神前誠(しんぜんまこと)は慌てて工場内巡回バスから飛び降りた。 「これで乗り越したら大変なことになるな……」 地球植民第24番星系、第三惑星『遼州』。その最大の大陸『崑崙』の東側に浮かぶ火山列島、東和共和国。 その首都の東都から西へ50kmと言う菱川重工業豊川工場で一人去っていくバスを眺めている誠。 東和でも屈指の大企業である菱川重工株式会社に、研究室のコネを使って上手いこと就職した大学の同期は何人かいるが、ここ豊川工場は本社勤めの彼等をして「島流し」と呼ばれるほどの僻地である。そして地球外居住可能惑星としては最大規模の工場として知られるこの敷地の中で一つバス停を乗りこせばどうなるか楽に想像することができた。 ……とんでもないところに来ちゃったみたいだな。 神前誠は自分の不運を嘆いた。そして、中途半端な気持ちで就職活動をしていて夏が過ぎても内定が一つも取れないでいた誠を、口八丁でうまいこと東和共和国国防軍に誘った彼の道場の師範代、今誠が向かおうとしている遼州同盟司法実働機関、保安隊隊長である嵯峨惟基(さがこれもと)特務大佐のとぼけた面を呪った。 「あのおっさんいつかシメる!」 思わず口を突いて出た言葉に自分で納得する誠。 さらにバスから降りた彼を絶望させたのが『保安隊前』というバスの案内のわりに、ただバス停からは延々と続く壁しか見えないということだ。刑務所前に止まるバス停だって、もっとサービスよく通用口近くにバス停を作るものだ。誠はバス停の隣の取ってつけたような案内板に導かれるように、まっすぐと高いコンクリートの壁に沿って道を急いだ。 工場構内の道路には次から次へと通りにはコンテナを満載したトレーラーや重機の部品を満載したトラックが通り抜ける。その高いモーター音が彼に湧き上がる不安をさらに増幅させる。 初夏の強烈な日差しの中、流れる汗が目にしみるようになるまで歩いた時、ようやく視界に鉄塔と見張り櫓そして通用口らしい巨大な鉄の扉が見えてきた。 「間違いじゃないみたいだ」 自分に言い聞かせるようにして、誠はそのまま巨大な影に向かって歩みを速める。 ゲートの前で誠は背負っていた荷物を路上に放り投げると、警備員の詰め所を覗き込んだ。中では白人二人がカードゲームに興じていた。 その手の札を見ると花札である。その隣には丸められた東和円の札が並べられている。 奥のスキンヘッドの隊員が勝ち続けているようで、手前のGIカットの栗毛色の髪の男はいらだたしげにタバコをくゆらせていた。 「ほら!亥鹿蝶だ!」 スキンヘッドの方がその大きく筋張った手を振り下ろして手札を座布団の上に広げた。 「くそったれ!イカサマじゃないのか!」 GIカットの男は、語気を荒げて相手に詰め寄ろうと膝を立てた。 「なに言ってやがんだ!昨日の麻雀で積み込みやった奴にそんなこと言う資格はねえだろ!」 「何だと!この野郎!」 スキンヘッドは右腕を捲り上げて怒鳴り散らした。感情的になった二人が日本語での会話を止めてロシア語で怒鳴りあいをはじめる。 スキンヘッドの男のむき出しになった右腕に裸の女性の刺青が見える。 GIカットの男はそのまま着ていた勤務服を脱ぎ捨てるとファイティングポーズをとる。 止めるべきか、それとも何事も無いように無視するべきか。何も出来ずに黙ったまま立ち尽くしていた誠は肩を叩かれて飛び上がるようにして振り向いた。 「神前誠少尉候補生だな?隊長から話は聞いている」 大学の野球部時代は常に部で一番の長身だった誠と肩を並べる身長の、東欧系の女性士官が誠の隣に立っていた。 整った顔立ちにショートの銀色に近い髪の毛を七三分けにして、その青い瞳の光る視線は鋭く誠を射抜いた。 東和ではあまり見ない、まるでハリウッド女優か何かのような女性士官に誠は取り繕うような笑みを浮かべて見つめた。しかし彼も男である。ついその視線は無駄の無いボディーラインと豊かな胸と腰に流れていた。 その身にまとう東和軍と同じ系統の深い緑色の勤務服の階級は大尉。明らかに自分の視線に邪念があることに気付いてはっとする誠だが、そのような視線には慣れているようでそんな誠の視線など気にすることも無く女性士官は詰め所に向かって歩いていった。 「貴様等!何をしている!今日は新入りが来るって聞いてなかったわけではないだろう!それともその頭には炭酸ジュースでも詰まってて射撃の的にでも使うしか能がないのか!」 誠にかけた親しげな言葉とうって変わった鋭い口調に、スキンヘッドとGIカットの警備兵はこわばらせてた。そして、上官の表情の険しさが変わらないことを知ったのかそのまま詰め所の座敷の上で直立不動の姿勢をとった。 「あとで警備隊長室に来い。説明はそこで受ける!」 二人は力を込めて敬礼した。大尉は彼等を無視するようにしてゲートのスイッチを押して黄赤と白の縦じまの入ったゲートを跳ね上げた。 「なにぼんやりしている?置いていくぞ……ああ、自己紹介がまだだったな。