明華が何かを待っているように立っていた。いらいらしたように胸の前に組んだ右手の人差し指が細かく動いている。その沈黙に負けて彼女から目をそらした誠が入り口を見るとヨハンが息を切らせて部屋に飛び込んできた。 肥満体型の彼がしばらく肩で息をしているさまに同情していた誠だが、すぐに明華は彼のそばへと歩み寄る。 「シュペルター中尉。今回の緊急指示。何処が動いたから出たのかしら?」 顔を上げるが声を発することが出来ずにぱくぱくと開くヨハンの口。誠の方を一瞥した後、ようやく落ち着いたように声が喉から搾り出される。 「胡州です・・・第六艦隊司令名義で近藤中佐に出頭命令が出たそうです」 「それはまずいわね。最悪に近いわ」 とりあえず安静にした方がいいほどの、汗をかきながら、肩で息をしてるヨハン。今にも倒れそうに見えるがどうにか踏ん張っている姿に誠は同情していた。 「でも許大佐。でもそれほど大変なことじゃあ・・・素直に査問会議とかを受けると言う選択肢を選ぶかも知れないじゃないですか」 そう言ってすぐに誠は後悔した。明華の瞳は明らかに誠の考えが甘すぎるものだと断定しているような色を帯びている。 「神前君。たぶん吉田の馬鹿ははしょったでしょうけど、タイミングが悪いのよ。現在、大河内海軍大臣の指示で胡州の特務憲兵隊が動き出したのよ。金の流れが激しい近藤中佐のシンパの名前のリストは見せてもらってないでしょ?そこまで調査が及んでいることは近藤中佐も知っているはずよ。でもまだ近藤中佐がどのような経路でそれの資金を捻出しているかと言うところはまだ立件できるほど証拠が揃っているわけじゃない。つまり近藤中佐に残された選択肢はほとんど無い状態なのよ」 教え諭すような言葉の調子だが、その視線は相変わらず厳しい。誠は再び恐れながら疑問を口にする。 「でもそれが出港が早まることとどう関係が?」 擬音が聞こえそうなくらい鋭い視線の明華。誠は思わず背筋が凍るのを感じた。 「その金がまともな色の金でないのは確かなんだけどまだ近藤中佐には身柄を拘束されるだけの資料は揃っていない。だからもし暴発するとすれば胡州軍相手には暴発して欲しくは無いのよ。胡州軍同士での衝突となればおそらく近藤中佐に近い勢力の多い陸軍の暴走につながる可能性もある」 誠はそう言われてもピンと来なかった。『胡州の閉鎖的体制』ともかく東和軍の幹部要請課程では胡州を説明するにはこの言葉一つで十分と言われていた。軍政関係でなく技官とパイロットを養成するコースだった誠には政治向きの話など念仏くらいにしか思っていなかった自分を恥じる誠。 「今回の出頭命令はどこかのルートから本間司令が情報を得て独断で出したものね。気に食わない近藤一派を第六艦隊から放逐しようと言う魂胆が見え見えだわ。でも、特務憲兵隊の情報はうちと同盟上層部、それに海軍参謀室くらいにしか漏れていないはずよ。本間司令の手元には出頭命令の正当な理由が何も無いのよ」 「でもそんなことって……」 「貴族制国家の致命的欠点ね。本間司令は自分が誰を相手にしているのかわかっていないってことよ。自分の身分が上なのだから部下や家臣は従うのが当然とでも思っているんじゃないの?……ヨハン、とりあえず後で行くから」 誠相手に熱弁している上官に忘れられたのかとおろおろしていたヨハンは言われるままにのろのろと動き出す。 「何やってんのよ!駆け足!」 急かすように明華が一喝すると、ヨハンは飛び跳ねるようにシミュレータールームから出て行った。 「ですが、大佐。そんな状況で近藤中佐が出頭命令に応じるんですか?」 誠の言葉にまたもや呆れたようなため息を付く明華。 