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作品名:遼州戦記 保安隊日乗 作者:橋本 直

第2回   今日から僕は 1(後編)
 黙って誠の方を見て頷くと、明石は肩で風を切るようにして歩きだした。バーベキューコンロの周りにたむろしていた勤務服の隊員が明石を見ると自然と道を開ける。サングラスでよくは見えないが、正面に固定されたかのように微動だにしない彼の視線がその異様な風体ともあいまって周りの隊員達を威嚇していた。
『まるでヤクザだな』 
 誠は近づいてきた明石をそう見ていた。立ち止まってそのまま明石は無表情なままでサングラス越しに誠を見つめる。
 そしてにんまりと笑って見せるが、誠から見ればそれは彼を安心させると言うより、不安感を増幅させる効果しかなかった。
「よう来たな。ワシが副長の明石清海(あかしきよみ)中佐や。まあここじゃあ何だ、とりあえずハンガーでワレが乗る機体でも見るか?」
 見た目とは違ったやさしげな調子で誠についてくるように手で合図する明石。誠は運動場の奥でなにやら準備している勤務服の男女が気になったのだが、嬉しそうに誠をつれてハンガーへ向かう明石の後に続いた。
 食べ物を薦めてくる隊員の群れを抜けてハンガーのひんやりとした空気の中に二人は入っていた。特機部隊らしい、オイルの匂いが誠の鼻をついた。
「こいつらがワレが命預けることになる機体ちゅうわけや」
 明石はそう言って目の前に並んだ巨人像のようなアサルト・モジュールを指差した。それは灰色のステルス塗料で塗装され、あちらこちらに今だ新品であると言うことを示すようにテープやビニールで覆われている部分もあった。
 その流麗なフォルムを持つ新型特機。誠はこの機体に乗る為に、この三ヶ月間の間、訓練を重ねてきた。だが訓練用の機体より明らかに分厚く見える不瑕疵金属装甲で覆われたその機体は迫力が違った。
「これって、確か最新式の05式特機(まるごしきとっき)じゃないですか?」
 誠はあえて確認のためにそう言ってみた。軍事関係に明るい人間なら、必要とされる性能をはるかに超える実力とその最悪なコストパフォーマンスで各国への売込みが大失敗するに至った過程を知っていた。
 05式の制式採用をその値段であきらめた東和軍の要請で、この機体の廉価版である09式特機が開発中であることくらいは誠も熟知していた。
「ほう、さすが幹候出じゃのう。ようわかっとるわ。こいつらは先月配備になった新品じゃ。ワシも慣らしで何度か乗ったが、パワーのバランスとOSの思考追従性はぴか一じゃ。まあ実戦くぐらなほんまにええもんかはわからんがのう」
 そう言いながら細い眼で機体の群れを眺める視線は、サングラス越しでも愛嬌のようなものを誠は感じた。05式の売りはエンジンに対消滅ブラスターエンジンを採用、さらに駆動系を磁力系から流体パルス系に変えたことでパワーに於いて限界が見えてきたと思われてきたアサルト・モジュールの駆動系システムに革新をもたらしたところにあった。
 司法機関ならではの格闘戦が予想されている保安隊に於いては、パワーで既存のアサルト・モジュールを圧倒できる性能が必要とされる事と、次期主力の09式の開発におけるパイロットモデルと言う意味に於いて、開発社の菱川重工によるダンピングがあったことを想定すれば、この機体を導入することを保安隊が決断したことも十分に納得できるものだと誠にもわかった。
 明石はそのまま目を輝かせている誠を眺めた後、すこしばつが悪そうに言葉を続けた。
「それと言うとかなあかんことなんやけど、ちょっとした歩行や地上での模擬格闘戦闘はともかく、今のところうちにはシミュレーターの類が無いからのう。一月に一度『高雄』のある新港基地まで出向いてそこでの訓練になるけ、そん時は気合入れて励めや」
 誠は頭の血が引いていくのが分かった。経験が積めると言う名目で来た部隊にろくに訓練をする施設が無いということに唖然とする。
 同盟機構軍の設立を来年に控えて、同盟司法局の予算が削られているのは聞いてはいた。考えてみれば二つの同質の組織が並立している以上、上層部がどちらかの予算を削ろうと言うことは少し考えればわかる。
 だがいきなりそのような上層部の事情がちらつく言葉をかけられて、明石を見上げる誠の目がきらきらしたものから不満そうな目に変わるのを誠はとめることが出来なかった。
「そんな顔するなや。まあ一度の実戦は一年の訓練に勝ると言うけ、それじゃあ詰め所とか案内するけのう」
 明石はそんな誠を無視するようにハンガーの奥へと歩みを進める。誠の新品の機体の隣には西園寺家の紋所である巴紋を肩にあしらった紫紺の05式が並んでいる。そしてその隣には深い紺色の飾り気の無い機体が並んで立っていた。
「巴の紋所は西園寺の機体や。一応、あいつも胡州四大公爵家の姫君やからな。そして隣の無愛想なのがカウラのじゃ。いろいろ悪戯しようとする奴等もおるが、とりあえず今のところは出荷時の塗装。エンブレムものうなっておる」 
 そして明石は黒と灰色で塗装された機体の前で立ち止まった。
 明石の言葉でもう一度あの暴力タレ目サイボーグこと西園寺要のことを誠は思い出していた。
 胡州の貴族制を支える『領邦』制度。
 それは地球のアメリカ信託統治領から流れ込んだ日系の移民達を建造したコロニーに受け入れることで始まった制度だった。
 胡州では国税と言う発想は無かった。各コロニーや居住区を所領として管理する貴族達がそれぞれに住民から税を徴収し、その一部を国庫に納めるという方式を取っている為、貴族の力は非常に強力だった。
 中でも西園寺家、大河内家、嵯峨家、烏丸家。この四家はそれぞれ領民一億を抱える大貴族と言えた。
