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作品名:振り子 作者:高村 悠

第1回   1
光を木片にしたような事実に、街のざわめきが嫌が追うにも現実に引き戻そうとする。新宿歌舞伎町の雑居ビルの踊り場で呼吸を荒くしている自分に思わず、苦笑いしてしまう。
「この稼業で信じるって言葉は命取りだったはずだよな」
誰にも届かない声で独り言を呟いた。
逃げ回ってどれくらい経っただろう。遡って考えてみると既に十日目になる。
血眼になって自分を探しているであろう、組織に捕まった時の顛末に魘されて、ここ数日満足に寝ていない。いつもウトウトしてるうちに恐怖で目を覚ましてしまう。この十日間、そんな日々が続いている。
 今夜はどこに泊まろうか。着信履歴だらけの携帯でアドレス帳を探す。
少し考えたがすぐにある名前でアドレス帳が止まる。
 躊躇いながらも、涼子に電話することにした。
コールが二度鳴ったところで、声が聞こえた。「ずっと心配してたんだよ。大丈夫なの?あの事件は驚いたわ。大変だったでしょ?」
心配そうな声だが、いつもどおりの自然な語り口に少し安心してしまう。
「久しぶりだな。突然で悪いんだけど、今日泊めてもらえないかな?」
無言の状態が五秒ほど続いたあと涼子は静かに言った。
「いいよ。今から来る?」
「悪いな。あと三十分くらいで行けると思う」「分かった。待ってるね」
取り敢えず今日の寝床は確保出来た。後は、奴らに見つからずに、辿り着けるかどうかだ。普通に歩けば、十分程の距離だが、身を隠しながらだと、そのくらいの時間は掛かるだろう。
 帽子を深く被り、辺りを見渡す。新宿のネオンは闇に隠れているもの達にとっては、有り難いフェイクになる。大丈夫そうだ。裏道を使いながら、涼子のマンションに無事辿り着けた。
 ルームナンバーを押す。涼子はすぐに、セキュリティーを解除してドアを開けてくれた。
部屋に入って、顔を見るなり驚いた表情をした。
「一体、何があったの?」
「今、追われてるんだ。捕まったら殺られる」
これ以上ない簡単な言葉で現況を語った。
涼子は、呆れた顔で言った。
「だから、言ったじゃない。危ない橋は渡らない方がいいって」
「もちろん、俺も気をつけてたつもりだ。だけど、誰に嵌められたのか未だに分からない、いや信じたくないと言った方がいいか」
当惑と憔悴に満たされた顔に、涼子はそれ以上のことは、言えなかった。
「とりあえず、シャワーでも浴びてきたら?」
「ああ。悪いな」
 自らを潔癖症と自負する涼子のバスルームはジャスミンの香りで満たされており、ボディソープ、シャンプー、リンスが猥雑になりすぎなきようにキレイに置かれていた。
嫌な汗と久しぶりに身体を洗うことの出来た安堵感から、浴槽に身体を浮かせて、今自分が置かれたいる状況を再度考えてみる。
「あの状況で俺を嵌めることが出来たのは?」
考えたくもない事実が浮かび上がってくる。
「やっぱり、あいつらの言う通り理彩か・・・」
信じたくない思考が現実と交錯する。
有り得ないという思いが感情を満たしていくが、それは確信に近い感覚になっていく。
 バスルームから出て、涼子に礼を言い、一緒にハイネケンのビールを飲んだ。
「うまいな。久しぶりのアルコールだ」
「とにかく、今生きてることに乾杯ね」
「そうだな」
苦笑いをしながら、グラスをあわせた。
一時間ほど経って、落ち着いてきてから涼子は今の状況を聞いてきた。
「何があったの?」
少し思案した後、事の始まりを話し始めた。
「お前も知っての通り、俺は売人だった。まさか、今の地位に就けるなんて、あの時は考えられなかった。あの時のでかい取引で俺は組織の中堅になった。その橋渡しをしてくれたのは、お前の親友の理彩だ。そして、その時にも親身になって俺を助けてくれたのは、清治だった。奴は俺の兄貴分みたいなもんで何かと面倒見てくれてた。あの取引が成功したのも半分は清治のお陰だ」
涼子もそこまでの話は知っている。先を促すように「それで?」と急かした。そうここからが本題だ。
「俺は、その地位でも多くの取引を成功させていった。そして、派閥の一つに数えれるようになった。そしてまた去年、三億の取引を成立させて、俺も看板を背負うことになった。もちろん清治にも来てもらって俺の組の若頭になって貰った」
 一呼吸置いてグラスに半分ほど残ったビールを飲み干した。
「そこで垂れ込みが入ったんだ。清治が俺達と敵対している灘組の幹部、辻と密会してるってな。それで、俺は信じる必要もないと思ったが掟に従い、若い者に清治の見張りをさせてた。・・・奴を信じていたのに、確かに清治は灘組の幹部と会っていることが表沙汰になった」
「まさか、それであの新聞に載った事件になったって訳?」
涼子は心底驚いたようだ。顔から血の気が引いていくのが手に取るように分かる。
「もちろん、奴にも確かめたさ。でもあいつは、お前が判断しろ。しか言わなかった。俺は何度も問いただしたんだ」
涼子は口を押さえて震えている。
「組織の規律を守るため仕方のない決断を下した。そして、奴が水死体で見つかった」
頭を掻きむしりながら、動悸が激しくなってく感覚を俊は抑えられずにいた。
「それで、あんたの判断は正しかったの?」
溜息をつき、首を左右に振りながら絞り出すように言った。
「あいつは、灘組との抗争を避けるため、何より俺を守るために、掛け合ってくれてたんだ。それを清治を殺った後、灘組の若い奴から聞き出した。そして事実を知った組織は、俺を波紋にした。だが、それを待っていたかのように灘組からも命を狙われるようになっちまった。清治は、俺を守るために灘組の幹部の辻と杯を交わしてたんだ。何ではっきり言ってくれなかったのか。いや、良く考えれば分かることなのにどうして・・・あいつを信じてやれなかったのか」
涙を滲ませ、項垂れながら続けた。
「俺を嵌めたのは、今ならはっきり分かる」
涼子が息を飲むのが分かる。
衝撃的な事実を放った。

