく発砲が弾の無駄と気付いた下のチンピラが相談を始めた。誠も彼らが二人で予備のマガジンを後一本しか持っていないと言う話を聞き逃さなかった。 その時、要が誠の背中を叩いた。はじかれるようにして誠は走った。すぐに気づいた階下の二人が掃射を始める。弾は正面の故障しているらしいエレベータの壁にめり込む。そのまま誠はトイレのドアの前に張り付いて、やり遂げた顔をして要のほうを見ようとした。 不意に誠は後ろのトイレのドアが開いたのを感じた。振り向くまでも無く誠の背後に立った男に腕を握られる。そしてこめかみに硬く冷たい感触が走った。 誠の視界の限界地点にある鏡には彼を拉致してきた背広の男の姿が映し出されていた。 「だめじゃないか?商売もんが外に出てきちゃ。おい!そこの姉ちゃん!銃を捨てな!こいつの頭が無事でいて欲しいだろ?」 背広の男はそう叫んだ。 しかし、要の拳銃の銃口は微動だにせず、誠のほうに向けられたままだった。誠は恐る恐るその口元を見た。 要はまだ笑っていた。 「西園寺先輩!死にたくないです!俺はまだ……」 誠は銃を突きつける誘拐犯よりも要の方に恐怖を感じていた。チンピラの銃を突きつけている手が震えているのがわかる。そして要は楽しそうに誠の言葉に答えた。 「騒ぐんじゃねえよ、チェリー・ボーイ!おい、そこのチンピラ。アタシの面(つら)見たこと無いか?」 人質を取っている相手に言う台詞じゃないと思える言葉を吐いた要。誠に銃を突きつけている男は自信たっぷりに銃を向けてくる要に明らかに怯んでいるが、手にした人質を放すことは自分の死を意味していると言うことはわかるようだった。つい誠を取り押さえている腕に力が入り、誠は少しばかり痛みを感じて目を要に向ける。 「あいにく、保安隊には知り合いがいないんでな!それより早く銃口を下ろせ!」 語尾がひっくりかえっているのが誠にもわかった。誠が銃を突きつけられて人質になるのが初めてのように、この男もこの状況は初めての体験なのだろう。 だが要は違う。誠にもそれだけは理解できた。彼を見つめている要の目は何度も同じ状況を体験してきたように落ち着いていた。 「ほう、銃を捨てろから、銃口を下ろせか?弱気になったもんだねえ」 「うるせえ!早くしろ!こいつの頭が……」 ごつりごつりと何度も誠のこめかみを銃のスライドの先端部が叩く。 「好きにすれば?」 要は吐き捨てるようにそういうと、満面の笑みを浮かべて立ち上がった。 銃口は正確に男の額を照準している。誠を抱えている男は、その一言に怯んだ様に誠を抱えている腕の力を緩めた。誠は体に力を入れようとするが、緊張と恐怖のあまり体がコントロールを失ったようで、そこから抜け出すことが出来ずにいた。 「どうせどこかの上部組織にでも頼まれたんだろ?三下。アタシの面を知らねえってことは、この業界じゃあ駆け出しだな。やめときな、こんなところで死にたかねえだろ?」 明らかに男の手が震えているのが誠にもわかる。それを見て要は大きくため息をついた。 「じゃあどうしても死にたいならモノは試しだ、その引き金引いてみなよ?」 「そんなー!西園寺さん!」 まるで男に誠を殺させようとしている要に、誠は無駄と知りつつ助けを求めるように叫んだ。 『喚くんじゃねえよ!馬鹿野郎!』 耳の中で要の声が響いて誠は驚いた。 来る時に嵯峨に渡されたコミュニケーションツールからそれは聞こえた。 『気づかれるんじゃねえぞ、とにかく喚いて時間を稼げ。それと合図をしたら強引に床に伏せろ。こいつはビビってる。アマちゃんだよ。まあとにかくアタシを信じろ』 交信はそれだけで切れた。気がついたように誠が見た先には、相変わらずサディスティックな笑みを浮かべた要の姿があった。 「西園寺さん!本気なんですか?俺、まだ死にたくないですよ!」 演技など誠には必要なかった。