私はマリア・シュバーキナ大尉。この基地の警備部の部長だ。隊長がもうそろそろ着くだろうから見てこいと言われて来たんだが……ろくでもないものを見せてしまったな」 マリアの言葉は早口でどこかしら棘があった。 誠は慌てて荷物を手荷物と上がったゲートをくぐる。 「どうせ隊長はそのままふらふらしていることだろうから私が案内をしよう」 誠は足早に進んでいくマリアに遅れまいと荷物を背負いなおすと歩き始めた。 「あの……質問してもいいですか?」 誠は言いづらそうに口を開いた。正直美人だとは思うが、どこかしら棘があって近づきがたい。誠のマリアの第一印象はそれだった。 こちらは一応幹部候補生とは言え、軍に入って一年半の新入りである。しかも誠が入った東和軍はこの二百年の間、戦争をした事が無い。人材交流で来たアメリカ海兵隊の将校で似たような雰囲気の女性士官がいたが、何度かの戦闘経験があるという彼女は徹底的に誠達東和宇宙軍の幹部候補生を小ばかにしているところがあって、誠はいつも彼女の前では言葉が出ずにさらに馬鹿にされると言う有様だったことを思い出していた。 「何だ?」 マリアは足を止めると服を着ていてもわかるほどの豊かな胸のポケットからタバコを取り出した。 一瞬、彼女の顔に笑顔が浮かんだ。誠は少し緊張を解くとようやく渇きが癒えた口を開いた。 「保安隊っていつもああなんですか?」 マリアの顔にもう一度、今度は複雑な苦笑いのようなものが浮かぶ。その笑いはどちらかと言うとあまりにも聞かれすぎて答えるのがばかばかしくなった。そんな感じの表情だと誠には思えた。 「まあそんなものだ。あの隊長が仕切っている部隊だからな。……あの連中もここに来る前はああじゃなかったはずだが、今ではすっかり毒されたな」 そう言うとマリアは再び誠を連れて突貫工事の化けの皮とでも言うような舗装がはげているのが目立つロータリーの広い道を歩き始めた。 どこでもそうだが東和軍の施設はあまり見られたものではない。ただでさえ『アサルト・モジュール』、東和軍制式名称『特機』と言う高価な人型汎用兵器の導入をいち早く決め、正面装備の充実に血道を注いでいる軍隊である。ましてや同盟機構の司法部門直属となるこの『保安隊』のような外様の部隊の設備に金をかけるつもりなど端から無いに決まっている。 マリアはそのまま植え込みが踏み固められているわき道に入り込んだ。案内の看板はまだこの部隊が創設されて二年しか経過していないだけあって、まだペンキははげてきてはいない。誠も明らかに芝生だったものの上に出来た道を真っ直ぐに歩くマリアの後を進む。 「まあ、実働部隊や技術部に比べたら数倍ましだがな」 その言葉に誠は少しばかり恐怖を覚えた。もし誠が嵯峨と言う人物を個人的に知っていなければ、もう少し穏やかな気持ちでここまで来れたかもしれない。 三年前、久しぶりに実家に帰った時に、自称法律家と言う本業は何なのかわからなかった嵯峨が軍に登用されたという話は誠を驚かせたものだ。 誠の実家の道場に入り浸る嵯峨について、道場主の父、誠也(せいや)はあまり口を開くことは無かった。ただ、師範代待遇で父の代わりに子供達に稽古をつける、どこと無く疲れた雰囲気のおにいさんと言うのが誠の嵯峨にたいする印象の多くを占めていた。その後、誠の就職活動が上手くいかないということをどこからか聞いて、わざと東和軍の制服を着て誠に東和軍幹部候補生試験を薦めに来た時も、非常に胡散臭いという印象しかなかった。 それなりに常識があれば遼州星系第四惑星を領有する貴族制国家、『胡州帝国』の四大公家のひとつ嵯峨家の前当主と言う看板や、崑崙大陸の南部を占める大国にして地球人の移民以前の原住民族の国家『遼南帝国』の皇帝であったと言うこと位は耳に入る。だが時折真剣での演武を見せるときの表情が引き締まってそれらしく見えると言うくらいで、誠は嵯峨を見ても今ひとつ納得できなかった。 誠にとっては嵯峨はただのくたびれたお兄さんであり、母の薫に頭の上がらない情けない大人に過ぎなかった。 マリアはそのまま明らかに誰かがここを通る為に切ったと判るツツジの生垣の合い間を抜けた。誠も荷物を引っ掛けながら彼女の後をついていった。 生垣を抜けて誠の視界が広がった。 「それにしても……」 誠は周りを見る余裕が出来てつい言葉が出てしまった。 一面に広がる野菜畑。そしてどこからか羊の鳴き声まで聞こえる。先ほどの生垣はこれを来客者の目から守るためだったんじゃないかと疑いたくもなる光景だった。 「ああこれのことか?これはナンバルゲニア中尉の菜園だ。それに羊とか山羊とかいろいろ飼っている。基地祭とかお祭りがあったときには、山羊を潰してそれで管理部の部長自らケバブを作ったりするわけだ」 そんなマリアの当たり前のように放たれた言葉を聞いて、思わず誠は躓くところだった。ナンバルゲニア中尉と言えば遼南内戦で活躍した遼南のエースオブエースであり、地獄の遼南レンジャーを育てた最強のレンジャー資格保持者として誠の耳にも聞こえていた。