「おはようございます……」 誠は詰め所に定時少し前に顔を出した。そしてそのまま顔面にはれぼったさを感じながらようやっと自分の椅子に座った。部屋中の視線が自分に釘付けになっていることにただひたすら恥ずかしさばかり覚えて誠はそのままうつむいた。 「どうじゃ?ワレまた潰れよったな?」 明石が昨日あれだけ飲んだでいたというのに、平然として誠に話しかけてきた。それ以前に誰一人として昨日の乱痴気騒ぎの雰囲気など微塵も感じさせずに誠を一瞥しただけで書類の整理を続けている。 「本当にすいません。僕は酔うと記憶が飛んじゃうんで、何か迷惑かけましたか?」 誠のその言葉についに要が笑いを漏らした。誠は穴があったら入りたい気分だった。 「いいじゃん!面白ければ!」 要は彼女らしくいたずら好きなタレ目を見せながらつぶやいた。 「要ちゃんはああいうノリ大好きだもんね!」 「何言ってんだよ!シャム!別にこいつの裸なんか!」 シャムに突っ込まれると要はすっかり当惑したようにむきになって否定する。 「また脱いだんですか?」 誠は恐る恐るカウラにたずねた。カウラは表情も変えずに頷く。そして誠はがっくりと肩を落として机に突っ伏した。 「でも、やばいんじゃねえの?昨日、介抱して部屋に放り込んだのカウラと要だろ?菰田の奴がなんか動き出してるみたいだし……」 吉田はガムを噛みながら無責任にそう言った。 「菰田先輩が何か……」 「鈍い奴だな。あいつ馬鹿だから勝手にカウラのファンクラブ結成して、そこの教祖に納まってるんだぜ。俺もタクシーで帰ろうとしたら、もうお前等が誠を連れて出てっちゃった後だったからな、あいつかなり荒れてたぜ」 その言葉に誠の背筋に寒いものが走る。どこか粘着質な印象のある菰田の表情が脳裏に焼きついて離れない。 「ずるいよね、カウラちゃんだけにファンクラブがあるなんて!」 シャムの関心はそこにあった。いかにも彼女らしいと落ち込み気味の誠も苦笑いを浮かべる。 「馬鹿!お前のもあるんだぞ」 「えっ!本当!誰が仕切ってるの?」 吉田の無責任な一言にシャムが食い付く。だが吉田はそれが嘘なのか本当なのかと言うようないつもの調子でシャムの好奇の視線を集めて喜んでいる。 「馬鹿話はこれくらいにして。今度の演習の概要。ちゃんと読んでおけ」 カウラは吉田達の与太話を無視して、厚めの冊子を誠に手渡した。演習と言う言葉。その言葉の重みと手にした書類の重み。それを誠は実感しながらどうにか浮いた雰囲気から逃れようと表紙を開いた。 「これが初の部隊演習ですか……それにしても本当に胡州の第三演習宙域使うんですか?」 「それがどうした?」 カウラが表情を変えずにそう聞き返してきた。それを見た誠は、まったくの無表情と言うものがどんな顔だか判るような気がしてきていた。 「あそこは前の大戦で胡州軍の防衛ラインとして激戦が行われて、大量のデブリや機雷なんかが放置されているって話じゃないですか?そんな所でいきなり……」 「何だ誠?ビビってんのか?情けねえなあ」 ニヤニヤと笑いながら要はあおるようにそう言った。彼女が激戦を乗り越えてきたことは良くわかるが、その人を小馬鹿にするような物言いには、さすがの誠もカチンと来ていた。 「別にそんなんじゃ……。分かりました!早速これ読みます」 「役所の文章は読みにくいからな。とは言えそれが仕事だ、今日中に頭に叩き込んでおけ」 カウラはそう言うと自分の席に戻って、再び書類に目を通し始めた。誠もまた難解な語句を駆使している演習概要の冊子を読み始める。 書類仕事がたまっていたようでそんな騒動が一段落すると沈黙が詰め所を支配した。時々伸びをしたりうなってみたり、シャムの様子には閉口させられたが、ようやく悪戦苦闘の末、演習要綱を読み終えた誠はとりあえず一服しようと廊下に出て、更衣室の前の自販機でジュースを買っていた。 