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作品名:遼州戦記 保安隊日乗 作者:橋本 直

第23回   今日から僕は 22
「お疲れさま!伊達に幹部候補で入ってるわけじゃないのね。本当に成長早いんだから」 
 リアナはその青い眼でシミュレーターからだるそうに出てきた誠を褒め称えた。
「そんなに褒めても何も出ませんよ」 
 正直、誠は照れくさかった。それなりに運動神経はあると自負していたが、その自負はパイロット研修を始める前から打ち砕かれていた。
 射撃と言うものをまるっきり経験していない東和の青年の平均からしても、誠の銃器関連に関する相性の悪さは誠を絶望させた。東和の重視するアサルト・モジュール用重火器の使い方にいたっては、いつも最下位ばかりだった。とりあえず鍛えた動体視力とフィジカルも全て帳消しにするくらい銃器の操作技術は最悪だった。
 システムのトラブルを予定してオートではなくマニュアルロックオンの正確さを重視する教導隊との演習では、持ち前の反射神経で最後まで生き残るものの、反撃どころかロックオンさえさせてもらえずに袋叩きにされるという芸当を見せ付けていた。
 しかし、今、05式用のシミュレーターにいる誠にはサーベルが有った。一応は剣術道場の跡取りである。物心つくころには既に木刀を振っていた。間合いの取り方が甘いと母親には常日頃言われて、砂を噛みながら幼児期を過ぎ。今では師範である父との対決ではほぼ互角の勝負を挑めるようになっていた。
 そして05式でもその経験は生かされていた。
 いや、むしろそれ以外に活路が無い誠にとっては、下手な火器の使用許可など逆効果だったかもしれないと思っている。事実、法術兵器の使用が出来るようになってからはアイシャ、パーラの前衛組みとの勝率は7割を超えた。今回も二人を蹴散らした後リアナと相打ちに持ち込むまでになっている。
「お姉さん、神前君。ジュース買って来たから。一緒に飲みながら反省会しましょう」 
 自動ドアが開いて、誠が瞬殺したパーラとアイシャが入ってきた。髪を整えているリアナの横をすり抜け、誠はコーラの缶を受け取った。
「でも本当に凄いわね先生は。もう私達じゃあ相手にしてもらえないんだものね」 
 リアナにコーヒーを渡しながらアイシャが苦笑いを浮かべている。ロングレンジでの戦闘が得意な彼女にとって突然至近距離に現れて格闘戦を挑んでくる誠はちょっとした脅威だった。
「確かにそうよね。あの機体前方に展開する結界みたいなの広げられたら手も足も出ないもの」 
 オレンジジュースを明華の分として中央のテーブルに置くと、パーラはそう言いながら笑った。
「あんまり新人褒めるもんじゃないわよ。図に乗って死なれちゃあ後味悪いわ」 
 ようやくシミュレーターから顔を出した明華が口を挟んだ。
「確かにそうだけど……でも一番神前君を買ってるのは明華ちゃんじゃないの?昨日だって『ただの変態じゃないわね』って言ってたじゃない」 
 リアナがうかない顔の明華を宥めるようにした。
「変態ですか?」 
 思わず誠は苦笑いをした。確かに配属以降、脱ぎキャラと言う事で部隊全員が誠を理解している事は知っていた。酒を限界以上飲むと脱ぎだすのは理科大野球部の伝統芸であり、一応はそこのエースだった誠もその遺伝子を色濃く受け継いでいるのも自覚していた。
「まあでも要ちゃんが本気を出した時に比べたらまだまだだから、気を抜かないでね」 
 リアナはそう言うと部屋の中央のモニターを切り替え、先ほどの模擬戦の模様をはじめから映し出す作業に入った。スクリーンに大きく映し出される介入空間を展開する誠の機体。
「相変わらず凄いわねえ」 
 無心にそれを見ていたリアナが賞賛を送る。他の面々もこの映像に引き付けられていた。
「明華。いいか?」 
 全員がびくりと肩を震わせて後ろを見る。まったくもって気配と言うものを感じさせずに嵯峨がそこに立っていた。
「驚かしてすまんが、ちょっとこいつ借りたいんだけど」 
 嵯峨は動ずることなく誠の方を指差した。
「まあいいですけど、いつの間にいたんですか?」 
 呆れた調子で明華はそう尋ねる。
「パーラの後ついて入ってきたから……結構前から居たんだけどな」 
 頭をかきながら嵯峨がそう答える。
「私は全然気づきませんでした」 
 パーラが言い訳のようにそう言った。
「しかしあれを初回から展開したんだろ?しかも二回もだ。誠……お前疲れてないか?」 
 珍しく嵯峨は心配そうな瞳を誠に向けた。
「とりあえず大丈夫ですけど」 
「まあそんなに焦る必要は無いからな。明華、とりあえずこいつ借りるんでよろしく」 
 嵯峨はそう言って誠を連れてシミュレーションルームを出た。
「急用ですか?」 