 その筆頭の家柄の一人娘である。東和の庶民の息子である誠には想像できない世界だった。
 明石は頭をかきながら誠にその隣の機体を見せた。
「これがワイの機体じゃ。どう見える?」 
 落ち着いた灰色の色調の05式。武装や装備を外してある為、色以外に特に機体の違いは感じられない。肩に何か文様のものが描かれているが、下からではそこに何が描かれているのかわからなかった。
 反応が無いのが面白くないとでも言うように明石はゆっくりと歩き出す。
「そして隣の白の機体がシャムの機体。あいつは遼南内戦からずっとこれやからなあ。ワレも知っとるだろ?あいつの戦果は化け物やからのう」
 そんな言葉を聞きながら誠は言われた期待の隣の機体に目を向けた。これまでの人型の05式とはまるで違う、ジャガイモを思わせるような機体が鎮座していた。
「これが吉田の05式丙型じゃ。一応型番は同じになっとるが、05式の運用に於いて通信系や電子戦のフォロー、それに情報収集に特化した機体じゃ。まああいつは他にとりえもないからな」 
 明石は少しばかりこの機体については投げやりに答えると、そのまま奥の階段を上ろうとした。
「中佐!そこの黒い一機だけモデルが違う方のようなんですが……それにちょっとこれはかなり改造されてて元が何の機体か……」
 階段の手すりに手をかけたまま振り向いた明石が誠の見つめている先にある、増加装甲が特徴的な機体を眺めると語りだした。
「それは嵯峨のオヤジの四式特戦じゃ。知っとるやろ?オヤジが先の大戦で一応エースと呼ばれとったのは。そん時の愛機がこれじゃ。それをまあいろいろ弄り倒してこうなっとるわけじゃ」
 誠はその黒い四式を眺めた。四式、特戦と言う名称からして胡州軍のアサルト・モジュールである。胡州軍は先の大戦では運動性能重視のアサルト・モジュールを多数開発した。だが、誠は四式と言う名称は初耳だった。おそらく試作で終わった機体なのだろう。それも二十年前に。
「ですがそんな時代遅れの機体……」
 話を切り出そうとした誠の口を明石が抑えた。
「四式は胡州陸軍の中でも特筆すべき先進的な設計の機体じゃけ、まあエンジンとOSの技術が機体の基本設計に着いて行けんかったところがあるけ。そんじゃからまあ今でもこうして現役で動いとるわけや。まあ殆ど元の部品は残っとらんし、増加装甲やらアクティブ・ディフェンシブ・システムやらゴテゴテつけて跡形もなくなっとるがのう」
 そう言うと明石は階段をゆっくりと登り始めた。誠はその奇妙なアサルト・モジュールに背を向けて明石のあとに続いた。
 ハンガーでの明石中佐による機体の説明は本当にあっけない内容だった。主要武器の説明も無し、運用関連の説明も無し。誠の一月前に幹部養成校を出た仲間達のアサルト・モジュールに触るまでの配属先での座学・講習の嵐の日々と比べてあまりにもあっけなく説明は終わっていた。
 登りきったところで明石がそっと口に手をやって静かにするように誠に諭した。
 電気が消えた静かな事務所。その手前の廊下。そこに場違いなコーランの高らかな詠唱が響く。
「こっから先は静かに行かんとあかんねん、な?」
 大柄な明石は出来るだけ足音を立てないようにと廊下を進んだ。誠もそのあとを静かに進んでいった。
 廊下を折れて管理部と書かれた部屋の前が誠の視線に入った。そこで一人の髭面の褐色の肌の男が、東和の首都であり、初めてこの星に地球人が降り立った地である東都に向かって礼拝していた。
「あん人が管理部の部長、アブドゥール・シャー・シン主計大尉じゃ。お前が来る前は第三小隊隊長を兼任しとったんじゃ。『ベンガルタイガー』の名は知っとるじゃろ?」
 小声で話しかける明石。誠もシンの噂は聞いたことがあった。今も時折新聞をにぎわす不安定地域東モスレム。そこでの紛争が最盛期を迎えていた誠が中学生の頃に東和に支援されている東モスレム自治政府のエースとして何度も写真を見たことがある男だった。
 だが、こうして肉眼で絨毯の上に跪いているその姿を見ると、シャムや吉田を見たときがそうであったようにいまひとつピンとはこなかった。
「もしかしてあの人が……」
 コーランの詠唱が終わり身支度を整えた後、シンが落ち着いた様子でこちらを向いた。意思の強そうな目つきをした物腰の柔らかそうな人物だった。そして明石が『主計大尉』と呼んでいたことを思い出して、自然と誠の目は不思議そうにシンを見つめる形になった。
「彼が新しく配属になった神前少尉候補生かね?」
 落ち着いた低い声でシンは明石にそう尋ねた。明石がうなづくとシンは立ち上がって、しいていた絨毯をたたみ始めた。慣れた調子で動く手を見ていると、誠にはこの上官がかなり几帳面な性格の人物のように思えた。
「ああ、シンの旦那は実家が貿易会社を経営しとるんじゃ。だから帳面つけるのはお手の物で予算管理をオヤッさんに見込まれて西モスレム陸軍から引き抜かれたんじゃ」 
 小声で話しているつもりだろうが、明石の言葉はシンには筒抜けだった。シンの目は厳しくはあるが、愛嬌があるとも言えなくも無い雰囲気があり、誠も少しリラックスして目の前のイスラムの騎士と対峙した。
「神前少尉候補生。とりあえず案内が終わったら私のところへ来なさい。いくつか書類に目を通してもらうことになるから。それと明石大佐」
 誠に向けた穏やかな視線がかげりを見せ、少しばかり厳しい調子でシンは口を開いた。
「はあなんじゃ?」
「例の部活動費の予算はどうしても捻出できなかったので自費で何とかしてください」
 その言葉に明石は右手で頭を叩いた。懇願するようにシンを見つめるが、シンは聞く耳を持たないとでも言うように視線を誠の方に向ける。
「相変わらず厳しい奴じゃのう。せっかくピッチャーが来たっちゅうのに。これじゃあシャムあたりが文句言ってくるぞ?」
