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作品名:遼州戦記 保安隊日乗 作者:橋本 直

第30回   今日から僕は 29
「ここは?」 
 頭痛とめまいを感じながら、誠は眼前の痩せた眼鏡の医師、ドム・ヘン・タン大尉の浅黒い顔を見た。
「起きましたよ、大佐。神前君、しばらくは安静にしている方がいいと思うんですが……」 
 ドム大尉。管理部医療班の班長兼軍医である彼が見上げた先には、嵯峨がついたての隙間から入り口の方を見ている姿があった。
『起きたって!』 
 つぶやくのはあわてた調子の要。
『騒ぐな西園寺。一応ここは病室だ』
 落ち着いた調子を装うのに必死なカウラの言葉が聞こえてくる。 
『そうだよ!静かにしないと!』 
 今度はシャムの声だが、無理をして声を小さくしているのでまるで風邪を引いているようにも聞こえる。
『それより海の話。アタシは今月から来月の頭まで艦長研修があるから、それが終わってからってことで』
 小さい声だがアイシャは明らかに誠にも話し声が聞こえるように話していた。 
『またコミケの売り子押し付けるつもりね』 
 サラの驚きながらも抑えた台詞。
『私は行かないわよ!』 
 呆れた調子のパーラ。
『俺も呼ばれるの?もしかして』
 今度はまるで声を小さくするつもりはないというような島田の声が響く。嵯峨はそんな様子を注意するわけでもなく、とりあえず誠に向き直る。 
「まあ、初めてってのは何でも大変なものだ。ドクター。なんか問題点とかありました?」 
 外の騒動に笑顔を浮かべながら嵯峨は小柄なドムに声をかけた。
「特にないですね。多少の緊張状態から来る神経衰弱が見られる他は健康そのものですな。出来ればヨハンにも見習わせたいくらいですね。特に中性脂肪の数値とか」 
 朗らかにドムはそう言うと席を立った。所帯持ちと言うこともあり、シンと並んで落ち着いた雰囲気の小柄な医師はそう言って苦笑いを浮かべた。
「それと、やはりもう自室に戻るべきかもしれないね。あの連中がなだれ込んでくる前に」 
 そうドムが言ったとたんに病室のドアが開いた。
「なんだ、元気そうじゃないか」 
 ドムと入れ替わりに入ってくる要達。皆笑顔で上体を起こした格好の誠を見つめた。
「とりあえず差し入れ」 
 と言うと要が飲みかけのラム酒のビンを突き出してくる。 
「間接キッス狙いね!」 
「馬鹿野郎!んな訳ねえだろ!たまたま他にやるもんがねえからだな!その……なんだ……」
 おずおずと下を向く要。してやったりのシャム。
「馬鹿は良いとして、本当に大丈夫か?」 
 要とカウラがそう言うと誠の背に手を当てて、起き上がろうとする誠を支える。バランスが少し崩れて、誠の顔とカウラの顔が数センチの距離で止まる。カウラのシャワーの後の石鹸の残り香が誠には心地よく感じられた。
 しかし、すぐさまアイシャのニヤついた顔を見つけた誠は、それをごまかすようにカウラの手を借りてベッドから降りた。
「行きは時間がかかったのに帰りは亜空間転移かよ。まったく同盟法はどうなってるのかねえ」 
 二人のやり取りより、放心でもしているかのような雰囲気で彼らを見つめている嵯峨を気にしながら要はあてこするように言った。それと同時に凛とした声が医務室に響いた。
「主賓が来なくちゃ始まらないじゃないの!」 
 誠のいる医務室には来客が多い。今度は明華、リアナ、マリアの登場である。
「明華ちゃん。もうちょっと小さな声で!」 
 リアナに指摘され、入り口に門番のように立っているドムに白い目で見られて照れるように頭に手をやる明華。
「神経衰弱とは、少したるんでいるんじゃないのか?」 
 青いベレーに金の髪が映えるマリアが笑顔でそう突っ込む。
「そうか。じゃあ室内戦闘用訓練のカリキュラムでも作ってくれるのか?」 
 嵯峨もさすがにこの時ばかりはニヤつきながらマリアに仕事を押し付ける。そんな嵯峨の冗談は鋭いマリアの視線で黙殺された。
「ドクター!それじゃあ先行ってるんで!今回の主役はお前らだ!なんとシャムが先月取って来た猪肉が200kgもある!」 
 叫ぶ嵯峨。驚嘆する一同。腰に手を当て無い胸を張るシャムの頭には猫耳が踊っている。
「牡丹鍋だ!」 
 島田が叫んだ。 
「豆腐あるの?豆腐」 
「アイシャ。オメエ、頭も腐ってりゃ、好きなものまで腐ってるんだな」 
「なによ!豆腐は感じは腐ると書いても腐っているわけじゃ・・・」 
「クラウゼ大尉!西園寺中尉!」 
『ハイ!大佐殿』 
 明華の声にわざとらしく大げさに敬礼する二人。
「以上二名はガスコンロ等の物資をハンガーに運搬する指揮を執ること!ナンバルゲニア中尉!ラビロフ中尉!グリファン少尉!島田曹長!」 
『ハイ!』 
「以上は会場の設営の指揮を担当!以上!かかれ!」 
『了解!』 
 全員が小走りで医務室を飛び出していく。
「僕とカウラさんはなにを?」 
 残された誠とカウラはベッドに腰掛けながら待っていた。
「ああ、あんた等は主賓でしょ?ただ待ってりゃいいのよ。マリアとリアナは飲み物の手配お願い。それと隊長!」 
 急に呼ばれてビクンと立ち上がった嵯峨。禁煙の医務室にもかかわらず、その手からタバコが一本落ちる。明華はそのタバコを踏み潰した。悲しそうにそれを見送る嵯峨。
「隊長には私品の酒類の供出を求めたいのですが」 
 不気味な笑みを浮かべる明華。おずおずと頷く嵯峨。
「じゃあ神前君、カウラ。行くわよ」 
 そう言いながら、明華の口元には笑みがあった。
「うるせえなあ、うちの小姑は」 
 嵯峨がぼそりと呟くが、明華が一睨みすると、肩をすぼめて自室へと向かった。