「まあ、あれだ。出撃タイミングとかは全然話してなかったろ?まあそこを含めての打ち合わせも必要だと思ってな」 
 相変わらずやる気の無い調子で嵯峨はエレベーターのボタンを押す。
「師範代のことですから、また何か最新情報でも手にしているんじゃないですか?」 
「別に。俺以外に聞いても同じような情報だけだよ。現在外部との音信を途絶して司法機関や海軍部隊と対峙している陸軍の基地は23箇所。我々が到着するのは明日以降になるからそれまでにも増えるんじゃないかな?」 
 まるで他人事だ。嵯峨のそう口走る表情を見てもこれらの現象になんの関心も持っていないことだけは確かなようだった。だがそんな誠の視線などお構いなしに嵯峨は死んだ瞳でじろじろと誠を眺める。
「それにしてもここまで成長するとはな。だが実戦て奴はそう甘いもんじゃないぞ。それは覚えておいた方が身のためだ」 
 何度か胸ポケットのタバコを触りながら、嵯峨はそう言った。扉が開き、居住区画の廊下を歩きながら嵯峨は左右を見回した。
「神前。とりあえず隊長室でカウラと要坊が待ってるからそっち行っててくれや。俺は一服するから」 
 嵯峨はそう言うと、自販機横の喫煙所に足を向けた。隊長室のドアを開けると既に要とカウラが来ていた。
「叔父貴何してる?」 
 ソファーに身を任せ、片足をその前のテーブルに投げ出しながら要が突っ立っている誠にそう言った。
「なんか、タバコ吸ってから来ると言ってましたよ」 
「嘘だな。吉田あたりと悪だくみでもしてるんだろ。タバコが吸いたいならここで吸やいいじゃん」 
 確かにその通りだ。誠は隊長用の大きな机の端に山になっている吸殻を見てそう思った。
「すまんねえ、待たせちゃって」 
 すぐに嵯峨は悪びれもせずにそう言いながら入ってきた。
「叔父貴。ようやくアタシ等が何すりゃいいか教えてくれるのか?」 
 見せ付けるようにタバコに火をつけながら要がそう言った。
「まあそんなところかな。神前、別に立ってないでベルガーの隣にでも座れば?」 
 そう言われて誠は移動しているカウラの隣に腰掛ける。思わず目をそらすカウラ。その様子を見て要は舌打ちをした。
「まあいいや。そんで今回はお前等がアサルト・モジュールでの戦闘を行う事になる」
「だろうな。明石の旦那は胡州の動性を探るために出ちゃってるからな。でもあれだろ?明華の姐さんやお姉さん達が訓練してるんじゃ」 
 要はそこで大きくタバコの煙を吐き出す。いつものようにカウラはポニーテールの緑の髪を揺らしながら顔をしかめた。
「あくまでも予備戦力だ。実際『那珂』と第六艦隊の近藤一派の保有するアサルト・モジュールがどれほどの数出てくるか分からん。全戦力では53機だが、全パイロットが近藤中佐の指揮の下で動くとは思えんしなあ」 
 さっきタバコを吸うために席を外すと言いながら、嵯峨はまたポケットからタバコを取り出すが、正面に座ったカウラの緑の目ににらまれて断念した。
「援護無しで敵中突破任務ですか?」 
 カウラは眉をひそめながら一語一語確かめるようにしていた。
「当たり。まあ、ぶっちゃけたところで、お前等は囮、デコイだ。パイロットの数と多国籍の艦隊がアステロイドベルト付近で観戦している。近藤さんもこいつ等が自分達いわゆる『胡州の志士達』の存在を許すわけの無いことくらいわかっているはずだ。それを読んで動いてくる可能性もあるから予備戦力を持ちたいとは思っても、俺らに潰されたらそれで今回の決起はしまいだ」 
 そう言うとソファーに腰掛けてタバコに火をつける嵯峨。彼はそのまま一息タバコの煙を吸い込むと安心したように足を組みなおす。
「出だしから躓いたらすべてが無駄になるってことで下手に戦力の出し惜しみはしないだろうな。それに05式の性能データは飛燕の後継機のコンペに提出されている。菱川重工から胡州軍本部にもこちらの手の内は流れている。そうなれば戦闘プラン提案の専門家の近藤さんはこちらの実力も知っていると考えるべきだろうな。そうなると第六艦隊の主力の火龍あたりじゃ数で押すしかないのもわかっての事だろう」 
 そこで嵯峨はニヤリとした。
「10対1でも勝てと言う訳ですか?」 
 冷たくカウラはそう言い切った。
「冗談抜かせ!新入りのお守りもいるってのになんでそんな無茶な作戦立てたんだ?」 
 机を足手蹴りながら要がそう叫んだ。
「怒るなよ。正直、二線級扱いの戦力の第六艦隊だぜ?どうせエースなんていないんだから、お前等二人でお釣りが来るだろ?それに支援と言うわけじゃ無いがワザとパッシブセンサー全開の状態で『高雄』は進軍させる予定だから。当然そちらにも戦力を割いてくるだろうから全体的にはそれほど差は出ないと思うぞ」 
 弱々しげに、それでいてどこか挑戦的な視線を嵯峨はカウラ達に送った。
「侵攻経路はもう出来ているんでしょうね」 
