これまで経験したことの無いような頭痛。そして平衡感覚がつかめないのはまだアルコールが抜けていないせいだろうか?食堂までの道のりがこんなに遠いとは。 そう思いながら、軽いもので朝食を済まそうと自動ドアを開けた。待機任務中の整備班員や警備部の面々でそれなりに混雑した食堂。誠はカードを出して食券販売機の前に立つ。 そこに横槍を入れるように透き通るような白い手が先にカードを挿入した。 「たまにはお姉さんに奢らせなさいよ」 またアイシャである。紺色の髪が自然に生まれた人間とは違うものの、それ以外は普通の人間とは変わらない。いや、むしろ人間味は何を考えているのかわからない嵯峨よりも有るように感じられた。 「好きなの食べていいのよ」 いつものいたずらっぽい視線が誠を捕らえている。女性にじっと見つめられるような機会がほとんど無かった誠はうろたえながら口を開く。 「すいません。じゃあ納豆定食で」 アイシャの笑みがさらに広がる。 「要ちゃん!神前君も納豆好きだって!」 「なんだと!新入り!テメエ裏切りやがったな!」 すでに鮭定食を食べ終わろうとしている要が叫ぶ。誠がそちらの方を見ると、サラとパーラ、それにシャムが朝食に手をつけていた。 「私も納豆定食っと。やっぱり朝食は納豆に味噌汁よね」 そう言うとアイシャは誠から見てもはっきりと要の視界から誠をかばうように、カウンターへ向けて歩き出した。 「納豆好きなんですか?」 「アタシが製造されて、初めてレーション以外で食べたこういう食事が納豆だったのよ。本当にこんなに味覚があるってことが人生を楽しくするなんて知らなかった頃だったわ。さすが東和の食事は銀河一よね」 「信用するんじゃねえぞ!ゲルパルトの人造兵士工廠を制圧したのは遼北軍だ。中華料理は出たかも知れんが、納豆なんて無いはずだぞ!」 「良いじゃないの要ちゃん。それくらい印象が深いと言うことよ」 要の茶々を無視して定食を受け取ったアイシャはそのまま要の隣、シャムの真向かいの席に着いた。成り行きでその隣に腰をかけた誠はシャムの前に置かれた、2kgはあるだろう巨大な肉の塊を見つけて凍りついた。 「シャムさん?もしかしてそれ全部食べるつもりですか?」 「食べる時に食べないといけないんだよ!」 シャムはそう言うと巨大な肉の塊にナイフを突き立てる。 「それ以前にあんなメニューありましたっけ?」 「ああ、こいつは猟友会の助っ人で猪狩りとかしてるからそん時の肉でも持ってきてたんじゃないのか?」 要が食事を終えて、テーブルの中央にドッカと置かれたやかんから番茶を注ぎながらそう答えた。 「そうじゃなくて、僕が言いたいのはこんなに食べれるんですかと」 「じゃあ見てりゃあ良いじゃねえか」 ようやく機嫌が直った要が楽しそうにつぶやく。その目の前では明らかに大きすぎる肉塊をすさまじい勢いで無理やり口に押し込んでいるシャムの姿があった 「いつも思っているんだが、一体どこにあれだけのものが入るんだ?」 カウラは要がやかんから手を離すと、それを奪い取って自分の湯飲みに茶を注ぎながらそう言った。 「保安隊の七不思議って殆ど全てシャムちゃん絡みだもんね」 「七不思議?なんだそりゃ?」 いかにも今考えたようなアイシャのフレーズに要が突っ込む。 「でもまあ一番はなぜ隊長が隊長でいられるかって事だけどね」 「そうだよなあ。あの人格破綻者が隊長でいるっていうのは無茶があるなあ」 番茶を飲みながらアイシャにそう切りかえす要。カウラは何か言いたげに誠の方に視線を送る。 「そう言えば、神前の剣道道場にしょっちゅう叔父貴が出入りしてるって話だが、やっぱり叔父貴、あんな感じなのか?」 別に答える必要なんかどこにもないとでも言う風につぶやく。 「僕は野球部の練習と大学の実験なんかの都合で殆ど家には帰りませんでしたから……」 「そうか。大学の硬式野球部だと寮とかあるとか?」 「まあそうですね。地方出身者優先でしたけど休憩室には自宅組みも入り浸ってましたから。休みの時は殆ど宿舎で寝泊りしてましたし、研究室の実験が殆ど一日がかりのものばっかりで、そうなると帰るのが面倒で後輩の下宿とかで寝泊りしてました」 誠はそう言ったとたん、どこからとも無くきらりと光る視線を感じた。 アイシャだ。 「でも、アイシャさんの想像に答えるようなことしていませんよ!一応、僕ノーマルなので」 「つまんないの!」 彼女は落ち込んだように、よくかき混ぜた納豆をご飯に丁寧に乗せた。 「ご馳走さま!」 シャムの叫び声で全員がその皿を見つめる。