「最悪、揚陸作戦演習場と重巡洋艦『那珂』に篭城するわね」 「そんなことになったら……」 誠は彼の顔を見るわけでもなく中空に視線を泳がせる明華を見ていた。 「近藤中佐のシンパがそれに呼応して決起するわ。賭けてもいいわよ。そうなれば倒閣運動どころではないわ、クーデターよ」 同盟参加国の中でも軍事力が抜き出ている胡州帝国のクーデター。 誠は耳を疑った。 「そのあたりの事情なら要が詳しいんじゃないかしら?あの娘は胡州陸軍出身だし、非正規戦部隊に居たから、裏事情は嫌でも耳に入ってくるでしょうしね」 「じゃあ聞いてきます……って、西園寺さんの行きそうな所ってわかりますか?」 今度は心底呆れたというように明華は天を見上げた。 「たぶん食堂の隣の喫煙室かこの下の階にある待機室じゃない?」 誠は今日のこの日を忘れないだろうと言うくらいのトラウマを受けながら歩き出す。しかし、背中に明らかな威圧感を感じて立ち止まり振り返った。 「ありがとうございました!」 直立不動の姿勢で敬礼した後、誠は走ってとりあえず待機室に向かった。 走っている間もすれ違う隊員の表情はどれも険しい。そのまま食堂を通り過ぎて隣の待機室を覗き込む。 待機室に要はいた。カウラとシャムも眼に入ったが、吉田と明石は嵯峨に呼び出されているのか、その姿は無かった。黒のタンクトップに着替え、その手にあるグラスにはたぶんラム酒と思われる物が入っていた。 カウラは机の上の書類に目を通しながら、何か言いたげな視線を要に向かって投げかけるが、要はまるでそれを面白がるような笑みを浮かべてグラスを進めていた。 シャムはソファーに寝転がって漫画を読んでいる。そしてたまに腹を抱えて笑ったりしていた。 「西園寺さん?」 「なんだよ。テメエまでカウラみたいに『待機任務中でしょ!酒は禁止!』なんて言い出すんじゃないよな?」 先手を打たれて誠は押し黙った。そして不思議そうに見ていたタレ目が誠の落ち込んだような表情を見つめるとやわらかい微笑みに変わった。 「なんだ?別件か。別に暇だから聞いてやるよ」 要はグラスを置いて、その手で目の前の椅子に座るように合図する。 誠は立っているわけにも行かないと気づいて、そこにあった壊れそうなパイプ椅子に腰掛けた。 「出港が早まった件ですけど、何か心当たりはありますか?」 「なんだ、そんなことかよ。さっきまでリアナお姉さんや明華の姐御といたんだろ?正確な状況ならあっちの方がよく知ってると思うぞ」 そう言うと要はまたグラスに手を伸ばした。 「本間司令が近藤中佐に出頭命令を出したということは聞きました。それと、もし近藤中佐が拒否して篭城と言うことになれば、胡州でクーデターが起きる可能性もあるって……」 「ったく明華の姐御も心配性だなあ!まあそう簡単にはクーデターをやろうなんて無理だろうな。近藤の馬鹿野郎の関係する組織は非公然、公然問わず特務憲兵隊の内偵が進んでいるし、現在、帝都に一番近い加茂野宇宙港にはオヤジの右腕の赤松中将の第三艦隊が鎮座しているんだぜ?それこそ下手に動けば自分の首が飛ぶ状況だ」 「そんな状況なんですか?」 大きく安堵の息をつく誠。だが、そこでいつもの要らしいサディスティックな表情が浮かぶ。 「だが神前の、安心はしない方がいいな。長期戦になれば第六艦隊が直々に動き出すことになるだろうし、そんな状況をアメリカ海兵隊なんかの外野連中が見逃すわけもない。遼南や遼北、西モスレムがアステロイドベルトの胡州の領域へ進行するとなれば自然と状況は国権派の望んだ状況になる。『胡州の生命線』と奴等が呼んでる領域への他国の進出は世論を反同盟活動に持っていくことになるだろうからな」 そう言うと要は、グラスに半分ほど残っていたラムを飲み干した。 