 カウラは気を取り直してそう聞いた。
「ああもう出来てるよ。それは一応機密事項なんで、明日の朝には時計合わせするからその時見て頂戴よ」 
「了解しました」 
 そう言うとカウラは席を立った。要は忌々しげにタバコを燻らせている。誠はなんとなく居辛くなってカウラの後に続いた。
「ベルガー大尉」 
 緑色のポニーテールにしたがって誠はその後に続いた。
「カウラでいい。この部隊の流儀ではそうなっている」 
 濃い緑色の鋭い視線が誠に突き刺さる。
「じゃあカウラさん。あれだけの説明で終わりなんですか?」 
 呼び出した割りに説明があれだけとはあまりの事だ。誠はそう思いながら規定どおりに深い緑色の作業服に身を包んだカウラに語りかける。
「少なくともこれが隊長のやり方だ。文句があるなら隊長に言う事だな」 
 それだけ言うとカウラは長い緑の髪をなびかせて歩き去ろうとする。誠はその後姿を見送っていた。
「素直じゃないよね、カウラちゃんて」 
 急に背中に甲高い声を聞いたと思って振り返る。何もいない。さらに見下ろす。
「誠ちゃん!あなたまでみんなと同じことやんの!」 
 降ろした視界の中にシャムが立っていた。いつもの事ながら小さい。
「ナンバルゲニア中尉、実は……」 
「それ無し!シャムちゃんでいいよ!」 
「じゃあシャム先輩」 
「違うの!シャムちゃんなの!」 
 頬を膨らませながらシャムが抗議する。
「じゃあシャムちゃん」 
「なあに。お姉さんで分かる事なら何でも答えちゃうよ!」 
 無い胸を張りながら得意げに話すシャム。
「そう言えば最近会いませんでしたが……」 
「酷いんだ!アタシ隣のトレーニングルームからシミュレーションの画像ずっと見てたのに」
 膨らんだ頬はまるでハムスターかリスである。
「すみません。どうもシミュレーターに集中したかったもので」 
「じゃあいい。特別に許して進ぜよう!」 
 ともかくシャムは非常に元気である。誠はそれまでの緊張感が一気にほぐれたような気がした。
「それなら伺いますが、隊長っていつもああなんですか?」 
「ああって?」 
「まあ何でもめんどくさそうにするのは前から知ってたんですが、直前になるまで作戦の細目は教えてくれないし、それも無理っぽい作戦だと言うのにまるで勝つことが決まったような口ぶりで話すし、それに……」 
 言い出したらきりが無い。雲をもつかむような曖昧な説明と投げやりな態度。どちらにしても始めての作戦行動に向かう誠にとって不安要素以外の何者でもなかった。
「大丈夫だって!少なくとも隊長の指示で動いて負けた事ないから」 
「そうでもないぜ。先の大戦じゃあ叔父貴の部下の九割は死んでるんだ。今回だって人死にが出てもおかしくないんじゃねえの?なあ神前」 
 タバコを吸い終わったようで、隊長室から出てきた要がそう水を差した。
「奴は楽しんでんだよ。オメエみたいに物事悪く考える癖のある奴にゃあ、さぞとんでもないバケモンに見えるかも知れねえがな」 
 そう言いつつ黒いタンクトップの上に乗っかった顔は笑みを浮かべている。
「西園寺さんは気にならないんですか?」 
 頬のところで切りそろえられた髪を揺らしているその姿に一瞬心が揺らいだが、誠は確かめるようにして切り出した。
「気になるって?アタシは元々要人略取とか破壊工作とか、まあまともな兵隊さんがやりたがらないような仕事しかしたことねえしな。隠密活動じゃ情報が命だ。それに標的が予定外の行動をとることもざらにある。作戦開始前まで作戦内容が伏せられているなんてのも日常茶飯事だ」 
「そうなんですか」 
 知り抜いたような要の顔に誠は何かをあきらめるべきなのだろう。明らかに戦力で劣る保安隊が独自で近藤中佐の逮捕を狙うのならば誠一人の安心感が犠牲にされるのも当然の話。そう誠は思いなおした。
「で、このチビは何してるんだ?」 
 要はいつもどおり珍獣を見るような視線をシャムに送った。誠も要との間に突っ立っているシャムを見つめる。
 服務規程に有るとおり、どう見ても特注品だと思われる子供サイズの深い緑色の作業服を着ている。
「どうしたの?二人とも」 
「いやあ、オメエがいつもどおりチビで安心したなあ、と思ってただけだよ」 
「要ちゃん!酷いんだ!せっかくいいこと教えてあげようと思ってたのに!」 
「あのなあシャム。オメエにモノ教わるくらいアタシは落ちぶれちゃいないんだ。分かったらさっさとション便して寝ちまえ」 
「誠ちゃんも何とか言ってよ!」 
 子供とそれをあやす気のいいお姉さんだな。誠はそんな感じで二人を見ていた。それでもシャム以外に頼るものも無いので誠は少しばかり気にはしていた疑問をぶつける事にした。
「シャムちゃん」 
「なあに誠ちゃん!」 
 いつもと変わらずシャムは元気である。