実際、誠と同じように幹部候補教育を受けていた下士官にとって遼南レンジャー試験を通過してレンジャー資格を取ることが幹部教育受講の条件と言うこともあって、その異常とも言えるタフな試験をいかに通過したかを自慢げに話す下士官経験組みが多くいた。 しばらく誠が足を止めることは予想していたようで、マリアは立ち止まるとポケットから携帯灰皿を取り出してくわえていたタバコをもみ消した。 「シャム……いや、ナンバルゲニア中尉は遼南の農業高校の出身で、もともと遼州山岳少数民族の出身だからこういうの得意なんだ。それにこんだけの土地、遊ばせとくにはもったいないだろ?」 『……やはりこの人も毒されているよ。軍の施設のほとんど私的流用じゃないか。何を考えているんだ師範代は……』 誠の不安がさらに加速する。 「マリアー!」 耕運機が作ったと思われるわだちが続くとうもろこし畑の中、ここが本当に同盟機構の司法実力部隊の基地だとしたら似つかわしくない中学生くらいの少女が手を振っていた。 「噂をすれば影だな」 誠の思考が一瞬停止した。 ナンバルゲニア中尉が活躍した遼南内戦はもう10年以上前の戦争だ。しかし目の前にいる少女はどう贔屓目に見ても中学生くらいにしか見えない。近づけば確かに着ているのは中学校の制服のブレザーなどではなく東和陸軍と共通の薄い緑色の保安隊の夏季勤務制服。胸にパイロット章とレンジャー特技章が見え、さらに襟の階級章は中尉のものだ。 「あー!この人あたしのこと中学生だと思ってるんだ!」 ナンバルゲニア中尉は誠を指差してそう叫ぶ。その行動も遼南内戦時の年齢から逆算して三十を超えているはずの女性のとる態度ではない。誠の頭の中が疑問で膨れ上がって、思わず自分が敬礼を忘れていたことを思い出して、とってつけたように敬礼した。 「そりゃあそうだろうよ。お前の格好見て通学途中の中学生と区別がつく奴がいるもんか」 とうもろこしの垣根の向こうから、これも服装規則や身だしなみにだけはうるさい東和軍には似つかわしくないドレッドヘアーの男が現れた。東和陸軍官品作業服を着ていなければ、ただのチンピラにしか見えなかっただろう。襟の略称は少佐だった。ここで誠は思わず荷物を捨てて直立不動の姿勢をとってから敬礼した。 「おいおい、ここをどこだと思ってんだ?そんなことやってると、隊長に野暮だねえって笑われるぜ。マリアさん。紹介、お願い」 「こちらが実働部隊第一小隊の吉田俊平少佐。お前も聞いたことがあるだろうが、電子戦で右に出るものはいないということになっている人物だ」 電子戦の天才吉田俊平少佐の武勇伝は、誠も幹部候補生訓練課程の教本で知っていた。通信機能を強化したサイボーグ義体と言う特徴を生かしての情報かく乱や諜報活動。そして破壊工作に於いては軍に身を置く人間なら誰もがその名前を聞くことになった。 吉田はそのまま小柄なナンバルゲニア中尉の頭を撫で始めた。さすがにこれにはナンバルゲニア中尉も頭にきたようで彼の手を振り払う。 そんな二人を見て誠が思い出すのは特機のシミュレータ訓練だった。 初めてシミュレータに座った東和軍の特機パイロット候補は初回に彼女のデータを積んだ仮想敵相手に戦わされる。それは絶対勝てない敵がいることを身をもって知ると言う通過儀礼とも言える訓練だった。正直、この一方的に叩きのめされるだけの訓練を受けた時には誠も本気で辞表を書こうかどうか迷った。 『……じゃあ僕は何でこんなところに呼ばれたんだ?』 誠は惨めな気持ちになっていた。配属の辞令には誠は特機のパイロットに任命することがはっきりと書かれていたはずだった。特機パイロット研修では誠の成績は下から数えた方が早かった誠。特に射撃のスキルは教官をして『限りなく零に近い』とさえ言われていただけに配属が決まった時は小躍りした。 だが目の前の二人はエースでは足りない化け物である。誠は自分の荷物から辞令を取り出して確認してみたい気分になったが、さすがにこの二人の前でそれをするわけにもいかず、呆然と立ち尽くしていた。 「おい新入り!さっさとそこのネコ押してハンガー行くぞ!」 吉田の言葉で誠は我にかえった。 「ネコ?」 まだいまひとつ目の前の状況に舞い上がって意識のはっきりしない誠。吉田は呆れたように説明を始めた。 「……ったく幹候上がりのボンボンはそんなことも知らんのか?一輪車だよ。そこにとうもろこし積んだのが置いてあるだろ?それとも何か?東和の幹部候補生は先任の上官に仕事を押し付けるように教育されているのか?」 ナンバルゲニア中尉が頷いている。助けを求めるように誠が振り向いた先ではマリアも当然だと言う顔で誠の顔を見ていた。 「了解しました。ですが……」 誠は足元の大荷物に目を降ろした。 「荷物だろ?シャム!荷物を持ってやれ。ロッカーとかはちゃんと用意が出来てるはずだからな」 「えー!あたしが持つのー?