 そんな泣き言に、一つため息をついたシンは、子供を宥め透かすようなゆっくりとした調子で一言言った。
「厚生費はもう底ついてますので」
 それだけ言うと、手を伸ばして押しとどめようとする明石を無視してシンは静かに管理部の部屋に入っていった。
「部活動費って……」
 東和軍にも体育学校がある。また、各基地には同好会程度のスポーツクラブがあるのがふつうだった。しかし、オリンピック選手の育成を目的とする体育学校は別として、基地の同好会は部費や寄付で会を運営するのが普通だった。福利厚生にかける予算があれば正面装備に当てるのが東和軍の予算配分ということは誠も知り尽くしている。
 ただ、聞いた話では、部隊長の世襲や領邦制の影響で貴族の私兵的な色彩の濃い胡州軍ではごく普通に部活動の費用が部隊の予算から下りているという噂もあり、嵯峨と言う胡州軍出身の部隊長に率いられている保安隊にもそう言う雰囲気があるのだろうと誠は考えた。
「ワシも学生時代は野球やっとってな。一応胡州帝大じゃあ一年の時から正捕手で四番任されとったんやで。それにシャムは遼南の高校野球で今は千陽マリンズのエースの二ノ宮を要して央州農林が準優勝した時のキャプテンじゃ。野球部の一つぐらい作ってもよさそうもん」
 明石は愚痴るようにそうつぶやいた。誠の思ったとおり明石は胡州軍の出身だった。そして彼の出身校だと言う胡州帝大と言えば胡州の最高学府として知られていた。胡州六大学リーグの万年最下位のチームではあるが、一年から四番と正捕手になるにはそれなりの実力が必要なはずだ。
『師範代は俺に野球をさせるために呼んだのか?』
 少しばかりの疑念が頭をもたげる。そしてそれを否定する要素が何一つ無い事に誠は今ようやく気がついた。
 長いものには巻かれるたちの誠は明石の背中を見ながら薄暗い通路を二人は歩いていく。空調はもちろんだが、電灯すらついていない。こもった空気が油の匂いで満ちている。
「中佐、電気はつけないんですか?」
 思わず口を押さえながら誠はそう言った。振り返った明石は気持ちはわかると言うように誠の肩に手を乗せる。
「アブドゥールの旦那が節電しろちゅうけ、昼間は付けとらん。そして着いたぞ、ここが実働部隊の詰め所じゃ」
 そう言うと明石はアルミの薄い扉を開いた。ついていく誠の目の前に前近代的な事務机が並んだ雑然とした部屋が展開している。誠は一瞬唖然とした。
 小さな町工場の事務所にもネットに繋がる端末があるご時勢である。それに一応吉田と言う電子戦のプロが常駐する部隊である。しかし、そこの電話は懐古趣味の胡州でも見かけないであろうダイヤル式の黒電話。そして、各机には背に手書きで隊員の名前を書き付けた報告書用のファイルまである。
「ああ、そこの奥の机がワレの席じゃ。掃除は昨日カウラとアイシャがやっとったから汚れてはおらんと思うぞ」 
 明石はそのまま手前の自分の部隊長席の上に置いてあった野球の週刊誌をぱらぱらとめくった。誠は言われるままに、北向きの窓側と言ういかにも期待されていない新人を迎えるには最適な位置にある自分の席に腰掛けた。
「端末とかは無いんですか?報告書とかシミュレーションとかミーティングは……」
 引き出しを開けて確認するが、中古ではあるがそれほど汚くは無かった。明石の言うように掃除も済んでいるようで、埃も積もっていない。
「そんなものは無い!それに管理部にあげる伝票以外の報告書は手書きが原則じゃ。隊長が吉田に報告書作らせておったのがばれて、それで全部端末は取り上げられたからのう。まったくあのお人はどこまでいいかげんなものやら……ってそこ!何しとるか!」
 明石はふと手にした雑誌から目を離すと部屋の入り口の方に向かって叫んだ。
 ばつが悪そうに三人の女性士官が入ってきた。ばれるのがわかっていたとでも言うような照れ笑いを浮かべる彼女達。
 その髪の色を見れば彼女達がカウラと同じ人造人間であることはすぐにわかった。しかし、どう見てもその好奇心に引っ張られるようにのこのこ歩いてくる彼女等の表情は、これまで誠が会った人造人間達とは違っていた。先頭に立つ紺色の長い髪をなびかせている女性士官の濡れた瞳に見られて、誠はそのままおずおずと視線を落としてしまった。
 明石は彼女達の侵入を予想していたようにあきれ果てた顔をしながら手にしている雑誌を机に置いた。そして青い髪の女性士官にたしなめるような調子で語りかける。
「アイシャの。悪いがおめえの思うような展開にはならんけ」 
「本当に残念ねえ。誠ちゃん。あなたもそう思うでしょ?」 
 誠が再び顔を上げれば誘惑するような凛とした趣のある瞳が誠を捕らえた。
「まあええか。いざっちゅう時に知らんとまずいけ紹介しとくわ。こいつらがブリッジ三人娘って奴じゃ」
 投げやりな明石の言葉に三人がずっこけたようなアクションをしたので、つい誠は噴出してしまっていた。すぐさま態勢を立て直した誠を見つめている濃紺の切れ長な瞳の女性士官がすぐさま口を開いた。
「明石中佐!そんな一まとめで紹介しないでください。私がアイシャ・クラウゼ大尉。一応『高雄』の操舵手担当してるわ。この娘がパーラ・ラビロフ中尉。管制官で通常の体制の出動の際は彼女か吉田少佐の管制で動いてもらうことになるわね。そしてこのアホ娘が・・・・」
 二人と比べると小柄に見える燃え上がるような赤い髪と瞳の女性士官がアイシャの言葉に噛み付く。
「アホ娘って何よ!」
 ことさら赤いショートヘアーが誠の前で揺れている。
「私はサラ・グリファン少尉よ。それにしてもあなたがあの有名な神前君?」
 サラとアイシャと名乗った女性士官がまじまじとこちらを見つめるので誠は少しばかりたじろいだ。
 有名だと言う話が出るとしたら明石の口から出ると思っていた。明石が先ほど眺めていた雑誌に誠が一度だけ出たことがあった。大学三年の秋に翌年のドラフト候補として二三行だが誠のことが載ったことがあった。