「何でコスプレしないんですか?」 
 誠が気にしていたのはその一点だった。駐屯地では軽く済んで猫耳。ひどい時は着ぐるみで隊内を歩き回るシャム。それが『高雄』に乗り込んでからはまったくそんなそぶりは見せない。吉田と一緒に私室に大量のそれらしい荷物を積み込んでいた割にはまったくそれを着るそぶりも無い。
 シャムの表情が曇った。誠を見上げるその目はこれまで見た事がないほど鈍い光を放っている。
「それはね。誠ちゃんもこれから何が起こるか知ってるんでしょ?」 
「とりあえず騒乱準備罪での近藤中佐の捕縛作戦ですが」 
 特にその目つき以外に何が変わったと言うわけではない。しかし、その目の色のかげり具合から誠は恐怖のようなものを感じた。彼女が歴戦のエースであることがこの瞬間に誠の脳裏にひらめく。
「それだけじゃないの。たくさんの人がまた死ぬんだよ。そしてアタシも、たぶん誠ちゃんもたくさんの人を殺すんだよ。そんなところでふざけてなんていられないでしょ。だから、と言う事でわかってもらえるかな」 
 シャムの視線が痛い。実戦は殺し合いだと言う事を知り尽くした目。あえてその視線の変化を理解しようとすればそんなことだけが浮かんでは消えた。
「そうですよね。これは戦争なんですよね」 
 真剣な、どこか陰のある目つきのシャムに、誠は少しばかり狼狽しながら答える。
「まあ法律的な見かたからすりゃあ戦争じゃないとはいえるが、どっちにしろ命のやり取りする事になるのは間違いねえけどな。まあアタシは人が食えりゃあ文句はねえ」 
 要の視線。それに狂気じみた口元の笑み。誠は以前、彼の救出作戦のおり垣間見た、殺戮マシンとしての彼女を思い出して絶句する。
「シャム。その甘さが命取りにならんように気をつけな。神前!アタシはとりあえずハンガー寄ってくがどうする?」 
 誠の目を見つめる要。なぜか彼女は後ろめたいことでもあるようにすぐに視線を落としてハンガーを目指す。
「素直じゃないのは要ちゃんも一緒だね!」 
 記憶と言うものがあるのが不思議になるほどの急な展開で陽気になっていたシャム。彼女の言葉に要が振り向いた 
「そりゃなんだ?誰と一緒なんだ?」 
「カウラちゃんと!」 
「おい、チンチクリン!あんな、人相の悪い洗濯板堅物女と一緒にするんじゃねえ!」 
「じゃあ要はタレ眼おっぱい凶暴女だね」 
「言うじゃねえか!こっち来い!折檻してやる!」 
 要はヘッドロックでシャムの頭を極めながら歩き始めた。 
「痛いよう!」 
 あれほど冷酷な表情を持ち合わせている二人が、次の瞬間にはこんな馬鹿な遊びに興じている。実戦に慣れるということはこういうことなのか、誠はそう思っていた。
「とりあえず僕は仮眠を取るんで私室に帰ってもいいですか?」 
「薄情モノは帰れ!」 
 じたばたと暴れるシャムをヘッドロックで極めながら要はそうはき捨てるように言った。
 誠はとりあえずその場を離れた。エレベーターの前では金色の短めの髪が人目を引くマリアが一人でエレベーターを待っていた。
「どうした?西園寺やベルガーやクラウゼと一緒じゃないのか?」 
「一人です」 
「そうか」 
 正直、誠は間が持たなかった。きつめの美女と言う事ではカウラと似た所があるがカウラが見せるさびしそうな表情はマリアには微塵も無い。どこと無く人を寄せ付けないようなオーラ。それがマリア特有の雰囲気だと誠は思っていた。
「二日後には我々は戦場だ。思うところがあれば、するべきことはして、言うべきことは言っておくべきだな。戦場ではいつだって不可抗力と言うものが働くものだ。絶対は存在しないものだ」 
「はあ」 
 真剣な視線を送る青い瞳が誠を射抜く。そして次の瞬間にはにこやかな笑みが広がっていた。
「神前。君には私としてはかなり期待しているんだ。事実、シン大尉が第二小隊の隊長をしていた時よりも西園寺はかなり穏やかになったし、ベルガーも角が取れてきた」 
「そうなんですか」 
 エレベーターの扉が開き、マリアが先頭で乗り込んだ。誰もが言う二人の変化。それに誠はどうしても気づくことが出来ない自分の鈍感さに呆れていた。
「シュバーキナ大尉」 
 誠はとりあえず自分の中に詰まった恐怖に似たようなものを話してみる事にした。
「なんだね神前」 
 やわらかいようでいて、何故か岩盤のような強固な固さがあるような雰囲気に飲まれぬように注意しながら誠は話を続けた。
「人間てそれほど戦いと言う緊張状態に慣れらるものでしょうか?」 
 誠のその言葉に思わず口元を緩めるマリア。
「悲しいが人間の適応力は凄いものだ。私も二十年前にはこんな稼業に手を染めるなんて思ってもいなかったものだよ。だが、私はここにいて、さらに二日後には確実に人を殺めることになるのは分かっている」 
 マリアの顔に先ほどシャムに見た黒い影が面差しを曇らせる。