俊平が言い出したんだから俊平が持てばいいじゃん」 頬を膨らまして子供のように抗議するシャム。そんなシャムにわざと中腰になって吉田は言葉を続けた。 「つべこべ言うな!上官命令だ。それと正義の味方は人の役に立たないといけないんだぞ!」 『正義の味方』と言う言葉を聞くと、急にシャムの顔が生き生きと輝き始めた。 「わかったよ!」 シャムはちょこまかと誠のうしろに回り込むと、その小柄な体に似つかわしくない強い力で荷物を軽々と担ぎ上げた。 「すいませんがマリアさん。そこにシャムのカブが置いてあるからひとっ走り行ってハンガーのバーベキュー用コンロの様子見てきてくれませんか?新入りは自分が案内しますから」 「まあ実働部隊の部下になるんだからそれがいいな。それにしても今年の作柄はよさそうだな」 マリアは緑が続くとうもろこし畑を眺めていた。風は穏やかに葉のこすれあう音が響いている。 「うんしょっと!去年は土作りで終わっちゃったから今年はいけると思ってたんだ!また来年は何を作るか今から楽しみなんだけど」 シャムはふた周りも大柄な誠が持っていた荷物を軽々と背負いながらそうつぶやいた。やはり伝説のレンジャー教官。誠は涼しげに荷物を持って先頭を行くシャムを見てそう思った。 「じゃあ神前君の案内を頼む」 そういい残してマリアはシャムのどこから見ても出前用のオートバイに見えるバイクにまたがると、そのまま農道となっているわだちを進んでとうもろこしの中に消えていった。 「しかし君が神前か。あのおっさんから話は聞いてるよ。何でも実家は剣道の道場やってて、そこじゃあそれなりの腕前だったんだって?タコあたりが聞いたら『ご指南お願いします』とか言ってくるんじゃないかな?あいつは短槍の名手ということになってるから」 見た目はチンピラにしか見えないが吉田は明るく誠に話しかけた。 「短槍ですか。結構手ごわそうですね。まだ他流試合はしたことが無いもので……」 吉田の言葉に誠はこれから配属される部隊のイメージを頭の中で明るいものに書き換えた。『風通しは良いから』辞令を渡された時、たまたま教育隊に顔を出したと言う嵯峨から聞いた保安隊の環境についてその点だけは納得がいった。 いつまでも続くかと思ったとうもろこし畑が尽きると、遠くに特機用らしいハンガーが見えた。ハンガーの前では白いつなぎを来た整備員達や作業服や勤務服の隊員たちがバーベキューコンロを囲んで談笑している。 「おい、あそこまで駆け足!メインディッシュが無いとしまらんだろ?」 吉田にそう言われて一輪車を押して誠は走り出した。剣道と野球で鍛えた腕力と脚力には自信があった。次第に大きくなるハンガーの中に教練用とは明らかに違う新型の特機の影が見えたので誠は自分でも自然と足が速まるのが分かった。 そんな群衆の中から勤務服を来た女性士官が手にラム酒のビンを持って駆け寄ってくる。 「新入り!早くしやがれってんだ!こっちは肉ばっかり食ってたもんだから胃がもたれてきてるんだよ!」 耳の辺りで刈りそろえた黒い髪をなびかせながら、女性士官は誠にくっついて来た。酒臭い。誠は階級章で彼女が中尉であることを確認すると恐る恐る声をかけた。 「あの……中尉殿……勤務中に飲酒とは……」 人を挑発するようなタレ目で誠を見つめる中尉。半袖の制服の腕から覗く手には継ぎ目があり、彼女がサイボーグであることがすぐにわかった。 だが、誠のその視線が説教をたれた新人対する苛立ちのようなものをかきたててしまったことに気付いた。 「ああっ?上官に向かって説教か?実にいい身分じゃねえか。それにアタシは特別なんだよ。それにしても遅えなあオメエ。貸しな!アタシが押してってやるよ」 横柄な態度の女性士官はラム酒の瓶を誠に押し付けるとそのまま一輪車を奪い取り、人とは思えないようなスピードでハンガーの前の群衆の中へと消えていった。誠は我を忘れて立ち尽くしていたが群集の彼を見る視線に気づくと思い出したように走り出した。 よく見ればハンガーの軒下に大段幕があり、そこには『歓迎・神前誠少尉候補生』の文字が躍っていた。 「こらー、早くしなさいよー!肉なくなっちゃうわよー!」 横断幕の下に群がるつなぎの整備員の中で、一人白衣を着た姿が目立つ技術士官らしき女性が大声を張り上げた。誠はとりあえず彼女に向かって走った。整備員達は誠の行き先がわかったとでも言うように道を開ける。近づいてみれば白衣の女性技官にはまるで女王のような風格があった。 『古代のエジプトの女王様みたいな髪型だな』 不謹慎とは思いながらも、その肩にかかる三センチ上くらいで切りそろえた髪がなびくのを見てつい誠はそんなことを考えていた。 勘の強そうな細い眉の三十前後の女性技官。気の弱い誠が自分でもついおどおどと視線を躍らせてしまっている見て、彼女は何とか誠を安心させようと笑顔を作って見せる。 「さすが隊長の弟子というだけのことはあるわね。度胸はともかく結構足速いじゃないの。