本音を叫べば命乞いの言葉がいくらでも出てくる。 「ぎゃあぎゃあ騒ぎやがって!だとよ姉ちゃん。こいつを見殺しにしたら、寝つき悪くなるんじゃねえのか?」 誠の叫び声に気分を良くした男が荒れた息をしながら声を上げる。だが、要の表情は変わらない。 「知ったことかよ。そいつだって東和軍に志願したんだ。死ぬことくらい覚悟してるんじゃねえの?」 「西園寺さん!それって……」 誠は頭の中では要の演技だと信じてはいるが、要がこの状況を楽しんでいるように見えて恐怖を覚えた。 「残念だねえ。この姉ちゃん君を見殺しにするつもりだぜ。まあ、あの世で恨むならあの姉ちゃんにしてくれよ。俺はただ自分の身が守りたいだけだからな!」 緩んでいた男の誠を押さえつける力が再び戻った。だが、誠はさすがにこれだけ命に関わる状況が続いていると、体も馴染んできたようで軽く両腕に力を入れた。 『これは振りほどけるな』 そんな誠の心の声が聞こえたとでも言うように要が軽く頷いた。 「おい、チンピラ。そいつの頭が吹っ飛んだら人質はいなくなるんだぜ?そのこと考えたことあるのか?」 要のその一言は明らかに男の動揺を誘っていた。それを見透かすように要は銃口をちらつかせながら後を続けた。 「つまりだ。お前みたいな能無しにでもわかるように説明してやるとだな、その役立たずの頭が吹き飛んだ次の瞬間には、テメエの額にタバコでも吸うのにちょうどいい穴が開いているという仕組みになっているというわけだ。つまり、テメエはどう転んでも何も出来ずにここでくたばる運命なんだよ!」 男の腕の力が再び緩んだ。誠は要の合図を待ったがまだ要は何も合図をよこさない。 「うるせえ!そんなの張ったりだ!テメエにこいつを見捨てるような……」 叫びながら男は拳銃のハンマーが上がっていることを確認したり、視線を要から離して階段の方を見つめたりと落ち着かなくなった。完全に男は要の術中にはまっていた。 「やっぱり馬鹿だな。保安隊に喧嘩売ろうって言うならもう少し勉強しとけ。叔父貴の馬鹿が、どんだけ味方を囮に使ってテメエの命を永らえたかぐらい、少し戦術と言うものを学んだ人間なら知ってるはずだぜ?まあ、オメエみたいなチンピラの知るところじゃあねえだろうがな」 男だけでなく誠も、要の楽しそうに二人の運命をもてあそんでいる言葉に心臓の鼓動が早くなって行くのを感じた。 「うるせえ!撃つぞ!ホントに撃つぞ!」 「だから、さっきから言ってるだろ?撃てるもんなら撃ってみろって」 その言葉に男はようやく決心がついたようで、ガチリと誠のこめかみに銃口をあわせた。 『伏せろ!』 要の合図と同時に、誠は男の手を振りほどいて地面に体を叩きつけた。 轟音が響き、肉のちぎれる音が、誠の上で響いた。 誠が振り向くと、壁の破片と一緒に男の上半身が吹き飛ばされて踊り場の方に飛んでいるさなかだった。 階段下の三下はそれを誠達と勘違いして、サブマシンガンでの掃射を浴びせかけ、男の上半身はひき肉になった。 誠はそのかつて人間だったものから目を反らして後ろの壁を見た。 そこには人の頭ほどある弾丸の貫通した跡が残り、コンクリートの破片が散乱している。 『どうだ?うまくいったろ?』 吉田の緊張感の無い言葉が、誠のイヤホンに響いた。その声で誠は状況を把握した。 要が時間を稼げと言ったのは、吉田が壁をぶち破るほどの威力のアンチマテリアルライフルで男を狙撃する位置まで移動する為の時間稼ぎだったのだろうと。 「知ってたんだろ、叔父貴は?さも無きゃテメエがこんなに早くそこにいるわけねえもんな」 要は安心したように胸のポケットからタバコを取り出して一本くわえた。 『まあいいじゃないの?どうせ遅かれ早かれ食い付く馬鹿が出てくることは分かってたことだ。それよりどうする?下のアホを片付けるのはカウラにでもまかせるか?』 