「誰なの?」
「理彩だ」
上手く状況を把握出来ないでいる涼子に決定
的な証拠を突きつけた。
「灘組の辻と理彩はできてたんだ」
「まさか」
涼子の疑問をかき消すように続けた。
「辻の野心は、相当なものだ。お前や俺が考えている以上にな。奴は俺の組とシマを根こそぎ奪うつもりだったんだろう」
「それを知ってて涼子は、辻とそういう関係になったっていうの?」
「いや、俺と出会う前からあいつらはできてた。初めから嵌める人材を探してたんだ。自分の力を広げらるような獲物をな」
「そんなこと信じられない。理彩は私の気持ちを知ってて、あなたを私から奪ったのよ。それが、男の野心のためだったなんて・・・」
涼子は困惑気味で理解が出来ない、いや、したくないという感情的な声で言った。
「俺も信じたくはなかったけど事実だ。あいつは俺が留守にしている間、常にどこかに出かけていた。そして、事件が起こる数日前に料亭で辻と会っているのを見た奴がいる」
少しの沈黙の後、泣き出しそうな声で言った。
「理彩のことは、今更どうでもいい。だけど清治のことだけは・・・」
「俊・・・私に出来ることがあったら言って。力になるから。それに、しばらく、ここにいてもいいよ」
「悪いな。でもすぐに出て行く。お前まで危険な目には遭わせられないからな」
「いつも、自分のことは後回しにして、ほんとに優しいのね」
その夜は久しぶりに涼子と交わった。恐怖は荒々しい性交になる。何度も痛みに耐えるような嗚咽を繰り返す涼子に構わず性欲を押しつけていく。二人が果てた後、俊は今までの半生を辿っていた。