私は許明華(きょ めいか)一応、あんたも含めて実働部隊の特機とかの整備や技術一般を統括させてもらってるわ。よろしく」 白衣の下に大佐の階級章が見えたので敬礼しようとする誠を制するように明華は右手を差し出し握手を求めた。それまでの女王様のような高飛車なところが不意に抜けて、笑みがこぼれた明華の顔にはどこか人懐っこいところがあった。 「あの……ここって……」 明らかに彼女の周りだけ食材が豊富である。つなぎの整備員達は彼女の隣の鉄板で焼き上げた焼きそばを彼女の為だけに火を調節して冷めないようにしているなど、他の士官と比べるとその待遇は彼女がこの部隊で占める位置を暗示しているようで、誠は背中に寒いものを感じていた。 「さあ、あんたが今日の主役なんだから……そこ!主役用にとっといた肉の準備は出来たの!それと装備班はさっさととうもろこしの皮むき作業手伝う!まったく最近の若いのは……って私もそんな年じゃないんだけどね。……そこの手が空いてる奴!気を利かせてカウラちゃんと要ちゃん呼んでくるぐらいのこと出来ないの?」 再び女王様のオーラをまとった明華は、誠の話などまるで聴くつもりがないとでも言うように、部下達に指示を与えていた。 「いつまであたしの酒持ってんだよ!」 誠の後ろから先ほどの女性士官が音も無く近づいてきて、成り行きで誠が握り締めていたラム酒の瓶を奪い取った。その女性士官は誠が相手をしているのが明華だとわかると、まずい場面に出くわしたとでも言うように愛想笑いを浮かべるとその場を立ち去ろうとした。 しかし、酒瓶を手にした女性士官の前には痩せ型の特技章をつけた技術下士官と、同じく作業着を着た恰幅の良い技術中尉の徽章をつけた男が行く手を阻んでいて、仕方が無いと言うように明華の方に目を向けた。 「ああ要ちゃん、丁度良いところに来たわね。彼女が第二小隊二番機のメインパイロットの西園寺要(さいおんじかなめ)中尉。あの胡州帝国首相の娘さんよ」 仕方ないと言うように振り向いた要は、色気のあるタレ目で媚を売るような笑みを作って誠の顔を眺めた。つい、その表情に顔を赤らめる誠だが、要はそんな誠を無視して明華に話を向けた。 だが明華の言葉で誠は完全に意識が飛んでいた。確かに彼も新聞やニュースやネットくらいは見ている。胡州帝国の首相の苗字くらいは当然頭に入っていた。胡州における民主化活動の中心人物、そして遼州同盟の立役者、飄々とした演説で民衆を魅了する弁舌家。西園寺基義(さいおんじもとよし)の存在が地球と波風の絶えない遼州星系諸国で重用されている事実は誠も知っていた。 「姐御。親父の話は止めてくれよ。酒がまずくなる」 偉大な父を持っているというようなことはおくびにも出さず、そのまま要は誠と明華が見ているのもかまわずに奪い取ったラム酒をラッパ飲みした。 突然要の後ろに立っていた先ほどの技官二人が振り向いた。そして二人とも図ったように部下達の群れに後ずさりしながら紛れ込んだ。 要の後ろに近づいてくる女性士官に向けられた明華の視線が少し曇っているのを見て誠は不審に思った。 「西園寺!また勤務中に酒飲んでるのか。その体だからって隊の規律というものが分からないのか!」 つなぎ姿の十代と思われる整備員に導かれてやってきた、明るい緑色の長い髪をポニーテールにした女性士官は要の後ろに立つと声を荒げた。 明らかに嫌な顔をした要がエメラルドグリーンの髪の女性士官をにらみ返す。誠は地球人にも遼州人にもそんな髪の色の人など見た事は無かった。 『ゲルパルト帝国の人造人間?……』 その地球系とも遼州系とも違うギリシャ彫刻のような整った面差しと髪の色で、すぐ誠にも彼女の出自が察しられた。 『ラストバタリオン計画』と言う非人道的な兵士製造計画。 二十年前の地球の五大国を中心とする陣営に、遼州外惑星を地盤とする大国ゲルパルトは奇襲を仕掛けた。 胡州・遼南との同盟を後ろ盾とし、開戦時には東和の参戦があるとの情報で地球軍は翻弄され敗退を続けた。さらにアフリカ・中南米諸国の寝返りなどで同盟軍は破竹の進撃を続けたが、その国力の差はあまりに大きすぎた。 開戦前にも大々的な人造人間プランを打ち上げて国威発揚を進め、地球のアメリカを中心とした諸国から何度とない非人道研究施設の査察要求を拒否してきたゲルパルトは大戦末期に彼女達のような人造人間製造プラントを多数建設した。 だが物量にものを言わせた地球軍の猛攻を受けたゲルパルトはあっけなく内部分解して戦争は終わり、彼女達は戦場にほとんど現れることなく地球軍に組した遼州の遼北人民共和国や西モスレム首長国連邦などの部隊に保護され、遼州各国に移民することとなった。 目の前の女性士官もそんな中の一人だろう。誠が見守る中、相変わらず冷たいまなざしで要を見つめている。 その要はあてつけのようにラム酒をあおると周りを見回して周りの整備員が自分達に注目しているのを確認する。 そして下卑た調子で話し始めた。 