 それを思い出すと、誠は少し頭痛のようなものを感じた。そんなことは過去の話だ、有名人扱いされる覚えは他に無い。誠はそう思うと少し陰鬱な気分になった。
 だが、アイシャの口から出た言葉は誠の予想の斜め上を行っていた。
「あなたコミケでフィギュア売ってたでしょ?しかも殆ど開店直後に完売してたじゃないの……あたし達の同人誌なんて結構売れ残ったのに……」
 誠は耳まで赤くなる自分に気付いていた。去年、久しぶりに大学の後輩の誘いで趣味で作ったフィギュアをコミケで売ったのは事実である。しかし、その客の中に保安隊の隊員がいるとは知らなかった。
 しかも『有名』と言うことは野球部と同時に入部していた東都理科大学アニメ研究会の同人誌に書いたイラストを見ていると考えられた。オタクの割合が高い理系の単科大学のアニメ研究会で誠のオリジナルファンタジー系の美少女キャラはそれなりに売り上げに貢献していた。
 アイシャは誘惑するような甘い視線を誠に送っている。
 サラは相変わらずきらきらした視線で誠を見つめている。そしてピンクのセミロングの髪のパーラは一緒にするのはやめてくれとでも言うように静かに少しづつ下がっていくのが誠には滑稽に見えた。
「そらお前らのホモ雑誌、ワシも読まされたが……引くぞあれは」
 明石は頭を撫でながらアイシャに声をかけた。
「明石中佐!ホモ雑誌じゃありません。ボーイズラブです!美しいもののロマンスに性別は関係ないんですよ!それがわからない人には口出ししてもらいたくありません!まあ呼びたければ腐女子とでも呼べば良いじゃないですか!私達は……」
 明らかにパーラが一歩部屋のドアから引き下がった。
「アイシャ。その私達には私も入ってるの?」
 パーラが困惑したようにそうたずねる。アイシャとサラがさもそれが当然と言う風にパーラを見つめた。
 天を仰ぐパーラ。
「あのーそれでなにか……」
 誠は険悪な雰囲気が流れつつある三人の間に入って恐る恐るたずねた。先ほどの誘惑の視線の効果があったと喜ぶかのように目を細めたアイシャが早口でまくし立ててくる。
「それよそれ、あなたあれだけのものが作れるって凄いわよね。それと少しエッチな誠ちゃんのキャラ、あれ私も好きなのよ」
 そう言うとアイシャがゆっくりと誠のところに向かって近づいてきた。
「ああ!あれだけのものってアイシャ買えたの!ずっこい!始まってすぐは私とシャムに売り子させてどっか行ってたのそれのせいなんだ!」
 頬を膨らましてサラが叫ぶ。助けを求めようと明石の方に視線を向けた誠だが、そこには再び野球雑誌を手にとってこの騒動から逃避している明石の姿があった。
「良いじゃないのよサラ。ここにフィギュア職人がいるんだから、あとでいくらでも上官命令で作らせるわよ。それよりやっぱりシャムの絵じゃどうも売れ行きがね……。それにあの娘はどちらかと言うと変身ヒーローとかの方が描きたいって駄々こねるし」 
 アイシャは誠の手が届くところまで歩いてくると少し考え込むようにうつむいた。
 時が流れる。
 気になって誠が一歩近づくとアイシャは力強く顔を上げ誠のあごの下を柔らかな指でさすった。
「それであなたに書いてもらいたいのよ!目くるめく大人の官能の世界を!!」
 自分の言葉にうっとりとして酔っているアイシャ。ドアのところではパーラが米神を押さえてうつむいている。
「BLモノですか?」
 誠は困惑した。雑誌を読む振りをして好奇の目で明石が自分を見ているのが痛いほど分かる。それだけにここは何とかごまかさないといけないと思った。しかし、年上の女性の甘い瞳ににらみつけられた誠はただおたおたするばかりで声を出すことも出来ずにいた。
「駄目なの?」 
 甘くささやくアイシャの手が再び伸びようとした時、誠は意を決して口を開いた。
「僕は最近ではオリジナル系はやめて『魔法少女エリー』関係しかやらないんで……」
 誠はとりあえず昨日もチェックしたアニメの名前を挙げた。少しがっかりしたと言う表情のアイシャはそのまま一歩退いた。変わりに話が会いそうだと目を輝かせてサラが身を乗り出してくる、その肩にアイシャは手を置いて引き下がらせた。
「しょうがないわね。女の子しか書きたくないんでしょ?まあ良いわ、これ以上ここにいると明石中佐に後で何言われるか……またあとでお話しましょう」
 そう言うとアイシャは二人を連れて詰め所から出て行った。
 確かにこの部隊は普通ではない。誠の疑問はここで確信に変わった。
 女性比率の高さは、遼北並みだ。同盟機構直属と言うことで正規部隊からの人員の供給が少なかった為、人造人間などに頼らなければならなかったと考えれば納得がいくのでそれはいい。
 それ以上にこの部隊が異常なのは明らかに濃いキャラクターで埋め尽くされていることだ。これだけ濃い面々に出会うと、どこから見てもヤクザと言う風体の隣に立っている明石が当たり前の常識人に見えてきた。
「はあ、とんでもねえ奴らに捕まっちまったのう」 
 出て行ったアイシャ達の足音が聞こえなくなると、明石は持っていた野球雑誌を投げ出してばつが悪そうにそう言いながら頭をかいた。
「そんなに悪い人たちには見えませんけど……」
 とりあえず誠はそう言ってみた。明石は誠の顔をまじまじと見た後、そのまま腰掛けていた自分の机から降りてさらにもう一度誠の顔を覗き込んだ。 
「あのなあ、お前、明日幹部候補の時の同期の連中に電話してみいや。ワシにカマ掘られたやろ言われてからかわれるのが落ちじゃ。あの三人組のおかげでワシはすっかり変態扱いされとる。まあそんなこと気にしとったら次の部屋には入れんがのう」 