 俊は、千葉の片田舎で生まれた。子供の頃から親にも先生にも愛想をつかされるほどの悪童だった。三人兄弟で兄と弟がいたが、俊と性格は、正反対で二人とも成績はいつも学年でトップクラスだった。そんな兄弟に挟まれ親からのプレッシャーもあり、いつも居場所がなかった俊は、中学を卒業と同時に家出同然に東京へと出た。
いくつかのバイトを転々として、お決まりののコースとでもいうような、この世界に入った。そして、狂犬と言われいた俊をその筋の者達が放っておくことはなかった。だが、自暴自棄になったのではなく、どちらかと言えば、自らその世界に身を投じていった。
 そんな中で、俊は清治と出会った。何かと面倒見のいい清治は、俊の本当の兄のような存在となっていった。
 自然と清治の仕事を手伝うになった俊は、適職に就いたかのように頭角を現していった。借金の取り立て、シマの管理、ヤクの捌き方どれをとっても非の打ち所がないような働きをした。駆け引きや追い込み方、引き際等は常に冷静であれば、自然と身についていく。そんな俊に、清治の組から声が掛かった。最初は断るつもりだったが、清治も勧めてくれたので、組員となった。
 その歓迎会で俊は、理彩と涼子に出会った。
理彩は男なら誰もが虜になるような華やかさや気遣いがあった。涼子はナンバー二に徹していて決して出しゃばらずに、他のテーブルにも目を配っていた。そんな涼子に、俊は惚れてしまった。まさか、付き合うことになるとは、思わなかったが意外にも、声をかけてきたのは、涼子の方からだった。
「今日、お店が終わったらさ。食事でもいかない?」
俊は二つ返事で快く応じた。
そして自然とそのまま付き合う形になった。
 そしてこの事件の発端となる、引き金は付き合い出して、半年程経ったときに起こった。
突然、理彩から電話が入ったのだ。
「ちょっと相談があるんだけど、今日ご飯でもいかない?」
唐突な理彩の誘いに少しは警戒したが、華麗で美しい女からの誘いを断ることも出来なかった。
「ああ、俺でいいのか?」
理彩は用意していたように言った。
「俊君じゃなきゃ駄目なの!」
少しシックなフレンチレストランで食事をした。俊は、理彩に恥をかかせたくないため、予めその店でコースを頼んでいた。
運ばれてくるコース料理に理彩も満足しているようだ。
「で、相談って何だよ?」
「うん・・・俊は涼子と付き合ってるんだよね?上手くいっているの?」
「今のところは仲良くやってる」
「そっかあ。それは残念だな。実は私、始めて俊君がお店に来たときから、気になってたんだ。それで、涼子と付き合いだしたって聞いたときは、嫉妬しちゃったんだからね」
思いがけない理彩の言葉に俊は思わず、声を上げた。
「マジかよ。それならもっと早く言ってくれよ」
本気で俊は答えていた。
「でも、涼子も俊君のこと気に入っていたし当時、私にも彼がいたからね。でも、先月別れちゃって、そしたらどうしても、俊君に会いたくなって・・・ごめんね」
俊は理彩が言った言葉の意味を計りかねていた。
考えあぐねている俊に理彩は切り出した。
「今夜、朝まで大丈夫?」
「そんなことしたら、涼子に悪い」
「あれ?結構純情なんだね。一回寝るくらいいいんじゃない?答えはそれからでも」
「・・・」
「今の稼業にいて、そんなきれい事言ってたらやっていけないわよ」
俊は、あきらめたように頷いた。
「分かった。今夜の俺はは理彩にやるよ」