「それでもこうして今の所笑っていられる。それが人間だ」 
 どこかあきらめたような自嘲的な笑みが、その整った口元をゆがめているのを見て、誠は少しばかりこんな事を話した事を後悔していた。
「しかし、誰かがこんな事をしなければならない。そして他の誰でもなく私がすることになった。それが現実なら受け止めるしかない。私はそう思っている。現実はいつでも酷く残忍なものさ」 
 ドアが開き居住スペースの所に止まった。誠は下に行くマリアと別れてこの階で降りた。敬礼をしようとする誠に首を振りながらドアに消えるマリア。
 誠はそのまま居住スペースの廊下を進み、角を曲がった誠の私室の前で一人の男が酒瓶を手に誠を待っていた。
「久しぶりに飲もうや」 
 先回りして待っていた嵯峨は、また普段のダルめの雰囲気を背負いながら手を振った。よれよれの作業服。無精ひげ。40を過ぎたとは思えないように張りのある顔つきにどこか影を感じる。
「とりあえず入りましょう」 
 誠はそれだけ言って、指紋認証でドアのキーを解除して私室に入り込んだ。
「結構片付いてるじゃないか」 
 ただ置くべきものがないだけの部屋を嵯峨はそう評した。
「ああ、コップはあるんだな。俺も念のため持ってきたんだけど」 
 二つのグラスを出すと、作業用の机の上にコップを並べて注ぎ始める嵯峨。誠はベッドに腰をかけその様子を見ていた。
「まあ飲めや」 
 そう言うと嵯峨は注ぎ終わったコップを誠に渡し、自分もそれを一舐めしたあと悠然と部屋の中を見回した。
「正直どうだい?初の実戦の前の気持ちは」 
 酒の味の余韻に浸るように眼を細めながら嵯峨はそう切り出す。
「よく分からないです。これから自分の手で何人かの人を殺す事になるだろうと言う事はこれまで考えた事ありませんから」 
「そうか」 
 それだけだった。嵯峨は特に何の感想も無いとでも言うように静かに頷くと再び酒瓶からコップに酒を注ぐ。
「確かにそうだな。脱出装置なんていうものは、所詮、お守りくらいのもんだと思っていたほうがいい。熱核反応式のエンジン搭載の火龍なんかじゃあエンジンの爆縮に巻き込まれてまず助からんだろうな」 
 嵯峨はそう言いながら今度は一息で注いだ酒をのどの奥に流し込んだ。
「ちょっと不安になったみたいだな」 
 嵯峨はコップに酒を注ぎながらそう言った。表情は特にいつもと変わらない。昔からの彼の二つ名「人斬り新三」のことは知っているので彼が誠に想像する事ができないような修羅場をくぐっている事は知っていた。
『人間慣れてしまうものだ』 
 マリアの言葉が頭から離れない。
 嵯峨は明らかに人の死と言うものに慣れている側の人間だ。
「いつもと違って進まないじゃないか?そうだ。シャムが作ってる猪の干し肉があるぞ。結構、癖はあるが酒にはあう」 
 ポケットから薄くスライスした猪肉を干したと思われるものを差し出す嵯峨。
「ちょっといいですか?」 
 誠はそう言うと一切れ千切り、軽く匂いをかいだ。野趣溢れるというのはこのことを言うんだろう、野生動物特有の臭みが鼻を襲う。 
「それと柿の種持ってきたけど食うか?」 
 今度は右の胸ポケットからビニールに入った柿の種を取り出す。
「俺は制服とか嫌いなんだけどさ、こう言う時はポケットが多い軍服が便利に感じるね」 
 嵯峨はそう言って取り出した柿の種のビニールを破ると誠に手渡す。手にしながら食べるかどうか躊躇していた干し肉を嵯峨に手渡して柿の種を受け取った。
「こう言う実力行使部隊には隊長には多くの権限を与える事が多い、それはなぜだと思う?」 
 いつものいたずらっ子のような自虐的な笑みが嵯峨の顔の口元に光臨する。誠は柿の種を一粒口に放り込んで、コップ酒を傾けた。
「状況の変化に対応するためには、現状を一番理解している指揮官に裁量を与える必要があるからですか?」
「そりゃあ後付の理由だ。実際、意外に人間の作る組織ってのは不安定なもんだ。それに常に指揮官が現状を把握できるとは限らん。むしろ情報が多すぎて状況を把握できない指揮官が殆どだな。俺もそう言う状況にゃあずいぶん出くわしたもんだ」 
 また笑みがこぼれた。
「責任を取らせるためですか?」 
 投げやりに誠が言った言葉を嵯峨は櫛がしばらく入っていないと言うような髪をかき回しながら受け取った。
「まあ俺の本職は憲兵隊だからな。まさに責任取らして詰め腹切らせるのが仕事だったようなものだ。隊員の指揮命令系統下での全ての行動は指揮官の責となる」 
 嵯峨はまたゆっくりと酒を口に運ぶ。
「つまりだ、お前さんは命令違反をしない限り、敵を殺したのは俺と言うことだ」 
 いくつかその言葉に対して言い返したいこともあったが、誠は静かにコップ酒を一口、口に含んだ。
