目が覚めると、またしても5分前だった。 夢をみていた気がする。最初、秋生と講義について話していたのが、途中から相手は秋生から和美に代わっていた。和美に、自分が今いかに勉強しているかということを自慢げに話している、そんな夢だった。 僕は今年、四つの大学を受験した。が、全部に落ちてしまった。 その結果、四月から予備校に通っている。 最初、予備校の講義には全然ついていけなかった。ペースが速すぎるのか、まるで外国語を聞いているようで、何を言っているのかまるで理解できなかった。そのくせ声だけは、マイクを使っているのでびんびん響く。「ここは必ずでる!」などと言われると焦ってしまう。自分だけがものすごく頭が悪いんじゃないかという気になる。肯いて講義を聞いている奴が目に入ると、ムカついたりする。あいつは一浪じゃないぞ。きっと、二浪か三浪だ。同じ講義を受けているから、だから肯いたりできるんだ。でも、ってことは、僕も二浪、三浪しなきゃ理解できないんだろうか。冗談じゃないぞ。 けれど、二か月もすると不思議なことに、ちゃんと講義についていけるようになった。もちろん、予習、復習をちゃんとやったことが大きいが、結局は予備校の雰囲気にのまれちゃってただけなんだ。そうして慣れてくると、周りに目を向ける余裕もでき、友達もぼちぼちできる。そいつらに聞いてみると、最初はみんな同じように思ったらしい。なんだ、焦ることなどなかったのだ。 そして、今は七月。僕はめちゃくちゃ勉強している。 まず、毎朝6時に起きて9時まで勉強する。それから予備校に行き、帰ってきたあとも夕飯をとる以外、ほとんど机に向かう。深夜1時頃には寝るようにして、次の日はまた6時に起きる。俺ってすごい、なんて思っちゃたりする。一年前は、自分がこんなに頑張れるとは思っていなかった。まぁ、頑張っていたら、大学を全部落ちることにはなっていなかっただろう。
ただ、高校生の頃はやたらに眠かった。 ほとんど、寝てばかりいたといっていいかもしれない。 朝なんてもちろん、いくら母に起こされたって起きなかった。お陰でしょっちゅう学校に遅刻していた。3回遅刻で1回欠席になってしまうので、危うく出席日数が足りなくて卒業できなくなるところだった。授業中も居眠りをよくしたし、家に帰ってテレビでも観ていればまた眠くなる。それだけ寝ればもう夜は眠れなくなるだろうと思うのだが、全然そんなことはなく、やっぱり眠くなる。勉強するどころじゃない。あるいは眠りながらに勉強できるとかいう学習機でも買うべきだったかもしれない。 なぜあんなに眠かったのだろう。 運動部に入っていたわけでもない。 身体を使うといえば体育の授業と、あとは和美とベッドに入ることくらいだ。それだって、その気になったはずが布団に入った途端に眠くなって、そのまま寝てしまったこともある。そのときは和美も一緒に眠ってしまって、和美の母が部屋をノックする音で慌てて飛び起きた。その年頃で、何よりも眠気が勝る奴なんてあまりいないと思うのだが、とにかく、高校生の僕は寝てばかりいた。それなのに、今はどうだろう。母に起こされなくても目覚まし時計できちんと起きられるようになった。しかも、ここ1週間はセットした6時の5分前に自然に目が覚めてしまう。もう、母どころか目覚まし時計もいらないんじゃないだろうか。 最も、母に起こしてもらおうと思っても今は無理だ。 僕の浪人が決まった頃、ちょうど父の転勤も決まり、父と母と弟は東京に行ってしまった。 僕だけが一人、札幌に残った。全ての大学に落ちたときには、さすがに全てが厭になり、誰も知った人がいない土地に行くのもいいかと思ったが、よく考えてみれば、また一年受験勉強で神経をすり減らすのに、都会の生活にも慣れなければならないのは酷く疲れそうな気がした。何しろ、東京なのだから。実際には江東区の南砂というところで、千葉のディズニーランドが近いらしいのだが、それでも東京なのだ。何だか面倒だった。それに、引っ越すとなれば何より、和美と別れなければならない。そんな気はまるでなかったので、僕は一人、札幌に残った。