 そういうと明石はそう言うと気が向かないとでも言うように伸びをしながら部屋を出た。誠がついてくるのを確認してドアを閉める。そして天を向いてため息をつき、そのまま暗い廊下を歩き始めた。
 初夏らしい粘りのある暑さが二人を包む。そんな状況で上官に明らかにやる気の無い態度を取られて誠は戸惑っていた。
「次は……あそこは気が進まんのう」 
 明石はそういうと電算室と書かれた頑丈そうなセキュリティ付きのドアの前で立ち止まる。
 これまでの防犯上はいかがなものかと思いたくもなる安っぽい扉とは違い、重厚な銀色の扉が誠の目の前にあった。これまでの部屋とは構えからして明らかに違った。
「ここの端末を使うわけですか……」
 明石に声をかけるが、彼はただ呆然と銀色の扉を見つめるだけで答えようとはしなかった。
「そだよ」 
 いきなりセキュリティのスピーカーから聞こえてきたのはトウモロコシ畑で会った吉田の声だった。思わず誠は飛びのいていた。その様子を予想していたとでも言うように明石は含み笑いを漏らす。
「おい、新入り。どうだったはじめてケツの……」
 こちらの行動をすべて把握してでもいるように、吉田の声がモニターから響く。誠が周りを見渡すと、天井から釣り下がっているいくつかのカメラを見つけることが出来た。おそらくはその画像で二人のやり取りを確認していたに違いなかった。 
「下らんこと聞きとうないわ。それよりはよう部屋を開けんか!デクニンギョウ!」 
 明石が語気を荒げる。気の弱い誠はびくりと震えてその様子を見守っていた。
「そうだなあ、じゃあ『オープンセサミ』って言ってみ」 
 間の抜けた調子でセキュリティーシステムのスピーカーからの吉田の声が響いている。誠が心配をして明石の顔を見れば、明らかに怒りを押し殺していると言うような表情がそこにあった。
「アホか、そんなことに付き合ってられるか」
 そう言う明石の言葉が震えている。こう言う親分肌の人間が怒りの限界を超えるとろくなことにならない。そう言う自己防衛本能には優れている誠が明石の肩に手をかけようとするが、さらにスピーカーからはせせら笑うような吉田の言葉が続いた。 
「タコ……開けてほしくないわけ?そこは俺の管轄だ。何ならアイシャが前に書いたお前が鬼畜と化して次々とうちの整備員襲う小説、全銀河に配信してやっても良いんだぜ?」
 これはかなりまずいことになった、そう思った誠だが、逆にここまであからさまに馬鹿にされた明石は冷静さを持ち直すことに成功していた。 
「わかった『オープンセサミ』!」 
 明石が叫んだ。何も起こらない。
 ここでスピーカーから吉田のせせら笑いでも聞こえたならば、明石の右ストレートがセキュリティーパネルに炸裂することになるだろう。はらはらしながら誠は状況を見ているが、吉田は何を言うわけでもなかった。
「糞人形!なにも起こらんぞ!」
 痺れを切らしたのは明石だった。そう言うと明石は頑丈そうな銀の扉を叩き始めた。 
「ああそこ開いてるぞ、ちゃんと気を利かせといたからな」
 せせら笑うよりたちの悪い言葉がスピーカーから流れてきて誠は冷や汗を書いた。明石は顔をゆがませてこの場にいない吉田のことを殴りつけるようにドアを叩いた。 
「ならなぜはじめからそう言わん!」 
 沈黙が薄暗い廊下に滞留する。明石はそのまま遅い吉田の答えを待っていた。ようやく冷静さを取り戻して、ずれたサングラスをかけなおすくらいの余裕は明石にも出来ていた。
「開いてるかどうか聞かなかったオメエが悪いよなあ。新入り君。お前さんの情報を登録するからセキュリティの端末に手をかざしな」 
 冷静さは取り戻したものの、吉田にこけにされたことの怒りで顔を赤くして震えている明石を置いて誠はセキュリティの黒い端末に手をかざした。
「OK、じゃあごゆっくり」 
 ゆっくりと電算室のドアが開いた。ひんやりとした空調の聞いたコンピュータルームの風が心地よい。
「あの人形。いつかいわしたる!」 
 冗談なのか本気なのかわからないような言葉を吐き捨てて、誠を導くようにして明石は中を覗き込んだ。
 ドアが開かれると誠はそのまま凍りついたような表情を浮かべて明石を見つめた。
「ここ、軍の組織ですよね?」
 正面を見つめたまま動けない誠はそのまま明石にそう言った。 
「保安隊は同盟司法局の実働部隊だから軍とは言えんぞ」
 明石は先ほどまでの怒りを静めて淡々とそう言った。 
「ですがまあ組織としては軍と同じですよね?」 
 誠の言葉が微妙にかすれていた。
「まあ同盟諸国の軍人上がりが多くを占めとるのう。まあ軍組織と言ってもいいんじゃろうなあ」
 明石は答えるのもばかばかしいと言うように左手の人差し指で耳の穴を掃除している。 
「じゃああそこの奥においてある『銀河戦隊ギャラクシアン』第三十五話で、ギャラクシーピンクに惚れて味方になろうとしてガルス将軍に自爆させられた、怪人クラウラーの着ぐるみが置いてあるのはなぜですか?」 
 訴えるようにして誠は明石の腕にすがりついた。呆れるを通り越してもう泣きたい、そんな表情で誠は明石の腕にすがりついた。うっとおしいと言うように明石は誠を振りほどくと何事もないとでも言うようにコンピュータルームに入った。
「ワシに言うな!んなこと。第一、そんな細かい設定よく出てくるのう。やっぱりワレはうちの隊向きじゃ。あれはな、シャムの奴がどうしてもこの部屋入りたがらんから、仕方なくあれを着せて中に押し込む時に使うんじゃ。あのアホ、あれ着とれば安心してこの部屋に入るけ。それとよう見てみい、ちゃんと手のところは開いとるじゃろ?あれで管理部の書類とか作る時に使うんじゃ。まあ殆どは吉田が代打ちしとるがのう」 
 誠はようやく落ち着いたというように明石に続いて恐る恐る部屋に入った。それ以外にも怪獣のフィギュア、見覚えのあるアニメのぬいぐるみ、作りかけのプラモ、それらが18禁女性向け同人誌や、銃器のカタログや、野球の専門誌の間に置かれている。誠は改めて自分がとんでもないところに来てしまったと後悔していた。
