9.より、強く ハルオは口を半開きにしたまま絶句していた。土間はピクリとも動かない。御子はハルオが言葉の意味を呑み込めるように、少しの間を置いていた。すぐに理解できるとも思えないが。 「土間はね、今は事情があってこの姿になったけど、もともとは、あんたの父親だった・・・いいえ、今だって父親よ。認めにくいとは思うけど」 説明している御子自身にも実感がない。御子が知っている土間は、すでに女性となってしまっていた土間だけだ。 元男性だったことは初めから伝えられてはいたが、それを意識した事など一度もなかったし、土間も自分が男性であると、今は思ってはいないのだろう。そのメンタリティは、すでに女性の物だと思っている。 しかし、今は実感のあるなしを考えている場合じゃない。香の生死がかかっているのだから。 「土間があんたの親である以上、親子の情は逃れられないわ。香に何かがあれば、あんたは傷つく。そんなあんたの姿を見れば、土間も平静ではいられなくなるの。男であろうと女であろうと、あんたは土間の血を分けた子供であることには、変わりないんだから。あんたは土間にとって、最大の弱点なの」 「俺が、弱点。・・・土間さんの」ハルオはゆっくりとつぶやく。心の何かを確認するように。 「そう、しかもそれは華風組の弱点にもつながる。だから関口はあんたを潰すためなら、香に何をするか分からない。今、香は本当に危ない状態なの。現に連れ去られる時には顔に深手を負わされていたわ。あれもハルオを苦しめるためでしょうね」 ハルオも土間も顔色が変わる。そんな目に香を合わせてしまったにもかかわらず、香はまだ、関口達の手の中にいるのだ。 「ハルオ、私はあんたの冷静さに賭けるわ。香を無事に助け出すまでは、何があっても動揺を表に出さないで。あんたが顔色を変えれば、それだけでも関口達の思うツボなんだから」 「そ、そんな事・・・言われたって・・・」ハルオは顔を真っ赤にしていた。初めのショックから、今度は怒りがわいてきたのだろう。なんの罪もない香の事を思えば、その心情はあまりある物がある。 「いい?香は強い娘よ。きっと私達の事を信じてる。どんな目にあわされようともね。その気持ちを裏切れないでしょ?あんたもその、香の強さを信じてあげて。確実に香を助け出すのよ。分かった?土間、あんたも同じだからね」 「なるべく顔には出さないけど・・・」その土間の怒りも、すでに頂点だ。おそらくはらわたは煮えくりかえっている。
「・・・おい、感情に振り回されている場合じゃないぞ。礼似さんと香が、まずい事になりそうだ」 違法なのは百も承知だが、良平は携帯を耳にしたまま運転していた。携帯からは、雑音混じりに香のマイクの声が聞こえている。どうやら礼似が状況を伝えるために、盗聴器を自分の携帯に押し付けているらしい。 「どうやら礼似さんも見つかったようだ。このままじゃ二人とも危ない。急ぐぞ」 そういうと良平は御子に携帯を放ってよこし、自分は車のスピードを上げた。今度は御子が良平の携帯に耳をすませる。 「悪いけどおもてなしを受けている暇はないの。なにしろけが人がいるからね」礼似の皮肉を込めたセリフが聞こえる。 おそらくわざとそういうセリフを言っているのだろう。香の傷は浅くなかった。消耗しているのかもしれない。 「その穣ちゃんはなかなかおとなしくなってくれなかったんでね。もてなすほうも苦労したんだ。あんたはおとなしくエスコートされて欲しいもんだ」少し雑音混じりに関口の声も聞こえてくる。その周りで少しざわめいた様な気配。 おそらく他にも数人の人間がいるのだろう。礼似だけでは香を守りきれそうにない。何より関口は腕の立つプロだ。 「結構人数がいそうね。ハルオ。あっちに着いたら、まず、あんたが関口達の気を引いて。土間は関口をお願い。あいつはあんたにしか任せられないわ。私達は雑魚を何とかして香を助けるから」御子が指示を出す。 そうだ。動揺して怒りにかまけている場合じゃない。まずは香の無事が優先だ。土間とハルオは互いの目を見かわして頷いた。
「エスコートして下さるんなら、紳士的にふるまってね。・・・とくに若い子には」関口達の取り囲まれながら礼似と香は再び裏口から建物の中に入っていく。今度はさっきの部屋を通り抜けて、廊下を通り、広い、ダンススタジオのような空間に出る。床に座る瞬間、香がふらついたように見えた。動き回って、腕の傷が開いたらしく、腕から出血をしている。今、無理はできない。どっち道、バイクのキーは関口に奪われている。 「さて、せっかく女性が二人もいるんだ。ここは舞踏会としゃれこもうじゃないか。裸踊りなら大歓迎だが」関口が言う。 「脱がせ上手はキライじゃないけどね。もうちょっとマシな場所でお誘いが欲しかったわ」そういいながらポケットのナイフを探る。上着の別のポケットには銃があるが、今、関口を脅した所で、香を人質にされれば万事休すだ。 多勢に無勢。余計な刺激はなるべく避けた方がいい。御子達が早く来てくれれば・・・。
