街まで出るのは久しぶりだった。 どの店のウインドウも夏色でディスプレイされ、賑やかな音楽や涼しげな音で街行く人を誘惑しようとしている。七月の札幌の街は、短い夏を精いっぱい楽しもうとする人々で賑わっていた。今になって気づいたが、今日は土曜日だったらしい。道理でこの人ごみのはずだ。 そんな街の様子に目を向けながらも、僕らはただ黙って歩いていた。というより、僕も秋生も、ただ彼女について歩いているだけだった。彼女は大道り公園を横切り、駅前通りをひたすら歩いて行く。その間、一度も振り返ることも話しかけてくることもなかった。 僕は彼女のことを秋生に訊くべきかどうか、迷っていた。今まで、秋生の口から女の子の話を聞いたことはない。僕のほうは和美のことを話していたが、それは自発的に話しただけで、だからお前も話せよ、なんてことではなかった。それに何となく、秋生にはつき合っている女の子はいないような気がした。それは、秋生が女の子にもてないということではない。ただ、何となくそう思っていた。 それに、前を歩く女の子が秋生の彼女だとは思えない。二人がつきあっているなら、僕らが彼女の後ろをついて歩くような格好にはなっていないだろう。 秋生は相変わらず眩しそうに目を細め、俯き加減で歩いていた。そこは、確かに眩しかった。それは太陽の眩しさだけじゃない、夏の、人の眩しさだった。
前を歩く彼女が、すいっと通り沿いのビルに入って行った。 僕らも慌ててその後に続いた。それは、1階から5階まで様々なブランドが入ったファッションビルで、女性ものばかりなのか、店員からお客まで、揃って若い女性ばかりだった。そう気づいたときにはもう遅く、エスカレータで上に運ばれていく僕と秋生は、その場でかなり浮いていた。前に立つ彼女のお伴なのだとアピールするべきかどうか、僕は考えていた。冷房が利いているはずなのに、何故だか脇にびっしょり汗をかいていた。 3階まで来ると、彼女はエスカレーター近くのショップに入っていった。 僕らは仕方なく、入口近くでただぼんやりと彼女の動きに目を向けていた。男が二人も店の入り口にいたのでは迷惑だと思うのだが、ショップの店員は愛想良く、僕らにも軽い会釈をよこした。何だかとても救われた気がした。 彼女は奥のほうでレールに掛かった服を手に取って見ていた。何着か見たあと、そのうちの一着をハンガーごと抜き取って、僕らのほうにやって来た。 「これ、どお?」 彼女は自分の前に洋服を当てて見せた。どおと言われても、僕が何か言うのは変だったので黙っていた。秋生は「うん」と言っただけだった。それは、彼女には聞こえないような小さな声だった。それでも、彼女は僕らの反応を気にもせず、そのまま試着室に入っていった。そして、暫くすると彼女はそれを着て出てきた。 「似合う?」 もう一度僕らの前に立つと、彼女は腰に両手を当ててそう言った。何だか偉そうな口ぶりで、まるで僕らが怒られているような感じだった。けれど、本当のことをいうと、その服はとても似合っていた。彼女も秋生と同じで、とても色が白かった。その肌に、ピンクのスーツはとてもよく合っている。フーシャピンクっていうんだよと、前に和美が教えてくれた色はこんな感じだった。そのピンクのお陰で、彼女の肌の白さがよけい際立つようだった。 無反応な男二人に構わずに、彼女は鏡の前に移動すると、後ろを向いたり横を向いたりしていた。その度に、長い真っ直ぐな髪があちらこちらに揺れて動く。その姿を離れた場所から眺めながら、僕は単純に見とれていた。すらりと伸びた細い足首には、シルバーのチェーンが巻かれている。そして、適度に筋肉のついたふくらはぎは、若さを強調するように健康的で魅力的だった。 「いかがですか?」 店員が彼女に近づいて行く。彼女は店員に、同じデザインの色違いはないかと尋ねた。店員は一度奥に引っ込むと、そこから黄色と水色のスーツを持って現れた。彼女はそれを両手に持ち、交互に自分の前に当てて鏡に映し始めた。 「そちらも試着してみては如何ですか?」 「そうね」 彼女はそう言って試着室に向かった。が、急に立ち止まるとくるりと振り向き、僕らのほうに歩いて来た。店員は、それぞれのハンガーからスーツをはずすのに夢中になっていて、彼女には気づいていない。その隙に、彼女は僕らの横を通り過ぎると、さっと店から出ていった。 「他のお店に、何かお忘れ物でも?」 気づいた店員が僕らのそばに来ると、そう訊ねてくる。しかし、忘れ物なんてないはずだった。他の店には行っていないし、何より彼女は手ぶらだったのだ。 そして、それきり彼女はもう戻ってはこなかった。