「こんなにしてて誰か文句を言う人はいないんですか?」
 呆れたように中央のテーブルに散らかっているそれらの雑誌をかき集めながら誠がつぶやいた。 
「いやあ、ここは冷房が効いてるけ、ワシも野球見たりする時はここ使っとるぞ。それに片付かないことに関しては究極の部屋、隊長室があるけ。いつか見ることになるだろうが、あそこはたぶんこの部屋の数倍むちゃくちゃになっとるぞ。おかげで月に一度は茜お嬢さんが来て掃除していきなさる」 
 そう言うとまた明石は野球雑誌を手にしてぱらぱらとページをめくっていた。
「茜お嬢さんって……」 
 とりあえず雑誌を纏め終わった誠はそのまま野球雑誌を熟読しそうな勢いの明石をこの場に引き止めるために声をかけた。
「隊長の双子のお嬢さんのお姉さんのほうじゃ。東都で弁護士やってはる言う話やったな。あの嵯峨楓少佐の姉さんじゃ」 
 明石はそう言うと、手にしていた雑誌を誠が纏めた雑誌の束の上に乗せた。
「ああ、あの……」 
 誠はそこで声を詰まらせた。明石がそう言うのには、嵯峨楓少佐の胡州海軍の教導隊のエースと言う以外の意味のことをさしているのだろうということも、誠から見ればこの個性が暴走している部隊では容易く察しられた。
「わかっとる。同僚の胸揉んで有名になったあの嵯峨楓少佐じゃ。まあうちに一回来たときは結構な見ものじゃったけ。まあまた来なさることがあったらお前も見とくとええわ」
 そう言うと明石はようやく仕事に目覚めたと言うように一つの端末に手をやった。
「とりあえずこいつにパスワードとか打ち込んどけ。あんまりお前の趣味に走ったの入れると後で吉田にからかわれるけ、そこんとこ少しは考えていれろや」 
 誠は椅子に座るとキーボードの位置を置き換えた。そして手馴れたようにRX78−2とパスワードを設定した。明石は何も気づいていないというようにぼんやりと束の上に置いてある野球雑誌を手にとって読み始めた。
「とりあえず入力終わりましたけど……」
 誠の言葉にしばらく反応しなかった明石だが、じっと彼を見つめる誠の視線に気付いたのか、再び雑誌を束の上に乗せた。 
「ああ……吉田の……後は頼むわ」 
 そう言うと明石は誠の隣の端末の椅子を引っ張って隣に座る。
「まあねえ、外出中で情報に枝がつくと面倒だから後で設定しとくわ。それよりとりあえずこれでも見ててくれ」
 吉田の外部からの操作で端末が切り替わる。映されているのは演習場と思われる瓦礫の山が広がる光景だった。明石はその急変を察知してさらに椅子を動かして端末へ身を乗り出した。
「この前の慣らしの時のか?」 
 明石はゆっくりとそう尋ねた。サングラスで目つきは読めないが誠もそれなりに真剣に明石が画面を見ている事はわかった。
「まあねえ、お前らにも分かるようにちゃんとモニター画面風に作ってやったんだから感謝しろよ」 
 吉田はマイペースにそう言った。そこで明石はふと思い出したようにつぶやいた。
「外出中って、車か?貴様免停中じゃないのか?」
 その言葉を聞いて誠は唖然として明石の顔を見つめた。 
「それはなあ……テメエがオヤジに告げ口したからだろ?それに……」 
「はいはい、おとなしくしててねえ……あんたが暴れるとハンドル取られるんだから。」 
 うって変わったお気楽な女性の声が響く。その声を聞いたとたん、それまで吉田に乱暴な言葉を浴びせていた明石の表情が急に緊張したものに変化した。
「許大佐でありますか?」 
 スピーカーからの言葉だと言うのに、明石の背筋が急に伸びる。放っておけば敬礼でもしかねない。誠は思わず噴出すところだった。
「そう。上豊川のラボまで用があるって言ったら乗せてけっていうわけ。義体のメンテと髪型何とかしろって事でしょ?」 
 先ほどの女王様然とした明華の姿を思い出していた。あの人にモノを頼めると言うことはやはり吉田と言う人物は大物だ。誠は少し吉田のことを見直していた。
「だって隊長に顔を合わせるたびにあんな顔されてみろよ。そのうちノイローゼになるぜ。それより画面動かして良いか?」 
 吉田はその言葉とともに演習場を映し出しているモニターの中が動き出した。
 画面を見つめる誠。画面のセンサー表示がすばやく入れ替わる。教育部隊のシミュレータの動きとはまるで違う、見るものの追随を許さないほどの素早い画面転換。そして警戒音が響くと同時にロックオンゲージが画面の全面を埋め尽くした。
「なんですか!これは!」 
 誠は思わず叫んだ。明石は興味深げに画面を除き見ながら淡々と言葉を選ぶようにして話し始めた。
「吉田のは相手の動作パターン蓄積から数百手先まで読んでロックオンかけるんじゃ。さらに一発一発の反動や、各パターンの誤差等が全て計算に入るからこんな画面になるんじゃろ。まあワシも前の97式特機改での模擬戦じゃ吉田に近づけたことも無いからのう」 
 画面の中を白銀の機体が通り抜ける。ライフルの模擬弾が発射される。
 白銀の機体はそのすべてを紙一重でかわして障害物に消える。ロックオン表示が消え、センサー類にエラー表示が並んだ。
「全弾回避ですか?しかもチャフばら撒いてセンサーエラー?相手は誰なんですか?」
 誠がこれまで見たことも無いような機体動作。赤外線探知に切り替わった暗い画面を見つめながら誠は息を飲んでいた。 
「ああ、あの色は決まっとるだろ?遼南で二人しかいない騎士の称号を持つ御仁以外に誰がいる?」
 誠の頭にハンガーで見た白い機体が浮かんだ。 
「ナンバルゲニア中尉……?」 
 あの小学生みたいなちびっ子が操縦しているとは思えない老獪な動きだった。モニターの吉田の機体もロックオンされたアラームが鳴ると同時に市街地のビルの残骸が次から次へと回転する。誠はめまいを感じながら画面に見入った。