「隊長でも許大佐にはかなわないんですね」 
 残された誠はカウラに向かって微笑みかける。
「そうだな。技術部の面々には逆らわない方がいいぞ。アサルト・モジュール乗りなら当然のことだろ?まあ愛機と一緒に慣らし運転の途中でスクラップにされたいなら別だが」 
 カウラはそう言って笑いかけた。こんな素敵な笑顔も出来るんだ。誠はその笑みに答えるようにして立ち上がる。
「病人でも無い者が医務室に居るのは感心しないよ。さっさと出てきな!」 
 そんな光景を目の当たりにして居心地の悪さを感じたのか、ドムは苦々しげにそう言った。
「それではドクター失礼します」 
「おうおう!出てけ、出てけ!」 
 二人は医務室を出て食堂へつながる廊下を歩く。技術部員がコンロやテーブルを持って走る。警備部員がビールや焼酎を台車に乗せて行きかう。
「何でこんな用意が良いんですか?」 
 次々と出てくる宴会用品に呆れながら誠がカウラに尋ねた。
「いいんじゃないのか?たまに楽しむのも」 
 カウラは笑顔を保ったままで、脇をすり抜ける技術部員の不思議そうな視線を見送っていた。
「そう言えば機関班の人は見ないのですが、何ででしょう」 
「ああ、あいつ等か?以前、許大佐の逆鱗に触れてな。今でも大佐の前での飲酒は禁止されている。さらに班長の槍田大尉はこういう時は逆さ磔にされる決まりになってる」 
「はあ、そうなんですか」 
 今日は理性を保って脱ぐのはやめよう。そう心に深く誓う誠。
「土鍋、あるだけ持ってこい!そこ!しゃべってる暇あったらテーブル運ぶの手伝え!」 
 エレベータの所では島田が部下達を指揮していた。
「島田先輩!」 
「おう、ちょっと待てよ。とりあえず設営やってるところだから。そこの自販機でジュースでも買ってろ!俺は奢らないがな!」 
 そう言ってまた作業に戻る島田。
「そうだな、誠。少し休んでいくか?」 
 カウラが自分の名前の方を呼んでくれた。少しばかりその言葉が頭の中を回転する。
「どうした?」 
 不思議そうに見つめるカウラ。
「そうですね。ははは、とりあえず座りましょう」 
 そう言うと頭をかきながら誠はソファーに腰掛けた。
「何を飲む?コーラで良いか?」 
「炭酸苦手なんで、コーヒー。出来ればブラックで」 
 カウラは自分のカードを取り出すとコーヒーを選んだ。ガタガタと音を立てて落ちるコーヒー。
「熱いぞ、気をつけろ」 
 そう言うとカウラは缶コーヒーを誠に手渡した。
「どうだ?ここの居心地は」 
 野菜ジュースを取り出し口から出しながらカウラがそう尋ねた。彼女が言うここ。編成されてまだ二年と言う司法実力部隊。彼女も東和軍に所属していた経歴がある以上、同じように嵯峨の強烈な個性に染まった保安隊に戸惑ったこともあるのだろう。
「いつもこんな感じですか?」 
 誠は隣に座ったカウラの緑の髪を見ながら缶コーヒーを啜る。
「甲二種出動は、部隊創設以来二回目だ。ほとんどは東都警察の特殊部隊の増援、同盟加盟国の会議時の警備の応援、災害時の治安出動などが多いな。もっとも、最近は東都警察の縄張り意識が強くなってきて、あちらの人手が足りないと言うことでネズミ捕りの応援や路駐の摘発なんてことしかしないこともある」 
 そう言いながら野菜ジュースのふたを開けるカウラ。エレベータはひっきりなしに食堂とハンガーの間を往復し続ける。
「何してんだ?お前って……カウラ!」 
 コンロを抱えた要に見つかった二人。誠は思わず要から目をそらした。
「カウラ……テメエ、また何か企んでるな?」 
「私が何を企んでいると言うんだ?」 
「だってそうじゃないか。人がこうして汗を流して宴会の準備をしているのに……」 
「それは許大佐の指示だろ?」 
「う……」 
 腐っても軍と同等の指揮命令系統である。上官の名前を出されたら逆らえるはずも無い。
「それにまだ誠の体調は本調子ではない、小隊長として彼を見守る義務がある」 
 筋が通っているものの何故か納得できない、そんな表情を浮かべる要。
「それとも何か?代わってもらいたいとでも言うのか?理由によっては聞いてやらんこともないぞ?」 
 カウラの一言。要の顔が急に赤くなる。
「馬鹿野郎!何でアタシがそんなことしなきゃならねえんだ!」 
「そうか。じゃあ消えろ」 
 淡々と要をあしらうカウラに、要はさらに切れそうになる。
「西園寺さん!後ろがつかえてるんですけど」 
 誠が出撃時に対応した幼い顔の二等兵、西高志(にしたかし)がいつ切れてもおかしくないとでも言うような表情の要に声をかける。
「うるせえ!ジャリ!これ持ってハンガー行け!」 
 既に椅子を持っている上に要からコンロを持たされてよろける西。隣の兵長が気を利かせてコンロを受け取ってエレベータに乗り込む。
「おい、カウラ!前からオメエのことが気に入らなかったんだけどな。今回のことで分かったよ。アタシはテメエのことが気にくわねえ!」 
「ほう。同感だな。私も西園寺の態度が非常に劣悪であると言う認識を持っているわけだが」
「面白れえじゃねえか!勝負はなんにする?飲み比べじゃあアタシが勝つのは決まってるから止めといてやるよ」 
「そういう風にすぐ熱くなって喧嘩を売る隊員は私の小隊には不要だ。ちょうどまもなく胡州の領域を通過する。そのまま実家に帰っておとなしくしてろ」 
「何だと!」 
 いつでも殴りかかれると言う状態で叫び続ける要、それを受け流しつつ明らかに反撃の機会を覗うカウラ。誠は自分が原因である以上どうにかすべきだと思ってはいたが、ニヤつきながら遠巻きに見ている技術部員とブリッジクルーの生暖かい視線を感じながら黙り込んでいた。