タレが少し残っているくらいで、肉も付け合せの野菜もその上から消えて無くなっていた。 「シャム。オメエ全部食ったのか?」 恐る恐る要がそうたずねた。 「うん!もうおなか一杯!」 「そうか……良かったな」 全員の声を代弁するかのような要の言葉が残った。 その時突然スピーカーからマイクを叩くような音が響いた。 『あー、あー、あー。えーとなんだったっけ?』 嵯峨の緊張感と言うものをどこかに忘れてきたというような調子の声が響く。 『明華。そんな怖い顔で見るなよ……俺は気が小さいんだからさ。さて、よし。じゃあ吉田。頼むわ』 『隊長!逃げるんですか!』 明華の甲高い声が響く。ゴツンと音が響いたのは明華に向かって嵯峨が謝ろうとして、マイクに頭を強打したからだろう。 『言えばいいんだろ!ったく誰が隊長かわかりゃしねえよ。えーと。東都標準時9:00時を持って同盟最高会議司法長官名義で甲二種出動命令が出ました。各員は班長及び所属部署の上長の指示に従い作戦行動準備に取り掛かること。繰り返すぞ……』 誠は聞きなれない出動命令と言う言葉に呆然としていた。 「なるほど。二種か。……二種ねえ」 要は何度かその言葉を繰り返した。アイシャ達は明らかにピッチを変えて、食事を胃の中に流し込み始める。シャムは関係ないとでも言うように満足げに天井を見上げていた。カウラは一口で湯飲みの番茶を飲み干すと食器を返すべく急ぎ足でカウンターへ向かった。 誠は嵯峨の言葉を引き金にして動き出した彼等の態度をどう判断すべきか迷っていた。 「よかったな、新入り。早速テメエが望んでた『実戦』て奴だ」 要が誠の肩を叩く。 「甲二種出動ってなんですか?」 「おいおい、冗談きついぜ。一応ウチの規則関連の書類は目を通したんだろ?」 そう言うと要はズボンからくしゃくしゃになったタバコの箱を取り出すが、カウラの視線を感じてそれを引っ込める。 「神前少尉。甲種出動とは、アサルト・モジュールの出動を含む実効戦力での戦闘行為を許される出動だ。その中で一種は保安隊が対応可能な全ての処置をとることが出来る。二種はこの艦の主砲の使用制限や同盟法での各種の制限等を受ける出動のことだ」 「つまりアイシャ達が走っていったのはこの艦を戦闘速度まで加速させることと、二種限定の戦術プログラムのチェックなんかのためだなあ。まあどうせ吉田の電卓野郎が全部済ませてると思うけどな。一応、確認作業でもするんだろ」 「そうなんですか。僕は何かすることありますか?」 誠は額の辺りに汗が滲んできているのを感じた。実戦である。未だ05式の実機を運用したことのない自分に何が出来るだろう。そう思いながら、表情を変えない二人の上官を見つめていた。 「甲種出動の際は常に拳銃の携帯が義務付けられている。それと……」 カウラの視線が黒いタンクトップを着ている要の方に向かった。 「甲種出動の待機時は04式作業着の着用が義務付けられていて……」 「へいへい分かりましたよ。小隊長殿には逆らえませんからねえ」 そう言うと要は鮭定食のトレーを持ってカウンターに向かう。 「拳銃の受領はどこで行うんですか?」 「ハンガーの手前の第三装備保管室だ。技術部、火器整備班のキム少尉が担当だからとりあえず出かけるとするか。西園寺はちゃんと着替えてからにしろ」 「へいへい。まあその前に一服させてもらうぜ」 要は手に握られたままのタバコの箱から一本タバコを取り出すと、それをくわえて食堂から出て行った。ようやく番茶を飲んで一息した誠は、カウラが立ち上がるのにあわせて席を立つとその後に続いてトレーをカウンターに戻した。 「こっちだ。着いて来い」 そう言うとカウラは誠を連れてエレベーターの所まで行き、下るボタンを押した。 「意外と緊張していないようだな」 そう言って微笑むカウラ。 「そんなことは無いですよ。実際、冷や汗かいてますから」 「誰でも緊張するものだ。隠す必要などない。別に神前は戦うために作られたわけじゃないだろ?私達のように」 そう言うカウラの眼にうっすらと影が浮かぶ。 「でもどんな意図でも狂気が表に出てくるまでに誰かが止めないといけないんですから」 「そうだな。誰かが戦わなければならない。私はそのために存在しているようなものだからな」 自嘲の笑いとでも呼ぶべきものが、カウラの頬に浮かんでいた。誠は何も言えずに開いたエレベーターにカウラに続いて入った。
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