「なんじゃ、ワシはまだあれは本気でぶん回しちゃおらんが、結構動けるもんじゃのう」
 すっかり明石はパイロットの顔になって画面を見つめていた。
「まあねえ。といってもこっちは限界性能で動いてるんだ。シャムの奴がどうしてよけてるのかわからねえけどよ」
 吉田は淡々とそう答えた。背後に熱源を示すセンサーが点灯し、次の瞬間イルミネート・被撃墜の表示が並んだ。
「ワレは本当にシャムには相性悪いな。なんでだ?どのスペックだって上なんだろ?それにワシもカウラも西園寺もワレ相手に一度も180秒持ったことないんだぞ?」
 確かに吉田の狙いはすべて正確に着弾予想地点に命中していた。それを紙一重でかわしたシャムの動きが異常なのだと思えなくも無いが、05式のシミュレータでもシャムのあの動きが出来るなどとはこの画像を見た今でも誠には信じられなかった。 
「そんなのこっちが聞きたいよ。まああいつはなに考えてるか分かるようで分からん奴だからな。でも勝ち方はあるぜ」
 きっと得意げな笑みでも浮かべているんだろう。
「あの『あっUFO!』って奴か?」
 明石はあきれたようにそう尋ねる。明石はずれたサングラスをかけなおした。
「あのー、そんな手に引っかかるんですか?」 
 渋い表情の明石に誠が尋ねる。次第にこの部屋のきつすぎる冷房が身にしみたようで、明石は貧乏ゆすりを始めていた。
「新入り。あいつがいかに頭の中が幼稚園だってこの部屋に入れば分かるだろ?あいつ単純だからこれまで百パーセントの確率で引っかかってるんだぜ」
 スピーカーから響く吉田の声。そんなものなのか。いま一つ納得できない誠だが、次々に訪れた常識に外れた現象を目にしてきた誠にはとりあえず事実は事実として受け入れようという寛容な心が生まれていた。
「ああ、着いたわ。それじゃあちょっくら義体のチェックしてくるわ、それと新入り。今その話題の人がお前の荷物をロッカーで……ってまあ雑談はこれくらいにしてと。うわ!隣で大佐殿が怖い顔で見てるよ。じゃあ後で」
 吉田はそういうと通信を切った。
 吉田が途中で言葉を切ったロッカーの話。そこで荷物をシャムに預けたことを思い出した誠は、次第に顔の血が引いていくのが分かった。
「すいません明石中佐!男子のロッカールームはどこですか!」 
 誠は自然とそう叫んでいた。吉田の言葉に豹変した誠の姿に明石は驚きを隠せないようだった。肩に手をやり、サングラス越しに真正面から誠の目を見つめる。
「そう急くなや。そこの廊下を突き当たって下に降りてすぐが……」 
 慌ててそう言いながらも理由がわからない誠の激変に驚きを隠せない明石。誠は彼の手を振りほどくとそのまま立ち上がって自動ドアの前に立った。
「分かりました!」 
 そう言うと開いたドアの間をすり抜けて誠は電算室を飛び出していった。
『やばい。こんな性格のナンバルゲニア中尉ならばきっと……』
 誠は正気を失っていた。
『僕のレアグッズが!!』
 誠の頭にはそれしかなかった。
 男子更衣室と書かれたドアが半分開いているのが見えて。誠は腰の東和軍制式拳銃、04式9mmけん銃を引き抜くとドアを蹴り開けた。
 じめじめとした空気の男子更衣室。誠は銃口を左右に向けて制圧体制をとっている。
「動くな!」
 誠の予想通りシャムが誠の荷物を漁って一つのプラモデルの箱を取り出していた。誠が入ってきたが、誠が銃を持っているというのに特に気にするわけでもなく手にしたプラモデルの箱を取り上げて見せた。
「ナンバルゲニア中尉!」
 誠はそのままの姿勢で固まっていた。手を上げるわけでも、怯えるわけでもなく、シャムはただ手にしたプラモデルと誠の顔の双方を見比べていた。
「凄いね!これこの前再版されたR2タイプ南方仕様でしょ?これ欲しかったんだ!予約しようと思ったらネット限定で、あたしはネットとか全然だめだから俊平に頼んだら嫌だって言うから。それで仕方なく明華に今度オークションに出たらヨロシクって言っておいたんだけど……すごくプレミアついちゃって……誠君は買えたんだね」
 きらきらと目を輝かせながら表に書かれたイラストを見つめているシャムに誠の体の力が抜けていった。
「それは暇な時に作ろうと持ってきた奴です!今はネットオークションに出てますからそっちに手を出してください!」
 そんな誠の声も聞かずにシャムはさらに誠の荷物を漁り続ける。銃を向けても表情を変えないシャムのリズムに乗せられるようにして、ただ誠はその場で固まっていた。
「後、これも凄いよ!電人ブロイザーの怪人バルゴンの食玩のフィギュア。これってあたしも狙って箱買いしたけど百分の一だって言うから結局全然当たらないでブロイザーのフィギュアばっかり溜まっちゃって……」
 コレクターである誠から見るとずいぶん危なっかしい手つきでフィギュアを触る姿を見て誠の目に涙がたまってくる。
「いいからそこにおいてください……あっ!その魔法少女ヨーコの腕は……」
 シャムの足元に自分の最高傑作と思っているフィギュアの成れの果てが転がっていた。
「ああ、取り出したとき折れちゃった。てへっ!」
 驚き、脱力感、そして悲しみ。ぐるぐると感情が渦巻いた後、誠は怒りがふつふつと湧き上がってくるのが分かった。確かに目の前にいるのはあの遼南帝国の二人しかいない騎士の一人。最強のレンジャー、ナンバルゲニア・シャムラード中尉だが、職場のオアシスとすべきグッズを次々と破壊された彼にとってはただの140cmに満たないチビ以外の何者でもなかった。
「そんな『てへっ!』ですむ問題ですか?」
 銃口を向けて怒鳴りつけている誠だが、その叫び声にシャムは少しも驚くようなそぶりも見せない。
