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例えば、この窓から、情熱的なブルーの色に一気に引き込まれるかのように。
秋口に入ったようだ。日は、ずいぶん早く、そしてみじかくなった。茜色の太陽の残余も消失すると、そこには淡い藍色の夜空が待ち受けていた。この窓から一望できる景色は、そういう夜空に描写されていく。
―今日の夜空は、いちだんと詩的だ。
ヨネはそう思う。 寒い夜風がびゅうびゅうと音を立てる。部屋の中まで入ってきそうな勢いに、少したじろいで、ヨネは窓の戸を閉じた。 たちまち、静寂が彼と彼の周辺を突き抜けた。
何もかもが未だ虚無的で、そして事実彼の部屋の家具たちは虚無に等しかった。彼が寄り添う時にだけ、それらは虚無の匂いからだんだんと離れていくのが本当のところだった。ヨネは一息ついて、ゆっくり椅子から立ち上がった。
―何か、新しく、取り組まなくては。
彼の頭の中では、そうは言いながらも、“新しい”ことをすでに大まかに、見ていた。 部屋の中の方に姿勢を遣る。優しい肌色に塗られた、こぢんまりとした本棚の上には、いくつもの観葉植物や、ガーデニング用の植木と花があった。その中から、ふわふわとしたオレンジ色のコスモスを、彼は手に取った。茎の下の方に、ほとんど枯れている葉があったので、それを指で握りつぶす。カサカサという小刻みな音を立てて、葉っぱは土の上に散らばっていった。
―きれいな、オレンジ色。
ふわふわとしていた。花弁が、しとやかで、それでいて少し官能的だ。成熟した女性の、決して触れてはならないあの唇の感触と、それから子供のあどけない表情のパワーとを、少なくとも抱いていた。 ヨネは、植物が好きだった。それはほとんど愛しているといってもいいくらい、彼は植物たちに心を寄せていた。
まだ育ちきっていないこのコスモスを、描こう。 モチーフには、なにかもう一つ、ぱっと明るいものが欲しい感じだ。優しく繊細なみかん色に次ぐ、強くて存在感のある何か。はかなげなコスモスを、しっかりと支えてくれるもの。
長めの静寂は多少気に障るところとなったので、テレビを付けた。暗い世相そのままの、くだらなく、漠然としたニュースが流れる。 ヨネの部屋の一角の壁には、彼自身が趣味で描いた幾つかの、―そして彼自身のお気に入りの―絵が、無造作に飾ってあった。絵画の種類は実にさまざまだ。油彩に水彩、色えんぴつ、デッサン、ラフ・スケッチ。最近では、もっぱら油絵か色えんぴつだった。種類が多いのは、ヨネが絵のスタイルをあまり気にせずに、描き方を転々として一つに留めなかった変遷歴があるからだ。
オキナワの報道になると、テレビは一段と声を上げた。ヨネは、テレビに目を遣る。 オキナワでは、アメリカ軍最後の軍用地をめぐって、その反対運動―基地返還運動―が隆盛をほこっていた。立場が弱くなったアメリカとしては、それでもその最後の拠点を保護するのにやっきになっていて、お互いの擦れ違いが相当に深くなっている。修正条約と、その解釈を二つの方向の勢力は争っている。報道のやり方は相変わらずで、ニホン側からの主張を大々的に取り上げていた。
もともと、旧安保条約の無理やりな締結から、話は見直されるべきだったのだ。あれは、不平等条約・治外法権以外の何ものでもない。 しかし問題は、アジア全地域に関わる集団安全保障システムにも関わっていて、世間は、現実的でない、理論ばかりがさきばしるシステムの今後のあれこれについて、やっきになっているばかりだった。
ヨネは、次第に還されていったオキナワの歴史の流れの中、彼らのより具体的な平静を願った。世相は、しかし、いかんともしがたかった。
ヨネは、新しい絵のモチーフは何かないだろうかと、キッチンの方に向かった。 世話のない、カラカラとした低い声がブラウン管から流れる。ヨネは表情のない冷蔵庫の、戸をあけてみた。つい先日買い物に行ったばかりだったから、冷蔵庫の中はたくさんのモノで溢れかえっていた。ありすぎるくらいだ。
ニュースが、違う内容に移行した。ニュースキャスターや出演者たちの、和んだ会話が聞こえてきた。 ヨネは、野菜室の中から、一つ、りんごを取り出していた。秋映だ。普通のリンゴよりも、色が濃くて、酸味が強い。 この深紅色だな。ヨネは、コスモスの隣に並ぶであろうもう一つのモチーフを、決めた。
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