「はいはーい!どいてくださいよ!先生。お席のほうが出来ましたのでご案内します!」 
 そこにいつの間にか現れて、誠をさらっていこうとするのはアイシャだった。
「おい!いつの間にわいたんだ!」 
「卑怯者!誠の担当は私だ!」 
 要とカウラが飄然と現れたアイシャに噛み付く。
「だって二人ともこれから決闘するんでしょ?じゃあ先生はお邪魔じゃない。だからこうして迎えに来てあげたってわけ」 
『そんな理屈が通用するか!』 
 二人は大声でエレベータに向かおうとするアイシャを怒鳴りつける。
「クラウゼ大尉!三人で連れてってやったらどうです?」 
「西園寺さん!良いじゃないですか!」 
「酷いよねえ。神前君って三人の心をもてあそんで」 
「そう言うなよ。戻ったら菰田さんにつけ狙われるんだから。それまで楽しんでろよ」 
「新入りの分際で!」 
 周りのブリッジクルーの女性陣、技術部の男性部員からブーイングが起きる。
「黙れー!」 
 瞬間湯沸かし器、要が大声で怒鳴りつける。
「じゃあ、行くとするか。西園寺、アイシャ。ついて来い。大丈夫か誠。一人で立てるか?」
 誠はすさまじく居辛い雰囲気と、明らかに批判的なギャラリーの視線に耐えながらエレベータに乗り込む。
「それにしても初出撃でエースってすごいわよねえ。これじゃあさっきのニュースも当然よね」 
「何があった?」 
 相変わらず機嫌の悪い要がアイシャに問いただす。
「同盟会議なんだけど。そこで先生みたいな法術師の軍の前線任務からの引き上げが決まったのよ。アメリカ、中国、ロシアはこれに同調する動きを見せているわ。まああんなの見せられたらさもありなんというところかしら」 
「その三国は既にこの状況を予想していた。言って見れば当事者みたいなものだからなその動きは当然だ。しかし他の国が黙っていないだろうな」 
 カウラはヨハンの話を聞きある程度予想したその政治的な結末を淡々と受け入れた。
「一番頭にきてるのはアラブ連盟ね。西モスリムが同盟会議の声明文に連名で名を連ねているものだから、クライアントとしては騙されたとでも言うつもりでしょう。金は出したのに何でこんなおいしい情報をよこさなかったのか・・・ってね。それとフランスとドイツが黙殺を宣言したし、インド、ブラジル、南アフリカ、イスラエルもヨーロッパ諸国の動きに同調するみたいよ」 
「まるで核兵器開発時の地球のパワーゲームみたいだな。もっとも今度のは下手な核兵器よりも製造が簡単で、持ち運ぶも何も足が生えてて勝手に歩き回るからな」 
 アイシャの解説を聞いて、要はようやく冷静に現状分析を始めた。難しい顔の要。同じく複雑な表情のカウラ。
「でも……こいつがか?」 
 そう言うと要はまじまじと誠の顔を眺める。
『先輩達はエロいって言うけど、要さんのタレ目もかわいいものだな』
 不謹慎にも誠はそう思う。さらにマリアと並ぶ胸のボリュームに自然と視線が流れる。
「アタシもさあ。実際、間近で見てて凄いなあと驚いたんだけど。こうしてみるとただの草野球マニアのオタクじゃん」 
「オタクなのは先生の趣味を知ってるからでしょ?」 
「まあそうなんだけど。こいつが叔父貴と同類?信じられねえよなあ」 
 要はさらにじろじろと誠の全身を観察し始める。
「西園寺!イヤラシイ目で誠を見るな!」 
「誰がイヤラシイ目で見てるって?お前がそう見てるからアタシも同じ目で見てると妄想するんだろ?」 
 苛立つカウラ、かわす要。
「ついたわよ!」 
 ハンガーへ続く廊下が見える。宴会場の設営に動き回る各部隊員。
「ヒーローが来たぞ!」 
 椅子を並べる指示を出していたキムの一言に、会場であるハンガーが一斉にわく。ハンガーのクレーンにはいつものように機関長槍田大尉がしっかりと吊るされている。
「ええタイミングじゃった。飲み会か?ワシも西園寺の親父さんから土産もろうてきたけ。西園寺!ラム一ケースあるがどうする?」 
「タコ!アタシのは誰にもやらん!まあ誠にならあげても良いかも知れねえがな」 
「来たわね!神前少尉はそこに座って!」 
 上座らしく明華、リアナ、吉田、マリアが腰掛けているテーブルに引かれていく誠。
「アタシ等はどうするんだよ!」 
「要ちゃんたちは隣に座れば良いじゃない。シャムちゃん!シャムちゃんも隣ね!」 
「お姉さんありがと!」 
 いつものように猫耳をつけたシャムは隣の鍋を占拠する。
「お前遠慮しろよ。今回はメインは神前なんだからな!」 
 要がその驚異的食欲の持ち主シャムを牽制する。だが全員がそれが無駄だろうと分かっていた。
「肉が来たぞ!誰か手伝えよ!」 
 炊事班が手に肉と野菜を持ちながら、嵯峨を先頭に現れた。
「技術部員!全員食材及び酒類の配置にかかれ!」 
 明華の一言で、つなぎ姿の整備員が一斉に動きだす。
「吉田!ここは多めの奴くれよ!」 
 箸で小皿を叩いて待っているシャムを横目に要は叫んでいた。
「沸騰したら入れろ!」 
 要はさっそく肉のほとんどを土鍋の中に放り込む。
「だしは良いのか?」 
 不安そうに尋ねるカウラ。
「そう言えば、昆布は?」 
 シャムは明らかに自分の行動を後悔している顔の要に尋ねる。
「いざとなったらあそこからもらえば?」 
 アイシャが指差した先では昆布をぐつぐつ土鍋で煮込んでいる嵯峨と、横で酒に燗をしている明石がいた。
「正確な判断力に欠けて、感情に流される。要の悪いところよね」 
 こちらもだしをとっている明華は、淡々とにんじんを土鍋の底に並べ始める。
「うるせえ!腹に入れば同じだ!」
