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作品名:遼州戦記 保安隊日乗 作者:橋本 直

第11回   今日から僕は 10
 胡州海軍加古級重巡洋艦『那珂』は現在、第六艦隊とは離れて胡州第三演習宙域にある揚陸戦用コロニー116に停泊していた。その幹部用私室、近藤忠久中佐はモニターに映る彼と同じ『憂国の士』達の堂々巡りの評定をうんざりした顔で眺めていた。
「近藤君。君が言っていることは分かる。私としても今の西園寺内閣の姿勢には義憤を感じるものの一人だ。だからこうして君の非公然組織にも助力してきた。しかし今回は……」 
 胡州陸軍の将軍の徽章をつけた老人が、モニターの中で髭を弄りながらうつむいて話す。
「そうだとも!我々はここまで来たのだ!悪いことは言わん、これは罠だ。西園寺兄弟や赤松や醍醐。この連中に真っ向から勝負を挑もうというのか?君は」 
 ゆったりとした執務用の椅子に腰掛けた近藤は、どれも消極的な支援者に対し薄ら笑いで答えた。
「皆さんはご自分がこれまでなさってきたことが何のためかお忘れのようですね。西園寺基義首相の明らかに枢密院を無視した強引なやり口。大河内吉元元帥、赤松忠満中将の海軍での、また醍醐文隆大将による陸軍での売国政策。お忘れになったわけではないでしょう?」 
 そう余裕を持って主張する近藤の言葉に軍部の領袖である同志達はただ頷くしかなかった。
「国家の根幹を揺るがし混迷を招いた普通選挙制度。軍の士気低下を招いた士族の恩位による将校、官僚への登用制度の廃止。枢密院の権限を奪い取って、平民達の人気取りに躍起になる庶民院の決議権の優先を選んだ愚行。どれも胡州の誇りある体制と姿勢をなし崩しにして一弱小国家に貶めた許しがたい所業ばかりです!」 
 その挑発的にも見える笑みに、海軍・陸軍の高官達は黙り込んだ。
「これまで我々は卑屈に過ぎました。思えば『官派の乱』と呼ばれた、先の西園寺家と烏丸家の『私闘』。あなた達はこの出来事をあくまで両家の『私闘』と呼んで負けた烏丸卿を処刑した。ですが故烏丸卿の予言した貴族の没落はそのときには始まっていたことくらい今になればあなた達にもお分かりになるんじゃないですか?」 
 胡州を二分し、争われた『官派の乱』貴族擁護を掲げて立ち上がった四大公末席の烏丸家当主烏丸頼盛の誘いを断り見殺しにした軍の幹部達には、その言葉は深く突き刺さるものだった。
「西園寺兄弟の罠にまんまとはまり込んだ。その結果が先の内戦の結果の西園寺売国内閣ですよ。だが、今なら分断できる。西園寺兄弟の弟、嵯峨惟基はもはや中途半端な司法実働部隊で隊長ごっこの最中です。その実力などたかが知れている……」 
「中途半端と言うが君!彼はそれだけの実績を上げている!遼南内戦では彼の指揮する北兼軍閥の人民軍への協力が無ければ……」 
 参謀部長の徽章をつけた高官が、そう横槍を入れる。だが近藤は表情一つ変えずに言葉を続けた。
「それは相手が状況を生かしきれていない有象無象だったからですよ。私だって作戦本部に長年勤めて、嵯峨惟基と言う男の得意とする戦術は理解しているつもりです。彼は連隊規模以上の部隊を運用した経験が無い。当然、彼を入れる為の『檻』として作られた部隊はその規模を超えるはずが無い。だがそこに付け入る隙はある」 
 淡々として話す近藤。高官たちは少しづつその弁舌に飲まれつつあった。
「強力な敵には迂回し、その力が最小となった時点での奇襲による一撃。これで勝負をつけるのが嵯峨大佐のやり方だ。それならばそれを逆手にとって最初からこちらも戦力を拡散し、相手が懐に飛び込むのを待つ……」
 同志達は自分の言葉に酔っている。そう確信した近藤の笑顔。それがさらに彼等の考えを自分の理想へと近づけていくものだと近藤は確信していた。
「つまり、嵯峨惟基にはこちらのシナリオに完全に乗ってもらうわけですよ。分かりますか?」 
 近藤が頬に浮かんだ笑みが嘲笑の色を帯びていくのにモニターの中の軍幹部達は気づいていなかった。。
『臆病者が!あなた達の決起を待っていては軍の主導権などいつまでたっても取れやしない!』
 心の中で苦虫を噛み潰しながら近藤はあてにならない支援者の顔を観察していた。
「分かった。好きにしたまえ。しかしこのことは……」 
 この事態に至っても日和見を続ける同志達。もし手の届く範囲に彼等がいたとしたならば、近藤は相手の階級が大将だろうが元帥だろうがかまわず殴り倒していたことだろう。
「この会合は存在していない。それでよろしいんですね?」 
 何度この忌まわしい言葉を吐くことを強制されてきたか。そして自分はそれに十分耐えてきた。その事実を思い出すとさらに不愉快な気分が近藤を支配した。
「そうだ!健闘を祈る!」 
 次々と高官たちがモニターから消える。近藤は暴言で爆発しかねない自分の心をようやく落ち着けると深く椅子の奥に座りなおした。
「いよいよですか?」 
 近藤の後ろに立っていた艦長は静かにそう尋ねた。近藤は静かに椅子を立つと、窓から演習地帯の方に目を向けた。
「今だ、今しかないんだ。国を憂える誰かが立たねばならんのだ。なぜそのことが理解できない!」 
 これまでの冷静な言葉遣いとは違う心から搾り出された声が部屋に響いた。
「心中お察しします」 
 艦長は静かに近藤に会釈する。そんな部下の気遣いを知りながら近藤はただじっと星の瞬く闇を見つめていた。
『ここで我々は勝たねばならない。そうしなければ……』 
 近藤は思いを固めると艦長から手渡された保安隊の演習要綱の写しをめくって見せた。
「私が海軍に奉職して以来、最大の賭けだ。これだけは勝たせてもらう」 
 近藤は手の上の冊子をめくりながらは一人、呟いた。


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