「飲みすぎだぞ!要!」 ついに我慢できなくなったカウラが叫んだ。 「だからオメエは駄目なんだよ、カウラちゃん。今の所この船は『武装艦艇』扱いだ。法律じゃあ空間跳躍航法はアステロイドベルトの外に出なけりゃ出来ねえんだぜ?まあ、目的地に着くまでこうやってのんびりリラックスしてないと疲れるだけだぞ」 「しかし……」 カウラは食い下がろうと立ち上がったが、扉を開けて入ってきた明石と吉田を見てとりあえず腰を下ろした。 「喧嘩か?とりあえずやめとけや」 明石はにらみ合う要とカウラの間に割って入った。 「要の、酒ならハンガーでいくらでも飲めるぞ。オヤッサンがちゃんちゃん焼きの準備が出来たから来いつうとる。早よせえや」 「ご馳走?ねえそれってご馳走?」 シャムが眼を輝かせながら吉田に尋ねる。 「旬の沖取り鮭がメインだって言うからそうなんじゃねえのか?」 「おい、タコ中!酒飲めるってホントか?朝まで飲んでも何も言わねえな?」 「西園寺!貴様朝まで飲むつもりなのか?」 シャム、要、カウラが一斉に話し掛けてきたため、うんざりした顔で明石は誠の顔を見た。 「あの、いいですか?」 誠はおずおずと手を挙げる。 「何じゃ?」 「一応待機状態ですよね?今は……」 「それがどうした?」 明石はまったく理解できないという風に誠の顔を穴が開きそうなほど凝視する。 「そんな時に飲み会って……」 「まあ……なんだ。ばれなきゃ良いんじゃ。ここはそういうところで、それがワシ等の流儀なんや。まあ郷に入ればなんとやらと言うこっちゃ」 「はあ……」 誠は釈然としないまま飛び出していくシャムの後に続いた。 それを捕まえようと走り出した吉田が不意に止まった。 何かを確認するように天井を見上げた後、低い笑い声を立てて笑い始めた。 「気持ちの悪い奴よのう。なんかあったんか?」 「大丈夫?俊平?」 あまり気持ちのよくない笑い声を立てる吉田に、シャムと明石が話しかけた。 「また馬鹿が動いたぜ」 全員の空気が固まる。 堂々と酒が飲めると沸き立っていた要の瞳が鋭くなったのが誠にも分かった。 「どこが動いた?」 敵を目の前にしたときのように、要の口調は明らかに厳しい。 「特務憲兵隊。隊長に言われて軍幹部と近藤中佐の愉快な世間話をリークしてやったら、早速海軍軍本部付きの将官三名をしょっ引いたってよ。まったくオヤッサンの下にいると退屈しないぜ」 「ワレがリークした通信は証拠性はあるのか?」 真剣な口調で明石が詰問する。 「まあ軍法会議での証拠にするには難しいだろうな、あんな通信なんか俺ならいくらでも捏造できるぜ。まあ憲兵隊のかぼちゃ頭は3週間の拘留期間中にゲロさせるつもりだろうが、そんなにうまく行くわけねえよ」 吉田は他人事のように話す。 その口元の笑みはどこから来るのか、冷や汗をかきながら誠はそう思った。 「叔父貴の奴、篩(ふるい)にかけるつもりか?」 相変わらず殺気を帯びた態度で要がそう言う。 「憲兵隊が動いたと知れば、小心者は身を引く。そして度胸のある奴は事を起こす。そしてそうなれば正式な出動命令が我々に下る。隊長の狙いはそこか?」 それまで黙っていたカウラが口を開いた。 吉田は否定も肯定もせずハンガーとは反対の船尾に向かって歩き始めた。 「じゃあ俺は冷蔵庫に寄ってくから、よろしくね」 「コンピュータ室かよ。まあテメエの分はアタシが食っといてやるからがんばれや」 去っていく吉田に要はそう語りかけた。 「酒だ!酒だ!酒だ!」 要はそう言いながら吉田のことを気にしているシャムを連れてハンガーへ向かって走り始めた。
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