 怒鳴る要。呆れるカウラ。そして早速、要の鍋を見限って他の鍋への襲撃を考え始めたアイシャ。ぜんぜん分かっていないシャム。
「まあ良いじゃないですか。ビール回ってますか」 
 誠がなだめるように顔を出したので少しばかり怒りを沈めた要が缶ビールを受け取る。
「私ももらおうか?」 
 カウラのその言葉。周りの空気が凍りついた。
「おい、大丈夫なのか?」 
 さすがの要も尋ねる。
「何があったんです?」 
 コップを配りにきた島田が変な空気を読めずにそう尋ねる。
「カウラちゃんがね、ビール飲むって」 
「まさかー。そんなわけないじゃないですか!ねえ。いつものウーロン茶運ばせますから」 
「いや、ビールをもらおう」 
 カウラのその言葉に島田の動きも止まった。
「大丈夫か?オマエ。なんか悪いものでも喰ったのか?それとも……」 
 睨む先、要の視線の先には誠がいた。
「僕は何もしてないですよ!」 
「だろうな。テメエにそんな度胸は無いだろうし」 
「まあ飲めるんじゃないの?基礎代謝とかは私達はほぼ同じスペックで製造されているから」
 乾杯の音頭も聞かずに飲み始めているアイシャがそう言う。
「アイシャちゃん!ちゃんと待たなきゃだめよ。隊長!乾杯の音頭、お願いします。って隊長と明石さん!何してるんですか!」 
 リアナのその声に周りのものが嵯峨のテーブルを見ると。既に二人は熱燗を手酌でやっていた。
「すまん。明華頼むわ」 
 やる気がなさそうに嵯峨は明華に丸投げした。
「じゃあ失礼して」 
 明華が回りに普通の声で挨拶する。
「総員注目!」 
 大声で島田が叫ぶと、土鍋を前にしてじゃれ付いていた隊員達が明華に向き直る。
「保安隊隊員諸君!今回の作戦の終了を成功として迎える事ができたのは、貴君等の奮闘努力の賜物であると感じ入っている!決して安易とは言えない状況下にあって、常に最善を尽くした諸君等の働きは特筆に価するものである!私は諸君等の奮闘に敬意を、そして驚愕の念を禁じえない!」 
「いつもの事ながら上手いねえ」 
 はきはきとした口調で隊員に訓示する明華を眺める要。
「西園寺さん。普通これは隊長の台詞じゃないんですか?」 
 ニヤつきながらラムのグラスを進める要に声をかける誠。慣れた島田の段取りから見ても、この部隊の最高実力者が明華であることは明らかで、こういった席でも仕切るのは彼女だとわかった。
「今回の作戦では警備部に二名の負傷者が出たのが残念であったが。二人とも軽傷であったことは幸いであると言える。今後、予想されるさまざまな状況の変化に対応すべく諸君等は十分に……」 
「長えな」 
 ぼそりと嵯峨が呟くのを見て、明華は切り上げる決意をした。
「実力を発揮して保安隊の発展に寄与する事を期待する!では杯を掲げろ!」 
 誠、要、カウラ、アイシャ、シャムが杯を掲げる。他のテーブルの面々もコップを掲げている。嵯峨もめんどくさそうに猪口を持ち上げる。
「乾杯!」 
『乾杯!』 
 全員がどっと沸いて酒をあおる。
 シャムがテーブル全員のコップと乾杯をすると、さらに明華達のテーブルに出かけていく。
「大丈夫か?」 
 コップを空にした誠が、要の声に気づいて、その視線の先を見た。
 カウラが一息でコップの中のビールを空けていた。誠、要、アイシャはじっとその様子を観察している。
「大丈夫みたいだな」 
「舐めるな西園寺、別にどうと言う事はない。なるほど。これがビールか」 
 ごく普通に立っているカウラ。
「肉、煮えたんじゃないの?」 
 アイシャはそう言うと土鍋の中を箸でかき回して肉を捜す。
「オマエは野菜を食え!」 
「要ちゃんが食えば良いじゃない」 
「肉を入れたのはアタシだ」 
「取ってきたのアタシだよ!」 
 シャムが手を上げるとその後頭部を小突く要。
「テメエは隣の鍋で食ってたろ!」 
 三人はいろいろ言い合いながらも、土鍋をつつきまわしていた。
「じゃあ春菊入れますね」 
「神前、気が利くじゃないか?それと豆腐も入れろ!」 
「要ちゃん、豆腐苦手じゃなかったの?」 
「馬鹿言うな!鍋の豆腐は絶品なんだ!っておい!」 
 要はカウラを指差して叫んだ。自分用に注いでいたラム酒を一息で空にしたカウラ。エメラルドグリーンの髪の下。白い肌が急激に赤くなっていく。そして彼女を中心としてしばらく奇妙な沈黙が流れる。 
「なるほろ。これがラム酒ろいうものなろか?」 
 ろれつが回っていないカウラが出来上がった。アルコール度数40度のラム酒をグラス一杯開けたカウラがふらふらし始める。
「神前!支えろ!」 
 要がふらふらとし始めたカウラを見てすぐに叫んだ。誠はカウラの背中に手を当て支える。カウラは緩んだ顔をとろんとした緑の瞳で誠を見つめる。
「誠君。気持ち良いのれ、ふらふらしちゃってますれす」 
 完全に出来上がっている。頬を赤く染めて、ぐるぐると頭を動かすカウラを見て誠は確信していた。
「大丈夫ですか、カウラさん」 
「大丈夫れすよ!大丈夫!おい!そこのおっぱい星人!これに何をれらのら!」 
「それはアタシのグラスだ!テメエが勝手に飲んだんだろうが!」 
「駄目よ要ちゃん。酔っ払いをいじめたら」 
 要は睨みつけ、アイシャはそれをなだめる。初めての状況だと言うのに二人は完全に立ち位置を決めていた。そして当然、誠は介抱役。 
「ベルガー大尉。しっかりしてくださいよ!」 
「誠君。ベルガー大尉ら無いのれすよ!カウラたんなのれす!」 
 そう言うと今度は急にしっかりとした足取りで立ち上がる。
「何!どうしたのって、まあ!カウラ。・・・西園寺!あんたでしょ!あの子に飲ませたの!」 
 騒ぎを聞きつけた明華、リアナ、マリアの三人がやってくる。