僕のアパートは地下鉄東西線、西28丁目の駅から山の手通りを東に2分ほど歩き、左手の住宅地に入っていったところにあった。あかねハイツ1号103。近くに2号と3号があり、1階と2階に三世帯ずつ、どの部屋も独身者向けのワンルームで学生やOLが多かった。 僕は1階の一番奥の部屋を借りていた。玄関を入ると右手にユニットバスとトイレがあり、奥は六畳の部屋にカーペットが敷いてある。部屋の中にキッチンがついているのでかなり狭い。パイプベッドと本棚、ガラステーブル、洋服箪笥、勉強机を置くと、もうスペースはほとんどなかった。それでも、僕には十分だった。一人で生活するというのは、何て楽なんだろう。もちろん、生活費は親が払っているわけだから、一人で生活しているなんて思ってはいけないし、それについては申し訳ない気持ちもあるのだが、でも、浪人中の身にこれほど最高な環境はない。まず、自分のペースで勉強することができる。あれこれ心配したり、ときにヒステリーを起こす母も、父の無言の圧力もない。弟の何気ない一言にムカつくこともない。そして、親の目を気にせずに、たまには和美と息抜きできる。 和美は週に二回ほど夕食を作りに来てくれる。合鍵を持っているので、僕が家にいないときでも勝手にあがっている。そして、僕がいるときにも気軽に話しかけたりはしない。僕が勉強していれば、和美は黙って夕食を作り始める。出来上がると、初めて声をかけてくる。それからは気楽に、二人で食事をする。 和美は春から札幌市内の短大に通っている。高校生の頃と違って薄く化粧もしているし、服装も大人びて、お洒落になった。何だかどんどん綺麗になっていく。他の男に声を掛けられたりしないのだろうか。合コンだってあるだろう。なんせ、女子大生なんだから。 でも、和美はそういうことは何も話さない。だから、僕も何も聞かない。大抵は、高校時代の友人の話や、短大で新しくできた友達の話などを聞かせてくれた。そして食後にはコーヒーを飲み、少しだけテレビを観たあと和美は帰っていく。そのあと、僕はまた勉強を始める。昔のように眠くなることなど、もうなかった。何だか自分は自己管理のできる、立派な人間のような気がしてくる。そして、和美のような彼女がいて幸せだとも思う。浪人中なのに幸せだと思うのは変かもしれないが、しかし、他の浪人生よりも幸せだとういう気分は、何だか僕に優越感を与える。自分に自信が持てる。そうだ、受験は自信なのだ。来年は、絶対に合格できる。
朝、目が覚めるとまず、お湯を沸かしてコーヒーを飲む。今までは寝起きが悪く、起きて直ぐには何もする気になれなかった。けれど、一人暮らしを始めてからは何故かスッキリと起きられるようになった。自分が動かない限り、誰も何もしてくれない環境というのが、僕には良かったのかもしれない。 一杯目のコーヒーはただゆっくりと飲み、飲み終わるともう一杯を淹れて僕は勉強を始める。最初の一時間は、必ず国語の問題集をやることに決めていた。僕の志望は私大の経営学部だ。それは、世間からみればそう高い望みではないだろう。けれど、人の能力とはなぜこうも差があるのだろうか。 僕がそれを痛感するのは、国語の問題を解いているときだ。小学生のときから分かっていたことだが、僕には国語の読解力というものが、まるでなかった。主人公の気持ちを次の中から選べといわれても困ってしまう。もちろん、喜・怒・哀・楽くらい大きく分かれていたら、さすがに僕でも答えられると思うのだが、まずそんなことはない。大抵、似たようなものが並んでいる。虚無・郷愁・悲哀・虚脱、なんて中から一つを選べない。何か法則でもあるのだろうか。それが全く分からない。全部当てはまる気もするし、違う気もする。自分は、人の気持ちの分からない欠陥人間のような気がしてくる。すると、人の気持ちなんて分かるかよ、なんて投げやりな気分にもなってしまう。そういえば、和美には言われたことはないけれど、クラスメートの女の子に、無神経な奴だと言われたことがあった。
それは、高校二年のときの担任が結婚退職するというときだった。 歳は三十半ばだったから、「ギリギリセーフだったな」などと噂する生徒たちもいたが、見た目は童顔で小柄な、おっとりとした先生だった。先生というよりは、僕らはどこか、その頼りなさ気なところを見守るような感じでつき合っていた。だから、無闇に反抗して先生を困らせることもなく、むしろ、結婚が決まったときには、クラス中が祝福するムードで溢れていた。 相手は帯広でやはり高校の教師をしていて、大学時代に知り合ったという話だった。随分と長い間、遠距離恋愛を続けていたようで、その間に何度も別れのピンチがあったようだが、何とか納まるところに納まりましたと、先生は恥ずかしそうに照れていた。 その日は終業式の前日で、春から僕たちは三年生になり、つまり、先生とは明日でお別れという日だった。帰りのホームルームで女子たちの質問責めに合い、先生のそんな話を聞いていた僕は、自分もいつか和美と結婚したりするのかなぁ、なんてことを漠然と考えていた。 和美とは、一年の夏頃からつきあっている。 結局、一度も同じクラスにはならなかったけれど、それがかえって良かったのかもしれない。授業中に寝てばかりいる僕を見たら、やっぱり呆れるだろう。和美は可愛かったから、他にも彼女を狙っていた男はいたと思う。でも、何故か分からないけれど、和美は僕を好きになってくれた。