「どうしたの暗いじゃん」 誠が突然の声に振り返ると、取ってつけたような『喫煙所』と言う張り紙の下で、嵯峨が退屈そうにタバコを燻らせていた。 「まあ若いうちに馬鹿やるのはいいことだと思うよ、俺は。まあそうして人間、大人になっていくものだと思ってはいるんだがね」 嵯峨はだれた感じでタバコの灰を灰皿に落とす。 「しっかしあれだなあ、喫煙者結構居るのに何で喫煙所がここ一箇所なんだ?そう決めたシンの旦那だってタバコ吸うくせに」 「一応、健康のためだと……」 苦笑いを浮かべながら誠は嵯峨の口元から流れてくる煙を避ける。 「お前もシンと同じ事言うんだな。ったくそんなに長生きしたきゃあこんな危ない部隊なんか辞めちまえって言いたいが。まあお前さんに愚痴ってもしょうがないか。それより今度の演習、休んでもいいんだぜ。」 嵯峨は口調を変えずにそう切り出した。突然の言葉に誠は嵯峨の言葉の意味がわからなかった。 「どういうことです?」 誠はそんな言葉を口にするのが精一杯だった。 「鈍い奴だな。何でわざわざ政情が安定していない胡州の、しかも殆どの宙域が使用不能になってる演習場を選んで訓練しようなんておかしいと思わないか?」 嵯峨はそう言いながら、吸い終わったタバコの火をゆっくりともみ消した。 「それは実働部隊としての保安隊の練度向上のため……」 「そいつは俺が今回の演習を同盟治安機構に上申した時に使った方便だ。でもお前もそれにしちゃあおかしいなあ、とか思ってんだろ?」 この人に隠し事は通用しない。誠は観念したように頷く。 嵯峨は再び胸のポケットからタバコを取り出すと火をつけ、上体を起こして天井に向けて煙を吐いた。 「これから話すことは他言無用だ。」 そう言った嵯峨の目は先ほどとはうって変わった鋭いものだった。 「今回の演習宙域は胡州海軍第六艦隊の管轄だ。しかも隣の宙域には遼州星系最大のアメリカ海兵隊の基地がある小惑星が存在する。そのくらいは綱領に書いてあるだろ?」 誠は嵯峨の言葉に引っ張られるようにして頷いた。 確かに改めてその事実を突きつけられると、いつ衝突が起きてもおかしくないその緊張した宙域に行くことの意味が違って見えてきた。 「第六艦隊司令の本間さんはそれほど政治には関心の無い人だが、参謀室には先の胡州紛争で敗れた『官派』の連中が残っててね。ああ、『官派』と言ってもお前さんは知らないか。胡州じゃ貴族趣味のいけ好かない連中のことをそう言うわけだ」 そう言うと苦笑いを浮かべてタバコを咥えるさが。そして彼は話を続ける。 「まあその貴族趣味の連中がちょっとおかしな動きしてるんで、ある人物のプロフィールをリークして、どう言う反応が出るか試してみたんだ。そしたらまんまと食いついてきやがってね」 「誰の情報をリークしたんですか?」 すかさず誠はそうたずねた。 「お前さんのだよ」 嵯峨は表情も変えずにそう答えた。あまりにも唐突な言葉に誠は息を呑む。だが嵯峨の表情は変わらない。 「そんな僕に何か変わったことでも?」 自分はただの都立高校の体育教師兼剣術道場の一人息子だ。そんな国や組織が求めるような力は無いと思っている。確かに脳波に一部地球人には見られない特徴的な波動が有ると言われたことはある。 『遼州系の特徴だね』 以前死球を頭に受けた時、脳波を見ていた医者が言ったのはそれだけだった。嵯峨はさらに続けた。 「その人物はあるシステムを起動するキーになる可能性があるってのが、その筋の専門家の一致した見解だ。俺はそいつがモルモットにされるのがかわいそうで引き取ったが……まあいいかそんなことは」 そう言うと嵯峨はタバコを一回ふかした。 「あるシステム?何ですか?精神波動システムとか、ちょっと眉唾の話ばっかり聞いていたんで」 「俺は文系でね、そう言ったことはヨハンあたりに聞けば分かるかも知れんが、まああいつが機嫌がいい時に聞いてみろや。