「姐御!アタシじゃねえよ!あの馬鹿が勝手に飲んだんです!」
 三人の目はまるで要を信じてないと言う色に染まっていた。 
「カウラちゃんすっかり出来上がって。神前君、介抱お願いね」 
 リアナはそれだけ言うと、カラオケの方に足を向けた。
「どんだけ飲んだんだ?ベルガーは」 
「ラム酒をコップ一杯」 
「まあ同じ量でアイシャが潰れたこともあったしな。それにしても情けないな」 
 ウォッカをあおるマリア。こちらはまったく顔色が変わっていないのに驚かされる誠。
「許大佐!シュバーキナ先任大尉!お二人にお願いしたい事がありますれす!」 
 急に背筋を伸ばし敬礼したカウラ。要とアイシャはいかにも嫌そうな顔でカウラの動向を見る。
「何よ。言ってみなさい」 
 完全に面白半分と言うような調子で明華がたずねる。
「わらくし!カウラ=ベルガー大尉はなやんれいるのれあります!」 
「何言い出すんだ!馬鹿!」 
 要が思わずカウラを止めようとするが、明華はすばやくその機先を制する。
「そう。じゃあ上官として聞かなければならないわね。続けなさい」 
 いい余興と言った感じで明華は話の先を促した。
「はいれす!わたひは!その!」 
 またカウラの足元がおぼつかなくなる。仕方なく支える誠。エメラルドグリーンの切れ長の目がとろんと誠を見つめている。
「うぜえよ!酔っ払い。さっさと話せ!」 
 カウラから奪い取ったグラスにラム酒を注ぎながら、苛立つ要。しかし、誠から離れたカウラの瞳がじっと自分を見つめている、自分の胸を見つめている事に気づくと、要はわざとその視線から逃れるように天井を見てだまって酒を口に含む。
「このおっぱい魔人が神前少尉をたぶらかそうとしれるのれあります!」 
 思わず噴出す要。何故か同調して頷くアイシャ。
「たぶらかすだと!なんでアタシがそんな事しなきゃならねえんだ?まあ、こいつが勝手に、その、なんだ、あのだな、ええと……」 
「たぶらかしてるわね」 
 ピンクの髪をかきあげながら、ビールを飲み干すとパーラが言った。その一言に鍋を見回ってきていた島田とサラも頷いている。
「テメエ等!無事に地面を踏めると思うなよ!」 
「だって事実じゃないの?どう思う正人?」 
「俺に振るな」 
 サラと島田は要のタレ目の中に殺意を感じて、この場に来た事を後悔している様に見えた。
「じゃあ聞くわよカウラ。この腕力馬鹿と神前少尉がくっつくとなんかあなたにとって困る事があるわけ?」 
 明華はいたずらっぽく笑うとカウラにそうたずねた。マリアの笑顔も状況を楽しんでいる感じだ。誠は助けを呼ぼうと嵯峨達のテーブルを見る。
 鍋を楽しもう、隣のどたばたを肴に。そんな表情の二人。嵯峨と明石は視線は投げていないものの、口に猪肉を頬張りながら、誠たちのテーブルの動静を耳で探っているようだった。
「それはれすね!西園寺のような暴力馬鹿に苛められると、誠がマゾにめざめるのれす!そうするとアイシャが噂をながすのれす!困るひろはわらしなのれす!」 
「そいつはまずいなあ」 
「そうですなあ」 
 嵯峨と明石は完全に傍観モードで相槌を打つ。
「どう困るの?」 
 一方、明華は笑いながら理性の飛んでるカウラにけしかける。誠は時々バランスを崩しそうになるカウラを支えながら心の中で叫んでいた。
『誰か止めて!』 
 しかし誰も止めるつもりは無い。カラオケが始まり、リアナお得意の電波な演歌が始まる。 リアナに半分脅迫されただろう技術部員が、神妙な面持ちで苦行が終わるのを待っている。それでもまだカウラの演説は続く。
「わらしは!見過ごせないのれす!誠君がタレ目オッパイの下僕におちれ行くをの見過ごせないのれす!ですから大佐殿!」 
 また急にカウラは直立不動の姿勢をとる。
「だからなあに?」 
 さすがに飽きてきたのか、投げやりに明華がたずねる。
「こういう状況で何をするべきか、それをおしえれいららきたいのれす!誠!わらしはなにをしららいいのら!」 
 また仰向けにひっくり返りそうになったカウラを支える誠。その誠の頭をぽかぽかとこぶしで殴るカウラ。呆れるものの、次のカウラの絡み酒の標的になる事を恐れて退散するタイミングを計っているパーラ、サラ、島田。誠の沈黙に苛立っている要とアイシャ。 
「そりゃあ、愛って奴じゃねえの?」 
 ボソッと呟いた嵯峨。その場にいた誰もが嵯峨の顔を見る。つまらない事を言ったなあ、と言う表情を作る嵯峨。他人の振りをする明石。そして、また直立不動の姿でかかとを鳴らして敬礼したカウラに全員の視線が集中した。
「サラ!サラ=グリファン少尉!」 
「ハイ!大尉殿!」 
 その場にいた誰もがカウラに絡まれることが決定したサラに哀れみの視線を投げた。特に島田は彼女を助けに行けない自分の非才を嘆いているような顔をした。
「愛ろはなんなろれす?サラ。おしえれもらうしら、ないろれす?」 
 もはや何を言っているか分からないが、サラは危険を感じて逃げようとした。
「カウラさん休みましょう!さあこっちに来て」 
 誠はサラに絡もうとするカウラを両腕で抱え込んだ。
「もっろするのら!もっろするのら!」 
 次第にアルコールのめぐりが良くなったようで、間接をしならせながらカウラが叫ぶ。
「ちょっと神前。もう駄目そうだから部屋まで送ってあげなさいよ」 
 見かねて明華がそう言った。
「アタシが運ぼうか?それとももっと人呼ぶか?」 
「そうよね私も手伝うわ。それとそこのソン軍曹!ラビン伍長!」 
 要とアイシャが動き出す。技術部と警備部のカウラファンクラブ、通称『ヒンヌー教』の信者二人が救援に駆けつける。
「あんた等!出なくていいの!神前少尉!あなたが送りなさい」 