 汐留にある、高級シティホテルに泊まることにした。部屋は902号室。程よく景色もいい。理彩も満足しているようだ。軽くワインで乾杯してすぐにベッドに入った。
ベッドの上での理彩のテクニックに俊は驚嘆した。古くさい言い方をすればソープ嬢並のテクニックで涼子とするのとは、かなり違った。涼子は受け身で、俊のやり方に従うように無理な要求にも従ってくれたが、理彩は正反対で積極的だ。快楽をお互いが貪りあうような絡みだ。これなら、ほとんどの男は虜になるだろう。
 俊は理彩から得た快楽に囚われて、このままずっと一緒にいたいという思いに駆られてしまっていた。
 肉体関係が二ヶ月ほど過ぎたころ、理彩が急かし始めた。
「そろそろ、涼子か私か選んでくれない?」
いつも言葉を濁してきた俊だが、結局、涼子と別れて、理彩と付き合うことになった。
涼子は別れ際に呟くように言った。
「理彩は、いつも私の大切なモノを奪っていく。俊も奪われちゃったね」
その言葉にどう返答していいか分からず、立ち尽くしていると最後に涼子が口を開いた。
「幸せになってね。応援は出来ないけど、女々しい別れは嫌いだから・・・」
強がりなのは分かったが。俊は短く答えた。「ああ。今までありがとな」
 涼子の部屋にある私物を持って部屋を出て、パーキングに行くと理彩が待っていた。
「きちんと別れられたの?」
気遣いのない言葉が理彩らしい。
「ああ。もう後戻りは出来ないさ」
満足げな理彩の表情に俊は少し違和感を覚えたが、すぐにかき消した。
 それから、一年が経過したころ、理彩から大きな仕事を持ちかけられた。敵対している灘組の幹部がパクられて、宙に浮いた薬に取引相手を探している人がいるから、会って欲しいという。
 この頃から、理彩は俊の仕事にも入り込むようになっていた。あまり気が乗らない仕事だったが、とりあえず会うことにした。
相手は、中国に密売ルートを持つ志賀という男だった。見た目はいかにもお調子者という感じだったが、仕事の話になると、一気に強気に出る。この手の男は足下を見られると厄介だ。俊も慎重に言葉を選びながらの商談に入る。
「で、いくらになるんですか?パくられた藤井さんとは、二億で話が出来ていました。でも、今回は特別に値段を下げます。一割引かせていただくことでどうでしょう」
いかにもふっかけている金額だ。
「さっき、ブツを確認させてもらったけど、結構混ぜものが入ってる。その値段じゃ話にならないな」
俊も強気に出る。
「引き取るなら、半額の一億が妥当でしょう」
志賀は笑った。
一瞬、強ばった表情になったが、なるほどと言わんばかりに俊にこう答えた。
「さすがですね。いいでしょう。明日にでもうちの若い奴にあなたの組に運ばせます」
取引は無事終わったが、きな臭い匂いのする話だった。家に帰って理彩に問いただした。
「今回の取引はどういう経路で入ってきたんだ?」
「いつも通り、うちの店の常連からよ」
それ以上は聞かないで欲しいという理彩の目に気付きとりあえず、今回の話は終わりにした。
 それから、一月が過ぎた頃に若い組員から垂れ込みが入った。灘組の辻と清治が密会しているところを見たという。
俊にとってはそんなこと寝耳に水だったが、立場上、取り敢えず若い奴に清治の見張りをさせた。
 さすがに、月に三度も辻と会っているとの報告に、俊は清治と久しぶりに二人で会い、真相を確かめた。
「実は、辻と会ってるって垂れ込みがあったんだ。しかも数回に渡って別の奴から」
清治は始めから、分かっていたように首を何度も縦に振った。
「心配するなよ。俺はお前を裏切ったりはしない。実は今、あいつとある取引をしてるんだ。話がまとまったら、お前に話すつもりだった。組には迷惑を掛けることはないから大丈夫だ。個人的なことだしな。確かに灘組とうちは敵対しているが、所詮同じ穴のムジナだ」
思い立ったように少し間を置いて清治が俊に切り出した。
「お前、まさか俺が嫉妬するような男だとは思ってないよな?」
呆れ顔で俊は答える。
「当たり前だよ。今の俺があるのはあんたのお陰だ。それに信じるってことも教えてもらった。」
照れくさそうに笑う清治を、この時は信じていた。
 だが、状況は一変する。垂れ込みが立て続きに入り、その信憑性も確信に近い付いてきたからだ。
 俊に断りもなく、ヤクの大きな取引を辻と行っているという。それは、いくつもの情報から、疑いようのない内容だった。
俊は難しい選択を迫られていた。このままだと他の組員にも示しがつかない。
 さんざん迷った挙げ句、次に同じ情報が入って、俊自信がその現場を押さえ込んだら殺るしかないと胸に誓った。
 それから二月が過ぎた頃、同じ情報が入り、現場に踏み込んだ。取引の最中だった清治と辻は少し驚いていたが、冷静を装っていた。
「どうしたんだ?こんなとこに?」
清治は悪びれる仕草もせずに、逆に問いかけてきた。
「見てはいけないものを見ちまったか?」
辻は、肯定とも否定ともとれる言葉で言った。「お前が判断しろ」
俊は静かに頷いた。
「ああ。そうさせてもらう」
 そう言って俊はその場を離れた。
その次の日、俊は清治を呼び出した。
「どういうことか、説明してくれ」
清治はただ笑って言った。
「辻が言ったようにお前が判断すればいい。ただこれだけは言っておく。俺はお前の組の若頭だ」
俊は深く息を吸い込み勢い込んで言った。
「あんたを信じたいのは山々だが、こう何度も垂れ込みが入ると、俺も下の奴らに示しがつかない。ほんとの事を教えてくれ」
俊は懇願に近い言葉で清治に詰め寄った。
「人の上に立つって事はそういうことさ。お前が見たことは事実だ。俺は敵対している灘組の辻と会っていた。お前に何も相談せずにな。だから、それは、この組の掟に反することだ。俺はお前が出した答えに従うまでだ」
頑なな清治の言葉に俊は決断を下さざる得なかった。
「分かった。俺は掟に従わせて貰う」
清治は少し微笑みながら頷いた。

