ようやく荷物を積み込んだ僕を待ちかねたように、慣れた手つきで助手席に乗り込む彼女。 何となく気まずい雰囲気のまま、空港を後に彼女の実家に向かう。 暫くすると、彼女がつぶやいた。
「相変わらずね、この国は。小さい世界でひしめき合ってる。大して実力も無いのに虚勢をはって、自分達は幸せだと信じ込もうとしてる。」
「そんな事は無いと思うよ。確かに国土は狭いし、人間がひしめき合っているけど、みんなそれぞれの生活の中で必死に生きている。そのことは誰にも否定出来ない筈だけど。」
「・・・・・・。」
暫くの沈黙の後、彼女は続ける。
「あなたは変わらないのね。いえ、変わらないのはあなただけではなく、このクルマもよ。 あなたは相変わらず頑固だし、このクルマは狭くてうるさくて乗り心地が悪いわ。」
彼女は吐き捨てる様にそう言うと、プイと窓の外に顔をそむけてしまった。
僕は軽い既視感に襲われた。 そうだ、彼女とこのクルマでドライブする度によく言われた言葉だ。
「このクルマ、やたらエンジンは元気がよさそうだけど、音楽は聴けないし、乗り心地は悪いし、エアコンも効かないし、あいつがあなたに譲ったのはもう寿命だったからじゃないの?」
そんな会話が脳裏をよぎる。 確かに先輩に言われたように、デートに使えるクルマでは無かったようだ。 だからといって僕はポンコツを押し付けられたとは思っていない。
ちょっと調子が悪かった時に見てもらった工場のおやじが言っていた。
「このクルマ、見かけはボロだけどよく手が入ってる。相当の時間と愛情と金が無いとこうはならない。あんた大事にしなよ。」
それからの僕は、少々不便だったけど友人に頼み込んでガレージの隅に置かせてもらい、時折ワックスなどかけて一人悦に入っていた。 しかし、それも三年前彼女が突然会社に辞表を出し、僕に何の相談も無くアメリカに留学する事にするまでの間だった。
「私、今日会社辞めたの。」
「えっ。どうして。」
「もう何もかも嫌になったの。入社してからずっと努力してきたし、それなりに結果も出してきた筈なのに・・・・・。結局この国では、女はいつまでたってもどれだけお茶を上手く入れるかでしか評価されないのよ。」
「僕は尊敬してるけど。むしろ先輩が辞めてからの目標は君だったんだけど・・・。」
「泣ける事言ってくれるわね。気持ちは嬉しいけど、今のあなたは私なんかとっくに越 えてるわよ。目標はもっと高く持ちなさい。」
「・・・・・・・・・。」
「もうひとつ言っておきたいことがあるんだけど・・・。」
「えっ。まさか僕との事も終わりにするとか言わないよね。」
「そうではないけれど・・暫く日本を離れようと思うの。」
「・・・・・。」
「自分の本当の力を試してみたいの。陳腐な言い訳に聞こえるのは分かっているけど、どうしても自分の気持ちが抑えきれない。気持ちが変わらないうちに日本を離れるわ。」
そう言ってかおりは、一ヵ月後アメリカに旅立ってしまったのだった。
それからの僕は、突然の不景気に業績の悪化した会社の中でがむしゃらに働いた。 何かに取り付かれたように休みもとらず、いつしかファミリアも友人のガレージで埃をかぶっていったのだった。
そんな事を思い出しながら、ふと彼女を見ると、何時の間にか眠ってしまったようだ。 こんな乗り心地のクルマで眠れるなんて、よほど疲れていたのだろう。 向こうで一体何があったのだろうか。 お互いその話題には触れなかったが、なんとなく想像は付いた・・・・。 なんにしても、きっとぎりぎりまで頑張ったに違いない。 僕はそのとき唐突に決心した。急に帰国した理由を彼女が自分から話さない限り、僕からは絶対に聞かないことを。
軽い寝息を立てながら、彼女はちょっと口を開けて眠ってる。眠った顔は昔とあまり変わらない。 いや、少しやつれたか。疲れも溜まっているように思える。 しかし、時間は彼女に聡明さと落ち着いた美しさを与えたようだ。 決して絶世の美女では無いけれど、不覚にも僕はそんな彼女の寝顔に少しの間 見とれてしまったのだった。
果たして、今の僕はどんな風に彼女の目に映っているのだろうか。 思えばあれからの三年間、僕が成し遂げたことなんて何一つない。 ただ、目の前の厄介な仕事をがむしゃらにこなしてきただけだ。 願わくば、ほんの少しでいいから、彼女の焦りや苦しみをすくいとってあげれる様な包容力が僕に備わっていてくれればと思う。
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