「本当にごめん。私だってコレクションが壊されるのはみてられないし……」
「じゃあ何で開けたんですか?それに箱までそんなに潰して……」
 誠の足元にはプラモの箱やフィギュアの保存用のケースが転がっている。明らかにシャムの仕業であることは明白だった。
「まるでアイシャちゃんみたいなこと言うのね。いいじゃんべつに箱くらい」
 そう言うとさらに誠の荷物を漁ろうとするシャム。
「その箱が重要なんですよ!ネットオークションに出す時それがあると無いとじゃ値段が違ってくるんだから……」
 誠の言葉にただ不思議そうな瞳を見せてくるばかりのシャムに次第に誠は苛立ちを覚えてきた。
「やっぱりあたしじゃわからないわアイシャちゃん呼ぶね」
 そう言うとシャムは荷物を放り投げて腕にした連絡用端末のスイッチを押した。誠は自分の呼吸がかなり乱れていたのに気がついて大きく深呼吸をして拳銃のグリップを握りなおした。
「止めてください!また何言われるか……」 
 誠は慌ててそう口走った。次第に意識が白くなっていくのがわかる。
「だって……」 
「だってじゃありません!とりあえず荷物を元に戻してください!」 
 シャムは仕方なさそうにテーブルの上の荷物を片付け始めた。中古のテーブルが、モノが置かれるたびにぎしぎしと音を立てた。
「おい、いいか?」 
 ぼんやりとした調子でいつの間にか追いついてきた明石が誠にたずねる。誠は少し呼吸の乱れをここで整えることが出来た。
「なんですか?」 
 吐き捨てるような誠の言葉に、明石は一息つくと誠の肩に手を置いた。
「その手にした物騒なモノ、いつ仕舞うんだ?」 
 誠はそういわれて理性が次第に戻り始めた。そして自分が銃を手にしていることを思い出した。
「申し訳ありません……今……」 
 次第に頭の中が白くなっていくのを誠は感じていた。拳銃の使用について、特に射撃の才能が欠如していると教官に言われたこともある誠はこれでもかというくらいに叩き込まれていた。いくら理性が飛んでいたからと言っても懲罰にかかる状況であると言うくらいのことは考えが回った。
「ワレはホンマ、ウチ向きの性格しとるわ。それと一言、言っとくとエジェクションポート見てみいや。ワレ、スライド引いとらんじゃろ?」 
 そう指摘されて誠は自分の手に握られた拳銃を凝視した。そのスライドの上の突起が凹んで薬室が空であることを示す赤い表示が見えているのが分かった。ただでさえ自分のした事に震え始めている誠の両手、そして自然と顔から血の気が引いていく。
「東和軍では拳銃は弾を薬室に込めずに持ち歩く規則になっとるからのう。ウチは一応、司法即応実力部隊が売りじゃけ、こうしてだな……」 
 明石は誠から拳銃を取り上げるとスライドを引いて弾を装填した後、デコッキングレバーを下げて撃鉄を下ろした。
「こうして持ち歩くようになっとる。まあ気になるなら東和の制式拳銃はおまけに安全装置までついとるからそれ使えや。まあそんなもんかけとったら西園寺にひっぱたかれるだろうがのう」
 明石は別に誠を咎めるような様子もなく誠に銃を手渡した。誠は震える手でホルスターに銃を納めてそのまま下を向いた。
「しかし……僕……何してたんでしょうね?」
 明らかに懲罰対象の行為である。
『懲戒、裁判。そう言えば師範代は憲兵資格持ちだったから内々に軍事裁判を開いて・・・』
 そんなことを考えている誠を見ながら明石は口を開いた。
「命拾いって所か?もしワレの銃に弾が入っとったらその喉笛にシャムの腰のグンダリ刀突きたっとる。あいつは格闘戦じゃあ部隊で隊長以外は歯が立つやつおらんけ」 
 そう聞いてさらに誠の血の気が引いていった。相手は見た目は小学生でも遼南人民英雄章をいくつも受けている猛者である。誠の荷物を物欲しそうに見ているシャムだが、その腰には短刀『グンダリ刀』が刺さっている。明石の言うことが確かなら、誠は自分の荷物を見る前に喉下に刀を突き立てられていたことだろう。
「二人ともぼそぼそ何言ってるの?シンのおじさんがケバブが焼けたから来いだって」 
 シャムはそう言うと片付け途中の荷物を放り出して外に飛び出していった。誠はよたよたと自分の荷物が置かれたテーブルに手をついた。明石は少しは誠の混乱状態がわかったようだった。
「まったくあいつは食い気じゃのう。これがワレのロッカーじゃ。さっさと荷物入れろや」 
 そう言うと明石は誠がバッグにコレクションをつめるのを見つめていた。
 震えている手で誠はそのままバッグに荷物を詰め終わると静かにロッカーのセキュリティー部分に指紋を登録し扉を開いた。
 ほとんど真っ白な頭は考えることも出来ず、ただ手にした荷物をロッカーに放り込んで扉を閉めた。
 明石は心配そうに誠を見つめている。
「銃抜いたくらいでなにびびっとるんじゃ。もし懲罰にかけられるようならワシもとうに営倉入りや。あの西園寺のアホが……、まあ詰まらん話は抜きじゃ」 
 そう言うと明石は誠の背中を叩いた。
 誠の頭のもやもやが少しはれて、引きつった笑いを明石に向けることが出来た。
「神前来いや。主計大尉殿のケバブはウチの名物の一つじゃけ。まあワシは奴のマトンカレーの方が好きじゃがのう」
 そう言うと明石は何事も無かったかのように、もと来た通路を口笛を吹きながら歩き始めた。誠も仕方なくその後を追った。
「まあな、これから自重しとけば誰にも何も言わせん。ワレは心配せんでケバブを喰っとれ。なあ?」 
 明石はそう言うと豪放な笑い声を上げて大またで歩き始める。
 誠もようやく気分がよくなっていくのを感じていた。相変わらず廊下が暗いのが気になったが、次第に香ばしい匂いがしてくるのを感じて足どりも軽くなった。


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