 そして、清治はその日の夜に東京湾に浮かんだ。

 この事件を知った幹部連中は、事の真相を俊に問いただした。
 経緯を事細かに説明した後、会長が言った。
「お前、嵌められたな」
俊は上手く事態が飲み込めずに、会長に真意を聞こうとしたが、幹部がそれを制した。
「清治は、お前を庇って辻と話し合いをしていた。辻は以前から、そうお前が頭角を出してきた頃から危機感を持っていた。そして、それに感づいた清治がそれを阻止しようと話し合っていたんだ。ただ、清治はお前を信じていた。だから、敢えて死も厭わなかったんだろう。これから、灘組と事を構えることになるかも知れないな。うちとしては、今はまだ動く気はない。それがどういう意味だか分かるか?」
俊は自分がしでかしたことに苦慮していた。「なんで清治は本当のことを言ってくれなかたんですか?」
「それは、お前を信じていたからだろう。自分の命はお前に預けるってのがあいつの口癖だったからな。俺達もあいつには忠告していた。きちんと俊に話しておけとな。だが、決して口を出さないで欲しいと言われた。とにかく、おまえは謹慎していろ。人目のつかないとこでな」
 俊は、肩を落とし取り返しのつかないことをしでかした自分の判断を呪った。
「分かりました。しばらく身を隠します」
そう言うのが精一杯だった。
そして付け足された幹部からの言葉に身が凍りついた。
「辻と理彩は繋がっている。お前、涼子と別れて理彩と付き合っていたろう?あれも辻の絵図だった。ケリがついたら、清治もお前に話すつもりだったんだろう」
 何でこんなことに・・・言葉に出来ない感情に押しつぶされそうになりながら、俊は本部を後にした。
 そして、数日間は付き合いのあった女や信頼の置ける友人の家を転々としたが、ことごとく足が付き、最終的に涼子を頼ることにした。
ここまでの経緯を話すと涼子は涙を流した。
「結局、傷ついたのは私と俊だったんだね」俊は首を振った。
「一番傷ついたのはお前だよ」
絞り出すように言った言葉は本心からだった。「俺もいずれ捕まるだろう。組も俺を守るつもりもないし逆に俺を差し出すつもりだ」
行き場をなくした俊は、意を決して辻と差し違える決意をした。
「こうなったら、辻の首をとる。それが俺に出来る最後の仕事であり償いだ」
涼子は涙を浮かべて言った。
「日本から逃げようよ。何とかするから」
涼子の哀願するような言葉に俊は頷く代わりに答えた。
「それもいいな。お前と二人でやり直すか。この仕事が上手くいったらな」
そう言うのがやっとだった。
ただ、生きて涼子と出会える可能性はゼロに等しいことをお互い分かっていた。