タバコにジッポで火をつけると要は誠の目を見てはっきりと言った。 「抜かせ!アタシがけりをつけてやるよ」 そう言うと要は銃をもう一度、確実に握りなおした。 『この人は楽しんでる……』 相変わらず残忍な笑いを浮かべている要を見て誠はそう確信した。 誠は要に視線をやりながらも、下での話し声に耳をすませていた。先ほどからもめている若いチンピラの声に混じって下から駆けつけたらしい低い男の声が聞こえる。 「どうするんですか?西園寺さん。三人はいますよ」 誠は銃を拾い上げながら、通路越しに要に話しかけた。 要は一瞬下を向いた後、誠に向き直った。 「お前、囮になれ」 そう言うと嬉しそうな顔をする要。まるで何事も無いようにその言葉は誠の耳に響いた。 「そんなあ……」 誠は要に渡されたチンピラの銃を手に握って泣きそうな顔で要を見つめる。 「あんなチンピラにとっ捕まるようじゃあ、先が知れてらあ。これがアタシ等の日常だ。嫌ならさっさとおっ死んだ方が楽だぜ?」 要は階下を覗き見てそう言い放った。下のチンピラ達はとりあえず弾を込め直したようですぐにサブマシンガンの掃射が降り注いでくる。 「どうしてもですか?」 誠の浮かない表情を見て要は正面から誠を見つめた。 「根性見せろよ!男の子だろ?」 要はそう言うと左手で誠にハンドサインを送る。突入指示だった。 「うわーっ」 そう叫んで誠はそのまま踊り場に飛び出すと、拳銃を乱射しながら階段を駆け下りた。 「馬鹿野郎!それじゃあ自殺だ!」 要は慌ててそう叫ぶと、すぐさま後に続いて立ち上がり、棒立ちの三人の男の額を撃ち抜いた。 「うわあ、ううぇぃ……」 三人の死体の間に力なく崩れ落ちる誠。 「冗談もわからねえとは……所詮、正規教育の兵隊さんだってことか?ったく。それにしても……下手な射撃だなあ」 誠の撃った弾丸が全て天井に当たっているのを確認すると、要は静かにポケットから携帯用の灰皿を取り出しタバコをもみ消す。 肩で息をしていた誠の耳に思いもかけない足音が響いて誠は銃を向けた。誠の拳銃はすでに全弾撃ち尽くしてスライドが開いていた。震える銃口の先にはアサルトライフルを構えているカウラの姿があった。 「神前少尉……無事なようだな、西園寺!」 銃口を下げて中腰で進んでくるカウラが叫んだ。 その後ろからは抜刀したシャム、短槍を構えた明石が階段を上ってきた。 「誠ちゃん、大丈夫?要ちゃんに虐められたりしなかった?」 短剣を鞘に収めたシャムがしゃがみこんで銃を構えたまま固まっている誠の肩を叩く。 「何言ってんだよシャム!アタシは戦場の流儀って奴を懇切・丁寧に教えてやったんだよ!なあ!神前!」 要の言葉を聞きながら明石とシャムが手を伸ばすが誠は足がすくんで立ち上がれない。 誠には周りの言葉が他人事のように感じられていた。緊張の糸が切れてただ視界の中で動き回るシャムと明石を呆然と見つめていた。 「まあ無事やったのが一番なんとちゃうか?それで良しでええやん。立ち上がれへんなら手を貸そうかいのう」 明石が短槍をシャムに渡して手を伸ばす。その声で誠はようやく意識を自分の手に取り戻した。顔の周りの筋肉が硬直して口元が不自然に曲がっていることが気になった。 誠の手にはまだ拳銃が握られている。 その手を明石の一回り大きな手がつかんで指の力を抜かせて拳銃を引き剥がした。 「大丈夫か?コイツ」 誠の背後で要の声が聞こえる。次第にはっきりとしていく意識の中、誠はようやく明石の伸ばした手を握って立ち上がろうと震える足に力を込めた。 「それにしても、ずいぶんと早ええんじゃねえか?この役立たずの素性がばれるには少しくらい時間がかかると思ったが」 要は二本目のタバコに手をかけながらそう言って見せた。誠は何のことだか分からず、ただ呆然と渡されたジッポで要のタバコに火を点す。 『ああ、神前の素性か?