 技術部の守護神、明華の一喝に静まる一同。
「そうらのな!タレ目おっぱいとふりょひはひっこんれるのな!誠!いくろな!」 
 そう言うと壊れたように笑い始めるカウラ。
 誠は彼女を背負って、そのまま宴会場であるハンガーを後にした。誰も居ない通路を出てエレベータを待つ二人。
「大丈夫ですか?カウラさん」 
「ああ、大丈夫だ」 
 カウラがうって変わった静かな口調に驚かされる誠。
「半年前はアイシャがあのような醜態をさらす事が多くてな。それを真似ただけだ」 
「じゃあ酒は飲んでなかったのですか?」 
 あっけに取られて誠が叫んだ。
「飲んだ事は飲んだが、この程度で理性が飛ぶほど柔じゃない。来たぞ、エレベータ」 
 カウラを背負ったまま誠はエレベータに乗り込む。
「それじゃあ何であんな芝居を?」 
 そうたずねる誠だが、カウラは黙って答えようとはしなかった。
 二人だけの空間。時がゆっくりと流れる。僅かなカウラの胸のふくらみが誠の背中にも分かった。
「何でだろうな。私にも分からん。ただ要やアイシャを見るお前を見ていたらあんな芝居をしてみたくなった」 
 すねたような調子でカウラがそう言った。エレベータは居住区に到着する。
「しばらく休ませてくれ。やはり酔いが回ってきた」 
 やはりそれほど酒の強くない人造人間のカウラはエレベータの隣のソファーを指差して言った。
「そうですね、下ろしますよ」 
 誠はそう言うとカウラをソファーに座らせた。
 静かだった。この艦の運行はすべて吉田の構築したシステムで稼動している。作戦中で無ければすべての運行は人の手の介在無しで可能だ。誰一人いない廊下。機関員もハンガーで偽キリスト像を演じている槍田以外はすべてトレーニングルームで明華が与えた課題を正座してやっている所だろう。
「悪いな。私につき合わせてしまって。これで好きなのを飲んでくれ」 
 カウラはそう言うと誠にカードを渡す。
「カウラさんはスポーツ飲料か何かでいいですか?」 
「任せる」 
 そう言うと大きく肩で息をするカウラ。強がっていても、明らかに飲みすぎているのは誠でもわかった。休憩所のジュースの自販機にカードを入れた誠。
「怒らないんだな。嘘をついたのに」 
 スポーツ飲料のボタンを押し、缶を機械から取り出す誠を眺めながらカウラが言った。
「別に怒る理由も無いですから」 
 そう言うと誠は缶をカウラに手渡す。
「本当にそうなのか?お前のための宴会だ。それに西園寺やアイシャもお前がいないと寂しいだろう」 
 コーヒーの缶を取り出している誠に、カウラはそう言った。振り返ったその先の緑の瞳には、困ったような、悲しいような、感情と言うものにどう接したらいいのかわからないと言う気持ちが映っているように誠には見えた。
「カウラさんも放っておけないですから」 
「そうか、『放っておけない』か」 
 カウラは誠の言葉を繰り返すと静かに缶に口をつけた。カウラの肩が揺れる。アルコールは確実にまわっている。だが誠の前では毅然として見せようとしているのが感じられる。その姿が本当なのか、先程の自分で演技と言った壊れたカウラが本物なのか、誠は図りかねていた。
「やはり、どうも気分が良くない。誠、肩を貸してくれ」 
 飲み終わった缶を誠に手渡しながら、カウラは誠にそう言った。
「判りました、大丈夫ですか?」 
「大丈夫だ」 
 そうは言うもののかなり足元はおぼつかない。誠はカウラに肩を貸すとゆっくりと廊下をカウラの部屋に向かい歩く。
 静まり返った廊下。二人の他に人の気配はまるで無い。上級士官用の個室。そこに着くとカウラはキーを開けた。
「大丈夫ですか?」 
「すまない。ベッドまで連れて行ってくれ」 
 カウラは何時もは白く透き通る肌を赤く染めながら誠にそう頼んだ。やはりカウラの部屋は士官用だけあり誠のそれより一回り大きい。室内には飾りなどは無く、それゆえに見た目以上に広く感じた。
「とりあえずここでいい」 
 カウラはそう言うとベッドの上に腰掛けた。誠は事務用の椅子に座った。机の上には野球のボールが置かれている。そこには何本か指を当てる基準にするように線が引かれていた。
「これで練習しているんですか」 
 とりあえず切り出す話題が見つからない誠は、ボールを手に当てながらそう言った。
「アンダースローだとコントロールが命綱だからな。それに初めて2年だ。基礎体力には自信があるが技術的にはまだまだだ」 
「この握り。シンカーですね」 
 誠がボールを握って見せると、カウラは少しばかり寂しい笑顔を浮かべた。
「ライズボールとストレートとシュートじゃあ菱川重工豊川には勝負にならないからな。春は二回で八点取られてKOだ」 
 誠がボールの握りを確かめている様を見て、カウラは寂しそうに呟いた。
「あそこはそのまま春の都市対抗で決勝まで行ったんですよね。まあ東都電力に負けましたけど」 
「保安隊は予選は同じブロックだからな。三回戦くらいに当たるようになっている」 
 遠くを見るような目をするカウラ。今年もドラフト上位指名が確実な強力打線が武器の菱川重工豊川相手に投げる自分の姿を想像している誠。
「また投げるのか?」 
 カウラは静かにたずねた。
「肩はまだ完全では無いですが、行ける所まで行くつもりですよ」 
「そうか」 
 ボールを誠の手から受け取ると、カウラは何度かシュートの握りをして見せた。眺めの白い肌の光る右手の指が描かれた線の上に並んでいる。
「少し疲れた。もう大丈夫だから帰って良いぞ。西園寺が心配する」 
 そう言うとカウラはそのままボールの握りを何度か確かめた後、横になった。誠は静かに立ち上がり、ドアのところで立ち止まる。