「お、俺は歓迎できないぞ!ふ、二人とも、か、返してもらう!」 がらんとしたスタジオに、ハルオの声が響いた。後ろには土間と御子、良平もいる。 「次々とゲストの到着か。いやに早すぎる。招待状はまだ出していないんだが・・・」関口の刀の切っ先がひらりと動いた。香の顔をかすめる。 「きゃ!」香の小さな悲鳴とともに、襟元が切り裂かれ、膝の上に小さなワイヤレスマイクが転がり落ちた。 早かった。礼似では反応できない。どうやって関口から香を引き放そう? 「成程な。俺の目をダシ抜けるとは大したお穣さんだな。確かに甘く見ていたようだ」関口が香を見下ろしながら感心して見せた。 香は膝に落ちたマイクを何気なく拾い上げた。ほんの一瞬、香の指先が動く。関口ははっとしたように香から離れると、目元を刀でかばうしぐさをした。「キン!」と言う金属音とともに、マイクが床に転げ落ちる。 「こいつ!」関口がカッとなって香に向かおうとしたが、その目の前に突然ハルオが現れた。刀をドスで受け止めている。早い!こいつ腕をあげやがった。 「か、香さんに、て、手出しは、さ、させない」 このどもり言葉に騙される。こいつの事も、やや甘く見てしまっていたか。こんなに短い時間で、これほど感覚が研ぎ澄まされるとは思っていなかった。しかし・・・ 「まだ、若い!」関口は刀でハルオを刺しにいくしぐさをする。ハルオは横に飛んだが、その身体を追いかけるようにして、刀が真横に迫ってきた。ハルオは刀をドスで受け止めたが、空中にあっては体制は立て直せない。そのまま体が投げ出される。次の刃が来る。間に合うか?ハルオがドスを構えようとした瞬間に、別の刀が目の前に現れた。鋭い金属音が響く。 「あんたの相手は、私にさせてもらうわ。ハルオよりは手ごたえがあると思うんだけど」 そういって、土間が関口に立ちはだかった。この隙に礼似は香を関口から遠く引き離し、襲ってくる雑魚をナイフで払いのける。御子と良平も加勢に加わった。
「ハルオ、こいつは私に任せて、香を車に連れていきなさい」土間がハルオに指示を出す。 「いやだ!こいつだけは俺が相手になる!」ハルオは顔を高揚させてむきになった。しかし土間は取り合わない。 「ハルオは何が一番大事なの?なんのためにあんたに私のドスを持たせたと思ってんの?あんたの大事な人たちを守るためでしょう?こんな屑に仕返しするために使うってんなら、そのドス、とっとと返してもらうわよ」 ハルオは関口を睨みつけると、香の顔を見た。傷口に血がこびりついている。腕からはうっすらと血がにじんでいた。 「私なら大丈夫よ。両足は何ともないんだから。自分で歩けるわ。あんたが納得できる行動をしてよ」 香はそういったが、刀傷特有の痛みがない訳がない。青い顔が痛々しい。気力だけでも相当堪えているはずだ。 ハルオは香を自分の背中に背負った。抱えあげるにはハルオの体格はいささかきついものがあった。かっこをつけている場合ではない。襲ってくる奴には礼似が援護をした。
「あんたが、息子の代わりって訳か」関口が土間に向き直る。 「相手として不足は無いでしょう?」土間もかまえる。 「まあな。女子供に気が弱くなる奴なのは気に入らないが、腕は認めてやるよ。だが・・・」 関口はそのまま斬りかかった。 「腕だけじゃ、殺し合いは出来ねえぜ!」 土間は、その刃をひらりとかわすと、次の刃もあっさりと跳ね返した。体制が崩れた関口に柄元をたたきつける。 倒れた関口に刃をちらつかせていった。 「殺し合いをする気なんて、サラサラないわ」 関口の胸ぐらをつかみ上げる。 「勘違いも甚だしいわ。私は弱くなって男を捨てたんじゃない」 関口の頬を殴りつける。 「より、強く生きるために、女を選んだのよ」 関口は横倒しに倒れていく。 「たとえ、自分の子に、どんな目で見られようともね」 土間は関口を見降ろした。 「ハルオはあんたより強いわ。あの子は刃物に呑まれたりしない。殺し合いなんて必要ないの」 あの子はあの子のままで強くなれるわ。私と違って。 土間は最後には自分の心に言い聞かせながら、香を背負ってスタジオを出ていくハルオの姿を見送っていた。
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