「誠。お前さんがそう簡単に物事を割り切れる人間じゃない事は知っているよ。自分の責任の範疇じゃ無いからと言って、すんなり人を殺せと言う命令に納得できる方がどうかしてる。少なくとも初の出撃の時からそれを覚悟しているなら、他の部隊でも行ってくれと言うのが俺の本音だね」 
 コップのそこに残った酒をあおると、嵯峨はシャム謹製の干し肉をくわえた。
「そんなものですか?」 
「そんなものだよ」 
 嵯峨はまた静かに三杯目の酒をコップに注いだ。
「よく見ると殺風景な部屋だねえ。お前の好きなアニメのポスターの一枚も貼ればいいのに」
 グビリと嵯峨は酒を口に含む。
「お前、あれだろ。アニメのディスクとかに付いてきたポスターとか、きっちり保存用に溜め込む口だろ?まあシャムやアイシャもそんなこと言ってたからなあ。アイシャなんかは保存用、布教用、観賞用って三つも同じディスク買い込んでるみたいだからな」 
 確かに自分もそうなので誠は苦笑いを浮かべるしかなかった。
「せめてカレンダーくらい貼っといた方が気が休まるんじゃないか?こんなに殺風景だと……おい、誰か来てるみたいだぞ」 
 入り口の所を指差し、嵯峨はそう言った。誠は指示されるままに扉を開く。
「よう!元気か!って、なんだ、叔父貴もいたのかよ」 
 少しばかり上機嫌になっている要がそこにいた。自分も酔ってはいるものの、要の息は明らかに大量の蒸留酒を飲んでアルコールに満ち溢れたそれだ。
「おいおい、一応待機中なんだぜ、もうちょっと自重してもいいんじゃないのか?」 
「かてえこと言うなよ!おい神前!」 
 直立不動の態勢をとった誠だが、先ほどのシャムの『タレ眼』と言う指摘を思い出し、じっと要の顔を見ていた。
「どうした?アタシのあまりの美しさに言葉もねえのか?」 
 確かにタレ眼だった。笑顔を浮かべるとさらにタレ眼になる。
「虐めんなよ、要坊。それよりこいつ飲むか?」 
 嵯峨は一升瓶を掲げた。ぬらりと視線を一升瓶に移した要だったが、すぐそのタレ眼が輝きだした。
「これって銀鶴の純米大吟醸じゃないか!胡州でも手に入れるの大変なんだぜ!叔父貴!どこで売ってた」 
「ああ、ここの店主とは西園寺家に養子に入ってからの付き合いでね。まあ年に5本くらいは贈ってもらってるよ。兄貴の所にゃあもっと送ってると思うけど。飲んだ事ないのか?」 
「オヤジの野郎がそんな親切な人間に見えるか?ほとんど客が来た時、さしで飲むのがこれだから。アタシはめったに飲ませてもらえねえよ」 
 そう言いながら酒瓶を嘗め回すように見つめる要を気にすることなく、嵯峨は悠々とコップに酒を注いだ。
「いくら頼んでも無駄だぞ、こいつは俺と誠で飲もうと思って持ってきたんだ。そんだけ出来上がってりゃあ味も何も関係ねえだろ?消毒用のエチルでも飲んでな」 
 まったく取り付く島が無いとでも言うように、要の羨望の視線を尻目に悠然と酒をあおる嵯峨。
「ちょっと待て叔父貴。神前!ちょっとここに座らせろ!」 
 要はそう言ってベッドに腰掛ける。しばらく眼を瞑り、手のひらを閉じたり開いたり始めた。
「神前少尉、何をして……隊長!」 
 開けっ放しの入り口、今度はカウラが顔をのぞかせた。
「千客万来だなあ、誠。まあカウラもこっち来いや。それで要坊。アルコールは抜けたか?」
「まあな、この状態なら飲んでもいいだろ?」 
 体内のプラントをフル回転させてアルコールを分解させ、すっかりしらふに戻った要がまた目じりを下げながらじっと酒瓶を見つめていた。
「そうだ、要とカウラ。それに……ちょっと後ろ見てみ」 
 入り口で立ち止まっているカウラが言われるとおりに後ろを見た。そして誠達からも分かるような驚きの表情を見せた。
「アイシャ!なんで貴様がいる」 
「それは無いんじゃない?カウラちゃん。こんな狭い艦だもの、暇つぶしに歩いてたらたまたまここを通っただけよ。それよりなんでカウラちゃんがこんなとこに……って要や隊長まで!」 
 長い紺色の髪をなびかせてアイシャがカウラに付き添うようにして誠の私室に入る。
「こりゃちょっとコップとか足りねえな。要坊、コップあと三つ、それにカウラ用にジュースでも買って来いや」 
「何でアタシなんだ!」 
「お前もこれ飲むんだろ?それにここは誠の部屋だ。つまりこいつがここの主人だ。そして階級は俺は大佐、ベルガーとクラウゼは大尉。お前は中尉。つまり上官命令って奴だ」 
「分かったよ!」 
 そう言うと仕方ないと言ったように要は部屋を出て行った。渋々、要は席を立って部屋を出て行こうとする。
「ああそうだ。出来れば食堂でなんかつまむ物でも持ってきてくれや」 
「わあったよ!叔父貴は人使いが荒いねえ」 
 ドアが閉まる。アイシャはベッドの脇、カウラの隣に座った。
「タレ目ですね」 
 誠はしみじみとした調子でつい思いついた事を口にした。
