「まもなく始まります」 胡州の首都、帝都の屋敷町の中でもひときわ大きな豪邸。明石はその枯山水が見える和室に東和軍式の儀礼服姿で正座していた。 『胡州のペテン師』 そう呼ばれることもある胡州帝国宰相、西園寺基義(さいおんじ もとよし)は明石から先ほど受け取った毛筆で書かれた書類を熱心に読み続けていた。 「しかし、今度はあかんなあ……ええかげん新三(しんざ)の奴にゃあ灸でもすえなあ」 西園寺基義の書類を眺めながら、胡州帝国海軍の勤務服姿の赤松忠満(あかまつ ただみつ)は目の前の茶を啜った。 「吉田から話は行っとったわけでは?」 「すべて、決まった後の事後報告だけや。まあいつかはあの面々の組織は潰さなあかん思うてたところやさかい、ほっといたんやけど、いつの間にやらアメリカやらロシアやらの特使がワイのとこ来て、『これでお願いします!』なんてワイも知らんような計画並べやがって、そっから先はあれよあれよ」 愚痴っているはずなのに赤松の表情は明るい。明石はその言葉が途切れたところで西園寺基義の方を見た。 「うむ」 分厚い書類をかなりの速度で読み終えた後、静かに言葉を飲み込んで腕を組む西園寺基義。 「次の庶民院に提出する法案ですか?」 明石は慣れない標準語で話す。 「そうだ。先の国会で審議不足で先送りとなった憲法の草案とそれに伴う枢密院の改革法の原案だ。まあ新三の本分は法科だからな。第三者的立場で冷静に現状を分析できればこれくらいの物は簡単に作るよ、あいつは」 戒厳令下。それを敷くことを決意した宰相とは思えない柔らかい表情を浮かべて西園寺基義は茶を啜る。明石は風刺漫画に強調されて描かれるたれ目が彼の娘である西園寺要との血のつながりを感じさせるようで、直接の会見は初めてだというのに奇妙な安心感を感じていた。 「あの馬鹿、高等予科時代から法律、経済がらみの授業は起きとったですから」 「他は寝てたんだろ?」 「いえ、そもそも教室におらんかったです」 赤松のその言葉にニヤリと笑う基義。明石は自分を拾ってくれた恩師でもある赤松が嵯峨の予科学校での同期だったことを思い出して頷いた。 「俺と新三、それに要か。三代続けて問題児だったからな、西園寺の家は。まあ出来は新三が一番だろうがね。確かにこの草案、貴族だってことだけで議員席に座ってる馬鹿でも反対できない内容だな。それに運用次第ではそいつ等を政界から追放できる文言まである」 それだけ言うと基義は立ち上がり廊下の方へと歩き出した。明石は立ち上がって制止しようとしたが、振り返って穏やかに笑う西園寺の表情を見て手を止めた。 「安心していいよ明石君。この屋敷を狙撃できるポイントはすべてアメリカ軍かロシア軍の特殊部隊が制圧済みなんだろ?嵯峨特務大佐のご威光という奴だな」 テラフォーミングから二百年もたったこの大地。風は穏やかだった。胡州、帝都の空は赤く輝いている。 「明石君。話は変わるが、要はまた迷惑をかけていないかね?」 要の父親である。そうわかる目が優しく明石を見つめていた。 「西園寺要中尉は現在は我が隊においてはかけがえの無い戦力で……」 「明石。西園寺卿はまた誰か小突かんかったかと聞いとるんやで。今回は東和で噂の新隊員が配属されたちゅうとったやろ。要坊が新入りぼてくり回さんかったか?ちゅうこっちゃ」 「まず関係は良好であります。それに……」 明石は乾いた口に茶を少し流し込む。 「なんか気にいっとるみたいです」 それを聞いた赤松の表情は狐につままれたという言葉がもっともに合う顔をしていた。じっと基義を見つめる二人。沈黙にたまりかねた基義は少し吹き出した、そしてそれは肩の振るえとなり、ついには腹を抱えて笑い始めた。 「あいつが気に入った?そりゃあいいや。このまま新三のところの楓と女同士で結婚されたらめんどくせえと思ってたんだが。そうか!気に入ったのか」 基義はそう言うと再び部屋の上座に座った。 「赤松中将。早速、陸戦部隊一個中隊を呼んでくれ。この書類は最高レベルの機密書類だ。できれば保安隊の作戦終了時まで伏せておきたい。それと明石君。君もしばらくこの家を出ない方がいい。これからもちゃんと新三の奴の手綱を締めてもらわんといけないからな」 基義のその言葉を聴くと、すぐさま赤松は携帯端末で海軍省との打ち合わせを始めた。
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