それより今回の演習は建前で実際の狙いは官派の特に強硬派として知られる近藤忠久中佐の首を取ることだ。それも出来れば第六艦隊に身柄の確保をされる前に内密に動く必要がある」 早口に嵯峨はそう話す。内容は完全に司法局の権限を逸脱しかねない内容。そんなことを一士官候補生に話してみせる嵯峨の頭の中が読みきれなくてただ戸惑っている誠。 「そんなに簡単にいくんですか?」 誠に出来ることはそう尋ねることだけだった。 「なあに、やらにゃあならん。『官派』の有力者である近藤中佐は特に公然と活動を行っている武闘派として知られてる男だ。ゲルパルトの残党連中や東和の経済界とのコネを使って遼州星系ベルルカン大陸の失敗国家に、非正規ルートで物資を捌いて勢力を蓄えつつある。実際その資金で政治活動を行っている政治家はこの東和だけでも覚え切れん数ほど居るわけだ」 嵯峨の言葉の規模が誠のキャパシティーを完全に超え始めた。額を流れる脂汗を拭いながら誠は嵯峨を見つめる。 「そんな人物を中隊規模以下の我々が対応するって言うんですか?」 ただ誠の想像力から離れた話が続くのに耐えられずに誠は恐る恐るそうたずねた。 「逆だな。この規模だから何とかなるんだよ。たとえ証拠をそろえた上で艦隊引き連れて身柄の引渡しを求めても、第六艦隊は面子にかけて自分で処理しようとするだろう。その結果は逃亡されるか上から握りつぶされて降格程度の処分を受けて終わりだ。奴は今度は大手を振って組織を再構築するだろうな。今回の件に関してはあくまで敵の意表をつかなければどうにもならん」 そう言うと嵯峨派吸い終わったタバコを灰皿に押し付けてもみ消した。 「そんなものですか?」 「そんなものさ。世の中なんてのは多少混沌としているのがいいんだよ……誠ちゃん混沌と言う言葉の語源が古代中国の空想上の動物の事だって知ってるか?」 話の飛躍にまたもや誠はついていけなくなった。嵯峨は自分を文型と言うが、まさにその典型と言える男なんだと誠は確信した。 「いいえ……」 「そうか。中国の幻獣と言うと麒麟とかは有名だが、それと同じように混沌と言う動物が紹介されているんだ。その混沌と言う動物だがな、目も頭も口も足も無い、まるでアメーバーのような生き物なんだそうな」 嵯峨は再びタバコを取り出して火をつけると一ふかしして話を続ける。 「その混沌は自らの姿にコンプレックスを持っていてな、ちゃんと一丁前の動物の姿になろうとするんだそうな。だが、残念なことに混沌は普通の動物のような均整の取れた姿になると死んでしまうんだそうな」 「師範代は何が……」 そう言いかけた誠の顔を狂気とすら思える表情を浮かべた嵯峨が見つめている。 「世界もまたしかり、法と秩序と意思とで一つのまとまった形にしようとすれば、死んでしまう。死にはしないとしても、どこかに無理が来る。俺はね、神前。そんなこの世界を自分勝手な理想という型に押し込めようとする奴を潰して回ることが俺の使命だと思ってるんだよ」 最後の言葉を吐き出した嵯峨の表情はいつもの昼行灯のそれでは無かった。どれほどの悲劇と喜劇を見てきたのか、そんな老成した雰囲気のある男の顔だった。 「理想を語るのは結構だが、その理想が啜る血のことまで想像力を働かせることの出来ない馬鹿にはそれにふさわしい最期を用意してやるのが俺の仕事さ」 嵯峨はそう言うと二本目のタバコの吸殻をもみ消して立ち上がった。 「さあてと、ちょっと東和のお偉いさんに根回しでもしておくかなあ。神前、お前も準備あるだろ?とりあえず進めとけや。それと出港後、作戦に参加するかどうか考えさせる時間をとるからそん時までに答え出しとけ」 去っていく嵯峨の後姿を見ながら、誠は呆然と立ち尽くしていた。
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