「誠。それあいつの前では言わん方がいいぞ。血を見る事になるからな」 
 完全に乾燥し、硬くなった干し肉を引きちぎりながら嵯峨はそう言った。
「それはそうと、何でお前等が……って言うだけ野暮か」 
 嵯峨は細かく千切った干し肉を口に放り込む。
「特に用があったわけじゃないですが、どうも作戦が近づいてるのが気になるみたいでちょっと声でもかけようと思って……カウラちゃんはどうして?」 
 話を振られて緑の髪を揺らしながらうろたえるカウラ。ポニーテールの髪がかすかに揺れているのが誠にも分かった。緑色をした澄んだ瞳が、ちらちらと誠の方に向けられる。
「まあいいやな。人のすることを一々詮索する趣味は俺にはねえよ。まあ初出撃だ。ビビらん方がよっぽど厄介だ。おかげさまで俺の部下に、英雄気取りの馬鹿はあまりお目にかかってないんでね。それに俺の軍籍のある胡州陸軍には伝統的な馬鹿矯正法があるからな」 
「鉄拳制裁ですか?」 
 一口酒を舐める嵯峨にカウラはそう答える。
「ぶん殴って頭をはっきりさせるって言うのは、戦場で自爆どころか足を引っ張った上で勝手にくたばる運命に比べたらよっぽど人道的な配慮のある行為だよ。まあ俺は暴力は嫌いだがね」 
「本当にそうなんですか?ずいぶん芝居がかって見えますが。誠ちゃんもう一杯どう?」 
 皮肉めいた笑みを嵯峨に向けたあと、アイシャが報告書作成のための机に置かれていたコップを手に取り酒を注いだ。
「そう言えば誠との付き合いは、俺が陸軍大学校を出て東和の大使館付き二等武官をやってたころだから……」 
「隊長。そのころまだ僕は生まれてませんよ」 
 それは誠の実家の道場では誰もが知っている話だった。
 誠の父誠也(せいや)が道場を開いて初の道場破り。酔狂なその胡州軍人の話は語り草となった。その軍人、嵯峨二等武官は誠也の竹刀をあっさり叩き落したが、誠の母、薫の徹底的に攻撃を受け流す策の前に焦って打ち込んだ面をかわされて敗れ、そのまま入門したという事も誠は聞いていた。
「そうだったっけ?ああ、そう言えば居なかったな。思い出した、思い出した。俺が復員した後、楓に家督を譲って東都で弁護士事務所を始めたころだ」 
「弁護士事務所?茶道教室の間違いじゃないんですか?」 
 アイシャはいたずらっぽく笑う。弁護士資格を持っているのは時々聞いていたが、茶道の心得が嵯峨にあることは知らなかった。誠はいまひとつ理解できていない上官をじっと見つめた。
「仕方ねえだろ。ちゃんと裁判所には弁護士事務所で登録したんだから法律的には弁護士事務所だ。まあ実入りは茶道具の仕入れや骨董の鑑定なんかの方が多かったけどな。一応二回ほど訴訟を手がけた事もあるんだぜ」 
 そう言うと急に扉のほうに視線を移す嵯峨。盆の上に三つのコップと烏龍茶と豚の角煮を一皿持った要が居た。
「早かったじゃねえか。しかも豚……じゃねえか猪の角煮、炊事班の賄いか?こいつ旨いんだわ。とりあえず机にでも置いて一杯やろうじゃねえか」 
 ふくれっ面の要がカウラ、アイシャの横をすり抜ける。肩にかからない程度に切りそろえられた髪をなびかせながら、要はアイシャと嵯峨との間に腰を下ろして嵯峨からコップを受け取った。
「叔父貴。ケチるんじゃねえぞ!」 
「分かってるよ。まあアイシャも少しは付き合え。カウラすまんな。とりあえず茶でも飲んでくれ」 
 要の労をねぎらうべく、嵯峨は自分達より多めに酒をついでやった。乾杯を待たずコップの中の酒を口に含む要。
「いいねえ、こいつやっぱ旨いや。アルコール度数も高けえんじゃねえの?」 
「そうだな。確か18度くらいじゃないのか?」 
「ええと、正解です。アルコール度数17〜19度」 
 誠は手書きのラベルの片隅に書かれた品名の欄を読み上げる。
「それじゃあ私はセーブしながら飲まないと」 
「だな。アイシャはそれほど強くないからな。まあアタシは好きなだけ飲むけど」 
 要がまたグビリと酒を口に含んだ。誠が一口飲む間に、もうさっき注いだ酒の半分が消えていた。
「要坊。もう少し味わって飲めよ」 
 思わず嵯峨が苦笑いを浮かべる。
「そんなのアタシの勝手だろ?しかし、何度も言うけどカウラ本当に飲めないのか?お姉さんとかパーラは結構いける口なのに変じゃないのか?」 
 そう振られてカウラは緑の瞳で誠を一瞥した。悲しい瞳だ。誠はそう感じた。
「私達は確かに人造培養生命体だが、同じ遺伝子を使用して製造されたわけではない。体格や各種性能にはそれぞれ差がある」 
「そう言うこと。でも本当に美味しいお酒ね。隊長、やっぱりこれお姉さんも飲んだ事あるんですか?」
「リアナか?あいつに飲ませてもつまらねえよ。アルコールが入っていりゃあ何でもOKなんだから。それにその後の拷問に俺は耐え切れん」 
 嵯峨はそう言いながら四杯目の酒をあおった。