「うるせえなあ。堅物の隊長さんを持つと部下も大変だよ。へいへい、大尉殿!酒はこれくらいでやめさせていただきます」 周りは一瞬肩透かしを食らったような空気が流れていた。胸をなでおろしている者もいれば、もう少し派手なつかみ合いを期待していた連中はそのまま誠や要を中心として出来た人垣から離れていった。 「ったく二人とも懲りないわね……まあそのために君のような優秀な新人が必要だったわけなのよ。彼女がカウラ・ベルガー大尉。あなたの第二小隊の隊長よ」 誠はどこか儚げで冷たい感じのするカウラに向かって今度は正式に敬礼した。 「自分が神前誠少尉候補生であります!」 それまでの要に向けた敵意と言うものが消え、そこにはどこか不器用な笑みを浮かべたカウラの姿があった。 「ふっ、そんなに緊張することはない。それに保安隊では隊長以外はみんな同格というのがルールだ。私はカウラ・ベルガー。私みたいな人造人間を見るのは初めてか?」 じっと誠が見つめているのに気づいてか、カウラはそう尋ねた。 彼女も自分の存在が誠を不安にしているのに気付いているようだった。『ラストバタリオン』は製造過程の技術的問題から女性がほとんどを占める。カウラも誠の珍しいものを見るような視線には慣れているようだった。そして明華の隣のテーブルの焼きそばに手を伸ばしている要を無視して誠に手の届くところまで近づいてきた。 「幹部研修の特機の操縦訓練の教官が遼北出身の人造人間の方でした。旧外惑星諸国のクローン兵士作製関連の資料も読んだことありますし……」 誠は頬が赤みを帯びていくのが自分でも分かった。どちらかと言うと痩せ型というようなカウラを体を包むのは、ライトグリーンの東和陸軍夏季勤務服だが、その胸の部分のふくらみが余りに少ない。 しかし、誠は背中に粘着するような視線を感じていた。振り向くとわざと目を逸らしている事務系の下士官が目に入ってきた。 良く見るとその周りの同じような空気を纏った男性兵士達がぼそぼそとカウラを見ながらつぶやきあっている。その陰湿な笑顔に寒気を感じて、誠は目を逸らした。 戻した視線の前に有ったのは不思議そうに誠を見守るカウラの緑の瞳だった。誠は自然にその笑顔に答えるようにして笑顔を作った。 「なんだ?新入り。もしかして一目惚れって奴か?ひっひっひ」 要が下卑た笑いを浴びせかけるので、カウラまでその白い肌をほんのりと赤く染めて一歩誠から離れた。 「西園寺。おっお前飲みすぎじゃないのか?」 少し言葉を噛みながらカウラが要をにらみつける。要はと言えば、慣れた調子でたれた目じりをさらに下げて挑発的に笑顔のようなものを浮かべると言葉を続けた。 「隊長だからって威張るんじゃねえよ。アタシがいくら飲もうが勝手だろ?それとも何か、また今度の演習の時、ボコにしてもらいたいのか?」 さすがに二人をこのままにするつもりは無いと言うように、明華が要から酒瓶を奪い取った。そこで少し怯んだ要をカウラは見逃さなかった。 「その言葉そのまま返しておくぞ」 明華が見ている前だというのに、二人は一触即発というようににらみ合いを続ける。誠はこの険悪な雰囲気に耐えられなくなって、助けを求めるように明華を見た。 「それより神前君。あなた隊長に挨拶して無いでしょ?隊長はどこにいるのかしら?」 二人のにらみ合いをまるで無視した明華は、真っ直ぐに切りそろえられた前髪を撫でると、気を利かせるようにして誠に声をかけた。誠はようやく安心して要とカウラの険悪な睨み合いの場から解放された。 誠はハンガーの前を明華につれられて歩き回る。その運動場のような広場の片隅にはネットが張られており、その周りには使い古したバットやボールが転がっていた。 「隊長はいつもどこにいるのか分からない人だから……」 明華が周りを見渡して嵯峨を探していた。隊員は先ほどから明華のだす女王様オーラに当てられたというように出来るだけ明華とは距離を置こうとしていた。 そんな彼等を見て、誠は酒を飲んでいるのが要だけだと知って安心した。だが、その異常な食べっぷりを見て少しばかり驚いていた。明華の監視で酒が飲めない分、ほとんどやけになっているとしか思えない整備班員の食べっぷりは、体格では圧倒的に勝る誠のそれを遥かに凌駕する勢いで、少しばかり誠も呆れ始めた。 「隊長ならいつも風通しのいいところにいるよ!」 「あのおっさんは野菜か何かかよ」 明華のオーラが作り出すエアポケットのように隊員達が立ち去ったコンロの前で、シャムと吉田が並んでとうもろこしを頬張っていた。吉田も手にビールを持っている。 「あのー……」 「ああ、これね。俺は酒には酔わないから」 そう言うと吉田は一気にビールを飲み始める。そんな吉田を黙殺することを決めた明華はシャムに向き直った。 「じゃああれね、ハンガーの裏手かなんかにいるんでしょうね。それとシャム。食べるのは後にして足元の荷物、神前君のでしょ?