「お休みなさい」 
「ああ」 
 優しく返すカウラ。誠はそのまま部屋を出た。廊下が妙に薄暗く感じる。エレベータが上がってきていたが、構わずハンガーに向かうボタンを押した。
 エレベータが開くとそこには要、アイシャ、サラ、島田、そしてリアナが乗っていた。
「あのー。何してるんですか?」 
 少しばかり呆れて誠は口走っていた。
「アタシは・・・その、なんだ、何と言ったらいいか・・・アイシャが暴走しないようについてきたんだ」 
 うつむいて言葉を搾り出す要。
「なんか吉田少佐が言うにはエロスな展開になってるって事だったけど、違うみたいね」 
 アイシャがそう言うと要がその顔を睨みつける。サラと島田はなぜか二人してシャム特製の、原材料不明のジャーキーを食べながら缶ビールを飲んでいる。
「吉田少佐が覗いてたんですか?」 
「まあこの船の監視カメラはすべて吉田君の脳につながってるから変なことしないほうが身のためよ」 
 リアナは久々に多数のギャラリーの前で電波な演歌を披露できて満足そうな顔をしていた。
「そう言えばカウラ大丈夫?」 
 サラがはじめてカウラを気遣うと言う真っ当な発言をした。
「馬鹿じゃねえの?アイツのは演技だよ」 
 そう言うと要はラム酒瓶をラッパ飲みする。
「知ってたんですか?」 
 一口酒を飲み、ようやく落ち着いた要に尋ねる誠。
「まあな。あのくらいで潰れるタマじゃねえよカウラは。それに吉田の馬鹿の覗き趣味もわかってるはずだ。どうせ人畜無害な世間話でもしてたんだろ」 
「その割にはアタシやお姉さんを殆ど拉致みたいにして引っ張ってきたじゃない」 
「アイシャ!外に出て真空遊泳でもして来い!もちろん生身でな!」 
「助けて!先生!」 
 機会があるとまとわりついてくると言うアイシャの行動パターンも読めてきたが、一応上官であると言うところから黙って彼女に抱きつかれる誠。
 顔を上げれば要が今にも襲い掛かってきそうな顔をして肩を震わせている。
「じゃあ行きましょうよ。お鍋のお肉硬くなっちゃうとシャムちゃんに悪いでしょ」 
 そう既婚者らしく場を仕切って、リアナがハンガーへのエレベータのボタンを押す。
「でもなあ、神前」 
 缶ビールを飲み干した島田が心配そうに呟く。
「あの吉田少佐の事だ、画像加工して菰田のアホを焚き付けるかもしれないな」 
「それ、ありそうね。私もそれもらおうかしら。いいネタになるかもしれないし」 
「アイシャちゃん駄目よ。私から吉田君には伝えておくから」 
 にこやかにしている割に、リアナの言葉が何となく恐ろしく感じて全員が吉田のこれから起きるだろう不幸を哀れんでいた。
「カウラちゃん大丈夫だった?」 
 ハンガーのある階で止まったエレベータが開くと、シャムとパーラが待ち構えていた。
「ああ、アイツはそう簡単にくたばらねえよ。シャムまだ肉あるか?」 
 そう言いながら、一向に誠から離れようとしないアイシャを要が引き剥がした。
「何かが足りないな」 
 要は誠からアイシャを引き剥がしてそう言った。
「何が足りないの?」 
 急に後ろで声を聞いて要は明華に気がついた。
「またあんた仕掛けをして神前を潰す算段でもしてるんでしょ?」 
「姐御。酷いですよ!アタシだってそんな何度も同じ事しませんし、リアナお姉さんがいたら何かしてたらすぐにばれるじゃないですか」 
「そうよ。あんまり度を過ごした羽目の外しかたは社会人失格よ!」 
 誇らしげに言うリアナだが、その場の全員が何時もの電波演歌リサイタルを経験しているので、無性に突っ込みを入れたくなるのをようやくのところで我慢していた。
「それはそうと肉食べないと損よ」 
 そう言うと明華は吉田が一人でなぜか豆腐ばかりを放り込んでいる鍋の方に向かう。
「シャム。どんだけ肉食った?」 
 要が恐る恐るそう言うと、シャムは後ろめたそうなしぐさをした。
「無えじゃねえか!シャム!全部喰っちまったのか?」 
「だって煮すぎたら硬くなっちゃうよ!」 
「馬鹿!全部突っ込む必要なんて無いんだよ!こいつの分ぐらい残しておけよ!」 
 親指で誠の事を指差しながら要がシャムを怒鳴りつける。
「怒鳴るなよ。おい、俺達そんなに喰わねえから、こっから取れや」 
 嵯峨がそう言うと肉と野菜が半分ぐらい残った皿を指差す。 
「シャム。お前がもってこい」 
「了解!」 
 シャムはパシリの様に嵯峨から皿を受け取ってくる。
「いいか、シャム。こいつは神前のものだ。お前はあまったのを喰え」 
「うん、わかった!」 
 そう言いながら誠が具材を入れるのを必要以上に熱心に見つめるシャム。 
「ナンバルゲニア中尉。食べますか?」 
 その視線に負けてつい口を滑らす誠。
「駄目だ。こいつは散々食い散らかしてるんだ。全部、神前が喰え」 
 要はそう言うと誠と一緒に具材を空の鍋に入れていく。
「私も駄目?」 
 さりげなくアイシャがそう口を挟むが、殺気を帯びた要の視線に退散する。
「もう春菊とかはいけるんじゃないか。取ってやろうか?」 
 正直、そんな態度の要は信じられなかった。誠はまじまじと要の顔を見つめる。
「あのな。お前殆ど喰ってないだろ?」 
 誠はとりあえず自分の皿を渡す。
「もう肉も行けるだろ」 
 そう言うと要はせっせと煮えた具材を誠の皿に盛り分けた。
「じゃあ失礼して。いただきます」 
 誠は肉を拾いポン酢につけて口に入れる。独特の獣臭さの後、濃い肉の味が口に広がる。そして次々と肉を放り込むとさらにその味が口に滞留して気分が晴れるような感覚に襲われた。しかし、その後ろでは西を呼びつけた島田と要とサラ、パーラがなにやらひそひそ話を始めていた。とりあえず要が怒るだろうと読んで、誠は知らぬふりで鍋に明らかに入れすぎの豆腐をつまんでいた。