 涼子は、茨城の片田舎に生まれた。幼少期には、両親の愛を注がれて育ってきたが、思春期特有の反抗期に家出を繰り返していた。
 そんな矢先に両親が離婚をした。原因は父親の浮気だった。聞いてみれば十年程前かららしい。馬鹿らしくなった涼子は更に家に寄りつかなくなった。親権は母親になったが、別に興味がなかった。心配しているという言葉とは裏腹に母親もまた、夜の世界で働くようになった。一週間に一度は家に帰ったが、着替えや必要なものを取りに行く以外はほとんど、友達の家を転々として暮らしていた。
 処女を喪失したのは、十四歳のときだ。特に好きでもない男とだった。その時にはこんなものかなと軽く感じたものだが、好きな男が出来たときにあの時は失敗したと悔やんだものだ。今となっては、可愛らしい自分に笑みがこぼれる。そんな時、男に振られ自暴自棄気味だった友人が東京に出るから一緒にどうかという言葉に二つ返事で飛びついた。
 そして現在の店に入店した。早いもので、あれから八年になる。今、二十八歳・・・。
 入店して二年が過ぎた頃に理彩と出会った。始めて会った時からこの子はナンバー一になるだろうという直感がした。見た目の華やかさや醸し出すオーラに男を虜にする何かを感じた。この人には適わない。それが理彩に対する第一印象だった。だから、俊を取られたときもすぐにあきらめた。もしかしたら、いつか帰って来るかも知れないという淡い願いを残して素直に別れに応じた。それが、こんな形になるとは予想もしていなかった。

 理彩は涼子とは正反対の幼少期を過ごしてきた。両親からは育児放棄され、ほとんどの家事を自分でこなしていた。いつか成り上がってやる。祖母が高校までの学費だけは工面してくれた。高校生活で、理彩を強気にさせたのは、いつも付き合う男が他の女子が憧れる対象となる秀才でスポーツ万能でイケメン。それでも、他の男子生徒から告白されることは多かった。確かにこの頃から、他の女子生徒にはない華やかさを身につけていたので無理もないことだった。ただ、このまま大学に進む気もなく手っ取り早くのし上がれる世界に身を投じたかった理彩は、高校を卒業と同時に男とも別れ、上京して、キャバクラや銀座のホステスを転々として、行き着いた場所が涼子のいる新宿のクラブだった。ここならすぐにナンバー一になれるし、客層も悪くない。銀座は政治的な話から多くの知識を求められることが多かったが、この店ではその話題は銀座で培った知識で十分に補うことが出来た。
 そんな時に辻に出会った。出生から今までの人生を聞く機会があり、この男の力になりたいと切に思った。
 そんな時に辻から俊の話を聞いた。男を嵌めるのは得意分野だった、理彩は少し涼子に気兼ねしたが、辻に対する思いが優先された。辻から俊を誘惑させて、孤立させて、組を波紋させるという筋書きだ。俊と付き合って行くうちに情が沸いたのは間違いなかったが、最終的に辻に肩入れした。罪悪感はあったが後悔はしていない。俊に私を見る目がなかったと言い聞かせていた。