僕と秋生は喫茶店で向かい合っていた。 秋生の横には彼の鞄と、彼女が試着室に脱ぎ捨てていった白いワンピースが紙袋に入れられて置いてあった。 結局、洋服の代金は秋生が払った。それは3万5千円もするもので、秋生はバイト先の給料袋を取り出すと、その中から支払っていた。 僕はもう、映画を観る気分ではなくなっていた。ただ、腹が立って仕方がなかった。もちろん、その怒りは秋生に対してではなかったが、彼女がいない今ここでは、そのムカつきは秋生に吐き出すしかない。しかし、飲み物を注文してしまうと、僕らはお互い黙ってしまった。僕は何と切り出すべきか考えていた。やがて、ウエイトレスがアイスコーヒーを持ってきたのをきっかけに、僕は秋生に話しかけた。 「あの子、秋生の彼女なの?」 秋生は俯いたまま、小さく首を振った。 「違うよ」 「だったら、何でお前が払わなきゃならないんだよ。あんな風にいなくなるなんて、あれじゃ万引きじゃないか。それを、お前が尻拭いしてやることなんてないだろ」 秋生はしばらく、テーブルの上に置いた自分の白い手を見つめていた。それからアイスコーヒーのグラスについた水滴を、ついっと指でなぞった。 「彼女は、幼馴染なんだ」 そう言うと、秋生は喉を潤すようにグラスに口をつけた。そして、酷く苦いもののように目を細めた。 「幼馴染だからって、お前が払うことないだろ。欲しけりゃ自分で買うなり、親にでもねだればいいじゃないか。あんなやり方、おかしいよ」 「あいつは、人に物をねだったりできないんだよ」 「だったら、自分で買えばいいだろう!」 つい、大声になってしまった。僕は周りを気にするように、アイスコーヒーをゴクゴクと飲んだ。それでも秋生は黙っている。僕はますます腹が立ってきた。今度は彼女にではなく、秋生にだ。あんなことされて、何で怒らないんだ、こいつ・・・。 「秋生、こういうこと、前にもあったのか?」 秋生は黙ったままだ。しかし、これが初めてではないことは、何となく分かった。 「利用されてるんじゃないのか?」 一瞬、秋生は顔を上げたが、結局、何も言わなかった。そして、僕がグラスを空にするのに合わせて、秋生も残りを飲みほした。そのまま、僕らは別れた。僕のムカつきは家に帰っても納まらず、今日、和美が来てくれたらいいのにと考えていた。誰かにこのことを話したかったし、それは和美以外には考えられなかった。勉強など、とても手に就く状態ではなくなっていた。
和美にその話をしたのは次の日だった。 その日、秋生とは予備校で会っていた。けれど、お互いに昨日のことは口にしなかった。別によそよそしくなることもなく、表向きはいつもと同じだった。大体、普段だってそれほど喋るわけじゃないので、周りから見て、あいつら喧嘩したな、なんて勘繰られるようなことはなかった。それに、僕のムカつきも一晩寝ると、だいぶ落ち着いていた。僕が払わされたわけじゃない。結局は、秋生と彼女の問題なのだ。 けれど、和美に話して聞かせるうちに、また腹が立ってきた。給料袋からお金を出す秋生の姿を思い出すと、何だか憐れな気がしてきたのだ。 話を聞き終わると、和美も驚いていた。「信じられない」と、まず言った。 「あたしも、秋生くん利用されてるんじゃないかと思う・・・」 「そうだろ?なのに、秋生はそう思ってないみたいなんだよ。いや、もしかすると分かっているのかもしれない。分かってて、騙されているみたいなんだ、あいつ」 「何か、その子に弱みでも握られているのかな」 「そうなのかな。でも、だとすれば、よけい酷いじゃないか。この先もいろいろ買わされるぞ、あいつ」 「秋生くんにもう一度きちんと話したほうがいいんじゃない?今のままじゃいけないってこと、本人だって分かってるはずなんだから」 和美はそう言って、カレーライスを口に運んだ。それは和美の得意料理で、チキンとトマトをじっくり煮込んだものだった。彼女がスプーンを動かすと、その指に嵌められたシルバーの指輪も右に左に動いた。その指輪は、僕が彼女にねだられて買ってあげたものだった。決して高価なものではないけれど、和美はとても喜んでくれて、それ以来絶対に指輪を外さない。とても大切にしてくれていた。 あの女の子はなぜ、秋生にあんなことをするのだろう・・・。 彼女は人に物をねだることができないんだと、秋生は言っていた。 もしかしたら、秋生は彼女のためにアルバイトをしているのではないだろうか・・・。
やっぱり、もう一度ちゃんと秋生に訊いてみようと僕は思った。そして、和美にカレーライスのお代りを頼んだ。
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