「ちょっとしたショーが見れるかもな」 
 同じくなぜか豆腐を突いている吉田がそう誠に呟きかけた。
「ショーですか?」 
 誠がぼんやりと繰り返す。アイシャはと言えばシャムの猫耳を取り外して自分につけたりして遊んでいる。
「クラウゼ大尉。よろしいですか?」 
 西が日本酒の瓶を持ってアイシャに話しかける。
「西キュン!なあに?お姉さんに質問か何か?」 
 上機嫌にアイシャが答える。誠は何が企まれているか分かった。カウラが真似ていたアイシャの飲みすぎた姿。それを本人で再現させようと言うのだろう。島田と要はラム酒を飲みながら、サラとパーラはビールを飲みながらじろじろとアイシャを観察している。
「今回の活躍凄いですね。三機撃墜ですか。保安隊の誇りですよ」 
「褒めたって何にもでないわよ。第一、ここに七機撃墜の初出撃撃破記録ホルダーがいるのに」 
 そう言うとアイシャは空いたコップを西に突き出した。西が日本酒を注ぐ。
「そんなに飲めないわよ!」 
 そうアイシャが言うのを聞きながらも、わざとらしくコップに8分ほど日本酒を注いだ。
「おい、西。何してんだ?」 
 わざとらしく島田が近づいてくる。上官である彼に西が直立不動の姿勢で敬礼する。
「なるほど、上司にお酌とは気が利いてるじゃないか。じゃあ一本行きますか!総員注目!」
 島田が大声を上げる 彼の部下である技術部整備班員が大多数を占める宴会場が一気に盛り上がる。
「なんとここで、今回の功労者クラウゼ大尉殿が一気を披露したいと仰っておられる!手拍子にて、この場を盛り上げるべく見届けるのが隊の伝統である!では!」 
 アイシャが目を点にして島田を見つめる。してやったりと言うように島田が笑っている。さらにアイシャはサラ、パーラ、そして要を見渡す。
『はめられた』 
 アイシャの顔がそんな表情を見せた。全員の視線がアイシャに注ぐ。引けないことに気づいたアイシャが自棄になって叫ぶ。
「運用部副長!アイシャ・クラウゼ!日本酒一気!行きます!」 
 どっと沸くギャラリー。島田の口三味線に合わせて一気をするアイシャ。
「おい!今回はオメエがんばったよ。アタシからの礼だ。受け取れ」 
 そう言うと今度は要がアイシャの空けたばかりのコップに西から奪い取った日本酒を注いだ。もう流れに任せるしかない。そう観念したように注がれていくコップの中の日本酒をアイシャは呪いながら眺めていた。
 心配そうな顔で飛び出そうとするリアナを制して明華が立ち上がる。島田、要、サラ、パーラはさすがに身の危険を感じたのか人影にまぎれて逃げ出す。
「大丈夫ですか、アイシャさん」 
 さすがにふらついているアイシャに誠が声をかけた。
「らいろうふ、らいろうふなのら!」 
 今度は本物の酔っ払いである。いつもなら白いはずの肌が真っ赤に染まっている。呂律の回らなさは、いつも自分が一番に潰れるのでよくわからないが、典型的な酔っ払いのそれと思えた。
「まころらん!まころらんね。あらしはれ!」 
 アイシャはネクタイを緩めた。
「苦しいんですか?」 
「りらうろら!ぬるのら!」 
 さらに襟のボタンまで取ろうとしているので、思わず誠は手を出して止めた。
「あらあら。久しぶりねえ、アイシャちゃんてば!」 
「どうせ島田と西園寺のアホが仕組んだんでしょ」 
 そう言うと明華は人垣に隠れようとした島田を見つけて、周りの整備員に合図を送った。取り押さえられる島田。続いてサラ、パーラが捕まって引き出されてくる。三人を見て事態を悟った西だが、あっという間に捕まりこれも明華の前に突き出された。
「西園寺の馬鹿は後でお仕置きね」 
 そう言うと明華は引き立てられてきた四人を見下ろして、誠がこれまで見た事が無いような恐ろしい表情を浮かべていた。
「ぎりゅるぶろうろの!あらしのいれんはれすれ!」 
 アイシャが手足をばたばたさせて叫ぶので、竹刀を技術部員から受け取ったまま立ち尽くす明華はアイシャのほうを向いた。
「アイシャ。あんたはしゃべらなくてもいいから」 
「そうれはらいのれす!わらしは酒のりかられ!」 
 そう言うとアイシャは誠に抱きついてきた。
「なにすんだこの馬鹿は!」 
 天井から要が降ってきて、アイシャを誠から振り解こうとする。しかし、運悪くそこに明華の振り下ろした竹刀があった。
「痛てえ!姐御、酷いじゃねえか!」 
「主犯が何を言ってるの!隊長。こいつ等どうしますか?」 
 要に竹刀を突きつけて、後ろで騒動を眺めていた嵯峨に尋ねる明華。
「俺に聞くなよ。まあ一週間便所掃除でいいんじゃないの?」 
 嵯峨はそう言うと何時ものようにタバコを吸い始める。
「じゃあそう言う訳で。誠はアイシャを送って……」 
「姐御!そんなことしたらこいつがどうなるか!」 
 要が叫んだのはアイシャが誠に抱きつくどころか手足を絡めて、そのまま押し倒そうとしていたのを見つけたからだ。
「サラ、パーラ。あんた等アイシャを取り押さえて連れて行きなさい」 
 誠はアイシャから引き剥がされてようやく一息ついた。
「大変だったわねえ」 
 リアナが自分が飲んでいたサイダーを誠に渡す。
「まあ、そうですかね」 
 技術部員の痛い視線を浴びながら、誠は大きく肩で息をした。
「俺は楽しめたからいいけどな」 
 誠の肩を叩き去っていく吉田。自分が大変なところに来てしまったと実感する誠だった。


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