運んであげなきゃ駄目じゃないの」 明華はそういうと今度は目的地が決まったと言うように確かな足取りで歩き出した。 その先に女性隊員の一群が、なにやら群れを成しているのが見えた。 彼女達の表情には笑みが浮かんでいるが、それが無理をして作った笑顔であることは誠から見てもすぐにわかった。 「急ぎましょう!声をかけられたら……」 急に明華の女王様オーラが消えて、何かから逃げようと言うように歩みを速めているのがわかった。 「明華ちゃんと新入りの人!私の歌を聞きに来てくれたの?うれしいわ!」 アンプを通した大音量の声が響き渡った。あきらめたように明華は立ち止まると声のするほうを振り返った。 「あちゃあ、見つかっちゃったみたいね……」 明華が恐る恐る見つめる先に、赤の地に金糸を豪勢に使った派手な和服を着た長い白髪をなびかせている長身の女性の姿が見えて、誠は眼を疑った。隣の菱川の工場から分けてもらってきたようなパレットで舞台を作り、大きなスピーカーを背負い、彼女は立っていた。 その周りには少しばかり生気の抜けたような女性隊員がうつろな拍手を和服の女性に送っている。 「ああ、あれね。彼女がうちの隊の運用艦『高雄』の艦長、鈴木リアナ中佐よ。リアナ!ちょっと新入りを隊長に引き合わせるから歌はちょっと待ってて!」 そう言うと明華は立ち往生している誠の手を引いて歩き始めた。 「残念ねえ。せっかくこの日のために猛練習してきたのに……」 「あんた!練習したって無駄でしょ。今のうちに行くわよ」 リアナの声から明華は逃げるようにして誠をつれていく。背中では演歌のイントロが始まったと思うと、実に微妙に音程を外している歌声が響き渡った。 明華と誠はそれから逃れるようにしてハンガーの裏手に回りこんだ。 確かにシャムの言うように、表とは違う涼しげな風が二人を包み込んでいた。 ハンガーの前の熱風とは明らかに違うやさしい風が頬を撫でる。明華につれられてここまで来た誠は、少し離れた空き地に見慣れた背中を見つけた。東和軍の規格とは違う、茶色い開襟将校用制服に帽垂付の戦闘帽をかぶっている。 そして特徴的なのは腰に下げた朱塗りの軍刀。それを胡州帝国陸軍風につるしている。このスタイルは第三次遼州戦争を経験した胡州の高級将校の格好である。そんな男が一人で七輪の前に座っている。 「嵯峨隊長。神前少尉候補生を案内してきました」 これまでの女王様スタイルから一転して、明華は報告口調でそう言った。誠も少しばかり緊張しながら案内された隊長に向かって敬礼した。その言葉にゆっくりと嵯峨の頭が誠達を向いた。年齢不詳。誠の道場に通っている嵯峨を誠はずっと三十前と思っていたが、軍に入ってその略歴を知り、実は四十半ばと知って驚いたことがあった。しかし、その濁った目を見ると確かに世間を見慣れた中年男らしいという雰囲気をかもし出している。 「相変わらず硬てえなあ、明華。俺はそういうのがどうも苦手でね。しばらくぶりだな誠。まあこんなところだから好きにやってくれて良いよ」 明華と誠はそのまま嵯峨の正面に回りこんだ。嵯峨が覆いかぶさっているのは七輪だった。横にはぼろぼろの団扇が見える。そして、その上で焼かれているのがメザシだとわかって、彼の実家の道場に顔を出す時の飄々とした嵯峨らしいと思った。 遼南王家の嫡流、胡州のエリート公家士官、そして遼南内戦を生き抜いて玉座についた策士。そのような肩書きがこの男にはまるで似合わない。さらに直接何度も言葉を交わすうちに、これらの偉業が本当に嵯峨と言う男の業績なのか疑いたくもなった。 弁護士を開業していると言う話だったが、ほとんど毎日のように道場に通って来ては三食食べて帰るという生活である。その後、同盟司法局の実働部隊の指揮官になったと知らされても、道場に来る頻度が減ったくらいでほとんどその生活に変化は無かった。 「おい、どうしたの?」 ぱたぱたと団扇で七輪を扇ぐ姿は王族の気品も政治家の洞察力も、それどころか誠が知っている鋭い太刀筋の剣客の面影も無かった。 誠がここにこうして立っている原因を作った張本人だと言うのに、それほど誠に関心を示すそぶりもなく、じっとメザシが焼けるのを待っている嵯峨。明華もそんな嵯峨の態度には慣れているようで香ばしい煙を上げているめざしを眺めながら、嵯峨が何かを言い出すのを待っていた。 「お前らいつまでそこに突っ立ってるつもりだよ。飲むかとりあえず」 そう言うと嵯峨は一升瓶を突き出してきた。手書きのラベルが張ってあるところから見て、どこかの小さな酒蔵の特注の大吟醸かもしれない。食べることと飲むことにはこだわる。誠の家も、嵯峨の差し入れがきっかけで食事が豪勢になるような日があったことを思い出した。 「一応、勤務時間中ですので失礼します」 明華はそういって踵を返し、誠一人が取り残された。振り向こうにも、明華のどこか人を寄せ付けない態度を思い出して、誠は目の前のとぼけた中年男と二人きりの状態になった。 「よし誠。