彼女の友達が僕と同じクラスだったので、その子が間に入ってくれて僕らはつきあうようになった。最初の頃は二人でいても緊張してしまって、その友達を交えて三人で遊びに出かけたりしていたのだが、自然に話ができるようになると、当然のように友達は誘わなくなった。そうして二人きりで会うようになると、僕らはそれに夢中になった。実際、彼女以上に僕に合う女の子はいないんじゃないだろうか。他の子とつきあったことはないが、でも、そんな気がしていた。 「そういうわけで、先生は四月から帯広で暮らすことになりました。みんな、一年間本当にありがとう。それから、明日、終業式の後でリニンシキがありますから、よろしくね」 ぼんやり和美のことを考えていた僕の耳に、先生の言葉が飛び込んできた。 リニンシキ・・・、何だそれ?そう思ったときには声が出ていた。 「先生!」 「なあに、三村くん」 「リニンシキって、俺たちも出るの?」 一瞬、顔を曇らせ、先生は言葉に詰まった。その顔から、自分が大失敗をやらかしたことを僕は察知した。それまでひやかしの声をあげていた女子たちも、一斉に口を閉ざしていた。 「先生は、出て欲しいな・・・」 そう言って、先生は教室から出ていった。 その後、クラス中の女子からめちゃくちゃに責められた。それを聞いているうちに、「リニンシキ」が「離任式」で、退職する先生を送るものだと初めて分かった。 「三村って、本当に無神経なんだから!」 そう言われて、僕は言い訳をしたかった。けれど、離任式を知らなかったとは言えなかった。だから結局、僕は無神経な奴になってしまった。あとで和美にだけは本当のことを話した。和美は笑って聞いてくれた。 「大丈夫、大丈夫。私は一樹のこと、無神経だなんて思わないから。ねっ」 大丈夫、大丈夫は、和美の口癖だった。彼女にそう言われると、不思議に大丈夫な気がしてくるのだった。だから僕は、自分が無神経な奴だとは思わなかった。でも、何度問題集を読んでも主人公の気持ちが分からないところを見ると、やっぱり無神経なんだろうか・・・。
他にも国語が苦手な理由は考えられた。 それは、僕が本を全く読まないできたことだ。 小さい頃、親はよく本を買ってきて僕に与えてくれた。だけど、自分から興味を持って本を読むということはしなかった。仕方なく、母は僕を膝に乗せて本を読んで聞かせた。けれど、僕は直ぐに飽きてしまってそこから抜け出した。その後、小学生になって、一年から六年までの夏休みの読書感想文を、たった一冊の本でやり過ごした事実を知ると、親は呆れ果て、もう本を買ってくれることはなかった。実際、毎年担任が代わるのをいいことに、よくも同じ本で済ませたものである。文章力に多少の差こそあれ、感想文の内容は毎年同じようなものだったろう。
しかし、今は苦手なんて言っていられないのだ。なにせ、受験科目なんだから。 とにかく、朝の一時間は国語の問題集を解く。そして、その後の時間は気の向いた科目を勉強することにしていた。国語と違って、それ以外の科目は例え答えが分からなくても焦ることはない。正しい答えを頭にたたき込めばいいのだ。覚えればいいのだから、頭を抱え込む必要はない。だから、他の科目は成績も上がってきている。自分の頭の中に、少しずつ知識が詰まっていく感じがする。やればできるな、と思う。今までも、自分はできる奴だと思っていた。けれど、やればできるのはみんな一緒で、実際にやるかどうかが問題だったんだ。それも、一気にやるとかじゃなく、少しずつでも毎日やること。続けること。継続は力なり、なのである。いざとなったらできると、大抵の人は思っているが、いざとなったときには間に合わない。だって、こんなことに気づいたのは受験に失敗したあとだったんだから。
9時になると、僕はシャワーを浴びて歯を磨く。 コーヒーを淹れ直して、パンを焼き、食べる。 9時半に家を出て、予備校に向かう。予備校は札幌駅から少し歩いたところにあり、そこまでは30分くらいで着く。 その時間、地下鉄はもう混んではいない。サラリーマンや幼児を連れた若い母親、完全に遅刻であろう高校生、大学生らしき若者、どこかのショップ店員と思われるお洒落な女の子、そんな人たちが街へと向かうために地下鉄に乗っている。 僕は何に見えるだろう。 大学生か、フリーターといったところだろうか。 もし、僕が大学生だと言っても、誰も疑ったりはしないような気がする。僕が大学生か大学生じゃないかは、僕が嘘をつくかつかないかぐらいの違いしかないように、僕には思えた。そして、そんなことを考えながら、僕は大学生になるために予備校に向かった。
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