 涼子の家を出た翌日、俊は辻に捕まった。
そして、地下室の牢獄に幽閉された。

 辻はようやく、自分の筋書き通りになった今回の事例に少し浮き足だっていた。
 今までの辻の人生は裏切りの連続だった。一体、何がこうさせるのか分からなかった。今まで信頼していた、仲間だと思っていた奴、部下にことごとく裏切られてきた。それまでは、信じることこそが男だと思っていた。
 辻は小学生になる前までは、両親も仲が良く、満ち足りた幼少期の記憶しかない。
 しかし、小学生に上がるとともに事態は一変する。
 父親の死とともに母が男を部屋に連れ込むようになり、その男に凄まじいまでの虐待を受け続けた。二日間食事無しというのも当たり前だった。アパートのベランダで寝かされたり、押し入れに閉じ込められたり、時には酷い暴力を受けた。目立たない身体の箇所にタバコの火を押しつけられたり、腹を蹴られたり、辻が痛がるのを男は楽しんでいた。母親は見て見ぬふりだ。
 学校の給食だけが、満腹を感じさせてくれたため、生きるために欠席せずに学校に行っていた。だから、日曜日が憂鬱だった。そして長期の夏休みや冬休みも・・・閉塞感だけではなく、空腹感が襲う虚しさは、今の時代では珍しいだろう。
 しかし、最近テレビでは幼少期の自分を喚起させるような事件が毎日のように流れている。餓死、虐待を受けて亡くなった子供達の冥福を切に願った。
「辛かったろう。でも、地獄から解放されたな」胸の縁でいつも呟いている。
 切った張ったの世界に踏み込み、のし上がるためには、張ったりと駆け引きが需要だ。無言の威圧感も自然と身についていった。そこには義理人情以上に冷酷さが必要不可欠だ。そんな時に、辻は俊を知った。辻と正反対のやり方でのし上がってきた俊をいつか、追い込むことが目的になった。
 そこで、清治を道具として使った。この世界では、かなり名の通った冷酷無比な辻に周りは裏切ることは死に値すると恐れていた。 しかし、清治は何とか俊を救おう辻に食い下がっていた。会うときは密会に、相応しい場所を選んでわざと分かるように若い者に吹聴するように支持した。
その作戦は功を奏した。何とか清治に疑惑を持たせて何よりも大切な人を奪う。
清治の性格上、このことを俊に話すことはないと確信していた辻だったが、俊が清治を殺らせるまでは、不安感に襲われ続けていた。だが、思いの外少し早く決着が付いた。
充足感とともに、やりきれない矛盾した気持ちの中で辻は俊を見下ろしていた。
そこには理彩もいた。
「ごめんね。始めから私と辻のシナリオ通りなの。まさか、こんなに上手くあんたが乗ってくれるとは思わなかったけど」
理彩の高笑いをかき消すように辻が言った。
「そっちの組の了承も出た。言い残すことはあるか?」
「最後にお前を殺れなかったことが心残りだ。そして、清治を信じてやれなかったこと、涼子と別れたこと・・・いや、それも今更だな。さっさと殺ってくれ」
 これまでの清治の言葉と涼子の思いに答えられなかった自分の愚かさに胸が熱くなっていく。自然と頬を涙が伝い落ちていく。
宗教には無頓着だった俊だが、最後に十字を切って清治と涼子を強く思った。
辻が首で若い者に合図を送る。
銃声とともに俊は、前がかりに倒れ込む。
その動かなくなった生を剥奪された死の前で、辻と理彩は哀れむような自分を悔いるような表情で立ち尽くしていた。

 明日には東京湾に俊の死体が上がるだろう。






 涼子は、中国行きのフェリー乗り場で俊を待っていたが、その約束は果たされることなない。
 心の中では分かっていたことだが、その悪い予感を掻き消すように気丈な目で俊が来る方向をじっと見つめていた。
チケットを握りしめて、涼子は俊を遠い空から思っていた。
「必ず、来るそして最初からやり直すの」
その思いは東京湾に浮かぶ俊には届かない。ただ、波に揺られ誰かに発見され新聞に載るまで涼子は信じ続けるのだろう。



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