お前は……ってどうせ歓迎会で飲まされるんだろうから止めとくか」 嵯峨はそういうと取り出した湯飲み茶碗に酒を注いだ。そのまま嵯峨は茶碗を鼻の前に翳して香を楽しむ。そして一口酒を含むと、目をつぶってその味を堪能して見せた。 「そうだ、こいつなら良いだろ?七輪で焼いたメザシだ。しかもそんじょそこらのメザシじゃないぜ、沖取りの天日干し、手作りの結構いい一品だ。伝(つて)があってね。どうにか手に入れたものだけど、みやげ物屋じゃあめったに扱ってないし、置いてあったとしても結構いい値段するんだぜ。まあとりあえず一匹食えよ」 そう言うと欠けた皿の上にメザシを置いて誠に差し出す。かなり火が通っているはずなのに、銀色のその姿には張りのようなものがある。一昨日まで暮らしていた東和軍の研修施設の寮で出るメザシとはまるで別の魚の干物のようにも見える。 誠は仕方が無いと言うように受け取ると頭からそれを頬張った。磯の自然な塩味が口の中に広がる。骨はしっかりしていて噛み砕くのに苦労するが、それを続けると出てきた腸の苦味が口に広がって肉の塩気と混ざり合う。嵯峨が勧めるのも当然だと言うような食べる価値のある一品だった。 「じゃあ俺も食うかねえ」 嵯峨も焼き立ての一匹のメザシの頭にかぶりついた。そして何度か噛んでみた後、茶碗の酒を取り上げて口に運ぶ。次の瞬間相好を崩して、幸せそうな視線を誠に投げながら今度はメザシの下半身を口に入れる。 「カウラと要には会ったのか?」 あくまで食事のついで、茶飲み話、そんな雰囲気を纏って嵯峨が口を開いた。空になった茶碗に酒を注ぎ終わると、十分に焼けたメザシを七輪から降ろして皿の上に並べている。 「あいつらがお前の小隊の正規の部隊員ということになるんだが……どっちもきついからねえ……せいぜい虐められないようにがんばってくれよ」 誠の方を振り向くこともなく、嵯峨はただ皿の上に並んだメザシをどれから食べるかを悩んでいるように見えた。 誠は二人の上司となる女性のことを思い出した。がさつなサイボーグ西園寺要と何を考えているのかわからない人造人間カウラ・ベルガー。確かにこう纏めてみるとかなり自分の居場所が特殊であることがわかる。さらに嵯峨の言葉がこれからの生活の多くを占めることになるであろう保安隊での生活に不安を掻き立てた。 「一応、会いましたけど、別にそんな怖い人じゃないような……」 嵯峨のためというよりは自分の為、そんな気持ちで誠はそう言った。 「わかるよそのうち。それにしても後悔してるんじゃねえのか?クラブチームや教育リーグならお前の左腕の貰い手あったらしいし、一応、東都理科大出てるんだ。中堅のメーカーなら就職活動が遅れたからって入れただろ?」 軍に誘った時にいった言葉と矛盾だらけの言葉を吐く嵯峨に、さすがに気の小さい誠も頭にくる言葉だった。すべて嵯峨の言うとおりである。三球団から教育リーグへの誘いはあった。誠より出遅れた研究室の同期も大学院への進学を考えている者を除けば全員が卒業式までに就職を決めていた。 だが、もう過去の話だ。そう誠は自分に言い聞かせるようにして目の前で二匹目のメザシを口に運ぼうとする嵯峨に話しかけた。 「ロボットとかそういうの興味があったので……それにこの部隊は非常に錬度の高い部隊と聞かされていたものですから」 パイロットとしての自分の適正に疑問を持っていた誠は、幹部候補生の教育研修の終盤に出した希望配属先のリストに、誠はすべて技術部門、開発部門への配属希望を出していた。しかし、次の日には特機教導団の隊員と名乗る人物から飲みに誘われたり、現役の試作特機パイロットと言う触れ込みの男の訪問を受けたりと、志望した部門とはまるっきり違う特機パイロット要請過程の関係者の訪問を受けることになった。 そして最終的には遼州同盟司法実働機関『保安隊』への配属となった。今考えてみれば、誠にパイロットをやらせたかった張本人が目の前でメザシを肴に酒を飲んでいる男かもしれないと思うようになっていた。 「あっそう。まったくどんな説明されたのか知りたくもねえが……おい!タコ!」 嵯峨が話の途中に急に身を乗りだしてそう叫んだ。誠が振り返ったその先には佐官の夏季勤務服に身を包んだスキンヘッドにサングラスの大男がとうもろこしを頬張っていた。 「奴が実働部隊隊長と保安隊の副長を兼ねてる明石中佐だ。一応、あいつにここの案内させるから……って!ちんたらやってねえで早く来い!」 明石は食べかけのとうもろこしを置いたままこちらに急ぎ足でやってきた。184cmある誠よりもさらに一回り大きな身長に、まさに『丸太のような』と言うような形容詞が良く似合う筋張った両腕を持つサングラスの男に、かなり誠は気おされていた。 「こいつがお待ち兼ねの新入りだ。早速案内してやんな」 それだけ言うと嵯峨は再び湯飲み茶碗に手をかけた。
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