嵯峨の旦那に頼まれて俺が一通りリークして回ったからそのせいかな?』 イヤホンから吉田のやる気のなさそうな声が響いた。 「叔父貴の奴……ったく何考えてるんだ?」 要は吐き捨てるようにそう言うとタバコの煙をわざと誠に向けて吐き出した。それを吸い込んで咳き込む誠。 「あのー、僕の素性って?」 誠はたまらず聞き易そうな明石にそう尋ねた。 「ノーコメント」 明石は短槍にこびり付いた着いた血を拭いながら、わざと誠から眼を逸らすようにしてそう答えた。 「アタシもノーコメント。ああ、シャムに聞いても無駄だぜ。こいつは何も分からんから」 そう言うと要はタバコを口にくわえて誠から目を反らした。 「酷いんだ!要ちゃん!アタシだって知ってることはあるよ!」 「じゃあ言って見ろ」 そう言うと、要はわざと大げさに煙を天井に吹きかける。シャムは必死に記憶をたどりながら抜き身の短刀を振り回した。誠はそれを避けながらシャムに淡い期待をかけた。 「誠ちゃんはね。絵が上手いんだよ!」 誠の硬直していた体の筋肉がシャムのまるで期待しなかった回答に緩んだ。 「それで?」 今にも笑い転げそうな表情に変わった要がシャムの真剣な顔をまじまじと見つめる。 「左利きで、ピッチャーやってた」 シャムは頭をひねりながら言葉を続けた。 「だから?」 「とにかく凄いんだよ!」 ばたばたと手を振り回すシャム。誠は彼女に期待した自分を恥じた。 「あっそう」 全く取り合わない要にシャムが真っ赤な顔で答えを考えているのを聞きながら、要は何事も無かったかのようにタバコを燻らせる。 「まあ、そのうち嫌でも分かるだろって、叔父貴はどうしてるんだ?でく人形」 シャムの顔を見ながら要はこの場にいない吉田を怒鳴りつける。 『嵯峨の旦那ならリアナのお姉さんとブリッジの連中を連れて、こいつ等のクライアントのところにご挨拶に行ってるよ。まあダンビラ抱えて出かけてったから、もしかしたら今ぐらいの時間にはそいつの首でも挙げてるんじゃねえのか?』 吉田はそう無責任に答える。 「兼光……引っ張り出したんですか?」 誠は師範代としての嵯峨のことを思い出した。幼いころ、試し斬りで何度と無く愛刀兼光を振るって蝋燭や藁人形を斬ってみせる彼の姿は誠の憧れだった。 『まあ、あの連中も馬鹿じゃねえだろ。ダンビラ抱えてる隊長に喧嘩を売るような酔狂な奴は俺くらいだ』 吉田はそう誇らしげに言った。 かつての嵯峨の剣先の鋭さを子供ながらに覚えている誠は、少しばかり納得した。 誠は再び自分の手の中の拳銃を見た。そして周りのチンピラの死体を見て白くなる意識にあわせてそれを落とした。 「神前少尉。そう簡単に銃は落とすな」 カウラが優しい調子で落ちた拳銃を拾い上げて誠に渡す。 「申し訳ありません」 ようやく体が動くようになった誠は立ち上がった。 「とりあえず下に降りるか」 カウラの言葉に要もシャムも明石も納得したように狭い雑居ビルの階段を降り始めた。 誠もその後に続いて階段を下りる。 先ほどまで恐怖と混乱で動かなかった体が、思いもかけないほど自由に動くのを感じて誠はほっとした。 「なんだ、泣いたカラスがもう笑ってやがる」 タバコを落としてもみ消した要がそう言って笑った。 「これがはじめての命のやり取りだ。正気でいられるのは私のようにそのために作られた人間くらいだ」 カウラはそう言うと踊り場に倒れている死体をよけながら一階に向かう階段を降りる。そんなカウラの態度が気に入らないと言うように要は目を反らした。 「お疲れさんだな」 雑居ビルから外の熱気の中に出た五人を巨大なアンチマテリアルライフル、ゲパードM3を背負った吉田が迎えた。誠はようやく自分が生きていることを実感して大きく深呼吸をした。
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