「誠。とりあえず俺は仮眠を取るわ」 
 それだけ言うと嵯峨は席を立つ。
「叔父貴。これもらっていいのか?」 
 タレ目を輝かせて酒瓶を持ち上げる要。
「勝手にしろ。誠、せいぜい怖いおばさん連に虐められないように!」 
「おばさん言うな!この不良中年が!」 
 要の剣幕に押されるようにして出て行く嵯峨。その様子に少し頬を緩めるカウラ。まったく我が道を行くという様子で酒と角煮を味わうアイシャ。
「西園寺さん、カウラさん、アイシャさん」 
 それぞれの目を見て誠は切り出した。
「なんだよいきなり」 
 要が怪訝な目で誠を見つめる。
「僕は思うんです。ここに来たのは正解かもしれないと」 
「そうよね。こんなきれいなお姉さんが部屋に来てくれるなんて、他の東和軍じゃあ考えられないもんね」 
「自分で言うんじゃねえよ、バーカ!」 
「何よ、きれいなお姉さんには要も入ってるのよ!」 
 要とアイシャのやり取りに思わず声を出して笑うカウラ。
「それもありますけど、隊長とか、明石さんとか、吉田さんとか、明華さんとか、リアナお姉さんとか、マリアさんとか、シン大尉とか。ともかくみんないい人なんで。それで僕が僕の仕事をこなす事でその人達が守れるって事が凄く嬉しいんです」 
「神前の」 
 重々しい口調で切り出す要。
「生意気ですか?」 
「バーカ。ようやく戦う心構えが出来たのかと安心しただけだ。今の気持ち、忘れるなよ。忘れればアタシみたいな外道に落ちる」 
 以前見た陰のある瞳が二つ要の顔に浮かんでいるのを誠は見つけた。要は酒を口の中に流し込む。アイシャは角煮を頬張る。カウラはその様子を心地よい笑顔で眺めている。
「なんか遠足みたいな感じですね」 
 誠は自分より年上に見える女性三人に囲まれて、つい間が持たずに口を滑らせた。
「遠足?」 
 また要が噛み付く下準備をする。
「私とカウラは遠足なんてした事ないから。今回の任務が終わったら夏よね。私は艦長候補研修があるから難しいけど、カウラは何処か行くの?」 
「特に予定はない。それ以前に無駄に動き回るのは私の性に合わない。神前、そこのオレンジ色の小さなセンベイもらっていいか」 
「いいですよ。僕は角煮食べるんで」 
 カウラはいつものように感情が入っていない声で答えた。
「要ちゃんは里帰り?」 
「馬鹿言うな。アタシは実家とは縁切ったんだ!」 
「そう?ただ康子様と楓ちゃんに会いたくないだけなんじゃないの?」 
 図星を突かれてうろたえる要。得意げに鼻歌を歌いながらアイシャはコップの底の酒をあおる。
「おい、アイシャ。飲みすぎじゃないのか?」 
 珍しく要が上機嫌のアイシャに声をかけた。
「飲みすぎ?そんなんじゃないわよ!ただ少し気分がいいだけ。ねえ!誠ちゃん!」 
 誠は思った。明らかにアイシャは出来上がっている。しかもここは誠の部屋だ。どこにも逃げようが無い。
「カウラ、こいつを連れて帰るぞ」 
 要が心配そうな表情の誠に気を使ってカウラに声をかける。カウラも頷くと足をじたばたさせながらわけのわからない言葉を連呼するアイシャを押さえつけた。
「襲われるー!助けて!誠ちゃん!ビアン=ドS大帝、西園寺要がー!!」
「うるせえ!馬鹿!人が来たらどうすんだ!」 
 要がどうにかアイシャを背負い、カウラが後ろからそれを支える。
「大丈夫ですか?」 
 申し訳ない。そう思いながら誠が要に声をかける。
「しかし、初めてじゃないのか?神前。テメエがうちに来てから他人が潰れるの見るの」 
 にやりと笑いながら要が誠の瞳を見つめる。
「じゃあ!出発!進行!」 
「まったく何を考えているのか……、要!大丈夫か?」 
 カウラはアイシャがきつくしがみついているのを見ながら立ち上がった。要はそのままアイシャを背負って部屋から出て行く。カウラは少し遅れて部屋を出ようとするが、また誠の前に戻ってきた。
「神前少尉。頼みがある」 
 緑の前髪がこぼれる額、透き通るような頬を少し赤らめてカウラは言った。
「頼みですか?」 
「そうだ」
 誠は正直カウラの心が読めずにいた。
「もしこの作戦が終わったら、一緒に海に行ってくれないか?」 
 突然の誘い。誠は正直戸惑った。
「それほど深い意味はない。ただ戦場で生き抜くには生き抜いた後になにか頼るべきものが必要だと……本で読んだのでな」 
 カウラの声が次第にか細くなる。
 ひたすら時を待ち、言葉を伝える機会を待っていたようで、かすかに顔にかかる緑の髪が震えている。
「分かりました。約束しますよ」 
「そうか!ありがとう」 
 溢れるような、太陽のような笑みがそこにあった。誠は心からの笑顔を浮かべながら部屋を出て行くカウラを見送った。


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