それ以来、多絵は秋生の態度にとても敏感になった。 そうはいっても、二人は始終一緒にいるわけではない。多絵の会社は輸入雑貨の小さな会社ではあるが、全国にある20店舗の店長からの商品発注や売上報告を受け、強化商品や在庫数を決めていく。その他スタッフの補充まで、小さい会社だからこそ、やらなければならないことがたくさんある。そして、最近は商品の買い付けにも同行させてもらえるようになった。仕事が面白くなってきたところだ。一方、二浪して大学に入った秋生は就職活動中だから、こちらも忙しいはずだ。秋生のスーツ姿など見たことはないが、多絵の知らないところではきっと、他の大学生たちと同じように、世の中のすべての情報を収集するかのような意気込みで、あちこちを走り回っているのだろう。だから、約束をするようなことはないのだが、それでも秋生は適当な間隔で多絵の前に姿を見せる。気紛れに現れることを非難したくなるほど頻繁でもなく、かといって久しぶりと感じるほどでもない。三十分ほどで帰っていくときもあれば夕食を一緒に取るときもあり、それが遅い時間であれば泊っていくこともある。秋生は男だからか、家に帰らなくても親になんだかんだと聞かれることはないらしい。そうじゃなくても秋生が中学生になった頃から、秋生の両親は彼に対して放任的になり、その分のエネルギーは全部、医大を目指す四つ年上の兄に注ぐようになった。家族から干渉されず、親から何も言われない環境を、多絵は長い間ずいぶんと羨ましく思っていた。
親元にいる間、なぜ自分ばかりがこんなに言われるのだろうと、多絵は思い続けてきた。扉の開け閉めから食事の速度、風呂の長さ、電話の取り次ぎ方など、数え上げたらきりがないが、とにかくいろいろなことを事細かに言われる。決して、しつけに厳しい家だったというのではない。その部分では、おそらく並だろう。ただ、自分は人の気に障る人間らしい。お前には気遣いというものがない。他の人のことも考えろ。一人でいるわけではないのだから。それが親の言い分なのだ。だが、自分はそんなに無神経な人間なのだろうか。そんなに、人とは違うのだろうかと多絵は悩んだ。どうも、そうは思えないのだ。学校でも孤立するようなことはなかったし、数は少ないが友達だっている。先生に問題児として扱われることもなかったし、そういう意味ではわりと責任のある役目に就かされることが多かった。 外ではそうなのに、なぜ家では上手くいかないのだろうと、多絵はとても悩んだときがあった。 もしかしたら物心つかないうちに、自分は親に対して一生許してもらえないような、何か酷いことをしてしまったのではないか。 多絵はずっと昔のことを思い返してみた。けれど、物心ついていない頃のことなど思い出せるわけがない。ふと、アルバムでも見てみようかという気になり、多絵は立ち上がった。
客間として使っている和室の押し入れから、こっそりアルバムを持ちだすと、多絵は誰にも見つからないように急いで自分の部屋に戻った。見てはいけないものを見るような後ろめたさを感じながら、所々にシミができ、茶色く変色した表紙をめくってみる。メリッという音がして、最初の2、3ページが一緒にひっついてきた。かなり古いアルバムだった。 それは透明のセロハンをめくって、そこに写真を挟み込むタイプのものではなく、写真の裏に糊をつけ直接台紙に貼り付けるタイプのアルバムだった。そのため、何枚か剥がれかかっている。いや、すでに剥がれ、しおりのように挟まっているだけのものも随分とあった。多絵は挟まっているものを全部手に取ると、一度手の中で揃え、それから一枚ずつゆっくりと見ていった。 甘いミルクティーのようなセピア色。今では見かけないサイズの写真の中で、結婚したばかりだと思われる父と母がだいぶ変色して写っている。家具の少ない和室のアパートは、今よりもずっと貧しかったことを語っている。そこにいる父と母。そんな二人を、まるで知らない人を見るような気分で多絵は眺めていた。べつに、今の父と母が大きく変わってしまったというのではない。その写真はまさに父と母の若い頃の姿であり、それは誰が見たってそう言うだろう。けれど、何かが違う。だって、笑っている。こんなに楽しそうに、こんなに嬉しそうに、笑っているのだ。いや、本当は横を向いていたり、何かをしようと動きかけたところを撮られ、きちんと顔が写っていないものもある。けれど、そんな写真が失敗写真として破棄されなかったのは、ここにはたくさんのものが詰まっているからだ。それが夢というものなのか、希望なのか、信頼なのか、愛なのか、多絵にはわからない。もしかすると、分からないものをひっくるめて幸せと呼んでいるのかもしれない。とにかくそれは、多絵が初めて目にする父と母の顔だった。 掌の写真を束ねると、多絵はアルバムのページを最初から順にめくっていった。生まれた頃の姉の写真が台紙にしっかりと貼り付けられ、その成長はページを繰るごとに順を追って知ることができる。けれど、多絵は時間をかけて見ることはしなかった。まだ自分が存在しない頃の両親と姉の姿は、多絵を動揺させる。あまり知りたくはなかった。そうしてページを繰っていくと、やがて、赤ん坊の自分が現れた。 母に抱かれながら、姉が顔を寄せてきている写真もある。家族四人がバランスのよい構図で納まる、休日らしい写真もある。けれどその中には、さっきの父と母の笑顔はなかった。何だかみすぼらしい。それが多絵の正直な印象だった。 和室の部屋には家具も増え、子供たちのおもちゃや雑多なものがごちゃごちゃしている。写真がカラーになっているぶん、そのまとまりのなさは色で分かる。そして、笑っている父と母の顔には、どこか翳りが見える。どこか疲れている。以前のよく分からない幸せたちは、そこにはもう存在していなかった。どの写真も、まるで日差しが目に入るのを避けるように、かすかに目を細め、皺を寄せた笑顔ばかりだ。それ以降いくらページを捲っても、父と母の表情は変わらず皺の寄ったものばかりだった。 人に話せば気のせいだと言われるだろう。また、生活していくというのはそんなもんだと諭されるかもしれない。たしかに、家族が生活していくということは、ごちゃごちゃした雑多なものたちがそれぞれの居場所を見つけ、何となく納まりよく、落ち着くことなのかもしれない。 けれど、その時の多絵は全てが自分のせいのような気がした。セピア色の笑顔を消してしまったのは自分だという気がして仕方がなかった。そう確信するための確固たる理由は何もない。ただ、その頃の多絵には、そう思うことが必要だった。今の生活には、納まりのつかないものが多すぎる。何か理由が欲しかった。自分の存在が、家族にとって納まりのつかない全てなのだ。そう思うと、何か強いものが多絵の中で動き始めた。 もう、オロオロするのはやめよう。 それは、多絵が中学二年のときのことだった。
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